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【顎(アギト)】  作者: しおてさぎそう
9/14

【信実(シンジツ)その弐】

 巳禮はただ迷うばかりだった。

 胸の中で眠る見知らぬ少女、はたして起こすべきなのだろうか。

 暁と共に愛華が燃え尽き、内から黒髪の少女が現れて数分。地平線から全身を現した太陽は晴天の中、容赦なく陽を照らしている。高層ビルの屋上という雲の他に遮蔽物が皆無の環境で、さんさんと直射日光を浴びながらも、彼女はすやすやと眠り続けている。

 何が起きたのか。当人に訊きたい巳禮だったが、一つ問題がある。巳禮は大蛇によって姿勢を強制されている。その胸に少女を抱くという姿勢を。

 巳禮はまじまじと、眠る少女を観察する。

 顔つきはどこか愛華と似ている。目元は異なるが、頬から顎にかけての輪郭や、鼻と唇の形はほとんど同一のように巳禮には思えた。

 髪も色こそ赤と黒で違うが、絹糸のような艶やかさは共通している。頭の位置からして、背も然程変わらない。

「……」

 ただし、決定的に違う部分があった。

 純白の薄い寝間着。そこは関係ない。着衣の違いは別問題である。問題なのは緩く開いた胸元から覗く豊満な――【それ】。

 蛇という不可抗力により、学ラン越しに巳禮の胸筋に押し当てられて柔軟に形を変えている二つの――【それ】。【それ】が愛華とこの少女が別人である事を決定的に主張している。

 むぅ。と、巳禮はつい圧倒的圧迫感に唸り声を洩らした。すると、

「ん、んん」

 腕の中の少女が眠気の混じった声を洩らし。

「……ん? あ、れ?」

 あっさりと眼を覚ましてしまう。硬直する巳禮。

「……?」

 まばたきする少女。その眼は紫陽花のような藍色をしていた。互いの瞳に互いが映る。

「あの……」

 先に話しかけたのは少女だった。

「これは、その。私がこう、貴方の胸に、だ、抱かれているという事は、つまり」

 少女の眼に涙が浮ぶ。巳禮は誤解だと首を横に振る。

「いえ良いんです…… もう過ぎてしまったことは……」

 すんすんと少女は鼻を鳴らす。巳禮としては何も良くない。が、少女は構わず続ける。

「それよりも、貴方はジドウミライさん、ですよね?」

 巳禮は驚き少女を見つめる。何処かであっただろうかと頭を捻るが、記憶にない。

「愛華お姉ちゃんから、知らされてましたから」 

 無視できない発言だった。反応に困りつつも巳禮は訊く。愛華の妹なのか。

「そうです。私、レンカっていいます。恋するの恋に草花の花と書いて、恋花です」

 恋花、その名は愛華が黄金の炎に包まれ、言葉を失くす寸前に口にしたものだった。

 愛華に恋花。対のような語感に、双子だろうかと疑問を抱く巳禮。巳禮には出来なかった。恋花が蛇の拘束とは無関係に、自らその身体を押し付けてきた。

「ミ、ミライさん! おね、お願いです! こ、こんな状態になっているということはつまり。お姉ちゃんはミライさんが協力する対価を、そ、そそ、そういう形式で払ったんですよねッ……?!」

 衣服越しでも十二分に伝わる、むちっとした豊かな感触。目を白黒させながら、誤解だと巳禮が説いても恋花は聞く耳を持たない。 

「の、残りは私が支払います! ですから! お姉ちゃんに酷いことしないで!」

 恋花の眼差しに巳禮はっとする。僅かに芽生えた雑念は一瞬で吹き飛んだ。

「お姉ちゃんはもう何十年も戦って! 戦って、戦うことしか許されなくて! ずっとずっと! なのにこれ以上、傷ついたらきっと心が……! 代わりに私が何でもします! だからお姉ちゃんを……!」

 最後はほとんど、啜り泣きながら恋花は巳禮にすがった。その姿は、炎に包まれる寸前の恋華と瓜二つだった。

 巳禮は恋花の名を静かに呼び、何でもするというのならまず、話を聞いて欲しいと逆に懇願する。

「はい…… はい?」

 大粒の涙を眼に溜めつつきょとんとする恋花に、巳禮は馴れない状況説明をするのだった。


 ◇ ◇ ◇

 

 数分後、やや冗長ながら要点は捉えた巳禮の説明が終った瞬間、

「す、すいませんでした!」

 恋花は開口一番で謝罪した。ほぼ密着状態ゆえ、首の稼動範囲は極めて狭いが、それでも何度も頭を下げる。

「すいません! 本当にすいません! 勘違いとはいえ最低鬼畜変態扱いするなんて!」

 胸板に何度も額を当てられながら、巳禮は内心凹む。恋花はどうやら素直な性質をしているようだが、その分遠慮というものが無いようで、どこか拗ねた感じの姉とは正反対だった。

 過ぎたことだと巳禮が言うと。

「え? あ、はい! ですね。過ぎたことです。はい!」

 そう言って持ち直し、最後にまた一回頭を下げた。

「あの、本当にありがとうございます。お姉ち、いえ姉さんの味方でいてくれて。ミライさんにはもう戦う理由も、義理だってないのに」

 言われて巳禮は返答に困った。自分でもなぜ助けたのか。はっきりとした理由が判っていない。考える前に身体が動いていた。あるいは、色々あり過ぎて思考が停止した結果の、本能的な行動だったのかもしれない。

「なるほど、筋金入りのお人良しなんですね。将来が心配、あ、いえなんでも」

 一応、毒舌気味である自覚はあるらしい。

「それに比べて姉さんは、何をやっているのか。全くもう、ですよ」

 ぷん、と恋花は小鼻を鳴らす。

「だいたい向いてないんですよ。人を欺いて操るなんて。やり切るだけの図太い神経も切れる頭もない、ナイーブで純情で脳筋でミライさんと同じくらいお人好しのくせに無理するからドツボに嵌るんです、いえそこがまた可愛いんですけど」

 貶しつつも賞賛する愛憎入り混じった批評。この場にいない愛華が若干気の毒になる巳禮だったが、今は他に訊きたいことが山ほどある。

 巳禮が質問していいか確認すると、恋花は一転まじめな顔になった。

「そうですね。今度は私が説明する番です。姉さんの分も」


 巳禮はまず、暁と共に消えた愛華が何処に行ったのか、代わりに現れた恋花が何処から来たのかを聞いた。

「何処にも行っていませんよ。ここに、この身体の中に姉さんはいます。私達は二人でひとつの身体を共有しているんです」

 その仕組みを説明するために、恋花は吸血鬼について話した。

「吸血鬼は血を媒介に魂を支配する【怪魔】。その身体には、それまでに吸血した命が溶け込んでいるんです」

 巳禮が眉を顰める。それはつまり、愛華は実の妹を――

「はい。でも、違うんです。姉さんは私を助けるために血を飲んだんです」

 巳禮が問うより先に、恋花は言った。

「私達は六十年前、旧新宿区で戦っていたんです。その時はまだ、私も姉さんも人間でした」

 六十年前、【怪魔】によって地獄と化した旧新宿区で二人は【怪魔】を討つ者として戦った。

 戦いの最中、二人は吸血鬼と相対する。死闘の末に打ち倒したものの。恋花は致命傷を負ってしまった。

「助からない傷でした。でも姉さんは倒した吸血鬼の血を利用して、自分から人間を辞めたんです。吸血鬼になって私の血を吸い魂を取り込むことで、私を生かしたんです」

 だが、【怪魔】を討つ者が【怪魔】に堕ちることは、何より忌避される事だった。もしも、旧新宿区の呪いが人の手で祓えるものだったなら、二人は処分されていた。

「【旧新宿区】を任されてからは、姉さんの地獄の始まりでした。【怪魔】は陽のあるうちは陰に溶け、夜に活動する。この身体はどういうわけか、陽のあるうちは私が表に、夜は姉さんが表に出ます。ゆえに姉さんだけが、ひたすら戦いに身を投じることになってしまったのです」

 六十年、目覚めては【怪魔】を狩り、狩っては眠り、また目覚めて狩る日々。たまに現れる人間は、功名心に駆られて土地の呪いを払おうとする無謀な輩。管理が成されているか査定にくる組織の者。両者ともに【怪魔】に堕ちた愛華を毛嫌いした。

「それでも、姉さんは耐えてきたんです。いつか、元の二人に戻れる日がくると信じて、私が消えないように無理をしました」

 本来、吸血鬼に吸われた者の魂は、溶けて吸血鬼の魂と同化してしまう。そうして吸血鬼は力を増す。魂の同化は人間の消化と同じく、無意識のうちに処理される生理現象である。

「しかも、私たちは双子。ただでさえ肉親の命は馴染む傾向にあります」

 一度でも溶けてしまった魂は二度と復元できない。二つ容器の水を一つに混ぜた後、もう一度二つに分けても、以前と中身が同じとは言えないように、同化してしまうと取り返しがつかない。

「それを防ぐために、姉さんは自身の身体へ不純物を取り込みました」

 不純物、それこそが彼女の扱う、数多の刀剣だった。

「物には魂が宿ります。魂があるなら、魂を取り込む性質を持つ吸血鬼の身体は、それを受け入れる。ですが、血と違って完全には取り込めない。姉さんと私の間には、今では幾千本の刀剣が垣根になって、私達を分けているんです」

 それは無茶な行為だった。愛華の身体は、言うなれば常に消化不全を起こしている。当然、吸血鬼としての能力は落ちる。身体から刀剣を取り出して戦うのは、剣が得意と言う訳ではなく、ただの苦肉の策だった。

「でも、そうして六十年。耐えに耐えた姉さんに、遂にチャンスが来たんです。数多の魔術師を吸血し、その命と叡智を略奪していた【魔術師の霊廟】、吸血鬼メルディーナがこの地に現れた。姉さんは考えました。メルディーナほど存在ならば、吸血鬼の内にある魂を分ける術を知っているのでは。知らずとも、何か手がかりは掴めるのでは――姉さんの本当の目的、それはメルディーナの心臓を手に入れることなんです」

 吸血鬼にとって心臓は核であり命であり魂の結晶、溜め込んだ情報の塊である。それを手に入れて解析する。血に触れれば情報を得られる吸血鬼ならそれが出来る。

「組織の方々からメルディーナが儀式殺人を行うという通達があったことが、全ての始まりです。それはもちろん、邪魔をするなという意味の御達しでした」

 だが、愛華は動いた。同族のよしみで協力を申し出て、メルディーナを屋敷に招いた。屋敷で儀式殺人の規模と目的を聞いた愛華は考えた。儀式殺人を控えた今のメルディーナは全力を出せない。それに人を吸血鬼に変える術を知るならば、戻す術も保険に持っているかもしれない。

 愛華はだまし討ちを決行し――失敗した。

「メルディーナの言う通り、私達に正当性はないんです。やっていることは強盗そのものですから」

 顔を伏せる恋花。巳禮はそこには触れず、まだ釈然としない部分について質問した。   

 巳禮が知る数少ない吸血鬼の知識、伝奇小説などから得た不確かなものではあるが、吸血鬼は血を吸うことで同族を増やすものではないのか。

「ええ。概ね正しいです。食事ではなく、同族を増やす繁殖としても、吸血鬼は血を吸う場合があります」

 ではメルディーナはなぜ、儀式殺人などという大掛かりで回りくどい方法を使って、西野老人を吸血鬼にしようとしているのか。 

「それは多分、パートナーに対等かそれ以上の存在になって欲しいからだと思います。殺さない程度に血を吸えば、吸い取った分の隙間に魂が流れ込んで、対象は吸血鬼に変わります。でも、同時に魂を汚染した上、奴隷にしてしまうから」

 メルディーナは西野老人と彼の画を愛している。彼の繊細な感性と類稀なる芸術性は、魂が変質することで失われてしまうかもしれない。ゆえに血は吸わないと、メルディーナは愛華に言ったらしい。

 西野老人の魂の輪郭をそのままに、彼を吸血鬼とするため、メルディーナは儀式を編み出した。生贄である人間の魂は皆、メルディーナに救われたこの世に未練のない魂。それを地脈の流れの中で洗い、より無垢な状態にして融合させる。

「他でもない彼女が出来るというのだから、理論上は可能なのでしょう。ただ、前例がないし、彼女もかなり神経を使っていると思います」

 だからこそ、メルディーナは自分達を殺していないと、恋花は言う。

「おそらく、メルディーナは姉さんと巳禮さんを、殺せば終わる相手とは考えていないのだと思います」

 殺しただけでは終わらない。強い悔恨、恨み、憎しみは地に根付き、最悪の場合は呪いになる。

「この儀式には無垢な魂を扱います。この場で殺した怨念が万が一、魂を汚染するようなことがあれば、それで失敗してしまいます」

 無論、メルディーナほどの魔術師ともなれば、怨霊を祓う術も一人二人に呪われた土地を浄化する術もある。だが、これ以上、魔力を割いては儀式に影響が出る。かといって遠くに放逐することは出来ない。転移魔術をジャックするならともかく、一から設定して追放するとなると、魔力の消費は馬鹿にならない。

「彼女が手を下すとしたら全てを終えてからです。この拘束に使われている魔力も回収して儀式に回すでしょう。完全な仕切りなおし――いえ、魔力がほとんど空になっているわけですから、圧倒的に弱体化した状態での再戦になります。でも、それでやっと、その状態に持ち込んでやっと勝率10%なんです」

 10%。それは已然、愛華が巳禮に語った数値だった。

「ああそれ、私が出した数値です。お姉ちゃんには無理ですよ? 脳筋だから」

 恋花は軽く苦笑いした後、すぐに顔を引き締めた。

「メルディーナは退きません。愛しい人との未来が掛かっているのですから。でも、姉さんも同じです。道理なんてない。正しくないと知っていても、今度もまた私を救うために悪を成そうとしています」

 六十年前、愛華は【怪魔】に堕ちて恋花を救った。今もまた、同じことを愛華はしようとしている。

「私には止められません。六十年の間、私だけが温かい日を浴びてきた。暗くて寒い孤独の闇を姉さんは背負ってきた。もうズルをしても自由になって欲しい。失敗すれば、私も姉さんも、死ぬでしょう。でも、今を逃してしまったら、例えまた六〇年待ったとしても同等のチャンスが巡る保証なんてない。一〇〇年、二〇〇年。姉さんの精神が持っているかも。それなら希望に、どれだけ薄く細く危うい道でも、光りある道へと。そう思ってしまうんです」

 巳禮には、かける言葉が見つからなかった。黙る巳禮に恋花は言う。 

「巳禮さん、メルディーナは儀式の前に確認すると思います。去るか否か。そうしたら気兼ねなく立ち去ってください。姉さんも納得するはずです」

 巳禮は何故と問う。言うまでもなく、去れば二人を見捨てることになる。

「こんなところまで巻き込んで今更ですけど、巳禮さんみたいな優しい人に悪事を働いて欲しくないです」

 悪事。確かに悪事である。愛華にも恋花にもこの戦いに正義はない。

「ふぁ、久々に沢山おしゃべりして疲れちゃいました。巳禮くんはどうですか」

 押し黙る巳禮に、恋花が笑いかける。

「日没までまだ十時間以上。儀式の時間まではさらに数時間あります。このまま普通に過ごしたら、体が参っちゃいますよね。だから、私からお詫びも含めて術をかけます」

 恋花の瞳が巳禮の目を覗く。

「次にまばたきをして、開いたときは日は沈み、月が浮んでいるでしょう。今宵は満月、【怪魔】が最も力を得る夜です――どうか、選択を間違えないで」

 さらにぐっと近づく恋花の瞳、巳禮は思わずまばたきをし――


 


 目が開いたとき、辺りは暗闇に包まれていた。空には満ちた月が浮んでいる。俺の胸には恋花の姿はなく。

「……」

 入れ替わるように愛華がいた。沈んだ表情をしていて覇気がない。恋花にあった事を告げる。

「……そ」

 全部、教えてもらった事も告げる。

「…………ごめん、なさい」

 愛華はそれ以上、何も語らなかった。体の拘束は已然そのまま、儀式まであとどれくらいだろうか。そう考えたとき。

「さーて、お待たせしましたわ♪」

 場の雰囲気に似合わぬ、おどけた声が屋上中に広がる。横を見ればメルディーナが立っていた。西野老人も後ろに控えている。

 メルディーナはニコニコと笑い、問いかけてくる。

「どうですかお二人とも。まるっと一日、頭を冷やして気持ちの整理はつきまして? 特に巳禮くんは何が正しいか、誰に道理があるか、はっきり理解できましたわよね?」 

 おかげ様でと返事をする。

「それは上々ですわ。心労が一つ、減りました。でーすーがー」

 笑顔のまま、メルディーナは愛華を見る。

「こっちはどうあっても、退かないみたいですわね」

「……っ」

 メルディーナは細めた目の奥から射殺すような視線を向ける。愛華は真っ向から受け止め睨み返す。

 恋花の言った通りだった。愛華は止まらない。誰も止められないだろう。

 西野老人の視線を感じ、俺は顔を向けた。闇に佇む姿は相変わらず静かで厳かだった。

これから儀式で人を捨てる者の雰囲気とは到底思えない。

 俺は短く一言、すいませんと謝った。

「ほお」

 西野老人はまばたきした後で、意外にも微笑んだ。

「ミライくん、構いませんよ。心は自由です」

 その言葉に、俺は頷く。

「ダーリン? 何のおしゃべりですの?」

「何、友人との別れの挨拶だ」 

「ふーん」

 メルディーナは訊いておいて興味もなさげに流すと、最後の確認とばかりに俺と愛華へ問いを投げ掛ける。

「では、そろそろお聞かせくださいまし。正しく去るか、悪しく死ぬか、お答えは?」

 愛華は答える。

「私は戦う……! 貴女の心臓は私が貰う……!」

 叫ぶように、咆えるように、不退転を宣言する。

 メルディーナは動じない、哀れみと侮蔑の表情で嘲るように言い渡す。

「はいはい、どうぞお試しくださいな。そしてあっさり無残に死んでくださいまし♪」

「くっ……」

「さてさて、巳禮くん。今度は貴方の答えをきかせて下さいな。正しい判断を――」

 すでに決まっている――俺も悪に付き合う。

「え? ミラ、イ?」

 愛華は信じられないという顔をした。

「………」

 メルディーナから表情が消えた。

 西野老人はやはり、微笑んでいた。

「ミライ! 何を言っているの!? 正気?!」

 ここまで来て正気を問うとは、今更過ぎないか。

「そ、それはそうだけどっ!」

「愛華さんの言う通りですわ。本当に馬鹿だったんですの?」

 メルディーナの言う通り、俺は馬鹿なのだろう。だが、俺なりに出した結論だ。

 愛華は正しくない、これは確かだ。それでも愛華は退かない、これも確定した。

 俺が正しさを取って去れば、愛華は独りで戦い負けて死ぬ。

 俺が正しさを捨てて闘えば、少しはマシな戦いになるだろう。

 要するに、正しさと愛華を天秤にかけて、愛華をとっただけの話である。

「……愚かでしてよ」

 メルディーナは俺を罵り、踵を返した。

「いいですわ。完全に吹っ切れましたもの。儀式を終えたら、二人まとめてブチ殺し確定ですわ、どうぞお楽しみに」

 メルディーナは吐き捨てるように言うと、ふわりと宙に浮いた。

 西野老人が微笑む。

「それでは巳禮くん。西野栄太はここでさようならです」

 彼もまた宙へと浮いた。

 どうやら、始まるらしい。

「ミライ」

 愛華が消え入るような声で俺を呼ぶ。拘束とは関係なく、俺に身体を寄せてきた。ちょっと苦しい。

「貴方は馬鹿よ、大馬鹿よ。超馬鹿よ」

 あまり連呼されると馬鹿って何だっけな状態になる。やめないか。

「恋花から全部、聞いたんでしょ、ならなんでそんな判断になるのよ……」

 全部、聞いた。

だからこそ思う。愛華に――いや、二人に救われて欲しい。単純にそう思う。

「馬鹿……」

 縋るように身を寄せる愛華を胸に感じながら、俺は空を見上げる。

 満月を背に儀式は始まった。

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