【信実(シンジツ)】
眩い光に眩んだ眼が、徐々に視力を取り戻す。巳禮は冷風が吹き荒ぶ屋外にいた。
左隣には愛華、転移前はお互いうつ伏せだったが、今は立った姿勢で固定されている。
左手にはしっかりと【顎】が握られているが当然動かせない。自由なのは転移前と同じく口のみに限定されている。
「ようこそ屋上へ、ですわ。ちょっと寒いですけど、絵画展のスタッフですら入れない特別スポットなんですのよ?」
闇夜に映える新々宿の夜景。星の数ほどの照明をバックにメルディーナが微笑む。
巳禮と愛華はヘリポートの中央に立たされていた。
「さて、まずは巳禮くん。貴方の誤解を解いておきましょう。そのために」
動けぬ巳禮へメルディーナは近づき、
「失礼しますわ」
そう言って血の滲む肩へ指を這わせた。浅いとはいえ閉じかけの傷、巳禮の顔に苦痛の色が浮ぶ。
「ふむふむ。なるほど、そーいうことでしたのね」
睨み上げる巳禮を無視し、親指と人差し指の先端で赤い雫を擦り合わせ、メルディーナが呟く。
「心の底から大切な女の子。その復讐のために愛華さんの駒になったのですわね」
血液から記憶を読み取れる吸血鬼の特性。メルディーナはさも当然のようにそれ行使すると、巳禮へと眉を八の字にして諭すように話しかける。
「残念ですわ巳禮くん。その復讐は見当違いも甚だしくてよ? むしろ、これから教える真実を知ったら、巳禮くんは手の平を返して私に感謝するかも知れませんわ」
ふざけるな、と巳禮が言うより先に、メルディーナは目を細めて愛華を見た。
「ねえ愛華さん?」
「……っ」
「あ、また顔を逸らしましたわね。まあ良いですわ。これから愛華ちゃんの隠し事。全部バレちゃいますから」
愛華から巳禮へとメルディーナは視線を戻し、手を前に出した。すると、彼女の足から伸びた影が水面の如く波紋を帯び、小波の奥から一枚の紙が浮き上がった。紙は宙に浮き、メルディーナの手へと吸い寄せられる。
「まずはこれですわ、はい」
手にした紙を巳禮へと差し出す。奇妙な紋様で縁取られた紙には和文が横書きに刻まれ
ていた。
巳禮の意思とは無関係に、彼の右手が紙を受け取る。続いて目に痛みが走り、勝手に和文をなぞり始めた、強制で黙読が始まる。
『貴女が提示した二つの条件を守る限り、我々は貴女の儀式殺人に対して一切の妨害を行わぬことを血を以て誓う』
文の結びには赤黒い指紋が複数個、それが血を使った拇印であることは巳禮にも即理解出来た。それが何か魔術的な意味を持つこともなんとなく察せる。
だが、肝心の文面の意味が理解できない。そもそも何の書面なのか。一切見当の付かない巳禮へ、メルディーナが語る。
「私と個人的に休戦協定を結んでいる某団体。彼らと話し合って決めた、今回の儀式についてのお約束ですのよ。ねえ、愛華さん?」
「……っ」
何故そこで愛華を呼ぶのかと、疑問を感じた巳禮はすぐに思い出した。
愛華はある組織の管理下にあること。メルディーナはその組織と協定を結んでいるということ。その二つを彼女自身から聞いていた。
「その契約書は愛華さんに【旧新宿区】を押し付けている人達と交わしたものでしてよ。こちら側の事情に疎い巳禮くんにとっては意外かもしれませんが、私達の世界ではこういう取り決め、しょっちゅうですの――まあ、それは今は関係ないかしら。巳禮くんにとって重要なことは、愛華さんが嘘を吐いていたということですもの、ね♪」
メルディーナの言葉は、巳禮の動揺を的確に捉えていた。
愛華は巳禮に、『組織が【串刺し事件】を儀式殺人だと感づく前に、メルディーナを討つ。でなければ、我が身が危ない』そう語っていた。
だが、この文面からすると組織は初めから儀式殺人と知った上で(信じ難いことに)殺人を黙認していたことになる。
つまり、愛華にメルディーナを討つは理由はない。それどころか、今の愛華は組織の意思に反目している。
どういうことだ、巳禮は問うが愛華は震えるだけで答えない。
「さて、これでまずは一つ。誤解は解けましたわよね。では次、巳禮くんの復讐心を取り除く話を致しましょう。桐原一姫ちゃんについてですが――」
メルディーナは当たり前のように一姫の名を口にした。
僅かな記憶しか読み取れなかった愛華とは違い、メルディーナは一滴の血から比喩ではなく巳禮の全てを掌握していた。
「私が彼女から何もかも奪ったという認識、これも逆ですわね。私はむしろ多くを与えたのですよ?」
メルディーナの言葉に、巳禮の双眸が見開かれる。
「まあそう焦らず、まずは書類を読み進めて下さいまし、はい♪」
メルディーナの号令に、巳禮の眼は再び書面を読むことを強制される。
その内容に、巳禮は眼を見張った。
『条件は以下二項』
『一、魔術の痕跡は隠匿し、猟奇殺人に偽装する』
『二、生贄には正当なる対価を与え、同意を得る』
対価、同意を得る。これはつまり。
「そう、無差別殺人ではないのですわ。生贄の方々と私は面識がありますの。私は彼らの命に対価を支払い、双方の同意の下に儀式を進めているのですわ」
巳禮はふざけるなと歯を剥く。文面が真実ならば、桐原の父は自分から望んで殺されたことになる。
「ええ望んで死にましてよ? 他の生贄と同様に対価を求めて。ただ、彼の場合はちょっと特別でしたわね。最後まで……」
メルディーナは意味ありげなため息を吐き、続ける。
「他の生贄の方々は対価にお金を要求しましたの。まあ、借金が原因で一家心中を計りつつあった家庭を狙い撃ちにしたので当たり前なのですが。一姫ちゃんのお父様は別にお金には困っていませんでしたの」
メルディーナは影から新たな紙を二つ取り出す。一つは今巳禮が手にしている契約書と酷似した書類。もう一つは封筒だった。
「はい、交換いたしますわね」
メルディーナは封筒は手元に残し、もう片方を巳禮の持つ契約書と入れ替える。
「先に言っておきますわ。巳禮くんにとってショックな内容でしてよ」
忠告と共に渡された書面には、先程の契約書と同じく横書きの和文が書かれていた。巳禮の眼がまたも自動で文字を読み、
『桐原道一は命と魂を委譲する対価として、娘・一姫の死病の完治を求める』
巳禮の思考が止まり、混濁する。病、死病。誰が、一姫が。一姫が死病に侵されていた。
「彼女、治らない病気でしたの」
巳禮は即座にあり得ないと否定する。誰より騒がしく、活気に満ち、太陽のように輝いていた彼女が不治の病を抱えていたなど信じられなかった。
「でも実際、全身の骨と内臓。頭部を除いて至るところに腫瘍が根付いて、もうメチャクチャでしてよ?」
虚言だと睨む巳禮へ、メルディーナは静かに語る。
「寝たきりで数十年、医学の進歩に賭けるか。毎日大量の薬を服用し、痛みを誤魔化して数年間の余生を過ごすか――彼女は後者を選んだそうですわ」
大量の薬、巳禮の脳裏に見慣れた光景が浮ぶ。昼飯と称して様々な種類の薬品を飲む一姫、絵画展でも同じだった。一日たりとも彼女は欠かさず薬を摂取している。
巳禮は否定する。あれは市販のサプリのはず。
「詰め替えたのではなくって? 専門家でもなければ、それこそ中身が劇薬だなんて判りませんわよね?」
巳禮は否定する。そんな手間を割く理由はない。隠れて呑めばいい。
「昼食の度に隠れて服用するよりも、好物だと偽って堂々と飲むほうが、むしろバレる危険が低いと考えた、といったところですわね。変わり者の変わった好物で済みますから」
巳禮は否定――できなかった。メルディーナの言う通りだった。変わった好物で済ませていた。
しかし、それでも巳禮は食い下がる。仮にこの契約書が本物であり、桐原の死病が事実だったとしても。彼女の目の前で父を殺す理由にはならない、腕を壊す理由もない。
「ああ、その件についてはまず巳禮くんが彼女から得た誤情報を正さないといけませんわね」
言うとメルティーテは突然、思い出し笑いのようにクスリと洩らした。
「あ、失礼しましたわ。でも可笑しくて。彼女は父が殺される間、何も出来なかったことを悔やみ、自身の精神面を疎んでいるようですけど、そもそも精神うんぬん以前の話でしてよ?」
メルディーナは込み上げる笑いを堪えて告げる。
「だってその時、彼女は首だけでしたの。動けるはずなですわ」
何を言っているのか理解不能の巳禮に、メルアティーナは丁寧に解説する。
「ですから、無事だった頭以外は捨てましたの。根付く腫瘍は除いてもすぐ再発する悪性のモノでしたし。仮に全部切除しても中身スカスカになって、どっちにしろ死んじゃう感じでしたの」
メルディーナは人差し指を立て得意げに語った。
「だから今の彼女、九割ほど人造人間ですわ。私の御謹製でしてよ♪」
呆気にとられる巳禮へ、尚もメルディーナは続ける。
「手足が上手く動かないのは、心身ともに馴染んでいないからですわ。なんせ生後数日の赤ちゃんボディですもの。ですが、数週間でお箸を扱えるくらいにはなりますわ。本人に生きる気力があればですけど――ああ、移植で起こるような拒絶反応とかは大丈夫でしてよ。また薬に頼る日々は面倒でしょうからサービスいたしましたの」
巳禮は愕然とする。人間の倫理と常識からかけ離れた行為だが、どうあれ一姫が無事ならば、ここに立つ理由はほとんど失われてしまう。残るしこりは父を目の前で殺した理由のみ。だが、その答えもメルティーテは持っているという。
「それは彼女ではなく、父の自業自得ですわ」
自業、自得。呟く巳禮の言葉には覇気がない。
「私は生贄の契約をする際、もうひとつ口約束をいたしますの。他言厳禁ですわ、と」
言いつつメルディーナは人差し指を自分の唇に当てる。
「例えば心中を図った一家のうち、多重債務がゼロになった真実を知っているのは、生贄になる人だけですわ。他の家族は宝くじが当たったとかFXでどうにかなったとか、そういう誤魔化しも生贄の方から受けていますの。勿論、命を売ったことは秘密にして」
何故と問う巳禮にメルディーナは肩を竦ませる。
「だって『私の夫は魔術師の生贄になりました』なんて証言、幾つも重なったら団体さんとの契約・その一を破ってしまいますわ。一つくらいなら可哀想な人の錯乱で済みますけども、流石にみな同じことを揃って言ったら問題ですもの」
『魔術の痕跡は隠匿し、猟奇殺人に偽装する』これに触れるとメルディーナは言う。
「私も彼らも『あり得ないしいない。けど、もしかしら、存在するかも』そんな曖昧な存在であるほうが都合がいいんですの、色々と。それなのに彼女の父は、こんな物を残そうとして……」
メルディーナは眉を顰め、手に持った封筒を指差した。
綺麗な文字で『一姫へ』と書かれている。
「内容は簡単なものですわ。自分がこれから【串刺し事件】の被害者になること。自ら望んで死ぬこと。その理由。あとは家族との思い出などですわね」
メルディーナは封筒から手を離す。落ちた封筒は影の内にとぷんと沈んだ。
「明確な契約違反でしてよ。私は即、彼を儀式の地点に転送しましたわ。そのとき封筒越しに彼と触れていた一姫ちゃんも来てしまったんですの」
偶然だったとメルディーナは語る。
「でも私は即、丁度いいと考え直しましたわ。いずれにせよ彼の目の前で彼女を治療しなければなりませんし。数日後、ベッドの上でやる予定だった施術が、前倒しになって路上で行われただけの話でしてよ。【駒】には彼に娘の様子が終始見えるように串刺しの工程を進めさせ、その間に私は彼女の身体を『直し』たんですの――もっとも、生首の状態で彼女に意識があったことは今初めて知りましたわ。そこに関してはミスでしたわね」
言い終わると、メルディーナは両腕を上へと大きく伸ばし「ふぁあ」と口から欠伸を洩らした。
「さてと。巳禮くんもそろそろ同じ姿勢に疲れたのではなくて? その拘束、解いてあげますわ。はい♪」
メルディーナは掛け声と共に両手を打ち鳴らす。巳禮の身体から見えない拘束具が外された。
「お疲れ様ですわ」
にこやかに笑いかけるメルディーナ。巳禮の反応はない。拘束時と同じ姿勢で、その場に棒立ちしている。
【顎】を握る手も今は完全に自由、振れば届く距離にメルディーナはいる。
だが、その切っ先は床触れたまま微動だにしない。
「ミライ……」
二人の会話の行方を見守っていた愛華、その声にも反応を示さなかった。代わりにメルディーナが愛華に話しかける。
「あ、愛華さんはもう少しそのままで。巳禮くんにはもう、私を襲う動機はありませんが貴女にはありますものね」
「ぐっ、このっ、畜生っ!」
「ダメですわ、女の子がお下品な言葉を使っちゃ」
メルディーナは悪戯っぽく眼を細め、愛華の鼻先をつんとつつく。
「さ、触るなっ」
「あらあら? そんな口を聞いて大丈夫でして?」
「え?」
愛華の両頬に、メルディーナの両手が添えられる。顔を近付け鼻先が触れ合い、愛華の紫の瞳に、メルディーナの緑の瞳が映り込む。
「巳禮くんと貴女では、立ち位置が全然違くってよ? 一度は封印で許してあげたのに、貴女はまた私に仇を成しましたわ。そんな分らず屋さんを、巳禮くんみたいに優しく扱うとでも――」
愛華の顎を小指で摩りつつ、メルディーナは囁く。
「私を舐めているのかしら?」
「ひっ……?!」
愛華は凍りついた。魔術で内臓を抜かれ氷塊を詰められたと、そんな錯覚を覚えるほどの重圧。同族という同じ舞台の上だからこそ鮮明に感じる歴然たる差に、愛華は動かぬ体で震え上がった。
「ふふ、さてどうしようかしら。同族のよしみで見逃して差し上げましたのに。ギリギリ一般人の巳禮くんを誑かしてまで私を殺そうとした悪い子を、私これからどう反省をうながすべきか、悩みどころですわね?」
メルディーナは愛華の背後へと移り、彼女の細い腰へと腕を回す。愛華よりも頭一つ背の高いメルディーナは、流れる赤髪ごと彼女の後ろ頭を胸に抱き抱えた。
腰に回した手がボロボロの装甲衣装を撫でる。触れた端から風化するように崩れ、内に着ていた薄く頼りないドレスが露出する。
もう片方の手は愛華の青冷めた頬に当てられていた。唇を撫でた後、下へと降りて細い首筋へと辿り着いた。細指が動脈の上で止まる。
「う…… ああ……」
愛華の目尻に涙が浮ぶ。粒が膨れ上がり頬を伝う。
指先が皮膚越しに血管を圧した刹那。
――ガギャッ……
「え……?」
愛華は眼を見張る。
彼女の頭上すれすれで分厚い刃が横向きに停止している。巳禮がメルディーナの首へ、横薙ぎに【顎】を振っていた。
「……ん、これは意外ですわ」
メルディーナは苦笑混じりに呟く。愛華を嬲っていた両手は、いつの間にか彼女の身体を離れ、代わりに黒の槍を握っていた。地面に垂直に立て、柄で【顎】の凶刃を受け止めている。
「もう少しお利口さんだと。私、失望しましてよ?」
離れろと、告げる巳禮の声には力がない。たった一振りで呼吸も乱れている。
「ふふ、それっ」
メルディーナは微笑を浮かべると愛華を突き飛ばす。巳禮は胴で受け止める。
「ミ、ミラ、イ……」
ふら付く愛華を背に回し、正眼に構え直す。その様子を槍の倍以上の間合いで眺めていたメルディーナは首を傾げる。
「巳禮くん。ちゃんと私の話、聞いていましたわよね? その子、嘘を吐いて貴方を利用していてよ?」
巳禮は答えない。答える代わりに大上段へと【顎】を構える。
メルディーナは深くため息を吐いた。
「血を吸われた下僕でもなく、血を飲まされた使い魔でもなく。契約魔術の気配も皆無。自由意志を有しながら、隠し事ばかりのウソつきに味方をいたしますの? ひょっとしてお馬鹿さん? それともまだ、心の整理が付いていないだけ――」
巳禮が踏み込む。ほぼ同時にメルディーナが槍を投擲した。無造作に放られた黒い槍は漆黒の弩と化し一直線に巳禮へと迫る。
速度はある。だが単発の上、正直過ぎる直線軌道。巳禮は身を屈め――回避しなかった。【顎】の側面を盾代わりに黒い槍を受け止める。
避けることは容易かった。だが、巳禮の背後には動けぬ愛華がいる。彼女を意識した瞬間、巳禮は中途半端な姿勢で槍を防御してしまった。
巳禮の顔が歪む――軽い。稲妻の如き一撃をまともに受けたにも係わらず、【顎】の刀身から伝わる衝撃は撫でるような緩いものだった。
「ミライッ!? 【顎】を離して!」
背後から聞こえた愛華の叫び。その意味を巳禮が理解した時には、もう手遅れだった。
黒い槍は命を吹き込まれ、貌のない大蛇と化していた。大蛇は黒く滑った胴体を【顎】の刀身に巻き付けていた。側面と峰に鱗を押し付け、刃のみを避けて器用に挟み込む形で絡む大蛇は、巳禮の腕と胴にも巻きついた。
大蛇は容赦なく巳禮の身体を締め上げる。
「はい、また私の勝ちですわ」
苦悶する巳禮の眼前には、指鉄砲を構えたメルディーナ。
「バン♪」
発砲音の口真似、巳禮の身体は後方へ吹き飛び愛華へと叩きつけられる。
「ああッ!?」
衝突の瞬間、大蛇は巳禮と愛華の身体を結びつけた。
愛華の華奢な身体は、巳禮の分厚い胴に圧しつけられ、まるで抱き合うような形で拘束される。
転倒する二人を見届け、メルディーナはその姿を透けさせ始めた。
「さて、彼我の実力差も思い知らしたところで一旦、失礼いたしますわ。前にも言いましたが、私は大魔術――ダーリンを転生する儀式を控える身……」
半透明からさらに薄くなりつつ、メルディーナは続ける。
「巳禮くん。丸一日の猶予をあげますわ。この場でよーく頭を冷やして、よーく考えてくださいまし。この一件、誰に理があり正しいか。次に私がここに現れるのは儀式発動の時。ダーリンと共に訪れますわ。賢明な答えを期待ますわよ」
この言葉に巳禮ではなく愛華が激しく動揺した。
「こ、このままッ?! この場でッ!?」
メルディーナは完全消滅し、声だけが木霊する。
「ああ、愛華さん。ブルっちゃう事実をもう一つ。実は屋内から屋上に転移した際、貴方達の意識を数時間停止しておきましたわ。だから日の出まであと30秒切ってますの」
「なッ?!」
「いいではありませんか。貴女は吸血鬼の癖に日光では死なないのですから。その代わり、全部バレますけど、些細なことですわよね?」
「い、いやッ! お願いそれだけはッ!」
激しく首を振り、愛華は懇願する。が、メルディーナは一蹴した。
「ダメです。では巳禮くん、あの子によろしく。誰かさんと違って素直な子でしてよ。だから、色々と聞き出しちゃって下さいましね」
何の話と巳禮は問うが、メルディーナはもう答えなかった。
「あ、ああ……」
巳禮の胸で愛華が震える。怯えた瞳を巳禮へ向け、悲痛な声で縋り付いた。
「ミライ……っ! 貴方を体良く利用しようとしたのは全部私! 私の独断なの!」
取り乱し愛華はまくし立てる。
「だから、だからっ! あの子だけは許してっ……!」
落ち着けと巳禮は言うが、愛華は叫ぶように訴える。
「あの子は! 【レンカ】は私の! 私の大事な――」
半狂乱の愛華が声を出せたのはここまでだった。
空が白む。遠い地平の彼方、太陽がほんの僅かに身体を覗かせた。何物よりも眩い閃光が愛華に触れた瞬間。
彼女の身体は音も無く炎上した。背にする陽光と変わらない黄金の輝きに包まれる。
蛇の拘束によって巳禮は愛華と密着している。だが、巳禮は火柱に抱きながらも、一切の熱を感じなかった。金色の焔は決して巳禮へと燃え移ることなく、愛華のみを焼き尽くしていく。
巳禮はただ傍観することしか出来なかった。
やがて遠方の空が暁に染まった頃、炎はひと際激しく山吹色に燃え上がり、ふっと掻き消えた。
愛、華。巳禮は胸の中に居た筈の少女の名を呟く。
だが、そこに彼女はいなかった。
風が吹き黒髪がなびく。巳禮の頬を撫でるように掠めた。
今、巳禮の腕にいるのは愛華とは異なる少女。
巳禮の知らない愛華の秘密が、静かに寝息を立てていた。