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【顎(アギト)】  作者: しおてさぎそう
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【終(ハジマリ)】

 額の汗を拭い、自動ドアを押し通る。

 敷地内の広葉樹の陰が地面に黒く焦げ付くほど、日差しは鋭く降り注いでいる。セミの幻聴が聞こえてくるような湿度と温度の中を、よたよた歩いていたせいですっかり汗を掻いてしまった。

 流石に汗がすっぱい身体で面会はしたくないので、受付で手続きを済ませた後、手洗いでスプレーなどしてから、病室へと向かう。

 途中、予防接種がイヤで逃げ出した子に盾にされたり、それが元でナースさんと少し会話をしたり、何やら物々しい雰囲気の壮年夫婦の脇を抜けて無意味に緊張したり――ちょくちょく些細な事を経験しつつ、目的の303号室へと着く。

 こうして会うのは、あの時以来だ。緊張なんてらしくないと、自分に言い聞かせる。格好に可笑しなところがないかを確かめてから、ノックしてノブを捻る。

 始めが肝心だ。いっちょブチかますぜとお見舞いのリンゴを振り上げつつ入室すると、

 ベッドの中のみらっちへ、真弓がウサギさんカットのリンゴを「あーん」していた。  口に咥えて。  


 ☆ ☆ ☆


「何やっとんじゃああああああああああい!」

 百獣の王も顔負けの咆哮に、俺と真弓は思わず扉へと顔を向ける。いくら個室でも病院である以上許されない叫びと共に入室してきたのは、つい最近までこの病院の世話になっていた一姫その人だった。

 久々見る元気な姿に俺がほっこりしていると、彼女はずんずんこちらに歩み寄り、目をぱちくりさせている真弓の前に立った。

 何故だか物言わぬ般若面の如き剣幕の一姫に、ぷるぷるし出す真弓。その咥えたリンゴへ、一姫はすっと掌をかざし、

「天誅!」

 咥えたリンゴを掌底で押し込む。鍛えようのない喉奥を、果汁たっぷりの果肉が襲う。

「むぎゅうううう!?!」 

 憐れな真弓は悶絶しつつ涙目で逃走、部屋から出て行ってしまった。おそらく便所へむかったのだろう。

「はぁはぁ、ったく油断も隙もねぇぜ……!」

 間一髪ながら成し遂げたぜ、そんな雰囲気を醸す一姫はギロリと俺を睨んできた。

「つーかみらっち! 何を普通にかまゆちんの凶行を受け入れてんのさ! 目覚めたの?ねえ目覚めちゃったの?!」

 自白を強要する刑事のように、ベッドに備え付けられた簡易テーブルを叩いて追求してくる。何のことやらさっぱりだが、とりあえず真弓の行動が気に入らなかったようなので彼の真意を説明する。

「ふむふむ。つまり、包帯と石膏でガッチガチのみらっちは両腕が動かないので、その不便さを友人として分かち合うために、あのカマ助も自ら腕の使用を封じてリンゴを食べさせようとしたと。その結果が口に咥えてのあーんだと」

 真弓自身もリンゴを食べたかったようなので、中央で半分個にする一石二鳥の良策だったことも補足しておく。

「おーなるなる――ってアホかぁ! 策は策でも策謀じゃねーか! こんなお粗末極まる罠にズッポシじゃ、退院する頃にゃ強制でまゆちんルート突入ぜよぜ?!」

 納得すると見せかけて、一姫はもう一度デンと机を叩く。これ以上、興奮させるのは彼女の身体にも、病院の設備にもよろしくない。もうやらないと、誓っておく。 

「……その顔、なーんで私がヒスったか理解してないよねぇ?」

 まだまだ不満気な一姫だったが「ま、今更か」と呟いて、真弓の座っていた椅子に腰を下ろした。

「……」

 一転、会話がなくなる。

 改まって二人切りになると、何から話したものか判らなくなってしまった。

「ね、ねえみらっち?」

 急に大人しくなった一姫が、恐る恐ると言った空気で話しかけてくる。

「まゆちんに聞いたんだけどさ、その大怪我の原因って…… マジなん?」

 ああと頷くと、はあとため息を吐かれた。

「いや、普通ないってばよ。お百度参りして階段から転げ落ちるとか、時代錯誤にも程があるってばよ」

 俺もないと思う。むしろ、咄嗟に吐いた嘘を真弓がすんなり受け入れてしまったことが驚きだった。が、流石に一姫はそう簡単に――

「まあ、みらっちだし信じるけどね」

 信じられてしまった。少しは疑問に思っていいのだが。俺は二人の間でどんなイメージの人間なのか。至極不安になってきた。

「でもさみらっち? いくら私を思っての行為でも、それでみらっちがボロボロになったら元も子もないって。折角、私が奇跡の大復活していざ学園に行ってみりゃ、みらっちがいないんだもんよ」

 すまないと謝る。ボロボロになった件については、言い訳の使用がない。

「昨日、身の回りの整理がやーっと落ち着いて、よっしゃーようやくお見舞い行けるでーって、活き込んで来たら来たでアレですしよー」 

 身辺整理、その言葉に俺が反応すると一姫は特に気負うことなく答えてくれた。

「ああうん。どうにかなったよ。成人してる従姉妹のお姉ちゃんに保護者になってもらった。信頼出来る人だから、親戚たらい回しーの遺産奪われーな欝コンボはないんじゃないかな。あと、引越しもなし。よかったねぇ、みらっち♪」

 にへらと口を歪める一姫。確かに喜ばしいが、寂しん坊扱いされているようで素直に頷けない。おそらく、俺が困ると知ってやっているのだから性質が悪い。

「あーただ、串刺し事件についてはまた何回か事情を訊かれるかも。何せ唯一の生き残りだもんね、イヤだけど、しょうがないわ。あとは――剣道部には休部届け出したくらい、かな」

 あっさりと、聞き捨てならない発言がきた。

 思わず身を乗り出しかけた俺を、一姫は慌てて制する。

「ちょ、ちょっと落ち着けつみらっち! 危ないって!」

 どういうことだと問う俺に、一姫は頭を掻いて答える。

「いや、日常生活には全く問題ないんだけどさ。激しい運動には身体がついて来ないんだよね。なんーか、長年かけて染み付かせた動きを身体が綺麗にド忘れしているっつーか、頭と身体が食い違っているっつーか。兎に角、とてもじゃないけど部の皆を引っ張っていけるようなコンディションじゃにぃのですよ」

 言葉に詰まる。詰まるが、それでも言う。だからといって、辞めることはないだろう。

「おいこら、みらっち。ちゃんと聴いてた? 休部届けだから辞めてはないぜよ。それに個人的に通っている剣道場には週四でお世話になってんだぜ? もっとも、すり足からやり直しで段位も返上状態だけどさ」

 一からやり直し。それでも、一姫は偽りのない笑顔を俺へ向けた。

「なーにモノは考えようだよみらっち。また初めから、上達の喜びを味わえると思えば辛くなんてないし、前とは別のモノも見えるかもしれない」

 一姫は目を閉じ胸に手を当てる。

「何事もなく順調にいけば今頃は――そう考えちゃう日もあるだろうけど、今往く道が行けなかった道に敵うか否かは、結局のところ私の頑張り次第! でしょ?」

 開いた瞳は、不確かな未来を力強く見据えていた。

 俺は頷く。もう一姫は大丈夫だ。彼女は自分を取り戻した。いや、以前の彼女に負けず劣らずの自分を獲得した。

「あ、もうこんな時間か。じゃ、みらっち。私は帰還するけど、寂しくて泣いちゃったりしたら、一晩泊まってっても良いぜよ?」

 阿呆を言うなと、しっしと手を振る。石膏のせいで振れないが。

「にしし。素直じゃないなあ。そんな天邪鬼にはリンゴを丸ごとくれてやろう。ナースさんにでも甘えて、食わせて貰うがいい」

 デンとリンゴを三つ、本当に丸ごと机に乗っけ一姫は立ち上がった。相変わらず、姿勢の良い立ち姿に惚れ惚れする。

 踵を返し、すたすたと扉の前に立つ。と、そこで一姫は振り返った。

「……あー、その。みらっち?」

 ぽりぽりと頬を指で掻き、視線をちらちらと俺へ向けたり外したりする。何かまだ訊きたいことがあるような感じに見えた。何だろうか。

「凄く、凄ーく可笑しなことを質問してもええ? 笑わないでござる?」

 俺が頷くと、一姫は肩にかけていた小物入れに手を入れ、何か取り出そうとし――途中で止めた。

「や、やっぱいいや! じゃ、足しげく通ってあげるから! 元気でね!」 

 照れ笑いと共に一姫は手を振って部屋を出て行った。

 がちゃりと閉まった扉の向こうから声が聞こえてくる。

「にゃー!? 姫ちゃん何するのさー?! ボクまだ巳禮クンをお世話したいのにー!」

「うっさい! みらっちが抵抗を覚えないのを良い事に好き勝手やりおって! 出禁じゃい!」

 どうやら、真弓もお帰りらしい。次は三人でゆっくりしたいものだ。

 それにしても、真弓の鞄がまだここにあるのだが――良いのか?


 ☆ ☆ ☆


 ゴネる幼馴染を引っ張りつつ、私は半開きの小物入れへと視線を落とす。中でハンカチとスプレーに挟まって、封筒が揺れている。

 これはあの夜、お父さんが私に渡そうとした手紙。

 そしてあの夜、どういうわけか私の指先に挟まっていた手紙。

 これを手にし中身を読んだ日から、私の身体は有り得ない早さで機能を取り戻した。一週間で退院の決まった私を、事情を知らぬ担当の医師や看護師は不思議がっていた。

 この手紙は誰にも、警察にも見せていない。知っているのは私だけ。まあ、内容からして公表してもお父さんの正気が疑われるだけなので仕方ない。

 読んだ後は、正直きつかった。あの悪夢の時間が、恐怖の余り錯乱した私の見た幻ではなく、紛れもない事実だということもショックだったが、私の知らないところでお父さんが『決意』していたことが、何よりも胸を締め付けた。

 ただ、それ以上に寝てる場合じゃないとも思った。このまま病院のベッドで腐っていてはお父さんの命が無駄になる。それは嫌だ、その一心で私は治った身体に鞭を打ち、結果として普通の生活を送れるまでに回復した。

 この手紙が私に心を取り戻してくれた。薬なしでも全く痛まない身体は、羽のように軽い。培った運動神経がすっぽり抜け落ちていることだけがもどかしいが、流石それは欲しがり過ぎの贅沢だろう。暴走する幼馴染を引っ張れる程度の力はある事だし、みらっちの前ではカッコつけて啖呵も切ってしまった。愚痴る暇があるなら鍛錬だ。

 にゃーにゃー五月蝿いまゆちんを引き摺り、エレベーターの前に立ったとき、丁度ドアが開いた。内から一人、女の子が出てきた。目があったので軽く会釈すると、彼女もふっと微笑んで返してくれた。つい息を呑む。そっちの気のない私がドキリとする程、清涼感のあるステキな笑顔だった。まゆちんも暴れるのを止めてぽーっと頬を染めている。

 歩く姿も悠然としていて、背を見送っているうちにエレベーターのドアが閉まってしまった。はっとして我に返り、未だにボケているまゆちんの頬を軽くつつく。

「メーデー! メーデー! 応答せよ朝ですよご飯ですよ」

「え? あ、あれ? ボク今、巳禮クンと熱海をランデブーしてたはずでは?」  

「違げーよ。まゆちんは突如現れた謎の美少女のオーラを浴びてトリップしてたんぜよ」

「え? あはは、何いっているの姫ちゃん。ボクが一瞬とはいえ女の子に見惚れるなんて巳禮クンに対する不義理を働く訳ないじゃないか。あははははは――はぁ……」

 そういう理由での現実逃避かい。変なところで義理堅いな私の幼馴染。

「まあ同性の私が胸高鳴らせるレベルの子だったし。そう気落ちすんなって」

 急に覇気のなくなったまゆちんを慰めつつ、私はエレベーターのボタンを押す。幸いなことにまだ他の階から操作はされていなかったようで直ぐに開いた。

「それにしても綺麗だったわなー。やっぱお見舞いかね、あの子達も」

 ひょっとしたら彼氏が入院しているのかも。何せアレだけの美少女、男が放っておく訳がない。きっと、病室に入るなり「来ちゃった♪」などと言って開幕からイチャコラ仕出すのだろう。だとしたら実にけしからん、マジ羨まけしからん。

 勝手な妄想をしつつ私はエレベーターに乗り込む。と、続いて乗ってきたまゆちんが小首を傾げる。

「あれ? 姫ちゃん、あの子『達』ってどゆこと? 他に誰か居た?」

「え? あ、んん?」

 言われてみれば確かに、どうして二人だと思ったのだろう。

 考えているうちにエレベーターは閉まり、一階へと降りていく。

 まあ、いいか。


 軽いノックの後、ドアが開いた。真弓が鞄を取りに戻ってきた、そう思った俺は意外な来客に眼を見張る。

「来ちゃいました」

 入ってきたのは恋花だった。悪戯っぽい笑顔を浮かべている。

 彼女と対面するのはこれが二度目だ。あの日は寝間着のような格好をしていたが、今日の彼女は白い薄手のワンピースを着ている。自前の黒髪が良く映える衣装だ。

 ただ、ちょっと目のやり場に困る。長めでゆったりとしたスカート部分とは対照的に、上は肩出しかつ身体のラインがはっきり判る造りをしている。決して公序良俗に反する格好ではないのだが、当人の身体付きが実に、こう、何とも言えない。

「うわぁ、凄い格好ですね。トイレとかどうしているんですか?」

 ベッドの横に立った恋花は、いきなり答えに困る質問をしてきた。目をキラキラさせて興味深深といった感じだ。よくここが判ったなと話題を逸らすと、彼女はさらにニッコリ微笑んだ。

「はい。都内の病院をしらみ潰しにするのはとーっても大変でした。ぜひ労って下さい」

 言って恋花は前屈みの姿勢を取り、頭を差し出してきた――どういうことだろう。

「ほら早く早く」

 頭を揺らして催促してくる。もしかして、撫でて欲しいのだろうか。左腕は石膏で指先まで固められているので、包帯で済んでいる右手を伸ばす。艶のある髪に俺の指が触れる、その寸前。

『ち、ちょっと巳禮! 何しようとしているのよ!』

 聞き覚えのある『彼女』の声が、俺の行為を中断させた。

 驚いて辺りを見回す。だが、どこにもそれらしき姿は見当たらない。この狭い病室には隠れる場所はないし、そもそも彼女は恋花と同時に存在できないはず。

 困惑する俺を尻目に、恋花がニヤつきながら何故か壁へと話しかけた。

「姉さんダメですよー。巳禮さんが混乱しているじゃないですか」

『だ、だって今、恋花の髪に巳禮が触ろうと……』

「んー? 何かダメですか?」

『だ、ダメよ! 髪は女の命なの! 気軽に触らせるなんで私が許さないわ!』

 それは奇妙な光景だった。壁に映っている恋花の影が、彼女とは異なる身振り手振りで動き、喋っている。影の中にも薄い陰影とおぼろげな色彩があり、まるで夜の池に映し出された虚像のように、壁には愛華の姿が揺れていた。

「ふふ。姉さんったら可愛いです。自分の嫉妬心を乙女な論理にすり替えちゃう素直じゃないところが可愛いです」

『し、嫉妬?! な、何のこと? どうして巳禮に頭を撫でられる程度でし、嫉妬?!』

「あら、私は勘違いしてたようです。姉を差し置いてスキンシップを取れる巳禮さんに嫉妬を覚えての横槍かと思ったら、そうですかー逆でしたかー」

『っ!!? ち、ちち違うわよ! 勘違いじゃないわ! アナタの言う通り巳禮に嫉妬したの!』

 何とも落ち着きのない影は俺へとビシッと人差し指を向けてきた。

『と、ともかく巳禮! 私は説明を要求するわ! なんで帰って来なかったの! どうして入院なんかしているのよ!』

 俺としては今何が起きている超常現象を説明して欲しいのだが。

『後よ後! どれだけ心――迷惑したと思っているの!』  

「姉さんったら、心配と不安のあまりギンに泣き付いちゃったんですよ」

『ちょ?! 余計なこと言わないでよ!?』

 どうやら、かなり心配させてしまったらしい。俺は何があったのかを説明する。

 愛華の血を飲み使い魔と化した俺は、無事に病院まで辿り着いた。病室の窓から直接入り込み、彼女の父が遺した手紙を渡すことにも成功した。

 だが、いざ帰還しようと敷地に降りたとき、急に体中から力が抜けてその場に倒れてしまったのだ。その後、夜勤のナースさんに見つかり緊急入院した。

 怪我の理由を訊かれた際、本当のことを言う訳にもいかないので、お百度参りに失敗して階段から転げ落ち、痛みを我慢して病院まで這って来たと苦しいにも程がある嘘を吐いた。

 もちろん、最初は全く信じてくれなかったのだが、俺の身体のあちこちに貼られた御札を見て、何かヤバい宗教の関係者と勘違いしたのか。あるいは、非日常へと繋がる空気を察知したのか。兎も角、俺が語る以上のことを聞き出そうとはしなくなった。

 そんなこんなで現在入院中。経過は実に良好、早ければ後一週間で退院できるそうだ。左腕のギブスはもうしばらく必要らしいが、後遺症もなく綺麗に治るとお墨付きも貰っている。

 俺の説明が終わるとまず愛華が口を開いた。だが、

『ま、まあ無事ならいいの。この話はお終いね、うん』

 あからさまに様子が怪しい。そんな姉を恋花がジトりと横目で睨む。

「何を勝手に打ち切ってるんですか姉さん。巳禮さんが途中で電池切れしたの、これって姉さんの過失では? もしかして血液ケチりました?」

『そ、そんなつもりはなかったわよ?! でも疲れてて頭が働かなかったし、巳禮も病院の位置を言わなかったし!』

 愛華の言う通りだ。俺が行き先の詳細を告げていれば、病院をしらみ潰しにする必要もなかっただろう。全面的に俺が悪いと認めると、何故か愛華はバツが悪そうにした。

『そ、そうよ。私は悪くないわ。微塵も…… いえ、ミジンコくらいにしか過失なんてないんだから』

 歯切れの悪い愛華。薄暗くて判り難いが、どうも腕を組んでそっぽを向いているようだ。そんな姉を見て、恋花がうっとりと締りのない表情を見せる。

「素直じゃない姉さん、可愛いです」

『なっ?! 何言ってるのよもう!』

 愛華は完全に拗ねて、(多分)俺達に背を向けてしまった。話しかけ難い雰囲気なので、

俺は恋花に質問する。一体、どういう原理で愛華がここにいるのか。

「あ、はい。これは【影送かげおくり】という魔術でして。影を触媒に魂の一部を移し分身を作るのですが、それを応用して姉さんの魂を影に入れているんです」

 解ったような解らないような。とりあえず、高度な腹話術ではないことは理解した。

『何、アホなこといってるのよ。私の妹がそんな恥ずかしい奴な訳ないでしょ』

「そうですよ。寂びしん坊の姉さんじゃないんですから」

『私だってやらないわよ!?』

 なんとも姦しい。それにしても、いつの間にこんな術を。

『……判らないかしら。これ、メルディーナの魔術よ。あいつの知識を元にどうにか再現してさらに応用、何とか形にしたの』

 メルディーナの知識――どういうことだ。彼女は死に、その心臓も破壊され失われたはず。どうやって彼女の魔術を手に入れたのか。

『確かにあの夜、あいつの心臓は私が破壊したわ。もう誰もあいつの叡智を手にすることは出来ない。でも、私は吸血鬼で、あいつは死ぬ刹那に膨大な量の血を撒き散らした』

 愛華が何を言いたいのか、俺は直ぐに感づいた。思い返せば、路上から屋敷に転移した際、彼女は全身血塗れだった。

 つまり、愛華には読み取る機会があったのだ。メルディーナの叡智を。

『まあ、極々一部だけどね。具体的には、あいつが私達の前で使った魔術の幾つか。その中にこの【影送】があったわ。覚えてないかしら、あいつが分身したの』

 言われてみれば、そういうこともあったような。色々あり過ぎたためか、あの時の記憶は酷く曖昧だった。或いは人間を辞めかけた反動かもしれない。が、心配は掛けたくないので黙っておく。

『本来の目的、二人に戻ることには遠く及ばないけど。これはこれで確かな成果よ』

「ありがとうございます、巳禮さん」

『あ、ありがと、巳禮』

 ぺこりと頭を下げる恋花に、ぎこちない礼をする愛華――はて?

『……何をボケ~っとしてんのよ。アンタが共闘してくれたから、私はどうにか生き残って、仮の姿とはいえ恋花と面と向かって会話できるようになったのよ? 六十年ぶりよ?判ってるの?』

「姉さん、なんで恫喝しているんですか。照れ隠しですか」

『うっ…… その、ごめんなさい』

 二人のやりとりに微笑ましいものを感じつつ、俺は安堵する。あの死闘は彼女達にとっても無駄な戦いではなかったのだ。

 実を言うとずっと気になっていた。あれだけの修羅場を共に潜ったにも関わらず、満足行く結果を手にできたのは俺だけのように思えて心苦しかった。

 だが、彼女達の言葉によって唯一残った心の靄も晴れた。もう何も憂うことはない――と思ったのだが。

『ちょっと巳禮。アナタすっきりした顔しているけど。大事なこと忘れてない?』 

 呆れ混じりの視線を感じる。なぜ?

「巳禮さん、これ」

 恋花が俺の表情を窺いながら、愛華の形をした影へ両手を伸ばす。触れた指先からトプンと沈む。これは覚えている、メルディーナがやって見せた術だ。どうやら彼女は何かを取り出そうとしているらしい。

 再び抜かれた恋花の手は、見覚えのある品を掴んでいた。

「お、重いです……」

 彼女は細腕がぷるぷると震えさせながら、どうにか抱きかかえる。当然だ。女の子が手の伸ばした姿勢で支えられる重量ではない――【顎】は。

『私としては開口一番にこれのこと、聞いてくると思ったのだけど?』 

 そう言われても心配する理由がない。信用しているからこそ、【顎】を預けて病院に向かったのだから。

『……ふーん。で、他には? 思い出すことない?』

「あの姉、さん。出来れば早く、要件を」 

 割りと辛そうだが、壁に立て掛けるなりすれば良いのでは。

「こ、こんな名刀を無雑作に扱ったら、バチが当たっちゃいますよ」

 そういうモノなのか。では今度から机の下ではなく上に置くとしよう。 

『今度から、か。持って帰る気マンマンって訳ね』

 それはそうだろう。【顎】は――言い掛けて、ようやく俺は愛華が何を言いたいのかを理解した。確かに自分にはまだ、解決していない問題がひとつ残っている。

 倒壊した祖父さんの墓。ある意味、全ての発端だ。これがなければ俺は【顎】を持って新々宿を訪れず、ギンの後を追って【旧新宿区】を訪れることも、二人に出会うことも無かっただろう。墓の修復費については、忘れていた訳ではないが完全に手付かずだった。

「その様子だと、まだお金の問題は未解決のようですね。よかったですね姉さん?」

『べ、別に』

 よかった、とはこれ如何に。もしや、愛華はまだ【顎】を欲しているのだろうか。

 しかし、それは困る。俺はもう【顎】を手放す気はない。毛頭ない。金もないが。

『安心して。そのつもりはないわ。【顎】はアナタの手にあってこそよ、私が保証する』

「うーん、力押し一辺倒のなんちゃって剣士な姉さんの保証て、価値あるのでしょうか」

『――』

 今、間違いなく愛華は恋花を睨んだ。影から発せられる殺気が尋常ではない。

 恋花がてへりと首を竦める。悪戯のばれた子供のようだ。彼女が大人しくなったのを確認した愛華は咳払いして続けた。

『実はね、恋花の言う通りなの。意外にも私、剣術が苦手のようなのよ』

 いや知ってた。具体的には屋敷での戦闘を俯瞰した時から。

 あれは実に酷い剣捌きだった。そのお粗末さときたら、豚に真珠と猫に小判に並び、愛華に刀剣という諺が俺の中で生まれたレベルだ。逆に目を奪われた。

 実のところ【顎】を譲るか否かの決断を鈍らせた要因のひとつでもある。

『そ、そう……』

 あからさまに凹む愛華。だが、お節介だろうがこういう事はハッキリ告げておきたい。 今後も彼女は【旧新宿区】で暮らし、夜になれば【怪魔】を駆逐するのだろう。弱点は自覚していたほうがいい。贅沢を言えば、誰かに師事を仰ぎ修練を積むのが一番なのだが。

 そうこぼした途端、恋花がキラリと目を輝かせた。

「流石、巳禮さん。話が早いですね。では是非お願いします」

 きゅっと右手を握られる。え、いや。今のはネタ振りでも何でもないのだが。

『アンタ以外に友好的で、且つ剣術を指南できそうな奴がいないの。 ……よろしくね』

「ビシビシ扱いて下さい。夜は私が影ですので、私も横から野次りつつ見守ります」

『安心して。【影送】は本体の任意発動、修行の邪魔するようなら引っ込めるから』

「そ、そんな!」

『というわけで最低で週一、来たければ毎日来ていいわ。報酬は日払いで――』

 待ってほしい。勝手に話を進められても困る。

「大丈夫、電車賃も往復分払いますよ?」 

 いや、それは地味に重要だけども、そういうことではなく。

『何よ』 

 俺の意思を、確認する気はないのだろうか。

『お金、要るんでしょ』「お金、欲しいですよね?」

 お、おう。

『なら決まりでしょ』「なら決まりですよね」

 決まり、なのか?

 少し考える――確かに悪くない。いや、それどころか願ってもない提案だ。

 俺の剣を愛華が学び、学んだ剣が二人を守る。

 いつか姉妹が二人に戻る、その日へ繋ぐ道となる。

 それはとても有意義に思えた。何よりここで断って二人との縁がこれっ切りになるのは、正直に言えば寂しい。

『そう、それでいいのよ』

「ふふ、ホーントに良かったですね~、姉さん?」

『うっさい。 ……えと、その、巳禮』

 何だろう。

「……今後とも、よろしくね」

 頬を真っ赤に染め、それでも目を見る努力をしてくれた愛華に、俺もはっきりと返事を返す。 

 こちらこそ、よろしく頼む。

読んで下さった方に感謝いたします

続き、そのうち書きたいですね

そのときはまた読んでやってください

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