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【顎(アギト)】  作者: しおてさぎそう
12/14

【血戦(ケッセン)】

 痛い。


 感動を覚えるほどの苦痛だ。


 人体とはここまで痛みを感じることができるのか。

 

 俺は墜ちた。墜ちてコンクリに叩き付けられれば、いっそ楽になれていた。だが、俺はロータリーの中央。高く茂る木々の中に墜落した。中途半端な緩衝材は、中途半端に俺を生かした。

 右目は見えず。両耳は聞こえず。血の臭いで鼻は潰れている。鼓動に合わせ喉元が焼ける。

 一切動かぬ身体は、痛覚だけを俺の脳へと押し付ける。

 自我を切り裂かれながら、ふと思う。

 これは罰なのではないだろうか。

幾度となく逃げた、その報いがこの有様なのではないか。


 まともを証明するために、都会に出た。が、本当にそれだけか、違ったはずだ。

 俺は家族を疎ましく思った。祖父を許さず、俺を哀れむ家族・親族に嫌気が差した。

 だから都会へと【逃げた】

 祖父さんの墓のために【顎】を売る。まともを証明できなかった自分には資格がない。

 そう言い訳して【逃げた】

 ところがいざ、売るか否かの選択を迫られたら保留して。

 また【逃げた】

 俺は自分から逃げ過ぎた。だから受け入れるべきなのだろう。痛みに沈み、細かく刻まれた意識の欠片が無に帰す刹那まで、死に続ける――仕方ない。罰だと思えば納得できる。理不尽な痛みではないと受け入れられる。受け入れるうちに、やがて全部が終わるだろう。

 全部終わって、それで、その後は――どうなる?

 愛華は栄坐には勝てないだろう。負けて妹と共に破滅するだろう。栄坐は自由だ。縛るものはない。奴は何をするか、奴は吸血鬼だ。吸血鬼は近しい者の血が馴染むと恋花は言った。奴の魂には一姫の父が混じっている。   

 もしや、栄坐は遠からず一姫を――瞬間、痛みが熱へと変わる。

 冗談じゃない。俺のことは構わない。卑怯者の俺は救われなくて当然だ。

 だが違う。三人は違うはずだ。

 愛華は六十年、逃げずに戦った。恋花も六十年、姉を想い続け、彼女が賭けに出ることを受け入れた。一姫は今も、病院で父を救えなかったと、自責の念と戦っている。

 俺とは真逆の三人が、化物の食い物にされていいはずがない。  

 そんな未来は――認めない。

 とっくに痛みで焼け切れた右腕に、万分の一ほどの触覚が戻る。

 腕は勝手に動いた。苦痛を掻き分けて、胸へと伸びる。

破れた制服の隙間から、ソレを取り出す。

 少し端が破けて、中身が漏れている。

理解した。俺がまだ動いている原因を。何をすればいいのかも。

 ソレを喉の上へと持っていく。脈と共に溢れる血潮の穴へ――愛華の血を流し込んだ。


 ★ ★ ★


 屋上から跳んだ栄坐は、音もなく地上へと降り立った。

「ふむ、やはり力加減がわからない」

 巳禮の墜ちたロータリーの植え込みへと跳んだつもりが、敷地の越えて四斜線道路のど真ん中に着地していた。脇では風の魔術で切断してしまったビルの残骸が道路へと崩れたため、炎を撒き散らす行き止まりと化している。

「これでは、思ったよりも早く人が来てしまいそうです。ん――」

 栄坐の姿が溶けるように消え、1秒待たずに歩道で再構築される。

「ひいいいいいい!?!」

 ボロ切れを纏った浮浪者が一人、悲鳴を挙げた。

「なん、なんなんだアンタぁ?! ビルが崩れたと思ったら空から降ってきて!? うえええ??」

 パニック状態の浮浪者に、栄坐は照れ笑いを見せる。

「いやはや、お恥ずかしい。まだ慣れていないものでして」

 頭を掻きつつ、おもむろに人差し指を浮浪者の胸に当てる。

「というわけで、吸血の練習もしてみましょう」

「は? きゅうけ――」

 浮浪者の言葉は最後まで続かなかった。栄坐が爪を押し込んだ瞬間、不運な彼はボロ切れだけ残し、螺旋状に捻れて爪と肉の間に吸い込まれた。

「ふむ。ふむ。ふむ――不味い」

 栄坐が顔をしかめ、吸い込んだ手を振るう。加速の乗った指先から、肉と骨と臓腑がグチャグチャに掻き混ぜられた塊が弾き出され、鉄橋を貫き雑居ビルに風穴を開けた。

「おや、いけない。騒ぎのタネを潰したつもりが撒いてしまった」

 栄坐は髯を弄りつつ踵を返す。あまり遊んでいると、巳禮の死体を届ける時間がなくなってしまうと自省する。

 一歩、栄坐が我が城であるビルへと足を伸ばした時。 

 風が吹いた。

「――ん」

 栄坐は足を止めた。振り向く前に、吸血鬼の勘が彼へと告げた。『倒壊したビルの上に敵がいる』。

「やれやれ、お早い到着ですね」

 愛華の組織の人間がもうきたのかと苦笑う。予定が狂ってしまったことを嘆き、全能感に酔いすぎたことを猛省。手に持つメルディーナの核を撫で、彼女の記憶から無詠唱かつ無拍子の転移魔術を検索する。引き出し発動するまでの過程に一切のラグはない。

 願うと同時に、栄坐は『敵』の背に移動した。目視するより早く、その背に人差し指を突き出す。問答無用の吸血、刺して終り。だが、

「ん?」 

 ふと、栄坐は出した腕を見た――ない。ローブに隠れて、いや違う。これは。

「……ッッ!?!」

 本能のアラートに術式が反応する。移動先の座標もそぞろに強制で転移する。跳んだ先は高架道路。倒壊したビルに押し潰され、切り立った崖のようになっている位置から、栄坐は先ほどまで自身の立っていた地点を俯瞰し――目を見開いた。 

「どういう、ことですか……?」

 殺したはずの少年がいた。加減が利かず墜としてしまった弱者がいた。バラバラの死体になっているはずの人間が――いや。

 果たしてあれは、本当に彼なのか。

 手に携えた異形の太刀は、彼が振るっていたものだ。目測で計った身長も一致している。だが、衣服が破れ剥き出しになった上半身は漆黒に変色していた。身体中を覆う数え切れない傷は深紅に輝き、瞳は赤い血を流しているかのようだ。

 そして何よりその首――栄坐が一突きで穿った喉を、鮮血色の襟巻きが包み込み、止まぬ風の中で激しく揺れている。

「いったい何が――」

 呟いた瞬間、栄坐はガクンと崩れて片膝を付いた。右足の膝から下が、完全に切断されていたことに今気づく。

「ば、バカな……?!」

 反射で発動した転移よりも、あの漆黒の者の剣閃が速かったという事実。栄坐の心に乱れが生じる。迂闊にも栄坐は脅威から目を離し、手と足を修復しようとしてしまう。

 刹那、落雷にも勝る衝撃が栄坐の腹部に叩き込まれた。 

「がふっ……?!?!」

 焼け爛れるような激痛に目玉を剥く栄坐。口から零れる淀んだ血が、腹をブチ抜いた凶刃を染める。

 悶える栄坐を串刺しにした張本人は、赤々した双眸を見開き、裂けた頬で牙を剥く。


――エェイイイザアァアアアアアッッ……!!

 

 地獄の底から噴出したような声に、栄坐は凍りつく。漆黒の怪物は間違いなく而道巳禮。

あの少年だった。

 巳禮は突き刺した【顎】を峰の方へと真横に振るう。人の域を完全に超えた怪腕に栄坐の身体は地と水平に吹き飛んだ。

「ぬうううううううっ?!」

 ビルの壁面に叩き付けられ、クレーターを設けながらも、栄坐はメルディーナの核を離さない。弾丸を越える速度で追撃に迫る巳禮に対し、防御魔術を片っ端から発動する。

 炎の壁は意味を成さない。巳禮はその身で突き破る。周囲の瓦礫を固め、更に魔力で強化した物理と魔力の二重結界は、【顎】に刃に魔力を絶たれ、瓦礫は巳禮の技で両断された。触れれば溶ける不可視の結界は、巳禮の傷から撒き散る紅蓮の燐に中和される。空間を圧縮して押し固めた超質量の壁は――生成する間もない。巳禮はすでに栄坐へと刃を振り下ろしていた。

「化、物……!!」 

 【顎】は栄坐の右肩から斜めに入った。そのまま切り抜ければ栄坐の心臓、吸血鬼の核に達する。巳禮は咆哮し、万力を込めてへし斬りに掛かり――

「だ、だが残念。間に合いましたよミライくん。私もほとんど空っぽですがね」

 栄坐は静かに笑う。口元から血を流しながらも、不敵に目を細めていた。

 刃は止まっていた。栄坐の心臓まで数センチのところで右腕が割り込んだ。その腕は三原色が斑に輝く、光の膜に包まれていた。

 不穏を感じた巳禮が【顎】を引く。だが刃は斑の腕から離れない。

「そして次の一手で、君のチェックメイトが確定します」

 栄坐が大きく口を開ける。鋸のような牙をむき出し巳禮の肩へと喰らい付こうとする。巳禮は右手を離し、掌打を斑の腕へと打ち込む。反動を利用し強引に刃を引き抜いた。

離れる瞬間、手の甲を栄坐の牙が掠める。

 巳禮は大きく距離を開ける。掌打した右手は潰れている。首を包む襟巻きが風向きに逆らって右手を包む。細く別れた赤い繊維は細胞の隙間を縫い、強引に右手を形作る。

 その様子をまじまじと観察していた栄坐は、なるほどと頷いた。

「再生ではなく血液による修復。そうか、お嬢さんの血を貰っていたわけですか。君は自ら使い魔になることで強引に戦っていたのですね」

 栄坐は手を叩き、賞賛を送る。

「吸血鬼に一段どころか二段三段も劣る使い魔で、よくここまで私を追い詰めたものです。いかに私が生まれたてとはいえ。けれども――」


――ウオオオオオオオオオオオオ!


 栄坐の次の言葉を待たず、巳禮は突貫する。

 刃を大上段に振り上げ、下ろす刹那に右旋転。上段にフェイントに入れつつ、下ろす勢いを殺さず切り上げに利用する。

 使い魔と化した巳禮の速度は元の肉体の錬度が合わさり、吸血鬼の動体視力ですら目視困難。まして本来、戦いなど知らぬ栄坐に、軌道の予測など付くはずもない。

 だが、斑の腕は初めから上段を捨てて、切り上げを待っていた。

「!??」

 斑の腕は再び刃を受け止め固定する。巳禮の動きを殺した刹那、栄坐の足が巳禮の胴体を蹴り抜いた。

 巳禮の身体は砲弾のように吹き飛び、水切り石の要領で路上を跳ねた。壁面に追突してどうにか止まったとき、巳禮の全身は再び変質していた。

 漆黒の肌は元に戻り、明滅していた傷もただの生傷に、血に濡れていた瞳は、黒目を取り戻していた。首周りの襟巻きは大きく損なわれ、辛うじて喉の傷を覆っている。

 肩で息をする巳禮へ、栄坐はゆっくりと歩みを進める。

「ふむ、やはりダメですね。加減が利かないから逃がしてしまう――が、今の一合で理解したはずです、巳禮くん。君が詰んだことを」

 巳禮は思考を巡らせる。技は完璧だった。初見で見切れる速度ではなかった。だがまるで初めから知っていたかのように受け止められた。知っていた。経験――

 巳禮は歯噛みする。斑の腕から逃れるために掌打を打った右手。その手の甲を牙が掠めた。掠めた牙は巳禮の血を栄坐にもたらした。

 栄坐はそこから、巳禮の体得した剣術の全てを読み取ったのか。

「気付いたようですね。さらに、これは私の予想ですが、次の一撃で君は立つことすら不能になるのではないかな?」

 巳禮の顔が強張るのを、栄坐は見逃さない。

「その襟巻き、いや。お嬢さんの血ですね。さっきの一撃から生きるためにほとんど失われてしまったようですが」

 慧眼、栄坐の推測は完全だった。巳禮はあと一回、飛び込むだけの力しか残っていない。

「諦めが肝心です。君は勝てません。この腕が刃を通しません。いや、通すが離さないと言うべきか」

 斑の腕、二度斬り込んだ巳禮は、その仕組みには気づいている。だが対処のしようがない。斑の腕はそれまで結界とは違う。あえて斬らせる。斬らせた後に左右からまるで獣の顎のように挟み込み捕える、白刃取りの結界だった。

 しかも、斬撃以外には純粋に硬い篭手として働く。掌打を打った手のほうが潰れたことが何よりの証拠だった。

 技の軌道は全て読まれている。斑の腕は破壊できない。さらにチャンスはあと一回切り、

――これが栄坐の語るチェックメイト。 

 だが、巳禮は動き【顎】を構えた。肩に担ぐその姿勢は、祖父に教わった技の中で、最も速く、最も重い、二ノ太刀を捨てた一撃必殺の――

「【天上段の構え】でしょう?」

 巳禮は総毛立つ。完全に把握されている。

「一か八か、結界が挟むより速く切り抜けることに賭けるため、きっとその構えを取ると思っていましたよ」

 栄坐は足を止めた。最高の威力を発揮できる間合いで。

「巳禮くん、どうか剣を納めてくれませんか?」

 栄坐は急に殺気を納めると、静かに話し始めた。

「正直に言います。私は君の亡骸をお嬢さんにあげるつもりで降りてきました。ですが、君の血を舐めて気が変わりました」

 動揺を誘う作戦か。いや、すでに栄坐の勝利は揺るぎない。巳禮の気勢を削ぐ必要など彼にはない。これは純粋な説得だった。

「納得したのです。どうして君だけが絵画展で唯一、最上階まで辿り着けたのかを。どうして私の画を観て、憂鬱な気持ちも絶望も覚えないのか――その答えは、私と君が似ているからです。君も私も、自分の幸せを理解してもらえない存在なのですよ」

 栄坐の表情が老け込む。若返った顔に、人間の頃の面影が色濃く現れる。

「私は一度だって、画に悲哀など込めた覚えはありません。初めて画を描いたあの日から、私はただ好きだから画を描き続けてきました。そうとは知らぬ他人が、私の過去と絡めて売り出した結果があの有り様です。誰も彼もが、私を不幸を背負う人間だと扱う。作品にも不幸を背負わせ、勝手な想像で物語を作り、負の感動を覚える。確かに画は売れ、私は好きに生きる権利を得ました。でも、それは理解者を求めては満たされぬ、永い日々の始まりでした」

 語る栄坐の目は遠く、立ち姿はまるで無防備だった。巳禮は話の途中で襲いはしない、そう信じているのか。あるいはどのタイミングでも防ぐ自身があるのか。見極められず、動けない巳禮を前にして、栄坐は言葉を紡ぎ続ける。

「私が生きる喜びを込めた画に、人は死の影を感じる。繁栄を描けば、退廃を覚える。全てが邪推され、裏に取られる。果ては私自身、自分を信じられなくなりました。年を重ねるごとに、確実に近づいてくる死の実感。それがより私の画に影を落としている気がしてならなくなり、故に私は永遠の命をメルディーナに求め――もっとも、人でない彼女ですら、私を本当に理解してはいませんでしたが」

 失望の色を浮べ、栄坐は手の内の心臓を撫でた。

「絵画展は自分との決別が半分、自虐が半分と言ったところでした。私の画を愛好する者は数え切れないが、私に辿り着くものはいない。そんな私が人であることに拘って天寿を全うする理由などない、と考えながら。私は一番気に入っている作品を眺めて、ただ漫然と時を過ごしていたのです――だからこそ君の登場には胸が躍りました」

 その視線に邪気は、微塵もない。

「すでに計画は止められない段階に移行していたとはいえ、あの時の君は確かに私を救ったのですよ。君の感想は、私が何十年もの間、秘かに誰かへ期待していたものだった。君こそが唯一の理解者です」

 その視線は、感謝で満たされている。

「そして今さっき、今度は私が君を理解した。血を通して君の過去を見ることでね」

 その視線は慈しみ、そのものだ。

「だから次に、私は君を救います。君は、こちら側にいるべき男だ。道理よりも我を通す姿勢。情と非情が混在する矛盾した精神構造。剣の才気に至っては魔の類。光の世界、秩序の下では君は存在そのものが枷だ。私と共に来なさい。混沌の闇にこそ君の道はあるはずです。さあ――」

 栄坐が両腕を広げた、その瞬間だった。

 

『ガルウウウオオオオッ!』


 獣の咆哮が鳴り響き、大気を揺らした。

「むっ? なん――」

 栄坐が眉を顰める。その背後から銀色の影が躍りかかった。

 ギン、巳禮が思わずその名を叫ぶ。傷が癒えきらず、屋敷に待機していたはずの愛華の使い魔。不帰の主を追ってこの場に辿り着いたのか。

 銀狼はその白銀に輝く牙を栄坐の肩に突き立てる。が、

「……ふん」 

 栄坐はまるで羽虫を払うような動作で斑の腕を薙いだ。ギンの身体が鈍い音を立て、巳禮の前に落ちた。飛び散った鮮血が巳禮の顔に掛かる。

「やれやれ、とんだ茶々が入ってしまいましたね」

 首を竦める栄坐は、まるで堪えた様子がない。肩を払い、巳禮へと親愛の微笑を浮かべ――曇る。

 巳禮はギンの前に立ち、構え直していた。

 刀身を肩に担ぎ、膝を沈め半身を切る【天上段の構え】。

「そう、ですか」

 栄坐は斑模様の腕をかざす。殺気に満ちた巳禮の視線を遮るように。

「なら仕方ないですね。血を吸って奴隷にしては意味がありませんから。気は進みませんが、君は死体にしてお嬢さんに譲ります。その死に掛けの獣と共にね」

 栄坐は静かに一歩、前に出る。

 刹那、巳禮は躊躇うことなく踏み込んだ。全身全霊を刀身に乗せ、上段を振り下ろす。

 斑の腕は【顎】の軌跡を正確に捉える。友愛の握手のように、するりと差し出された右腕は、決死の一撃に圧し負けぬように人外の怪力を込めて構えられた。

 【顎】は真っ正直に、まるで吸い込まれるように腕へと向かい、斑の皮膜へと接触した。

 腕に伝わる重量と感触、栄坐は蹴りと共に勝利を確信する。

 全体重と捨て身の加速を乗せた【顎】は確かに重い。だが、固めた腕を下げさせ、胴へと刃を達することはできなかった。斑が刀身を挟むより先に斬り抜けることもできなかった。

 むしろ、後者に至っては先の二撃のほうがまだ切り込めていた。この瞬間の【顎】は重いばかり。栄坐の腕に伝わる感触は一寸ですら――切り込んで――

「な?!」

 栄坐の蹴りは空を切っていた。そこに巳禮の姿はなかった。今も栄坐の腕は【顎】を受け止めている。だが、それは刃ではなく峰だった。

 峰打ち。斬撃ではない以上、斑は挟み込まない。硬く受け止める。巳禮の全体重は【顎】切っ先に乗っている。その身体は固めた栄坐の腕を軸に廻り、月を背にして宙に逆立つ。

 栄坐は天を仰ぎ見た。巳禮は地を見下ろしている。

 視線の交錯は刹那にも満たない。墜ちるままに、構えた刃が肩口へと吸い込まれる。

 肉を裂き骨を断ち、【顎】は栄坐の心臓に喰らい付いた。 


 ★ ★ ★


 無機物とも有機物とも異なる、形容し難い手応えを感じた瞬間、俺の身体は衝撃と共に弾かれた。

 腹から路面に叩き付けられ、衝撃で手から【顎】が滑り落ちる。起き上がろうにも身体がほとんど動かない。全身の至る所から出血しているのが判る。バラバラになりそうな肉と骨を、僅かに残った愛華の血液が繋ぎ止めてくれている。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ―――!?!?!」 

 断末魔が鳴り響く。霞む視界の奥では、肩口からばっくりと割れた栄坐が膝立ちで叫んでいる。太刀傷からは大量の血が噴出し、さらにその奥から青白い光が溢れ出ていた。幾人もの命を取り込んで膨れ上がった魂が、核の内から天へと散っていく。光にはそれぞれはっきりとはしないが顔があったように見えた。その一つと目が合ったような気がして、俺は安堵した。 

 どうにか、賭けに勝ったようだ。

 頬に掛かったギンの血が、俺に勝機を与えてくれた。愛華の使い魔と化していた俺に、同じ使い魔であるギンの記憶が流れ込んだ。

 戻らない俺達を探すため、ギンは【旧新宿区】を発っていた。愛華が使い魔のカラスを通して遠くの映像を見たように、ギンは逆に愛華の視界を得ることで、この場へと向かっていた。その途中、俺が使い魔になったことで、ギンは愛華を経由して俺とも繋がった。 栄坐に太刀筋を読まれ、窮地に陥っていることを理解したギンは、あえて自ら傷ついて俺に血を浴びせ、教えてくれた。俺とギンが初めて相対した時に見せた、腕を踏み台にして身体を浮かせ、回避と二撃を同時に行ったあの動きを。

 俺の学んだ剣にはない挙動、ゆえに栄坐も予測はできない。獣の動きを剣術へと転化できる確証などなかったが、ギンから流れ込んだ経験と捨て身の勇気が俺の背を押した。

 ごほ、と咳き込む。口から血が溢れた。内側もぼろぼろのようだ。呼吸すら痛みが伴う有様だ。

 しかし、決着は着いた。心臓を破壊された栄坐に未来はない。後はただ、消滅を待つのみ――

「マだ、ダ……! むァだダァアアアアア――――ッ!!」 

 栄坐がこちらへ振り返り、うつ伏せに倒れた。その顔は肉が削げ目は落ち窪み、頭髪は抜け落ちている。急速に老化しているように見える。

 骨と皮だけになりながら、栄坐は片腕を掲げた。その枯れ枝のような手に握られ、メルディーナの心臓が怪しく光る。

「オオォ……!! オ、オオッ……!」

 嗚咽を洩らしながら栄坐が大口を開けた。渇き切った頬が裂け、乱杭歯が露出する――もしや栄坐はメルディーナの心臓を喰らうつもりなのか。『魔術師の霊廟』とまで言われた吸血鬼の核、そこには栄坐とは比べ物にならない量の命が内包されているはずだ。取り込めばおそらく栄坐は復活する。

 やめろと叫ぶが声が出ない。腕を伸ばすが挙がらない。

 愛華と恋花が救われるために必要なソレに、栄坐は容赦なく噛み付いた。

 紅の輝く多面体に乱杭歯が突き刺さる。生まれた亀裂から命の光が噴出し、栄坐を包み込んでいく。

「グフ、グフフフファハハハハハッ……!!」

 眩い奔流の中、栄坐は核を咥えたまま笑い始めた。

 網膜を焼き切るほどの光は栄坐の傷へと吸い込まれ、その奥から覗いている心臓の割れ目へ吸い込まれていく。

 ばりばりと音を立て傷が塞がり始める。落ち窪んだ眼球が張りを取り戻し、枯木と化した肉体が生気を取り戻す。

 瞬く間に復活を始めた栄坐、俺は見ることしか出来ない。拾ったはずの勝利が失われていく。今更、自分が這い蹲っている路面の冷たさに気づく。

 光の束を挟んで視線が交錯する。栄坐は眼を細めた。

 だが、次の瞬間、笑んだ両目が大きく見開かれた。

「グ!? ウオ、オオオオオオオ?!?!!?」

 栄坐は急に暴れ出し、両手で顎に挟んだ心臓に掴みかかった。どういう訳か、引き剥がそうとしている。

 しかし、心臓は牙から抜けるどころか、逆に触れた手の指を吸着しているようだった。

なおも力を込めた栄坐の手の指先が、心臓の亀裂の隙間に触れた刹那、ゴム管のように潰れて中へ呑まれた。

「オ、オオ!!? グオオオオオオッ!?!」

 栄坐が身悶える。明らかに様子がおかしい。溢れる光は未だ勢い衰えず、栄坐を包み逃がさない。

 ――逆だ。栄坐がメルディーナの核を取り込んでいるのではない。栄坐が核に取り込まれつつある。

 塞がりかけていた傷口が蛍色の妖しい輝きを帯びる。栄坐の核が喚くように明滅し、徐々に光に侵食される。

 栄坐を捕えたメルディーナの核が一段と輝く。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 白目を剥き出しての断末魔、地の底に堕ちるような叫びと共に栄坐の核が溶けた。追うように内側から肉体が崩壊し、血と肉片と骨の混ざり物がメルディーナの核へと吸い込まれる。

 咄嗟に閉じた俺の目蓋を、薄緑の閃光が透過して迸る。眩みと痛みの中で目を開くと、

そこに栄坐の姿はなく、

「――――」

 無言で俺へと、碧眼を向ける存在がひとつ。

 黄金の長髪が冷風になびく。屋上で斬殺されたメルディーナが、一糸纏わぬ姿で立っていた。

 しかし、その裸体が失っていたものは衣装だけではなかった。胸部からごっそりと、皮と肉が削がれたように失われ、露出した肋骨の隙間から心臓が覗いている。四肢も皮膚の大部分を失い、赤い肉と白の筋が外気に晒され、唯一まともに再生している頭部も、首の据わりが完全ではない。

 変わり果てた姿のそれが、俺へと身体を向ける。一歩一歩、湿った足音を立てて近づいてくる。

 目の前で脚を止めた。音もなくメルディーナの左腕が歪んで伸び、俺の首を掴む。氷のように冷え切った掌に引き上げられ膝立ちになる。頚動脈を圧迫され嗚咽を洩らす俺の眼を、表情のない貌が覗き込んでくる。

 そこにあるのは絶望だった。生を拾った喜びなど微塵もない。

 彼女にしてみれば、伴侶と慕った相手に殺されたままの方がマシだったのかもしれない。剥き出しの核、魔術の道具とはいえ想う相手の傍にいられたのだ。

 だが、慕った相手を取り込み同化してしまった今、彼女は独りだ。故意か過失か、俺には理解が及ばない。が、ただ一つ確かな真実がある。

 もう彼女には何もない。

 首にいっそう深く指が食い込む。俺の身体は痙攣した。眼が裏返えり視界が暗転する。

 ああ、仇討ちか。と、俺は自分でも以外なほど冷静に受け入れた。復讐なら俺もやろうとした行為だ。それをやり返されているだけ。しかも、的外れだった俺とは違い、俺は正しく栄坐の仇だ。彼女は正しい。

 別に死にたい訳ではないが、今の俺に抵抗する術はない。それに今、俺は安心していた。

 栄坐に核を喰われたときは胆を冷やしたが、メルディーナはこうして復活した。ならば、愛華と恋花にも、またチャンスは訪れるだろう。

 一姫もおそらくは大丈夫だ。なんとなくだが、メルディーナに溶けた魂は栄坐、いや西野老人の素の魂だけのように思える。血縁ということで狙われることはないはずだ。

 自然と口の両端が上がった。救うところまでには至らなかったが、三人の未来を繋げることは出来た。ままならなかったこれまでに比べたら大きな進歩だ。

 最後の最後で胸を張れた。祖父さんにも、笑って会えそうだ。

 意識が白く染まり、消し飛びかける。いよいよかと受け入れる。

 身体から何かが引き剥がされる感覚を覚え――不意に呼び戻された。

 首の拘束が解かれぬまでも弱まった。裏返っていた眼球が前を向く。暗転する前と同様にメルディーナの顔がある。ただ、何だろうか。どこか――

「――――」

 彼女の口が動き、掠れた声を微かに洩らした。紡がれた言葉に俺が放心していると、メルディーナは右腕を振り上げた。黒い刃が握られている。

 次の瞬間、彼女の身体が大きく横に揺れた。

 メルディーナの拘束が解かれる。ごぽりと血の塊を吐く彼女の真横に、まるで縋り付くようにして何者かが立っていた。

「させ、ない……!」

 愛華だ、愛華だった。ボロのようになった身体ごとメルディーナにぶつかった彼女の手には、俺が取り落とした【顎】の柄が握られていた。分厚い刃は右側面から肋骨に割り入り――メルディーナの核を両断して、左へと貫通している。

 何をしているのか。核を破壊してしまっては――愕然とする俺の目の前で、愛華は【顎】をメルディーナの背骨側へと力任せに振り抜いた。

 両断されたメルディーナの身体が宙に浮く。虚ろな瞳と視線が合う。愛華が俺に覆いかぶさった。刹那、栄坐を斬りつけた時とは比べ物にならない衝撃が迸る。炸裂する烈風に混じり、幾千人を越える末期の悲鳴が鼓膜を貫き、五月雨の如く血の雨があたり一面を殴りつけた。

 やがて静寂が戻ると、血みどろになった愛華は息を切られながら起き上がり、俺の上体を抱えて引き摺り出した。

「……はぁはぁ、げほっ」

 咳き込みながら、愛華は俺の身体を下ろす。隣にふさっとした熱を感じる、ギンだ。息があるようで安心していると、愛華は手を月へとかざした。黒い小さな影が降りてくる。霞が掛かった思考でそれが鴉だと気づいたとき、俺は転移の光に包まれていた。




 屋敷へと帰還した俺達は、魔法円の中で川の字に倒れていた。しばらくして愛華は立ち上がり、部屋にある薬ビンの中身を片っ端から俺とギンに浴びせ、自分も浴びた。

 薬のおかげで若干痛みの引いた俺は、仰向けのまま顔だけ愛華へと向け話しかける。出た声は酷く掠れていたが人語の体は取れていた。

 なぜ斃した、心臓を壊してしまっては目的が――そう言った俺へ、脇に座る愛華はきっと睨みつけた。

「知らないわよ……! 身体がああしてたのよ……! 殺されそうなアンタを見たら、咄嗟にやっちゃったのよ……!」

 唇を震わせる愛華。俺が謝ると、見えるように拳を固めた。

「そうよ……! この馬鹿……! アンタが…… アンタが……」

 振り下ろされた拳が額に当たる。いや、そっと触れる。

「死なれちゃ…… 困るような…… 人間なのが悪いっ……!」

 拳が開き、掌が俺の両目を覆う。暗闇の向こうから鼻をすする音が聞こえる。俺はもう一度謝り、続けて礼を言う。

「……いいわ、いいのよもう」 

 手が退く。再び見えた愛華の顔は、俺からつんと視線を逸らしていて、目元が少し赤かった。

「それより、今はアンタの治療を続けるわ。無茶してボロボロじゃない……」

 呆れた感じの口ぶりで愛華は立ち上がると、新しい薬ビンと見覚えのある御札の束を俺の横に起き、剥き出しの上半身へ処置を始める。前面が終わると寝返り強制、背面も同様に薬を塗って御札を張る。

 と、尾てい骨の上に乗せた手が、おもむろにズボンへと掛かった。

「ちょっと、何で抵抗するのよ。しんどいからさっさと終わらせたいんだけど」 

 反射でズボンを押さえた俺に愛華が抗議する。が、抗議したいのは俺のほうである。

「……コレは直に塗って張らないと効果ないのよ。さっさと剥かれなさい」

 なんて台詞を吐くのだ。大胆過ぎやしないか。

「わ、私だってアンタの下半身なんて拝みたくないわよ、毛深そうだし! でも処置が遅れて足腰ダメになられても不愉快なの! いいから善意を受け入れろ!」

 羞恥心を誤魔化すためか、半ギレ状態で強引にズボンを降ろそうとする。その時、引っ張られた布地の内側、ヘソの脇に違和感を感じた。何かが挟まっている。ひん剥かれる前に俺はそれを取り出した。

 愛華の手が止まる。

「え、え? ミライ、それ確か…… どうして……?」

 愛華は困惑している。俺も同じ気持ちだ。どうして俺が【これ】を所持しているのか。 刹那、【彼女】が最後に見せた顔が脳裏を過ぎる。俺の首を絞め、槍を向けた【彼女】は何かを俺に囁いた。それが何かは、記憶が混濁して思い出せない。

 だが、これが俺の手に移る機会はあの瞬間しかない。ゆえに判る。【彼女】が遺した言葉も。その最後が【彼女】の望んだ末路だったことも。

 俺は愛華へと視線を移す。ないとは思うが【これ】に何か、細工が施されていないか確認を取りたかった。

 しかし、聞くには俺の気づいたことを伝えねばならない。おそらくは愛華が損な役を押し付けられてしまっていたことを。心身ともに疲弊した彼女に、これ以上の心労を負わせたくはない。

 どうしたものかと悩んでいると、

「それ、見せて」

 意外にも愛華から点検を申し出てきた。言われるまま渡すと、裏表を軽く確認してすぐに俺へと返してきた。

「大丈夫、何もないわ。 ……私も平気よ」

 【それ】の端に血が滲んでいることに今更気づく。心を、読ませてしまった。

「……正しさって、何なのかしらね」 

 沈んだ声で愛華は呟く。それは俺にも判らない。

 正しくあろうとして何もかも失敗し、何もかも失った【彼女】。

 俺への復讐を果たさずに【これ】を静かに託したのは、正しくあることが最後まで【彼女】の拠り所だったのか。或いは別に真意があるのか。真実は永遠に判らない。   

 ともかく、【これ】は俺が所持すべきものではない。【これ】にはあるべき場所が、正しい持ち主がいる。

 俺は自力で横転し上体を起こす。一気に痛みがぶり返して来るが、問題ない。

「……呆れた。何度も思ったけど、ホントに人間なのか疑わしいわねアナタ」

 その言い様は地味に傷つくから止めて貰うとして、俺は愛華に相談を持ちかける。

「今から? 本気?」

 俺が頷くと、愛華は頭を押さえた。

「いいから一晩くらい大事を取りなさい、って言っても聞く気ないわよね。その顔」

 まだ短い付き合いなのに、愛華は俺を理解してくれているようだ。何となく頼もしく思っていると、

「ええい笑うな! こっちは心底バカねと思ってるんだから!」

 そう言って愛華は薬ビンと御札を押し付けてきた。

「私はギンを運ぶから、その間に自分で処置して! それが出来たら往復分の血くらい分けてあげるわよもう!」

 愛華は立つと、ギンを抱えて付きながら部屋を出て行った。

 俺は心の底から感謝をしつつ、見よう見真似の治療を下半身に施す。


 十数分後、俺は再び使い魔となって【旧新宿区】から跳び出した。  

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