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無窮の空  作者: 鴉拠
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1-3  あいされること


―― おしゃべりな魔人は、一人ぼっちの姫のために世界を語りました ――


~ ソヴァロ童話集 八章 真白姫の魔法 より ~




『世界に愛される才能』。


それが私に与えられた他者からの評価で、枷で、まぎれもない事実だった。




そもそも私には、幼い時の記憶が無い。気が付いたら私がいて、父様がいて、母様がいた。私の記憶は、そこから始まった。それ以前は、無かった。


もう七年にもなるだろうか。私が初めて世界を知覚した瞬間は今でも鮮やかに思い出せる。


緑青の髪が、真白の髪が風に弄られ乱れる中、その二対の瞳は決意を湛えて、伸ばす腕は真っ直ぐに私に向けられていたのを覚えている。


そこで一旦記憶は途切れ、次に目覚めた時には今のような二人が両親として私の前に存在していた。


彼らの事を、私は最初は他人だと思っていた。


でも、彼らはぼんやりとはっきりしない思考に囚われた私の手を握り、根気強く、ゆっくりと私が事態を飲み込み、理解するまで話続けた。


私の名前はシオン。ディミオス家の一人娘で、歳は九つ。父親のセルペンス・ディミオスは純血の魔人。母親はフラウラ・ディミオス。エルフと混血の獣人の混血で、兎と獅子とエルフの特徴を持っている。


そんな二人の職業は拷問官と処刑人で、大恋愛の末に逃避行をし、この職に流れ着いたのだという。


一体どんな流れでそこに行きついたのかが非常に気になる人たちだったから、乞われるままに一緒に住み、徐々に親と子という関係に馴染んでいった。


彼らは私に色んなことを教えてくれた。


世界の成り立ち、神話、精霊のこと、魔法のこと、国のことに、一般常識、そして、いつか役に立つからと体の動かし方と壊し方まで、懇切丁寧に解りやすく教えてくれた。


始めは話し方に興味を引かれ、実践することに楽しさを覚えた。


けれど、なかみ・・・に興味は懐けなかった。


不思議なことに、私は彼らが教えてくれることを、聞くまでもなく知っていた。一を聞いて十を知るような、見出しの付いた引き出しを開けるような感覚はどこか懐かしくさえある。


だから私は知識を形にすることにだけ楽しみを見出し、熱中した。それが彼らの目には、とても良いことのように映っていたようだったから、可笑しいだなんて思いもしない。


さらに不思議なことに、私にはこの世界にはあり得ないはずの知識も持っていた。どこの国にもない言語と文字、法則は、最初から私の魔力にすとんと落ち着き、馴染み、私固有の魔術として認識されていた。これも、二人は凄いねと褒めるだけだったから、素直に喜んだ。


精霊達の姿が見え、意志疎通が容易にできることも、彼らが非常に好意的であることも、魔力量が人よりも突出多いことも、私の属性に垣根が無いこともすべて、二人はただただ、シオンは凄いね、偉いねと言って褒めて、扱い方を教えて、上手にできたらまた褒めての繰り返し。


だから私は、それが頑張ればみんな出来ることだと思い込んでいたのだ。


小さい子が文字を書けるようになったことの延長線なのだと、誰もが皆、やればできるのだと。


そんなことはないと知っていた癖に、褒められたことが嬉しくて忘れてしまっていた。


それがどれだけ異常なことか、自覚したのは父様たちと出会って二年目の、酷く暑い夏の日ことだった。


当時八歳だった私は、いつも通り近所にある基礎教育学校へと向かい、いつものように勉強してた。


基礎教育学校は七歳になった子供が、平民は基本二年間、少し上の中流以上は四年間必ず通うことを義務付けられた学校である。


一番最初、基礎も基礎を教える学校だったので、すでに両親から色々と学んでいる私には退屈なものが多く、ただでさえ詰まらない授業が暑さのせいで一層怠く感じられた。


けれど、何事にも例外というものは憑き物で。


習うより慣れろをモットーとする魔術教師の授業と体育の授業だけは、怠さも吹き飛ぶくらいに好きな授業だと断言できた。


暑いから、ということで予定されていた水属性の魔術の時間、私は教わるままに魔術を放ち、青空の下、皆で大きな虹を創ろうと躍起になった。


魔法を扱う魔人の国で、手間も暇もかかる魔術を行使するのは新鮮で楽しくて、だから私は魔力に糸目をつけないくらいに夢中になって、皆もこの無駄な手順にあふれた魔術に夢中になって、終いには水かけ合戦になってしまうくらいに、誰もが皆、その時間を楽しんでいた。


きゃらきゃらと甲高い笑い声が響く真昼の夏空、石ころは坂道を転がりだしたのは、その時だ。


魔力量にものを言わせた、戦法とも呼べないような戦法で戦う私に、負け通しで腹が立ったのだろう。クラスのリーダー格の男の子が、不意に陣を綻ばせると、むすっとした顔で私を睨んだ。



「なんだよこれ、ずっとシオンばっか勝って楽しくない。おまえ、ズルしてんじゃねぇの?」



その一言に、今まで笑っていた子供たちがぴたりと動きを止め、少し考えたあと、**くんのいうとおりだと、誰かが言う。



「そうだよ、シオンちゃんばっかりズルいよ」


「だよな。オレだってシオンちゃんくらいマリョクがあったら、ぜったい勝てるし」


「ズルいよね。ぼくらのマリョクは生まれたときにきまってるのに、それにしたってシオンちゃんは多すぎだと思わない?」


「おもう~、サイノーの差だよね。あたしだって勝ちたいのに」


「っていうかさ、シオンちゃんってちょっとヘンだよな」


「そうそう、なんでセンセーに教えてもらってないことも知ってるの?」


「それにセントウも強すぎ。バカみたいにつよいじゃんか」


「バケモノみたいだよな~」


「わたし前からおもってたんだけど、シオンちゃんってなんかニガテ」


「なんていうか、大人ぶってるよな」


「わたしなんでも知ってますって、バカにしてるのかな?」


「そうなんじゃない?なにせ、すっごいサイノーのもちぬしなんだから」


「……わたし、もうシオンちゃんと遊ばない。どうせシオンちゃんが勝つんだもん、つまんないよ」


「シオンちゃんって、つまんない」


「シッ、あんまりいうと、コロサレちゃうかもしれないぞ」


「サイノーのあるやつはタンキだから、すぐコロシちゃうんだって」


「うわーこわい!」


「こっちくんな、バケモノ!」



それを皮切りに次々と溢れ出した不満の声は、いつしか私以外の子供に伝播し、一部の否定は全体への拒絶と化して、ついに私は孤立した。


少し所要で席を外していた先生が異変に気づいて子供たちを宥めても、空気を読むことに長けた子供たちは、自分たちの吐いた言葉のせいで、すでに引き返せない所まで来ていることを敏感に察知して、口先だけの謝罪を零すと、一目散に私と距離を置いた。


私は、あまりのことに理解が追い付かず、ただただ呆然と突っ立って、気まずげに身じろぎするリーダー格の少年を見ていることしかできなかった。


それからは、石が坂を転げるのは早かった。


遠巻きに自分をみてはヒソヒソと言葉を交わす子供たちに言われたことを反芻し、振り返り、比較してみて愕然とする。


今まで当たり前だと思っていたことが、彼らにとっては当たり前でなかったことに、顎を落としそうになるほど驚いた。


世界の成り立ちの神話も、彼らはおとぎ話程度のことしか知らなくて、神学者なんて言葉も知らなかった。


魔法だって感覚的に使っているだけで、論理的に説明できないし、魔術に関しても何故陣や呪文が要るのかなんて知りもせずに使っていた。


自分たちが住んでいる国の特色も、他国との関係も大まかにすら知らなくて、軽いマナーも何が悪くて何が良いことなのかもまだまだ学び始めで、身についてはいないようで。


精霊の姿も詳細が見える者は周囲にはおらず、意志疎通なんて出来る者の方が少ないと知ったときは、思わず頬をつねったくらいだ。


魔力量だって、比べてみれば一目瞭然だったし、属性が四つ以上あるものは珍しいとか、固有の魔術を持っているとか、そんなのは私のほかに誰一人としていなかった。


褒められることに気を取られすぎて、周囲に向ける目が疎かになっていたことが悪いのだろうか。


小さな子供は良くも悪くも純粋で無邪気で。


だからこそ、彼らは一体多数の状況と全能感と背徳に酔い、その行為を悪いと思う事すら止めた。


いかに大きな力を持っていても、一人では無力なのだと知った瞬間だった。


自分と他人との差異を比べれば比べるほどその溝は深く広くなり、私の心に言い知れない不安を残す。


不安は何時しか肥大化し、何とか自分を型に収めようと無茶と無理を肉体に強いては、慣れないことに振り回されて心のバランスを崩していく。


どうにもならないほどの悪循環だった。


どちらかといえば精神に拠るモノである魔力も、心の揺れるままに揺れ、不安定な魔力が生み出す魔術や魔法にはムラが出てくるようになり、時には自身に牙を剥き、時には大地を抉るほどの荒々しさを見せるようになった。


そうなってくると、流石に大人たちだって気づいてくる。


両親は早いうちに気づいていたようだったが、私が止めた。友達とケンカをしてしまっただけだと言って、二人の介入を拒絶した。


自分の口が紡いだ友達という単語が、ひどく薄っぺらいモノのように感じたが、それも飲み込んだ。


笑っていれば誰にも心配をかけないと気付いた時は、諸手を上げて喜んだ。



「父様、母様、私、ちゃんとがんばりますからね」



精いっぱいの作った笑顔に、父様と母様はひどく苦しそうに笑っていた。


そんな風に誤魔化し誤魔化ししていても、綻びは必ずやってくる。


それは奇しくも、あの日と同じ水の魔術の時間だった。


最初の頃なら、私はそれなりに仲の良い子と組んで、チームの有利に事を進めただろう。


けれどここ最近の私は孤立していて、周りには敵しかいない状況。的にされない、という方がおかしいだろう。


開始の合図とともに降り注ぐ水弾は、一発一発は弱いのに、量があるから小さな川のように見えた。


避けては打ち込み、逃げては防ぎを繰り返し、いざ反撃という時に、私は大きなミスをしてしまった。


ただでさえ不安定な精神状態なのに、切っ掛けとなった授業を受けていて、それなり信頼して楽しくやっていたと思っていた友達からは苛められて。


正直、苦しかった。ひどく息がし辛くて、胸に鉛が流し込まれたかのように重苦しくて。


だから。



―――解放されたいと、願ってしまったことが、罪だったのか。




小さな願いに触れた魔力は陣を書き替え、小さな弾丸は巨大な蛟へと姿を変え、子供たちを襲った。


今まで踏みつけていた雑草に反撃された子供たちは、本能の赴くままに泣き叫び逃げまどい、許しを乞うてはまた泣いた。母を求める声に、助けを求める声に、蛟は容赦なく水をぶつけた。


その日は先生がいたから、蛟は直ぐに解かれて消え、後には水浸しになりながら泣きわめく子供たちと、怒りに目を吊り上げて私の頬を打つ先生と、それを甘受する私だけが残った。


横目でみたリーダー格の少年は、震える声で、小さく『バケモノ』と呟く。


私は、なにも言わなかった。


ただ、その一言がストンと胸に落ちてきたから、今度からは皆に合わせるのは止めようと思った。


無力な強者は、馴れ合うから駆逐されることに気づいた瞬間だった。


その後、連絡を受けた親たちが子供を守るように抱きかかえては私を睨み、罵詈雑言を並び立てたけれど、すぐに飛んできた父様と母様が、私が皆につけられた怪我を晒したらみんな黙って目を逸らして、足早に逃げていき、私を打った先生は顔を青くして口を噤んだ。


暫く校内に留まっていたけれど、謝りにくる人はいなかった。


二人に手を引かれて家に帰り、鞄を部屋に置いたところで、私は二人に呼び止められ、震えながら謝られた。


気付いていたのに止められなくてごめん、守ってあげられなくてごめんと、血を吐くような声に、どうして二人が謝るのかが不思議でならないと首を傾げる。


むしろ謝るべきは私だと、今まで世間知らずなままで、きっとどこかで二人に迷惑をかけたはず。こんなに異常な私がいて、さぞかし不快だったろうと謝れば、二人はポカンと口をあけたあと、その瞳にみるみるうちに涙をため、何かに耐えるように拳を握って、失敗して、私を抱きしめた。



「そのままでいいよ、今のシオンを愛してる、愛してるんだ!」


「だから、そんな悲しいことを言わないでちょうだい。貴女は私たちの宝物なんだから!」


「ごめん、ごめんね、守れなくて、ごめんね?今度から絶対、僕らが君を守るからっ!」



『ごめん』と『愛してる』を交互に叫び、咽ぶ両親が私にしっかりと絡ませた腕にそっと手を添えて、顔を伏せる。温かな体温が、いつの間にか冷えていた手にじわりと沁みる。


そんな私に二人はますます感情を高ぶらせ、終いには大声を上げて泣き出してしまった。





それから私は泣き止んだ両親に、私の事を改めて聞いてみることにした。


最初はまごついていた両親も、いずれは知っておくべきことだから、と、私の手をきゅっと握る。


彼らが言うには、私は『世界』から愛されているらしい。


あらかじめ引き出しにしまわれていた知識も、途方もない魔力量も、精霊との意志疎通能力も、バカみたいな属性適正も、私が『世界』に愛されているが故のことなのだそうだ。


この世界にはない知識には説明がつかないけれど、それにも『世界』が関わっているというのが両親の見解だった。


本当ならばそこそこのレベルで学校を卒業したら、貯めたお金で隣の『ソヴァロ大陸』にある『ヴォラス大森林』へ行き、エルフに交じって家族みんなで静かに暮らす予定だったのだが、今回の件でそれは叶わなくなってしまった。


ここ、『モサーネド魔王国』は強者揃いなだけに、実力のあるものは青田買いの要領で国から目をつけられてしまう。


今までは片田舎ということもあってだましだましやっていけたけれど、今回のことは子供がすることにしては規模が大きく、教育者の見直しも必要だということで、国から使節団がやってくることになっていた。


実力もなにも、今回の件で何事にも過剰に魔力を注いでしまうようになってしまった私が魔王国の強者に名を連ねることがあるのだろうかと思うが、そこはそこ、矯正するなり適応する部署に配属するなりしてしまえば問題ないと母様が言う。


そうなってしまえば私を自由にさせてあげられなくなる、と言って、父様は私に二つの道を提示した。


一つは、今すぐこの国を出てヴォラス大森林まで行き、自給自足の生活を営む道。


もう一つは、大陸間に架かる橋の中継ぎの島国『リーヴル学園都市国家』で学ぶ道。


前者のメリットは家族全員で終生過ごせることと、嫉妬や害意が届きにくく、穏やかに過ごせることで、デメリットは自給自足の生活が主軸なので、閉鎖的な世界に終わってしまうこと。


後者のメリットは今すぐ出ていかなくても良い事と、やりたいことを探す時間と選択肢が得られることで、デメリットが今回のような悪意に触れる可能性が高くなることと、暫く国の干渉が煩わしいこと。


後者に関して、入学するために必要な頭脳と技量は?と聞いたところ、シオンちゃんなら問題ないといい笑顔で言い切られてしまったから、考えないことにする。


両親としては私を煩わせる全てから遠ざけたいが、自分の将来は自分で考えさせてもあげたいらしく、国を飛び出すなんて突飛な事を平然とやってのけると言う二人がそんなことで悩んでいるのを見ると、少しだけ笑えて、胸の奥が温かくなる。


これが愛されるという事ならば、この温もりだけを抱えて高飛びするのもいいかもしれないと思ったが、もしも万が一、処刑人に拷問官なんていう、国の機密の一つや二つや十は握ってそうな職種の二人に追手がかけられたらと思うと、そうも言っていられない。


最低で追手を撒けるくらい、最高は国にこれ以上は無駄だと思わせるくらいの手際で追手を仕留められるくらいの力と経験が欲しかった。


だから私は二人にこう提案した。



「頑張って勉強して、学園に行って、卒業したら皆で大森林に行きませんか。それまでには二人を守れるくらい……だれにも邪魔されないくらいに強くなって帰ってきます」



そうして頑張って勉強して、死に物狂いで戦って、国のお偉いさんからの引き抜きを躱し続けて。


やっとのことで入学許可証を手に入れた時、嬉しくて泣き出しそうになった私が泣く前に、両親が号泣した。びっくりして涙が引っ込んで、代わりに笑顔が出てきて、それからじわりと眦が濡れる。


職種故に市街地から外れた場所にある家だから、遠慮容赦なく感涙に咽ぶ二人を抱きしめて、これじゃあどっちが親かわからないな、なんて思いながら、二人にありがとうと愛してるの言葉を送れば、その何倍にもなって返ってくる愛の言葉に、私の頬は緩みっぱなしだ。


その後、学園に呼び出されてひと悶着起こるのだが、それは、まぁ割愛して。


特科故に与えられた一人部屋に荷物を搬入し終えた私は、いつでも帰っておいで、愛してる、と泣きながらゆるゆると家路につく両親を寮の門から見送る。


明日は入学式でこれからだという時に、二人はぶれずに娘の心配をしている。


いざという時になって離れたくないと駄々をこねたから『通信鏡』まで作って渡したというのに。


呆れつつも、想像以上に愛されてるんだなぁ、と嬉しさに染まる頬を誤魔化すように笑みを深くして手をふる。


もう大分距離が開いたというのに、二人は声が届く限り叫ぶつもりなのか愛してると叫ぶものだから、先ほどから先輩として手続きを手伝ってくれたウェーナートル先輩がくつくつと笑いっぱなしだ。


ようやく声も届かなくなった頃には、一文字に引き結ばれていたはずの口元が苦笑に歪んでいた。



「愛されているな」


「……過分なまでに」


「良い事だ。しっかり受け取っておけ」


「勿論です。一片たりとも零しませんよ、勿体ない」


「なんだ、案外似たもの親子か」


「褒め言葉として受け取りましょう」



なんだそれ、と笑い続ける、険の抜けた年相応の顔がなぜか眩しい。


思わず目を細めて、言われた言葉の嬉しさに笑みを浮かべる。



「だって、嬉しいですから」



似ていると言われた、その事が。


両親は記憶を失った『私』を愛して沢山の事を教えてくれたけれど、記憶を失う前の『私』のことと、記憶を失うことになった切っ掛けは教えてくれなかった。


昔の私のことは愛してくれていなかったのか、それとも記憶を失っても私に変化がなかったからかは解らないし、聞く勇気もない。


見た目は少しずつ両親の特徴を繋げて足した容姿をしているから、いつだってちゃんと『親子』として認識してもらえていた。


でも、内面のことには誰も触れてくれなかった。


もしかしたら『前の私』のほうが二人に似てたかもしれない、なんて仮定の話に一人で勝手に怯えていた。


だから、似た者親子と言われたことが、とても嬉しかった。


ちら、と踵を返して自身の寮に帰る大きな背中を見送る。


茜に染まりかけた空が先輩の影を大きく伸ばして、その耳に備わる髪と同じ色の、けれど水晶のような滑らかな竜鱗を赤紫に染め上げる。



―――あのひとは、いいひと。



そうして自分の中で分類分けして、『スペルビア・ウェーナートル』という『いいひと』になった先輩の名前を口の中で転がす。



―――あしたから、たのしみだなぁ。



幸先のいいことだとうっそりと笑みを深めて、遠くなる影に背を向ける。










ぎぃ、と音を立てて、シオンの一日は終わった。


明日も同じ音が、今度は始まりを告げるのだろうと思うと、シオンの心は高揚した。












次は入学式。入学式といえば……?

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