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無窮の空  作者: 鴉拠
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1-1  少女の夢は

 ―― 皆、私の事などどうでもよいのだ。ただ、そこに飾られていることが重要なのだ ――


 ~ 聖王叙事詩 第十三巻 烈火の民の章より ~



あの日は、多分だけど何か大事な事があったんじゃないかと、今更になって考える事がある。


正確にはあの日に“起きたこと”ではなく、あの日にみた“夢のこと”だけど、それでもはっきりと昨日のことのように思い出せる。


あの日がなんなのかも、それ以前に何があって、どんな生を歩んできたのかも曖昧な夢に分類されるようなものだったが、それでも、私はそれを“思い出”せた。


その夢は、どこか遠くで鳴るブザーの音で始まった。


瞼を閉ざし、赤ん坊のように丸まりながら、熱くも冷たくもないぬるま湯に浸かっている。

胎盤の中、生まれるのを待つ、胎児にしては成長しすぎた体を持つ私は、ただただ波間に揺れるのみ。


ここまではいつもの夢なのに、その耳障りな音が私の思考を止めた頭を揺り起こす。


いつも、外側から聞こえてくる優しい声ではなかった。

冬の町、窓辺に灯る明かりのように、心に小さな温もりを残していく、そんな声が聞こえない。


―あの人が居ないなら、まだ、ずっと、このままで。


いつもとは違うけど、たまにはこんなこともあるだろうと、私の思考に再び靄がかかりだす。


相変わらず音は遠くて、くぐもって聞こえる。その中にちらほらと別の音が混ざるけど、全て断続的でそう長くは続かない。だんだん近づいてきている気がしないでもないが、目を開けるのが億劫で確認する気も起きなかった。


けれどふと、今までで一番近い場所で、今までと違う、何かがひび割れるような音がしたのには流石に反応して瞼が震えた。


その僅かな振動に揺らされてか、そのプラスチックに罅が入ったような安っぽい音は一気に広がり、予想に反して儚い音を立てて辺りに散らばり、そして……



「シオン?どうしたの、ぼーっとしちゃって。具合でも悪いの?」



不意に掛けられた声にハッとしたと同時に、白昼夢を見ているようなふわふわした頭が一気に冴えた。

素早く現実に引き戻された頭が、未だに夢の残滓を残す目に無理やり像を結ばせる。


現実に戻れば、そこには私を心配そうに覗きこむ女性と、彼女の肩を抱く男性の姿があった。


その顔を見た瞬間に、深く腰掛け、背中を預けていた革張りのソファの背もたれから背が浮き、背筋にピン、と糸が張ったような心地になる。


濃緑と金色で品良く纏められた室内は落ち着いているのに、彼女達はどこか焦っているように見えて。その対比に気付いてようやく、自分がどれだけ長い間意識を飛ばしていたか悟る。


歳のせいではない純白の頭髪を背中まで伸ばした、桃色の瞳の女性、つまり私の母親に、緊張しただけだと苦笑してみせた。


その様子にどうにか納得してくれたらしい母様は、確かに現実逃避もしたくなるわねと、私の悪癖を持ち出してからかってくる。


その無邪気に笑う顔は、どうみても三十を過ぎたとは思えないほど愛らしい。道理で父様がベタ惚れなわけだ。


その父様も母様の笑顔を見た途端、顔をほんのり赤くして爽やかな笑みを浮かべるものだから、今まで緊張感の漂っていた応接室が我が家同様の新婚生活真っ最中の新居状態に早変わり。


緑青色の目にかかるほどに長い同色の前髪を払い除けてまで母様を見つめるその顔は、夫婦であるというのにまるでまだ恋人同士だという程に甘ったるい。


私の現実逃避が板についたのは、両親の何年経っても薄れない愛情とぶれない空気クラッシャーのスキルのせいだとつくづく思う。


いくら私が二人の子だからといっても、親のいちゃこらは、見ていて非常に疲れてくる。主に精神面で。


改めて客観視してみると、この夫婦は本当に仲が良い。


二人とも普通より少し可愛い、少し格好良いくらいの容姿だけど、こうして未だに恋愛中二人を見ると、いつも以上に輝いて見えるのだから愛……いや、恋とは不思議なものだと思う。


そんな風に再び意識を飛ばし、桃色の空気に中てられないようにと目線を壁へと向けて耐えていると、部屋の雰囲気に相応しい、重厚な樫で出来た大きな扉の向こうに人の気配を感じて立ち上がる。


それとほぼ同時に母様と父様も立ち上がり、今までの空気などまるでないかのような所作で扉を振り返った。


数瞬後、しっかりと響いたノックの音と、観音開きの扉が音もなく絨毯の上を滑る様を、その向こうから一人の老人と一人の年若い青年が入室したこと知覚し、揃って頭を下げ、遅れてきた入室者を迎え入れる。



「遅れてしまい申し訳ない。顔を上げて、そこのソファに掛けてくれないかの」



その様子に苦笑した気配と、罰の悪そうな気配がしたあと、声をかけられて顔を上げた。


老齢と評せるようなしゃがれた声と、長と呼ぶに相応しい自信に満ちた、けれど温かな声を発した老人は、清潔に整えられた白い髭をなでながら、穏やかに凪いだ薄い緑の瞳でソファを勧めてくる。


そばに立つ青年は、この場にいる誰よりも背が高く、その秀麗な……いや、どちらかといえば精巧な顔と鴉の濡れ羽色をした夜のような髪、そして酷薄そうに煌めく銀灰色の瞳と相まって、どこか威圧的に見えた。


ほれ、お前さんもと同じように促された青年は老人の隣へ、私たちは彼らの正面の、もといた場所へと腰掛ける。

黒い革が体重に圧されて沈む感触が、先ほどとは違って気まずく感じた。



「こちらから呼んでおいて、客人を待たせてしまうとは……本当に申し訳ない」



そう言いながら、老人が指をちょいと曲げ、初めからあったワゴンから、既に準備の整えられたお茶とお茶菓子を風で手繰り寄せ、全員の目の前に音もなく、お茶の水面を揺らすこともなく置く。


たったこれだけの動作で、相手が如何に素晴らしい腕を持った魔術師かが伺え、私は一層、重たいものを背負い込んだ気分に陥る。


表面上は、ありがとうございます、いいえお気になさらずに、なんて取り繕ってはいるが、内心は気が気でなかった。

いきなり、目指すべき、超えるべき高みを見せられたような心地がして、息苦しささえ感じる。



「それでは、まずは自己紹介からかの。儂はロード・ロウ。この学園都市の学園理事長をしている、この都市の領主ロードじゃ。そしてこの子が学園の自治会副会長を務めるスペルビア・ウェーナートル君。そちらのご息女より一つ年上じゃの。そちらは?」



そんな私の心の内を知ってか知らずか、老人、いや理事長は好々爺然とした表情を崩さずに青年を軽く紹介し、父様に水を向けた。



「どうも、僕はセルペンス・ディミオス。そしてこちらが妻のフラウラ。二人で処刑人と拷問官をしています。そして、この子が娘のシオン。いやぁ、いくら必要とはいえ、自分の職業を明かすのはちょっとドキドキしますね」



父様はというと、湛えていた微笑をそのままに、事もなげに言い放った。


瞬間、水を打ったように静まり返る室内に、私は行儀が悪いと知りながらも、天を仰がずにはいられなかった。


両掌を目に当てて、真っ暗な視界のなかで息を吐く。


今までの緊張感が、一気に吹き飛んだ。


先ほどまでは息苦しさに押しつぶされそうだったけれど、いまは気まずさに殺されそうだ。心なしか胃が痛くなってきたような気さえする。


ちら、と指の隙間から覗いた先では、青年が驚いたのか目を丸くしていて、銀灰の瞳が月のように煌めいていた。


理事長は事前に知っていたのか、飄々とした態度を崩さないまでも、あっけらかんとした二人の態度に少々面食らったようで、その枯れた手がゆら、と動いた。


私はもう慣れてしまったが、この二人はのほほんとした普通の夫婦のようでいて、そうでない。


そして、処刑人、拷問官と聞いて思い浮かべるような、恐ろしいイメージが先行するような性格では決してない。


二人ともが温厚にして誠実、正直者で努力家、家事能力に定評のある優しく愛らしい奥さんと、優男に見えて意外と力持ちで決断力のある旦那さん、と、周囲の評判を裏切らない人物だ。


そんな、普通よりはちょっと恋愛脳が落ち着かないだけの夫婦の普通でないところが、その職業。


血腥さと陰惨さにかけては、王侯貴族の謀略にも引けを取らない、まっとうな人間ならなりたがらない職業の上位にランクインし続ける強者を、何故かこの夫婦は事もなげにこなしているのだ。


性格良し、器量も悪くなく、世間様からの評判もそこそこ。なのにこの職業。


驚くだろうなぁ、とは思っていたけれど、ここまでとは思っていなかったと、私は手を下ろし、苦笑の形に顔を変え、正面に座る理事長を見やる。



「すみません、父様はいつもこうなんです。どうかお気になさらず……お話を続けても?」


「そうかそうか、解ったよ。それでは、続けようかの」



そうすれば、理事長は余裕の笑みを崩さないままに、話の軌道修正を図る切っ掛けに手を伸ばし、髭を撫でていた手を離した。



「それで本題なんじゃがの、今日、ディミオスさん達を呼んだのは他でもない、そちらのご息女の本学への入学の件なんじゃが……」


「何か不備でもありましたか?やだ、まさか入学金の振込み忘れ?それとも名前の書き忘れ?」


「フラウラ、それはちゃんと確認したじゃないか。自治会の生徒さんがいらっしゃってるのなら、自治会費の納入のほうじゃないか?」


「二人とも、理事長がお話してる途中ですよ」



言いよどむ理事長を前に、二人があれかしら、これかしら、と言葉を連ねていくのを留め、早く進めてくれと目配せをする。早くしてくれないと、二人はすぐにまた喋りだしてしまう。


割と切実な思いで送った視線をくみ取った理事長は、急に顰めつらしい顔をして、顎の下で手を組みなおして、言った。



「単刀直入に言おう。シオン・ディミオス君、君は本校入学時より、特殊属性保持者クラスへと入学してもらう……君が本来希望していた魔剣科とは違うが、希望すれば魔剣科と同様の授業が受けられるから、心配はいらんからの」


「………………はい?」






あの、それって一体、どういう事ですか?






シオンちゃんポカーン(´艸`)


四月二十九日 一部修正


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