稲穂波
「紅葉の季節になりましたね」
「つまりもみじ饅頭の季節ということですね」
「……まあ、そういうことになりますね」
「穗高君、穂高君。あれは一体なんでしょう」
「あれは、砂糖を一度溶かし、細い糸のようにして棒に絡めた菓子です」
「菓子なのですか、まるで雲のようですね」
「綿菓子と言うのです」
「それは素晴らしい!」
「……。一つ買いましょう」
「………………。いいえ、駄目です。文具屋でお会計ができなくなってしまいます」
「可愛い方ですね」
「……あ、ありがとう」
動揺した。
雪隆も穗高も明蘭にとっては未知の存在である。望まずして王宮に身体を差し出した。しかし幸運にもそれは誤解であった。そういうふうに理解しているが、その部分の真相も結局は、皇子の口から聞かなければ、結論付けることはできない。
「文具屋が見えましたよ」
しかし穗高は時折謎めいた言動をする。明蘭のことを可愛いといい、まるで西の方の国で騎士が姫を守るような方法で、明蘭に接するのだ。明蘭を男性と認識していながら、まるで貴婦人に接するように明蘭に接する。
謎めいている。もしや穗高は望んで後宮に入ったのか。いや、しかしそうだとすれば、誤解が解かれた後は後宮に留まる理由がない。今のところ身の危険を感じるということはないが、万が一のことがあれば、明蘭の身の上が明らかになってしまうだろう。
それは香蘭にも迷惑をかけることになる。なにせ皇子を欺いたのだから。
文具屋で調達したのは、紅葉が描かれた高級な紙だった。香りを炊きつけるための文香も購入する。それから、光に晒せば向こう側が見えるような薄い紙に、小さなもみじが埋まった美しい紙も見つけたので、それも購入した。
恋文を書くということは、このように紙を一枚一枚選び、香りを選ぶ時間と手間も含めて恋する相手に捧げるということなのだと実感する。残念ながら明蘭の相手は恋人ではないが、季節を感じながら文具を選ぶのはとても楽しかった。
「良い目をお持ちですね」
「ありがとう、穂高君。穂高君は故郷に文を送ったりはしないのですか」
「……私は」
途端に、穗高の表情が陰る。これは。明蘭ははっと口元を抑えた。込み入った話をすべきでなかった。自分のことは何も話せないのに。
「ごめんなさい、穂高君。雑談ですから、答える必要はありませんよ」
「……いえ」
慌てて目をそらし、中断していた筆選びに戻る。しばしの沈黙。そして、不意に穗高が口を開いた。
「先生、私は字が読めぬのです」
「……え?」
「正確に申しますと、私はこの国の字を習ったことがありません。私は異国の人間なのです」
「まあ、異人さんなのですか」
「あまり驚かれないのですね。私はわけあって故郷を離れ、主人の庇護下に身を置くことになりました。主人と養子縁組をし、主人の一人娘が義妹となりました」
「……みなさんお忘れかと思うのですが、歴史的には珍しいことではないのですよ。ですからそのように思いつめなくても」
「後宮には義妹が入るはずでした。しかし、皇子の噂が我が主人の家に届くと、私が参ることになったのです」
「妹さんが」
「年の離れた義妹です。私をよく……慕って、くれました」
含んだような言い方だ。明蘭は察したことを言葉にすることをやめた。おそらく慕うという言葉には、兄妹の間のそれとは別の感情があったのだろう。
「私は男です。もし何かあっても、自らの力で身を立てることができる。だから殿下の誤解が晴れた後も、後宮に残ると決めました。私が帰れば代わりに義妹が後宮に送られると考えたのです。一度でも義妹のところに殿下が渡れば、もう二度と義妹は後宮から出ることはできません。幸せな結婚をすることも……」
「穂高君」
「義妹は私の国の文字が読めません。私はこの国の文字を書けません。ですから、私は義妹に文をしたためたことがありません」
先生。筆を手にとった穗高が、明蘭を見る。懇願するような瞳は、何かを守るために生まれてきたような穗高にはなんだか似合わなかった。
「先生、ご無礼を承知でお頼みします。どうか私にこの国の文字をご教授ください。義妹に手紙を書きたいのです。私の字で、私の言葉で」
結局、明蘭に対する穗高の真意は聞きそびれてしまった。しかし穗高が妹の事を語る口ぶりからは、ずいぶん複雑な事情や感情を察することができた。よって明蘭はそれ以上の追求を辞め、代わりに穗高が使うのに調度良い筆を選ぶのを手伝った。
明日から仕事がひとつ増えることを考えると、やはり甘い菓子でも食べて気力を付けねばならぬ。そう伝えると、穗高は快く綿菓子をご馳走してくれた。