第十八話:敵その4
ビルの屋上で一匹の猫が、月を見上げながら座っている。その顔は何か哲学的な思索をしている様で、神秘的な雰囲気を醸し出している。
猫はふと後ろを振り返った。そこには、二人の人間が立っていた。
一人は、猫が最も憎んだ人間の一人だった。
名を乾春華という。春華は猫にゆっくりと近づいていく。
猫は春華の方を向き、焦る気持ちを抑えながら春華が自分の間合いに入ってくるのを待った。だが、間合いにぎりぎり入らない所で春華は立ち止まった。
「鳳凰・壱の太刀」
春華がそう呟くと、目の前に朱い柄の薙刀が現れる。春華は、それを手に取り、構える。
全く隙のない構えで、猫の間合いに入っていく春華。優美さはなく、機械的な動き。
猫は不利だと感じたのか、一旦間合いをはずそうとする。
春華はその動きにあわせて一気に斬りかかる。
斬撃をすんでの所でかわした猫は、すぐさま飛びかかった。
春華は猫を柄ではじき、間合いを取る。
猫は宙返りをして着地すると同時に姿を消す。さらに、春華の右足首に鈍痛が走る。見ると、猫が噛みついていた。
春華は薙刀で猫を振り払うと、膝をついた。足首からは少し血が流れている。
もう一人の人間が、駆け寄ろうとするが、春華はそれを拒む。
「巽!これは私の戦いだから、お願い・・・」
強い意志が込められたその言葉に、巽は動くことも声をかけることも出来なかった。
「さあ、来なさい!」
春華は猫に呼びかけた。
***
十年前…
「おいで、ミーちゃん」
猫は人間に応えて近づいていった。
「にゃあ」
「おー、よしよし」
猫を抱き上げたのは幼き日の春華だった。
そう、猫はかつて春華に飼われていた。それは、とても幸せな生活だった。
やがて、猫に子供が産まれた。猫は子猫達と暮らしたかったが、一匹だけ残して、子猫達はもらわれていった。
そこまではよかった。まだ、猫は納得していた。
ある日、猫は子供達の様子が気になって見に行った。子供達のほとんどは、優しい飼い主の元ですくすく成長していた。
一匹を除いては・・・。
猫は、最後の家にたどり着いた。晴れていた空は、どんよりとした雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうだった。
猫は家の庭に入った。
「ミー、ミー」
か細い鳴き声が聞こえてきた。鳴き声のする方に行ってみると、そこにはやせ細った我が子がいた。
猫はわが子を救うために我が子をくわえて走った。途中で雨が降り出した。それでもかまわず走った。
今、考えれば春華の所ではなく、ほかの子猫がいた老人宅の方が近かったし、安全だったのだが、そんな考えも浮かばず、ただ一番信頼している春華の元に急いでいた。
家にたどり着く。自分専用の入り口から入る。
「にゃー、にゃー」
すぐに、春華とその母がやってきた。
「あら、こんなにずぶぬれで・・・」
春華の母は優しく体を拭いてくれた。
「こっちの子は誰かしら?」
猫の傍らで、ふるえている子猫に気づくと、こちらも優しく拭いてやる春華の母。
「お母さん。この子、葎花ちゃんにあげた子だよ」
前に様子を見に行ったとき、ついていた首輪を見て、春華は言った。
「なんか、前よりやせたみたい・・・」
「そうね・・・、今日はもう遅いし家で預かりましょう」
「お水とご飯持ってくるね」
後日、子猫は葎花の母親に引き取られた。猫はそのとき激しく暴れたが、結局無駄な抵抗だった。
当時、葎花の両親は離婚調停中であり、葎花は親戚の家に預けられていた。そのことを春華が知っていれば、猫のそして、子猫の運命はもっと違っていたのかもしれない。
***
春華は猫の攻撃でぼろぼろだった。急所への攻撃は何とか防いでいたが、それも限界に近いはずだ。
「いい加減にしろ!意地張ってる場合か!」
巽は思わず、助けに入ろうとするが、春華はかたくなに拒む。
「邪魔しないで!」
「邪魔って、お前・・・」
「ねぇ、ミーちゃん・・・。ごめんね。あの時気づけなくて」
猫は答えない。全身に力を溜める。
「いま、開放してあげるからね」
猫が咽喉に向かって、突進する。葎花の母と同じように咽喉を食い破るつもりだろうか。
「鳳凰・弐の太刀」
刹那、猫には春華の姿が消えたように見えたはずだ。
高速移動によって猫の背後に回った春華は弓矢を構えていた。
そして、放たれた矢は、鳳凰をかたどった焔となり、猫を包み込んだ。
『グあー、熱い!アツイ!』
悪霊が浄化されていく、そして、霊が出てきた瞬間に巽が猫と霊を千切り離す。
焔がおさまった後、春華は猫を抱き上げた。猫には傷一つない。だが、もう息をしてはいなかった。
「春華・・・」
「きっと、猫又になった時点で、執念と恨みだけで生きてて、でも、それを必死で抑えて生きてたんだと思う。それって悲しい生き方だと思うの。独善だけど、そこからその子を救えて私は満足」
「そうか、でも、泣きたいときは泣いたほうがいいぞ」
「なにいってんのよ、泣くわけ・・・、あれ、あれ?」
「我慢するなよ」
「馬鹿じゃない!?これは心の汗よ!」
目からぽろぽろと涙を流しながら、春華はなおも強がりを言う。優しい表情で、巽は春華をそっと抱き寄せる。
「これで誰にも見えないだろ?」
春華は理性のたがが崩れていくのを感じた。それでも必死で言葉をつむぎだす。
「・・・ばか、あんたのせいよ」
その後、春華が泣き止むまで霊はほうって置かれるのだった。