2章―少女の意地―
ニーヌ・イドは18歳という若さでこの国有数の剣士という評を得ているが、それを不思議に思う人間は居なかった。
姉のフレイヤ・イドは天才と謳われる魔術師。
兄のルード・イドは現王配。
父のアラン・イドは嘗てアナーヒタの双璧と評されていた一騎当千の人物。
ニーヌはこの国を長く支えているイド家の末娘なのだ。
そのニーヌは未だ交戦中であった。
戦は半日ほど続き、勝利への光明は見えてこない。
戦が長引いている原因はニーヌの軍隊が弱いからではない――もっとも、ニーヌとその配下たちはこの都市に配置転換になったばかりであり、練兵が十分であるとは
いえないのだが――それを加味した上でも弱兵というわけではない。
この戦がニーヌの思い通りにいかない理由はストリボーグ軍の圧倒的兵数にあった。
アナーヒタ軍のおよそ倍のストリボーグ軍。戦において圧倒的な数の差は兵の個々の実力の差を遙かに凌駕する。
ストリボーグ軍の数的有利はアナーヒタ軍の質的有利を上回っていた。
「ゴホッゴホッ」
ニーヌは軽く咳き込み、口から血液混じりの赤い液体を吐き出す。口からの出血が喉を塞ぎ、咽せてしまった。
現在ニーヌの周囲には敵兵は居ない。ニーヌは自分の身体を確認し傷の状況を確かめると、眉間に縦の深い皺を刻み、顔をしかめた。
身体に傷がついたからではない。女性としての滑らかな傷のない肌への憧れは捨てている。
顔をしかめた原因は、思いの外多かった傷の数だ。
深い傷こそ無いものの、出血した量・傷の数ともに看過できるものではない。
それでも、今のニーヌに選択肢はなく、戦うことしかできなかった。
指揮官のニーヌが倒れると言うことはこの都市を明け渡すと言うことを意味する。
それに、名門イド家の娘であるニーヌ・イドに対しての兵たちの信頼は絶大で、兵たちの精神的支柱でもある。
名門イド家の娘がいれば負けることはない、と。
ニーヌは倒れるわけにはいかなかった。
ニーヌは一通り自分の身体の傷を確認し終えると、周りにいた部下――こちらも傷は多く立っているだけでかなりの重労働だろう――に声をかけた。
「南側で交戦中の部隊の状況はどうなの?」
「は、先ほどと状況は変わらないそうです。ニーヌ様がこちら側の援護に向かって以降は押し返されつつあるようで」
「そう……。援軍の状況は?」
「はい、先ほどアソールを発ったそうです。フレイヤ様と、それとフェノア様が向かっていると」
部下の言葉にニーヌは形の整った眉をぴくりと動かす。
予想外の名前が含まれていた
「フェンが……?」
「あ、はい。詳しいことはわかりませんがフレイヤ様の部隊とフェノア様が向かっているようです。どうやらフェノア様は単独で援軍に参加しておられるようです」
「……そう。ありがと」
フェンがなぜ?
考えても仕方のないことだが、気になった。
ニーヌとしてはフレイヤが援軍にくることは予想がついていた。フレイヤの赴任地はここ、ヴァサームの近くだ。そのフレイヤが援軍にくるのは至極当然といえる。
だからこそ、フレイヤ(・・・・)が来るからこそ、負けられないのだ。
ニーヌは思考に陥りそうになった頭を軽く振って気を取り直した。
ニーヌとしては今やらなければならないことが変わりはしない。
姉様だけでなく、フェンまで来るというならばなおさら負けられない、と。
援軍まで持ちこたえるのではなく、援軍がくる前に戦況を決定的にしておきたい。
そして、私の力を証明したい。
彼女の頭を占める感情はそれであった。
「――!!」
突如、ニーヌの背後から悲鳴が聞こえ、背中に重みを感じた。
ニーヌが慌てて振り返ると先ほど援軍の到着状況を教えてくれた兵が寄りかかってきている。
彼は頭に矢を生やし、絶命していた。
ニーヌは慌ててその場を離れ、矢の飛んできた方向に目を凝らすが、砂埃で視界が悪い以上、敵の存在は確認できなかった。
「はぁ」
ニーヌは深くため息をつくと、木の陰に隠れる。
目を閉じ深く深呼吸。
緑色の全身に、魚の下半身。
赤くとがった鼻と、小さな目。大きく裂けるような口元からはうっすらと牙がのぞいている。
醜い顔だが、逞しい身体の上半身は華麗な筋肉で力強さを醸し出す。
メローと呼ばれる男の人魚だ。
メローはニーヌの身体に入り込むように溶けて消えた。
融合だ。
ニーヌの魔術はフレイヤの魔術とは長所が異なっている、ニーヌの本領は精霊と融合できるという点にある。
魔術を使えるものは特性上大きく二分される。
一つはフレイヤのように物体に干渉し、物体自体を攻撃手段とするタイプ。
もう一つのタイプは精霊と意識を分かち合い――融合とよばれる――身体能力を向上させるタイプだ。このタイプの術者は扱う精霊特有の能力を幾分か共有すること
が出来る。
メローと融合したことにより、身体能力が向上したニーヌは先ほど矢の飛んできた方向にもう一度目を凝らしてみた。
しっかりと確認するのに苦労したものの、そこに見えたのは交戦中の自軍の部隊と敵軍。
どうやら先ほど部下の命を奪った矢は流れ弾――言葉に拘るならば流れ矢だが――であったようだ。
ニーヌは融合状態を解き、交戦中の自軍の援護に向かった。
今はできることを。
敵兵の殲滅を。
アナーヒタに勝利を。
ニーヌは力一杯走りだし、草むらからその姿を現すと目の前の敵兵に思いのままに斬りかかり一刀両断した。
斬られた兵は自らの身に起こった現象を理解するまもなく絶命する。
ニーヌは辺りを見渡すと鼓舞するために大きな声を張り上げる。
「みんな、ここが正念場よ!!ストリボーグの狗たちなんてズタズタに切り裂いてやりなさい!!」
ニーヌの鼓舞に兵たちは雄叫びを上げるように応え、兵たちの士気は上昇した。
ニーヌは難なく敵兵を斬ると、相手軍の中心に飛び込み、ガムシャラに剣を振る。
まるで、全ての迷いを断ち切るかのように。