8章―ヘルの召還―
話の舞台は再び変化する。
フェンが拾われた話、そして、フェンの過去を巡る旅はひとまず終わりとして、舞台はヴァサーム防衛戦の数日後。
もし、再びフェンの過去を知る必要があればフェンからあんた(・・・)に対して説明があるはずだから心配はご無用。
ヴァサーム戦の数日後、医療室独特の薬品の匂いが充満する部屋でニーヌは目を覚ました。
辺り一面は真っ白。ニーヌは何度か瞬きをするがうまく思考は働かないのだろう、焦点の合っていない目でぼんやりとしている。
ニーヌはヴァサームの市街の兵舎の医務室に運ばれていた。アナーヒタの王都アイツヴェン程の医療設備は整っていないが、一般市民の受ける治療よりは格段にレベルの高い治療を受けることが出来る。
そこに見慣れた金髪の女性、フレイヤが部屋に入ってきた。
「ニーヌ、目を覚ましたのね。調子はどう?」
調子?言っている言葉の意味がよくわからない。
ニーヌは未だ覚醒しない頭でひとまず起き上がり状況を把握することにした。だが、起き上がると、体中に痛みが走る。腹部、背中。自分の身体を見てみると包帯でぐるぐる巻きになっていた。
ニーヌはぼんやりと記憶を探ると朧気ながら記憶の輪郭が見えてきた。
ストリボーグ軍、フレイヤ姉様とフェン
そして見たこともないような巨大で海草をまとわりつかせた怪物が――
「ここはどこ!? 戦はどうなったの?」
ニーヌはまだ痛む頭を振りきって慌ててフレイヤに状況を問いただす。
「落ち着いて。戦には勝ったし、ストリボーグ軍は撤退したわ。それよりも頭は大丈夫?フェノアが言ってたけど、あなた、かなり強く頭を打ったみたい」
「ええ、大丈夫みたい」
ニーヌはフレイヤの言葉にひとまず安堵すると、もう一度横になった。起き上がったままで居るのは辛かった。
「ドラウグだっけ?フェノアがそんな名前の怪物のことを言っていたけど、あなたたち2人がドラウグを倒した頃かしらね、ストリボーグ軍は一気に撤退していったの」
「……そう。姉さんの担当していたところは大丈夫だったの?」
「ええ、心配しないで。私たちの所には怪物は現れなかったし、私たちが援軍に到着してすぐにストリボーグ軍は撤退させたわ。さすがあなたの部隊ね、私たちが援軍に向かわなくてもいずれ勝っていたと思うわ」
「お世辞はやめてよ、姉様」
姉様の方が私よりも軍功が優れていることも、実力があることも周知の事実だろうに。
ニーヌは、沸々と嫉妬のような感情が広がっているのに気づいた。そのどす黒い闇はヴァサームを守りきったという安堵感をかき消してしまうほどに深く、暗い。
フレイヤはニーヌのそんな様子には気付かないといった様子で言葉を続けた。
「それにしても、よくあんな怪物倒せたわね」
「……ドラウグのこと?」
「ええ。私が見たのは死体だけだったけど、あんなバケモノ初めて見たわ」
「私たちが、倒した?」
「ええ。そう言っていたわ。ただ、あなたがドラウグの首を切り落とすのを引き替えに、ドラウグの反撃であなたは気を失ってしまったと言っていたわ。それでフェノアがあなたのことを運んできてくれたの。そうそう、フェノアがあなたのこと心配してたわよ」
「……そう」
ここでニーヌは目をつぶり再び考え込む。
私が、ドラウグの首を切り落とした?
ニーヌはこの自問自答にはっきりと答えられなかった。
ドラウグの目前に迫り、剣を振りかぶった記憶はある。
その剣を振りおろしただろうか。
ニーヌがいくら記憶を漁っても確かな記憶は見つからなく、それどころかドラウグを倒したという事実にすら疑いの感情すら出てきた。
「姉様、フェンは?」
ニーヌは自分の中で生まれた疑問に対する答えを知っている唯一の人物の所在を尋ねた。
だがフレイヤはゆっくり首を横に振ることでその返答とする。
「ここには居ないわ。アイツヴェンに戻っているそうよ」
「アイツヴェンに?」
「ええ。ファンデル様が任務で負傷して、療養中だそうなの。その様子を見たいからってアイツヴェンに戻るそうよ。ファンデル様に訊きたいことも出来たみたいだしね」
「そう、ありがとう……」
「まぁ、ひとまず休んでいてちょうだい。あなたが回復するまでの何日かは私がこの町に滞在して防御に当たることになったから。それじゃあね」
「ええ」
フレイヤはそう言うと部屋を出て行った。
ニーヌは、胸の辺りまでかけられていたシーツを頭の上まであげる。
あふれてくる涙を抑えることもせず、ニーヌは流れる涙をそのままにした。その水滴は目尻から重力に従って、一滴、一滴流れ落ちる。
ヴァサームを守るために姉様の力を借りてしまった。
ドラウグを倒すのも2人がかりでしかも自分は気を失ってしまった。
ニーヌは自分の不甲斐なさが悔しかった。
悔しさを涙という形で吐露する少女。その姿は戦士ではなく少女と呼ぶ方が似合っていた。
¶
一方、フェンやニーヌ達がヴァサームで交戦中であったとき、ファンデル・ニクスはある任務の最中であった。
ファンデル・ニクス
アナーヒタで現段階での最重要人物かつ最高戦力である。
かつてファンデルとならんで誉め称えられていたアラン・イドは数年前に第一線を退いている。それでも、ファンデルは今でも現役で兵として活躍している。
また、深い見識はさらに磨きがかかり、その知識はアナーヒタを支える大きな柱となっている。
そのファンデルはとある任務に当たっていた。
現女王アイシャ・ラクスによる極秘の任務。任務にはファンデルとラディックスの2人が赴いていた。
かつてはラディックスはファンデルの部下だった。だが、現在はもう直属の部下ではなくなっていた。
「今じゃ君も大隊長、か」
「はい、いつのまにか人の上に立ち、多くの命を預かる立場です」
ラディックスは現在は大隊長へと昇進していた。
「立場が変われば見えてくるものも変わる。見える物が変われば中身を変えたくなる。ヒトとはそう言うものだ。まぁ、ラディックスならば心配ないだろうがな」
「はぁ、だと良いんですが……」
「返事の切れが悪いな、どうかしたのか?」
「あ、そうでしょうか?今朝のウンコの切れが悪かったせいですかね」
ラディックスの言葉に笑うファンデル。かつての隊長だったファンデルとの2人の任務にラディックスは懐かしさを感じていた。
不意に、それまで笑顔だったファンデルの顔が真剣なものに変わった。ファンデルの様子の急変にラディックスもファンデルの視線の先を追う。
「それにしても、ひどい……」
「ああ。全くだ」
現在、ファンデルとラディックスはアイツヴェンの北西の海岸の異常事態の調査に訪れていた。
激減した漁獲量。
激増した動物の死体。
その情報をファンデルたちは目でもって体感した。
波打ち際には水鳥やラッコなどの死骸が多数打ち寄せられている。
「なんでこんな事に……」
ラディックスは目を見開いた。
ラディックスの知るこの海岸の様子は波も穏やかで、野鳥が飛び交いや時折海水浴に訪れる人もいる、そんな海岸だった。
海抜の低いアイツヴェンの町並みを流れる川が合流して注ぐこの海岸はアイツヴェンの市民達の癒しのスポットでもあった。
「君は今回の任務について詳しくは聞いていないのだったな」
「ええ。詳しくはファンデル様から説明があるだろう、とアイシャ様から承っていましたので」
ちなみに現女王はアイシャ・ラクスである。先代王・ニヌルタはすでに死去している。
「そうか……。ふむ、今回の任務は知っての通り、この海岸の異変に発端がある」
淡々と説明を始めたファンデルにラディックスは黙って耳を寄せた。ラディックスはファンデルのように自然界に造詣が深くはない。いつになく真剣な様子のファンデルの言葉を一言も聞き漏らさないようにしっかりと耳を傾けた。
「動物の死体が打ち上げられるようになったのと同じ頃から目撃情報があがっているのだ。海の底の方で何か巨大な生物の影のようなものが見えた、と」
「影、ですか」
ラディックスが何気なく漏らした言葉にファンデルは頷き、言葉を続ける。
「ああ、そうだ。その影は、おそらく海の主ではないかと思うがな。実際にそれを確認するために視察に来たのだよ」
「ファンデル様、そのクラーケンというのは何でしょうか?」
「ああ、すまない。クラーケンというのは、そうだな巨大な蛸のような魔物だな。海蜘蛛とでも言うべきか、とにかくこの辺りの海の主といえる存在の魔物だ。漁船なんかはクラーケンにかかればひとたまりもないと言われている」
「はぁ……」
ファンデルは言葉で説明しながら身体をうねうねと蛸のようにくねらしながら表現する。
ラディックスはファンデルのそのおかしな動きに吹き出しつつも、頭の中で巨大な蜘蛛と巨大な蛸を合わせて2で割ったものを想像し、若干身震いする。
ファンデルの部隊に所属していたときに様々な野生の生物を見たことは多いが、中には夢に出てきそうで対面を辟易とするような姿格好の生物も多かった。
クラーケンがその類の姿格好でないことをラディックスは願った。
「それで、ファンデル様はその巨大な影がクラーケンである可能性が高い、と考えておられるのですね?」
「その通りだ。もう一つ、考えなくはない予想もあるのだが、こちらに関しては私としても当たっていて欲しくないのだ」
「?」
ファンデルの歯切れの悪い言い方に文字通り首を掲げるラディックス。
「ファンデル様にしては歯切れの悪い言い方ですね。ファンデル様も今朝のウンコのキレが悪かったので?」
「ああ、最近少し下痢気味でな」
「それは、ある意味切れが良いのではないですか?」
「そうか?でも、こう、キュッとこう力を入れたときに……ってこんな話をしている場合ではない。ラディックス、少し分担して調べよう。何か変なものを見つけたら私に教えてくれ」
ファンデルのその言葉に従い、ラディックスとファンデルは2人で分担して海岸を調査し始めた。
分担して調査を初めて1時間程度経った頃。
ラディックスはふと空を見上げた。
変わらずに輝く太陽。青い空を時折流れる雲がどこか清々しい。そんななか、ラディックスは見慣れない鳥が空を飛んでいることに気付いた。
鮮やかな黄色の巨大な鳥。ラディックスは何気なくその鳥を目で追う。
その鳥はゆっくりと高度を下げると、海の方へと向かい、そして水中へとその姿を消す。
何の鳥だろう? ラディックスがそんな疑問を頭の中に浮かべていると、その鳥は再び水中から姿を現す。
今度は一羽ではなく数羽。そして、その鳥たちは飛んでいき、そのスピードを上げていく。
そして、向かう先には――
「ファンデル様!!」
ラディックスは走った。ファンデルはしゃがんで何かを見つめており、背後に迫っている巨大な鳥には気づいていない。
間に合わない――!!
ラディックスがそう思うや否や、すんでの所で気付いたファンデルは慌てて鳥の攻撃を避ける。
だが、それでもよけきれず、鋭い爪で腹を切り裂かれ、辺りに鮮やかな血が飛び散る。
「ファンデル様!!大丈夫ですか!?」
「……あ、ああ」
ファンデルは言葉を返すがその言葉に力はない。
ラディックスは慌てて止血用の道具を取り出す。先ほどの鳥は今は上空高くを飛んでおり、様子をうかがっている。
「すまないな、ラディックス」
「気にしないでくださ、ていうか、しゃべらないで下さ――」
出血はそこまで多くはないが看過できるものではない。
焦って制止の声を上げるラディックスを無視してファンデルは喋り続けた。
「良い、大丈夫だ。それよりも、今の鳥、サンダーバードは火が苦手だ。私の鞄にタルケが入っている、それで火をおこすんだ」
「ハ、ハイ!!」
ラディックスはひとまず腹に止血用のタオルを当てると言われたとおりにファンデルの鞄の中からタルケをとり火をおこす。
そして、近くに落ちていた木を拾い薪にしようとしたが
――湿っていて使えない――、
ラディックスは慌てて自分の上半身の衣服を破りそれを火の中に入れて火が絶えないようにした。
タオルを当て、包帯を巻く。
かつて、森の中での任務が多く応急処置の方法を学んでいた甲斐があった。
「大丈夫で?」
「ああ、しばらくすれば血も止まるだろう。ラディックス、そこに落ちている大きな鱗を取ってくれ」
やや焦りながら声をかけるラディックスだったがファンデルは自分の怪我など気にせずにラディックスに指示を出す。
先ほどまでファンデルが目を奪われており、サンダーバードに襲われる原因ともなった巨大な鱗。
「鱗……?これのことで?」
そう言って、ラディックスが手に取ったのは人の顔ほどはあろうかという巨大な鱗。
とても硬く、腕力には自信のあるラディックスでも割ることは出来ないように感じた。
「ああ、それだ……」
「ファンデル様、それより傷は大丈夫なんですか……?」
自分の怪我を全く気にしないファンデルのことが心配になりラディックスは声をかけるが、ファンデルには届かない。
ファンデルはラディックスが手に持つ鱗に目を奪われ、そして顔には絶望の色を浮かべる。
「ファンデル様……?」
「ラディックス、すまない。今回の任務はこれで終了だ。その鱗を持ってアイツヴェンに戻ろう」
「は、はい……」
ファンデルのこの言葉でラディックスは帰還することを余儀なくされた。
ファンデルとの数多くの任務をこなしてきたラディックスだが、血の気を失い、唇を戦慄かせているファンデルの様子は見たことはない。
ラディックスの身体に一つ、得体の知れない身震いが走った。
¶
俺は数日かけてアイツヴェンに到着した。
アナーヒタの王都、アイツヴェンはこの大陸の北西あたりに位置する。
「やっぱり変わんねえな、ここは」
ここが俺が育てられた町、水の都アイツヴェンだ。
時刻は夕暮れ時。あたりは朱色に染められる。
「なぁ、あんたも綺麗だと思わないか?この町の地形はもう知ってるだろう?海抜が低くて川が至る所に流れてるんだ。なぁ、夕焼けのこの町はやっぱり綺麗だろう?」
水の流れる静かな音。人々の喧噪。それらがすべて朱色に染められ鮮やかに彩られる。
夕暮れ時のこの都市はとても幻想的だった。
俺は目的の人物に会うために宮殿へと向かった。
「それから、念のために予備知識も与えとくか。今から俺はファンデル様の所に会いに行く。ヴァサーム防衛戦でちょっと気になることが多かったからな。……それにしてもあんた、せっかく俺が説明してやってんだから相づちの一つでもしてほしいもんだがな」
俺はこの言葉に返事など返ってくる事のないことを知りながら自虐的に言う。
ふと肩をたたかれるのを感じた。
俺は今の独り言を聞かれていたかと思って少し焦りながら振り返る。
銀色の髪の毛。
子供から大人へと脱皮しつつある身体と、理知的で聡明さを感じさせる顔つき。
父親譲りの優しさを携える瞳と視線がぶつかった。
「っと……何だ、ティアか。驚かせるなよ」
「何だってそんな言い方しなくても……」
ティアは俺の言葉が気に入らなかったらしく不満げに少し頬をふくらませる。
「ゴメンゴメン、悪かった」
「ねえ、フェン兄、あなたは大丈夫だったの?」
俺とティアは2人で家の方へ向かって歩き始めた。
ティアはやや潤んだ目で上目遣いで俺を見てくる。
顔には心配の色が浮かんでいた。
「ん?ああ、ヴァサームが攻め込まれた事か。見ての通り大丈夫さ。戦もフレイヤ様とニーヌの美人姉妹の活躍で勝利。今頃は事後処理しているところだろうな」
「そう。ならよかった……」
ティアは安心したように大きく息を吐く。俺はティアの顔を見て懐かしいようなどこか安らぐような感覚を得た。
「何でアイツヴェンに?」
「ん、戦の時にちょっと変わったことがあって、ファンデル様――じゃなかった、父様に至急報告する事項ができたからちょっとな」
「その呼び方……」
ティアが苦笑いしながら言う。
「仕方ないだろ。養子になったのも最近の話でそれまではずっとファンデル様と呼んでたし、それに、今でも家の外ではファンデル様と呼んでるんだしな。それで、ファンデ――じゃなかった、父様、怪我は大丈夫なのか?」
ティアは目でギロッと睨み口は優しく笑うという器用な芸当をしながら俺に言葉を返してきた。
「うん、今は家で休んでる。ラディックス様が迅速に応急処置をしてくださったから大事には至らなかったって。あと一ヶ月もすれば復帰できるそうよ」
「そうか、それは良かった」
俺はひとまず安心すると、一旦家に帰ることにした。
「なぁ、ティア。ここまで何できた?」
「えと、歩いて。途中からは船、かな」
「お。じゃあ乗せてってくれよ。俺も一回家に戻るからさ」
「うん」
ティアはうなずくと舟場へ行き船の準備をしに行った。
俺はその小さな背中に、サンキュー、と謝辞を述べた。
家に着いた。
相変わらずのでかい屋敷だ。
俺は今でもこの中で迷うんじゃないかと思う。
いや、冗談じゃなくほんとに。
俺は自室に荷物を置いてきて、父様の担当医と会話をするとリビングに戻り、ティアに声をかける。
「じゃあ俺は少し街にでも出るかな」
「え?街に?」
ティアが首を傾け、不思議そうな顔でいう。
その目には不安の色が浮かんでいるようにも見える。
「ん、ああ。父様、鎮静剤を注射したばっかりで明日まで目を覚まさなそうなんだよな。だから、報告は明日にしようかなって思ってさ」
俺は父様が寝ている二階の一室にかすかに視線をやりながらティアに返答する。
「ご飯はどうするの?」
「ああ、外で食ってくるよ。町の様子も少し見たいからな」
だが、俺のその言葉にまだティアは納得がいっていないらしい。
唇をとがらせて不満げな表情を崩さない。
「一緒に、食べないの?」
「なんだ、一緒に食べたいのか?」
ティアが何を望んでいるのかはとっくに理解していたが俺はわざと焦らしてみた。
ティアは俺の意地悪な言葉にますます唇をとがらせる。
「だって、せっかくフェン兄が帰ってきたから……」
ティアはうつむきながら言う。
後半の言葉はほとんど聞き取れないほどに小さくなり、銀色の髪の毛からのぞく耳は赤みを帯びていた。
俺はこれ以上焦らしてティアに本気で拗ねられてしまっても困るので優しい言葉をかけることにした。
「わかったわかった、じゃあティアも外に食べに行くか?金なら出してやるぞ」
「ホント?じゃあ準備してくる!」
ティアは花開いたように顔を輝かせるとパタパタとかけだしていった。
「まだまだ子供なんだな……」
俺はボソリとつぶやく。
だが子供のような振る舞いをするティアに心が落ち着くのも事実だった。
最近、戦続きで血を見ているから、あのような純粋さに触れることは少ないのだ。
「あんたも知っての通り俺の性格はねじ曲がってる。そんな俺でもティアには癒されるんだよな、不思議と」
……この独り言、癖になったらあんたのせいだからな。
¶
本来なら、俺はティアとゆっくりと食事をして戦で疲れた心を休める予定だった。
そんな心が温まるハートウォーミングな展開は早々に諦めることになった。目的の焼き肉屋の前でリーンベル将軍に出会ってしまったからだ。
「……」
「……リーンさん、相変わらず細い身体によくそんだけの量が入りますね」
ブラックホール。大量の肉がのった皿はすぐに空になる。そして空になった皿は隣の山積みにされた皿の山にのせられる。
開いた口がふさがらないとはまさにこのことだ。
リーンベル将軍は恵まれた体格を十分に生かした槍術で将軍とまで上り詰めた女性だ。
その情報だけならば尊敬に値する人物なのだ。だが、俺はリーンベル将軍が苦手だ。
その理由には彼女の大食漢ぶりも含まれるのだが、俺としてはもう一つの理由のほうが大きい。
「イエース、フェノーア。ユーも、もっとたくさん食べなければ大人の階段を上れないヨー?ステップアップだヨー?」
「あ、はぁ……ステップアップですか……」
「イエース、フェノーア。ユーもティーアももっと食べた方がスマイルですヨー?」
フェノーアとは俺のこと。ティーアとはティアのこと。俺はこの人のしゃべり方が苦手だった。
リーン将軍、あんたは何者なのか、と。
「リーンさん、私もたくさん食べれば大きくなれるかな……?」
「イエース、ティーア。エネルギー?とればビッグビッグだヨー?」
「……」
そう言うや否やリーン将軍は再び食べ物を口元へと運ぶ。
俺はリーン将軍との言葉のキャッチボールを早々に諦めてティアと喋ることにした。
「ティア、頼むからお前はリーン将軍みたいにこんなに食べないでくれよ」
「あ、うん。真似したくても出来ないよ……またタルケの粉がなくなっちゃったし……」
「……すっげえな」
焼き肉の火を絶やさないために常備されているタルケの粉がまた無くなっていた。
普通は一日おきに補給するものなんだがすでに俺たちが店に来てから3回は交換している。
「タルケと言えば、フェン兄は何でタルケを?」
「……ん?」
俺はティアの言葉をうまく理解できず首を掲げると、ティアは胸ポケットを指さす。
「フェン兄の胸ポケットにいるの、タルケでしょ?」
「ああ、こいつのことか。ほれ」
俺は胸ポケットからそっとタルケを出すと「殺したりするなよ」、と言葉を添えながらティアに手渡す。
ティアは両手でタルケを持つと睨めっこのような体勢になる。
「野生のタルケみたいでな。途中で見つけたんだ。そいつが居ると俺の魔術も強化されるし愛着もわいてきたんでな。ペットみたいなもんだ」
「へ〜……」
「ティーア、あなたの手に持ってるのはタルーケ?ミーにも見せると良いヨー?」
「あ、どうぞ、リーンさん」
「食べないでくださいよ」
「前に食べたらタルケは美味しくなかったから食べないヨー?」
「食ったことあるんかい……」
リーン将軍はさすがに満腹になったのか俺たちの会話に参加し始めた。そして先ほどのティアと同じようにタルケと睨めっこする。
う〜ん、こうして黙ってれば美人なんだがな、この人。
「じゅるり……」
前言撤回。野生のタルケを目の前によだれ垂らす女なんて俺は嫌だ。
「フェノーア、このタルケにはネームつけたげたのですかー?」
「ネーム?名前ですか?いや、つけてませんが……」
「ね、フェン兄、せっかくなんだからこのトカゲさんにも名前つけたげようよ!」
「あ、ああ別に良いけど……」
俺がそう言うとティアとリーン将軍は一緒になって名前を考え始めた。
そしてリーン将軍が言葉を発する
「フェノーア、ポチはどうですカー?」
「ん〜と何となく自分の中でポチは犬の名前なんですが」
「オーケー、それならタマはどうですカー?」
「それは何となく猫の名前な気が……」
「ユーはトラブルメーカーですネー。なら、トカゲって名前にするですヨー?」
「……いや、だからといってトカゲに対してトカゲって名前を付けるのもどうかと思うんですが」
「それならシロですヨー!!」
「いや、それは白い生き物に付けて挙げる名前であって、赤い蜥蜴に対して付けるのはどうかと……」
俺が即座に拒否し続け、頭を抱えそうになって居るのを知ってか知らずかリーン将軍は楽しく名前を考えている様子だ。
俺は先ほどから黙りこくっているティアの方をちらっと見て助け船を求める。
「ティア、お前は何か良いアイデアはないか」
「う〜ん、カムチャッカ三世……とか……」
おお、斜め上を行く回答。ティアに助けを求めたのが間違いだったかもしれない。
「あ、グッドだヨー、ティア!!」
「いや、勘弁してください、リーン将軍」
「マダ、フェノーアは満足しなーいですカー?それならミーとティーアのアイディーアを組み合わせてシロカムチャッカが良いですヨー!」
「却下!!」
タルケに名前を付けるのが一段落した頃(結局名前は『ベリト』に決定した)、リーンベル将軍は予定があるからと先に帰って行った。
なんというか台風みたいな人だ。
俺が先ほどのやりとりで疲労困憊しているとティアが話を振ってきた。
「ニーヌ、ヴァサームにいるんだよね?」
「ん、そうだな。あそこに配属になったのは確か、先月ぐらいだったかな」
「何でニーヌがあそこへ?ヴァサームってストリボーグとの国境付近の町だよね?」
「さぁ……」
俺は肩をすくめる。
それ自身は俺にもよくわからないのだ。
ニーヌがヴァサームへ配属になったのはアイシャ女王の一存という噂もあるが、それが定かなのかどうかなど俺にはわからないのだ。
「あいつも大変だろうな、あんなところに配属になって。あそこはストリボーグとの国境最前線だから戦争も絶えないだろうし」
俺はぽつりと漏らす。
正直な感想だった。ニーヌはまだおれと同い年だ。
類い希な実力を見込まれ若い年齢にして部隊を率い、多くの軍功をあげている。
だが、今度は都市を守る側に立場が変わったのだ。守る戦いと攻める戦いは異なる。
ニーヌ自身苦労することは多いだろう。
「フェン兄はなんでヴァサームへ行ったの?」
「ああ。俺はヴァサームの近くの森の異変の調査。野生の動物の死骸の目撃例が寄せられててさ」
ティアは水を飲みながら真っ直ぐに俺を見て言う。
「ふ〜ん。父様の任務もそんな感じだったよね?」
「ああ、そうだな。父様の任務は海岸の異変の調査。まぁ、自然に関することは、アナーヒタじゃ父様が一番詳しいからな」
俺はティアと話しながら一つ、気付く。
父様の任務も急に増えた野生動物の死骸の調査。海岸沿いと森の中という場所の違いこそあれど起こっている現象は全く同じだ。
何か、意味することでもあるのだろうか。
「フェン兄、時間」
ボーッと考えているとティアにしゃべりかけられた。
いつの間にか結構な時間がたっていた。
「あ、もうこんな時間か。じゃあそろそろ帰るか。ティア、会計は俺がしとくから水上タクシーを捕まえといてくれ」
「わかった、ごちそうさま、フェン兄」
「ん、気にすんな、というか金はリーンベル将軍がおいていった金があるからな。まぁ、大半の物を食ったのはリーンベル将軍なんだから当然なんだけどよ」
俺は笑顔を作ってティアにそう言った。
ティアも笑顔を作り、パタパタと慌ただしく外へ出て行った
¶
「失礼します」
翌朝、俺は医師から父様の体調が大丈夫であるとの確認を得たので、部屋に入った。
「おお、フェンか。すまないな、わざわざムネヴィスからここまで来させてしまって」
ティアと同じ銀色の髪。その髪の毛は短く刈りそろえられ、口元のひげは貫禄さを増させている。
いつもと同じ優しい目で、穏やかな表情を浮かべてベッドの上に腰掛けていた。
「いえ、構いません。自分としても報告したいことがありましたので。それよりも珍しいですね、父様が怪我をするなんて」
俺は近くにあった椅子に座りながら少し笑いながら言う。
父様も苦笑いを浮かべながら答えた。
「私だって普通の人間だ。時にはヘマもするし、邪な欲求もあるさ」
「また、突然意味不明な事を」
俺がやや目つきを鋭くして父様を睨み付けると、父様は急に真面目な顔になる。
「……それにしてもフェン、いつからそんなペットを飼う趣味なんて持ったんだ?」
「え?ああ、蜥蜴のことですか。偶々野生のタルケを見つけましたね。どういう訳かタルケが近くに居ると私の魔術の威力が上がるのです。ですから、ペットとして飼っているので」
「ほう……野生のタルケ、とな。少し、見せてくれないか」
「え、ええ、どうぞ」
俺は俺の胸ポケットから顔だけのぞかせていた蜥蜴を手渡した。
父様はそれを手の上にのせると、睨めっこをするように顔を見ている。
「ちなみに名前はベリトです。昨日、リーンベル将軍とティアとで決めました」
「ふっ、そうか。ベリト――真実――と言う意味か」
「そんなたいそうな意味はありませんがね」
父様は俺の言葉に笑みを零し、そして、蜥蜴を俺に返しながら話を始めた。
「ヴァサームの戦はどうだったのだ?」
「戦自体はニーヌとフレイヤ様の活躍もありましたし、無事に終わりました。ですが、何点か気になることが」
俺はそう言うと今回の戦で気になることを喋り始めた。
ヴァサームへ向かう道中で狼人間におそわれた事。
ストリボーグ軍の兵の質が低かった点。
戦地を流れる川を異常な数の死体が流れていた点
ヴァサームでの戦の最中にドラウグが現れた点。
父様は真剣な表情で、時折ため息をつきながら俺の言葉に耳を傾けていた。
「やはり、か……」
「……どういう意味で?」
父様の意味深な言葉に俺はすぐさま疑問を投げかける。
「私の任務は海岸の調査だった。フェン、おまえの任務のように海岸でも異常なほどの野生動物の死体が目撃されていたからな。私はその原因を探りに行ったのだ」
「……」
俺は黙って耳を傾けた。
「そこで私が見つけたのが、そこにある鱗だ」
父様はそう言って指を指す。俺はその指の先にある鱗を手に取った。
そこにあるのは人の顔はあろうかという漆黒の鱗。
「これは、一体……?」
「おそらくヨルムンカンドのものだろう」
「ヨルムンカンド?」
「ああ、巨大な水竜だと言い伝えられている」
「それからヴァサームの森の異変はフェンリルによるものだろう」
「フェンリル?」
「そして、ドラウグはヘルが関係しているだろう」
「ドラウグ?ヘル?何のことかさっぱりわからないのですが」
次から次へと新しい言葉が出てくる。俺はついて行くのがやっとだったが、父様は俺にかまわず淡々と言葉を紡いでいる。
「順を追って最初から説明しよう。ヘルという名の精霊が居るのを知っているか?」
「いえ、聞いたことがありません」
「実際に扱っている人を見たことはないが、書物の記録には残されている精霊だ」
「ヘルの扱う魔術は詳しくわかっていないのだが死霊魔術のようなものを司ると言われている」
「ネクロマンシー……」
「ああ。今回のフェンの戦争で現れたドラウグはヘルによって召還された物だろう。ドラウグは水中の死体が化けた物だ。ストリボーグ軍は意図的に水中に死体を大量に流してドラウグを召還したのだろう」
「だから、弱兵ばかりだったのか……」
「ああ。死体の数を増やすのに手っ取り早いのは人を殺せばいい。だから弱兵を主体に攻めてきたのだろうな。非人道的だがストリボーグなら平気でやるだろう」
俺は沸々と怒りの感情がこみ上げてくるのを感じた。
「ストリボーグ軍としては実験だったのかもしれないな。ヘルの力がどこまで実戦で使える物なのか」
「……なるほど」
「ヘルが厄介な理由は扱う魔術が特殊なだけではない。ヘルの祝福を受ける人間が現れた時、ヨルムンカンドという名の巨大な竜とフェンリルという名の巨大な狼が姿を現す、といわれているんだ」
「……ヘルによって現れたヨルムンカンドが海岸の異変の原因、フェンリルが森の異変の原因というわけですね」
俺の言葉に父様はしっかりと頷いた。
「荒れるぞ、これからこの国は。ストリボーグは本格的にアナーヒタに攻めてくるだろう。そこにフェンリルとヨルムンカンドの騒動だ。事態は一刻を争う」
「でしょうね。フェンリルやヨルムンカンドに手こずってる間にストリボーグに攻められたら厳しいですね」
「ああ。私はこれからガッスルフニンと一時的に同盟を結ぶことをアイシャ女王に進言するつもりだ。今のところ中立を宣言しているガッスルフニンと手を結ぶことができれば戦況はかなり変わるはずだ」
「同盟を組むことができればガッスルフニンの強力な武具の援助を受けることが出来るかもしれませんしね」
ガッスルフニンは強力な武具を有する強力な軍隊を所持する国である。ガッスルフニン製の武具はアナーヒタでも高値で取引されているのだ。
そのガッスルフニンが味方となれば今回の
「もし、ガッスルフニンとストリボーグが手を結ぶなんて事があれば……」
「……そのときはこの国にとって存続の危機となるだろう。だが、その心配はないだろう。ガッスルフニンがストリボーグと手を組むなんて言うことは私には考えにくい。ガッスルフニンの指導者はストリボーグを嫌っているからな」
「?」
俺は首を掲げて真意を尋ねたが父様は苦笑いを浮かべるだけだった。
「とにかく、フェン、おまえは急いでヴァサームの森の異変――おそらくフェンリルが原因だろうが――を解決してきてくれ。急ぐに越したことはないからな」
「わかりました」
「ハマらない任務だが頼むぞ」
父様はそう言って苦笑いを浮かべた。
俺はこれからの任務を考え少し憂鬱になりながら父様の部屋を後にする。
俺は数日後、部下を引き連れて出発することにした。
――こういうときにレックスと話すことができればと思う。
「全く反吐が出るぜ」
「……?フェノア様、何か仰いました?」
「いや、最低だな、と思ってな」
「?」
ああ、本当に最低だ。
俺はファンデルへの恨みを今でも忘れない。
それなのに、今はファンデルの養子だなんて。
あいつの後ろ盾がなければ俺はこうしては居られないだなんて。
時間軸を再び戻したので下の方でこれまでの大ざっぱな粗筋をまとめておきます。蛇足かもしれませんがね。いらねーよって方でも描写すっ飛ばしてる所も補足してあるのでご一読頂けると幸いです。
ファンデル・ルード・ラディックスがフェンを保護(4章)
↓
フェンの目覚め。ファンデル達とアラン達が会食(5章・6章)
↓
ニヌルタ王死去
アイシャ女王即位しルードと結婚、ルードは王配になる
ニヌルタの追悼御前仕合でニーヌはラディックスと互角に戦う
↓
ニヌルタが亡くなったのを機に
ラディックスはファンデルの部下から大隊長へと抜擢
↓
フェンがニーヌに剣術を習い始める(7章)
↓
ニーヌ・フェンは共に18歳になったときに軍に仕え始める
フェンはファンデルの養子となる
↓
ニーヌはヴァサームへ配属になり防衛に当たる
↓
ヴァサームの森の異変・アイツヴェン付近の海岸で異変発生。
ファンデルは海岸へ、フェンが森の調査の赴く
↓
ヴァサームが攻め込まれる(2章)
フェンはヴァサームへ向かう途中でフレイヤに遭遇(1章)
同時刻にファンデルは海岸での任務中に負傷
↓
フェンとフレイヤ到着・ドラウグの襲撃を受ける(3章)
↓
ニーヌ意識回復。フェンはアイツヴェンに戻りヘルの存在を知る(8章)←今ここ
こんな感じですかね。
描写すっ飛ばしてますがフェンとニーヌは共に18になった直後に軍へ仕官してます。
これからは時間軸はこのまま行くと思いますので、よろしければお付き合いください。
ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。