第15話 運命の期限(デッドライン)
ここ三日間、 凛は死に物狂いで鍛錬を続けていた。
まだ“語り部”によって名付けられてすらいない二つの新スキルは、彼の肉体を内側から引き裂くかのように消耗させていた。
魔力は乱れ、筋肉は焼け付くように熱を帯び、毎晩のようにレオモードの家の訓練室で倒れ伏した。
レオモードは何度も休めと小言を言ったが、凛はそれを笑い飛ばすだけだった。
「これをやらなければ……お前は、一生後悔することになる」
レオモードはその言葉の意味を理解できなかった。
だが、凛の声色に含まれた何かが、彼からそれ以上の反論を奪っていた。
その日の夕刻。
空はあまりにも穏やかだった。太陽は明るく、鳥はさえずり――あまりにも“不吉”とは正反対の光景。
だが、凛の腹の底には、縄で締め上げられるような不快感が渦巻いていた。
そのとき――
レオモードの家の居間で、青白い光が灯る。
《メインクエスト・タイムライン発動》
【アーデリア クリムゾンヴェイルの運命】
――制限時間、本日終了。
凛は即座に立ち上がった。
外套を掴み、剣を結わえていたレオモードのもとへ歩み寄る。
「レオモード」
凛は早口で言った。
「今すぐ来い。一緒にだ」
レオモードは怪訝な顔をする。
「どうした? 三日前から様子がおかしい。目的地はどこだ?」
凛は、滅多に見せない真剣な眼差しでレオモードを見据えた。
「……後で分かる」
その一言に、レオモードは黙り込む。
胸の奥が、決闘前と同じ感覚でざわめいた。
凛はレオモードの腕を掴む。
「信じろ。それだけでいい」
レオモードは理解できないまま、頷いた。
「……分かった。行こう」
二人は家を飛び出した。
行き先も、待ち受ける危険も語られない。
凛が知っていることは、ただ一つ。
――今日は、本来ならばアーデリアが死ぬ日だ。
そして彼は、その運命を許す前に、自分が壊れても構わないと思っていた。
一方その頃。
東方森林の奥深く。
アーデリア クリムゾンヴェイルは荒い息を吐きながら立っていた。
直前までの魔物との連戦で、全身は傷だらけ。
血が頬を伝い、剣を握る手も震えている。
彼女の前に残る最後の敵――
ディストーション魔力高位存在、《ドレッドファング・キメラ》。
黒く染まった巨体に、脈打つ紫の魔力の血管。
燃えるような赤い瞳。
「グォォォォォ……!」
轟音とともに、地面が叩きつけられ、木々が大きく揺れた。
アーデリアは剣を構える。
「……私は、退かない!」
自らに言い聞かせるように叫び、跳躍する。
だが、キメラは速すぎた。
全ての斬撃が弾かれる。
「これが……私の最期、なの……?」
唇の端から血が零れ落ちる。
アーデリアは一瞬、目を閉じた。
脳裏に浮かんだのは――
あの鬱陶しくて、無礼で、工房でからかってきた男。
凛。
薄く、勇敢な笑みを浮かべる。
「……まったく。厚原 凛……」
「どうか、あの世では……これ以上、私を苛立たせないで」
その瞬間――
「グオオオオオオオ!!」
キメラが必殺の一撃を放とうとした、その時。
――ドォォォォン!!
横合いから巨大な火球が直撃した。
爆音と共に炎が炸裂し、キメラの巨体が大きくよろめく。
「……!?」
アーデリアは驚き、視線を向ける。
木々の隙間から、ひとりの男が現れた。
厚原 凛。
その顔には、歪んだ笑みが浮かんでいる。
人間的とは言い難いほど、口角が不自然に吊り上がった笑顔。
歯列が剥き出しになるほど広がったその口元は、笑いではなく――
世界を嘲るような、歪んだ満足感の表れだった。
片側の顔は影に沈み、細められた瞳が妖しく光る。
そこに宿るのは、知性、狂気、そして――破滅を楽しむ感情。
「いやあ、レディ クリムゾンヴェイル」
凛は拍手し、白々しく言った。
「ずいぶん苦戦しているようですね?」
「もう少し早く諦めてくれたら、助けに来なかったんですが」
アーデリアは目を細める。
「……あなた……!」
「相変わらず……最低で、下品で……!」
だが、胸の奥に、確かな安堵があった。
凛はさらに笑みを深める。
「安心してください。今日は邪魔しに来ただけじゃありません」
「あなたがここで死ぬと……レオモードが怒るんで」
アーデリアは深く息を吐く。
「……本当に……馬鹿」
その背後から、もう一人の男が姿を現した。
レオモード。
剣を構え、静かな威圧感を放っている。
「馬鹿かどうかは知らないが」
低く、揺るぎない声。
「俺の大切な人に手を出すなら、容赦はしない」
凛は肩越しに振り返り、皮肉げに笑った。
「おっと、ソードマスター殿。そんなに怖い顔しないでください」
「今日はただ、この化け物を少し“温める”だけですから」
レオモードは凛を一瞬見つめ、半ば呆れ、半ば感心した。
「……相変わらず厄介な男だ」
「だが……今は、お前の出番だな」
「グォォォォォォォ!!」
キメラが再び咆哮し、周囲に歪んだ魔力が広がる。
木々が燃え、地面が裂ける。
アーデリアは剣を構え直す。
限界の身体。それでも――希望は消えていなかった。
凛は側面に立ち、手の中で“異常な火球”を凝縮させる。
レオモードは前に立ち、剣と魔力を完全に安定させた。
凛はレオモードの肩を軽く叩き、挑発的に笑う。
「準備はいいか、完璧主義者?」
「このキメラに、生まれてきたことを後悔させてやろう」
レオモードは眉を上げる。
「……お前だけだ。そんなことを言って、ここまで鬱陶しくいられるのは」
アーデリアは火球を見つめながら、微かに息を整えた。
今日――
騎士、剣士、そして皮肉屋の魔術師が。
かつて変えられなかった“運命”に、刃を突き立てる。
キメラが咆哮する。
次の一撃が――
生き残る者と、倒れる者を決める。
だが。
この日、本来ならば――
アーデリア・クリムゾンヴェイルは、死ぬはずだった。
そしてその運命を、篤原 凛は今、書き換えようとしている。




