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ウェンブリー伯爵家の継承~女伯爵は香りで覚醒する~

作者: のどあめ

 

 マーゴット、貴女には苦労をかける。

 不甲斐ない母でごめんなさい。

 時がくれば全てがわかるから。

 可愛いマーゴット。貴女には……。



 そう言って、逝ってしまったお母様。


 時って、いつくるの?

 いつまで待てばいいの?お母様。


 全てを切り裂く糸をもて

 悍しき魔獣より彼の地を守る

 麗しきブラックウィドウ


 と謳われるウェンブリー伯爵家。

―――若き当主マーゴット・ウェンブリーの魔法はまだ目覚めない。



 ◼️ ◼️ ◼️


 また助けられた。


 また守るべき者達を守ることができなかった。


 このままでは多くの領民を危険にさらしてしまう。


 日に日に弱る先代の結界。

いつまでも目覚めない自分の魔法。


 もうすぐ十六歳になるマーゴット ・ ウェンブリー伯爵は強く焦燥を覚えていた。


 今日も結界の穴から侵入した大量のラット型魔獣に多くの領兵、一族の者が負傷した。マーゴット自身も巨大な変異個体に襲われ、喉を噛み千切られる所であった。


(あれは誰だったのだろう。転移魔法を使えるのは中央の魔法使いだけと聞いていたけど)


 襲われたマーゴットを転移魔法で助けた男は顔を隠していた。ただ琥珀の様に光る瞳だけが彼女の目に焼きついていた。


 一族の者を結界の補強と魔獣の間引きの為に残し領邸に僅かな配下とともに帰還。休む間もなく執務に励んだ深夜。くたくたになって寝室に入るなり、マーゴットは異変を感じた。


 ―――ベットから異臭がする。


 恐る恐るシーツをめくるとネズミの死体が置いてある。昼間のラット型魔獣の姿がフラッシュバックしてマーゴットは思わず悲鳴をあげた。


「奥様ぁ、どうされましたか?こんな夜遅くに大声をあげるから目が覚めてしまったじゃないですかぁ」


 ()()()()()のミリアがあくびをしながらずかずかと部屋に入ってきた。


「あら、こんな所にネズミが入り込むなんて。痩せ細ってみすぼらしいネズミだこと。まるで奥様の様ですね」


 ミリアが当て擦る。


 灰色の髪に赤茶色の瞳。13歳の少女の様に細く薄い身体のマーゴット。


 対してマーゴットの目に映るミリアは金髪に薄青の瞳、女らしく丸みのある体型だ。まろやかな白い首には瞳と同じ色のチョーカーが巻かれている。マーゴットの身体と己の身体を見比べる瞳には優越感と嘲りが隠せない。


「もう遅いんで朝に片付けさせますね。奥様はまだお仕事が残っているんでしょう?ベットで寝る必要ないのだからいいですよね?ふふふふ」


 そう嘲笑いながら、ミリアは薄手の夜着にガウンを羽織った姿で部屋に戻っていった。


 ベッドのネズミが片付けられてもマーゴットの鼻には濡れた獸の様な異臭が長い事残った。





 それがきっかけだろうか。


 マーゴットは屋敷中に漂う異臭に気がついた。掃除が行き届いた伯爵邸にあるはずのない異臭が、なぜ?


 安っぽい香水の様に甘くむせかえる臭い

 獣の毛が濡れた様な生臭い匂い

 錆びた金気の匂い

 腐った水の匂い


 そして全ての匂いが混ざりあう。


 くさい  くさい  くさい

 吐き気がする。


 マーゴットは食欲が無くなってしまった。疲れているのに、空腹の筈なのに食事が受け付けられない。しばらくは頻繁に換気をしたり、ラベンダーやゼラニウムといった香り高い花を飾る事でやり過ごしていたが、雨季に入るとそうもいかない。


 それでも執務はやらなければならない。夫が放棄している執務も。


 ふらふらになって執務をしているとノックもせずにジョンが入ってきた。ジョンは夫が連れてきた執事(とりまき)だ。


「奥さま、今日の仕事はこれです。さっさとすませて下さいね。魔力無しのあなたにできる事といったら執務ぐらいでしょう?」


 ジョンは馬鹿にするようにマーゴットを一瞥し、大量の書類を押しつけて出ていった。その中にはジョンの仕事もある。


「気持ち悪い」


 ジョンからはヘドロの様な臭いがする。それに香水の匂いが混じりおぞましい悪臭を放っていた。マーゴットは口を手で覆って胸のむかつきをやり過ごした。



 早朝から深夜まで執務室で執務を行う毎日。そっと扉が開く。


「伯爵様、手伝いましょう」


  マーゴットは目をみはった。


  この人は臭くないわ。



 ◼️ ◼️ ◼️



 ウェンブリー伯爵家は代々女性が爵位を継承する特殊な家だ。


 豊富な魔力を誇り、長年ウェンブリー伯爵領を治めてきた当主のお母様。


 しかし、最愛のお父様が魔獣討伐で亡くなられるとお母様は気を落とされたのか徐々に弱られて病になってしまった。


 お母様が床に臥されたのと前後する様に侯爵家から縁談が持ち込まれた。それが侯爵家の三男だったラウル ・ボーフォート、後の夫だ。


 武勇に優れているラウルは病床に臥しているお母様の代わりに領内を周り魔物退治を行った。


 結婚直後、ラウルは13歳だった私に優しく紳士的だった。


「マーゴット、君はまだ幼い。身体が成長するまで僕は待つよ。ゆっくりと夫婦になっていこう」


 こうして私が成長するまでの間、私達は白い結婚となった。


 それは私にも都合がよかった。私は成長が遅いのか子どもの様な体格で、顔をあわせたばかりの男性とどうこうするのは怖かったから。



 ところが。私が結婚をしてから、お母様はどんどん弱られてしまったのだ。


「マーゴット、時が来ればわかるわ。貴女には……沢山用意したから。長持ちすると思うわ」


 という言葉を遺して亡くなられてしまった。


 私が15歳で伯爵を継承すると、それまで頼れる兄の様だったラウルは変わってしまった。


 当主になった私が母の様に魔法が使えず大人しいのを良い事に、代々仕える使用人を追い出して伯爵家を牛耳るようになったのだ。


 実家であるボーフォート侯爵家から使用人と取り巻きを呼び寄せたのが始まりだった。


 取り巻きはラウルの学園時代の友人達で。


 伯爵家の息子のライナス、子爵家のの息子のジョン。そしてミリア。



 特にミリアからは嫌がらせを頻繁にされた。何時だってミリアは私をぎらぎらと憎しみのこもった目で睨み、嘲笑する。


「私はね、ただ伯爵家に生まれただけで学園にも通えない能無しの貴女と違うのよ。男爵に美しさと魔力を認められて貴族になった。学園ではジェラルド王子やラウル達に愛された。


 あの公爵家に生まれただけのあの女にジェラルド達が嵌められなければ王子妃になれたのよ。なのに。なのに。


 でも、ライナス達は私を助けてくれたし、ラウルはこうして迎え入れてくれたわ。


 やはり私は誰からも愛されるべき存在なのよ。こんな田舎に来たんだから贅沢はさせて貰わないとね」


 そう言ってミリアはやってきてすぐにラウルの部屋に入り浸った。ラウルが連れてきた使用人達はミリアに肩入れしだし、勝手に王都からドレスメーカーを呼び贅沢な衣装を作りだした。


 ラウルに抗議をすると


「魔力無しの役立たずが!誰のお陰で伯爵領が魔獣の脅威に怯えなくてすむと思っているんだ!」


 と怒鳴られる。ミリア達が来てから別人の様に変わった夫に私はショックを受けた。


「おまえが執務を全てやるんだ」


 と大量の執務を押しつけられた。


 今や、ラウル達が行うのは気まぐれに行う魔獣狩り。それもミリアが欲しがる毛皮や素材が取れる魔獣だけを狩る。


 魔獣から取れる素材の売上は領地に還元されるはずが、ラウル達の贅沢に使われた。そして伯爵家の財産を食い潰しての浪費。



 お母様、

 私に力があればこのような無様はさらさなかったのに。


 いつになったら私は力に目覚めるの。もう十六になったのよ。


 このままでは……。



◇ ◇ ◇


 悪臭に耐えかねて私は部屋を元の居室に移した。入れ替わりにミリアが当主の部屋を使っているらしい。


「お嬢様」


 隠し扉から小さな頃から世話になっている乳母のアンナがやってきた。


「アンナ、来てくれて嬉しいわ。まだ臭くて吐き気がするの」

「ああ、すっかり窶れてしまって。マーゴット様、どうぞ()()をお召し上がりくださいまし」


 アンナは私にスープを差し出した。代々、当主や後継だけが飲める一族の者達の魔力が籠った特別なスープだ。


 アンナと伯爵家に残った数少ない者達はこうして私に食事を差し入れたり執務を手伝ってくれる。


 それにあの人も。不思議な事に新たに夫の護衛としてやって来たあの人、デリクのおかげで執務が、特に王都とのやり取りがスムーズになった。


  どうやって手に入れているか分からないが、デリクは王都での流行りの菓子や魔力補充の魔道具を差し入れてくれる。―――魔道具の色はいつか見た琥珀色だった。


 不思議な事にデリクの匂いは気にならない、と考えて私は頭を振った。

これ以上考えてはいけない。私は結婚しているのだから。


  いずれにせよ、 こうした周りの心遣いで私は日々をやり過ごせているのだ。感謝せねば、と私は自分に言い聞かせた。


 そんな私の思いに気がついているのかいないのか、アンナは懐かしそうに目を細めて話し出した。


「ローズマリー様も同じでした。当主の方々はお力に目覚める前は特に五感が鋭くなると聞きます。最良の相手を選ぶためと言われていますが。


お嬢様……お目覚めまでもうすぐです。もう少しの辛抱でございますよ」

「私もアンナの様に何でも食べられれば良いのに」

「ご当主の方々は好みが細かいのですよ、マーゴット様。だからこそ力を分け与える私どもがいるのです」


 励ますようなアンナの笑顔。

だが、その顔は皺が増え腰も曲がっている。ほんの少しの間にアンナは急速に年をとった。恐らくは結界を守り魔獣を狩る者達も……。胸が痛む。


「アンナ、皆に私の代わりに頑張ってくれてありがとうと伝えてね」

「ええ、かしこまりました」


 アンナはそう言って、私が食べ終わった食事のトレイを持ち、音もなく隠し扉から出ていった。


 その姿を見送り、私は静かに涙を流す。


 あと少し。

 あと少し待てば良いはず。



 ◼️◼️◼️



 そんなある日、酔っ払ったラウルが私の部屋に入ってきた。


 酒の匂いと香水と生臭い匂いが混ざり合う。気持ちが悪い。吐き気が止まらない。


 夫は顔をしかめる私の様子にお構い無く夜着を纏う私の身体をじろじろ見てとんでもない事を言い出した。


「マーゴット。そろそろ妻の務めを果たして貰おうか」

「ラウル様、お止めください。私、体調が悪いのです。どうかお許しを」

「止めてくれ、だと?おまえ、子どもが欲しいんだろ?家の為にさ。


 はっ、まだまだ薄い体だな。こんな小娘の為に俺は王都から追い出されて魔獣しかいない蜘蛛の巣に閉じ込められたのか」


 そんな事を夫は思っていたのか。私は唇を噛む。


「っ。申し訳ございません、お許しを……」

「甘えるんじゃない」


 ラウルが側に寄ると、吐き気を堪えられずすぐにえづいてしまった。


「うっ。うええ」


 それでも無理やり連れて行こうとしたラウルだったが。


「いや!」

「うっ、なんだ」

 琥珀色の光が辺りに広がり、ラウルは眩しさに手を放した。


「くそっ。なんだ、これは」


 魔道具が発動させた結界に阻まれたのだ。散々私を罵り貶めた挙句、ラウルは興が冷めたと言って部屋から出ていった。これからミリアの所に行くのだろう。


 安堵に涙が溢れてきた私は、力が抜けてその場に蹲る。また、守られた。


「私は……いつまで無力なの?自分の身すらろくに守れない。伯爵として皆を守らなければならないのに。どうして、どうして、目覚めないのよぉ…」


 情けなさの余り、とうとう私は声をあげて泣き出した。




 どれほど時間がたったのか。


 バタンッ

 扉が開く音がした。


「マーゴット様!戻りが遅くなって申し訳……そんなに泣いて。ラウルに何かされたのか?」


 急いで来たのだろう。少し荒い息に慌てるような足音が近づいてくる。


 しばらくして、おずおずと大きな温かい手が私の頭を撫でた。


 ふわりと爽やかでそれでいて甘い香りが漂ってくる。香りを思い切り吸い込むと。生まれてからずっと、ほの暗かった視界が一気に明るく色鮮やかになる。


 生まれて初めて見る新緑の色はデリクから貰った魔道具の石の色と同じで。


 お母様、こういう事だったのね。


「もっと。もっとちょうだい」

「貴女が望むならいくらでも」



 ◼️ ◼️ ◼️



 それから二ヶ月後。

 しばらく寝込んでいた私は回復してすぐに結界の張り直しに着手した。もう、魔獣達は結界に近寄る事すらできない。



 急激に体型が変化してドレスは作り直しになった。間に合わずに今は既製品を着ている。


 代々、家に仕えた者達も戻ってきた。魔獣の間引きも終わり結界を守る必要が無くなったから。魔力を頻繁に捧げる必要もなくなったアンナ達は日に日に若々しくなってきている。


 その代わりにラウル達が連れてきた使用人達は一人、二人と姿を消していった。


 その間もラウルはミリアと寝室にこもっているか、取り巻き達と酒盛りをしてばかりだったという。そろそろ、臭いの元凶を片付けなければならない日がやってくる。



 そんなある日、ラウルが取り巻き達を連れて私のいる執務室へ乗り込んできた。


「喜べ。伯爵家に跡取りができるぞ。ミリアが身ごもったんだ」


 私は首を傾げた。


「ラウル様、ウェンブリー家の血をひかない子どもは跡を継げませんわよ」


「うるさい!我が国は、代々男子が継ぐのが普通だ。代々女性が継ぐウェンブリー伯爵家がおかしいのだよ。そう思わないか?ジョン」


 すかさずジョンが頷く


「さようでございます。ラウル様。高貴なボーフォートの血をひくラウル様と美しいミリアのお子こそ伯爵家の後継にふさわしい。仕事に追われ、いつまでも子どもの様な華奢な体格の奥様に出産など耐えられないでしょう?」


 子どもの様……ね。

 私は立ち上がりきっちりと纏めていた髪をほどいた。


 はっと男達が息をのむ。

 そうよね、私変わったもの。


 背がぐっと伸びた。身体つきは丸みを帯びミリアほどとは言わないが、人並みに胸が豊かになった。くすんだ灰色だった髪は輝く銀髪になり、ずっと茶色に見えていた瞳はルビーの様な鮮やかな紅色に変わった。


「ともあれ、おめでとうございます。新しい生命が生まれるのは素晴らしい事だわ」


 両手を胸の前に結んで喜ぶと、ラウル達はしげしげと私を見ている。ミリアはピンク色の瞳を歪ませて私を睨みつけた。


 あらあら。私は苦笑を浮かべる。


「仮にボーフォート家の血を引く子に継がせるとして。それでも、跡取りにはできませんわね?だって」


 やはり違うわねえ。香水に混じる金気の様な匂い。


「ミリアのお腹の子はラウル様の子ではありませんもの」


「なっ、何をでたらめを言う!」


 そうか、ラウルには分からないのね。お気の毒に。


「だって、お腹の子はそこのライナスとの子どもでしょ。ライナスに似た匂いがミリアからしていますもの。


 ラウル様が魔獣狩りに行かれてる間やお酒をお召しになった夜はいつも……」


 ミリアとラウルの侍従(とりまき)ライナスの顔が青ざめた。


「ライナス、貴様」


 ライナスの胸ぐらを掴む夫に私は油を注いだ。


「ライナスだけではないわ、ミリアはジョンとも寝ていたわよね?」


 ミリアからは香水の他に複数の男の匂いが混じって臭くてたまらなかったのよ。


 途端にミリアは瞳を潤ませた。


「どうして?マーゴット様、私がラウル様と愛しあっているからって、そんな私を貶める酷い事を」

「知らないの?ウェンブリー家の者は鼻が利くの。耳も良いのよ。ラウル様の部屋でしていたらすぐに分かるわ」


 流石にラウルはウェンブリー家の特質を知っていた様だ。夢から覚めた様な目で仲間達を見ている。


「そんな。ミリア!ライナス、ジョンも…」

「きゃっ」


 ラウルは、ミリアの手を振り払った。妊婦に乱暴は良くないわ。勢い余ってミリアが倒れそうになるのをライナスが抱き止めた。


「皆、俺を裏切っていたのか」


 ラウルに言われて目を反らすミリア達。


 私に向き直ったラウルは以前の様に優しく微笑んだ。しかし、その身体からは狼型魔獣の様な臭いが放たれている。


「ああ、マーゴット。僕は長い事、騙されていたんだ。ずっとあること無いこと吹き込まれて」


 よく被害者顔できるわね。

 学園でミリアの周りに侍っていたジェラルド第4王子にラウル、ライナスにジョン。


 第四王子が「真実の愛」とやらで公爵令嬢と婚約破棄騒ぎを起こして。便乗したラウル達も婚約者に捨てられた。


 此方でも、母が亡くなった途端にミリア達を呼び寄せる事になった。それが全てだわ。


 ラウルの言葉は続く。


「君もわかるだろう?ずっと魔法に目覚めない幼いままの君を待つのは苦しかったんだ」


 ―――魔法に目覚めなかったのが私のせいだと貴方は言うのね。始めの頃の様にお互いに歩み寄っていけば違う道もあったかもしれないのに。


 そんな私の気持ちを知らないラウルは私に右手を差しのべ懇願する。


「今の君なら愛せるよ。マーゴット、どうかやり直せないか?」


 そう言いながら私の身体をじろじろ見るのは止めてくれないかしら?彼が睨みつけているわ。


「ラウル様、お断りいたしますわ。もう茶番は終わりにいたしましょう。デリク」

「はい、マーゴット様」


 ラウル達の後方、扉の前に控えていたデリク フィッツシモンズが私の隣に来てくれた。


 ちょっと、デリク。手にキスをするのはやめましょうよ。ラウルが驚いて目を見張っているわ。


「デリク!俺の妻に何をしているんだ」


 姿勢を正したデリクが懐から王家からの婚姻解消の承認書を出してラウルに向けて掲げる。


「ラウル様。マーゴット様との婚姻は二ヶ月前に解消されています。白い結婚が三年続いた事で陛下のご承認を頂きました。そして…」


 デリクの話を遮ってラウルは叫んだ。


「そんな。マーゴット、デリク。おまえ達、まさか俺に隠れて不貞を。裏切ったのか?」


 私は堪えきれず吹き出した。


「ふふふ。裏切るも何も、ラウル様。貴方が先に不貞を犯してミリアの子に我が伯爵家を継承させようとされたではありませんか。これはお家乗っ取りよ」


 一線を越えた元夫を睨みつけ、あえて落ち着いて話す私の声が執務室に響く。


「ラウル様は我が家の特性をお忘れになったの?


 ウェンブリー家はね、代々女性継承が絶対なの。不貞以前に子どもの父親は誰が相手でも構わないのよ?その条件で貴方はウェンブリー(ここ)にやってきたの」


「そ、そんな……。くそっ今からでもいい、俺の子どもを孕めば」

「お断りよ」


 ラウルは獣のように何かを喚き私を捕まえようと突進した。だがその動きは魔獣よりずっと遅い。


 私が指先から魔力を流すと、白銀の絹糸が糸巻きに巻かれる様にラウルの右手を絡めとる。絡めとった勢いで身体強化を使ってラウルを床へ引き倒した。


 ラウルは床に打ちつけられた驚きと怒りで呻きながら立ち上がり、左腕に魔力を集中させた。めきめきと音をたてて筋肉が盛り上がる


「くっ。こんな糸ごときで俺を止められるとでも?ウッ」


 ラウルがぶちぶちと糸を引きちぎるも。すかさず繰り出された糸が鞭の様にしなり今度はラウルの頬を切り裂いた。


「止まりなさい。一歩でも動けば次は身体ごと切り裂くわよ?」


 ラウルは流血した頬を押さえながら身を固くさせた。ラウルの後ろに控える取り巻き達も心なしか顔色が青ざめている。


「一体なんだ、これは!マーゴット。お前、魔力無しでは無かったのか?」

「魔力はあるわよ?昔からね。ただ私達の血統魔法は少し特別でね。()()()()()をしないと目覚めないのよ」


 そう。ウェンブリー家の直系の者は嗅覚で相性の良い者を探し、魔力を貰い受ける。そうして血統魔法に覚醒する。ラウルでは駄目だったのだ。


「そんな。誰が君を目覚めさせたんだ。まさか……デリク、お前か!くそッ」


 ラウルはデリクを呆然と見つめたがやがて唇を噛み締めながら抜刀し、デリクに猛然と斬りかかった。同じく抜刀したデリクが応戦し、二人は剣を斬り結び始めた。


 ライナスとジョンを盾にしたミリアが声をあげた。


「ライナス、ジョン。ラウルを助けてあげて!」


 ミリアの声にライナスとジョンも抜刀する。


「マーゴット様!」


 デリクに私は言った。


「大丈夫、二人は私にやらせて」


 警戒しながら私に向かって剣を向ける二人。私の右手から鋼の様に鈍く光る太い糸が飛び出して撓りながら二人に向かって襲いかかる。


 ガキンッ

「あっ」

「つっ」


 二人の剣は横凪に払われた糸で両断され、刃は床に力なく転がった。


 次は足。


 そう念ずると鋼の糸は花が咲くように極細の糸に幾重にも分かれ二人の足に絡みついていく。もがけばもがくほど糸は針金の様に二人の両足を締め付ける。さらに糸は下へ下へと伸びていき床に強力な糊の様にへばりついた。


「くっ、なんだこの糸は。動けない」

「所詮は糸。なら燃してしまえば」


 させるか。

 魔法を発動するためにかざしたライナスの右手を糸で巻き取る。ライナスは抗うように火魔法を発動させるが。


「うっ、なぜだ。魔法が発動しないっ」


 右手が赤く光り炎を出そうとする度に糸が銀色に光り、炎は音をたてて消えていく。


「いやあ、ジョン、ラウル。あの化け物を倒してよ」

 ミリアが隠れているだろうソファの背から放たれる香水の香り。

「うっ。この化け物め。お前さえいなければっ」


 ラウルは狼の様に伸びた牙をむき出しにして無茶苦茶に剣を振り回す。体毛が増え筋肉が盛り上がり明らかに力とスピードが増していくラウルに相対して徐々にデリクから余裕が無くなっていく。


 メリメリッ

 ジュッ。ジューッ。


 細身だったライナスの身体がゴツゴツした身体に変わり岩の様に筋肉を盛り上がらせて糸を外そうとし、水色の肌になったジョンは糸を牙から流れる毒液で溶かしながら噛み千切ろうとする。まるで彼らの先祖である獣人がよみがえったかの様な有り様だ。これは強化(バフ)なの?それとも?


 二人を拘束を強めると予想以上に魔力が持っていかれる。


 ぐっとラウル達から放たれる悪臭。明らかに様子がおかしい。


 ラウルが獣の様に咆哮してデリクに突進するが。空間が一瞬歪んだ後。デリクの姿は消えた。


 デリクはラウルの背後に姿をあらわして切りかかったがラウルの剣に阻まれ、二人の立ち位置が入れ替わる。


 デリクは息を切らしていて。にやりと笑うラウルからまた悪臭が漂った。


「貴方達、臭いのよ!」


 この糸が何でも切り裂くのならば。()()()()()()()()()()()()()()


 ザシュッ

「グアァァッ」


 私の輝く白銀の糸はラウルを背中から袈裟がけに切り裂いた。ラウルはゆっくりとくずおれて元の姿に戻っていった。


次にジョンとライナスを斬ろうとした刹那。


 シュッ


 ジョンが床に転がっていた剣の破片を手が切り裂かれるのも構わずに私の顔めがけて投擲した。


 やけにゆっくりと切先が真っ直ぐに向かってくるのが見える。強化(バフ)された二人を拘束しつつ糸を操っているのだ、防御は間に合いそうにない。


「マーゴット!」


目の前に迫った切先から私を守るように若葉色の光が防壁を作った。


 ガシャッ

 ゴトッ


 剣先が壁に触れると刃が飴の様にグニャリと折れ曲がり力なく床に落ちた。


「ありがとう、デリク」


 ラット型魔獣から私を守った時と同じ空間魔法だわ。私はデリクの若葉色の瞳を見た。


 そして、二人を斬って手足を拘束する。


 残る香水の香りはミリアの首から。


天井から糸を降らして逃げ出そうとするミリアを糸で拘束、チョーカーをピンクの魔石ごと切り裂いた。が、まだ香る。


 銀糸をチョーカーの様に巻き付けて念じた。


(匂いよ、消えろ)


 ミリア達を拘束した糸が白銀色に強く光り、部屋中から匂いが消えた。清浄な空気が部屋を満たす。


(終わった)


 みるみる内に視界が灰色になり目眩が襲う。思わずふらついた身体をデリクが支えてくれた。


「マーゴット、大丈夫か。魔力を使いすぎだ」


 ふわっと香りがして私を支える腕から魔力が体内に一気に流れ込むと視界が急速に色を取り戻す。


 代わりにデリクが苦しそうに眉間に皺を寄せたから、慌ててデリクから身体を離した。その時、男達から叫び声が上がった。


「あっあっあああーっ。私は今まで何を、何てことを……」

「僕は、僕は。せっかくやり直そうとしたのに、なんで」

「ああああああああぁ~。俺は、俺は。また、また間違えた。間違えてしまった。父上、父上っ。俺は貴方の温情を踏みにじる真似を……」


 ラウル達が踞り頭を抱えて泣き叫んでいる。つい先程までの狂暴さは影も形も無い。


 異様な様子にデリクはぽつりと言う。


「魅了魔法。微弱な魔法を魔道具で大きく増幅させていたか。学園の教師も宮廷魔法使いも分からないわけだ」


 私は拘束したミリアに向き直った。


「貴女だったのね。操っていたのは」


 ミリアはピンクの瞳を吊り上げて叫んだ。


「なによ、なによ、なによ。どうしてあんた達は私から取り上げようとするの。必死になって手に入れた男も金も何もかも、貴族に生まれただけのあんた達が持っていって。ずるいわ!」


 また恨み言か。


「確かに私達は貴族に生まれたわ。富も権力はあってもそれは一族や領民を守るための物。守る為に力を振るう義務がある。貴女も貴族に加わったのならば義務を果たすべきだったのよ。」


 ミリアの横には壊れたチョーカーが転がっている。


「貴女の力も正しく使えば兵を鼓舞し力を増幅して魔獣狩りや戦いに貢献できたはず。聖女とも言われたのかもしれないのに」


 ミリアは鼻で嗤った。


「そんな事して使い潰されるのはまっぴらごめんよ。男爵だって王子だって、私を利用するばかり。私だって周りを利用してやるわ。それの何が悪いのよ。

あんたも死ぬまでこき使ってやる予定だったのに。デリクを取り込めなくて失敗したわっ。うっ、ぐうっ」


 ミリアか顔を真っ赤にして首に手をかけてもがいている。いつの間にか糸でミリアの喉を締め上げていた。


「そう。やはり貴方達とは相容れないわね。だからね」


 パチンッ

 指を弾くと隠し扉から戻ってきた家の者達が集まってくる。


 アンナとジョセフが私の前で跪いた。二人とも若返って二十代の男女に見える。


「アンナ、ジョセフ。コレは皆で食べて?」

「かしこまりました。全員、若く魔力も体力もあるので長持ちするでしょう」

「前の者達の様にすぐに死なせないようにね」

「勿論です。後でマーゴット様にお分けいたします」


 自分の未来に気がついたミリア達がじたばたと逃げ出そうともがきだす。ラウルだけは身動ぎもせずに俯いていた。


「いやあ、いやよ、たすけて!」

「止めろ、止めてくれ!いくらなんでもひどすぎる!そんな事を父上達が許すわけがない」

「そんなつもりはなかったのです。ミリアに惑わされて僕は…」


 取り乱す三人にデリクが冷酷に伝えた。


「陛下からの伝言です。ブラックウィドウに魔力と生気を捧げ国に貢献せよと」

「そんな…」

「いやだ、いやだ、死にたくない~」

「……っ」



「ラウル様」

 赤くなったアンナの瞳が、舌を噛もうとしたラウルの顔を覗きこんだ。


「ラウル様、()()死んではなりませんよ。私共と一緒に楽しく遊びましょう?」


 アンナの紅い唇が三日月の弧を描く。ラウルは動きを止めてアンナの瞳に見惚れている。


「ああ、もちろん……。なんて……美しいんだ」


 こうして、家の者達は大人しくなったラウル達を連れて行った。


 これから、生かさず殺さず一族の者達が魔力と生気を搾り取ってくれるだろう。


◇ ◇ ◇



「マーゴット。これで君は私のものだね」


 二人だけの執務室でデリクが私を抱きしめる。


「デリク」

「何、愛しい人」


 うっとりと私の瞳を見つめる恋人。


「あなた、私が怖くないの?」

「いや。魔獣から領地を守るために足りない魔力を振り絞って命懸けで結界を強化し、領民を救おうと執務に励む貴女を助けたかった。


 貴女を蔑ろにするラウルが憎かった。私の魔力と生命が君の力になるなら本望だよ」


 ああ、本当に惹きつけられる香り。

 思わず彼の胸に顔を寄せると、さらに強く抱きしめられた。


 あの日、全てが解ったの。

 デリク、貴方が私を目覚めさせてくれるんだって。



 ウェンブリー家当主の糸魔法は相性の良い相手がいないと目覚めない。


 ラウル達の魔力が受けつけられなかった私は、魔獣狩りをしてきた一族の者から魔力を貰って長らえていたけど。やはり足りなくて。


 デリクの魔力で私は大人になり、血統魔法も覚醒した。これで伯爵当主に相応しく本格的な魔獣駆除に取りかかれるわ。


 私がデリクに惹かれるのは魔力の相性だけなのかしら?いいえ。


 毎日、執務を手伝い私を気遣ってくれるデリクに。密かに送られる熱い眼差しを感じるうちに、いつしかデリクの香りを芳しく感じる様になったのだから。



「デリク、愛しているわ。私は貴方がいないと生きていけないの。ずっと一緒にいてね」

「ああ、マーゴット。心から君を愛している。ずっとずっと一緒だ」



 お母様がおっしゃっていた通り、沢山用意してくれたから。私はデリクを食いつぶす事はないだろう。




 ■ ■ ■


「それで。ウェンブリー家の継承は恙無く終わったのだな」

「は。無事に完了いたしました」

「それは重畳。かの領は魔獣との戦いの前線。お前を派遣させた甲斐があったな」


 王宮の執務室。デリク フィッツシモンズが女王に報告をしていた。


「つきましては」

「ああ、長年苦労であった。第四王子の馬鹿に贄共の監視、大儀である」


 女王は初摘みの紅茶の香りを楽しんでから、一口味わう。


「それにしても、お前がウェンブリーの配になるとはな」

「ええ。幸せなのですよ。あの紅い瞳に見つめられると何でもしてやりたくなります。この身体全てを捧げても悔いはない。マーゴットが悲しむので、できませんがね」


 王家の私生児として生まれ、人間不信で人をよせつけなかったデリク。

任務を機械のように淡々とこなしていたかつての姿とは別人の様に柔らかく微笑む諜報員に女王は呆れた様にため息をついた。


「まさか、魅了が効かない諜報部隊の者がこうも絡め取られるとは。仕方あるまい。辺境で達者に暮らせ」

「御意」


 一礼した後、空間が歪み男は姿を消した。




 デリクと入れ替わりに老齢の宮廷魔法使いがやってきた。


 女王は独りごちるように言う。


「貴重な転移魔法の使い手が取られてしまった」


「ほほっ。運命ですから仕方ありませんな」


「私生児とはいえ、並の王族より豊富な魔力。ゆくゆくは私の仕事を引き継いで貰いたかったがな」


 できれば次の次の次あたりに。目論見が外れたと女王はため息をつく。


「魔法使いにとって、運命との出会いは砂浜の中から魔石の粒を探すようなもの。出会ってしまったら止められますまい」


「ウェンブリーに干からびるまで吸われないとよいが」


「相思相愛の様ですからの。ウェンブリー伯爵が生きている間は意地でも死にませんて。デリクの魔力は膨大。多少吸われても蚊に刺された位のものでしょう。二人とも長生きしますよ、陛下の様に……」


(己の魔力を籠めた魔導具を伯爵に渡して目覚めを促す位じゃもの。囚われたのはどちらかのう。)


 にこにこと笑う魔法使いに対して女王は美しい顔をしかめた。


「ふん。さんざん学園を引っ掻き回した挙げ句に第四王子であったジェラルドを幽閉まで追い込んだ毒婦と馬鹿者どもを送ってやったんだ。せいぜい有効活用して貰わんとな。……これから、あの二人とは長いつきあいになりそうだ」




『糸魔法を操り全てを切り裂く麗しきブラックウィドウ』と呼ばれるウェンブリー伯爵家。


  歴代最強と謳われたマーゴット・ウェンブリー伯爵は夫と仲睦まじい事でも有名だった。伯爵夫妻の活躍で魔獣が駆逐されたウェンブリー伯爵領は彼らの善政で長く栄えたと後の歴史書に記載される事となった。



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一気に引き込まれました。 戦いで糸を操る場面など、細かい場面の描写が素晴らしかったです。 悪い奴らは…まあ、臭そうですよね(笑 色々大変な思いをした分、これからは幸せになってほしいです♡ 辛い心情や…
主人公のマーゴットの研ぎ澄まされた嗅覚の描写が印象的でした。その彼女が目覚めない魔法に焦燥しつつも、執務を懸命にこなし、そのことがやがて本当の出逢いを導いたのかも知れないと思いました。 マーゴットと…
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