保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた
大学生の月城春樹はある日、ひょんなことから世間知らずの妙なおじさんを家に連れ帰り、ご飯を食べさせることになった。
「おじさんは瓜谷温人だよ。せめてもの恩返しをしたいから……この部屋は絶対に覗かないでね」
そしてなぜか、おじさんは月城家に住み着いてしまう。それから一年後。
――おじさんの背中が開き、中からにゅるにゅると美少女が現れた。緑色の肌で、ツル草のような髪はにょろりと蠢き、頭には赤い花が咲いている。
「私の本当の名前はウーリャ・ニュルット。アルラネ星の出身で、植物系の異星人なんだ。あ、このおじさん型のは環境適応スーツで――」
ウーリャはもじもじしながら春樹に告げる。
「私はこのまま、春樹と一緒に暮らしたいの」
まさかこれが、地球全土を巻き込む大騒動に発展するとは、この時の春樹は想像もしていなかった。
――それは、セミの羽化のような光景だった。
僕の目の前で、同居している瓜谷さんの背中がぱっくりと開き、中からにゅるにゅると女の子が出てきた。
体格からすると女子高生くらいだろうか。緑色の肌で、ツル草のような長い髪はにょろりと蠢いている。頭には大きな赤い花も咲いているから、少なくとも普通の人間ではなさそうだが。
「これは……脱皮?」
「私は脱皮するタイプの異星人じゃないよ」
理解が全く追いつかない。
瓜谷さんは丸々と太った中年のおじさんで、かなり世間知らずなところがあった。身元不明の怪しい人ではあったんだが……さすがに背中から美少女が出てきて、異星人だなんて言われても、すぐには飲み込めない。
「えっと。私の本当の名前はウーリャ・ニュルット。アルラネ星の出身で、植物系の異星人なんだ」
「植物系?」
「あ、このおじさん型のは環境適応スーツでね。この星の基本情報の学習とか、遺伝子調整とか、免疫の獲得なんかがようやく終わったから、やっとスーツを脱げたんだよ」
ウーリャと名乗る少女は、アメジストのような綺麗な瞳を僕に向けると、ニコリと微笑んだ。
「何か質問はある?」
「質問しかないが」
「うん。春樹の質問になら何でも答えるよ」
彼女はそう言って体ごと振り向こうとするので、僕は慌てて視線をそらした。なにせ今の彼女は衣服の類を何も身に着けておらず、いろいろと丸出しなのだ。
「何が何やらさっぱりだが……とりあえず、何か服を着てくれ。妹のものから見繕っていいから」
「え、遺品でしょ? それは悪いよ」
「全裸のほうが僕の心臓に悪い。それに瓜谷さんなら……ウーリャなら、別に構わない」
僕がそう言うと、ウーリャは「じゃあ、まずシャワーを借りるね。身体がヌルヌルで」と言ってリビングを去っていった。一体何がどうなってるんだ。
そうして、目の前の現実を受け入れられないまま頭を抱えている僕に、一匹の猫がすり寄ってくる。
この子はムジカという名の太った白猫で、瓜谷さんが拾ってきたのだ。ということは……もしや、ムジカもただの猫じゃないのだろうか。
『突然のことで困惑しているだろう』
「普通に喋るじゃん」
『申し遅れた。我はムジカ。主であるウーリャ・ニュルットのアシスタントをしているアニマロイドだ。春樹殿に分かりやすく言えば、猫型ロボットといったところか』
ムジカの合成音声らしきものは、無駄にイケメンボイスだった。なんでだ。
もはや乾いた笑いしか出てこない僕は、思考を停止したまま冷蔵庫に向かうと、漬けておいた唐揚げ用の鶏もも肉を取り出す。何もかも意味不明な状況だが、いずれにしろ、夕飯の準備は必要だろう。
⚝ ⚝ ⚝
瓜谷さんと出会ったのは、ちょうど一年前。
大学二年生の春のことだった。
「水を……水を一杯くれませんか……生命維持の危機なんです。ギリギリのギリギリなんです」
ビジネススーツに身を包んだ、丸々と太ったおじさんが、道行く人に話しかけては邪険にされている。
まぁ、それも仕方ないだろう。
単に水が飲みたいだけなら、すぐ後ろに公園の水道がある。わざわざ見知らぬ他人に縋り付くのは、あからさまに怪しい。
「水さえもらえれば、あとは光合成で最低限の栄養はまかなえるので……あ、ダメだ。スーツ着てたら光合成できないじゃん。え、どうしよう。えぇ……」
おじさんはおかしな事を口走っていた。まるでスーツを脱げば光合成ができるような口ぶりだが、そんなわけはない。僕はしばし思考を巡らせる。
『春樹は私に似て、目元が鋭いからね。普通にしてるだけで怖がられちゃうんだから、誰よりも優しく振る舞わなきゃダメよ?』
死んだ母さんの言葉が脳裏に蘇るが、さすがにこのおじさんを手助けするのは、優しさにしても度が過ぎている。
なんて躊躇しているうちに、事態は動く。明らかにチンピラといった風貌の男が三人、おじさんに絡みにいったのだ。
「よう、おっさん。水と食いもんをやってもいいが……金は持ってんだろうなぁ」
「カネ……金属ですか? えっと、手持ちにあるのはアルミニウムくらいですが」
「馬鹿にしてんのかテメェ」
さすがに、放っておけば危害を加えられそうな状況は、見過ごすわけにはいかない。そう思った僕は、とりあえず彼らの会話に割り込むことにしたのだ。
「あ、田中さん。こんなところにいたんですね」
「え、タナカサン? 私はウ――」
「すみません、お兄さんたち。田中さんが施設を脱走したので、ずっと探していたんです。この通り、よく分からないことを口走るし、自分の名前も覚束なくて……そういう病気なんです。僕が対処しますので、この場はお任せください」
僕がそう言うと、チンピラたちは興が削がれたのか、舌打ちをして立ち去っていった。
「せ、せせ、せっかく水を貰えそうだったのに」
「全然貰えそうになかったが……とりあえず、未開封のスポーツドリンクがあるからあげるよ。おじさんも事情があるのかもしれないけど、悪い奴はどこにでもいるんだからちゃんと気をつけないと」
そんな風にして、僕は奇妙なおじさんと関わり合いを持つことになった。
でも、そこからがまた大変で。
なぜか彼はペットボトルの蓋の開け方も知らず、コンビニおにぎりを前に難しそうに唸り、菓子パンにビニールごと齧り付いていて……なんかもう、色々とダメそうだったのだ。
そうしてすったもんだの末に、僕は彼を自宅に連れて帰ることにした。
何日も放浪していたのか、全身がかなり汚れていたので、まずは裸に剥いて風呂に入れる。しかし、彼はシャワーの使い方も、シャンプーやボディソープの使い方も、身体の洗い方まで何も知らなかった。仕方なく、僕は彼の全身を丸洗いすることになったんだけど。
「み、見ないでぇ……」
「おじさんの裸体に欲情する趣味は僕にはない。あーほら、目を閉じないとシャンプーが染みるから……まったく、風呂の入り方も知らずにこれまでどう生きてきたんだ」
「め、面目次第もございません」
おじさんは大事なところを隠すようにクネクネしていたのだが、僕は淡々と彼を洗った。抵抗こそされなかったけど、時折変な声を出すので、このところずっと無感情だった僕も思わずため息を漏らしてしまったくらいだ。
「……もうお嫁に行けない」
「元から嫁には行けないだろう。それはともかく、今日の夕飯は鶏の唐揚げにするから、ちょっと待ってて。テレビでも見てゆっくりしてなよ」
「カラア、ゲ……? テレヴィ?」
「マジで何も知らないじゃん」
肉をタレに漬けながら、ご飯を炊いて、サラダと味噌汁を作る。家事をするのは僕の趣味みたいなものだから特に苦はない。むしろ、一人じゃない食事というのは久々で、いつもより心が軽かったくらいだ。
そうして、箸の持ち方まで全てを教え込みつつ、一緒に食事をとる。
最初のうちは、ずいぶんおかしな人を拾ってきてしまったと思ったんだが……話してみれば、彼は単純に物知らずなだけで、一度教えたことはしっかり覚えているのが分かった。むしろ飲み込みは早い方だろう。
「いやぁ、君はきっとこの惑星で一番優しい男の子なんだね。本当にありがとう」
「話が壮大すぎるが」
「それに、こんなに美味しい料理は生まれて初めて食べたよ。鶏の唐揚げは革命的な食べ物だね。人生観が三六〇度変わっちゃった」
一周して元に戻ってるじゃん。
なんて話しているうちに、そういえばまだ自己紹介すらしていなかったことに気がつく。
「僕の名前は月城春樹だ」
「おじさんは瓜谷温人だよ」
「瓜谷さん、か」
今日のところはいいけど、瓜谷さんはこれから先、ちゃんと生活していけるんだろうか。なんて少し心配していると、彼はこの家をキョロキョロと眺め、空き部屋の戸を開ける。一体どうしたんだろう。
「春樹。せめてもの恩返しをしたいから……この部屋は絶対に覗かないでね」
「鶴の恩返しかな」
そうして流されるままに、月城家には瓜谷さんが住み着くようになった。もちろん、追い出すこともできたんだろうけど。
僕は、胸の奥にほのかに灯った温かさを消したくなくて、この状況を受け入れることにしたのだ。
⚝ ⚝ ⚝
一緒に暮らし始めて、半年が過ぎた頃だった。
瓜谷さんは白猫のムジカを拾ってきたり、インターネットを使いこなすようになって知識量を爆上げしたりと、なかなか愉快な生活を送っていた。とはいえ、世間知らずなのは相変わらずだが。
「春樹。そういえばこの家には、ずっと埃を被っている部屋があるよね。前は春樹以外にも誰か暮らしていたんだろうけど……部屋は片付けなくて良いの?」
「あぁ……うん。そうだね。ずっと先延ばしにしてきてしまったんだけど……もう良い、かな」
瓜谷さんにそう言われ、僕は両親と妹の部屋を片付けようと決意した。
両親と妹が交通事故で死んだのは、僕が大学に入学してすぐの頃だった。それからは、親戚からも旧友からも、ずっと気遣わしげな視線を向けられ過ごしてきたのだ。
『まだ忘れられないよね』
『時が過ぎるのを待つしかないな』
『いつか笑えるようになるといいけど』
僕は死んだ家族のことを忘れられないまま、惰性で生きていた。瓜谷さんと出会ったのは事故から一年が過ぎた頃で、それからは少しだけ気分が持ち直したが……きっと今の僕の精神状態は、健全とは程遠いのだろう。
「よし。今日から大掃除を始めるよ」
「そっか。私も手伝おうか?」
「いや、いいよ。これから捨てるのは家族との思い出だから。僕が一つ一つ自分の手で確認して、ちゃんと処分する。時間はかかると思うけど」
「なんで?」
僕が重い腰を上げると、瓜谷さんは怪訝そうな顔で疑問を投げかけてきた。
「なんで、え、思い出を……捨てるの?」
「……そうだよ。そもそも瓜谷さんが言ったんじゃないか。部屋が埃をかぶってる、片付けろって。僕だって、いつまでも死んだ人間に囚われるのは健全じゃないと思ってるし」
「違う! 私は思い出を捨てろだなんて、そんなこと言ってない! なんで、どうして、家族の大事な思い出なんでしょ? ねぇ」
「うるさい! ちょっと黙ってくれるかな!」
思えばそれは、僕たちの初めての喧嘩だった。
無感情だった僕も、この時ばかりは心の底から腹が立って、空っぽの段ボールを抱えて妹の部屋に入った。そうして捨て鉢な気持ちで、この勢いのまま何もかも処分してやろうと、そう意気込んでいたのだ。
――だけど僕は、妹の遺品を何一つ捨てることができなかった。
「春樹、ごめんね。私が無神経なことを言ってしまったばかりに……そんな風に落ち込ませるつもりじゃなかったんだよ。本当にごめん」
「いいんだ。瓜谷さんは悪くないよ。僕は、自分の感情なんて消えてしまったんだと、そう思い込みたかった……感情に蓋をして、現実から目を逸らして、ただ逃げていたかった。それだけなんだ」
すっかり日も暮れて、真っ暗になった埃まみれの部屋で。僕は瓜谷さんにいっぱい弱音を吐いた。
妹とのどうしようもないエピソードを話して笑ったり。事故を起こして死んだ憎い奴を罵倒したり。両親の仲の良さを懐かしく思い出したり。そうして、泣きながら二人でカップラーメンを食べたりして。
「私がこの部屋の掃除をするよ。もちろん、遺品を捨てたりなんかしない。綺麗に保管しておこう。春樹がいつでも家族を思い出せるように」
「……思い出しても、良いのかな。親戚なんかはさ、僕がくよくよしていると、天国の家族が安心して眠れないって言うんだ。早く忘れるべきだって」
「私は、天国の存在を信じていない。だけど、もしも魂なんてものがあるとするなら……それは、愛した人の記憶の中に息づいているんだと思う。だから、忘れなくていいんだよ。それよりも、私に教えてよ。春樹の大好きな家族のこと」
瓜谷さんはずっと僕の話に付き合ってくれた。相変わらず素性も分からない謎のおじさんだけど、気がつけば僕にとっては掛け替えのない家族になっていたんだ。
それから僕は、瓜谷さんと一緒に、自分の感情とゆっくり向き合っていった。
⚝ ⚝ ⚝
奇妙な同居生活を始めて一年。
なぜか瓜谷さんの背中から美少女宇宙人のウーリャが出てきて、妹のパーカーを着て、美味しそうに唐揚げを食べてるわけだけど。
「ウーリャは本当に、瓜谷さんなんだな」
「急にどうしたの?」
「食べ方だったり、表情だったり……外見は全然知らない相手なのに、妙に馴染みがあり過ぎて、変な感覚なんだ。キュウリの浅漬け、食べるだろう?」
「うん、食べる!」
そうして、なんだか妙な夕食が終わる。
食器や調理器具を一通り洗って、濃いめのお茶を淹れてきて。さて、何からどう話そうか……と考えていると。
「春樹……あのね」
ウーリャは白猫のムジカを膝に乗せ、少しもじもじとしながら、僕に何かを差し出してきた。
手にとって見てみると……それは、瓜谷さん名義の貯金通帳だった。しかも、その残高がとんでもない。ざっと、サラリーマンの生涯年収の十倍くらいはあるんじゃないかな。
「ウーリャ、これは」
「せめてもの恩返し。もちろん、この星における合法的な方法で稼いだものだよ。ムジカにも助けてもらいながらだけど……それでね。このお金は全部あげるから。私はこのまま、春樹と一緒に暮らしたいの」
ウーリャはまっすぐに僕を見る。
だから僕は……その通帳を彼女の手に戻す。
「ごめん。この通帳は受け取れない」
「そんな……」
「もしこれを受け取ってしまったら、僕が金目当てでウーリャと一緒にいるみたいじゃないか」
そう思われるのは、すごく癪だから。
「僕にとっての瓜谷さんは……ウーリャは、もう家族なんだ。お金なんかなくたって一緒に暮らしたいと思ってる。まぁ、まだ色々と戸惑ってはいるけど」
僕がそう言うと、ウーリャは僕の隣にすっと移動してきて、ニョロニョロと蠢く髪の毛を僕の方に伸ばしてきた。
「春樹……」
彼女の瞳はアメジストのように輝いていて、頭の赤い花からは蠱惑的な香りが漂ってくる。そしてツル草のような髪に絡め取られるようにして、僕とウーリャの唇がゆっくりと――
というところで、割り込んできたのはムジカだった。
『主、春樹殿。受粉寸前のところすまない』
「受粉って」
『テレビをつけて欲しいのだ。何やら、おかしなことが起きているらしい。この星のローカルネットワーク上で大変な騒ぎになっているのだが』
ムジカに言われるまま、僕はテレビをつける。
公共放送にチャンネルをあわせると、そこでは日本の総理大臣が、青ざめた顔で手をプルプルと震わせながら、上擦った声で原稿を読んでいた。
『猶予は一ヶ月。それまでに、その植物系異星人の女を差し出さなければ、ち、地球は異星人の手で滅ぼされます。これは世界各国で足並みを揃えての対応です。緑の肌の女を見かけたら、最寄りの警察にご一報を。その女の名前は――』
ウーリャ・ニュルット。
どうやら彼女は、地球規模のお尋ね者になった、ということらしかった。