Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営
Sランク探索者のリガは大のドラゴン肉好き。大迷宮でバッタバッタとドラゴンを屠ってはおいしくいただいてきた。
そんな彼も、いまや三十歳をいくつか越え、引退を真剣に検討している。
しかしドラゴンの肉は食べたい。死ぬまで定期的に食べたい。
「そうだ、ドラゴンの牧場を作ろう!」
前代未聞のドラゴン牧場は、経営する前から問題が山積み。
「おかしい、俺が想像していたまったりのんびりな牧場経営とぜんぜん違う」
リガはときに法律の穴をつき、ときにコネを使い倒し、最終的には力とドラゴンの肉で解決していく。
リガの太く鍛えられた拳が役場のカウンターを叩いた。
「ドラゴン牧場を作れないって、いったいどういうことだよ!」
迷宮探索者として活動すること二十余年、体力の衰えを感じて引退の文字がよぎる今日このごろ。セカンドキャリアとしてリガが目をつけたのが、ドラゴン肉を生産する牧場だ。
のんびり牧草地でドラゴンを追い立てて定期的に潰して食べる。平和で、牧歌的で、悪くないどころか素晴らしい引退生活だと思った。
しかしリガは十歳くらいに家を飛び出して以来、剣しか握ってこなかった人間だ。牧場についてはてんでよく知らない。
そこで役場に相談しにきたのだが、リガを迎えたのは手厚いの塩対応だった。
恫喝に映りかねないリガの様子にも動じず、顔も態度もメガネも四角い役人が、くいっとそのメガネを押し上げる。
「リガさん。たしかに当窓口は就農支援をしておりますよ。牧場経営に必要な知識の習得、実地訓練、用地の斡旋、資金の補助、種畜・飼料の売買、屠殺場の案内、生産物の販売、すべて管轄です。しかしながら」
役人がまたくいっとメガネを押し上げた。
「しかしながら?」
「ドラゴンは家畜ではないので」
「そんなの捕まえて牧場に放せば家畜だろうが!」
「暴論すぎます」
役人は呆れたように眉を吊りあげるリガを見た。
「これだから現役引退後のスローライフ希望者は。農業を舐めすぎだ」とでも言いたげだ。
舐めて当たり前だろ。ドラゴンを倒すより牧場をやる方がぜったい簡単だ。どう考えても。
リガはムッとしつつ次の言葉を待った。
「リガさんが『竜の天敵』とまで持て囃されている、高明なSランク探索者なのは私も承知していますよ。しかしドラゴンがいる牧場の周囲に住む人や動物、環境はどうなるんです?
モンスターの牧場でも前代未聞だというのに、ドラゴンが暴れたら対抗できるのはリガさんだけなんですよ。近くに人が住んでいれば死ぬでしょうし、山が一つ燃えでもしたらその山の恵みに頼って生きている周囲の農民や動物たちが飢えかねません。草木のない山に雨が降れば土砂崩れの危険性もありますよね。道が塞がれば人も金も物も動きませんから、場所によっては村ごと死にます。
それから、ドラゴンの排泄物にどんな影響があるかは寡聞にして存じ上げませんが、家畜の糞尿や骸の処理を誤って水源を汚染し、下流の街全体で食中毒の大騒ぎになることだってあるんです。家畜からの伝染病で人口が半分になった国もあります。ドラゴンの生態が不明すぎるんですよ。貴方、ドラゴンについてどれくらい知っているんですか?」
なるほど、役人の小難しい言い分はおおよそわかった。「よくわからんし危なそうだからやめろ」という保守的な話だ。こんなものは無視するに限る。
リガはドラゴンの牧場にはその心配を横におくだけの価値があると確信している。やはり一番大事なのは、……ドラゴンの味だ!!!
「お前は知らないかもしれないが、ドラゴンの肉はすごく美味いんだ。うすら寒いところで寝かせるともっと美味くなる。肩周りと腰回りの肉は柔らかくて特に美味い。肉に細かく入ってる脂がすげえさっぱりしてていくらでも食えるくらいだ。全体的に赤身が多いが、腹回りは脂肪が多くて、煮込んでもぷるぷるしてる。強ければ強いほど美味い。すげえ僻地でもいいから牧場をやらせてくれ」
「見事な捕食者目線ですね。ありがとうございます。貴方それでも探索者なんですか?」
「まあそう言うなよ。お前も食ってみればわかるって」
リガはいそいそと魔法鞄を漁る。金にものを言わせて作った一級品のそれは、一月ほどだが出来立ての飯をほやほやのままにしておけるのだ。
ちょうど先日ダンジョンで仕留めたドラゴンの肉串を取り出す。その瞬間、湯気と香ばしい匂いが立ちのぼる。焼いてなお燃えるように赤い肉は、塩を強く振って余分な脂が落ちるまでじっくりと炭で焼いただけのものだが、シンプルに肉の旨みを訴えるのにこれほど適した料理は他にない。
リガは串を一本役人に手渡した。それを見て自分でも食べたくなったのでもう一本取り出し、かぶりつく。肉の繊維をぶちりと噛みきると、アツアツの脂が口の中でじゅわりと滲んで踊りだす。
くぅ、これこれ! あ゛〜〜〜〜〜、キンキンに冷やしたエールが欲しい!
この美味さを知ればきっと役人も言を翻すはず。リガの期待する目を受けて、役人もしぶしぶ串を口に運んだ。
「いただきます。あ、本当だ。すごく美味しい」
「だろ!」
「すみません、妻と娘の分もいただいていいですか」
「いいぜ! 持っていけ! 冷めちまったらシチューにすると美味いぞ!」
「妻に伝えます」
うんうん、ドラゴン肉を美味いと言うやつに悪いやつはいないからな! もし万が一、いや億が一、まずいなんて言う奴がいたらぶん殴る。そう決めている。
目を丸くしたあとは黙々と食べる役人にリガは気を良くして、もう三本、肉串を出してやった。家族全員で食べるといい。皿はサービスしておくぜ!
「俺はさ、死ぬ前の晩に食う飯はドラゴンの肉がいいなって思うわけよ」
「すごく美味しいですもんね」
「ダンジョンでドラゴンを狩っても、狩った奴以外で食えるのは金持ちの貴族ばっかだ。俺ももう、第一線からの引退を考える歳だし、いつ食べ納めになるかわからねえ。魔法鞄の性能がもっと上がるとしても、あと数年でってのは現実的じゃない。
ドラゴン肉を食えない人生なんてもはや死んでるようなもんだろ。それなら、ドラゴン牧場を作って、世の中にドラゴンの肉を広めたほうがいいと思うんだよ。
その辺の肉屋で、ちょっと奮発したら買えるくらいの値段で並んでるんだ。そしたら俺がジジイになって、明日死にそうってときにも食えるだろ」
「たいへんご立派な考えだと思います」
役人が皿の端にきれいになった串を置き、コックリと頷いた。
リガは手応えを感じて顔を輝かせる。
「だろ! それでドラゴン牧場を開きたいんだが」
「ダメです」
「チクショウ!!! なんでドラゴンの肉を食って平然としていられるんだよ!!! 思わず浮かれちまうような美味さだろうが!!!」
「就労規則ですので。当役場は賄賂の授受は認められていますが、特別な便宜を図ることは禁止されています。マニュアル対応しかしませんよ私は。クビにされると一家まるごと路頭に迷いますので」
「頭の中まで真四角なのかよ!!!」
リガは両の拳でカウンターを叩いて項垂れた。
だが、ドラゴンの肉はやはり偉大だった。ほんのすこし、役人の態度の角が取れたようだ。
「それで、探索者ならば通常は生息域とその環境、習性が先に思いつくのではないんですか?」
「嫌味なやつだな。それが聞きたいなら最初からそう言ってくれ」
「レポートにしてくださいね」
「書類仕事は嫌いなんだが」
「奇遇ですね、私も嫌いです。ご自分でまとめてください。繁殖方法や発育過程もお願いしますよ」
紙をもらって、質問とそれに対する答えを書いていく。嫌いなだけでできないわけではないのだ。
途中まではリガもスラスラ答えられるものだったのだが。
「繁殖方法? 発育過程?」
「家畜の定義は、人の手で繁殖を管理できる動物です。ドラゴンはどうやって生まれるんですか? 雄と雌が必要なんですか? 卵生なのか、胎生なのか、分裂するのか。それから育つのに必要な餌の量や期間の目安は?」
「知るかそんなもん。ドラゴンは今まで殺したことしかねえんだ」
「では牧場は諦めてください」
にべもない。
役人ってのは前例がなくちゃ動かねえってのは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
もっと市民のやりたいことに寄り添えよ!!! ドラゴン肉だぞ!!?
「ドラゴンの家畜化なんて俺が初めてやるんだ。初めてのことなんだからやってみなくちゃ何も分かるわけねえだろ! 糞の処理だ、感染対策だ、安全対策だ、他の奴らに迷惑かけねえように気をつけなきゃいけねえのはわかった。
けどよ、そういうルールはだいたい問題が起こったあとに作られるもんじゃねえか! どうやって増やして育てるかだって、腰を据えて調べなくちゃわからねえ! 今から調べてくるから待ってろ!」
リガが威勢よく啖呵をきる。
役人は埒があかないと言いたげにため息をついて言った。
「あなたの熱意はわかりました。それでしたら、もっと上の許可を得ることです。最低でも領主様の許可が必要でしょう」
どうせできるわけあるまい、という態度が鼻につく。
しかしリガは笑った。
「領主の許可があればいいんだな?」
「まさか、お知り合いでも?」
役人からようやく人間らしい表情を引き出せて、リガはドヤッと笑った。
「俺を誰だと思ってる? Sランク探索者のリガ様だぜ? 領主との面識くらいある。なんならドラゴン肉のお得意様だぜ!」
「はあ……。それではモンスターの所持に必要なテイマー資格を事前に取得しておくことをお勧めしておきます」
「わかった! ありがとうな! 準備ができたらまた来るぜ!」
リガの本気を理解したのか、役人は嫌そうな顔で牛や山羊のものだが牧畜の手引きとアドバイスをくれた。意外と親切なやつだ。礼を言って役場を出る。
領主の爺さんはボケてるようで細かいので、手紙を書くにしろ、似たようなものをまとめておいた方が良いかもしれない。
リガは手引書をめくり、おおよそ牧畜をはじめるのに必要な知識を理解した。こうして振り返ると、ドラゴンの死に様はよく見ているが、ドラゴンの一生についてはぜんぜん知らないことに気づく。
テイマー協会にも資料があればいいんだが。
ワイバーンを馴らした騎士の話なら噂に聞くので、大いに期待して、リガはテイマー協会の戸をくぐった。
出入り口のラックに『ゴブリン先生によるモンスター関連法案授業』『テイマー資格とモンスターとの契約について』というパンフレットがあったので、それを一部手に取って閑古鳥が鳴いているカウンターに近づく。書きものをしていた青年がパッと人懐っこそうな顔をあげてリガを迎えた。
「ここにドラゴンの資料はあるか? あとテイマーの資格を取りたいから、そのへんを教えてほしい」
「ドラゴンの資料は探索者ギルドの方が揃っていると思いますよ。バジリスクやワイバーンの資料ならありますけど……。もしかして懐かれたんですか!? さすが史上最強と名高いリガ様!!! 二つ名が『竜の天敵』から『竜の友』になるんでしょうか!?」
顔を赤くして捲したてる青年に、リガは苦笑いして手を振る。
「違う違う、ドラゴンの牧場を開きたくてな! 美味いんだ。あ、お前も食ってみるか?」
カラン、と青年が持っていたペンが転がった。
不審に思って、リガは鞄を漁る手を止めて青年を窺った。青年はガタリと椅子から立ち上がったと思ったらわなわなと震えている。
「貴方はテイマーというものを全く理解っていない。テイマーとはッッッ!!! モンスターと心を通わせ、将来を誓い合い、共に生きッッッ!!! そして共に死ぬ者のことだあああああ!!! 食べるためにモンスターと共に在ろうとするなど万死に値する!!! 死ねえええええ!!!!!」
「うお」
召喚魔法で取り出されたナイフが次々とリガに投げつけられる。
ヒョイ、と取り出した肉串でナイフを弾く。カンカンカン、と弾かれたナイフは、リズミカルに壁や床にぶつかる。
「兄ちゃん、落ち着け、な? 肉食う?」
「貴様に人の心はないのかッッッ!!!」
「ダメだこりゃ」
手に持った肉串を差し出してみたものの、余計に怒らせてしまった。血走った目は狂信者のそれで、リガが何を言っても無駄だろう。
召喚できるものが尽きたのか、投げられるものがペンやらペーパーウェイトやらに変わる。
これは日を改めたほうがいいな。
まさか役人の方が話がわかるヤツだったとは。がっかりだ。
戦略的撤退。
翌日、テイマー協会を訪れたところ、出禁にされていた。
そんなことある??? テイマー協会は狂人の集まりなのか???
まあしかし、貴族の後押しがあればどうにかなるだろ、と高を括っていたリガだったが、待ちに待った領主からの手紙を手にして膝から崩れ落ちた。
『リガっちナイスアイデア! 王国法の改正を中央に働きかけてみる〜。十年くらい待ってねん♡(意訳)』
「十年も待てるか!!!」
リガは手紙をくしゃくしゃにして地面に叩きつけた。
さて困ったことになった。
金はある。ドラゴンの捕獲にも自信がある。だがノウハウと土地を得るための許可が手に入らない。
「こうなったら許可がいらないところ……、法律なんぞ無視できる場所でドラゴンを飼うしかないぞ……」
ぐるぐると考えているうちに、リガはいつの間にか歩き慣れた道を辿っていた。そしてその目に大迷宮が映る。
大迷宮ネオユグドラシル。
現代の技術ですら解析不可能な白い金属のような何かが折り重なり、組み合わさってできた、異形の大樹。大陸最古にして最大規模を誇り、内部の環境はまさに混沌。
ドラゴンの出現が確認されている唯一の迷宮で、毎年何千何万もの探索者の命を呑みこむ代わりに、莫大な資源を生み出す無法地帯だ。
無法地帯……?
「ダ、ダンジョンの中に牧場を作ればいいんだーーーッ!!!」
リガは装備を整えて大迷宮へと駆け出した。