官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である
主人公の高木和義は、ひょんなことからクラスの委員長の蓼科涼子が、今をときめく官能小説家『海堂院蝶子』であることを知ってしまう。成り行きで彼女のアシスタントに就任するが、卒業式目前に、海堂院蝶子が『本屋文藝賞』にノミネートされることに。更には受賞者発表が卒業式当日と丸かぶりしてしまい………。
俺の家はコンビニである。
地方の田舎によくある、家族経営の、こじんまりとしてシャッターは色褪せ、看板は古びている、そして店内には、隅のほうには何だかわけのわからないものまで陳列してあるあれだ。二十四時間は営業していないが、夜は9時まで開いている。
そしてある夜、閉店時間ぎりぎりにうちのコンビニに駆け込んできたクラスの委員長、蓼科涼子が、古びたコピー機の上に何かを忘れていった。
それははち切れそうな量の謎の紙束が入った、妙に大きな封筒だった。
同じ高校の同じクラスだし、と翌日の放課後、何気なくそれを持っていくと、蓼科はこちらがびっくりする勢いで、突然真っ赤になった。
「………えっ、まって、その、な、な、中身、見てないよね!?」
いつも冷静で落ち着いた、お嬢様を絵に描いたようなこの委員長の蓼科が、うわずった声で慌てて問い詰めてくる。
「見てないけど、何かマズいの?」
「えっ、う、ううん、なんでもな………」
そして動揺して手が滑ったのか、中身を盛大に取り落としてしまった。
バサリ、と音を立てて教室の床に広がった紙束は、いわゆる『過激な』そして『淫らな』な単語がいっぱいの原稿用紙だった。そこには一体何と読むのかわからない謎の単語の羅列、俺は頭の出来はよくないが、これらが何やらとても、とんでもなくエロいこと『だけは』わかってしまう、そんな妖しい文字で溢れかえった原稿用紙と、一枚目の表紙。
今世間を騒がしている売れっ子官能小説家『海堂院蝶子』の正体は、何とこの委員長だったのだ。
「た、高木君………皆には……クラスの皆にも先生にも、お願いだから黙ってて。本当にお願い」
その場で土下座せんばかりの勢いで、そして教室の床ごと掃き清めんばかりの勢いで原稿用紙をかき集めながら、クラスの高嶺の花が懇願してくる。
スタイル良し、成績良し、運動神経良し、誰にでも親切で、清楚で、非の打ち所のないお嬢様がである。まるで何かの漫画みたいな光景だ。
「い、いいけど。じゃあ、俺の質問にも答えてもらっていい? どうやって……書いてるの? こういうの」
ぺたりと教室の床にすわりこんで、原稿用紙をあたふたと封筒の中に押し込みながら、
「そ、それはその、想像力とか? それしかないし。……どうしよう、なんでバレちゃったんだろう………頑張って皆には内緒にしてたし、親だって知らないのに。原稿料は……口座振替だし……編集部には学業優先だから顔出しNGって言ってあるけど……」
今にも消え入りそうな声で、蓼科がもごもごと答える。
「原稿料? すげえなあ。本当に蓼科って小説家なんだな。これで俺がヤンキーだったら月に10万円ずつカツアゲしたり、イケメンだったら『俺で試してみない?』とか言えたのか……」
読書はしないが、自分の身の程はそれなりにわきまえているつもりである。取り立ててクラスで目立つこともない、没個性な帰宅部の男子高生。それが俺なのだから。
「あっ今のセリフ貰っていい? ちょうど使えそうな連載あるから……」
もはや何もかもを諦めたのか、早々に蓼科は委員長の皮を脱ぎ捨てる。そして、
「試すんだったら場所はどこ………無難に屋上とか? 都合良く内側から鍵がかかる場所って他にあるっけ」
真剣な顔で考え出す。思わずつられて俺も考え込んだ。
「………進路指導室とか? こないだ呼び出されたからわかるけどあれ中から鍵がかかるし、鍵かけると自動的に『利用中』になるんだよな。職員室の隣だけど」
「それ! そのアイデア貰うね。『学校で一番のイケメン先輩と……』『イケない進路指導室! 先生達に聞こえちゃう!』……新連載こういう系でいこうかな。クライマックスは放送室でうっかり大事なところを全校放送、でもいいし……」
「うわそれは面白そうけど『うっかり』の当たり判定が若干えぐいな」
「そっか……じゃあ、無難に放課後の音楽室のピアノの上でしっとりこっそり二人っきりで盛り上がって……とかでもいいし、どっちにしようか、いっそどっちのシーンも入れちゃおうか………明日音楽の授業あったよね。ちょっとその時にピアノ見て決めようかな。グランドピアノって二人乗れるのかとか……耐荷重、大丈夫そうかな…」
音楽室のピアノに対して『耐荷重』などという単語を使う場面に、人生で初めて巡り会った気がする、などと考えていると、なんだか肩の力が抜けていってしまう。
「無難でそれなんだ。音楽の先生、委員長がそんなこと考えながら授業受けてるって知ったらひっくり返りそうだな……」
ちゃっかりとポケットからメモを取り出して、長い髪を後ろでひとまとめにし、ポケットから眼鏡まで取り出して真剣な顔そのもので『ピアノ 耐荷重 二人分』などというメモを走らせはじめた蓼科に、俺は思わず聞いた。
「っていうか、そもそも何で小説書いてるの? しかも、こんな過激なやつ………」
すると蓼科が真面目な顔で答える。
「………小さい頃から、小説家になるのが夢だったの。それで、書きためてた作品を編集部に送ったら、担当がついたんだけど………」
「へえ……よくわからないけど何かすげえなあ」
「最初はね、もっと他に書きたいものがあったんだけど、それだと全然人気出ないからって、担当に勧められたの。今どきの若い子達の恋愛小説書いてみないかって。……でもここ田舎だし、私ぶっちゃけ彼氏もいないし、そんなにネタとかもなかったから、都会の恋愛を色々読んだり想像したりして書いたの」
「ん? っていうか、蓼科に告って爆発四散したって噂の男子の話ならこの1年で何度か聞いた気が………」
「だ、だって、いくらなんでも小説のネタのためだけにお付き合いとか、彼氏作るとか、私には無理だし………」
「えっ、あいつらそんな理由でふられたのか………」
「っていうか、付き合ったら絶対にバレちゃうじゃない。小説書いてること……」
「まあ、そうだろうなあ」
首を縦に振ったり横に振ったり忙しい蓼科が、やっとのことで大きく息を吐く。
「で、そ、それはともかく、書いて出したら意外と評判良くて、しかもどんどん過激になっていっちゃって………でも、もう必死で、毎日そういう動画見て、あの、いわゆるなんかアレな小説もネットで買って、それで……」
「めちゃくちゃ人気じゃんかよ。小説なんてそんな読まない俺でも名前だけは知ってる小説家だぞ。来年ドラマ化だってするんだろ?」
ああぁあああ、と変な声を喉の奥から出して、再度封筒をしっかりと抱え込みながら蓼科はその場に座り直す。
「でも、皆にも内緒だからアシスタントも雇えないし、受験勉強との両立も正直きついし……そろそろ色々限界で、どうしようって……」
一瞬考え込んだ後、若干の下心もありで、思わず俺は言ってみる。
「………手伝おうか。俺、家のコンビニで働くつもりだから大学行かないし」
すると、意外なことに蓼科は速攻で食いついてきた。
「ホント!? これで、数Ⅲのテキスト読みながら毎晩こっそり10本濃厚な秘蔵動画を2倍速で見なくてすむ……」
「いやそれ逆にすごくね!?」
それは一般的な女子高生の勉強法にしては、アクロバティックが過ぎるのではないだろうか。
「………でも、タダとはいわない」
「え、お、お金なら払うけど……」
「いや、別に俺、家のコンビニでバイトしてるからいい。だから、どうしよっかな…」
ここにきてやっと我に返ったのか、本気で青ざめてビクつきだした蓼科に言う。
「俺の頼みごとも、聞いてもらおうかなあって。今はあれだよなあ……勉強のノート、見せて欲しい。さすがに卒業できないとマズくてさ。中間テスト赤点ばっかでこないだ担任に注意されたんだよ」
拍子抜けしたのか、蓼科が目を丸くする。
「だから進路指導室に呼び出されたの?」
「そういうこと。あっそれと動画10本くらいなら俺余裕。読書感想文は大っ嫌いだけど、そういうのの感想だったらまあまあいける、と思う」
「つまり、アシスタントになるから、勉強ノート見せて、と……わかった。アドレス交換するね」
こうして俺こと高木和義は、『官能小説家・海堂院蝶子』のアシスタントに就任することになった。
「それと、委員長の本読みたい」
「あ、明日持っていくね……」
そしてしっかりと茶色い地味なブックカバーで覆われた、そしてブックカバーの下の本の表紙は、俺でも若干引くレベルで一糸まとわぬ男女達が際どいポーズをキメていた、蓼科が貸してくれた『海堂院蝶子先生』の本の数々は、とにかく色々な意味でスゴかった。
はたして『官能小説』というのは想像力だけで書けるものなのだろうか、という俺の疑問は、読んでいるうちに吹っ飛んでしまっていた。そういえば蓼科は、学年どころか現代国語の模試は全国でもトップクラスだったことを思い出す。朝礼で担任から表彰されていたような記憶がある。
そんな模範的な委員長が、まさかこんな小説を書いているとは。
そこには凄まじい努力があるのだろう。思わず我を忘れて、何なら作者の蓼科の顔すら忘れて、俺は借りた本を読み耽る。俺は普段本なんか読まない人間だが、そんな人間に対しても、すこぶる過激かつ良質なエロは、あっさりと敷居を下げてくれるのだ。
そしてがっつり下がった敷居のおかげか、学校では絶対に教えては貰えない『読めない漢字』の羅列に頭を悩ませることも、一気に読み通してしまえば、意外なことにそんなになかった。
なお読んでいるうちに気がついたら朝になっていて、翌日の授業は1限からこれまたがっつり寝倒したのだが、全てを察したのであろう蓼科がそれとなくフォローしてくれた。
やはり持つべきものは官能小説家の委員長である。半分寝ながら俺はそう確信した。




