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深窓令嬢の真相

 侯爵令嬢、マリ・ド・ヴァロワ。

 つややかな黒髪と美しい顔立ちを持つ彼女は病弱がゆえに、めったに社交界に現れない。

 庭で本を読む姿を見かけた客人が深窓の令嬢という言葉を思い出した、と夜会で言ったことで、彼女は深窓令嬢とあだ名されていた。

 そんなマリは体調のいい時期にサロンを開く。彼女と会うことができるのはそのサロンだけだ。

 彼女のサロンに行ったことのある人々は皆口々にこういう。

 

 ――深窓令嬢は真相を知っている。

 

 彼女のサロンは令嬢たちのあこがれであり、うわさを聞きつけ時には紳士もやってくる。

 

 サロンに来た人々を穏やかな笑顔で迎え入れる彼女は、いつも脳内で叫んでいた。

 

『早く終わって!』


 表向きは病弱な美しい令嬢。しかし、本性は本好きオタク気質の引きこもり令嬢がサロンの中で謎を解く!

 ――深窓の令嬢は真相を知っている。


 この国の貴族の間でまことしやかに囁かれる噂だ。


 ********

 

 ヴァロワ公爵家主催のサロン。その中心にいるすっと伸びた背筋と穏やかな笑みの姉、マリ・ド・ヴァロワを見てジャックはほっと息をついた。緩く束ねてアレンジされた艶のある黒髪と深緑のドレスはマリの神秘的な雰囲気とよく合っている。

 ジャックは音楽家の演奏がひと段落したのを見計らい、マリのもとへ近づいていった。ジャックに気が付いたマリは笑顔で彼に小さく手を振った。

「ジャック。来てくれたのね」

「えぇ、姉さんのサロンに私が顔を出さないわけないでしょう?」

 その言葉にマリの青く澄んだ目が一瞬鋭く細められる。

「嬉しいわ。楽しんでいってね。あなたの好きなお菓子も用意してあるわよ」

 マリはそういってほほ笑む。子供のような扱いにジャックは渋い顔で頷いた。

 そのままマリに促され、ジャックが近くの椅子に腰かける。向かいに座るふんわりとした栗毛の令嬢がにこりとジャックに笑いかけた。栗毛の髪に映える花をモチーフにした金色のアクセサリー、くりっとした丸い目元が可愛らしい印象の令嬢だ。

 

 ――フィリグリー子爵の令嬢か。

 

 以前の記憶をたどったジャックが声を掛けるよりも前に、フィリグリー子爵令嬢が口を開く。

 

「先ほどの話、ジャック様のご意見も聞きたいですわ」

「いいですね。聞いてみましょう」

 令嬢の言葉に、マリや周囲の令嬢も頷きあっている。ジャックは何のことかわからず、首をかしげた。

 

「屋敷に不思議な手紙が届くんです」

 

 そう言って子爵令嬢は話を始める。


 フィリグリー子爵家は国道の整備事業に携わっている。国中の道を整備していく子爵の功績は名高く、昇爵の噂もあるほどだ。

 各地に飛び回っている子爵や整備中の道の現場からの報告は手紙が主で、毎日届く手紙の量はほかの貴族と比べ物にならないくらい多い。

 

 その不思議な手紙を最初に気が付いたのは、手紙の仕分けを担当するメイドだった。

 

 一目で高級な品であることが分かる封筒にもかかわらず、封蝋がなかった。それに加え、差出人の記載がなく、子爵令嬢の名前の印が押されていた。

 怪しいと思ったメイドは執事長と共に開封したが、中に入っていたのは何も書かれていない便箋一枚だけだった。

 これを皮切りに、週に1回ほど、同じような手紙が届くようになったという。郵便受けに直接投かんしたのだろうと見張らせたりもしたが、差出人は現れなかったという話だ。

 

「これが数ヶ月続いていて、さすがに気味が悪いんです。父も長いこと留守にしていますし」

 令嬢が視線を少し下に向ける。眉尻が不安げに下がったのを見て、隣の令嬢が慰めるように肩に触れた。

 

「……何も書いていないとは?」

 ジャックが柔らかい声色で問いかけると、令嬢は頷いて一枚の紙を差し出す。右下に花の絵が描かれた便箋だ。

「マリ様に見てもらおうと持ってきたんです」

 令嬢が目線をマリに向ける。マリはすべてわかっているかのように微笑みながら頷いた。

「便箋に描かれた絵は、ずっといっしょなのですか?」

「いいえ、毎回少し違います」

「そうですか。……甘いかおりがしますね」

 ジャックが便箋から微かに漂う花のような香りに気が付き、そう口にすると令嬢はそうなんです、と頷く。

「ミントのような香りがしていたこともありました」

 令嬢が香りは時々ついているのだと続ける。

 

「どの便箋にどんな模様が書いてあって、どんな香りだったかとかは、わかりますか?」

「えぇ、それもこちらに」

 続けて渡された紙には便箋に描いてる模様とついていた香りがそれぞれ表になっていた。描かれていた草花はどれも王国に自生するよくあるもので、飛び石のように埋まっている香りの欄に書かれているものも国内でよく見かける草花や果実のものだった。

 季節ごとに行楽地で花見が行われるような花から、日常的な贈り物に使う花まで、統一性はない。

 

「柑橘系の香りがする紙をあぶると文字が浮かび上がる、というのは有名ですが……柑橘の香りはないですね」

 全く分からず困り顔のジャックは視線をマリに向ける。穏やかな笑顔を崩さないマリと目が合うと、マリは至極楽しそうに笑みを深めた。

「……姉さん、もうわかっているのでしょう?」

 恨めしい声でジャックが言うと、マリは小さな声で笑い、謝罪を口にした。


「えぇ、差出人の検討はつきました」

 

 その言葉に周囲の令嬢たちは息を呑みマリを見つめた。令嬢たちの目が待ち望んだものが来たといいたげに輝いている。

 マリはジャックの持つ表と便箋を受け取ると、後ろを振り返った。

 サロンの時はいつも彼女の後ろに控えている男、ベルナールが蝋燭を持って立っている。

「ここにおいてくれる?」

「あぁ」

 ベルナールがテーブルの上に蝋燭を置いた。


「まず、差出人ですが、おそらくフィリグリー子爵でしょう」

「父ですか?」


 令嬢が目を丸くする。


「えぇ、あて先がないということは、直接届けられたか、住所を知っている人が届けたと言うこと。見張っていて見つからなかったと言うことは、直接届けられてはいない。ということは、子爵の手紙と共に届けられたのでしょう。子爵と行動している方々の家族への手紙も一緒に届いているのでは?」

「あ、はい。一度にくる手紙は確かに多いです。紛れていたらわからないかも」

 

 マリは頷くと表を指さす。


「この花も、この香りも国道沿いの名産です。あと、ジャックの言っていた炙り出しも正解よ」

「え?」


 マリは令嬢に断って、便箋を蝋燭に近づける。

 

「あぶり出しは柑橘である必要はないのよ。有機物が含まれていればそれでいいの」


 マリの言葉と共に、令嬢の父からの手紙の内容が浮き上がってきた。

 『いつこの手紙が読まれるのか、楽しみでしょうがない』という一文から始まる、離れた娘を想って書いた手紙だ。それをみて令嬢はほほを赤くして顔を覆う。


「なんで、あぶり出し……」

「楽しませようとするお気持ちが強い方なんですね」

「ほかの便箋もそうなのでしょうか?」

 隣に座る令嬢が言うと、マリはそうかもしれませんね、と笑った。

 

 マリがベルナールのほうを向くと、ベルナールはすかさず筆記具を手渡す。マリは表の中にいくつか書き込むと、帰ったらこれをもとに確認してみてくださいな、と言って手渡した。


 ********


 マリはサロンの参加者を見送ると、自室へ戻る。豪華なドレスを脱ぎ捨て、部屋着に着替えると勢いよくベッドにダイブした。


「あぁぁぁぁぁ、おわったぁああ! つかれたあぁぁぁ」


 穏やかな笑みも、優しげな声も見る影のない太いうめき声をあげるマリ。ベッドにのたうち回っているうちに部屋のドアが強めにノックされ、返事も待たずにジャックが入ってくる。


「姉さん。外まで響いてるよ」

「誰もいないしいいでしょ。それよりも、毎回ちゃんとやってるかチェックしに来なくていいから!」

「いや、それは無理だよ。父上にも頼まれてるし。あと、フィリグリー子爵令嬢からお礼のお茶会のお誘い来てるよ。すごい感謝してた」

「断っておいて。私はサロンしかやらないわ」

「いい加減社交場に出ることに慣れてよ……」

「ほら、疲れが出たってことにして」

「その病弱設定もいつかバレるからね」


 マリはあきれた様子のジャックを横目にベッドから立ち上がると、マリは本棚から一冊の本を取り出した。窓際に置かれた椅子に背中を丸めて膝を立てて座り、本を開く。


「本当に、あぶり出しだけだったの」


 ジャックがふと思い出したように問いかけると、マリは顔をあげた。ジャックをじっと見つめると数回頷いて口を開く。


「……あれ、差出人は二人いるのよ」

「え?」


「香りが付いていたのはフィリグリー子爵からの手紙ね。でも香りが付いていないのは、別の人よ」

「どういうこと?」

「立場はわからないけれど、おそらく彼女の恋人か想いあっているか、ね」

 

 そう言ってマリは読んでいた本をジャックにも見えるように開く。ジャックが表で見た花がいくつも載っていた。

「香りと一緒になっている花は各地の名産品だけど。香りと一緒になっていない花は名産品ってわけじゃないのよ」

「それが恋人からの手紙っていう根拠?」

 

 ジャックが訝し気に聞くと、マリは本をめくっていき、とあるページで止まった。たくさんの花が紹介されているページだが、ジャックには見覚えのある名前ばかりだった。


「香りと一緒になってない花はどれもプロポーズで使う花よ。ほら、愛を語る花言葉ばかり。これ、上から順に書かれてたでしょ?」

 

 同じ本を読んだのかしらね、マリはそう言って本を棚にしまう棚をなぞるように本を選び始める。

 

「だから、最後にメモを渡したのか」

「えぇ、あの場でそこまで話す必要はないから」

 

 本を選びながらそう話すマリは、小説の並んだ棚から恋愛小説を取り出して窓際へと向かっていく。

「子爵があぶり出しの手紙を思いついたのを利用したのか、恋人が提案したのかわからないけれど、離れている間どうにかして彼女に思いを伝えたかったんでしょう。……まるで物語みたいね」

 そう言ってマリは再び背中を丸めて椅子に座って本を開いた。

 その姿はサロンでの凛とした令嬢のものとはにても似つかぬものだ。


 

 ヴァロワ侯爵家令嬢、マリ・ド・ヴァロワ。

 つややかな黒髪と一目見たら忘れられない華やかな顔立ち、そして憂いを帯びた瞳。社交界で大輪のバラとなるであろう見目を持つ彼女が社交界現れることはめったにない。体が弱いという噂も相まって社交界では彼女のことを深窓令嬢と呼んでいた。


 そんな彼女の開くサロンは、令嬢たちの憧れだった。

 皆が社交界のうわさ話に花を咲かせる中、楽しそうに微笑む彼女は、貴族たちの抱える不思議な出来事を何気ない会話から解き明かす。


 ――不思議なことがあったなら、ヴァロワ家のサロンに行ってみなさいな。深窓の令嬢が解いてくれるわ。

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