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贋作公主は真龍を描く

 カモだと思った相手に嵌められた。

 贋作専門の少女が、「本物」の皇帝を作ることに!?


 祖国が異民族に征服されて十年。親も住まいも失った彩玉は、「モノの価値を知らない蛮族ども」に精巧な贋作の書画骨董を売りつけて生計を立てていた。

 ある日、彼女が目を付けたいかにも世間知らずそうな貴公子は、良いカモのはずだった。が、気が付くと彩玉はそのカモに脅されていた。

「この俺を騙そうとするとは良い度胸。罪に問われたくなければ──分かるな?」

 その貴公子・暁飛は、実は征服者が立てた国の皇子なのだとか。とある事情で贋作を必要としていた彼は、彩玉の腕を見込んで依頼をしたいのだという。

 仇の依頼を受けるなんて、不本意極まりないけれど、暁飛の事情は彩玉にとっても聞き捨てならないものだった。

 気付けば彩玉は、征服者たちの権力争いに深く関わることになってしまい──


 嘘と贋作が真実の絆を生む(?)中華陰謀ファンタジー!


 その青年をひと目見た瞬間、彩玉さいぎょくは思った。カモだ、と。


 結わずに編み込んで垂らした髪。動きやすさを重視して、脇に深く切れ込みを入れた上衣。いずれも、間違いようもなく北辰ほくしん族のものだ。それも、玻璃はりや翡翠や瑪瑙の玉をふんだんに使った装いは、富裕な貴人なのだろう。


 路地の影に隠れて、仲間に指先で合図を送りながら、彩玉は心中で舌なめずりした。


(北辰の奴らが七宝街しっぽうがいに踏み込むなんて、良い度胸……!)


 大陸の中央に爛熟した文化を築いて繁栄しただん国が、北の草原を故郷とする北辰族に滅ぼされてもう十年になる。北辰族はせつという国を建て、皇室の姓も官名も諸制度も変わったけれど、民の暮らしはさほど変わらない。地方でささやかな抵抗を続ける檀の遺臣や傍流の皇族を余所に、都では新たな支配者のもと、それなりに平穏な日常が営まれている。


 特に、七宝街の危うさと賑わいと胡散臭さは、この何百年も変わらない。王朝の交代に拘わりなく、都の片隅のこの一帯には古今東西の宝物とそれを求める者たちが集まってくる。

 時代も様式も様々な書画に、宝石のように艶めく釉薬の磁器。古木や奇石、西方から伝えられた精緻な織物や装飾品、南海渡りの香料──それに、それらの贋作も。

 長年その道を究めたはずの目利きや通人でもしばしば贋作を掴まされるのだ。まして、ついこの間まで草原で馬を駆り羊を追っていた北辰族が安易に手を出せば痛い目を見る。


(良い勉強を、させてあげないとね?)


 何しろ、北辰族は国を滅ぼしてくれた仇なのだから。政には興味のない庶民でも、住み慣れた街が燃やされ踏み荒らされた恨みはそう簡単には忘れない。縁者を亡くして七宝街に流れ着いた者も多い。──そう、だからこれは、彩玉たちにとっては生業なりわいとささやかな意趣返しを兼ねたこと。立派ななのだ。


 彩玉の合図と目配せに従って、仲間たちはについていく。彼女自身も、青年と、従者と思しき背の高い男の動きを常に目で追いながら、慎重に距離を詰める。

 複数の目で監視されていることなど露知らず、青年は画を扱う店を覗いているようだ。髪に編みこまれた翡翠の珠が、時おり日光を反射して煌めきを放つ。彩玉は北辰族の風俗に明るくないけれど、髪形や装飾は恐らく身分を反映するものであって、彼はかなりの良家の子息なのでは、という気がした。


(若いし、戦場に立ったこともないのかもね)


 それはつまり、檀国の直接的な仇ではないかもしれないということ。そしていっぽうで、平和ボケしているから()()()()かもしれないということ。いずれにしても、金回りは良さそうだ、という彩玉の値踏みは変わらない。だから──


(よし、今!)


 仲間の誘導も手伝って、青年との間の人混みが途切れた。その瞬間を見計らって、彩玉は飛び出した。息を合わせるように、仲間の中でも大柄な李章りしょうが大声を響かせて彼女の背を押す。


「このアマ、舐めやがって!」

「きゃあっ」


 少々棒読みな李章のに比べて、彩玉の悲鳴は真に迫っていた。目当ての青年も、思わず、といった風情で振り返ったのを確かめて、心の中で快哉を叫んでから──彩玉は、ちゃっかりと彼の胸に収まった。


「た、助けてください……!」

「え? あ、ああ」


 間近に見上げた青年の顔は、思いのほかに整っていた。

 軽く瞠った黒い目の色は深く、髪や衣装を飾る宝玉にも負けない輝きを秘めている。どさくさ紛れで触れた体躯は、武に長けた北辰族らしく鍛え上げられているようだ。顔立ちも精悍で野性味があって、それでいて品も同居しているから隙がない。


「くそっ、どこ行きやがった──」


 彩玉が青年に見蕩れて──否、品定めしている間に、李章の声は遠ざかっていった。やたらと諦めが良いのは、計画通りだ。


「ありがとうございます。怖かった……!」


 正直言って、青年が何かをしてくれたわけではない。彩玉が、良い感じに彼を盾にして、李章の目から逃れた()()()()()()()()()()。でも、これで筋書きを進めることができる。


 突然の一幕に、青年は首を傾げつつも彩玉を突き放したりはしなかった。こうなれば、もう()()も同然だ。


「良かった、のかな? 何があったんだ?」

「ぶつかっただけなのに、たいへんな剣幕で──あの、どうか御礼をさせてくださいませ」


 青年もなかなかの見目だけれど、彩玉だって負けてはいない。地味な装いを生かして、いかにも零落した良家の令嬢のように振る舞うことだって、お手のものだ。だって、檀の滅亡以来、彼女は生き馬の目を抜く七宝街で生き延びてきたのだから。

 潤んだ目を伏せて、睫毛を震わせて。破落戸ゴロツキから逃れた安堵と、助けられた喜びを滲ませて。袖で半ば顔を隠しながらおずおずと切り出せば、断れる男はそうはいない。


「私の家は近くにございますの。荒れてはおりますが、何もしないというわけには──」


 そして実際、その青年は彼女について来てくれることになったのだ。


      * * *


 実のところ、彩玉はとして案内した屋敷の本当の持ち主のことを知らない。

 彼女たちが居ついた時にはすでに空き家だったから、檀の都が攻め落とされた時に殺されたか逃げのびたのだかしたのだろう。今日まで誰にも文句を言われていないから、これからも問題はないと思う。たぶん。


「手入れが行き届いておりませんで、お恥ずかしいですが」

「いや。檀の庶民の家は見慣れないから興味深いな」


 ところどころ塀が崩れ、門の内外に雑草が蔓延はびこる荒れ屋を見ても、北辰族の貴公子は呆れや侮りを見せなかった。護衛らしい男のほうは、賛成しかねる、と言いたげに顔を顰めていたけれど。


(庶民、ね……。門と塀と庭があるのって、それなりの家なんだけどね?)


 道すがらに聞き出した青年の名は、暁飛ぎょうひ。父の命令で、檀の画を見繕わなければならないところ、その方面の知識や伝手がないので困っていたのだとか。ますます都合の良い話である。


 檀を征服した後、蛮族どもはその文化をも手中に収めようとしている。書画を屋敷に飾ったり、磁器を使いたがったりするのだ。

 けれど、それらの真贋や善し悪しを見分けるのは至難の技だし、征服者に良品を売りたがらない蒐集家や商人も多い。そこに、彩玉たちがこの()を行う余地が出てくるのだ。


「これでも、祖父の代までは裕福で、人の出入りも多かったのです。──ですから、暁飛様のお力になれるかもしれません」


 話に信憑性を出すために、彩玉はそこそこ良い青磁の器で茶を淹れた。

 銘も箱書きもなかったから値はつけづらいけれど、素地に刻んだ牡丹の花弁に、ところどころ釉薬が溜まったできた陰影が美しい。師父しふ官窯かんようの試作品が流れたのでは、などと言っていた。


 客人ふたりが茶を啜る間に、彩玉は蔵から一幅の画を持ち出した。


「これは──」

「ほう、見事なものだな」


 暁飛と、いまだ名を知らぬ護衛の男が溜息を漏らすのを聞いて、彩玉は満足した。だってこれは、ほかならぬ彼女が描いたものだから。


 それは、潑墨はつぼく──たっぷりと水を含ませた筆で、墨を滲ませる技法で描いた梅花図だった。

 古びた風情の痩せた枝に、まだ開かぬ蕾がぽつぽつとついた、早春の絵。硬く乾いた質感の幹や枝、大きくとった余白が冬の寒々しさを醸すいっぽうで、蕾だけに使った紅の彩が春の気配を感じさせる。淡く滲んだ紅は、寒中に匂い立つ花の香りさえ感じさせるだろう。

 二百年ほど前の花卉かき画の名手、海涛かいとうの風を写した、会心の出来の一作だった。


「祖父が蒐集した品のひとつです。持て余しているもので恐縮ですが、御礼になれば、と」


 反応が上々なのを見て取って、彩玉は控えめに微笑んだ。もちろん、腹の中では暁飛たちの表情、一挙手一投足を凝視して出方を探っている。


(さあ、食いついてくれるかしら……?)


 これは、に過ぎない。古色を帯びさせるのに手間はかかるけれど、また描けば良いのだから。墨と紙があれば何枚でも作れる。

 ほかにも収集品があること、かつ、彩玉には売る伝手がないことを匂わせる。さらに、名品()()()画を贈られた恩を感じてくれれば、の取引にも繋がるだろう。

 ほかのも買い取らせて欲しい、という言葉を引き出せたらしめたもの、このあばら家の蔵には、彩玉と師父が描き溜めたが山とある。一枚でも売れれば、仲間とその家族たちの当面の食い扶持が稼げるというものだ。


「なあ──」

「はい?」


 描かれた梅花に見蕩れていたようだった暁飛が、ふと、指を持ち上げて画の一角を指した。余白に捺された落款のところだ。


「素海涛と読めるが──有名な画家ではなかったか?」

「そう、なのですか? もしもそうなら、御礼に相応しい一幅なのでしょうか」


 蛮族にも名画家の高名が届いているなら話は早い、と。彩玉は梅花のごとくに笑みを綻ばせた。が、それは早計だったらしい。暁飛は、首を傾げながら腕組みをした。


「俺はよく知らないが、檀の画家や書家は、号を持つものなんじゃないのか? 本名をそのまま印にすることはあるのか?」


 余計なことに気付かれて、彩玉は口元を引き攣らせないようにするのに苦労した。


 暁飛の指摘は、もっともではある。檀の教養人の雅号はひとつには限らない。画だけでなく書でも文章でも名を馳せた素海涛は、それぞれの分野で異なる号を名乗ったし、何なら年齢によって、作品を発表する場によっても使い分けた。

 梅花の潑墨画なら、壮年期に内輪の席で興に任せて描いたと見るべきで、それなら落款は酔花仙すいかせんになる可能性が高い。そんなことは彩玉にも分かっている。


(お前たちの知的水準レベルに合わせるとそうなるのよ!)


 檀の蒐集家に売りつけるなら、その辺りの考証はもっと抜かりなくやる。でも、北辰の蛮族どもは、素海涛の雅号の見分けなどつかないのが普通なのだ。落款を見て、お、と思ってもらうには、もっとも知られた名を掲げておかなければならない。


 もちろん、裏の事情など口にはできないから、彩玉は潔く引き下がることにした。


「私は受け継いだだけですので、何とも……申し訳ございません、お気に召さなかったようですね」


 カモだと思った相手は、意外と目端が利くらしい。食い下がって怪しまれるより、縁がなかったと諦めてさっさとお帰りいただくのが良いだろう。


(ほかの『御礼』を持たせなきゃいけないのかな……面倒臭い……)


 まあこんなこともあるさ、で終わり。七宝街にはすぐにまた次のカモが来るだろう。そう思って、彩玉は暁飛のことを忘れようとした。

 でも──彼女が片付けようと手を伸ばすより先に、暁飛は素早く梅花図を掴み取った。しわができるのを恐れる様子もなく、無造作に握って、鼻に近づける。


「……墨の臭いがするな。まだ、新しい」

「は?」


 それは、描いたばかりの画には墨の香りが残っている。でも、彩玉たちがそんな初歩的なところで過ちを犯すはずがない。


(犬じゃないんだから……)


 素海涛作に信憑性を出すため、つまりは二百年を経た画だと見せかけるために、さんざん陽に晒したり煙で燻したり水に浸けたりしているのだ。


「そんなはず──」


 ない、と言いかけて、彩玉は自分の口を掌で塞いだ。暁飛が勝ち誇った笑みを浮かべたのに気付いたのだ。


(嵌められた!? 私のほうが!?)


 祖父が集めたものなのに、と解釈してもらうには、無理がある間と口調だった。彩玉は、言い訳の余地なく焦りと驚きと疑問を滲ませてしまったのだ。


 失言を誘われたのだ、と悟った時には、暁飛の手が彩玉のそれを捉えていた。放られたらしい梅花図が、卓に落ちてかさり、と乾いた音を立てる。


「手が硬い──荒れているな。お前が描いたのか?」

「──っ」


 この青年は、贋作を見抜いた。しかも、彩玉たちが彼を騙そうとしたのも察している。言い逃れは、もはやできない。

 敗北の悔しさを噛み締めながら、彩玉は腹の底から叫んだ。


「李章! 元建げんけん! 助けて!」

「おう!」

「うちの公主ひめさまに手を出すたあふてえ野郎だ」


 悲鳴に応じて、隣室に控えていた仲間たちが姿を見せる。没落令嬢を演じるためにひとりで応対していただけ、もしもの時の備えもちゃんと考えているのだ。

 元建も、李章に負けない大柄で強面で、彩玉に手を出そうとした不埒者を何度も叩きのめしてくれた。


 だから、これで安心、万事解決と思いかけたのに──北辰族のふたりは、顔色ひとつ変えなかった。護衛の男が、主の暁飛に低く囁く。


殿?」

「うん、任せる。狼夜ろうや


 狼夜と呼ばれた男が口にした、不穏な称号を聞き咎める余裕もなかった。それからの数秒、彩玉はただ息を呑んで目を瞠ることしかできなかった。


 狼夜という名は、後からつけられたに違いない。

 夜の闇に紛れて獲物を屠る狼のように、音を伴わない動き。李章が振り上げたこぶし、元建が繰り出した蹴りを難なく交わして、その動きを利用して反撃を食らわせる、はやさと鋭さは人よりも猛獣じみている。

 それでいて、名手の舞でも見せられているような、流れるように美しい動きだった。


 何より──狼夜の帯に揺れる、獅子に似た獣を象った玉佩ぎょくはいが、彩玉の目を釘付けにする。


「公主! こいつ、狻猊さんげいだ!」


 床に這わされた李章が叫ぶまでもなかった。狻猊──その神獣の名、あるいは、北辰族が建てた截国皇帝の親衛隊の名は、檀の民の誰もが知っている。都の城壁を破り、街を踏み躙った者たちが誇らしげに帯びていた玉佩の意匠も、決して忘れられることはない。


 狻猊隊の一員に、ちょっと腕の立つだけの市井の侠客が叶うはずもない。それは、一応理解できる。

でも、では。畏怖と嫌悪を童子に呼び起こす玉佩を帯びた戦士を引き連れ、殿下なんて呼ばれた暁飛の正体は──


「あんた、何者……!?」


 察していても、問わずにはいられなかった。だって、思い当たったことを自ら口にするには、その可能性はあまりに常識外れで、馬鹿馬鹿しいとさえ思える。

 あり得ないのに──でも、現実は厳としてそこにある。数呼吸の間に敵手ふたりを圧倒した狼夜の腰で、翡翠の狻猊が牙を剝いている。暁飛の装いも、やけに豪奢だと思ってはいたのだ。


(でも! なんで、よりによって……!?)


 毛を逆立てて唸る猫のように、まなじりつり上げて鋭く問うた彩玉に、暁飛はふ、と笑った。余裕ある笑みも、彼女が必死で抗っても小揺るぎもしない手の拘束も、憎たらしいことこの上ない。


「截国皇帝(けい)羅辰らしんが第四子、勾王こうおう暁飛。皇子を欺き害なすは重罪だが──黙っていてやっても良い」


 堂々とした名乗りの後、暁飛は彩玉の頬に手を添え、顔を近づけさえした。身体を強張らせる彼女の頬を、くすくすという笑い声がくすぐる。


「あの画を描いたのは、お前で間違いないか? 知識もあるようだな?」

「……そうよ」


 顔を背けようとしても、力では敵わなかった。強引に合わせられた暁飛の目は黒々として、吸い込まれるよう。耳元に囁く声音も甘く、誘うようだった。


「その腕と度胸を見込んで、贋作造りを頼みたい。罪に問われたくなければ──分かるな?」

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