この世界はゲームじゃない
「……ようこそ、”没”へ」
目を開けると、周囲は真っ暗だった。自分の指先さえ確認できない暗闇の中、前方に、白く輝く瞳が二つ浮かんでいた。
「”ゴミ箱”?」
僕は思わず前方の瞳に尋ねた。やがてその人物が手元の明かりを灯すと、僕らの輪郭が暗闇に浮かび上がった。橙色の、焚き火の明かりが足元で踊る。そばに1人の男が座り込んでいた。僕は驚いた。目の形。鼻の高さ。唇の厚さ。目の前の人物は、まるで鏡を見ているかのように、自分そっくりの姿をしていたのだ。
「あなたは……?」
「俺は”鼻”だ」
「鼻?」
僕は首を傾げた。鼻と名乗った人物は、文字通り自分の鼻を指差して嘲笑った。
「奴さん、鼻の高さがほんの数センチ、気に入らなかったのさ。それで、”没”行きだ」
「一体……?」
「お前さんは……当ててやろうか? ”髪の色”ってとこだろう」
鼻は僕の髪の毛をジロジロ見ながら頷いた。僕は困惑した。意味が分からなかった。ここはどこだ? 自分と同じ背格好をしたこの人物は誰なんだ?
「あの……僕、冒険に出るって聞いてたんですけど」
冒頭であった説明を思い出しながら、僕は何とか自分の理解できる範囲に物事を軌道修正しようとした。
「これから未知のファンタジー世界に旅立って……世界を救うとか何とか。最初に会った妖精さんが言ってました」
「だから、”没”になったんだよ、俺たちは」
「”没”って?」
「お前さんだけじゃねえ」
鼻が僕の後ろを指差した。振り返って、僕は悲鳴を上げた。大勢の人間が……みんな僕にそっくりだ……山のように積み重なって倒れていた。死体の山……と言うより、マネキンの墓場みたいだ。生きている。だが、皆人形みたいに、ぼんやりと虚空を見つめたまま動かない。
「これは……!?」
「俺たちは、主人公になれなかった失敗作だ」
「どう言うことですか?」
「どうもこうも、気に食わなかったんだとよ」
鼻が大袈裟に肩をすくめて吐き捨てた。
「鼻の高さが少し足りないだとか。髪の毛の色が違うだとか。肌の色が違うだとか。作成ってみたはいいものの、どうも気に入らねえんで、作り直されたのさ。それで、ポイ。俺たちはもう用済みさ。世界を救う勇者どころか、冒険が始まる前に”没”にされた。ここはそんな塵の集まりだ」
「じゃ、じゃあ貴方も……?」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
「嗚呼。俺も、お前さんも、ここにいるコイツらも全員、な。主人公になる予定だった。今頃、青い空の下で、何処までも行ける草原を馬で駆けていたはずだった。だけど、皆表舞台には出られず、捨てられちまったんだ」
僕は改めて周囲を見渡した。積み重なった、人、人、人。
その誰もが、自分と似たような顔立ちをしている。一見して何処が違うのか分からない人も多かった。だが、よくよく見ると女性だったり、子供だったり、老人だったり、中には異星人のように銀色の肌をした僕もいた。
その誰もが僕であって、僕ではない。全てが失敗作だった。似た顔の僕も、全然違う顔をした僕も、結局は主人公には選ばれず、敢えなく”没”となって此処に捨てられたのだ。
「そんな……ひどい……」
いつの間にか、僕は膝をついていた。これから冒険に出るはずだったのに。僕の髪の色は黒色だった。だけど、没だ。一体何が気に入らなかったって言うんだ。ほんの少し……ほんの少しの違いだけで、こんな仕打ちを受けるなんて。
「お前さんは、まだ運が良い方だよ」
背中越しに、鼻が僕に声をかけてきた。
「喋れるし、動ける。中にはボイスの選択をしてもらえなかった奴もいる。遊び半分で、頭から腕を生やされたり、怪物同然の姿にされた奴も少なくないんだ」
「……これからどうなるの? 僕ら」
「どうにも。圧縮されて、消去さ」
「…………」
鼻が焚き火を消した。世界が暗闇に戻った。僕はその場に蹲ったまま、しばらく呆然としていた。
自分を作成ったプレイヤーが憎かった。ゲーム会社が憎かった。彼らは、まさか失敗作がこんな目に遭っているだなんて、夢にも思いはしないだろう。
生まれ変わったら人間になりたい。人間になったら、髪の毛の色が違っても、肌の色が違っても、主人公じゃなかったとしても、みんな幸せに暮らすことができるんだ。
やがて僕らは圧縮され、不必要なデータは跡形もなく永遠に消去された。
「……はっ!?」
と目が覚めると、僕は机に突っ伏していた。
「ようやくお目覚めですか?」
目の前にいた男が、僕を見下ろして苦笑する。僕は慌てて涎を拭いた。
「嗚呼……」
「構いませんよ。働きすぎで、少し疲れが出たんでしょう」
「夢を見ていたみたいだ……」
僕はまだぼんやりとしたまま目を瞬いた。
「自分がゲームのキャラになって……」
「ゲーム? 何のゲームですか?」
「分からない……スタート画面まで行かなかったんだ。僕は、一度キャラとして作成されたものの、失敗作としてゴミ箱に入れられた……」
「それはそれは。何とも奇妙な夢ですね。しかし、安心してください。こちらは現実です」
男は厳格そうに唇を真一文字に結び、僕に書類を突き出した。
「早速仕事をしてもらわなければ。閣下。収容所にいる黒髪の失敗作どもの処分は、如何いたしますか?」