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ランドセルを背負った子どもが歩いているのを見て、夏休みが終わったことを知った。 ユリちゃんは、もう宿題を気にしなくていいんだと思った。
目覚めると、大きなベッドに母と私と知らないおじさんがいた。
横を見ると、私と同じような子どもがいて驚いた顔でこちらを見ていた。ユリちゃんが帰ってきたと思って目を見開いた。それが大きな鏡に映った自分だと気づいて、がっかりする。目覚めた途端、一人で百面相をしているような私を見て、知らないおじさんと母が大笑いしていた。
母は毎日、楽しそうだった。隣にいる男も眠る場所もよく変わった。ホテルや旅館、大きな家、小さな部屋、男、女、年寄りの家。住所も名前も母との関係も知らなかった。どうせすぐに関わりがなくなるのだから、覚える必要もなかった。
私が大きくなると、面倒になったのか、置き去りにすることが増えた。
子どもを連れて、酒乱の夫や、博打好きの夫から逃げている健気な母親という話を信じて、預かってくれたお人好しな人たちも、迷惑がるようになった。もう同情をひけるほど幼くなくなった。
施設に入った時、もう母とは二度と会うことはないだろうと思ったが、悲しくもなかった。むしろ自由になった気がした。
施設でも学校でも友だちはできなかったけれど平気だった。私にはユリちゃんがいた。最初で最後のたった一人の友だち。
ユリちゃんだけが私をケイちゃんと呼んで、いつでも笑顔をくれた。
だんだん顔が思い出せなくなることが悲しかったけれど、時々、どこかでケイちゃんと呼ぶ声がする。ユリちゃんは今も夏休みの公園で遊んでる。
母があの日、私の手を引いて、あのドアを開けなければ、ユリちゃんと出会うことはなかった。ほんの少し、時間に差があったけれど、私も同じ道を歩いた。なぜ、私ではなかったのだろうと何度も思った。
男は、俺が悪いことをしたから罰が当たったと泣き崩れていた。
私が死んだら母も罰が当たったと泣いただろうか。
母があの日、あの部屋に足を踏み入れたから、可哀想なユリちゃんは私の中に閉じ込められてしまった。
大人になって理解した。母がユリちゃんを殺した。
時々、夢を見る。
母が私の手を引いている。
「余計なことを言わないように」
母は何度も念を押した。話は必ず母がする。私が会ったこともない博打好きの父や酒乱の父の話、病気に苦しむ祖父母の話を。母は、何にでもなれた。夫の借金を返すために水商売をする幸薄い女にも酒乱の夫から娘を守る健気な母にも。親の看病もする孝行娘にも。
ドアを開けると、まだ自分が何を引き入れたかを知らない住人の顔が見えた。
母が、私の手を引いて、まるで自分の家のように、足を踏み入れた。
背中でドアが、閉まった。