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アパートのドアを開けると、六畳二間の向こうにベランダが見えた。
白いカーテンがわずかな風に揺れていた。
母が、私の手を引いて、まるで自分の家のように、足を踏み入れた。
背中でドアが、閉まった。
部屋の主である男は、暑くてたまらないというようにせわしなくウチワを動かしながら、私にタクシーの運転手をしている、今度車に乗せてやると機嫌良さそうに言った。
母が働いていたスナックに預けられたことがあったから、店の隣にタクシー会社があることは知っていた。似たような男たちが働いていた。免許を持っている、車を持っている、それだけで飲み屋の女を口説けるような時代だった。
男は、同じ二年生だと言って、自分の背に隠れるようにしていた娘を紹介してくれた。おずおずと顔を出した娘の横で男の妻が顔をこわばらせていた。
「同い年だからきっと仲良くなれるわねぇ」
母の陽気な言葉と笑い声が部屋に響いた。男は目を細めて母だけを見ていた。
娘は一人っ子でユリコと言う名だった。私たちはすぐに、ユリちゃん、ケイちゃんと呼び合うようになった。退屈な夏休みに思いがけず一緒に過ごせる友だちができて、突然、すべてに色がついた。
翌日、朝早くから、ユリちゃんの案内で公園に走った。ミツバチのように、次から次へと遊具に飛び移りながら遊び、ようやく砂場に腰を下ろした時、ふいにユリちゃんが、ケイちゃんのお母さんって、キレイと羨ましそうに言った。
昨日、ユリちゃんのお母さんは一言も話さなかった。顔を強ばらせて畳を見つめていた。暗くて地味で、部屋の中にあるシミのようだった。嘘でもキレイとは言えなかった。
夏休みを初めて楽しいと思った。学校がある時は、昼間、公園で遊んでいると、大人たちがいぶかしげな顔を向けてきた。知らない大人に、学校は? と声をかけられることもあった。それが嫌で、母に外へ行けと言われない限り、部屋の中で遊ぶようになった。
夏休みの今は、堂々と好きなだけ遊べる。その上一人ぼっちじゃないことが嬉しくてたまらなかった。
日が暮れるまで飽きずに遊んだ。公園で滑り台や追いかけっこをし、たくさん歩いて冒険もした。二人で知恵を出し合って新しい遊びも考えた。何をしてもユリちゃんといれば面白かった。そして、これからもずっと一緒に居られる方法を真剣に話し合ったりした。
言えなかったけれど、いつまでユリちゃんの家に居られるかは、母の気分次第だと知っていた。昨日と今日、今日と明日、違う場所から一日を始めるような生活に慣れていた。最後に学校に行ったのがいつだったかも思い出せなかった。
ユリちゃんの家に泊まるようになって間もない頃、部屋に戻ると、昼だというのに、まだ布団がひかれていた。布団から見えるむき出しの白い肩に回した焼けた太い腕が目に飛び込んできた。玄関で目を丸くしている私たちがよほど可笑しかったのか、母は、寝転がったままくすくすと笑って、もっと遊んでおいでと言った。男は何も言わず背後から母を引き寄せた。
パンくらい買えるお金を持たされていたから、私たちは慌てて外に飛び出した。部屋に戻った用などどこかに飛んでしまって、薄い肌掛け布団から出ていたむき出しの母の白い肩だけ頭に焼き付いていた。
なぜ昼間から二人で寝ているのか、理由はわからなくても悪いことのように思えた。ユリちゃんも私も何も言わなかったけれど、ユリちゃんのお父さんを盗ってしまったような気がして居心地が悪かった。
それから私たちは夕暮れまで部屋に戻らないようになった。