人でなしの恋
0.プロローグ
「シャーリー・ルービン、君との婚約を破棄する」
第一王子が宮中舞踏会において、高官、貴族、貴賓達が並ぶ中、そう大声で宣告した時、僕は安堵のため息をついた。
1.出会い
そもそも、第三王子に生まれた僕はスペアのスペアであり、父からも母からも愛されはしたが期待はされておらず、そのうちにどこか適当な貴族に婿入りするつもりで気楽に市中を出入りし遊んで過ごしていた。
だって、長子の第一王子はやや病弱なのが玉に瑕だが、眉目秀麗、頭脳明晰で次期国王として父母や家臣の期待を集め、一流の学者が付いて帝王学を学んでいたしていたし、第二王子は大きな体格と男らしい顔つきで武勇に優れ、将来は大将軍として第一王子を補佐すべく軍で訓練に励んでいた。
僕はというと、凡庸な顔つきに中肉中背で頭脳も普通、目立つところがない。そして父王からは特に任務を与えられず、王家の血を保つために健康で生きていれば良いという存在で、適当に貴族として恥ずかしくない教育だけを受けて、あとは放っておかれた。
日々努力する兄達を見ると、これでいいのかと思ったが、父に相談すると「お前がなまじ優秀になると野心があると見られて皆が困る。小遣いなら好きなだけ与えるので遊んでおいてくれ」と言われ、以来遊び暮らし、第三王子は遊び人、残り滓で出来が悪いという評判になっている。
お陰で婿入り先も一向に決まらないが、このまま王家の厄介者として遊び暮らすのも一興かと僕は達観していた。
思えば政治に、軍事に幼い頃から寸暇を惜しんで鍛えられ、遊ぶ暇もなかった兄達からどれほどバカにされていたかと思う。
でも僕にも言い分はある。
お前には期待していない、むしろ努力するなと親から言われて何をするんだ?
僕は宮廷の側近や侍女、貴族の次三男から街のヤクザ者まで幅広く遊び仲間をつくり、表面は楽しく遊び暮らしなからも、心の奥底では親や家臣、国民から期待される兄達を妬み、憎んでいた。
そんなある日、珍しく宮中の行事に出席しろと言われた。
王家は勢揃いするらしい。
行ってみると、第一王子の婚約式だった。
僕と同じ年のその相手の美しい少女を見たとき、僕は生まれてはじめての衝撃を受けた。
一目惚れだ。彼女は僕の運命の人に違いない。
その彼女は第一王子と睦まじく顔を見合わせ、笑っていた。
その後のことは覚えていない。
母にひどく叱責されたのでなにか失態を犯したようだが、また第三王子かと笑われるだけなので気にしなかった。
その夜、自室で寝転び、彼女が欲しいと心の底から思った。
彼女が得られなければ生きている意味はない。
しかし、その為には第一王子と別れさせねばならず、そのことは彼の廃嫡を意味する。
そして国一番の大貴族の長女で、王妃となることを決められている彼女と結婚するためには王太子にならねばならない。
生きながら死んでいた僕に初めて生きる意味ができた。
2.離間の計
僕はその日から王太子となり彼女を得るためにどうすればいいかを必死で考えた。
まずは第一王子と第二王子の仲を裂き、共倒れに持っていくことだろう。
王と大将軍と将来を定められている二人の仲はそれなりに良かったが、第二王子が自分だけが危険な戦場に行かされると若干の不満を持っていることを遊び仲間の侍女や近侍から聞いていた。
まずは、第二王子が王太子の地位を狙っていると噂を流す。
幸い、これまでの幅広い遊びを通じて噂を流すルートは豊富だ。
街の居酒屋でヤクザ者から、よくつるむ貴族の次三男から貴族社会に、また宮廷の遊び好きの侍女から、あちこちから流れる噂はすぐに宮廷はおろか、都や国中に広がった。
折よく、第二王子は初陣に出ていて、そして敵国に大勝利をあげて帰国する途中だった。
『第二王子は戦で大勝利した自分こそが王に相応しいと言っているらしい』
『戦争にも行かず、宮廷で政治ごっこするしか能のない王子に王はできないと放言したとか』
僕が流していないこともどんどん付け加わって大きくなる。
宮廷人は噂が大好きだから、こうなると思ったよ。
ダメ押しに街のゴシップ屋にかわら版を刷らせて撒かせた。
そこにはこう書かせる。
『第二王子の思いを側近に聞く!
王位には敵国から国を守る俺が相応しい。
病弱な第一王子は城に籠もり書類仕事しかしていない。
どちらが王になるべきか明らかだろう。
それに対する第一王子側の反応。
王位は戦バカには継げない。
第二王子ははせいぜい兵隊になるのが精一杯の頭。
これからどうなる王位争い?
どちらが勝者となるか、国内外で注目の的に!』
宮廷で開かれた第二王子の凱旋式典は見ものだった。
戦勝を誇り、胸を張って周りを睥睨する第二王子と、それを蒼白で唇を噛みながら睨む第一王子。
どちらもあの噂を信じているのは確かだ。
(第二王子は阿呆だな。一回勝っただけで王になれるかよ。
第一王子もそんなに自分に自信がないのか、情けない)
誰からも注目されない僕は人影の中、二人を見てそう思う。
第二王子が帰国してから二人の緊張感は激しくなる。
どちらも側近や派閥の貴族が、王を狙え、相手を倒さねばやられると煽り立て、貴族社会は二つの派閥に割れる。
王や王妃が二人の仲裁に入っても、仲間に押し上げられており、引くことはできない。形だけの和解であり、誰の目にもどちらかが倒れるまで争うことは明らかだった。
双方が武力に訴える寸前、悩みに悩んだ王が決を下す。
近衛部隊が第二王子を拘束し、離宮に閉じ込めた。
王と王妃としては、煽り立てる周りから隔離して、暫く頭を冷やせば元の仲の良い兄弟に戻ると思ったのだが、第二王子はすぐに毒を食事に入れられて殺される。誰もが第一王子の仕業と思った。
それには王と王妃はもちろん、家臣や国民も愕然とした。
まさか温厚で争いごとを好まなかった第一王子が実の弟を暗殺するとは!
しかし、実はそれは僕の仕業だった。
僕は両者を離間させる噂を流したあとは何もせずに、以前と同様に宮廷のことに立ち入らずに街中を遊び歩いていた。もう僕が何もしなくても火は収まらず、大火になると見通していた。
両王子の仲違いの原因に誰も僕を疑うものはおらず、逆に、この非常時も分からず遊んでいるとはと呆れられ、誰も僕を担ごうとする者はいない。
そして、第二王子の軟禁という事態を受けて、僕は遊び仲間の伝手を使い、離宮の侍女を誑し込ませて、毒入りの食事を運ばせた。
もちろんその後に侍女はその男のところに逃げ出させたから足はついていない。むしろ第一王子の側近の手が回ったかのように偽装しておいた。
思った通り、誰もが第一王子の仕業と思ったようだ。
そうして僕はスペアのスペアから、スペアに昇格して少しは必要性を認められるようになった。
次の段階だ。
僕は、兄の第一王子に近づき、彼を誠心誠意支えると誓うと、どうやらやってもいない毒殺の嫌疑を掛けられた兄は参っているようで、今まで馬鹿にして歯牙にもかけなかった僕に縋りついた。
これまで期待されていた父母や家臣から兄弟殺しと冷たい目で見られたことがよほどこたえているようだ。
もとから病弱気味で、戦場には不向きとされていたが、それに輪をかけて精神的にも弱っていた。
そのついでというふりをして、兄の婚約者であるシャーリーにも近づく。
彼女は、第一王子が弟との争いや冤罪を受けて疑心暗鬼となり、彼女も含めて人を疑っていることにショックを受けているようだった。
「以前の優しく、温かい王子とは別人のように冷たく接してこられるのです」
僕は、彼女に時間をかけて癒やしていけば元の兄に戻ると慰め、僕にできることがあれば頼ってくださいと声を掛けると、涙ぐんで喜んでいた。
さて、同時に僕は遊び仲間の手を借りて、兄が依存しそうな女を物色する。
兄の好みは調べてある。
幼い頃から王になるための教育が厳しく甘えられなかった兄は、甘やかしてくれる母性の強く優しい年上の女が好きなのだ。
ヤクザ者にそういう女がいれば教えてくれと頼んでおいたところ、娼館に売られそうになっていた貧しい騎士の娘でピッタリの女がいると知らせてくれた。
身分と顔を隠して会ってみると、可愛らしい顔立ちで優しい女だった。これはいいと、脛に傷持つ貴族の養女とさせ、宮廷の侍女に応募させ、採用されるように手を回す。
そのアニーという名の女は何も知らず、幸運に恵まれたと思っている。
第一王子付きの侍女をうまく手なづけ、偶然を装って少しずつ兄に近づかせるとその効果はてきめんだった。
知らぬうちに見に覚えのない兄弟殺しの悪名を受け、心に傷を負った兄に同情したアニーは、私だけはあなたを信じますと言って抱きついた。
アニーの豊満な身体とその優しく蕩けるような言葉に、兄はすっかりのめり込み、もはや政務もサボりがちとなる。
僕はその間、スペアとなったため政治と軍事の教育を遅まきながら受けていた。
父母も、第二王子の死が第一王子によるものと思い込んでおり、第一王子が王太子に相応しいか疑問を持ち始めていた。
そうなると残る正嫡の子は放蕩息子の第三王子の僕しかいない。
庶出の子はいるが、正嫡の子がいては正統性が問われることになりかねない。
父母の態度は180°転換して、猛勉強を僕に強いた。
政治面は第一王子様はこうだったと言われ、軍事面では第二王子様はと比較される。
これもすべてシャーリーを手に入れる為だ、僕は自分にそう言い聞かせて何とか耐えた。
婚約者の第一王子が浮気しているという噂を聞き、傷心のシャーリーと会って慰めることが無ければ、この苦行に耐えかね、王位など諦めていたかもしれない。
彼女は自分も精神的にダメージを受けているのに、僕に「王子の勉強は大変でしょう。頑張って」と励ましてくれた。
僕は彼女の言葉を思い出しては、うるさく意地が悪い教育係に何とかついていった。
さて、僕はその間も第一王子とシャーリーの仲を裂くための努力に余念がない。
シャーリーの実家は国一番の勢力を持つ大公家だ。
大公家の息のかかった侍女を煽り、第一王子付きの侍女となったアニーへの嫌がらせを執拗にさせる。
そして、そのいじめの場を第一王子に目撃させるように誘導し、一方、アニーには仲の良い友人から、第一王子と婚約者のシャーリーが揉めると大変なことになると言い含め、優しい性格の彼女が黙るようにする。
もちろんいじめの場を目撃した第一王子はアニーにそのことを尋ねるが、彼女は「何もありません。至らぬ私の指導をしていただいただけです。シャーリー様と仲良くしてください。私は身を引きます」と言い続ける。
しかし、第一王子はアニーを手放さず、愛人を辞めない彼女へのいじめはエスカレートし、水を掛けられたり、階段から突き落とされたり、ついには毒を飲まされ倒れてしまった。
それまでアニーの言うこともあり、婚約者に遠慮して我慢していた第一王子だが、そこに至って堪忍袋の緒が切れ、シャーリーに怒鳴り込みに行く。
いつもは穏やかな第一王子の怒りの形相に、シャーリーの取り巻きは怯えるが、シャーリーは「自分の知らぬこととはいえアニーは気の毒です。このようなことのないよう私からも友人や侍女達に言い聞かせます」と言うが、その第三者のような言葉に第一王子は納得せず、怒りが爆発する。
「いい加減にしろ!陰でお前が糸を引いているのだろう!」
そう言って手を上げる第一王子。
僕はそのタイミングを見て出て行き、「兄さん、止めてください」と止めに入る。
「邪魔をするな!」と怒鳴る兄から、シャーリーを庇って避難させ、僕は愛人をだめとは言わないが、そのいじめごときで王妃となるシャーリーを責めるべきものではないと諭すように言う。
兄は、遊び人で出来損ないと思っていた僕に正論を説教され、更に怒りを増したのか、僕を殴りつけた。
「キャー」
突然の暴力に侍女の悲鳴が響く中、その頃ようやく集まってきた宮廷の高官たちが間に入り、這々の体で僕は逃げ出す。
そして誰も見ていない自室まで来ると、僕は密かにニヤリと笑った。
その笑い顔は陰惨なものだっただろう。
3.台頭
第一王子の醜態と僕の諫言は比較され、尾ひれをつけて宮廷を駆け巡る。
しかし、兄を貶めるだけでは王太子にはなれない。
僕には搾り滓の遊び人というイメージが染み付いているので、それを払拭しなければならない。
ちょうど隣国との紛争が拗れて、兵を動員することが決まった。
第一王子は体調が悪く出陣できない。父王は僕に初陣を命じる。
ここで勝たねばシャーリーは得られない。
ヘラヘラとわかりましたと頷く僕を見て、父はため息をつき、家臣は戦場を遊び場と間違えているのではと陰口をたたく。
しかし、その表面とは別に僕は勝利か死かという悲壮な決意を固めていた。
そこに手紙が来た。
開けてみるとシャーリーから、庇ってくれたことのお礼と戦勝を祈願するということを達筆な文字で記していた。
これで勇気百倍だ!と思ったが、最後には国のため、第一王子様のためにも見事な成果を祈っていますとあり、がっかりする。
まだ彼女の心は兄にあるのだ。
隣国との国境に辿り着くと、隣国の兵は既に臨戦態勢だった。
遊び人の無能な王子が総指揮官と聞き、侮っている様子がよくわかる。
こちらの兵の士気も同じ理由で上がらない。
「第三王子、向こうの方が兵力も多く、こちらは劣勢。
多少譲っても和議を結びましょう」
将軍がそう助言する。
こちらの全権は僕に任されている。
僕は敵兵を見て怖くなったが、シャーリーの手紙を懐から出して読み、己を奮い立たせる。戦勝を祈願していると書いてある。和議ではだめだ!
僕は側近の遊び仲間に金と酒を持たせて兵たちの中に潜り込ませる。
すると、この戦争は双方の将軍が存在価値を高めるためのイカサマ戦争で最初から戦うことなく、和議を結ぶシナリオ。敵軍の司令官も王族のボンボンで、早く帰りたいと言っているらしい。
将軍が戦う気概もなく、何度も和議を説く訳だ。
僕は指揮官を集めた会議を開く。
そこで将軍が、このバカ王子、いい加減理解しろと言わんばかりに、僕を小馬鹿にしながら同じことを言うのを聞いた後、自分の剣を抜きそのまま刺し殺す。
「コイツは敵国に寝返っていたので死罪とした。他に和議を望む者はいるか?
戦わずして何のためにここまで来たんだ!
怖いやつは俺の後ろについてこい。
手柄を立てた者には軍とは別に僕の私財からも褒美をやるぞ」
褒美と聞いて兵の目の色が変わる。
ここで負ければシャーリーは得られない。財産などあっても同じだ。
僕は真夜中に兵を叩き起こして夜襲をかける。
内通者が怖いので直前まで黙っていた。兵は不機嫌そうに突っ立っている。
僕は先頭に立って大声で「僕が先頭に立つ。ついてこい!敵軍を打ち破れ!」と喚きながら闇雲に突撃する。怖くてたまらない、緊張のあまり相手が誰かも分からず滅茶苦茶に剣を振るう。
後ろからは誰もついてこないのか。バカ王子が勝手に突っ走りやがってと見殺しにされたか。
諦めて死ぬ覚悟を固めた頃、ようやく兵たちが、王子を先に行かせるな!と猛烈な勢いで突進してきていることに気がついた。
明日にでも和を請いに来るかと高をくくっていた敵軍は酒を飲み寝ていたところを不意をつかれて命からがら敗走する。
勝利を得た後、兵士が話しかけてくる。
「俺たちに戦えって言って、王子は後ろで見ているだけだと思いましたよ。
まさか先頭に立って一人で突っ込んで行くとはね。
遊び人と聞いていたが、歴戦の兵も顔負けの驚いた王子だ」
周りの兵もハッハッハと笑い、僕は兵士に受け入れられたことを知る。
4.第一王子の失脚
僕は予想以上の大勝利を収めて引き上げた。
王都では第二王子以来の凱旋式が開かれた。
そこには王と王妃、そして第一王子と婚約者のシャーリーが上座にいて、僕を迎えてくれた。
(くそっ。シャーリーの隣はオレの場所だ)
僕は憤懣を抑えて笑顔で接する。
シャーリーは「第三王子、大戦果でしたね。私は信じてましたよ」と微笑んで言ってくれて、僕はそれだけで報われた気がした。
あちこちで貴族達が、「あの遊び人が化けたものだ」とか「王太子には第三王子の方がいいかもしれない」などとヒソヒソ話している。
僕のところには次から次へと人が絶えない。妃にとの狙いで娘を連れてきて会わせる貴族も多い。
前回の凱旋式では誰も話すらしようとしなかったのに随分違うものだ。
人の波が少し途切れた時にふと見ると、シャーリーは一人で寂しそうに座っていて、第一王子はアニーに酒を注がせて楽しそうに笑っていた。
僕は寄ってくる貴族に謝り、第一王子のところに行く。
「兄さん、ここは公式の場。前も言いましたがシャーリーを大切に人前で立ててください。立場を考えて振る舞って貰わないと皆困惑します」
僕の言葉に酔っていた第一王子は激怒し、グラスを僕の顔に投げつけた。
「貴様!一度くらい勝ったからと俺に説教か。
思い上がるな、この搾り滓が!」
僕は敢えてグラスを額で受け止め、酒を浴びる。
会場は静まり返り、僕と第一王子を見守る。
僕は剣を腰から外して兄の方に柄を向け、冷静に言う。
「大きい兄さん、僕が邪魔ならこの剣で殺してください。
小さい兄さんのように毒で暗殺するのは止めてください」
敢えて小さい頃の呼び名を使う。
それを聞いた第一王子は蒼白になってうずくまり、「俺はやってない」とブツブツと呟く。
これは相当病んでいるな、僕は内心そう思うが、兄のその姿に驚いたように「兄さん、どうしました?」と心配する振りをする。
そこにアニーが僕を突き飛ばす勢いで側に来て、第一王子に寄り添う。
そのまま、二人は退出するが、それを待っていたかのように、「あれでは王は無理だ」という声が聞こえる。
王と王妃は呆然と見送り、シャーリーは無表情に兄の去った方を見つめていた。
僕はほくそ笑みたくなる気持ちを押し殺すのに苦労した。
もう第一王子は終わりだ!
そして暫くあとの宮中舞踏会で、ついに第一王子は婚約破棄を公言する。
それを聞いた王と王妃は黙り込み、その後に第一王子の廃嫡が公表される。
彼は王家を抜けて平民となり、小さな所領を捨扶持として与えられる。
その小さな領地にアニーもついて行き、正式に結婚したと聞く。
5.シャーリーを得る
さて、いよいよこれからが正念場だ。
婚約破棄されたシャーリーはその後は実家の大公家に引き籠もり、僕の見舞いにも出てこない。
このまま修道院に入るのではないかという噂を聞き、僕は決断した。
ルービン大公家を訪問して、大公と面会する。
「今日は突然の訪問、どうされましたかな」
目つきの鋭い大公の問いに、ドキドキしながらも表には出さないようにして冷静に返す。
「何、王の座を手中に収めたく、大公の力を貸してほしい。
その為なら婚約破棄されて行き場のないシャーリーを僕の妻としてもいい。舅として後見人となってもらえないか」
「ほう、あからさまな野心ですな。
若者はそれくらいがいいでしょう。
しかしシャーリーは第一王子に捨てられた身。彼のお古になります。他の娘もおりますが宜しいのですか?」
大公の探るような目に睨み返す。
「あれは兄が愚かだったのだ。シャーリーに落ち度はない。
大公も行き場のない娘が哀れであろう。
反対する者には私が言い聞かせよう」
「そこまで言われるのであればいいでしょう。
私も長女のシャーリーに一番期待をかけておりましたし、あの娘がかわいい。
そのようにしてもらえれば有り難い。
しかし、王の座を得るために捨てられた兄の婚約者を娶り、私に恩を着せるとは立派な策略家だ。
権力に関心のなかったあなたも変わりましたな。
それでこそ王にふさわしい。
シャーリーは世を嘆き、修道女になると言っていますが私から言い聞かせます」
そして僕と大公は握手する。
これで僕は王の地位、即ちシャーリーを得ることができる。
王になりシャーリーを妻にできれば政治は大公に任せて、早々に隠退してシャーリーとイチャイチャして暮らすのが僕の希望だ。
さて、シャーリーを妻とする件は父と母も賛成した。
最大の貴族である大公との仲を危惧していたようだ。
ところが、その後に来たシャーリーからの手紙を見て僕は愕然とする。
僕のことを見損なった、王の座に着くために私を妻にしたいなどゾッとすると激しく非難している。
シャーリーに会って愛している、王になるためというのは方便だと弁解したいが面会もしてくれない。
それでも大公が懸命に説得し、王と王妃からも頼まれ、責任感の強い彼女は渋々承諾したと報告を受け、僕はほっとした。
大公との話し合いから一月後、僕と彼女は婚約した。
陰でシャーリーは、王妃の座欲しさに第一王子を見捨てて乗り換えた女と散々に言われているようだが、そんな奴らはいずれ粛清してやる。
婚約してからは公の行事の場などでシャーリーが隣に居てくれる。僕は天にも昇る心地がした。しかし彼女は人前では仲睦まじい素振りをするが、義務的な言葉しかかけてくれない。
結婚して床をともにして、子供も作れば変わってくるはず。
その為には王にならねばならない。
しかし父母はまだ第一王子に望みをかけているよう僕を王太子にもしてくれない。
僕はしびれを切らし、すっかり僕に心酔するようになった兵士を引き連れて宮廷に乗り込み、父に退位を迫り、王冠を僕のものとした。
そしてすぐに結婚式を行い、シャーリーを王妃とする。
大公も満足そうに笑い、第三王子を見込んだ儂の目に狂いはなかったなどという。
嘘をつけ、僕が遊んでいたときに目もくれなかったことをよくおぼえているぞ。
即位した僕は政治は大公に委ねてシャーリーと遊び暮らす予定だったが、彼女は結婚式後の初夜の部屋で冷たい目で僕を見て言った。
「兄を蹴落とし、父を追い出し、王になるために好きでもない私と結婚した。そこまでして権力を握った以上、やりたい国作りがあるのでしょうね。それ次第では私はお暇をいただき、神のもとに参ります」
僕はようやく彼女を抱ける直前にそう迫られ、やむなく、民を豊かにし、国を強くしていくなど聞いたようなことを並べた。
「わかりました。
陛下がそれほど国に尽くすおつもりならば私も王妃としてできるだけ協力いたしましょう」
そう言う彼女はとても魅力的だった。
6.労働の日々
僕はそれから政務に軍事に働き続けることになった。
怠けるとシャーリーが悲しげな顔をして諌めてきて、更に嵩じると実家に帰ってしまうのだ。
僕と彼女の会話は国政のことばかり。
僕が囁く愛の言葉は、本気にされず、王になるために娶った私の機嫌を取らずとも国政に打ち込む限り私は支え続けますと返された。
戦地や視察に行った先からも頻繁にラブレターを出すが、事務的な手紙しか返ってこない。
それでも、僕は彼女と二人きりで向かい合ってお茶を飲みながら、国政のことであっても語り合うときに喜びを感じた。
美しい彼女の顔に見惚れる。
政治に成功したとき、戦争で勝ったとき、彼女は満面の笑みで僕を褒めてくれるのだ。それが僕の生き甲斐だ。
王となってしばらくして遊び仲間たちがやってきた。
側近も入れずに面会すると、彼らは「アンタのために汚い仕事を散々やってきた。お陰で王になれたのだからそろそろ報酬をもらいたい」という。
あれっ、頼んだ仕事の都度、大金を渡していたはずだし、即位の後にもまとまった金を口止め料として上げたよね、これは恐喝というやつか。
僕は頷き、彼らに好きなだけ金を持っていけと言うと、衛兵に縛り上げさせた彼らを金山に連れて行く。
そこで監督者に、彼らに好きなだけ金を掘らせて持って帰らせるように命じる。
ただし、道具は与える必要はない、素手で掘らせるのだ。
屈強な男達でも長くは保たない鉱山で、街で遊んでいた彼らが保つはずもない。
この処遇を聞いた彼らは真っ青になって謝罪するが、一度恐喝に来た奴らは信用できないと突き放す。
居直った彼らは最後に、僕を睨みつけながら「この人でなしが!」と怒声を浴びせた。
一月保たずに彼らは死んだと報告を受ける。
少年時代からつるんできた彼らの死に黙祷し、確かに僕は人でなしだと思う。
この人でなしの恋のために、兄弟、父母をはじめ、多くの人達を傷つけてきた。
しかし、シャーリーの笑顔の為なら僕は何も後悔していない。
7.粛清
日々の膨大な政務はシャーリーの笑顔をもっても、時に疲労のあまり僕を仕事から逃走させる。
今日も宮廷を抜け出し、街の居酒屋で一杯引っ掛けていた。
ここの主人は昔の遊び仲間の生き残り。
コイツは賢明にも渡した金で馴染みの女と結婚し、居酒屋を始めたのだ。
僕の貴重な、安心して飲める店である。
「サードよう。お前とはよく遊んだがまさか王様になるとはねえ」
サードというのは遊び仲間が呼ぶ僕のあだ名だ。この名を呼ぶのももう彼くらいしかいない。
「みんな死んじまったなあ」
僕が殺したのだが、僕も主人もそこには触れない。
彼とバカ話に興じるのが僕の一番のストレス解消だ。
宮廷に戻ると、王妃様はご実家ですと侍女が告げに来る。
最近頻繁に実家に戻って、少し暗い顔で帰ってくる。
大公が亡くなり、シャーリーの兄が後を継いだが、野心家で王位を狙っていて、シャーリーに色々と無理難題を吹っかけているようだ。彼女を苦しめる奴は死んでしまえと思うが、シャーリーが悲しむかもとまだ自制している。
王妃が不在の間に、貴族達が側室を勧めにやってくる。
シャーリーはもう三男二女の5人の子を産んでいる。
そろそろ若い女が欲しかろうとばかりに言うのだが、僕はシャーリーがいれば十分だ。
彼らを追い返す頃、シャーリーが帰ってきたのでお茶を飲みながら楽しげに市中の様子を話す。彼女が憂い顔から笑顔になってきたところでズカズカとシャーリーの兄である新ルービン大公がノックもなく入ってきて、僕とシャーリーに自分の所領の拡大やポストを要求していく。
シャーリーの憂い顔と団欒を邪魔されたことに怒りが湧き、僕は粛清を決めた。
それに実家を潰せばもう彼女の帰るところも無くなる。一石二鳥だ。
数日後、大公家と、僕に側室を執拗に勧めていた貴族を謀反の容疑で兵に襲撃させて殺害する。
彼らはお家お取り潰しだ。
不思議なことに、この粛清劇の中に僕の行きつけの居酒屋が入っていて、主人が殺されていた。
誰が命じたのか不明だが、僕は行きつけの店を失った。
8.終焉
即位してから数十年が経つ。
シャーリーの笑顔を見るために懸命に働き続けた僕は政治に軍事に成果を上げた。
もう年老いた僕は子供も立派に成長し、王位を譲り楽隠居すればどうかと言われる。シャーリーも退位を再三勧めてきた。
しかし退位すれば、王になるために妻にさせられたと思っているシャーリーは僕から離れるのではないか、婚約者を罠に嵌められ、実家を潰された彼女は僕を嫌いどこかに行くのではないか、その恐怖が僕をいつまでもやりたくもない王位に固執させる。
今日は隣国との戦争だ。
共に戦場に立つ息子達に後方にいてほしいと言われるが、陣頭指揮を取って勝利し、シャーリーに褒めてもらうために、僕は今日も陣の前に立つ。
僕の姿を見て士気の上がる我軍はすぐに敵軍を圧倒し、追撃する。
僕とシャーリーの子供達が一人前になって追撃の指揮をとる。
やれやれ今日も勝てたようだ。後は帰ってシャーリーの笑顔を見ながらお茶を飲もう。
そう思ってのんびりしていた僕は突然激痛を感じる。
痛い!
突然飛んできた矢が僕に突き刺さる。
伏兵だ。追撃して薄くなった本陣を襲ってきた。
狙いは総大将の僕だ。
護衛はあちこちで戦い、もう側には誰もいない。
一人でいる僕に敵の騎士が目の前に出てきた。
「王とお見受けする。お命頂戴する」
血走った目をして剣をかざして僕に襲いかかってくる。
なかなかの腕前だと、剣を受けながら考える。
何も分からなかった初陣から随分進歩したものだ。
しかし年には勝てない。剣を振るうのが遅れてきて、ついに腕を斬りつけられ大きな傷を負わされ、血が溢れ出る。
倒されてこれまでかと思う僕を息子達が助けに来た。
「父上、大丈夫ですか!」
敵の騎士を斬り伏せた長子の心配する声を聞きながら僕は意識を失う。
気づくと宮廷の自室のベッドだった。
気を失ったまま、馬車で王宮まで運ばれたようだが、血を大量に流したせいか意識がはっきりしない。
ベッドの周りにはシャーリーや家族、重臣が揃っているようだ。
「陛下の意識が戻られたぞ!」
喜ぶ声がうるさい。
眠っていたいがシャーリーから仕事をしなさいと叱責されそうだ。
眠気をこらえて意識を覚醒させ、やるべきことをやる。
もう僕はだめだろう。シャーリーを解放するときだ。人でなしでもそれくらいはできる。
「これから余の後継を発表する。
第一王子を王とする。第二王子は軍の司令官に、第三王子は外務大臣だ。
所領や財産の配分は記した紙を入れてある。
そしてシャーリー、これまでありがとう。
よく尽くしてくれた。後は自由に生きてくれ」
僕は気力を振り絞りそう言うと意識がなくなった。
次に目覚めたときは、隣に誰か一人だけが座っていた。
侍女が付き添っているのかと思い、声を掛ける。
「喉が乾いた。水をくれ」
「はい、どうぞ」
答えたのはシャーリーだった。
「まだ居てくれたのか。
もう僕のことは放っておいて好きに生きていいと言っただろう。
君をここまで束縛してすまなかった」
「いいえ、あなたが好きでここにいるのよ。
もう王を引退したのだから二人きりでのんびりお話ししましょう」
いつもと違う優しい言葉をかけてくれるのは本当にシャーリーか。
思わずまじまじと顔を見ると、恥ずかしげに頬を染めるシャーリーだった。
「あなたが私のことを恋慕したのは初めて会ったときからわかったわ。
女は鋭いの。
初対面でなんて言ったか覚えている?
ウットリした目で私を見ながら、君が飲み屋のウェイトレスだったらすぐに口説いていたのに残念だと言ったのよ。
そんなことを言われたのは初めて。よく覚えているわ」
そう言ってシャーリーはホホホと笑った。
「そして私が欲しくていっぱい陰謀を仕掛けたわね。
遊び人と思っていたあなたの意外な才能に驚いたわ」
シャーリーの言葉は僕を驚愕させた。
「いつから何を知っているの?」
「はじめからすべてを知っているわ。
第一王子と第二王子を離間させたのも、第一王子と私を引き離そうとアニーを近づけたことも。
そして私のためにすごく努力したことも。
あなたの陰謀、うまくいったのは私も裏で手伝ったからよ。
大公の娘で未来の王妃はそれなりに力があるのよ」
「どうしてそんなことを?」
「命を懸けるほど愛されたら女ならそれに応えたいと思うもの。
第一王子は義務で私を愛そうとしたけど、あなたの熱意の足元にも及ばない。
愛だけでなく、私を得るためなら何でもしようとするあなたを好きになったのよ」
シャーリーの言葉を聞いて僕は笑い出した。
「そんなこと、全く気づかなかった。
君に嫌われていると思ったよ。
もっと早く言ってほしかった」
「あなたに愛していると言ったらこんなに頑張らなかったでしょう。
私はあなたを手に入れるとともに私達の子供に立派な国を残してあげたかった。
だから、心を鬼にしてあなたに冷たく当たったのよ。
せめて老後は優しくしようと退位を勧めていたのに、こんなことになるなんて」
悲しげな表情でそう言うシャーリーは相変わらず美しい。
「最後にそんな言葉を聞けて嬉しいよ。
人でなしの僕は地獄に行って、君とは会えないだろうから」
そう苦笑する僕に、彼女は僕の手を握りしめて熱っぽく語る。
「その心配なら無用よ。
あなたの唯一の憩いの場を壊したのは私。
私以外に安らぐところがあって欲しくなかった。
子供たちの脅威になりそうな実家もあなたを誘導して潰したわ。
そして安楽に生きたいあなたを騙して苦労の多い人生を歩ませたのも私よ。
あなたが人でなしなら私はその上を行くわ。
一緒に地獄で暮らしましょう」
そう言うとシャーリーは美しい手箱を取り出してきて、中から手紙の束を出してきた。
「あなたがくれたラブレターよ。
実は私もラブレターの返事を書いていたの。
恥ずかしいけれどそれを読んでいくわ」
シャーリーの声で読まれるラブレターはとても美しく、魅惑的だった。
僕は彼女の声を聞きながら、このまま死んでも満足だと思っていた。
前王の看病を前王妃が付きっきりで行って一ヶ月、前王は戦傷が元で亡くなった。とても安らかな死顔だった。
前王妃はその後、食事をほとんど取らずに体調を崩し、数ヶ月後に亡くなった。
国中がおしどり夫婦にして、国民思いの情け深い君主だった王夫妻の死を悼み、喪に服した。