若隠居の旅の始まりと追跡者(3)
馬車はゴロゴロと岩の転がる原っぱを走り、薄暗くなると大きな川の近くでとまった。これがスン川で、今日の宿泊地点だ。
野営は馬車の中でそのまま寝るか馬車のすぐそばで寝るかだそうで、食事や水は自分で準備する。
熊人の女性は座席で寝るつもりらしく、大きな荷物から夕食の包みを取り出した。
マントの客はよくわからない。
御者が嫌人派らしいので、寝坊したら置いて行かれそうだから馬車の中で寝た方が良さそうに思える。食事だけ、外で何か作ろう。
馬車を降りて行くと、どこかから鋭い視線を感じた。
幹彦も視線だけで辺りを伺っているが、出所がわからないらしく軽く眉をひそめた。
これは街の中で感じたものと同じように思えたので、誰かが街から付いてきているということなのだろうか。
チビも周囲を見回し、
「まあ、手出ししてきそうなほどに切羽詰まったものではない。とはいえ念のために、一人にならないようにしておくのがいいだろうな」
と小声で注意してきた。
「わかった。
ああ、この辺で火を起こそうぜ」
それにミリとシンが、
「じゃあ、薪を探してくる!」
と走り出しそうになったので、慌てて止める。
「ああ、大丈夫。万が一に備えてちゃんと持ってるから」
そう言って、カバンに手を入れて空間収納庫の携帯型魔石コンロを出す。
「それ、エスカベル大陸の魔道具!?」
シンが好奇心に目を輝かせた。
まず鍋も出して湯を沸かしたのだが、魔術を見せないようにするために、水筒を傾けてそこから水を出しているふりまでする涙ぐましさだ。
沸いたらそれの半分を保温機能の付いた水筒に移してお茶用にとっておく。
フライパンで玉ねぎ、にんじん、一口大のミートボールを軽く炒め、そこにざく切りのトマトを入れて更に炒め、鍋に移す。後で調味すればトマト煮の完成だ。
コンロの上には網を乗せ、そこに街で買ってきたパンを薄く切ったものを乗せて軽く焼くようにしておく。
ほかの人が簡単なものしか食べていないので、今日は遺憾ながらこれだけにしておこう。マジックバッグも大っぴらにしない方が良さそうなので、それほど大荷物でもないのに色々と出すと奇妙に思われる。
スープを皿によそい、パンは焼けたものから大皿に移して次のものを網に乗せるようにする。薄く切って焼くと、固いのがかなり食べやすくなるし、それをスープにつけてもいい。
チビが「これだけか。まあ仕方が無いな」と言いたげな顔をしているのに笑いそうになるが、
「さあ、食べよう」
と言って、食事を始めた。
視線はその間もずっと張り付いていたが、なるべく気にしないように努めた。
そうしてお茶を飲み、馬車に戻って座席で寝た。
目を閉じてしばらくするまで、視線はずっと僕たちに注がれていた。
翌朝は薄くスライスしたパンにハムやレタスやチーズを挟んだものと、ジャムとクリームチーズを混ぜたものをはさんだものにした。
このクリームチーズは自家製だ。牛乳と生クリームとレモン汁で手軽にできる。ジャムだけでは甘くても、クリームチーズと混ぜると爽やかな甘さになるのでいい。
まだ眠そうなミリたち三人にはこれを包んでいつでも食べられるようにしておき、水筒にスープも入れておいた。
そうして、出発だ。
昨日の視線は相変わらず張り付いている。誰のものか気になるが、こちらに何かしない限りは放置だ。
「美味しかったぁ」
アケが口の周りのジャムをなめながら名残惜しげに言う。
「ボクは昨日のスープが好きだな。トマト味で煮込むなんて食べたことなかった」
シンは思い出しながら言う。
「私は今朝のスープも好きだな。野菜とベーコンを水で煮ただけなのに、何か味が違うもん」
これにはヒヤリとした。コンソメスープの素を使ったのだ。
「そうか、それは良かった。な、史緒」
「そうだね、うん。今度家でも試してみてよ。
ああ。大きな山だね」
遠くの岩山を指さす。
「あれはねえ」
そうして、馬車は兎人族の村へと近付いていった。




