古き良き魔術
「おいおい。今日はどうしたんだ、ホッジ」
一回目のゲームを終えた翌日の夕刻。
職場で考え込んでいたホッジに同僚が声をかけてきた。
顔を上げると、彼は奇妙なものを見る目をこちらに向けている。
「定時だぞ。いつもならダッシュで帰宅しているのに」
「ん? ああ、もうそんな時間か」
「……何か、変なものでも食ったか?」
「失礼な。ちょっと、昨日いろいろあったんだよ」
「いろいろって、ロストワールド以外に予定なんてあったのか」
「何て答えたものかな……」
ロストワールドのことなんだが、ロストワールドのことじゃない──。
そう言おうとして、唐突にそれはきた。
頭に鋭い痛みが走る、その一歩手前のような感覚。
これ以上口にすれば、その感覚が現実のものになるだろう。
(……なるほど、口外できない、っていうのはこう言うことか)
「いや、何でもない。ていうか、そういうときだってある。俺のことなんだと思っているんだ」
「不真面目クズ社員」
「否定しないけど、お前も大概だろ……」
「一緒にするな。俺はちゃんと、押さえるべきところは押さえている」
もちろん、仕事のことで考え込んでいたわけではなかった。
考えていたのは、第二回目のゲームのことだ。
昨日のデモンストレーションとは違って、今回はペナルティがある。
もし死ぬことになれば、二度とロストワールドをプレイできなくなる。
まだまだ、プレイし切れていないのだ。当然、許容できることではなかった。
第一回目は、勝つことよりもロイヤルクリームスープを堪能することを優先したが、次も負けることは許されない。負けないために、はたしてどう立ち回るべきか。
そのようなことを考える内に、就業時間を過ぎていたようだ。
「列車の時間いいのか? 一番早いヤツもう来るぞ」
「……やべ、忘れてた」
「ほら、いつもと違う」
「まあ急げば、間に合うし」
同僚はにやりと笑いながら言った。
「街中での身体強化は、軽犯罪法違反だぞ」
「何細かいことを。魔動車のスピード違反と一緒だろ」
「心配だな。こういう奴がそのうち禁術に手を出すんだ」
禁術。違法な魔術の中でも、特に危険とされているものだ。
現代社会では、ごく一部の例外を除いて使用が禁止されている。
「うるせえ。そもそも、そう簡単に使えるもんじゃない。それじゃあな」
同僚に別れを告げて、居室を後にした。
ホッジは会社の門を出て、しばらく進んだところで、小声で唱える。
「……『身体強化』」
口述による魔術の行使。
頭の中に刻み込まれた術式が実行され、全身に力がみなぎってくるような感覚が湧いてくる。
ホッジは地を強く蹴り、疾風のように駆け出した。
魔動車の行き交う道路沿いのメインストリートから外れて、細い脇道に入る。
脇道を少し進んだ先は、袋小路になっていた。
左右に首を振って人目がないことを確認すると、軽やかに跳び上がり、塀の上に乗った。
塀を伝って建物の隙間を進んでいく。ショートカットだ。
ホッジは疲れもなく軽快に走り続ける。
身体強化の魔術。
この魔術は、体内の魔力を操作して一時的に身体能力を向上させる。
現代では廃れた古典魔術の一つだ。
古典魔術が廃れた背景には、使用者の技量が必要なこと以外に、法律で制限されていることがある。
身体強化も制限の対象だ。出力を抑えているとはいえ、見つかると面倒になる。
社会を安定させる上で、個人に必要以上の武力を持たせるのはよろしくない、ということなのだろう。
せっかくのできることが一方的に禁止されるなんて、もったいないことだ。
もっとも、ホッジが古典魔術を覚えたのは、現実世界で使うためではなかった。
ロストワールドには、『カスタムアーツ』というゲームシステムがある。
これは、古典魔術をロストワールドの世界の中で再現する、拡張システムだ。
通常は、ゲーム内で用意された魔術のみを使うが、カスタムアーツの機能により、より多様な魔術を使うことができる。
とはいえ、現代に残る古典魔術で、ゲーム内の魔術より強力なことを行うのは難しい。基本的には、一部のコアなプレイヤーが、楽しみ方や戦略の幅を広げるための要素だ。
建物の隙間を抜けて、ホッジはふたたびメインストリートに戻ってくる。
駅についたとき、列車はまだ来ていなかった。
(……よし、なんとか間に合った)
自宅に戻ったホッジは、ゲームの開始時刻になるのを待った。
ゲームの内容がわからない以上、具体的な対策を練ることは難しい。
魔術機器を使ってオープンなネットワークにアクセスし、デスゲームに関する情報が無いか探ってみたが、めぼしい物はなかった。
結局先日のゲームで体験した以上の情報はない。
だが、振り返ってみて一つ気づいたことがあった。
主催者は、ロストワールド上でデスゲームをすることにこだわっている、ということだ。
デモンストレーションのペナルティの扱いについても、死んでもペナルティが発生しない、ではなく、そもそも死ぬことが発生しないようにされていた。
初めにフーガは、プレイヤーに対して『命を賭けてゲームをしていただく』と言った。
彼らの狙いは、スリリングなデスゲームをさせることではなく、命を賭けて真剣にロストワールドをプレイさせることなのではないか。
これはあくまで推測に過ぎない。個人的な願望が入っているかもしれない。だが、
──もしそうなら、俺の目的と矛盾しない。いや、それどころか望むところだ。
気づけば、二回目のゲームの開始時刻が迫っていた。
開始時刻と同時にホッジは、ロストワールドへログインする。
先日と同様に、ログインプロセスの途中で、視界に投影された映像にノイズが生じる。
今回飛ばされた場所は、昨日とは違って、野外のフィールドだった。
「ここは──」
風の吹きすさぶ高原。以前来たことのある見覚えあるフィールド。
場所の候補が頭に浮かぶなり、ゾッと悪寒が走った。
周囲を確認し、他のプレイヤーがいないことを確認する。
視界の端に表示された手紙のアイコンから、メッセージ届いていることに気づく。
──制限時間内に『魔硝玉』を新規獲得し、付近の都市にいる審査員へ渡してください。
魔硝玉は、このフィールド──『ウェンタス高原』の奥地で取れる希少アイテムだ。
ホッジは、今回のゲームにおける障害を察する。
ウェンタス高原は、ロストワールドの中でも悪名高い、PK許可エリアだった。