死のゲーム
部屋は波打ったような静寂で包まれた。
無理もない。仮面の男の言ったことに何の現実感も湧かなかった。
「突然のことで理解が追いついていないことでしょう。これから始まるのは、我々が主催する特別なイベントです。そのために、ロストワールドのシステムに介入し、皆様をお呼びしました」
システムへの介入。
さらりと言ってのけたが、そう簡単にできるものではない。
だが、現にホッジや他のプレイヤー達がこの場に集められている。
暗にこの男の背後にはそれが可能なほど大きな存在がいることを示していた。
「皆様は、プレイヤーの中から運良く選抜されました。おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。イベントでは種々のミニゲームを行いますが、見事勝利された方には、本来なら手に入らない貴重な景品が与えられます」
彼は胸の前に手を当て、うやうやしく頭を下げる。
「自己紹介が遅れました。私はフーガ、皆様のゲームマスターを務めさせていただく者です。どうぞ、お見知りおきを」
フーガと名乗った男をぐるりと取り囲むプレイヤー達。
しばらくの静寂の後、耐えかねたようにプレイヤーの一人が声を上げる。
「おい……ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!」
声の主は大柄な人族の男だった。彼にプレイヤー達の視線が集まる。
「イベントだかなんだか知らないが、さっさとここから出しやがれ!」
「申し訳ありませんが、それは成りません。皆様全員イベントに参加していただきます」
「知らねえつってんだろ!」
「……とはいいつつも、戦う意欲のない方が参加するのも困りもの。ゲームバランスが取りづらくなってしまいます。何より、ゲームとして面白くない」
フーガは、顎に手を当てて思案顔を浮かべた後、提案する
「いかがいたしましょう。もしここでドロップアウトされるというのであれば、お止めはしませんが」
「ドロップアウトでも何でもしてやるよ。つきあってられるか!」
「承知いたしました」
フーガが微笑を浮かべた。ふと嫌な予感を覚える。
「おい。待──」
呼び止めようとして言い切る前に、突如、大柄な男が倒れた。
やがて、男の体の一部が細かい光の粒子になり、さらさらと溶けるように消えていく。
ログアウト時の消失演出だ。演出が終わり、完全に男の姿がなくなった。
(ログアウトした、だけ……?)
嫌な予感は、気のせいだったのだろうか。
「お、俺も、ドロップアウトを……」
誰か他のプレイヤーが、先程の大柄な男と同じように、声を上げようとする。
よくわからないイベントに参加したくないのは、誰も同じだろう。
しかし、言葉の途中でフーガの頭上に大きな水晶板が出現する。
言いかけた誰かは言葉を途切らせた。ホッジは水晶板を見ながら眉をひそめる。
「……?」
奇妙な光景が、水晶板に映し出されていた。
現実世界の、賃貸マンションと思しき一室。部屋の壁にくっつけて寝台が置かれており、その上に仮想遊戯用のマスクをつけた男が横たわっていた。
男はむくりと上体を起こし、手をマスクに向かって伸ばした。
マスクを外して風貌が顕になる。粗野な顔立ちで無精髭がその印象を強めている。
一方で、表情はぼんやりとして覇気がなく、どこを見ているのか目の焦点が定まっていない。
(……これは、さっきのログアウトしたプレイヤー?)
男はおもむろに立ち上がり、歩き出した。
『ふ、へへ……』
映像には、酩酊したように体をふらつかせる男の背中が映っている。
一体、何を見せようとしているのか。
その答えはすぐに察せられた。男の進む先にベランダがあった。
掃き出し窓を開けて男はベランダに出た。
手すりに両手をかける。手に体重をかけて、手すりの上に片足を載せる。
そして、何のためらう素振りもなくベランダから身を投じた。
「────っ」
プレイヤー達のはっと息を飲む音。わずかな間を置いて、ドパンッという破裂音が響き渡った。
ぶつっと、映像が途切れる。
「先ほど退場された参加者──ワルド・バリー、男31才。とある運送会社の従業員だったようです。我々は皆様の素性は存じ上げており、また生殺与奪の権を握っております。はじめに申し上げた通り、皆様には命をかけてゲームをしていただきます」
フーガはふと思い出したように、プレイヤー達に尋ねる。
「先ほどどなたか言いかけたようですが、他にドロップアウトされたい方はいらっしゃいますか?」
この状況でドロップアウトしたいなどと言う者が、いるはずがなかった。
「いらっしゃらないようですね。すばらしい。では、イベントの内容をご説明──」
「あ、あんたら、何者なんだ……? 何が目的で、こんなことを」
プレイヤーの一人が、絞り出すようにして尋ねた。
「申し訳ございませんが、それらは現段階ではお答えしかねます。例え伝えたことで、理解できないことでしょう」
つれない回答に、そのプレイヤーは沈黙するしかなかった。
「では、イベントについてご説明しましょう。まず、我々のイベントといっても、ロストワールドをプレイするということに変わりありません。
異なるのは、イベントの中でミニゲームが行われ、ミニゲーム特有のルールや勝利条件が設定されること。例えば、時間内に特定のモンスターを倒す、といった具合ですね。
そして、ミニゲーム中の死や敗北は、現実でも『相応のペナルティ』が生じるということです」
相応のペナルティが生じる。実際、先ほどドロップアウトを宣言した男が、自殺させられた。
もちろん、映像が作り物でないとはいえない。あれだけで真偽は判断しにくい。
だが、死ぬリスクを意識させるには十分なほど生々しいものだった。
もしイベントの主催者達が、人を意のままに操るほどに強力な魔術師だとするなら、ロストワールドに介入するなど造作もなかっただろう。
何にせよ、プレイヤー達は彼らの指示通り命をかけてゲームをしなければならない。
「とはいえ、まだ十分に理解されていないことと思います。私から申し上げられるのは、とにかく勝つことです。先ほどもお伝えした通り、勝利者には特別なボーナスをご用意しています」
(ボーナス……?)
「実際に何をもらえるかは、受け取ってからのお楽しみですが、お金や特別な力、皆様が望むであろう、様々なものをご用意しております。きっと気に入られることでしょう。……さて、前置きはこれくらいにして、これから実際にゲームをやってみましょうか」
水面に石を投じたように、プレイヤー達がざわめきたった。
フーガは、安心させるように口元で微笑を浮かべる。
「身構える必要はございません。これから皆様にしていただくゲームは、あくまでデモンストレーション。ペナルティは生じないようにしております」
プレイヤーの面持ちを見る限り、フーガの言葉で緊張がやわらいだ様子はなかった。
「デモンストレーションの説明を始める前に、ここまででご質問はございますか?」
すぐに質問するプレイヤーはいなかった。
先ほど男が退場させられたことには、見せしめの意味が感じられた。下手に質問をして目を付けられたくはないだろう。沈黙が漂う中、ホッジは考えを巡らせる。
……これは確認しておいた方がいいか?
「いないようであれば──」
フーガが話を進めようとする。気づけばホッジは手を挙げていた。
「……ペナルティが生じないといったが、それはあんたの言う『相応のペナルティ』だけか? もし死んだとき、ロストワールドの普通のデスペナルティはどうなる」
ロストワールドでは、致命傷を得たとしても復活できるが、そのときの所持品や財産、経験値の一部を失ってしまう。
やり込んでいるホッジにとっては十分に手痛いペナルティだった。
「通常のデスペナルティの心配も不要です。今回のデモンストレーションで致命傷になる攻撃を受けたとしても、体力を一残してそれ以上は減らず、敗北の判定がされるのみです。もっとも、今回のデモンストレーションは真剣に臨んだ方がよいものですが」
「というと……?」
「デモンストレーションの勝者には、通常のゲームと同様ボーナスが与えられます。今後のゲームの展開に大きく影響するはずです。お試しとはいえ油断されないようご注意ください」
フーガはプレイヤー達を見回し、他に質問が無いことを確認する。
「では、質問も無さそうですので、デモンストレーションの説明に移ります」
周囲のプレイヤーのごくりとつばを飲む音が聞こえてきた。
正体不明の組織による命をかけたゲーム。
一体これからどのような陰惨なゲームが待ち受けているのか。
地獄の沙汰を待つが如き心持ちのプレイヤー達へ、フーガは端的にゲームの内容を告げる。
「これから皆様には、料理を作っていただきます」