表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

ロストワールド

 魔術は、人智の結晶だ。

 脆い人類に力を与え、強大な種族に立ち向かうことを可能にした。

 生活を便利にし、文明を発展させる礎となった。


 ──霊峰、ヴィルゴー。

 

 人類の手の及んでいない、秘境の地とされるその場所には、恐るべき魔物が生息していた。

 ごつごつとしたむき出しの岩場が広がる渓谷で、三つの人影とそれを見下ろす巨大な影があった。


 巨大な影の主は、家ほどもある巨躯を持ち、背中から伸びる膜翼がそのシルエットをより大きく印象づけていた。さらに、全身は堅い鱗で覆われており、四肢や頭部からは鋭利なかぎ爪や角が伸びている。鋭い双眸から向けられる射貫くような視線は、相対するものが戦意を失ったとしても、なんら不思議ではないものだった。


 古竜種。


 数ある生物の中でも高い攻撃力を持ち、危険とされるのが竜種であるが、古竜種はさらにそれを上回る。


 そのような存在に、三人は対峙していた。


「ホッジ! ブレスがくるぞ!」


 三人の内、蜥蜴(とかげ)のような顔をした者──竜人族の男が叫んだ。

 黒髪に白いバンダナを巻いた青年が、威勢よく返事をする。


「ああ!」

 

 竜の口から、青白い光が迸った。


 ホッジ、と呼ばれた青年のいた場所を、溢れ出た炎が包み込む。


 その直前、ホッジは横へ跳躍。竜の攻撃を回避する。

 同時に反撃に移る。彼の手には、分厚い本が握られていた。


 本を開いて、複雑な文様の描かれた頁を表示する。

 本が光を帯びたかと思うと、ホッジの前方に、円状の複雑な幾何学模様──魔術陣が展開される。

 陣の中央から氷のつぶてが発せられ、竜の体に降り注いだ。


 竜が地鳴りのような声を上げた。圧倒的な声量が地を揺るがしビリビリとした振動が伝わってくる。

 竜の体が傷ついた様子はない。それは苦痛によって上げた悲鳴ではなく、苛立ちを示すものであった。


(さすがは古竜種、硬いな。でも……!)

 

 この程度の攻撃が効かないことは、想定済みだった。

 詠唱により、次の魔術を発動させる。


氷縛(アイスバインド)!」


 ホッジが手をかざした先、竜の足元に、新たな魔法陣が現れる。

 陣から湧き出した氷の結晶が、竜の四つの足へ伝うようにしてまとわりつく。

 またたく間に竜の足が氷漬けとなり、竜はその場に縛りつけられる。


 タイミングをあわせ、頭に長い耳を生やした女の子──兎耳うさみみ族の少女が前に出る。少女は甲冑をまとい、剣を手にしている。

 少女は、拘束された竜に向かって飛びかかり、大きく上段に振りかぶった剣を振り落とす。剣は紫電をまとっており、稲妻のような速度で竜の頭部へと炸裂した。

 再び竜が叫び声を上げる。さきほど以上の怒りをにじませた声。竜の頭部の角が折れ、頬に入った創傷から血が滴り出していた。


「よし、効いてる!」


 ホッジは竜に向かってより接近し、氷漬けの魔術、氷縛(アイスバインド)を再度発動させる。

 この魔術は、対象に近ければ近いほど、より大きな氷をより短時間で生成できる。


「おい! 前に出過ぎるな。死ぬぞ!」


 竜人の男が諭すように告げた。


「死ぬのを恐れて、古竜種に挑めるかよ!」

「そうか! 俺は恐れるから、死ぬときは一人で死ねよ!」

「この薄情者め……! 何弱気なこと言ってんだ、これくらいのことで──」


 ホッジの言葉の途中で、竜が前足を氷から勢いよく引き剥がした。


「うお……やべ」

「いわんこっちゃねえだろ!」


 ホッジは、飛び散った氷の破片を眺めながら立ち尽くす。

 すでに竜の攻撃の射程に入っていた。わずかな間で、竜は後ろ足を引き剥がすと、その場で旋転する。鋭い棘のついた尾が、ムチのようにホッジめがけて振るわれる。竜の攻撃をまともに喰らえば、それだけで致命傷になる。だが、


「──まだまだあ!」


 ホッジは、竜がいる方向にむかって駆け出していた。尻尾が衝突する直前、体を伏せさせる。

 寸でのところで、尻尾が頭上をかすめていった。

 尻尾が通り過ぎるなりホッジは起き上がり、さらに竜の体へ近づいて、足の下に潜り込む。


「逆に、こんだけ近づければ……!」

 

 氷縛(アイスバインド)を発動させ、竜の足元が再び凍りついていく。さきほどよりずっと大きな氷の結晶が竜を拘束する。竜はもがいて引き剥がそうとするが、より強固に作られた結晶によって阻まれる。


「無茶するなあ。でも、結果オーライ!」


 そうつぶやいて、兎耳の少女が、竜の背中に飛び乗った。

 剣を振り上げ、勢いよく竜の背中に突き立てる。さらに、剣を中心に魔法陣が展開。魔法陣は垂直に幾重にも重なり、天へと伸びていく。


「やっちまえ!!」


 ホージが叫ぶと同時に、雷鳴が轟いた。


 一条の太い雷が、竜に向かって降り注ぐ。耳をつんざくような竜の咆哮が響き渡った。

 さらに少女は二発目の雷を放とうとする。

 竜は、激しく体を揺さぶって、少女を振り落としにかかった。


 振り落とされる前に、二発目の雷が竜の体を貫く。怯んだように竜の動きが鈍った。

 残りを力を振り絞るようにして、竜は、右の前足を氷から引き剥がす。

 さらに、もう一つの前足を引き剥がしたところで、三発目の雷撃。

 音を立てて竜の体が地に伏した。脱力したように首や尾や翼がだらりと下がり、そしてぴくりとも動かなくなる。


 完全に竜は沈黙していた。


 こみ上げる感情にホッジは拳を固く握ってガッツポーズする。


「うおおおおおおおおおお! やった! 倒した! 古龍種を倒したぞ……!!」


 竜人の男が、ホッジのもとに駆け寄ってきた。


「やったな。ホッジ!」

「おう!」


 片手を上げた竜人の男に、ハイタッチして答える。

 竜の背中から、兎耳の少女も降りてくる。はずんだ声で、ホッジと竜人に言う。


「お疲れ様。強敵だったね」

「ああ、この命知らずが突っこんだときは、ひやひやしたぜ」

「いけそうな気がしてさ。つい」


 竜人と少女が、吹き出したように笑い出す。


「つい、じゃねえよ。まあ、お前らしいけどな」


 竜人が、ばしばしとホッジの背中を叩いた。

 叩かれているホッジもまったく悪い気分ではなく、強敵を倒した達成感でいっぱいであった。


 ホッジらは、談笑しながら、竜の屍から戦利品である素材を剥ぎ取る。

 仲間と勝利の余韻に浸るこの時間をホッジは気に入っていた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 素材の回収を終えて、名残惜しく思いながらホッジは告げる。


「悪い。そろそろ落ちる(・・・)

「あー、もうそんな時間か。またな」

「また一緒に組もうね」


 ホッジはうなずいて返すと、左手を振り上げる身振り操作(ジェスチャー)をする。

 目の前にコントロール画面が現れる。タッチして画面を操作していき、最後に「はい」を選択する。

 ホッジは、仮想世界──『ロストワールド』からログアウトした。


 ◆


 高層ビルの立ち並ぶ都心の一角。

 『スマート・アーティファクツ』という会社名の書かれたビルが立っている。

 さらにビルのオフィス内に「術式開発部」という部署があった。

 その部署の居室の中で、大きな声が響き渡る。


「ホッジ! なんだこれは!」


 小柄で長い髭の男が、目の前に立っていた。

 彼はホッジの前に、ノートブック型の魔術機器(デバイス)を突き出し、鼻息を荒くしている。

 機器の画面には、黒い背景の上に数十行の文字列が並んでいた。


「先日作るよう指示された術式(コード)ですけど……」

「ですけど、じゃないわい! こんな読みにくいコード書きおって。後でメンテできるように、わかりやすく書けって言ってるだろうが。パズルかこれは!」

 

 ただでさえ、気難しい顔をしているドワーフ族が、眉間にシワをよせていた。

 ホッジは説教されながら、コードのわかりにくい箇所を順に指摘されていく。


「仕事でやってんだぞ。いいかげん自覚を持て!」


 最後に一喝されて、ようやくホッジは解放された。

 一部始終を見ていた隣の席の同僚に声をかけられる。


「大変そうだな」


 彼は同情するでなく面白がるように、にやにやとした笑みを浮かべていた。


「ほっといてくれ……」

「もっと要領よくやりゃあいいのに」


 ことなげに言われて、ホッジは口をつぐむしかなかった。


(できないから、苦労してるんだろうが……!)


 ホッジ・フォールフィールドは、魔術機器メーカーのエンジニアで、コーディング──術式の実装を行っている。術式とは、魔術の内容を定義したものだ。ホッジの部署で作成した術式を組み込むことで、様々な魔術機器を動作させることができる。


 現代の魔術では、専用の魔術言語を使って一つ一つの処理を記述し一連の術式を構築するのが普通だ。


 複数人で分担しながら、効率的に術式を組めるので、複雑な魔術が簡単に作れるようになった。


 その反面、他人が使うことを想定して術式を組む必要があるのだが、人にわかりやすいコードを書くということが、ホッジは苦手だった。


 あまりに苦手過ぎて、ホッジは開き直っていた。


 ──自分は今の社会の仕組みにあっていない。きっと、生まれる時代を間違えたんだ。


 いつものように、無心で目の前の仕事を片付けながら、就業時間が終わるのを待った。

 そして、定時になるや否やダッシュでオフィスを出た。


 すでに心は、ロストワールドの中にあった。なんなら仕事中もロストワールドのことを考えていた。真っ直ぐ駅に向かい、鉄道に乗って三つ隣りの駅で降り、賃貸の集合住宅である自宅へと舞い戻る。


 簡素な部屋のど真ん中に、箱状の機器が置かれていた。

 機器からケーブルが伸び、その先にマスクがつながっている。

 マスクはつるりとした装飾に乏しいもので、覗き穴はない。

 顔の装飾ではなく、ロストワールドをプレイするため魔術機器だからだ。


 ロストワールドは、世界で最も有名な仮想遊戯バーチャルゲームだ。

 現実の世界とは異なる、もう一つの世界を仮想体験できる。


 ゲームの中で、プレイヤーのすることは決められていない。冒険に出てモンスターを狩るもよし、商人になって金を稼ぐもよし、はたまたプレイヤーキラーになるもよし、自分が何をするか、全てプレイヤーの自由だ。

 

 ロストワールドは、過去の時代をモデルにしている。

 過去と現代で、この二百年ほどの間に、世界は様変わりした。

 変わったのは、主に魔術の発展によるものだ。


 魔術は、三つの要素からなる。


 世界を変容させる力、魔力。

 世界を変容させる内容、術式。

 そして、世界を変容させる意志、思念。


 二百年ほど昔の魔術、現在で言う所の『古典魔術』は、個人の技術だった。

 根本的に古典魔術は、魔術師個人が持つ魔力量が多いほど、思考能力が高いほど、意志の力が強いほど、効果が増すものだった。

 そのため、当時の魔術師は、個人が独自に魔術を深化させる道を選んだ。

 飽くなき探求に邁進した魔術師が、世界で様々な冒険を繰り広げた逸話は、今も広く語り継がれている。


 だがそれも過去の話だ。

 古典魔術では、魔術には、人の意志が必要だと考えられていた。部分的にそれは正しく、魔術の発動に意志が必要であることは現代の魔術でも同じだ。だが、それは人の意志に限らなかった。

 

 ──世界は、それ自体が世界を変容させる意志を孕んでいる。


 さる魔術師が、実験中の魔術の暴発によって、このことを発見した。魔術師は、その時の術式を解析し、現代魔術の基礎理論を構築した。

 さらに、『外念機関』と呼ばれる、理論に基づいた魔術の発動装置を発明。

 誰でも同じように魔術が使える外念機関は、すぐにその有用性が認知され、またたく間に普及した。

 研究は加速的に進み、現代魔術として体系化され、世は魔術機器であふれるようになった。


 魔術はオープンなものになり、個人で探求する必要はなくなった。すでに術式が組み込まれた魔術機器を購入するだけだ。

 人の文明が発展する過程で、竜種のような危険な生物は絶滅している。今では、下位種族のワイバーンが、動物園で見れるぐらいだ。

 冒険に出るような未知の領域もなくなった。お金さえ払えば、どこであろうとも安全に観光(・・)できる。


 豊かで安全な世界。しかし、


 ──なんて、退屈な世界なんだ。


 偉大な魔術師も、血湧き肉躍る冒険も、今の時代には存在しない。

 ホッジにとって、それはひどくつまらないものだった。

 そんな世界で唯一楽しめるもの。


 それがこのロストワールドだった。


 ロストワールドで何をするか、プレイヤーが決められる。

 ホッジは、ロストワールドで、過去の偉大な魔術師がしたような冒険をしたかった。新たな領域を開拓する中で己の魔術を磨き、さらには魔術の起源へと至ろうとする、壮大な冒険を。


 他人からすれば幼稚な現実逃避かもしれない。だが、ホッジにとっては、現実世界の何よりもはるかに価値のあることだった。


 ──この世界だけが心のオアシスだ。


 ホッジは、寝台に横になってマスクを装着する。

 装着されたことが認識され、視覚情報がマスクから脳に直接送信される。今ホッジには、ロストワールドのログイン画面が見えていた。

 次第に現実の体の感覚が消失し、ホッジは意識だけ、仮想空間へと飛ばされていく。


 ふと、視界がゆらぐ。

 虹のようなうねりが走り、タイトルロゴが歪んだ。


 ……バグ? 珍しいな。


 お詫びのアイテムでも配布されるかもしれないな。

 そんな呑気なことを考えている内に、ゆらぎが戻った。『ログインプロセスが完了しました』という文言が表示され、視界にロストワールドのものに切り替わる。プレイヤーの位置情報は、最後にログアウトしたものが引き継がれる。

 なので、昨日ログアウトした、霊峰ヴィルゴーに出るはずだった。

 しかし、


「ここは……?」


 出たのは、薄暗い部屋の中だった。建物の一フロアのように天井が低く、閉塞感を覚えさせる。横方向には広く、周囲を見渡すと、数十名のプレイヤーが部屋の中にいた。

 天井や四方の壁は、つるりとした石のような素材だった。どこかの地下室のような雰囲気だ。

 

 他のプレイヤーの様子を伺うと、そわそわと落ち着かないように周囲を見渡していた。

 ホッジの比較的近くにプレイヤーが二人、騎士の装いをした男と狩人風の男がいた。

 彼らのもとへ歩み寄る。


「なあ、急にこんなところに出たんだが、何か知ってるか?」


 騎士が答えた。


「いや。俺も、少し前に急にここに飛ばされて、何がなんだか……」

「そっちのあんたも?」


 狩人は、黙ったままうなずく。

 

「そうか。まあ、もう運営も気づいているだろうし、様子を見るか」

「……だといいけどな」


 神妙な声で、狩人がつぶやいた。


「何か気になることが?」

「実はすでに問い合わせた人がいるんだが、まったくアナウンスがないんだ。突然転移されたのも変だし、部屋から出るどころかゲームからログアウトすらできない」

「……ログアウトできない?」

「ああ、はっきり言ってかなり異常な状況だ」


 狩人に脅かそうとして言っている様子はなかった。不可解な事態にホッジは眉をひそめる。


 ……一体何が起きているんだ?


 その疑問に答えるように、唐突にピシッというひび割れの音が聞こえた。

 音の方、部屋の中央を振り返ると、そこに黒い亀裂が入っていた。

 亀裂が広がっていき、中からハーフマスクをつけた燕尾服の男が出てくる。


「急にお呼びし、お詫び申し上げます。プレイヤーの皆様」


 落ち着いていながら、部屋の端にいるホッジまで届く、不思議な声だった。

 プレイヤー達の視線が、仮面の男に集まる。プレイヤー達はいずれも、困惑した表情を浮かべていた。

 この男は何者なのか。何のために、どうやってそんなことをしたのか。きっとそのような疑問でいっぱいであっただろう。ホッジも同じ気持ちだった。


 疑問に包まれた彼らを嘲笑うかのように、仮面の男は不敵に口角を釣り上げる。


「突然ですが、これから皆様には、命を賭けてゲームをしていただきます」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ