第83話 宣戦布告はいつでも理不尽
翌日、赤褐色の甲殻騎が渓谷に現れた。
整然と整列し、あまつさえ、ヴァークロート国章を掲げ、堂々の行進である。その数、実に80騎超。フィヨルトの軍制で言えば連隊規模になる。当然、それに伴う随伴歩兵たちも連隊に相応しい数が揃えられていた。
だが基本的に歩兵は甲殻騎士の敵とはならない。地球で言えば、対戦車装備を持たない歩兵が戦車に挑むようなものだ。かなう訳が無い。さておき。
「こうもあからさまにやってきたか。いっそ清々しいね」
大公が呆れたように言った。
ヴァークロート軍の行進は進み、ドルヴァ砦から300メートル程手前で停止した。そして、その中から大振りの騎体が1騎進み出た。
「私は侵攻軍総指揮官、エラヴィーン・バイン・マイントルート伯爵である!」
「なんとまあ」
大公の隣にいたメリアも呆れを隠せない。
「わたしの言葉はヴァークロート王国国王陛下より、全権委任を受けた上での発言である。頭を下げろとは言わんが、心して聞くが良い」
彼は濃紺の髪を油で撫でつけ、立派な髭を持った40代後半の偉丈夫であった。決して武を持たない木端貴族ではないだろう。
「渓谷を含む森林は我が国、フィヨルト両国の領土として明確とは成っていない。よってここに、ドルヴァ砦以北をヴァークロート王国領として編入することを宣言する!」
彼は足元から羊皮紙を持ち出し、両手でバっと広げ、誇らしげな顔をした。
「また、陛下の恩情により、ロンドル大河以東については、引き続き中立地帯として認めるものとする」
フィヨルト側の面々の想いは一つであった。何言ってんだコイツは。
「さらぁに! 本日を以てヴァークロート王国は、フィヨルト大公国へ宣戦布告をするものである」
「はぁ!?」
流石に大公も声を出したしまった。
「これは、我が国領土であるドルヴァ渓谷に対し、ドルヴァ砦なるものを建設し、対峙したフィヨルトへの予防的侵攻に他ならない。貴国のヴァークロートに対する侵略意図は明白である。本件に関しては、連邦中央フォートラントへも厳重に抗議した上での、止む無き措置である」
凄まじい、そして実に立派な言いがかりを堂々と言い放つ。これぞ戦争外交か。伯爵はもう一つの羊皮紙を開いてみせた。
「戦時手続きにおいて、ドルヴァ砦のヴァークロート所有を認めれば、以後は戦後交渉となろう。翌朝まで待とう。良い返答を期待している!」
言うだけ言って、伯爵は踵を返し、戻っていった。
残されたのは、言っていることは分かるが、言っていることが理解できない、フィヨルト側の面々であった。
◇◇◇
「なんだったのでしょうね」
「額面通りなんだろうね」
疲れた顔の大公夫妻のやり取りである。
「あそこは、東部戦線を抱えているはずだ。それなのに1個連隊を抽出出来た」
「つまり内々の休戦協定が、成立していますね」
「敵がはっきりしたよ。ここまで露骨にくるとはね」
ヴァークロート王国は、領土拡張による甲殻獣素材と森林資源。フォートラントはフィヨルトの弱体化。ヴァークロートが砦を欲したことから、かの国はフィヨルトそのものの併吞までもくろんでいるだろう。
「それで返答はいかがなさいましょう」
軍務卿が尋ねてきた。
「それを聞くか? 聞く意味があるのか?」
「最高権限者でありますからな」
「当たり前だろう。全部拒否だ」
ドルヴァ砦を抑えられる。それはすなわち大公国の西部穀倉地帯をさらけ出し、公都フィヨルタまでの平坦な道を与えるに等しい。あり得ない。
では、渓谷以北の領有権を認める? いつ何時、砦が襲われかねないし、そこに常駐させるだけの戦力が、今の大公国には余りにも惜しい。ましてや、フォートラントの一部であろうが、連邦の結束を乱そうとしている最中、東部の守りも必須なのだ。
要は全て受け入れられないということだ。
「私はフィヨルタにいて、判断を仰ぐのに4日か5日必要というのはどうだろう」
「無駄でしょう。相手が日にちを出してきたのですし、『シルト』が見られていたのは間違いないでしょうから」
「そうだよね。ああ、どんな些細な事でも構わない、方針というか方策はないだろうか。誰でも構わん」
場が、しんとなった。
「例の伯爵との決闘なんてどうでしょう」
おずおず言い出したのは、第1騎士団長フィート=フサフキだった。とりあえず何か言っておいて、自分は発言しましたよというのが見え見えだ。
「200年前ならあったかもねえ」
「申し訳ありません」
全然申し訳なさそうに見えないのが難点だった。
「交渉の余地はあると思いますか?」
今度はメリアだった。彼女もまた、諦めた顔をしていた。
「こちらが30ちょっと、明日になれば40か。倍あればどうにかなったかもしれないが」
「そうですね……」
ちなみにこの世界の攻城戦は余程の地形的有利が無い限り、攻撃3倍の法則は成り立たない。飛び道具が事実上存在しないからだ。弓が、投槍が、最悪投石がと思われるかもしれないが、『ソゥドを纏った甲殻』に飛び道具は通用しないのだ。投擲物にはソゥドを纏えない。核石という例外があるが、あれは硬度が足りないのでどの道、無意味なのだ。いつか、速度だけで甲殻を抜ける技術が現れるかもしれないが、今はまだそうではない。
そして、城壁はソゥドを纏った甲殻騎ならば、ぶち抜けるのだ。この時代の城壁は、見栄もしくは足止め以上の意味合いを持たない。
「やるしかありませんな。後は粘るだけ粘って、フィヨルタからの援軍を待つしか」
軍務卿が、諦めた様に言う。
「僕たちじゃだめかな?」
「ですわ!」
とんでもないことを言いだしたのは、ファインとフォルンだ。
「僕たちならやっつけられると思う。父様と母様と、ぼくらでやっつけようよ!」
「そうですわ!」
思わずメリアが二人を抱きしめる。
「ありがとう。本当にありがとう。だけど、今すぐはダメ。あなたたちに役割が出来た時には、必ず言うから、今は我慢して。お願い」
「母様……」
ファインがベソをかく。フォルンもだ。だが、ぐいとフォルンが涙を拭う。
「大丈夫ですわ。お姉様とフミネ姉様が来てくれますわ!!」
「確かに!!」
一同が笑った。そうなのだ、彼らにはあの二人が味方についているのだ。非常識で理不尽だけど、真っすぐで最強の『悪役令嬢』と『悪役聖女』が。
◇◇◇
翌日、大公は引っ張るだけ引っ張った。
話し合いが終わっていないだの、自分の不甲斐なさだの、一部の者が造反を企てているだの、嘘八百を並べるが、相手は当然黙殺した。
「大公閣下、見苦しいですぞ!」
「そんなことは私が一番よく分かっているよ」
伯爵の言葉に大公は苦笑する。
そして、戦闘が、戦争が始まった。




