最終話 再びキミと共に
「戻ってきちゃった、かぁ」
文音は車の中にいた。ハザードは付きっぱなしだった。つまり多分、あの時からそう時間は経過していない。自分の心さえ納得させることが出来れば、日本の生活にも戻ることが……。
「研究室、いこっか……」
その日、文音は実験で大失敗をやらかし、周りから心配され、家に帰るように言われてしまった。
◇◇◇
『聖女の扉』が現れ、それに動揺したフォルテの発言の後、現場は大騒ぎになった。聖女の帰還という奇跡の光景を目の前にした群衆が、一転、フォルテの今後に思い至ったからだ。とたん大騒ぎになってしまった。帰らないでくれと懇願する者、それに対し聖女は帰るものだと言う者、バラバラであった。
「お静まりなさい!」
フォルテが一喝する。ソゥドを込めた声が広場に響き渡った。
「貴方がたは、フミネにこれ以上何を求めていますの?」
場が静まり返る。
「フミネはわたくしに騎士の力を与えてくれましたわ。様々な甲殻技術を発案してくれましたわ。もしこの度の戦功に順位を付けるとしたら、間違いなく第一功はフミネですわ!」
フォルテの言葉と悲痛な叫びが、皆の心に沁み渡っていった。ああ、一番悲しんでいるのは我らが大公閣下なのだ。
「ニホンからやってきたフミネには、目標がありますわ。獣医師と言うそうで、動物の医術者ですわ! 彼女には、夢があるのですわ! それをフィヨルトの都合で閉ざすなど、あり得ませんわ!!」
「フォルテ……。泣かないでよ」
「ぐじっ、泣いてなんていませんわ!」
何時しか、そこかしこから鼻をすする声が聞こえていた。
「フォルテ」
「何ですの?」
「わたし、帰るよ」
フミネが断言した。フォルテは半笑いでぐしゃっと顔を崩壊させた。
「フォルテの言う通りだよ。わたしには夢っていうか、やりたいことがある。それを思い出した。ありがとう、フォルテ」
「ど、どういたしましてですわっ!」
そこからは、涙の応酬であった。フミネに関わったあらゆる人々が別れを惜しんでくれていた。
「フミネ様、本当にありがとうございました」
そんな中で、第2騎士団長サイトウェルの感謝の言葉に、フミネはちょっと引いた。骨をバキバキ折ったのに、なんで感謝されるのだろうか。
「なんというか、閣下と聖女殿に会わなければ娘はずっと燻っていただろう、その点については感謝の言葉も無い」
「彼女の才能ですよ」
クロードラント侯爵は微妙な表情ではあったが、それでも感謝を述べた。フミネの返答で台無しであったが、彼女にしても「死ね死ね」言っているケットリンテを、育てた覚えはない。
「フミネ姉様、僕のお嫁さんになってくれないの!?」
「フミネ姉様はファインにはもったいないですわ!」
ファインとフォルンも泣きながらフミネに抱き着いた。フェンも空気を読んで悲しそうに遠吠えをあげた。あとファインくんは、ケットリンテとくっ付けようと、周りが画策していることを自覚すべきだ。
フミネ自身への感謝と、フォルテを助けてくれた感謝、色々が入り混じった言葉の応酬の末、ついに悪役令嬢たちの番がやって来た。
「フミネ、わたしも鍛錬積むからさ。ニホンでも最強になりなよ! すんっ」
「いやあ、絶対に勝て無さそうなのが何人かいるんだよね」
アーテンヴァーニュのあんまりな要求に、言葉を濁し。
「必ずクロードラントを発展させて、フィヨルトの盾としてみせるから、フミネは安心してね。ぐすっ」
「いや、発展はいいけど、盾は違うんじゃないかなあ」
ケットリンテのガンギマリな言葉にツッコミを入れ。
「今代では無理でも、次代には大陸西方をフィヨルトで統一します。期待していてください。ずびっ」
「なんで統一するの?」
シャラクトーンの遠望にめまいを起こした。お腹いっぱいだ。
そして、フォルテは何も言わず抱き着いてきた。
「フォルテ……」
「……」
それを見た悪役令嬢たちも涙しながら、輪になるようにフミネに抱き着く。
「フミネ、ありがとう、ですわ。お元気で、ですわっ!」
「うん。じゃあね」
これ以上会話を交わしたら戻れなくなってしまう、そう思いながらフミネは扉をくぐったのだ。
◇◇◇
「はぁ……」
自室で文音はため息を吐いていた。あれから3日、どうにもテンションは戻ってこない。とにかくモヤモヤが止まらないのだ。家族も心配はしてくれているようだが、芳蕗一族は格好良さを旨とする。すなわち文音が立ち直る切っ掛けを、各々考えているようだった。なるべく格好良いのを。
そんな時、ドアがノックされた。
「どうぞー」
「入るよー」
足音でフミネはとっくに気付いていたが、入って来た相手はかーちゃん(姉、文香)であった。
「帰って来てたんだ」
「さっきね。なんだか悩んでるんだって?」
「まあねえ」
文音がちょっと投げやりぎみに言っても、かーちゃんは普通に応対してくれた。ちょっと文音が癒される。ついでにつついてみることにした。
「かーちゃん、フィヨルトって知ってる?」
「ええと、北欧のスウェーデンだかノルウェーにある、アレ?」
「それはフィヨルド。そうだねえ、じゃあ、フォートラントって知ってる?」
「……ねーちゃん(妹、文音)。あんたまさか」
「もう一発、フォルフィナファーナ様って知ってる?」
「……知ってるよ。大切な人だから」
「そっかあ」
文音と文香の何気ないけど、重要な会話は続く。
「フォルナを知っているってことは、後の時代なんだね」
「うん。200年くらい後らしい。甲殻騎がね、沢山いるんだよ」
「そんなになったんだ。フォルナ、頑張ったんだね」
「だけどね」
「なに?」
文音の空気がちょっと変わった。
「甲殻騎同士でさ、戦争とかもやってたの。わたしも戦争した」
その意味を、文香は正確に理解した。ああ、文音は殺し殺されたんだ。
「わたしもさ、『癒しの聖女』とか言われてたけど、沢山死んだよ。だからとか言わないけどさ」
「あれ? 『暴虐の聖女』って聞いたけど」
「癒しもやってたの! そういうねーちゃんは何なのさ」
「ん、『創造の聖女』だって」
「知識チート使ったの?」
「うん、甲殻騎を飛ばした」
「凄っ!」
「後ね、『悪役聖女』も名乗った」
そうして、つらつらと話していくうちに、文音の心は少しだけ軽くなっていた。やはり、話が通じる相手がいるというのは嬉しいのだ。
◇◇◇
「ご飯だよー!」
1階から母親の声が響いた。どうやら文音と文香は大分話し込んでいたようだ。
「わかったー」
「食べよっか、ねーちゃん。元気になるには肉だよ肉」
「そだね」
そうして二人は階段を降りて、食卓についた。その場にいるのは両親と文香、文音、そしておっちゃんこと文雄、さらに文雄の妻、ちーちゃんこと千早であった。
久しぶりに文香が戻り、さらに最近元気の無い文音を元気づけようと、今日の夕食はジンギスカンだ。道民はジンギスカンでビールを飲めば元気になるように出来ているのだ。6人でジンギスカン鍋が一つでは足りないという事で、今回は特別に鍋が2個用意された。肉もビールも大量に用意されている。
「じゃあ、いただきまーす!」
とりあえず本日のゲストである文香がそう言った時、異変は起きた。
それは『聖女の扉』によく似ていた。だが明らかに違う点もあった。その扉は金色に輝いていたのだ。そしてそれは、リビングに隣接した台所に存在していた。場所はまあどうでもいい。
「まさか!」
思わず文音が声を上げた。予感というか、ほぼ確信じみた何かを感じたのだ。あの扉をくぐるのは、彼女しかいない。
「ここは、何処ですの?」
しかして扉から現れてた人物は、キツめの緑の瞳を持ち、白い肌を濃灰色の軍服で包んでいた。そして、輝くような金髪は豊かな縦ロールを形成し、それが両肩から前にぶら下がっていた。
「フォルテ……」
「フ、フミネですのっ!? フミネですわ!!」
◇◇◇
「フォルテ、どうしてここに」
「わたくしにもよく分かりませんわ! でも、フミネですわ!」
テンションがおかしなことになっているフォルテの登場に、文音は逆に冷静になってしまった。家族は唖然としているが、その中に一人、文音より冷静な人物もいた。
「フォルテさんというのね。文音のお友達なの?」
「貴女は?」
「わたしは文音の母親ですよ」
「なっ、これは失礼いたしましたわ。わたくしは、フォルフィズフィーナ=フィンランティア・ファルナ・フィンラントと申しますわ」
「あらあら、長いお名前なのね。さあさ、立ったままではなんですから、座って座って」
「フミネ? あ、あのわたくしはどうすれば?」
芳蕗母ののほほんとした夕食の勧誘に対し、フォルテがなんとも微妙な表情を浮かべた。
「あ、あははは! 一緒に食べようよ、フォルテ!」
あれ以来、久しぶりに文音は心から笑う事が出来た。
「美味しいですわ。美味しいですわ! お肉もお酒も美味しいですわ!」
一通り、文香と文音が何処で何をやらかしてきたかの説明は終わった。人死にやら戦争の辺りで全員が眉を顰めたが、それでも最後まで話を聞き終わる。だがそれでも、誰もフォルテを攻めることはしなかった。時代や世界により、倫理観は異なることを呑み込むことの出来るのが、芳蕗の一族だった。
「さあ、それより食べましょう」
芳蕗母の勧めにより、食事は開始された。
急遽椅子が追加され、文音と文香の間に座ったフォルテは、馬鹿みたいに美味しいを繰り返していた。周りの人たちは嬉しそうにそれを見ている。ジンギスカンを美味しいと言ってくれれば、どうしたって嬉しくなってしまう。北海道プライドってやつだ。
「ささ、フォルテ。飲んで飲んで!」
「しゅわしゅわで美味しいですわ!」
「いいねえ、フォルフィズフィーナさん」
「わたくしの事はフォルテでいいですわ。って、聖女さまぁぁ!?」
「おうよ! わたしこそ『暴虐の聖女』フミカ・フサフキ=フィヨルティア・ファノト・フィヨルト!」
文香がババンとポーズを取る。
「かーちゃん、名前長げぇ」
文雄が思わず零した。
「わ、わたしだって、『創造の聖女』、フミネ・フサフキ・ファノト・フィンラントだよっ!」
「あはは、ファンタージね」
千早も笑う。というか、何故この一家は異世界転移を受け入れているのだろう。
「ドリルだよ、おいちーちゃん、金色ドリルで、ですわですわって言ってるよ」
「分かってるわよ。私も凄いアガってるから」
文雄夫妻はテンションが高かった。そして、にこにこと笑いながらも黙っていた芳蕗父が、遂に口を出した。
「それで、フォルテさんはどのようなご用件で?」
◇◇◇
「あ、あの、その、ヴァークロートが妙な宗教に染まって政変が起きましたわ。それで、フィヨルトを狙っているようですの。それとこれは偶然でしょうけど、南西部で大規模な甲殻獣氾濫の兆候も見つかっていますわ」
「2正面かあ。それでどうやって、フォルテはここに?」
「それはその、わたしくしはもう騎士ではありませんわ。お恥ずかしながら祈ってしまいましたの。フミネが居てくれればって。そしたら金の扉が現れて……」
「そうだったんだ」
「ですけど、その、これはわたくしの我儘でしたわ……」
そう言って、フォルテは家族の団欒を見回した。こんな風に甲殻獣もいない、戦争も無い世界で夕食とる家族。それを見てしまい、フォルテはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「文音はどうしたい?」
芳蕗父が文音に聞いた。
「わたしは……」
思わず立ち上がってしまった文音であるが、言葉が続かない。身内に打ち明け、心配させてしまった。これ以上は。
ばあんと文音の背中が叩かれた。いつの間にか文音の横に立っていた文香だった。
「ねーちゃんが行かないなら、わたしが行くよ。いいの?」
「え? ええっ?」
「俺たちが行ってもいいよ」
文雄と千早が立ち上がった。流石に芳蕗父と芳蕗母は座ったままだ。だが家族は知っている。この中で一番強いのは文香であるが、2番手は芳蕗母なのだ。
「駄目だよ! わたしが行く! わたしが行くの!!」
「フミネっ! よろしいのですの?」
「わたしが行きたいから、わたしが行くの! 悪役は何時だって自分の心のままに、なんだよ!」
「フミネ。フミネ!」
フォルテがフミネに抱き着いた。
「じゃあちょっくらフィヨルト救ってくるから!」
「いってらっしゃい」
芳蕗一家が片手を挙げて二人を送り出した。
「うん。行ってくる」
「行ってきますわ!」
フォルフィズフィーナとフミネ・フサフキは金色に輝く『悪役令嬢の扉』に飛び込んだ。