第167話 泥沼の北方戦線
最初の戦闘は北方から始まった。フィヨルト側は第1騎士団、第4騎士団のみ。フォートラントは北方から戻って来たばかりの第5連隊と、諸侯連合軍だった。甲殻素材集めは、半分本当でもう半分は欺瞞であったようだ。だがその行軍は、偵察部隊からは丸見えだった。つまりは意味が無かった。とっくにフィヨルトは、相手を捕捉していたのだ。
だがそれでも、フィヨルトの57騎に対し、フォートラントは192騎。ほぼ4倍の敵である。
「いいか、相手は全て第4世代だ。速度でかく乱しろ。周りを囲まれるな。外側から削れ」
丁度、森の隘路に差し掛かった時点での完全な奇襲に、第4騎士団長リリースラーンは歓喜した。参謀部のお膳立てがこれほどのものとは。
「進軍阻害だ。相手は北方と中央からの同時攻撃を狙っている。敵の脚を止めることだけを心掛けろ!」
クーントルトの声が戦場に響く。おかしい、彼女は第1騎士団副団長だったはずなのに。
「北方軍司令殿に続け!」
続くのはリリースラーンの声だ。どうやらクーントルトは、北方軍司令とやらになっていたらしい。
「許された時間は30分だ。それ以内で敵を止めろ!」
ケットリンテが戦闘に許した時間は30分以内だった。分単位の戦闘である。クーントルトが気合の入って声で兵を鼓舞する。森の陰から跳躍した甲殻騎たちが、相手の襲い掛かる。さらに地面を滑る様に、スラスターを装備した歩兵たちが駆け抜けた。
「敵襲ぅぅ!!」
フィヨルトの奇襲について、第5連隊は事前に通達を受けていた。だから先行偵察を密に進軍していたはずなのだ。なのにこのザマである。
「偵察は何をしていた!?」
偵察部隊は悪くない。何故なら、フィヨルトが奇襲地点に到達したのは15分前なのだから。ケットリンテを始めとした参謀部の未来予測精度は、恐ろしいことになっていた。
「密集隊形維持だ! 相手に惑わされるな。取り囲んで潰せ!」
第4世代騎で第5世代を相手にするときの常套手段、というか苦肉の策である。だが、数で勝るのだ。意味はある。
「今だ、行けっ!」
第5世代甲殻騎の戦闘機動にすら耐えられる随伴歩兵、正しく精鋭とも言える彼らが、甲殻騎の肩から跳躍し、敵の騎体に飛び移った。本来ならば狂気の沙汰だ。だが、これは予定通りの行動であった。彼らは布状の物を敵甲殻騎のキャノピーに貼り付け、同時に手にした火炎瓶を叩きつけた。
これまたフミネの発案をケットリンテが採用した形だ。甲殻獣の油をたっぷり含ませた布は、甲殻騎の騎体に貼り付き、どこで知ったのやら、フミネの知識から得られた火炎瓶が延焼させた。
「ほらぁ、燃えろ!」
ぶっちゃけ、甲殻騎にこのような事をしても、ダメージは通らない。だが視界は奪えたし、目の前の炎は人間の根源的恐怖を煽った。炎に包まれた甲殻騎は両手両足を振り回し、大暴れを始めた。狙い通りだった。
怒れるフォルテを除く人間は、甲殻騎を倒せない。それが世界の常識だ。だが阻害ならば出来る。ケットリンテはそれを最大限、戦術に組み込んだのだ。
「騎士団全軍、突撃ぃ! 歩兵たちの炎を消すな!」
クーントルトの叫びと共に、二つの騎士団が突撃をかけた。あいては第4世代だ。運動戦となれば、フィヨルト有利は明らかだった。
◇◇◇
確かに兵士たちの火炎戦術は効果を発揮した。だが同時に死地に飛び込んだ戦士たちの損害も発生した。暴れる甲殻騎の前に、人の身体など通用しないのだ。
幾人もの兵士が吹き飛ばされ、踏みつけられた。だが彼らはまだ諦めなかった。今度は新型甲殻腱を取り出し、二人一組でソゥドを流しつつ敵の足元を駆け抜けた。それは本当に小さな抵抗であった。だが、十分でもあった。ほんのちょっとだけ足元を気にした騎士は、目の前で槍を繰り出す濃灰色の甲殻騎への反応が遅れたのだから。
そして30分弱、第1と第4騎士団は相手を狩りまくった。
「時間です。戦況報告を致します」
いつの間にか、クーントルトの騎体『ムスタ=ホピィア』の肩には、ハンググライダーを担いだエィリアがいた。
「速いね。飛んで来たのかい?」
「はい。上から見ていました」
クノイチの本領発揮であった。
「報告をくれ」
「敵、行動不能68騎です、残存は100騎以上ですが、進軍阻害としては十分な成果と考えます」
「そうか、味方は?」
「第1騎士団で9騎、第4騎士団は6騎が行動不能です。騎士の損耗は7名です」
エィリアの報告は、淡々としたものだった。
「兵士は?」
「参加兵士は約130名、戦死は……41名。重傷者は23名です」
エィリアは手持ちの投光器をガシャガシャとやりながら、クーントルトの質問に答えた。
「半壊か」
「参謀部からの返信です」
「言ってくれ」
「損害は許容範囲内。予定通りの行動を起こされたし、です」
「……分かったよ。第1騎士団はこれより南下する。兵士たちを残すから、第4騎士団はこのまま遅滞戦闘だ。撤退時期を見誤るなよ、リリースラーン!」
「了解しました」
「では第1騎士団移動開始!」
そうして第1騎士団は南下を開始した。残余は19騎2個中隊相当である。騎士団長フィートがすかさず中隊を組みなおし、跳躍機動で南に向かう。もう、随伴歩兵は連れていない。最大速度だ。
彼らの狙いは、中央戦線への横合いからの殴り込みだ。本来であれば、往復で2日はかかるはずの情報伝達はわずか10分で完了し、第1騎士団の進路と予定攻撃起点、予想攻撃時刻が設定された。
「3時間だ。3時間で到達するぞ。そうすれば30分ほどお休みが頂けるそうだ。優しい参謀がいてくれて助かるな!」
「まったく、泣けてくるほど助かります」
そんなクーントルト、フィートの両フサフキの会話が風に流される。
「ところで肩書はどうするんです?」
「肩書?」
「さっきまで北方軍司令だったじゃないですか」
「ああ、どうしたものだろう」
「中央殴り込み軍団長、でどうです?」
「よしっ、それにしておこう!」
第1騎士団は、さながら森を駆け抜ける甲殻狼のように、進軍を続けた。
◇◇◇
第4騎士団による遅滞戦闘と連携し、歩兵たちの戦闘は続いていた。それはさながら、200年前にまだ甲殻騎が存在しない時代に、甲殻獣に立ち向かう戦士たちの姿を彷彿とさせるものだった。今の時代に、それを知るものは存在しない。
『いえ、見ていますよ』
その声は誰にも届かない。
1時間後、まず損耗を無視しきれなくなった諸侯部隊が脱落した。さらに第5連隊は、中破、大破を合せてさらに50騎以上が戦闘行動不能に陥り、事実上北方からの攻勢はここで止まった。
フィヨルト第4騎士団は、残余9騎。3分の2が溶け墜ち、騎士と兵士たちの生き残りは、50名ばかりであった。彼らは参謀部の指示の元、運べるだけの遺品と甲殻騎を担ぎ、撤退した。
宣戦布告よりわずか2時間。両者痛み分けによる戦闘停止。続行は不可能。それが北方戦線の結末であった。