第165話 前夜
フォートラントは気付いていなかった。何を? 甲殻騎以外の存在だ。空から甲殻騎を降ろすことの出来る何かが存在していることは知っていた。だが、それ以上を追求出来ていなかった。特殊部隊の存在は知っていても、軽視していた。所詮は甲殻騎に適性のない兵士たちの苦し紛れであると、そう判断した。ニンジャ部隊など、想像もしていなかった。
それらを含め、甲殻騎集中運用に傾倒した軍制を取っているのが、フォートラントという国だ。そしてそれは、ケットリンテの知る所であり、手のひらの上でもあった。
「フォルテ、フミネ、それにみんな」
「どうしましたの?」
いつになくケットリンテの決意が籠った言葉に、皆が視線を集中した。
「これからボクは騎士と兵士を数字として、駒として見る」
「……そうですの」
「約束する。絶対に使い捨てにする様なことはしない。盤上のように、駒を取らせて罠に嵌めるような真似はしない。彼らは生きた人間だから」
思いを綴るケットリンテは言葉を続けた。
「だけど、どうしても損耗は出る。人が死ぬ。ボクの頬の傷なんかなんでもない。なんとかして被害を最小限にして勝つ方法を模索してみせる。だからみんな、協力してくれる?」
「まかせとけ」
真っ先にそう言ったのはアーテンヴァーニュだった。
「わたしはフィヨルトの特攻隊長だ。使いやすい駒だろ。だから存分に、頼むよ?」
「ヴァーニュ、いいの?」
「わたしたちは悪役令嬢なんだろ? だったら悪役らしく、どんどん悪どいことをすりゃいいじゃないの」
「……ありがと」
そんな彼女たちのやり取りを見た面々は、覚悟を決めた。ケットリンテを信じよう。彼女を信じるアーテンヴァーニュを信じよう。そして、今、自分の胸にあるこの想いを信じようと。
◇◇◇
「あら、今から空ですの?」
「これはお嬢にフミネ様」
停戦切れを明日に控え、夕暮れの散歩としゃれこんでいた二人が見つけたのは、今まさに観測気球に乗り込もうとする、コボル他1名であった。
「しばらく気球にも乗ってないね」
「ええ、ご一緒させてもらってもよろしいかしら?」
「分かりました。おーい、指令室に伝令だ。お嬢方は最大4時間ばかし、2031号で空の上だ」
「りょうかーい」
近くにいた情報部員だろうかが、駆け出していった。
「それじゃ、お邪魔するね」
フォルテとフミネは慣れたようにするりと乗り込み、2031号観測気球は空に浮かんだ。
「『通信』完了っと。寒くはありませんか?」
「大丈夫ですわ」
「ほら、熱の核石」
「準備周到ですねえ」
カシャカシャと投光器をいじっていたコボルが、二人に気を遣う。そう、これまたフミネの発案で、フィヨルトでは投光器による連絡手段が確立していた。特に夜間でも通信可能なこの発想に、ケットリンテは鼻血を出さんばかりに興奮したものだ。ただ、モールス信号が分からないフミネであったので、現地語に合せてトンツーを組み起こす必要はあった。
「明日ですねえ」
「ですわ」
「勝てますか?」
「当たり前ですわ」
「勝つよ!」
「そうですか。なら何も言いません。夜景でも楽しんでいてください」
数キロ先毎に幾つもの気球が浮かんでいるのが見える。フォートラントからしてみれば忌々しい物体だろう。なにせ気球の原理は、まだ割れていないのだ。そして各気球からは綱が地面に降ろされていた。高度の固定という意味もあるが、実は甲殻腱が通されており、それを通じてソゥド式モールスでもって、地上との連絡が可能となっているのだ。こちらは工廠のスラーニュによる発案である。甲殻素材が豊富なフィヨルトだからこそ可能な、贅沢な使い方だろう。
「コボル。ありがとうございますわ」
「何がです?」
「一般人なのに、こんなとこに連れて来てしまいましたわ」
「気にしないでくだいよ。有事なら全員で立ち向かうのが、フィヨルトでしょう?」
「そうでしたわね」
「戦争に勝ってフィヨルタに戻ったら、靴屋の続きですよ」
にっこりとコボルが笑った。
「そういえば、アレッタとはどうなのさ?」
「ええ!? いいじゃないですか、そんなの」
「だって向こうはフサフキだよ。頑張んないと」
「それをフミネ様が言いますかあ」
「ほらフミネ、からかって任務に支障をきたしてはいけませんわ。そろそろ降りますわよ」
「へーい。じゃあお仕事頑張ってね」
「了解です」
そうして二人は、綱を伝って降りて行った。そういうことが出来る辺りが、ソゥドのある世界なのだ。
「で、どうすんだコボル」
「ほっといてくれよ!」
◇◇◇
「あれ? みんないたんだ」
総合作戦指令室に戻ったフォルテとフミネだが、そこには皆が揃っていた。皆と言っても悪役令嬢たちではあるのだが。すなわち、アーテンヴァーニュ、シャラクトーン、ケットリンテ。他にもファインとフォルン、ライド。さらにはアレッタ、エィリア、スラーニュ、ファイトン、第6騎士団長ラースローラ。一部令嬢ではないのも混じっていた。
残念ながら、クーントルト、第4騎士団長リリースラーン、第12騎士団長リリスアリアは別に配置されていた。
第何回になるか分からない悪役令嬢の会が、決戦前夜に開催されていた。お茶、といってもマグカップで乱暴なお茶であるが、それを持ち寄り各々が会話をしている。中央には巨大なテーブルに、立体地形図が備え付けられ、両陣営の駒が配置されていた。フィヨルトが黒で、フォートラントが白である。
「それにしても、恐ろしいです」
アーテンヴァーニュがボツりと呟く。敵が恐ろしいわけではない。
「ここまで詳細だと、いっそ壮観ですわ」
そうなのだ、味方は当たり前だが、敵の配置が完全に割れている。こんな戦前があるものだろうか。
「まだだよ、これは今の配置で、明日のじゃない」
ケットリンテが贅沢な事を言うが、彼女の頭の中では、明日の図が描かれつつあった。それがケットリンテの能力であり、役割だから。彼女はエィリアやアレッタにちょこちょこ質問をしつつ、未来予想図を文字通り描いていく。紙の地図に描かれたソレは何パターンかに想定され、壁に貼り付けられていった。
「凄いねえ、わたしにはさっぱりだ」
「全くです」
アーテンバーニュとラースローラが感嘆していた。
「フォルテ」
「なんですの?」
ケットリンテは詳細図から目を離さないまま、フォルテに話しかけた。
「あの王様のことだから、明日の昼に前に出て来る」
「そして宣戦布告をしてくるわけですわね」
「うん」
「彼から目の前で宣言されるなんて、婚約破棄以来ですわね」
「じゃあさフォルテ、意趣返ししてやろうよ」
楽しそうに、イタズラっぽくフミネが言う。
「今度はさ、こっちから宣言を叩きつけてやろうよ!」
「良いですわ! 素晴らしい考えですわ!」
「じゃあ、文言を考えておかないとね」
「お二人なら即興の方が、良い宣言になりそうな気がしますよ。なんなら一杯引っかけてからでも」
シャラクトーンが混ぜっ返した。
指令室に笑い声が響いた。誰も恐れてはいない。彼女たちは彼らは、やるべきことをやって来た。だからこそ得られる自信がそこには満ち溢れていた。
停戦期限は明日正午である。