向日葵にならない
こんにちは、葵枝燕です。
この作品は、空乃 千尋様とのコラボ企画となっております。空乃様撮影のお写真をお題に、葵枝燕が文章を綴る——題して、[空翔ぶ燕]企画です。企画名は、僭越ながら私が名付け親です。一応、由来があるのですが——長くなると思うので、後書きで披露させてくださいませ(今回第七弾なので、前回までの作品からご覧の方はご存知かと思いますが、はじめましての方もいるかもしれませんので、ご理解のほどよろしくお願いいたします)。
そんなコラボ企画第七弾の今回のお題が、「向日葵(二〇十六年七月二十九日)」です。本文の最初に入っている写真が、お題として提供いただいたものとなっております(元々中間にあったのですが、私の方で最初の方に移動させております)。
恋愛に対するひとつの思いを描いた、そんなお話になったかなと、個人的には思っています。
本文に、写真が入っております。ぜひ、合わせてお楽しみくださいませ。
「見つめるだけで、いいの?」
大輪のヒマワリを見上げて、その太い茎を指でつつきながら、アタシは言う。ヒマワリからの返答はない。当然だ、ヒマワリには口も声帯もないのだから。だいいち、ヒマワリに限らず植物が人語を話せば、それはただの恐怖でしかないだろう。摘み取ろうとした花が痛みに声をあげるところを想像して、アタシは思わず身震いをした。もっとも、目の前のヒマワリの茎は太く、非力な私の手では折れないだろうことは、明らかなことなのだけれど。
この、太陽の化身のような見た目の夏の花がもつ花言葉のひとつ——それが、【あなただけを見つめる】だ。毎日太陽を追うように花の向きを変えることから、付いた花言葉だという。しかしそれは、蕾のうちの話らしいと知ったとき、アタシはいくらか落胆したのを憶えている。
とはいえ、太陽神に恋をした水の精の変化した姿がヒマワリだ——という神話もあることだし、太陽とヒマワリを密接に結び付けたくなる気持ちは、昔も今も誰も彼も変わらないのかもしれない。
それはそれとして、だ。アタシは、どうしても、反発心をもたずにはいられないのだ。
ただ見つめるだけで、はたして幸せといえるのか——と、正直思う。見つめるだけでは、自らの心の内に秘めるだけでは、相手に届くことは永遠にない。それは、はたして幸せな恋なのか? アタシはそうは思わない。
すきな相手には気付いてほしいし、すきな相手とは言葉を交わしたいし、すきな相手とは目と目を合わせたい。願わくば、相手も自分をすきだと嬉しいけれど、そう上手くできた世界ではないだろう。
ヒマワリみたいな恋も、それはそれでステキかもしれない。届かない相手をずっと見つめる恋も、ただ相手を見つめる恋も、恋のカタチとしては美しいのかもしれない。届かない、手に入らない、それだから感じられる幸福もあるのかもしれない。
でも、アタシの思う、アタシにとっての幸せな恋は、ヒマワリみたいな恋じゃない。
恋情も愛情も思慕も全部身の内に抱えて、ただ相手を見つめるだけの恋を、アタシは幸せとは思わない。
アタシは、もう一度ヒマワリの太い茎をつつく。そして、もう一度問う。
「見つめるだけで、本当にいいの?」
答えはない。それでも、アタシは、決意するように言葉を続けた。
「アタシは」
『向日葵にならない』のご高覧、ありがとうございます。
さて。ここから色々語りたいので、お付き合いのほどを。多分、長くなります。
前書きでも書きましたが、この作品はコラボ企画です。名付けて、[空翔ぶ燕]企画。「空」=空乃様から一文字拝借、「翔ぶ」=お題から想像力膨らませて文章書くイメージ(「翔」という字には、「とぶ」の他「めぐる」や「さまよう」という意味もあるそうで、その意味も含めて「翔ぶ」を採用しました)、「燕」=葵枝燕から一文字——そんな由来で生まれた企画名です。
そんな今回のお題は、「向日葵(二〇十六年七月二十九日)」でした。本文最初の写真が、お題となったものです。
さぁ……というわけで、ここからは登場人物について語りたいのですが、一人しかいないので、今回はそこまで長くならないかと思います。
語り手の「アタシ」は、おそらく積極的に行動したいタイプなのだと思います。すきな相手をただ見つめるだけの恋よりも、すきな相手に積極的にかかわることで振り向かせたいと考える人なのだろうと思います。そう思う一方で、見つめるだけの恋も、それはそれで一つの恋のカタチであると認めることもできる人だと思います。……おそらく、私にも「アタシ」がどんな人なのか、わかっていません。でも、私とは違うんだろうとは思います。
私はどちらかというと、相手を見つめるだけの恋(もっとも、周りには気付かれていましたし、相手も知っていたでしょうが)でした。だからこそ、「アタシ」のようなある程度の積極性が欲しかった——そんな思いが、この作品にはあるのかもしれません。
前回は写真の世界に飛び込んでみたようで、私の中では写真をお話に取り入れてみた、という感覚で書いたのですが——今回は写真から発想を飛ばしてみた感じです。
タイトル『向日葵にならない』ですが、今までで多分一番悩まずに付けたタイトルです。「アタシ」の決意そのままをタイトルにしました。全て読んでからもう一度タイトルを読むと繋がるのが、個人的にドヤ顔ポイントです。ちなみに、作中では「ヒマワリ」で、タイトルでは「向日葵」なのは、単なる個人的こだわりです。また、当初は『私は向日葵にならない』というタイトルでしたが、語り手の一人称が「アタシ」なので、「私は」の部分を削除しました。
そして今回、作品をつくるにあたり、花言葉からせめてみました。その際参考資料にした書籍は、この後書きの最後にまとめています。なお、参考資料とした書籍によっては、「あなたを見つめる」と「あなただけを見つめます」と「あなただけを見つめる」と、様々な表現が見られたので、この作品では「あなただけを見つめる」に統一させていただきました。元々、その表現でさがしていましたし、ドンピシャなのがあってよかったです。
実は、知らなくて完全にたまたまなのですが、投稿した今日七月二十日の誕生花の一つが「ヒマワリ」らしく……不思議な縁を感じています。そして、それを偶然知ったから、投稿を今日にしようと決めたところがあります。
さて。これで語りたいことは語れたでしょうか。何か忘れてる気がしなくもないですが……思い出したら書きたいと思います。
最後に。
空乃 千尋様。今回も、ステキなお題をありがとうございます! お題案でいくつかいただいた向日葵の写真が、どれもステキで悩んでしまいました。ヒマワリの明るいイメージからかけ離れた感じのお話になってしまい、すみません。また、今回も、拙く至らない点もあったかと思いますが、色々相談に乗ってくださり、ありがとうございます! 次のコラボもできますように。それから、いつもありがとうございます!
そして。ご高覧くださった読者の皆様にも最大級の感謝を。もしご感想などをTwitterにて報告される際は、ぜひ「#空翔ぶ燕」を付けて呟いてくださいませ。
拙作を読んでくださり、ありがとうございました!
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参考資料
・中山草司監修『花言葉物語 贈る花に想いをこめて』、永岡書店、[1990年]
・二宮孝嗣著『美しい花言葉・花図鑑 彩りと物語を楽しむ』、ナツメ社、二〇一五年
・国吉純監修『想いを贈る花言葉 ちいさな花物語』、ナツメ社、二〇一七年