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Angelic  作者: 安在系
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Chapter1:1

「さらばだおにーちゃん!お土産楽しみにしててね!」


 そう言い残して妹は両親とともに海の向こうに旅立っていった。

 事の始まりは半年ほど前、母さんが繁華街の福引で「一等・豪華クルーズ船で行くエーゲ海の旅」を当てたことだ。問題は定員が三名だったこと。

 定員のうち二名分はすでに両親で埋まっているので、結果として妹と俺の醜い争いが繰り広げられた。

 ……訂正。あれは争いではなかった。一方的な虐殺だ。こういう論戦になるとうちの妹はめっぽう強い。


「女子中学生一人を家に残していくって、児童相談所に問題視されない?」


「おにーちゃんいつか独り暮らししたいって言ってたよね? あれの練習だと思ってさ」


「そもそも自分一人じゃ起きられないって、高二にもなって結構問題だよ。おにーちゃんを矯正する期間は必要だと思うの。克己心とか持たないとだめだよ!」


 いやまあ正直正論でしかないのだが。

 そんなこんなで両親を言いくるめた妹はあっさりとエーゲ海行きを決め、俺は泣く泣く一人で地元に残ることになった。


 だから出発当日、我が愛すべきかわいい妹から別れを告げられた俺は、中指を立ててこう言うしかなかった。


「せいぜい楽しんでこい」



「いやそれすっごい小物っぽいし、ってか実際一人で起きれてないじゃん」


 その通りです。

 今朝がた何年ぶりになるだろう大遅刻をかました俺、七宮此葉(ななみやこのは)は、夕日が沈みかけた屋上で友人の茅掛逢世(かやがけおうせ)に慰められ……いや慰められてないなコレ。


 「遅刻って言わないわよ。五時限目の終わりに登校って何しに来たのあんた」

 「いや、来る意思はあったって表明のため……?」

 「風邪で休みとかにしといたほうがよかったと思うけど」


 正論である。俺の周囲には正論を言う女しかいないのか。

 放課後の屋上、昨今では自殺防止のために封鎖している高校も多い中、我が瑞垣(みずがき)市立幡宮(はたみや)高校はセキュリティ意識がないのか何なのか普通に開け放っている。

 ただ、六月なのにこうも暑くては誰も近づこうとしないだろう。蝉の大合唱はさすがに日が傾き始めた今ではおとなしくなっているが、正午あたりになると耳が痛くなるほどに響き渡る。

 そんな屋上の日陰で俺と茅掛はいつものように紙パックの飲み物を吸いながら、夏の予定とか終戦祭の準備とか海外セレブのスキャンダルだとか、他愛のない話題で駄弁っている。

 なぜ学食だとかカフェだとかあるいは教室のような所謂学生のたまり場ではなくこんな人気名の居場所をわざわざ選んでいるのかと言えば、理由は単純に、人に見られて変な勘繰りをされるのもなんだからだ。


 茅掛逢世は美人である。

 異国の血が入っているせいか色素の薄い肌と光を当てると金色に見える髪の毛、整いすぎた目鼻立ちと翠の目は見るものを惹きつける。

そんな派手な容姿をしているくせに成績優秀で素行も良好。告白して撃沈した男子は数知れず。

 学内でも並ぶものは「洲早のお嬢」こと洲早玖百合(すはやくゆり)くらいしかいないだろうが、頭がおかしいあいつと違って茅掛は人望に溢れすぎている。それこそ出会ってからこれまで彼女の悪い噂を少しでも聞いたことがないほどに。

 なんだって自分みたいな凡人とつるんでいるのかわからない程だ。オタクに優しいギャルは実在したのか。俺は別にオタクじゃないし茅掛もギャルじゃないけど。

 だから俺はせめてもの気遣いとして、人目につかないところで会うようにしている。俺みたいないたって平凡な人間と噂になるのも嫌だろう。そういえばそんな話を前に本人にしてみたら信じられないようなものを見る目で「正気?」と言われたがどういう意味か未だにわかりかねている。


 「あそうだ。お前に料理をさ」

 「なに七宮? 作りに来てほしいの?」

 「いや、教えてほしいの。レシピだけでいいから」


 そう、それこそが本題であり、俺が学校に来た目的である。


 「そういえば七宮の料理なんて見たことないかも………レパートリーは?」

 「ステーキならギリ焦がさず焼けるぞ」

 「それ料理するって言わないんだけど……」


 失礼な。ステーキはアメリカの伝統料理だというのに。

 そう声を大にして言うと、なんだかかわいそうな目で見られてしまった。

 まあとにかく、これから一か月一人で暮らさないといけない俺には、まず飯の確保が最優先ですべきことだ。親から非常用の資金は預かっているが、真っ先に手を付けるのはいささか気が引ける。

 ゆえに手っ取り早いのは料理上手な人間にレシピを教えてもらうこと。どこぞの料理人もレシピ通りに作れば間違いはないと言っていた。きっと俺でも大丈夫なはず。


 「なら今日、七宮んちまで行ったげる」

 「いや、そこまでしてもらわなくても……」

 「料理なんて見て、やって覚えるもんだよ。それとも何? 口頭で免許皆伝まで行けるとか考えてた?」

 「考えてた」

 「甘すぎるでしょ」


 一蹴されてしまった。かなしい。

 

 ※


 「これが………オムライス?」


 出来上がったものを目の当たりにしてドン引きする茅掛。かくいう俺も俺自身の才能の無さに驚いていた。

 半熟ですらない生焼けの卵はところどころ炭化したケチャップライスの上にだらしなく横たわっており、てらてらと皿底で光る油は逆に食欲を減衰させる。


 「なんだろう。極めてなにか料理に対する侮辱を感じるわ」

 「そこまで言わなくても……」


 茅掛は恐る恐るオムライス(仮)にスプーンを差し込み、口に運ぶ。

 一瞬驚いたような表情をした後、俺を睨みつけ、コップを指さす。

 俺が渡したコップの中身を飲み干すと、茅掛は力なくソファに倒れこんだ。


 「ごめん」


 そう言うしかない。


 ……話はつい数時間前にさかのぼる。

 結局茅掛に料理を教えてもらうことにした俺は、彼女を家にまで連れてきてしまった。

 聞けば妹の梢とも結構仲がいいので俺の知らないうちに家まで来ているらしく、なんでも庭に隠してある合鍵の場所まで知っているそう。我が家のセキュリティが心配になる話だ。

 さて、家に入ってリビングへ向かうと、開口一番文句を言われてしまう。


 「なにこれ?洗濯物は分けられてない。ゴミもそのまま。飲み物は出しっぱなし電気はつけっぱなしって」


 昨今の小学生の方が遥かにマシじゃない、と彼女は頭を抱える。

 仕方がないだろう。男子高校生なんてのは基本的にこんなものだ。たぶん。


 「旧態依然の価値観ってやつかしら? 最近は家事の一つもまともにこなせない男はモテないわよ」

 「きっといつかそんな俺の魅力に気付いてくれる女性が……」


 俺の言葉を聞く間もなく、どこからかエプロンを引っ張り出してきた茅掛は髪を纏めるとものすごく慣れた手つきで汚れ物を分け、洗濯機に放り込んでいく。俺はそれをただ見ていることしかできなかった。

 しかし彼女がいる生活っていうのはこういうものなのだろうか。

 いつの間にか部屋の掃除を終わらせていた茅掛は本来の目的をすっかり忘れて自分で料理に取り掛かろうとしている。

 いいな。すごくいいな。


 「いいなぁ」

 「ん」

 「お前が彼女だったらいいなぁって」


 茅掛は勢いよく吹き出し、顔を真っ赤にしながら壁に背を張り付ける。どうしたお前。


 「ちょ、え、待って待って待って! ………まだはやいよそうていがいだよ」


 茅掛はぶつぶつと何かを呟いているが個人的にはそこまで引かれると何とも傷つく。


 「えっと、七宮は……あたしのどこが……」

 「お前がいないと生きていけないかもしれない」

 「はうっ」


 赤かった茅掛の顔がさらに赤くなっていく。


 「っていうかたぶん俺には炊事洗濯家事その他をやってくれる人が必要だ」


 別に他者依存をしながら生きてきたつもりはないが、いざ身の回りの諸々をやってくれていた人間がいなくなると人はかくも簡単に人間らしい生活を捨ててしまう。愚かなことだろうけれどそれが人間の性というものではないか。

 そんなことを言った途端に茅掛の顔が急速に青ざめていく。どころか、効果音があるとするならピキピキと鳴ってそうな勢いで青筋を立てていく。……怒ってる?


 「………それで、何が言いたいって?」


 うわずっていた彼女の声は今は刺すように冷たく、怜悧な眼光は睨みつけるだけで俺の息の根を止めてしまいそうなほどだ。

 何が言いたいかと問われればそれは……


 「人は、一人じゃ生きていけないよなって」


 ドン、と耳元で何かの音がしたかと思うと、頭の横の壁に包丁が刺さっていた。うわーすごーいダーツとか上手そう。人に包丁投げるとか正気かコイツ。


 「次にバカなこと言ったら……」

 「殺す?」

 「解体してやる」


 その笑顔はぞっとするほど美しく、ぞっとするほど怖かったので俺は土下座をするしかなかった。


 そんなことがあって数分後、ようやく本題である料理に着手することになった。


 「今から作ってもらうのはオムライス。男はこれ作ってりゃ喜ぶから楽よね。野菜とベーコン炒めて米混ぜて、ケチャップぶち込んで卵焼きのせりゃそれはもうオムライスよ」

 「これさえ作ってりゃって、経験がおありで?」

 「一般論」


 やはりどこか怒っている茅掛は雑に材料を用意すると、雑に作り方を説明する。


 「じゃ、見ててあげるからやって」

 「……はい」


 おとなしく指示に従って俺は調理を開始す………


 「ちょっと待って野菜大きすぎみじん切りってのはもっと細かく切るの、大体エプロンなしじゃ服が汚れるでしょうがつけてきなさい、あ、ああぁあそれじゃ火力強すぎよ具材が焦げる、卵はもっと小刻みに混ぜるの、ケチャップの量は自分で考えなさいあんたが食べるんだから、なんで卵焼きに油混ぜるの!?」


 うるっさ。いざ作り始めると鬼のように文句が入る。

 まあ俺の作り方が想像を超えて雑だったのかもしれないけど、なんかもう小姑のようだ。非常に面倒くさい。しかし教え方自体は上手だから、作っているものは不格好でもそれなりに料理としての体をなしてきている、気がする。

 すると茅掛は唐突に俺の手を掴む。


 「ちょっと待って」

 「今度は何……」

 「血」

 「はい?」


茅掛の視線を辿ると、いつのまにか俺は左親指の付け根から出血していた。

傷はさほど深くないし痛みもほぼない。きっと野菜を切っていた時に勢い余って手のほうまで刃を動かしてしまったのだろう。


「大丈夫だよこれくらい。唾つけときゃ治る」

「それ、ほんと?」

「ああ全然痛くないしだいじょう、ぶ……」


一瞬、何が起きたのか全く分からなかった。

茅掛が近づいてきたかと思うと、おもむろに俺の左手をとり、傷口に口づけをする。

目を閉じて熱に浮かされたように、愛でるように。

……なにこれ妄想か? 料理中に滑って転んで頭打って見ている白昼夢か何かか? 確かにわが校の男子はこんなシチュエーション一回は想像するだろうけど。

目の前に来てよくわかる。普段から美人だ美人だとは思っていたけれど目の前の少女はそれこそ桁違いな美人だ。すらりと通った鼻筋、雪のように白い肌、異国の血によるものか光が当たると金色に光る長い髪、じっと傷口を見つめる翠玉のような瞳。

思わず目をそらすと今度は彼女の体が目に入る。エプロンを巻いているからか強調されている体のラインは同年代なら誰でもうらやむような、トップモデル顔負けのスタイルだ。

細くすらりと伸びた手足に出るところは出ている女性的な部分とか……。


「やめとけ」


マジで好きになっちゃう。


「はい?」


顔を赤くしながらそむける俺に、彼女は一瞬だけ首をかしげると今自分のやっている行為を省みたのか、途端に青ざめてさっきと同じように壁に張り付く。


「あたしに……なにをさせたの?」

「お前が勝手にやったの」

「嘘だぁ! あたしがこんなはしたない真似するはずがない! クスリね!? なんかやばいもの盛ったんでしょ!」

「おい待てそれは本当にヤバい! 外では絶対に言うなよ俺が社会的に抹殺される!」

「絶対私は悪くない悪くない悪くない!」


 そう叫ぶとダイニングテーブルの下に逃げ込んで頭を抱え始める。

 戸惑っているのはこっちも同じだけど、向こうはそれ以上のようだしどうしたものか……。

 とりあえず傷口に絆創膏を貼ってオムライスに作りに戻った俺は、


 「うわぁ……」


 底のほうが黒く焦げたケチャップライスを見て心底嫌になった。


 そして、


 「これが、オムライス?」


 こうなった。

 やばいオムライスを口にして力なく倒れた茅掛に俺はごめんということしかできない。


 「いやでも、お前も悪いと思うぞ。いきなりわけのわからんことしだすから……」

 「だからあれはあんたのせい! 大体ご飯が焦げてるのは私のせいだとしてもなんで卵が生焼けなのよ!」

 「半熟を目指したんだよ言わせんな恥ずかしい」

 「料理初心者はレシピに従ってればいいの! なんだってすぐに妙なオリジナリティを出そうとしてくんのよ! あと、あたしが見てない間にご飯に魚醬(ナンプラー)かなんか入れたでしょ!」


 入れた。ドバドバ入れた。ちょっとのつもりだったがだいぶミスった。

 ちなみにナンプラーとは大豆の代わりに魚を使った醤油のことだ。


 「お、よくわかったな。隠し味」

 「隠れてないのよ!? ご飯の味ナンプラー100%だったかんね!? ケチャップがかすむほどのナンプラー! 何だって生焼けの卵と生臭いごはん一緒に食べなきゃなんないの地獄のハーモニーよ!」

 「つまり?」

 「二度と、あたしの前で、料理を、するな!」


 茅掛はキレた。

 というわけでしばらくの間、ウチの家事を手伝いに来てくれるらしい。やったね。


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