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第九章 出会い

 Guten Rutsch!Ein frohes neues Jahr!

 あけましておめでとうございます。

 春はまだですが、出会いの話です。

 今まで出会いなんて、いろいろあったじゃないか、と思われるでしょうが、

 とにかく出会いなのです。


 それでは第九章よろしくお願い致します。

第九章 出会い



 ホスワード帝国第八代皇帝アムリートは、私生活では安寧を得ているが、公人としては多忙を極めていないが、軽度の問題を抱えていた。

 先ず私生活として、彼は妻のカーテリーナ、亡き二人の兄たちの妃とその息子たち、そして母親と彼を合わせての七人は何の問題もなく皇宮の宮殿にて暮らしていた。

 問題というのは長兄の遺児にあたるユミシス大公のことで、彼は生まれつき体が弱く、特に冬ともなれば、寝たきりになるのが常であったが、今冬は左程体調を崩さず、次兄の遺児であるオリュン大公と共に勉学に励んでいた。

 アムリートが見るところ、ユミシスは長兄に似て優しい性格で学問好きであった。長兄の第六代皇帝カルロートも幼い頃より学問好きで、其の短い治世の間に彼は有料の学院の学費を低くし、幅広く民衆が高度な学問を受けられる様にした事、また教える講師たちの給与を上げるなど、教育制度の充実を図った。

 一部では第四代皇帝マゴメート帝のように極端に走るのでは、という危惧も出たが、短い治世という事もあったが、カルロートはそのような極端な事はしなかった。

 第七代皇帝のオリアントも同じく学問好きで、特に政治や経済の関心が高く、宰相であるデヤン・イェーラルクリチフと共にホスワード帝国の財政を、やはり短い治世だったが、大きく向上させた。

 これは先代のカルロートが民衆の教育水準を上げたことにより、知識人層や特殊な技能を持った人々が増えたおかげで、そういった人々を政治や経済の場に抜擢したり、技能を発揮できる場を与えたことが大きい。


 アムリートが軍事や武芸に関心が高かったのは、単に自身の性向だが、幼き頃より学問では二人の兄たちに敵わない、という事情もあったであろう。彼は父ナルシェが亡くなった少年の頃に、次兄オリアントに目に涙を浮かべ、こう言ったものである。

「カルロート長兄が帝位に就いたら、オリアント次兄は政治の長の宰相になって、俺は軍の長の大将軍になる!」

 そう、自分は皇帝の座ではなく、軍の長になりたかったのだ。今でも一日中軍務のことに没頭したいという思いもある。ユミシスが健康を本格的に回復したら、帝位を譲って、現在兵部尚書(国防大臣)と大将軍を兼ねていて、何かと老体を理由に大将軍の地位を目ぼしい将に譲りたがっている、ヨギフ・ガルガミシュから大将軍の地位を受け取りたい位だ。

 このような事を宮殿の皇族の私的な場所で、家族に冗談めいて言うアムリートだが、流石に公的な場所でこのような発言は出さない。


 公的な問題はこの私的な問題と少し関係している。大将軍兼兵部尚書のヨギフ・ガルガミシュだが、まだ若々しいとはいえ、もう六十代半ばである。どちらか一つならこの元気な老人は八十まで務められそうだが、双方を何時までも兼務させておくのは、本当に健康的にも良くない、とアムリートは心配していた。故に大将軍の地位を有力な将に託したいのだが、第一候補であるティル・ブローメルトは妻カーテリーナの父親であり、彼は外戚が重職に就くのを拒否している。

 第二候補として、先のテヌーラのカートハージ全占領に支援軍の総司令官として活躍した、エドガイス・ワロンがいるが、アムリートは自身が軍事好きにも関わらず、特権意識の強い軍人系貴族を好まなかったので、現状、保留という状態だった。

 そしてこの事を考えると、いつも彼の頭の中にはあの「無敵将軍」ガリン・ウブチュブクの姿が浮かぶ。最近では其の息子のカイ・ウブチュブクの姿も一緒に浮かんでくる。

 実はアムリートはワロン将軍がこのテヌーラ支援時に、カイたちに懲罰人事をした事を知らない。これは副司令官として参加していたウラド・ガルガミシュが軍中央の相談相手として、実の父ヨギフでなく、ティル・ブローメルトとやり取りをしていたからだ。ティルはこの事を皇帝に黙ったままだった。アムリートが其れを知れば、エドガイス・ワロンは逆鱗に触れること確実で、特権意識の強い軍人系貴族と、皇帝と自分たちのような一部の軍人系貴族に亀裂が入る恐れを感じたからだ。

 だが何時までも隠し通せる事ではないので、時折娘のカーテリーナと息子のラースを連れて自邸へ訪れる皇帝にある日、ティルは覚悟して、この顛末を話すことにした。

 ブローメルト邸で行われた話し合いは、何時もの様にアムリートとティル、そしてティルの三人の子であるカーテリーナとラースとマグタレーナもいた。

 内容を聞くや否や一番に暴発したのはレナことマグタレーナであった。

「酷い!そのホーゲルヴァイデとかいう男は、これから将兵の鏡と為るべき身分だというのに、この様にホスワード軍の名を貶める事を提案し実行したのですか!其れを承諾したワロン将軍は大将軍に相応しくありません!更に功あり信義あるミセーム、ヘルキオス両指揮官を追放するなど、信じられない話です!」

 こういった時、レナの兄のラースは叱りつけるものだが、あえて黙っていた。妹が考えて怒りを露わにしたのか、自然に露わにしたのか、恐らく後者だろうが、これでアムリートが激怒するという気勢が削がれ、アムリートが落ち着いて考える事ができたからだ。この時ばかりはこの短気な妹に助けられた、と思うラースであった。


 暫し考え込んでいたアムリートはティルに提案した。その際に「()れは卿は絶対に断ってはならない事だぞ」、と念を押して。

 そしてアムリートは皇帝副官であるラースに次のように言って、この日の話し合いを終わりにしよう、と告げた。

「明日の午後の三の刻(午後三時)に、俺が自ら兵部省(国防省)にて、新たな高官人事を行う。ウェザールにいる軍の高官は明日の昼過ぎまでに、兵部省に集まるように手配をしてくれ」

 翌日の昼を過ぎる頃から、帝都ウェザールにいる軍の高官たちが兵部省に集まった。

 程無くしてアムリートもラースを連れて現れたので、周囲は一斉に右手を左胸に当てる敬礼を施す。

 時間になり、兵部省の大会議室でアムリートは軍高官の人事を発表した。

「現在、ヨギフ・ガルガミシュ尚書が兼任している大将軍の地位だが、此れをエドガイス・ワロン将軍に任命する」

 おぉ、とざわめきの声が上がり、エドガイスは慎重に内心の喜びを隠し、席を立ち恭しく拝命した。

「そして、エドガイス・ワロン将軍が現在兼務している武衛長(軍事警察長官)の地位をティル・ブローメルト査閲官に任命する。ブローメルトは将ではないので、将兵の公正な扱いができうる適任者だと、余は思う。異存は在るか?」

 この時、エドガイスは大将軍に任命された事の喜びが吹き飛び、自身が将兵に対する警察権を取り上げられた事を知って愕然としたが、大将軍に任じられた後で、反論など出来よう筈がない。

 エドガイスはメルティアナにいるウラド・ガルガミシュによる仕業だな、と内心に怒りを抱いた。この僅かの短い時間に彼は喜びと屈辱を、立て続けに内心に秘めることに苦慮した。

「この人事は二月の初日から、効力を発行するものとする。以上」

 こうして軍関係の高官の人事は終わった。ホスワード帝国歴百五十四年一月二十日のことであった。

 この頃、カイとヴェルフはメルティアナにて、ウラドの元で怪しげな教団の対処をしていた。



 二月十八日に小隊指揮官であるカイとヴェルフと、彼らが率いる兵二十名はホスワード帝国で最も北東にある、イオカステ州の馬牧場建設予定地に辿り着いた。将来的には数千匹以上は此処で放牧するので、其の土地の広さは広大だった。

 既に何名かの建設に従事する予定の職人や、鞍や蹄鉄を作れる職人などもいて、そういった彼らの仮設の居住地や作業場所が作られていた。

 仮設とは云っても、この地は真冬は厳寒なので、しっかりとした石造りの建物で、中は暖炉が常に点いている。

 カイたち二十人以上が居住できる一棟も用意されてあり、此処で約三カ月間に渡って、彼らは予定されている広大な土地の周辺の視察などを初め、恐らく様々な雑用を命じられるのだろう。

 当地の建設の総責任者である人物にカイとヴェルフは挨拶に行った。

 総責任者は工部省(国土省)の牧畜施設の管理を担当する四十代のジュペルという高官である。

 挨拶をしながら、カイは若し弟のハイケが出世をして、中央官庁などに引き抜かれたら、こんな所で仕事をさせられるのかな、と少し不安になった。弟には是非とも故郷のムヒル州で大過なく役人をして、妹であるメイユの夫でハイケの上司である、タナスの様に結婚をして幸せになって欲しいと思った。

 カイは定期的に実家へ手紙を書いているが、この様に国内外を転々としているので、返信はしなくてもよい、と末尾に書いていた。若し実家で何か異変があったら、実家にいる曾て父ガリンの従卒をしていたモルティが何とか自分へ連絡を取るだろう、と信じていたからだ。


 既に百頭以上は収容できる厩舎ができていて、五十頭程の馬がいたので、カイとヴェルフが騎乗してきた馬二頭と、二台の馬車である二頭立ての馬四頭を其処に収容して、総責任者からは休養を命じられた。

 この日は吹雪いてはいないが、雪がかなり積もっており、白い世界の中に所々緑の草地が見えているだけだった。

 宛がわれた一棟に入り、一同は取り敢えず休息をした。

「期間が短くなったのはいいが、ボーボルム城までの任務はせめて春先までやりたかったな。そうすればこんな時期にこんな所へ来ることも無かったのにな」

 ヴェルフが一同を代表して不平を言う。兵たちも其々頷く。

「明日は此処に居る人たち全員との顔合わせだ。幸い、熱い風呂と暖かい食事と暖かい寝床には困らないのだから、文句を言わず、今日は食べて風呂に入って寝よう」

 カイが提案すると、一同はこの一棟に於ける食事や風呂や室内の暖炉の薪の管理等を決めて、其々実行して夜の十の刻(午後十時)には、皆眠ってしまった。


 翌日はカイたちを歓迎するように珍しく快晴で風もなかった。しかし、外に出ると吐く息は途轍もなく白い。馬の厩舎には屋根の下に氷柱が連なっているのが確認された。

 総責任者であるジュペルを初め役人が十名、厩舎の設営や馬具の製作等の職人が二十名、そして馬の世話をする者が四十名いたのだが、驚いた事にこの世話をする者の半分は皆若い女性たちであった。

 シェラルブク族の女性たちだ。

 シェラルブク族とは元々北のエルキト帝国に属していたが、去年ホスワードと同盟して、エルキトから離脱している。現在はホスワード帝国内の自治領ともいうべき状態だ。ホスワードから色々な物資を提供して貰う代わりに、馬の提供と北方の防衛をするという同盟関係にある。

 また今の冬の時期はあまり来ないが、西方からの商人はシェラルブク族の土地を通って、ホスワードに来るようにもなっている。

 エルキトでは各所で関税を取られる、西方から来る商人はバリス帝国のヒトリールを経由して、ホスワードに来るのが殆どだったが、シェラルブク族の地を通る時は、其の様な関税を取らないように、とホスワード帝国とシェラルブク族は取り決めたので、冬で無い時は商人の往来もあり、其れだけでもシェラルブク族は潤っているのだ。


 前年の末より、ホスワード帝国はシェラルブク族に二十名程の馬の扱いに長けた者を指導員として、数カ月間という期間で頼んだのだが、遣って来た二十名が全員若い女性だったのだ。

 北方の女性は騎乗するのは日常の事だが、だからと云って全員女性を送り付けてきたシェラルブク族に対して、ジュペルを初めホスワードの関係者は難色を示したが、一日と経たずに彼女たちが優秀で指導員だと分かったので、改めて北方の遊牧騎馬民族の凄さを実体験したという訳だ。そして彼女たちは馬の世話の仕方を残りのホスワードの二十人に教えている。

 ヴェルフが提案した。

「よし、この俺たちと騎射の腕を競うというのは如何だ?」

 ヴェルフは女性だからといって、馬鹿にしているのではなく、単に好奇心から勝負を挑んだ様だった。シェラルブク族の女性たちも其れを引き受けた。こういったことは実際に手合わせした方が話が早い。また彼女たちはホスワードの言葉も解せるというのも選ばれた一因だろう。

 勝負は木の幹に印をつけた場所に、馬を走らせながら弓を射て、どちらがより正確に当てられるかの勝負とした。

 カイたちは二十二人なので、カイと一人の若い兵が観客となった。この若い兵は一番小柄で且つ武芸ができないが、その代りに一番の勉強家で、暇がある時は何時も本を読んでいる。給金の半分以上は実家に送っているらしいが、残りは殆ど書籍を買うのに使っている。彼を見ていると読書好きな弟のハイケを思い出すので、カイはこの若い小柄な兵のことを何かと目に掛けていた。最も年齢は同じでこの年で二十二歳になるし、志願兵の応募もカイより一年早い。


 結果からすると、ヴェルフたちが負けた。女性たちは全員的に当てたが、ヴェルフたちは半数以上が的を外した。観戦していたカイは条件を変えてもう一度勝負することを提案した。其れは的である幹に対して、更に遠く離れて弓を射るという事である。

 これは引き分けに終わった。先ずシェラルブク族の女性たちは弓を射ても目標の幹に届かず、ヴェルフたちも大半が幹の手前までしか届かなかった。ただしヴェルフのみが唯一届いたが、その矢は幹に刺さらず、微かにかすり、其のまま遠くの方へ飛んで行った。女性たちは幹に当たらなかったとはいえ、あのような距離を物ともしないヴェルフの強弓に驚いていた。

 その直後、カイが同じ離れた距離を馬にて疾走し、弓を放つと、其の矢は正確に的の中心に凄まじい速度で届き深々と突き刺さった。

 此れにはシェラルブク族の女性たちもヴェルフたちも、更にはジュペルをはじめとする職員たち全員が大いに驚き、そして皆が盛大に拍手した。

「シェラルブクの方々、先ずは私たちの兵に最初に行った距離で、完全に当てられる様に、ご指導をお願い致します」

 シェラルブク族の女性たちはすっかりカイの虜になったようだ。天を突くような長身に手足の長いがっちりした体格にやさしげな凛々しい顔、大きな目は特にこの日の太陽ように輝く、明るい茶色の瞳をしている。そしてこの様な騎射の腕と紳士的な対応ができるシェラルブク族の男など、流石に居ない。

「お前はそうやって何時も美味しい所を持っていくな。俺たちは皆お前の引き立て役か?」

「ヘルキオス隊長、モテないことに対する嫉妬は格好悪いですよ」

「おいっ!誰がモテないだと!メルティアナではこのヴェルフ様に色々あったことを知らんのか!」

 先年のカートハージの侵攻前にメルティアナで自由時間があったが、其の時の歓楽街でヴェルフは夜の活躍をしたことを息巻いていた。



 カイたちが遣って来て、数週間が経った。寒さは堪えるがカイは実家が馬牧場をしていることもあり、こういった日々の労働を行っていると、実家のことを思い出す。そして不意に可笑しがった。何故なら、つい一カ月以上前まで、ずっと水上にて船の操作を習っていたからだ。水軍と騎兵という、言ってみれば相反する兵科に対して、共に充実した経験をしているというのは、随分と贅沢なことではないか?

 午後は騎乗と騎射の訓練と決まっていた。指導するのはシェラルブク族の女性たちで、彼女たちの元皆騎射が上手くなっていくことが分かる。特にヴェルフは彼女たちと楽しそうに訓練をしているようだ。彼女たちはヴェルフが海の男と聞いて、おかげでヴェルフの周りは何時も女性たちの笑い声が絶えない。

 カイは午後のこの訓練時間は見学をしているか、時には実演をして、彼女たちの指導の補助をしている。

 そしてカイは彼女たちの騎乗や騎射を観察していて、一つ気付いた事があった。

 当たり前だが、女性なので、彼女たちは自分たちより、小柄で何よりも体重が軽い。なので、彼女たちの様に馬に負担を掛けない高度な操り方される馬は、まるで人を乗せていないかの様に、小回りも利き、軽やかに走り回る。

 ふと思った。若し水上にて自船から敵船へ騎馬隊を突入させるのは、彼女たちのような身軽な女性の軽騎兵が適任なのでは、と。

 いやいや、彼女たちは抑々(そもそも)水上など慣れていない。水上へ連れて行くなど、絶対に断るだろう。そうなると水上を畏れないホスワードの女性で騎乗が達者な者など居るのか、と思ったが、これも全く心当たりが無い。

 取り敢えず、この案は例の同年齢の学問好きな兵を見て、小柄な男性による編成という事で、カイはこの「大海の騎兵隊」という腹案を暫く封印することにした。


 カイとヴェルフの二人がこの地に於ける総責任者のジュペルに呼び出されたのは、三月に入り暫く経ってからだった。

 ジュペルはこの辺りの附近の地図を示し、北のエルキト族からの対処について、二人に頼みたいことがあると言った。

 イオカステ州はホスワードの最も北東にある。故に北はエルキトと接しているが、この辺りのエルキトの部族は小規模で、大きな集団でも二百はいないという。だがこのような大規模な馬牧場を作るとなると、イオカステ州が掠奪の対象になり兼ねない。

 其の為、国境付近の辺りを調査して、彼らが此処へ侵略してきそうな進路や、また防備用に城塞等が築ける場所等の情報が欲しいと言った。

 この時期にしたのは既に三月に入り寒さも多少は弱まり、降雪ももう頻繁に起こらないからだ。

 数日用の保存食と其の他簡易な短期間の旅に必要な物資、更にシェラルブク族の女性たちから寝袋を借りた。この寝袋は冬場にシェラルブク族が、幼い子と其の親でなど、数人入って使用する物だが、カイたちなら一人用として大きさ的に丁度いいからだ。

 こうしてカイとヴェルフは、数日間かけて二人で国境地帯の調査へと赴いた。


 馬を飛ばし、数日のうちに二人はエルキト領へと入った。イオカステ州とエルキト領の境目はさして幅も水深もない川である。なので、景色としては左程変わらず、まるで其のままイオカステ州の領内を騎行しているような感じである。

 雪が各所に残った草地を二騎は進む。其の姿はホスワードの緑の軍装でなく、旅人風である。

 このような格好で異国に入るというのは去年のバリス領への諜報を思い出す。あの時はレムン・ディリブラントという商人に扮した士官の護衛役だった。

 辺りに一面に人は元より、動物の気配すら全く無いので、二人は速度を落とし、馬上にて其の去年の話と、ディリブラントがバリス帝国の首都ヒトリールで今元気でやっているだろうか、と話し合った。


 クルト・ミクルシュクは馬を飛ばし、北の冷気を存分に浴びていた。こうしていると自身の先祖の血が内から湧き出してくるのを実感する。彼の配下の文官も武官も未だにこの冷気に参っていて、温かい通使館から出ようとしない。

 彼はエルキト帝国に去年設置されたテヌーラ帝国の通使館の長であった。エルキト帝国とテヌーラ帝国は当然国境を接していないが、テヌーラが外洋にてエルキトと通商をしているので、先ず友好国と言えた。其れを更に進め、エルキト内に通使館の設置をテヌーラの女帝アヴァーナは、エルキトの皇帝バタルに親書を送り、其れを認めさせた。勿論かなりの金品や物資を以て。

 クルトは遠方に旅人風の二騎を見つけた。このような人があまりいない地に何者かと思い、彼ら目掛けて馬を飛ばした。彼も軍装ではなく、エルキトの一般人のような恰好をしている。


 カイとヴェルフは遠方から一騎が近づいてくるのを感じた。急に逃げ出すのは逆に不審がられるので、其のままゆっくりと騎行していた。

「お前たちは何者だ?ホスワードから来たものか?」

「そうです。このように台帳(ノート)木の筆(えんぴつ)を売りに来たのですが、如何ですか?エルキトの勇士さん」

「そのようなものは間に合っている。この辺りは人が少ないから、商売をしたいのなら、もっと西へ行くのだな」

「ありがとうございます。では失礼しても宜しいでしょうか」

 カイが念の為に持ってきた台帳(ノート)木の筆(えんぴつ)の一式を使って旅商人の振りをした。だがディリブラントの様には上手くできただろうか。抑々旅姿をしても自分たち二人は見た目で明らかに只物で無い事が分かってしまう。

 相手のエルキトの勇士ことクルトは特に咎めず、あっさりと去ってしまった。カイは胸を撫で下ろしたが、ヴェルフが厳しい顔をしているのを感じた。


如何(どう)した、ヴェルフ?」

「カイ、今の奴のホスワード語を聞いて何も感じなかったか?」

「当然訛りがあったな」

「其の訛りだ。今の奴の話し方はテヌーラの言葉を母語とする者のホスワード語其の物だ」

 ヴェルフはホスワード帝国の一番の南東のレラーン州の出身である。レラーン市はしばしばテヌーラ人の商人が遣って来る為、ヴェルフはこのホスワード語の話し方に即座に感づいたのだ。

「じゃあ、彼はテヌーラ人だというのか?何故テヌーラの人間がこんな所で、然も馬を駆けている?」

 南方の帝国テヌーラでは騎兵は充実していない。馬はいないことも無いが、殆どが農作業用だ。人によっては騎乗どころか、馬自体を見たことも無い、という者も多いという。

「テヌーラとエルキトは通商をしているというが、何か其れだけの繋がりではないようだな」

「如何する?追跡するか、カイ」

「いや、今此処で会った場所を記録して、報告しよう。この調査はエルキトの専門の者に任せた方がいい」


 施設に帰還後、カイとヴェルフはジュペルにテヌーラ人と思われる男が、エルキト領内にいた事と、出会った場所を告げた。ジュペルも不審に思う。

「確かにテヌーラはエルキトと交易をしているが、其れは厳寒期を除いた四月の中頃から十月の中頃までだ。今のような時期にテヌーラ人がエルキト領内にいるのは奇妙だな。ご苦労だった、北方の城塞に伝えておこう」

 西方の城塞がバルカーン城で、南方の城塞がボーボルム城である。そして北に対する城塞として、オグローツ城がある。この情報が伝わると、オグローツからエルキト領内で内偵を進めている者から、エルキト領内にテヌーラの通使館ができていることが判明した。

 つまり、カイとヴェルフが会ったのは、其処の役人か武官ではないか、という事だ。

 テヌーラはホスワードの同盟国だが、この通使館開設に関してホスワードに何の連絡もしていない。

 勿論、彼らからすれば自国の外交を同盟国に逐一報告する義務などない、といった態度なのだろうが、一言も無いのは難詰とは言わずとも、理由を問い質すには充分なので、この報告はホスワードでテヌーラの通使館がある帝都ウェザールへともたらされた。



 帝都ウェザールの宮殿の謁見の間で、皇帝アムリートは様々な報告を受けていた。三月も終わりに近づく頃である。

 一つはマゴメート帝時代に暗躍していた秘儀教団の生き残りに対する処置である。

 アムリートはこれをあまり問題視しなかった。

 彼らの手段は民衆の扇動か皇族の籠絡である。前者なら善政を施していればいいし、後者はアムリート自身が相手にしなければいいだけの話だ。

 宰相のイェーラルクリチフが、ホスワードの全州の知事に、この件についての調査。特に使われていない建物や無人の家などを中心に捜査を強化する事を命じるように、と進言したので、秘儀教団の調査の強化を命じる書を認め、各州の知事に送った。

 次の一つはエルキトにテヌーラの通使館ができていたことである。

 アムリートはウェザールにいるテヌーラの通使館の長を参内させ、説明を求めた。

「確かにエルキトとしばしば交戦しておられる貴国に事前に連絡しなかったことで、貴国を不快にさせたことは謝辞いたします。ですが、本朝(わがくに)と致しましては、エルキトは大事な交易相手のため、通使館を開設致しました。交易をより円滑にする為のもので、同盟といった類ではないので、連絡を致しませんでした」

 型通りの言い訳だな、とアムリートは其の長を下がらせたが、オグローツ城に内偵はテヌーラの通使館も含めて行うように、と早馬を奔らせた。

 最もアムリートを困惑させているのは、バリスである。昨年のカートハージでの敗戦以降、彼らは何の動きもない。内偵によると、宛ら兵民総動員で様々な開墾や土木工事や鉱山作業をしているという。

 ここ数年は国家財政の立て直しを重視しているという事か?


「宰相はバリスをどう見る?余は兵民総動員で労役をしているというのは、其の内兵民総動員で軍事行動に出ると見ているが」

「と申されますと?」

「分からぬか。奴らは十万、二十万の軍を運用しようとしているのだ。数年の内にな」

「其れは国の体制自体を変えている、という事でしょうか。しかしバリスの皇帝ランティスは無能とは聞きませんが、このような大胆な事をする人物とは思えません」

「誰かの主導だろうが、ランティスに近い者の発案だろう」

 アムリートはこの年に二十一歳なる、自分よりも八歳も若いバリスの皇太子ヘスディーテが主導となって、国家体制の改革が行われている事までは、流石にまだ知らない。だが、何れにしてもこの労役は邪魔した方が良さそうだ。

「春から夏にかけて、バルカーン城のムラト・ラスウェイに、秋から冬にかけてメルティアナ城のウラド・ガルガミシュに、バリスを交互に劫掠しろと伝えておけ、深追いや大規模な会戦は避け、あくまで奴らの労役を邪魔するのが主目的の兵の運用だと、強く伝えろ」

 承諾したイェーラルクリチフは傍にいた側近に今の皇帝の勅命を両将軍に伝える事を命じ、質問を発した。

「この事はテヌーラにもお伝え致しますか」

「伝えずとも好い。何故そのような事をしているのか、と聞いてきたら、事前に連絡をせず貴国を不快させたことは申し訳ない、とでも言っておけ」

 謁見の間での皇帝と宰相の会話は終わり、皇帝はそのまま宮殿内の執務室へ、宰相は宰相府へと退出して行った。


 皇帝の執務室の前で妻のカーテリーナが待っていた。アムリートが執務中の時は妻はあまり邪魔をしないので、アムリートは「如何かしたのか?」、と声をかけた。

「陛下。いえ、アムリート。レナのことなんだけど、あの娘を軍に入れるのはできないの?」

「突然何を?レナはそんなに軍に入りたがっているのか?」

「それは貴方が冗談交じりによく言うからよ。あの娘、ずっと本気で軍に入れるって信じているのよ」

「…今は暫し時間があるからラースと共に、レナの所へ行ってくる」

 アムリートはラースを呼び、「気晴らしにレナと三人で狩りをしたい」、と言って、帝都郊外へ出た。

 帝都郊外で狩りをする場所は主に東側で、此処には多くの森があり、兎や鹿を狩ることができる。

 森林官もいて、乱獲にならぬように配慮もされている。


 レナは見事に鹿を射止め、皇帝からその腕を褒められたレナは覚悟をした。

「陛下、お話したき儀が」

「分かっている。申せ」

「あの、私、どうしても軍に入りたいんです。このように騎射には自信があります。決して戦場で足手纏いなりません!」

「お前はまだそんなことを言っているのか」

「では、兄上、私の何処が足りないというのでしょうか?」

 レナはラースに問いかけた。ラースは怒鳴りつけるのではなく、静かに諭すように言った。

「今、お前は見事に鹿を射たな」

「人相手ではできない、と言うのですか」

「其れもあるが、この狩りが終わったら、お前は何をする?」

「何って、鹿を血抜きして精肉店に渡し、帰りますが」

「其の後だ」

「家に帰って馬を手入れをして、汚れたので湯あみをします」

「其れだ。戦場に湯あみができる施設などあると思うか?それに戦場ならあの鹿は食料となろう。食せば当然出る物は出る。お前は其れを何処でするというのだ?」

「そ、それは…」

「いいか、此れは陛下でさえ征旅した時は、将兵と同じ所でするのだぞ。お前だけ専用の特別の湯あみと排泄ができる施設をいちいち戦場へ持っていくのか?分かるな、此れが女性が戦場に出られない理由なのだ」

 続けて何か言おうとしたラースをアムリートは止めた。ラースはここで陛下が更に諭すこと言って下さるのだろうと思っていたが、其の内容は全く違った。


「アルシェ・プラーキーナ一世は知っているな。レナ」

「はい。プラーキーナ朝の初代皇帝ですね」

「アルシェ即位時の時のプラーキーナの国は小さかった。故に常に周囲の国からの侵攻に悩まされていた」

 アムリートはアルシェ一世の軍制について話をした。小国だったプラーキーナは女子軍という女性だけの部隊が創設され、初代の長にはアルシェ一世の姉が就いた。最初は数十名程度の偵察を主任務とした部隊だったが、其の規模はプラーキーナが大国に為るにつれ拡大し、アルシェ一世の娘が長に就いた時には、五百人もの規模となり、全員軽騎兵で、撹乱作戦などに従事していたという。

「もしレナが軍務を志すのなら、お前が長となって、自分の部隊を作るのだ。幸いにも帝都の西側は練兵場がある。軍務を望む女性を集め、曾てのアルシェ一世の女子軍を創設せよ。マグタレーナ・ブローメルト!」

 レナは秀麗なアムリートの顔を見つめた。長い金褐色の髪がかかる、緑がかった薄茶色の瞳は真剣だった。

 ラースも皇帝のあまりの言葉に声も出ない。暫く沈黙が続くとレナははっきりと言った。

「陛下、ご教示いただいて、ありがとうございます。このマグタレーナ・ブローメルト。必ずやお国の為になる部隊を創設いたします!」

 そう言うと、レナは右手の拳を左胸に当てる敬礼をして、「此れから昔の文献を調べます。先ずはどのような実態だったのかを知るのが第一だと思うので」、と言い即座に馬に乗り帝都へと帰還してしまった。

「へ、陛下、何という事を仰るのですか?あれは本気ですぞ」

「俺も本気だ」

「軍中に女性部隊などが居たら、敵国のいい笑い物です」

「其の代り我が軍の士気は上がると思うがな。少なくとも此れからお前はもうレナから近衛隊に入れろ、とか言われずに済むぞ」

 ラース・ブローメルトは一つの問題が取り除かれた代わりに、異なるより大きな問題を抱えることになった。



 四月の終わりごろ、イオカステ州での大規模な馬牧場の設置を任されたジュペルは、奇妙な指令を帝都の兵部省から受け取った。その内容は、「現在、シェラルブク族の女性たちが指導員として当地にいるが、五月中頃にカイ・ミセーム、ヴェルフ・ヘルキオス両指揮官の兵たちと共に、ウェザールの練兵場へ赴けないかの是非と問うて欲しい」、だった。

 ジュペルはシェラルブク族の女性の代表にこの内容を伝え、カイとヴェルフたちは五月の中頃に帝都に戻るので、一緒に行けるか如何か、話し合って決めて欲しい、と伝えた。

 女性たちは全員同意した。動機は単にカイやヴェルフについて行きたいのと、ホスワードの帝都ウェザールを見たいという好奇心からだった。

 こうして、五月の中頃にカイとヴェルフの一団二十二名と、シェラルブク族の女性二十名がウェザールに向けて出立した。陸路を使うが、中途は軍施設や市や村の宿泊施設を使うので、野宿は一切せずに赴けるよう、カイはウェザールへの道順(ルート)を決め、全員騎行にて出発した。


 五月十九日の午前十の刻(午前十時)に、カイたち四十二人は帝都ウェザールの練兵場を到着した。馬を下り、指示された建物へ全員が向かうと、入り口付近には兵部尚書ヨギフ・ガルガミシュがいた。

 ホスワードの兵たちは皆一斉に敬礼する。其れを見たシェラルブク族の女性たちは真似をして、敬礼しようとしたが、ヨギフが制した。

「皆、よい。楽にせよ。此れから全員を一室に案内する。到着早々で済まぬが、ついて来るがよい」

「まさか大将軍閣下が自らお出迎えとは。何か重要なことですか?」

「いや、大将軍の職はもう辞しているよ。お陰でこのように少し時間のゆとりもできたのでな」

 ヴェルフの問いにヨギフは楽しそうに答える。「では今の大将軍は誰なのか?」、と問おうとしたら、会議室の前に皆を連れ、「此処に入るように」、と言われた。

 その部屋は百人近くが席に座れる大きな会議室だった。既に入室している者たちがいて、カイたちが驚いたのは全員二十人ほどの女性たちだった。


 室内は六十名以上に満たされた。中にいるのは半分以上が女性だ。ヨギフは全員に席に着くように指示して、先に入室していた方を紹介した。

「先ず、此方の方々を紹介しよう。彼女はマグタレーナ・ブローメルト。この一団の代表をしている」

 レナは立ち上がり、型通りの挨拶をした。その服装は薄緑の役人の服を基調とした軍装で、(ズボン)には黒褐色の長靴(ブーツ)を履いている。背は平均的な女性の背丈よりやや高く、手足の長い細身ながらも、どこかしなやかな強靭さを感じさせる姿だ。短くした金褐色の髪と、青灰色の瞳が印象的な美人と言っていいが、化粧を殆どしていなので、寧ろ美少年のようにも見える。

 ヴェルフは姓を聞いて、カイに小声で言った。

「おい、ブローメルトって陛下の副官殿と同じ姓だぞ」

「うむ、縁類かな?」

 彼女以下、約二十名の女性たちが紹介されたが、全員若かった。中にはまだ十歳前後と思われる娘までいた。


 ヨギフはカイとヴェルフと其の部下たちを紹介して、そして女性たちの方は皆シェラルブク族だと説明した。

 カイとヴェルフが立ち上がり挨拶すると、レナ以下の女性たちはどよめく。このような巨躯の男たちを見るのは初めての様だった。

「では、この集まりについてブローメルト嬢から、説明していただけるかな」

 ヨギフはそう言って、レナに説明を促した。

 説明の内容は、アムリートがアルシェ一世の女子軍のあらましを言ったことをなぞっただけだったが、レナは次のように付け加えた。

「此処にいる人たちは私が軍務に就きたいものを、徴募した結果集まった者たちです。皆北のエルマント州の出身で騎乗に関しては問題はありません。ですが騎射、武芸、そしてこれは私も含めてですが陣の設営の経験がありません。書にて学びましたが、やはりこういったことは実際にご経験がある方々にご指導をいただくのが、正道だと思い、皆様方を此処にお呼び致しました」

 要するに女子軍を創設するので、その指導をカイたちやシェラルブク族の女性たちに頼みたいという事である。またエルマント州は牧畜が盛んで、この地では女性も馬に乗ることは、左程珍しいことではない。

 カイが質問を求めたので、ヨギフは其れを笑顔で承諾する。其れを見ていたヴェルフは、「この親父さんは何時からこんな呑気な事を楽しそうにやる様になったんだ?」、と内心不思議がった。 

「期間は何時までになるでしょうか?七月に初日から志願兵の調練も始まるので、其れの邪魔になりはしないでしょうか?」

「仰る通りです。ミセーム指揮官。期間は六月の最終日までと致します。その後はこの少人数の為、七月からの志願兵の調練の邪魔にならぬ様、場所を限定して自分たちのみで行います。ですので自分たち自身で調練ができるよう、其の間ご指導をお願いしたい所存です」


 ヨギフが其処で補足した。

「実はな、ミセームにヘルキオスよ。卿らは先年のカートハージでの戦いを初めとして、例の教団の捕縛や、エルキトの地にテヌーラの通使館の発見の契機となった功がある。故に、七月より、両名は士官に昇進とする」

 カイとヴェルフは顔を見合わせた、志願兵として入隊して僅か二年で士官だ!

「それと、卿らの部下も全員小隊指揮官とする。任地は恐らく其々ばらけることになると思う」

 カイとヴェルフの兵たちは半分昇進を喜んだが、半分この部隊が解散となることに動揺した。

「騒ぐな。其のうち俺とカイが中隊指揮官として、お前ら小隊指揮官を率いるのだ。生半可な兵を育てていたら、承知しないぞ」

 ヴェルフの声に兵たちは身を引き締めた。ヨギフが言葉を続ける。

「ミセームとヘルキオスは七月に士官の手続きをしたら、二カ月半の休暇を許す。その間に任地が決まるだろう。他の小隊指揮官も同様なので、七月より故郷に帰るなり、ゆっくりして欲しい」

 その他、諸々の諸事項をヨギフ・ガルガミシュは伝えると、レナたちの調練を翌々日の二十一日からと決めた。

 そうして全員がこの施設を後にした。



 時刻はまだ昼なので、ヨギフが自分の奢りで、「帝都で昼食に行かないか」、と誘った。

 全員が賛成したので、カイは思い出したように、ヨギフに言う。

「閣下の御贔屓にされている店なら、其処で結構ですが、若し昼に営業していたら、『ニャセル亭』という所で、食事をしたいのですが」

「何だ?卿は何時から帝都内に贔屓の店を見つけたのだ?まぁ、そう言うのなら、其の『ニャセル亭』とやらで食事をしよう」

 全員馬にて帝都の入り口に向かった。レナは前に十歳前後の女の子を乗せている。


 帝都ウェザールの正門へは外堀があるためまず橋を渡らなければらない。そして正門前に着いたが、皆下馬をヨギフから命じられた。

「馬を預けておける場所が、門を潜って直ぐの所にある。此処からは徒歩だ」

 ウェザールの南にある正門は両開きの門が開いており、その高さは四尺(四メートル)、片方の門の幅は三尺あり、門の厚みは二十五寸(二十五センチメートル)はある。そして約十尺の空洞(トンネル)を潜って帝都内に入った。

 ヨギフの言う通り、入って直ぐの所に馬を何百匹と預けることができる厩舎があった。

 広い道が真っ直ぐに北へ伸びている。皇宮まで続く一本道で、その先には高くそびえる塔が幾つも遠望できる。この道の幅は二十尺はある。そして両側は様々な市場で賑わっていた。

 人の往来も激しく、北へと伸びる広い道も、等間隔であるその道からの横への小道も人だらけだ。

 此れが帝都ウェザールか、とカイは周囲を見渡していた。ヴェルフもそうだし、部下たちも、そしてシェラルブク族の女性たちも、このような大量の人の往来に吃驚(びっくり)している。


「ええと、ミセーム指揮官?いえ、ウブチュブク指揮官?そういえば貴方のことは、何と言えばいいのでしょう?」

 唐突に問われたカイは、何時の間にか隣にいたレナの顔を見るため頭を下げる。

「それにしても貴方は本当に大きいのね。アムリート兄様が二尺は超えている、と言っていたけど、事実だとは。アムリート兄様は冗談が大好きな人だから、本気にしていなかったのだけど。貴方の顔を見るのは首が疲れます」

「あ、アムリート兄様?」

「はっはっはっ、マグタレーナ様はアムリート陛下の御后(おきさき)の実の妹に当たるのだよ。カイ」

 隣にいるのが皇帝の義妹だとヨギフから聞いて、慌ててカイは居住まいを正す。

「こ、此れはマグタレーナ妃。失礼を致しました」

「私の姉は妃ですが、私は妃ではありません。そのような呼び方はしなくて結構です」

「はぁ、では何とお呼びすれば」

「親しい人からはレナと呼ばれています。教えを請う身ですので、其れで構いません」

「では、レナ…様?」

「貴方は士官になったらミセームではなく、ウブチュブクと名乗ると、ガルガミシュ尚書閣下から聞きました。偉大な姓ですけど、言い難いので、私も貴方のことをカイと名で呼びます」


 少し離れた所で、ヴェルフが部下に囁く。

「おい、見ろよ。カイの奴。彼奴(あいつ)は凄いところは無条件で尊敬できる勇士だが、駄目なところはてんで小僧だよな。特にこういった女関係は」

「ヘルキオス隊長の駄目なところは女性に対して、無条件にだらしないところです。ミセーム隊長のように紳士的な方が小官には好感が持てます」

「この野郎。言うじゃねえか」

 ヴェルフは其の兵士の首根っこを摑まえて、軽く締め上げる。其の会話を聞いていた、周りの兵士やシェラルブクの女性たちも、其れを見て笑う。

「おい、ヴェルフ何を遊んでいる。御上りさんだと、周囲に笑われるぞ」

 カイがヴェルフに注意をしたので、ヴェルフはやれやれ、と部下を開放する。

 そして、一行は歓楽街に入り目的の『ニャセル亭』を見つけた。昼でも営業をしているようだ。


 ニャセル亭は一階が百人以上が食事ができる場所になっていて、二階は宿泊場所、三階が経営者一家の居住場所となっている。入り口で見る限り、一階には数名しか居なかったが、一応確認の為に六十名程の席は有るか、と言い許可を貰えたので、一行は一階の食堂に入る。

 如何やらディリブラントの両親と其の長子夫婦、そして数名の使用人たちで切り盛りしている様で、曾てはレムン・ディリブラントも、此処で店の手伝いをしていたのだろう。

 カイは其の話をしたので、ヨギフが頷く。

「成程、ここは卿らがバルカーン城にいた時に、共にバリスで活動をしていた者の実家か。さて今はあまり政略や軍略のことを話したくはないのだが、陛下はバリスに対してかなり警戒をしておられる」

「警戒とは?」

「恐らく、卿らが任命されると思うが、昇進の後にバリスの調査を命じられる公算が大きいと思っていてくれ」

「また、ヒトリールにて諜報活動ですか?」

「いや、違う。本朝(わがくに)と国交のある西方の小国に駐在武官として、卿ら二人は赴任する可能性が高い。故にその前に二カ月半の休暇を与えるのだ」

 任務の話は、次々と出される料理に皆は夢中になったので、此処で一旦打ち切りとした。



 五月二十一日を迎えて、この日より、女子軍の調練が始まった。場所は二年近く前にカイたちが志願兵として調練を受けた場所である。

 先ずは全員が経験が無い野営の為の幕舎の設置から教える事にした。此処でカイはあることに気付いてレナに質問した。

「レナ様。あの小さな女の子は如何しているのですか?見当たりませんが」

「あの娘は今学校です。午後から参加させるようにしますが、問題はないでしょうか?」

「抑々、何であのような小さい女の子がいるのでしょう?」

 レナは応募の際の説明をした。

 今此処にいる女性たちは全員ウェザール州の北のエルマント州の出身である。牧畜が盛んなエルマント州では馬にて、山羊や羊を追ったりしている。女性たちもそういった作業に従事している者が多い。この女の子は早くに両親を亡くし、親類の家に預けられたのだが、其の親類は本来十二歳まで学校に通わせなければいけないのに、学校に行かせずこの娘を朝からずっと働かせていた。

 応募の際、エルマント州に赴いたレナは応募に応じた近くに住む事情を知る女性から、その話を聞き、娘は自分が預かる、と言って其の親類に多少の金銭を渡して帝都へと連れてきたのだ。

「彼女が望めば、十三歳から学院にも通わせますし、無理に軍に入れるつもりもありません」

 この娘の名はツアラと言い、この年に十歳になる。帝都内の学校に通う為、レナと共に帝都内のブローメルト邸に住んでいるという。他の女性たちは初めに会った施設に住んでいる。


 カイは下の二人の妹と弟のことを思った。セツカとグライだ。セツカは今年で十一歳。グライは八歳になる。

「ちょうど、ツアラと同じくらいの妹や弟が、私にもいます。二年近く会っていないので、休暇の際には存分に遊んでやりたいと思っています」

「カイ。貴方にはお兄さんやお姉さんは?」

「私は長男です。今言った幼い二人と、既に結婚している直ぐ下の妹、役人になっている弟、其れと腕白な双子の弟たちがいます」

「じゃあ、私と逆ね。兄弟の中で一番上って大変なの?」

「大変ですよ。今言った双子の弟たちですが、兵になると言って、騒いでいるのです。応募は私と同じく二十歳になってから、と言って於きましたが、やはり休暇の際にはこの件に関して、弟たちに説明をしなければなりません」

 其れを聞いたレナは自分が兄のラースをずっと困らせていた事を、若干反省した。いや、今ではもっと困らせているはずだ。兄にはもう少し素直になり、言う事をよく聞こう、と思うレナであった。


 幕舎の設営はシェラルブク族の女性たちが直ぐに習得した。エルキトとホスワードでは幕舎に使われる資材や設営の仕方が異なるが、流石に遊牧生活をしている彼女たちは即座に慣れ、ホスワードの女性たちを教える立場となった。

 そしてこの短期日にレナたち二十名ほどの女性軍は軍における野営のための、幕舎の設立、炉を設置しての野外料理、柵の設置などの一通りができるようになった。もちろん排泄用の穴や排泄用の容器の扱い方も。これ等の調練の時はシェラルブク族の女性たちが厳しい表情で、彼女たちを守るようにカイとヴェルフたちを睨みつけていた。

「全く信用が無いな、俺たちは。誰のせいだ?」

 全員が一斉にヴェルフを見つめたので、夜の大将軍を自認するヴェルフとしては反論する。

「俺は騙し討ちなどせず、正々堂々と正面から戦に臨むぞ。お前たちいい加減にしろ」

「ですが、其方の戦果はあまり芳しくないようですね。隊長」

 カイを含め、皆は笑った。自分でも驚くがこの日々は軍に入ってから一番笑う事が多い。勿論真剣に指導しているのだが、真摯さや充実感が笑いに繋がるのは奇妙な体験であった。

 因みにカイたちが宿舎としているのは、懐かしい志願兵用の一棟である。


 六月二十九日。つまり調練の最終日の前の日に、帝都の兵部省より、高級士官が現れ、カイとヴェルフの士官の手続きをするようにと言った。またこの高級士官は其の場でカイとヴェルフの兵たちを小隊指揮官に任ずる手続きをする。

「では、私が兵部省まで案内いたしましょう。飛ばさなければ帝都内は馬にての騎行も許されています」

 カイとヴェルフはレナの案内で、ウェザールの兵部省まで騎行にて赴いた。例の広い一直線の道を其のまま北へ通るのだが、進むに従って、人は疎らになり、家々は大きくなり、そして官公庁と思われる威容を誇る建物が目に入ってきた。其処でカイは一人の若者を見つけて驚いて叫んだ。

「ハイケ!お前、ハイケか!」

「カイ兄さん!如何したんだ。こんな所で!」

「其れはこっちの方だ!」

 ハイケはレナのような薄緑の軍装に近い恰好をしている。明るい茶色の髪は少し短くしていて、沈着な黒褐色の瞳は相変わらずだ。背が百と九十寸(百九十センチメートル)を少し超える位で、細身ながらも均整の取れた体格をしていて、剣も佩いている。

「今、俺は此処ウェザールの大学寮に通っているんだ。其れと三カ月の調練で下士官の地位も貰っている」

「役人を辞めたという事か?」

「違うよ。色々資格や経験を積んで、上を目指したいという訳さ」

 カイはレナから大学寮について説明を受けた。

 大学寮とは高級役人を目指す者が入る教育機関で、此処を卒業すれば、将来的に中央官僚や州知事などになれる。ハイケのような地方の役人が入る為には、当然厳しい試験がある。

「何時からウェザールに居たんだ?俺は七月からカリーフ村へ帰れるが、暫く帝都に居るのか?」

「去年の九月からだ。三カ月間の休暇が許されているんだけど、俺はその三カ月を軍の調練に使っちゃたから、卒業までずっとウェザールに居ることになる。カイ兄さんたちはもう士官か、俺ももっと頑張らないとな」

 ハイケは公用のため近隣の市へ行くので、と言って去って行った。此れもレナが補足して、大学寮では講義だけでなく、実務も並行して行われるらしい。


 ホスワード帝国歴百五十四年六月二十九日。カイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスは帝都ウェザールの兵部書にて士官に任命され、其の手続きをした。これ以降カイはウブチュブクの姓を堂々と名乗ることにした。

 次の任務はまだ決まっていないが、二カ月半の休暇を貰った。半月は恐らく移動距離の為のもので、実質的には二カ月の休暇だ。其処でカイとヴェルフは話し合って、最初の一カ月をヴェルフの故郷のレラーン州の漁村トラムへ、次の一カ月をカイの故郷のムヒル州のカリーフ村で共に過ごすことにした。

 軍に入ってから、慌ただしい日々が続いていたが、この年の五月の中頃より落ち着いた緩やかな日々を過ごすカイ・ウブチュブクであった。


第九章 出会い 了

 夢の中でヴェルフさんに首を絞められ、「少しは俺たちに休暇を取らせろ」、と殺されかかったので、彼らには休暇を与えることにしました。

 多分アムリートさんの軍はちゃんと有給なんでしょうね。

 二カ月半の有給休暇。うらやましいです。


 そのようなわけで、次回はのんびりした休暇中のお話になると思います。



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