第七章 南方戦役、そして怪しい影
今回は題名通りに南方の戦いがメインのお話です。
やっぱりバトルがメインだと、いろいろ考えたり、調べたりするのが楽しいです!
宮廷劇やロマンスも今後は絡めていきたいのですが、この辺りはどうしようかと、今から頭を痛めています。
ただ殺伐としただけの話にしてもいいんですが、やっぱり色々なことに手を付けてみたい、チャレンジしたいと思う自分がいます。
それでは第七章の始まりです。
第七章 南方戦役、そして怪しい影
1
バルカーン城から、カイとヴェルフを含めた指揮官七名に率いられた百五十名の兵が、曾ての超大国プラーキーナの帝国の帝都メルティアナ城に到着したのは。ホスワード帝国歴百五十三年九月六日であった。
バルカーン城のあるメノスター州から、そのまま南下すればメルティアナ州へ入る。前王朝の帝都がある州なので、この旧帝都以外にも大きな都市が幾つもあるメルティアナ州は広く、メルティアナ城自体はメルティアナ州の南西寄りに位置していた。
道中は雷雨や強風に見舞われず、時たま小雨に遭っただけなので、特に問題なく皆無事にメルティアナ城へ入った。指揮官たちは皆騎乗して、兵たちは輜重車を馬にて曳いての行程であった。
メルティアナ城は南北に五里(五キロメートル)と五十丈(五百メートル)、東西に五里の城壁に囲われていて、その城壁の高さは二十尺(二十メートル)近く、厚さは五尺近くある。
だが城壁はそこかしこで毀れており、四方の塔も西側に対しての塔は機能しているが、東側は崩れたままである。
城の周囲にある城を守るように点在している大小さまざまな城塞も、西から東に行くにしたがって、修繕が手づかずで荒廃したままだ。
それでも正門である南の中央の門から中に入ると、さすがに人口十万の都市だけあって、賑わいはある。それより目を引くのは兵士の多さと軍関係の施設の多さだ。軍関係の施設の大半はホスワード朝になってから作られたもので、メルティアナは半ば軍事基地と化している。プラーキーナ朝ではウェザールが軍事基地の機能を果たしていたので、王朝の交代で、都市の立ち位置が逆転してしまったようだ。
この旧帝都より徒歩にて真っ直ぐに西へ進むと、ほぼ一日でバリス領のカートハージの北辺に達する。バルカーン城で国境を分けていたボーンゼン河はメルティアナ州の西端の半ば辺りで、流れがやって来る方向が西からへと変わっている。つまりボーンゼン河はバリスの西から流れてきて、メルティアナ州の西端の半ば辺りで北へ進路をとり、バルカーン城のあるメノスター州の北のラテノグ州で東へとまた進路を変えているのだ。
カートハージが全テヌーラ領となれば、メルティアナはバリスからの直接の侵攻の対象になる危険性は低くなるので、このような軍事基地状態は多少は緩和されるかもしれない。
メルティアナ州の南がホスワードで一番の南西にあるレーク州で、レーク州の西はすべてカートハージに接している。カートハージの南半分がテヌーラ領、北半分がバリス領となっている。レークとカートハージの南にはドンロ大河が流れているが、特にカートハージの辺りは上流に近いので、川幅もさほど広くはない、といっても最大で十五丈(百五十メートル)近くはあるのだが。レークもカートハージも湖や沼沢、それに大小さまざまな川が流れ、さらには整備された運河もあるので、カートハージの全占領となると、水軍も必要となる。またそういった水が豊かで気候が温暖なレークやカートハージは稲作が可能なので、ホスワードもバリスもこの南部の地は穀倉地帯としても重要だった。
メルティアナ城には常備兵として二千の兵が駐屯している。そして九月一日に三万の兵がやってきている。常備兵の二千はすべて歩兵。三万の兵は騎兵が一万で、歩兵が二万だ。また帝都ウェザールから千近くの兵が、九月九日に到着した。六日に着いたカイたちも含め、すべてがメルティアナ内の軍施設に入ったが、尚、まだ余裕がある。
ホスワードのテヌーラ支援軍の総司令官はエドガイス・ワロンという、この年に四十二歳の将が任命された。エドガイスはホスワードでも屈指の名門軍人系貴族の出で、彼は三十前の二十代後半で将となった。ワロン家は代々大将軍や兵部尚書(国防大臣)といった軍の高官を輩出している家系で、当然彼も現在ヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書が兼務している、大将軍の地位がそのうち自分のものになると思っていた。恐らくこの戦で功を立てれば、そうなるだろうと彼は信じていた。
ただ、エドガイスが気掛かりなのは副将としてヨギフの長子ウラド・ガルガミシュがウェザールから千人近くの兵を引き連れてやってきたことだ。
早くも九月十日に総司令官エドガイス・ワロンと副司令官ウラド・ガルガミシュ、そしてテヌーラから来た共同戦線用の連絡用の高級士官が三者が集まり、十月の初めから始まるカートハージのテヌーラによる全占領作戦の会議が始まった。テヌーラの高級士官が自軍の状況と、ホスワードに行って欲しいことを述べる。もちろんこの高級士官はホスワード語に堪能だからということもあって、この役目をしている。
「我が軍は南カートハージに駐屯している兵五千と、二十五日までに同地に到着する兵一万五千の合計二万の歩兵でもって、十月の初日よりそのままカートハージを北へと侵攻いたします。此方と致しましては同日に貴国に行って頂きたいのは、以下の二つです」
一つはレーク州より、西へ進撃し、北カートハージにあるバリスの各軍事施設の占領。
一つはバリスが派遣してくるであろう増援軍の撃破。
前者に関しては主に湖や河川に面した所に施設があるので、レーク州より水軍を主体とした軍で行う事、後者はこのままメルティアナから進撃して追い払う事になる。
「では、私がバリスの援軍の撃破を担当しよう。ガルガミシュ将軍はレーク州よりの進軍を頼む」
そう言って、エドガイス・ワロンは自身が五千の騎兵と一万五千の歩兵でもって、メルティアナからバリスの援軍の撃破をするので、ウラド・ガルガミシュに残りの一万の歩兵と、ウラド自身がウェザールより率いてきた約千の部隊と、バルカーン城から来た二百に満たない兵を合計した軍団によって、レーク州より西へ進撃しバリスの各軍事施設の占拠、または撃破をすることを命じた。
テヌーラの高級士官によると、今現在、北カートハージに駐屯しているバリスの総兵は一万ほどだ。半数以上がすぐ南のテヌーラ領に接する附近にて、対峙するように城塞に篭っている。テヌーラはこの城塞を落とすことに、まず全力を費やすということなる。
ただし、それより北にある河川や湖や沼沢の中にあるバリスの各軍事施設は点在している。それも民家や畑などの中にだ。故に大軍による運用をすると民や田畑への被害が出るだろう。細かく各施設に対して兵の分散しないと、民への被害無くの攻略は難しい。
「もし大軍にての攻略で、カートハージの住民に被害が出ても、我がテヌーラ領になるので、住民への補償は我々が致します。攻略方法は貴軍に一任します」
テヌーラの高級士官の言を聞いて、ウラドは心中に思った。
「もし力づくで住民に被害を出しながら制圧したら、カートハージの住民の怒りはホスワードに向けられるだろう。この士官が考えた案ではないだろうが、テヌーラにも曲者がいるな」
ウラドは暫く考え込んだが、口に出しては以下のように言った。
「極力民に被害が出ないように、兵を分散させて、各施設を制圧いたしましょう」
それを聞いたエドガイス・ワロンは顔を半笑いにして、大仰に言い放った。
「ガルガミシュ将軍は先のエルキトでの戦いでも兵を分散させて、用兵をするのがお得意だったな。だが、無理せずともテヌーラの士官殿の言うとおり、兵力分散の愚など犯さず、力づくで構わぬぞ」
それを本気で言っているのなら愚か者であろう。しかし、ウラドが心中に思ったことを分かって言っているのなら、ウラドの名声が傷つくことの歓迎からなのか。
暫しウラド・ガルガミシュは渋い顔をしたままだった。
2
翌九月十一日には早くも、軍の再編成が行われた。まず、総司令官エドガイス・ワロン将軍が率いる五千の騎兵と一万五千の歩兵が即座に編成され、副司令官ウラド・ガルガミシュ将軍が率いる一万を超える軍が編成された。即座にウラドはレーク州の知事と州の衛士隊の長に二十五日までに自軍が赴くので、それまでに小型の駆逐船をあるだけ、国境付近へ用意するように、と指令を出した。
カイとヴェルフもこのレーク州への部隊への配属となった。出発日は二十一日なので、ウラドは翌十二日を全軍の顔合わせ、その後は準備と自由時間とした。
六日からメルティアナに着いてから、五日間はカイとヴェルフたちバルカーン城の部隊は指定されたメルティアナ城内の軍施設にいたが、ウラドに十二日に集合を命じられ、数カ月ぶりだが旧交を温めた。
「カイ・ミセーム、ヴェルフ・ヘルキオス。数カ月と経たないうちに、また卿たちと戦に臨むとは思わなかったぞ」
「将軍閣下も北の果てから、南へとお忙しいですな。其の内、外洋にて遠方の国への修好の団長を命じられるのではないですか?」
ヴェルフが相変わらずの調子なので、ウラドは笑わずにはいられない。この二人の勇者に対して、彼も父ヨギフ同様に好意的だった。「では、そうなったら卿ら二人を随員として連れて行くからな」、と答え、三人は笑った。
ウラドは三十代後半で、背が高く筋骨隆々とした男である。さすがにカイやヴェルフよりも背はやや低いが平均的な男性から見れば、十分に巨体の部類に入る。黒褐色の髪と目としていて、顔の下半分は無精髭に覆われている。一見その巨体さもあって恐ろしげだが、士卒に対しては温情厚く、その一方で不正には厳しいという、名門軍人系貴族のガルガミシュ家の名に恥じない男であった。
ウラドが率いる部隊の再編成とレーク州への出発の準備が十七日に終わったので、二日間だけだがカイとヴェルフは自身が率いている合計二十名の兵たちに自由時間を与えた。出発日の前日である二十日の昼まで戻るようにと命じ、二人もメルティアナ城内の散策と決め込んだ。
城内の三分一近くが軍関係の施設になっているが、民が居住する地域は、さすがに人口十万ということもあって、賑わっていた。西方から来る商人は人口の多いメルティアナ州でまず商売をして、その後にホスワード各地を巡る者もいれば、帝都ウェザールにて長期滞在し商売をして、西方へ帰って行くことが多い。
市場は賑わい、歓楽街は昼過ぎということもあってやや静かだが、夕方近くになれば、ここが次の日の朝早くまで一番賑わうのだろう。市井に入ると、学校を終えた子供たちが遊んでいる。もう少し上の子供たちの姿があまり見られないのは、学院に行っているからか。カイが感想を述べる。
「ヒトリールとさして変わらないな。国はどこであれ、人々の暮らしは何処も同じだ」
ヒトリールとはバリス帝国の首都で、つい数カ月前まで、カイとヴェルフは諜報のために当地に赴いていたのだ。昼間は食後にしばしばこの様にヒトリール内を散策していた。最もこの時は市民の観察など、旅商人を模した諜報だったので、内心は神経を尖らせていたが。
二人は昼食がまだだったので、歓楽街で昼からでも営業している店を探し、とある食堂兼宿屋に入った。初老の女性の従業員が二人の巨大な軍装をした大男を見て仰天する。ヴェルフがこの女性従業員に問う。
「空いているところはあるかな?」
従業員は慌てて二人を四人席へと案内した。二人用の席もあるが、どう見てもそこでは狭いし、何よりかなり食べそうだ。
「ありがとう。この席は俺たち二人が使用していいんだね」
カイは座りながら従業員に行った。二人が座ると椅子がやや軋む音をたてたので、従業員はやや脅えながら頷き「献立表」を持ってまいります」、と言って奥へ入っていった。
食事は流石に米を主体としたものを食べた。南方の野菜が多く入った焼飯は絶品であった。昼ということで麦酒は五合(半リットル)だけにしたが、その他の様々な川魚を使った料理も全て平らげた。
二人は午後の二の刻(午後二時)を過ぎるころに、この食堂兼宿屋を出た。従業員や経営者が安心したことは、きちんと料金が払われたことだ。無銭飲食をされても恐ろしくて、訴えることができないからだった。
それどころか片方の特に背の高い、明るい茶色の大きな目をした若者が、「私が生まれ育った地域では米を使った料理は珍しいのです。とても美味しかったです。機会があればまたここを訪れます」、と丁寧に言って、合計料金より若干の上乗せをして払ったのだ。
この日のメルティアナの天候はやや雲が多い晴れだが、風はもう北から吹いている。だが少し体を動かせば、汗が出る程の暑さはまだ残っている。
二人は歓楽街が本格的に賑わうまで、メルティアナのプラーキーナ帝国時代に建てられた、皇宮を中心とする官公庁や貴族の建築物などを見て回った。
やはり、というべきか。半分近くの建築物は無残にも壊れたままだ。無事なものの半分は修復済みだというので、以前はもっと荒廃していたのだろう。
処が旧皇宮はほぼ修復されており、皇帝がメルティアナに巡幸する場合は、ここに逗留できるように整備されていた。
旧皇宮にはそれを遠望目的に来ていた他のホスワードの兵たちもかなりいて、二人は偶然にも旧皇宮の管理責任者と話す機会を得た。
現皇帝である八代皇帝のアムリートはメルティアナに赴いた時は、そのまま軍施設で宿泊してしまうそうで、旧皇宮の管理責任者は陛下がここに宿泊されないことを残念がっていた。そして旧皇宮を離れながら二人は言葉を交わす。
「陛下らしいな。あの管理人さんには気の毒だが」
「あそこだと、何かあった時に緊急の連絡にも時間もかかるだろうしな。実利的なことを優先しておられるのだろう…。ん?なんだここは?」
カイは今までに見た中で一番荒廃した建物を見ていた。驚いたのはその広さと規模で旧皇宮より広い。荒廃の規模が酷いので、想像が難しいが、もし在りし日の姿だったなら、皇宮をも凌ぐ宮殿だったかもしれない。
周囲にホスワードの自分たちと同じ下士官の兵がいたので、二人は「この荒廃した宮殿の跡地らしきものは何だ?」、と尋ねた。
この兵はメルティアナにずっと駐在している兵らしく、詳細に答えた。
「これはプラーキーナ朝の末期に権勢を誇った、相国ビクトゥル・ミクルシュクの邸宅の跡地だ。相国の死後、ここは相国の次男が割拠していたが、次男はメルオン大帝に対抗するために、メルティアナ城をテヌーラに渡し、自身はそのままテヌーラへ亡命したそうな。まぁ、これは噂話で信憑性は薄いがな。確かなことは、テヌーラからメルティアナ城を回復したメルオン大帝が完全にこの宮殿を破壊し、ミクルシュク一族を全て族滅なさったことだ」
答えたホスワードの兵は別の見回りのため、去って行ったが、二人は暫しこの宮殿の跡地を眺めていた。有料の学院を出ていなくても、ホスワード朝の開祖であるメルオン大帝の事跡は無料の学校でも習うので、ヴェルフも一応の知識としては知っていた。
夕方の五の刻(午後五時)近くになったので、ヴェルフが先に歩き出して、「そろそろ歓楽街へ戻ろうぜ」、と言ったので、カイは後について行こうとしたが、ふとミクルシュク邸に目をやると、遠くに数人のまだ寒い時期ではないのに、灰白色の頭もにも被るものがついた外套を身に付けた数人が、邸宅の跡地に入り、どうやら地下へ進むのを確認した。カイは「地下に潜って財宝でも探すのか?」、と気になったが、早く夜の街を楽しみたいヴェルフの呼びかけが再度来たので、先ほどのように見回りの兵もいるし、気にせずヴェルフの後を追った。
3
九月二十一日にメルティアナ城を出発したウラド・ガルガミシュが率いる一万と千の部隊は、四日後にはレーク州のほぼ西側に展開し、翌日にはそのままカートハージへ侵攻した。
その間、ウラドはまずテヌーラの言葉に堪能な一人の大隊指揮官を選び、彼に千の歩兵を率いさせ、テヌーラが総攻撃を仕掛けるバリスの城塞へ赴き、テヌーラの城塞攻撃の支援を命じた。当地に着いたら、テヌーラの将軍の命を受けて動くことと、戦況を常に自分へ連絡することを指令した。
そしてこの城塞の北にある各バリスの軍事施設は大小おおよそ三十と判明し、場所も特定できている。詰めている兵は最も多いところで二百名を超え、最も小さなところでは三十名程だという。
二十七日に奇しくもまた部隊を三十に分け、同時侵攻に因ってこれらの各施設の制圧が決定された。但し、エルキトとの戦いと異なるのは、伏兵によるものではなく、そのまま正面から挑むこと、また各部隊には必ず一人連絡用の部隊が常駐することで、常に本陣にいるウラド・ガルガミシュのとの連絡を定期的にすることだった。そのためウラドは後方にて、参軍たちと地図を睨んで、各部隊に指示を出すことになった。
ウラドの本陣は後方にあるといっても、輜重兵を合わせて五百にも満たないので、もしバリスの増援兵が殺到したら即座に壊滅する。ここは増援軍の撃破を自信をもって宣言した、総司令官エドガイス・ワロンを信じるしかない。
十月一日の早朝、この日は雲一つない澄み切った晴れだった。
この日の朝の九の刻(午前九時)に、カイとヴェルフとそれともう一人の小隊指揮官がが率いる三十名の兵は、同じくおよそ三十名のバリス兵が駐屯している、湖上の小島に建つ見張り塔の攻略を命じられた。島までは当然船を使用する。湖に繋がる川にて三艘の駆逐船に乗った、カイとヴェルフの一団は三本足の鷲の紋章が描かれた緑の三角の縦帆を揚げ、櫂にて目的地に進んだ。櫂を動かすのは兵士たちで、指揮官の三人は縦帆の向きを、風向きによっては変えたり、最後尾にて進行方向を定める為に船尾にて舵櫂を操る。
途上に見える熟した稲穂が綺麗に並ぶ田んぼやその農家の作りは、カイには見慣れぬ新鮮なものだった。確かに大軍を運用したら、そろそろ刈り取られるこれらの稲穂は台無しになってしまうだろう。敵国に侵入しているからといって、そこに住む民の日々の労働の結晶を踏み躙るということは、如何あっても正当化できない。そしてカイはメルティアナで食べたあの焼飯の味を思い出した。
短期間とはいえヴェルフの指導が素晴らしかったのか、カイとヴェルフの両船は昼前に湖に入り、目的地の小島近くに達した。塔の上辺を見ると、既に連絡用の狼煙が上がった後である。もう一人の指揮官の指揮する船はやや遅れて到着した。彼の部隊は本営との連絡を主任務とされたので、塔の攻略に関してカイとヴェルフの部隊の支援役となる。
塔の方では、現れた三艘の軍船が、中央に三本足の鷹が配された緑の三角帆を張り、乗員がすべて緑の軍装なのを見て、矢を射かけてきた。塔の高さは約二十尺(二十メートル)で、周囲は二十五尺あるかないかだ。矢は塔に所々にある空いた小窓から降り注がれる。
ホスワード軍は即座に帆を畳み、全員に支給された、直径が約六十寸(六十センチメートル)の表面が厚手の皮で覆われた円形の木の盾で、降り注がれる矢を防ぐ。
塔のある小島まで、カイとヴェルフの船は三十尺近くまで接近した。矢は降り注がれるが、ここでカイは船上にて直立し、強大な弓を手に持ち、長く鋭い矢を番え、目標とした塔の中で一番大きな空いた窓を目掛けて射た。
凄まじい勢いで、矢は飛んでいき、空いた窓の中へ吸い込まれ、恐らく塔の中の壁に其のままの勢いで突き刺さったのだろうか、バリス兵のどよめきと狼狽の声が外部の船上のホスワード兵たちにまで聞こえた。
もう一人の同行した指揮官による船が、カイの船を守るようにうまく回り込み、乗員はすべて盾を上げて自分たちとカイの船を守る。カイの船の乗員は半数は盾で自分たちや僚友を守り、カイと数人の弓に自信ある者たちが、塔から顔を出しているバリス兵を目掛けて弓を射る。
しかし船上で足場が悪いため、矢は如何にか塔に届くといった具合である。だがカイが放つ強弓のみは確実に空いた窓内へ入るので、その恐怖にバリス兵は窓から身を出し、弓を射ることを止めていった。
この間にヴェルフの船が小島に接舷し、全員上陸している。もちろん入口は分厚い木の戸で閉じられているが、ここで金属製の兜や鎧を即座に身に付けたヴェルフが、勢いをつけ扉を目掛けて体当たりを敢行すると、戸は砕け中に入れるようになった。
塔に侵入したヴェルフの兵は、向かってくる赤褐色の軍装をしたバリスの兵と対峙するが、狭い中なので、ヴェルフが先頭となって、次々にバリス兵を倒していく、ヴェルフは腰に長剣を佩いているが、左手に直径四十寸ほどの円形の鉄製の盾を持ち、敵兵の攻撃をこれにて防ぎ、右手に持った鉄製の長さ五十寸ほどの太い鎚矛を振り落としバリス兵を打ち倒す。
塔内が混乱しているのを感じたカイの船も小島に接舷する。カイは先端に金属製の引っ掛けることができる物がついた太く長い縄用意し、最初に自分が射た大窓の中へ、その先端部分を投げ込み、引っかかったことを確認すると、部下たちに援護を頼み、よじ登っていった。
およそその巨体から想像もつかない速さで、十五尺以上は上にある大窓に即座に到達し、塔内に一人侵入した。
塔の造りは入り口から螺旋階段で屋上まで続き、一定部分に踊り場があり、そこには戸があるため、開ければ部屋となっている。一階部分は全て物資の貯蔵庫らしく、人はいなかったので、ヴェルフの一隊は二階の部屋へ飛び込んだ。
「死にたいものはかかってこい!そうでないものは武器を捨て、手を上げよ!」
そうヴェルフは言うと、室内にいた五名は、血まみれのヴェルフの鎚矛を見て、皆すべて武器を捨てた。ヴェルフの部下が縄で手足を縛りつけ、一人の部下を見張りにつけ、ヴェルフは三階へと上がっていく。
カイが侵入したのは六階の辺りだった。即座に赤褐色の軍装をしたものに見つかり、振るわれた剣を躱すや否や、その男を両手で壁に激しく叩き付け気絶させた。ヴェルフと違い防具も盾もないカイは腰の剣を抜き、六階の戸を蹴破り、中に侵入すると、十名程の防具で身を固めたバリス兵が剣を抜いてカイに襲い掛かった。
室内はそれなりの広さがあるので、剣を存分に振るったカイは、七人を瞬時に切り捨てた。
相手が防具で身を固めているといっても、兜と胸甲を身に付けているだけで、カイはその巨体から信じられない速度と身のしなやかさで、敵兵の剣を躱し、また剣で受け流しながら、がら空きの箇所に致命傷となる一振りにて切り捨てたのだ。
残った者が後ずさりするので、声をかける。
「武器を捨てよ。三数えぬ内に捨てぬものは殺す」
残った者は慌てて武器を捨て降伏した。この時にカイの部隊の一人が如何にかよじ登って来れたので、カイはこの者に降伏した者の手足を縛ることを命じた。
カイは六階が最上階だと分かると、屋上に上がった。屋上は狼煙を既に上げた後なので、誰もいなかったので、五階を目指した。
カイは五階をまたも一人で制圧すると、続いて四階へ進んだが、戸は既に蹴破られていて、中にはヴェルフたちが降伏したバリス兵を縛っている所だった。突然現れたカイに驚いたヴェルフが問う。
「お前、何処から来たんだ?」
「六階からだ。五階から上は既に制圧してある」
「お前が馬上や水上だけでなく、空も自在に移動できるとは、初めて知ったよ。さて捕縛したものは如何する?」
「もう一人の指揮官殿にガルガミシュ将軍の本陣への連絡も兼ねて、引き渡して貰おう。道中少し窮屈になるだろうがな」
塔の屋上に制圧したことを示すため、バリスの中央に双頭の鷲が配された赤褐色の旗を撤去し、ホスワードの中央に三本足の鷹が配された緑の旗を掲げ、カイとヴェルフは本陣へ捕虜を連れて戻った指揮官が、次の指令が伝えに来るまで、この塔に逗留することにした。幸い一階には物資がある。
それと半数以上が死者となったバリス兵は、この小島で穴を深く掘り埋めた。彼らがバリスのどのあたりの出身かは分からないが、少なくともここは彼らの故郷より遠い地であろう。このようなところで永眠するのは無念であろうが、衛生上そのまま野ざらしにはできない。
翌日の早朝に例の指揮官が来て、現在攻略に手間取っている近辺の三カ所を順次支援するように、と連絡してきた。
また、テヌーラの二万の兵がここカートハージで最も大規模なバリス兵五千が詰めている城塞の攻撃を始めたことも伝えた。この攻撃にはホスワードの千名も支援軍として派遣されている。
最初に支援に向かった軍事施設は規模が最初のとほぼ同じで、違いは川沿いにあったことだ。そのまま川や運河伝って、その攻略場所に移動できるので、二日の昼過ぎにはそこに着き、やはりカイとヴェルフによる勇士が突撃すると、即座に制圧できた。ここでも十名以上の捕虜を得て、捕虜を連絡用指揮官にまた託して、カイとヴェルフは次の手間取っていると言われる施設の攻略へ向かい、これも即時に制圧した。そして彼らは最後に命じられた箇所へ向かった。
途中、川での移動はできなかったが、各所に船の陸地移動用の丸太を埋めた物が、輜重兵を中心に設置されていて、カイとヴェルフは船をそれを伝って引っ張り、別な川へと入り、件の攻略に手間取っているバリスの軍事施設へ船にて進軍した。
この間、カイとヴェルフに率いられた兵で犠牲者はいない。軽度の負傷者すらいない。
九月二十六日からカートハージへ侵攻したホスワード軍だが、この間に雨に濡れるということが殆どなかった。この辺りは六月の初期から九月の中ごろまで、よく豪雨があるという。でなけれは灼熱の炎天下だ。九月の終わりごろから、翌五月の終わりごろまで、雨は降っても、数刻で止む程度で長雨はめったに無いらしい。侵攻が十月の初日に決定されたのも、こういった気候条件も加味されていることが分かる。
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カイとヴェルフがその攻略に手間取っているバリスの軍事施設に到着したのは、十月五日の夕刻であった。手間取っている理由は施設の規模が大きくバリス兵も二百名程いるのだが、それ以上に問題なのは、バリス兵が周辺のカートハージの住民を「保護する」、という目的で強制的に収容している為、ホスワード側としては総攻撃が躊躇われたのだ。
つまり、バリスはカートハージの住民を盾に閉じ篭っている状態なのである。
それを知ったカイもヴェルフも流石に舌打ちし、無辜の民衆を盾にするバリス兵に怒りを覚えた。
勿論、彼らからすれば、易々と一方的に打ち破られないため、あらゆる手段を用いた、という所だろう。
この軍事施設の攻略を命じられたのは、五百名を指揮する中隊指揮官だが、到着すると直ぐに施設内に近隣の住民が収容されていることを知って攻撃ができず、ウラド・ガルガミシュ将軍に連絡を出し、現在まで何もできずに、船や陸地にて攻囲したままだった。
当の中隊指揮官はここにいる全指揮官を集め、協議をしたいというので、カイとヴェルフもその協議に参加した。指揮官たちの大半は三十歳を超えている。集まった中で二十代なのはカイとヴェルフ、そしてもう一人だけだった。
「とりあえず、ここはこのままにして、他の軍事施設を全て落とすことを優先して、その後に降伏勧告をするというのは、如何だろう?」
「他にはこういった状況になっている場所はないのか?」
「今のところ無いと聞いている。その通り、ここは無視してよい。バリスの援軍の撃破と、テヌーラの城塞攻略が成功すれば、流石に奴らも降伏するだろう」
「むしろ問題は住民の安否だ。幼子も収容されているという。一刻も早く救出の手段を講じるべきだ」
カイが発言をするため、中隊指揮官に許可をもらった。
「まず、収容された住民はどのくらいの数でしょうか?」
カイは中隊指揮官からおおよそ百名くらいで、うち二十名程が幼子とその母親だと説明された。
「それほどの数なら備蓄されている食料等が一気に減っているはずです。此方側としてはまず食料やその他の必需品と交換に、収容されている住民の開放を少しずつ、求めるというのはどうでしょう。今出たように幼子とその母親を優先にして、彼らとしても面倒を診るのが大変な者たちは、順次解放していくよう説得するというのは?」
「そんな悠長なことができるか」
カイとヴェルフ以外で唯一若い指揮官が反論した。年齢はカイと同じくらいと思われる。カイはその指揮官に説明をした。
「その間に先ほどの発言で出てきたバリスの援軍の撃破と、テヌーラの城塞攻略の情報を伝えれば、彼らも篭る必要性はありません。そこで彼らには全住民の安全と引き換えに、こちらが追撃をしないという約定で退去していただく。これしか住民の安全を守る早期な策は無いと小官は考えます」
「貴官は甘いな。そもそもここはテヌーラの領土になるのだ。総攻撃をかけて民が如何なろうと、我々の知ったことではない。此れはテヌーラの問題だ」
「それだったら初めからガルガミシュ将軍はこのように部隊を細かく分けず、大軍にて各施設を各個撃破しています!」
カイがこの若い指揮官を怒鳴りつけたので、隣に座ったヴェルフは落ち着くよう、カイを宥めた。
怒鳴られた指揮官は一瞬カイの迫力に脅えたが、カイがあの「無敵将軍」ガリン・ウブチュブクの息子だと知っていたため、嫌味を放った。
「なるほど、自身がどんな目に遭っても、一人でも多くの人間を救うのが、貴官のお考えか。流石英雄の息子だな」
瞬時にヴェルフがカイを押さえつけていなければ、カイはこの同世代と思われる男を殴りつけていたであろう。
カイの大きな目は灼熱の炎に満たされ、その指揮官を焼き殺さんと睨みつける。
責任者の中隊指揮官が場を落ち着けるように言った。
「明日早朝に、ガルガミシュ将軍にバリスの援軍撃破とテヌーラの城塞攻略の状況を、定期的に此方へ伝えてもらうよう頼もう。また明日からは、先ほどのミセーム指揮官の言った通り、彼らからの条件を聞き少しでも住民の解放の説得をする。ミセーム指揮官、貴官が提案したことなので、説得は貴官が行うのだ」
「おい、早まったことはするなよ。とりあえず、お前の提案が採用されたんだ。今はそのことに集中しろ」
「すまない、ヴェルフ。俺は危うく間違いを犯すところだった」
「何、俺だって同じ気分さ。たまたまお前が暴発したのが先だったから、抑える側に回っただけだ。だから今後、俺が先に暴発したら、お前が俺を押さえつけてくれよな、カイ」
翌朝はカイとヴェルフは二人のみで、武装をせずに、バリス兵が篭る軍事施設の陸地側の正門に立った。ヴェルフはホスワードの旗を両手で持ち掲げているが、この旗は白地で中央に配された三本足の鷹が緑であった。白地の旗は交渉用の旗なのである。
カイは、「ここの指揮官と話し合いがしたい」、と正門に大声で伝えた。
門の上は櫓となっており、見張りの兵がいたが、両手を上げたカイと両手で白地の旗を持ったヴェルフを見て、「しばらく待て」、と言い四半刻(十五分)ほどして、門の上の櫓からバリスの指揮官が顔を出した。
「話し合いとは何だ?」
「バリスの指揮官殿、民衆を開放してほしい。全員とは言わないが、幼子とその母親、それと病人や怪我人や老人。彼らだけでもまず解放してくれ。何か物資が必要なら、解放してくれた対価としてお渡しする」
バリスの指揮官は暫く考えたままだったが、返答をした。
「では、二百人分の食料を一週間分頼む。それが届いたら、今、貴官が言った民衆は全て解放しよう」
カイとヴェルフが報告に戻った時、ウラド・ガルガミシュ将軍は最初の連絡を受けて、既に物資を準備していたため、それがこの日に届いていた。そして現在の状態も分かった。
現状の報告によると、テヌーラ軍が攻撃している南方のバリスの要塞はほぼ陥落寸前で、今日の夕にも落ちそうだという。北方からのバリスの救援軍は約一万ほどがカートハージの北辺近くまで迫ってきたので、総司令官エドガイス・ワロンが率いる二万の軍がメルティアナから迎撃に進発している。
午後の三の刻にカイとヴェルフは届けられた食料を輜重車に乗せ、やはり武装していない輜重車を操る兵たち二十人と共に、再び陸地側の正門に達した。食料を届けに来たことを告げると、「まず、食料をすべて施設内に入れるのが先だ」、と言われ食料を運んできたホスワード兵たちは、五十尺(五十メートル)下がって、そこでバリス兵が食料を入れていくのを見届けることになった。ヴェルフがカイに囁く。
「奴ら約束を守るかな?」
「守るだろう。健康なものなら、雑用に使えるが、そうでないものなど、彼らからすれば面倒だからな」
バリス兵が食料をすべて収容し終わると、六十名ほどの住民を解放した。
門が閉まるのを確認したカイたちは即座に住民たちの元に駆け付け、無事を確認する。解放されたのは幼子や子供とその母親。そして女性と病人と老人も全て解放された。
解放されたカートハージの住民たちは全員、中隊指揮官が命じて設営した仮設の施設にて保護し、一番元気がありそうな老人に、中隊指揮官は内情を知るために様々な質問をした。
「とりあえず、残っているのは十三歳以上、六十歳以下の健康な男性だけだそうだ」
それを聞き一安心したカイだが、夕食後ヴェルフに呼び出され、二人きりで話がある、と呼び出された。
「カイ、先日お前が怒鳴りつけた若い指揮官がいたよな。他の指揮官から聞いたんだが、奴はワロン将軍の縁類らしい」
「其れが如何した?」
「この戦が終わっても、如何も違う戦いが始まるかもしれんぞ。ガルガミシュ将軍がうまく取り成してくれるとよいが」
「俺がやったことだ。ガルガミシュ将軍には迷惑はかけたくない」
「最悪のことがあったら、お前が如何出ても俺は将軍を頼るぞ。いいな」
「そうなったら、お前まで目をつけられるぞ」
「ふん。そんなことは構わないさ。そうだ、もし俺たちが軍に居づらくなったら、俺と一緒に軍を辞めて、レラーンのトラムで漁業をしないか?」
「それは本当に軍内で進退窮まった時には考えておこう。それより残りの住民の救出だ」
その日の深夜にテヌーラがバリスの城塞を落としたことが、連絡として来た。そしてテヌーラ軍は数千の守備兵を残して、次の日の昼ごろより北上し、カートハージの全占領を目的した進軍を進めることも通達してきた。
翌十月七日の午後二の刻にはテヌーラの先遣隊が、このまだ未陥落の軍事施設に達して、なぜここだけまだ攻略できていないのかの説明を求めた。この時既に他のバリスの全施設の攻略は済んでいる。
説明を受けたテヌーラの先遣隊はここ以外の地域の占領と慰撫に専念する、とだけ言って去ってしまった。あとはバリスの増援軍の撃破の連絡が入れば、説得は容易になるだろう。
バリス増援軍がワロン将軍に打ち破られ、潰走したとの報告が入ったのは、翌八日の早朝である。
即座にカイとヴェルフはそれらの情報でもって、全住民の解放を条件に、バリス兵の身の安全は守るので、施設からの退去の説得に赴いた。
恐らくバリス側でもこの状況は入っていたのだろう、「自分たちの安全が守れる場所まで、住民は連れて行く」、と言いバリス兵二百名は四十名程のカートハージの住民と共に軍事施設を後にして、カートハージの北の国境まで退いて行った。国境で住民は引き渡すとの条件である。
国境までついて行ったのは、カイとヴェルフと例の若い指揮官の三名とその指揮下にある、合計四十名の兵である。この若い指揮官は二十名の兵を率いているのだ。名をファイヘル・ホーゲルヴァイデといい、歳はカイと同じく二十一歳になる。長身で戦士の体つきをしているが、さすがにカイやヴェルフのような規格外の偉丈夫という訳ではない。
彼はエドガイス・ワロンの姉の息子だという。ワロン家と同様に、ホーゲルヴァイデ家も有力な軍人貴族の家系だ。無論、彼は志願兵として調練を受けて兵になった訳でない。軍人系の貴族の子弟の多くは専門の学院で学び、卒業すると、小隊指揮官に任じられるという。
カートハージを越えたバリスの二百名の兵士たちは、住民をそこに残して北へと去って行った。それを確認したカイとヴェルフはカートハージの住民の保護と、全員揃って無事であるかの確認を取ることを部下たちに命じた。
その時、ピーッ、と笛の音がなった。鳴らしたのはファイヘル・ホーゲルヴァイデだ。
何事かと、カイとヴェルフがファイヘルを見ていると、突如として千名以上の緑色の騎兵隊が現れた。軍装からしてホスワードの騎兵隊で、ワロン将軍の旗下の者たちだ。
「あそこで北へ向かっているのがバリスの兵どもです」
そうファイヘルは言うや否や、ホスワードの千の騎兵隊はそのまま北へ退去していく、バリス兵二百を囲み、一方的に殺戮して、去って行った。死屍累々のバリス兵がより一層赤黒く見えたのは、軍装が赤褐色なだけではないだろう。
あまりの出来事にカイもヴェルフも声が出ない。
ようやく事態を飲み込んだカイはファイヘル・ホーゲルヴァイデに掴みかかった。
「貴様、約定を破って、彼らを皆殺しにしたな!」
「何をそんなに怒る。住民を盾にする卑怯者。ましてや敵国の兵を始末するのは我らが役目であろう」
「このような事をしたら、今後降伏勧告をしても、ホスワードは約定を破る信用ならぬ軍だと、相手にされないことも分からないのか!」
「いい加減しろ、カイ・ミセーム。いや、カイ・ウブチュブク。だから皆殺しにしたのだ。これなら他に漏れることはない」
「そういったことではない!貴様は…!」
背後からヴェルフが渾身の力でカイをファイヘルから引き剥がした。そしてヴェルフがファイヘルの部下二十人に叫ぶ。
「おい、お前たち、この腐れ野郎を連れてさっさと戻れ!さもないと俺とこのカイでお前たち全員を、さっきのバリス兵のような目に合してもいいんだぞ!」
ファイヘルはよろめいて、倒れ掛かるところを部下に支えられる。カイの強力で掴まれた箇所がひどい痛みを発するのを感じて、流石に彼も怯んで、やや強張った声を発した。
「今の一件は俺の叔父である、総司令官エドガイス・ワロン将軍にすべて伝える。俺が提案して、ワロン将軍が承諾済みの指令なのだからな」
そう言って、ファイヘル・ホーゲルヴァイデの一隊は去って行った。
カイとヴェルフの隊は解放された住民を各自の家まで送り届け、惨殺されたバリス兵が篭っていた施設を占拠したホスワードの部隊に戻った。
そこには既にやや濃い碧い軍装をした、テヌーラの部隊も本格的にやって来ていて、ホスワードの指揮官たちと何か話しこんでいる。施設も中央に白い二匹の蛇が絡まったやや濃い碧い旗が掲げられている。恐らく他のホスワードが攻略した塔なども同様なのだろう。ホスワードの旗を返却しているらしい。
カイはこの施設の攻略を命じられた中隊指揮官に、住民全員の安全が確保できたことを報告すると、もう夜遅いので本日はここに泊まり、翌日にウラド・ガルガミシュ将軍の本陣に戻り、休養していいことを告げられたので、次の日に本陣へと帰還していった。
勝利ではあるが、怒りが込みあがる本陣への帰還であった。
5
十月九日の午前中にに、カイとヴェルフの部隊はウラド・ガルガミシュの本陣に帰還した。ウラドからは順次テヌーラ軍がカートハージの全域を慰撫するので、ウラドの全軍は十一日までにこの本陣に戻り、メルティアナに帰還することを告げられた。そのためウラドからそれまで休養をしてもよいと言われた。
「カイ、ヴェルフ。またも活躍をしたと聞いている。流石に中隊指揮官にはまだ早いかもしれんが、恩賞も出るし、部下が二十人、いや五十人になるかもしれんな」
そう笑顔でウラドは言ったので、如何やらカイたちがファイヘル・ホーゲルヴァイデと一悶着起こしたことは、まだ知らないらしい。だがその日の昼過ぎにウラドは全容を知ったようだ。
「帰還後、卿らの表情が暗かったので、疲労かと思ったが、そのような事があったのか。ワロン将軍には私の方から強く説明をする。卿らには何ら非は無い」
「ガルガミシュ将軍。小官たち、いえ、罰を受けるべきは、この小官だけにしてくれる様にお願い致します。部下たちには何の非もありません。ヘルキオス指揮官にしても小官を止めてくださいました」
「ガルガミシュ将軍。小官もホーゲルヴァイデ指揮官を侮辱する発言をしました。ミセーム指揮官だけに、如何か責を全て負わせぬようお願いいたします。それと部下たちは一切この一件に関わっていません。其処だけは如何か寛大な処置をお願い致します」
そして午後の三の刻になると、ウラドの本陣へエドガイス・ワロンの直属の士官が現れ、カイとヴェルフ、そしてその部下全員を脱走せぬよう軟禁するように、との指令が届いた。
「ヘルキオス隊長。俺たちは獄に繋がれるのですか?もし隊長たちだけが獄に繋がれるのなら、俺たちはどんな手段を使っても救い出します!」
「馬鹿者!めったなことを言うな。他に聞こえたらもっと立場が悪くなる。今は悔しいだろうが口をつぐんで耐えろ」
翌日ウラド・ガルガミシュは部下の高級士官に自軍の管理を任せて、件の施設攻略に参加していた数人の指揮官と共に、エドガイス・ワロンが本陣としている、カートハージの一番北側で最もホスワード領に接している場所へ馬にて急行した。ファイヘル・ホーゲルヴァイデはウラドの指揮下なのに、叔父のエドガイスの本陣に勝手に帰陣しているという。これも十分軍律違反だ。
エドガイスの幕舎にて、まず施設攻略に参加した指揮官が、カイとファイヘルが言い争った話をして、それを聞き終えたエドガイスはウラドだけ残して、指揮官たちを退出させた。幕舎はエドガイスとウラドの二人だけになった。
「ホーゲルヴァイデは何故、将軍の元にいるのです?彼は私の指揮下なのだから、異動の許可をまず私に出すのが、順序かと思われますが」
「では総司令官の権として、たった今ホーゲルヴァイデを私の指揮下に置く、事後だが特に問題は無かろう」
「では、ミセームとヘルキオスも不問に付すということで、宜しいですね」
「不問だと?あのような騒ぎを起こして、何の責も問わぬ訳にはいかないだろう」
「そもそもホーゲルヴァイデが両名に事前に起こす内容を説明しなかったことが、この騒ぎの原因です」
「其処は彼の不始末とするが、両名が彼を締め上げ、皆殺しにする、と発言したのは看過できぬ。両名は前線より外す」
「バルカーン城に帰還させるということですか?」
「カイ・ミセームは騎乗の達人だというので、イオカステ州にて、現在設置予定の馬牧場の管理官とする。ヴェルフ・ヘルキオスは操船の達人だというので、ラニア州にて軍船の管理官とする。期間は一年だ」
「お待ちください!両名を一時的に外すのはいいでしょう!其処で頭を冷やしてもらうのは。ですが、この様な勇士たちは他と居ません!両名は騎乗も操船もどちらも巧みです。如何かその沙汰は両名一緒に、せめて其々の地にて、三・四カ月間ということで折れてくれないしょうか」
「ならば五カ月ずつだ。それ以上を言うのなら両名は解雇とする。不服なら出ていけ」
「承知致しました。両名にはきつく今後このような事を起こさぬ様に注意致します…」
十一日にウラドは自身の本陣に戻った。この日はウラドの全軍がメルティアナへ帰還する日でもある。そのため各所では帰還準備を兵たちはしていた。
ウラドは真っ直ぐカイたちが軟禁されている所へ赴く。
「卿らの沙汰が決まった。今より十カ月間。いや、移動等も含めれば一年近くだが、まず五カ月間ラニア州に赴き、軍船の管理をすること、その後の五カ月間はイオカステ州に赴き、整備が始まった馬牧場の管理官をすること。それら終わったら帝都ウェザールの兵部省(国防省)に赴くがいい。その間に何とか私が現役に復帰できるよう働きかける」
ラニア州は南にドンロ大河がある州で、レーク州から東へ赴いたところだ。約千人が駐在している城塞があるところでもある。
イオカステ州はホスワード帝国で一番北東にある州で、ここでは大規模な馬牧場の設置が決定されている。まだ本格的な工事開設は行われていないが、既に何十人の馬の飼育ができる者や厩舎が作れる職人等が赴いているという。
「本日が帰還日ですよね。小官たちも本日付でラニア州へ赴くのですか?」
「そうだ、カイ。急ぎになってしまうが、申し訳ない」
「何、二人だけですから、準備なんて直ぐ済みますよ」
「ヘルキオス隊長!俺たちは如何なるんですか!」
「お前たちは俺たちに付き合わなくてもよい。メルティアナへ帰還しろ。将軍、部下たちには何の沙汰も無いんですよね?」
「そうだ。卿ら兵たちは共にメルティアナに帰還だ」
「俺たちも、いえ小官たちも隊長たちについて行きます!ガルガミシュ将軍、如何かお願い致します!」
カイとヴェルフの兵たち全員はウラドに頼み込み、カイとヴェルフは顔を見合わせ、カイが念を押した。
「言っておくが、これは懲罰人事だぞ。つまり俺たちについて行くということは、その後の出世が遅れること意味するのだぞ」
「構いません!」
ウラドが息を吐き出し、カイたち全員の肩を叩き、そして言った。
「卿らの覚悟はよく分かった。先ほども言ったが必ず現役に復帰させる。いい部下を持ったな、カイ、ヴェルフ」
「ガルガミシュ将軍にはご迷惑をお掛けしたばかりか、その様な温情まで頂くとは感謝の言葉も出ません」
そう言ったカイはウラドに敬礼を施した。それを見た全員も同じく敬礼を施す。
ここでカイが何か思い出したようにウラドに言った。
「将軍はそのままメルティアナ城に駐屯なさるのですか?」
「そうだ。ワロン将軍の軍はウェザールへ戻る。それが如何した?」
「侵攻前の自由時間にプラーキーナの貴族の荒れた邸宅を見ていたのですが、地下へ潜る怪しい者どもを見ました。灰白色の頭からすっぽり覆った外套を身に付けた者どもです。恐らく地下に眠る財宝目的でしょうが、それにしては何か怪しかったので、ご報告致します」
「分かった。旧皇宮の辺りの警備は強化しよう」
ホスワード帝国歴百五十三年十月十一日。バリスが領していた北カートハージは、ホスワード軍の支援の元、全州テヌーラの領する所となり、ホスワード支援軍は帰還の途に就いた。
だがカイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスとその部下たち二十人は、帰国の途に加わらず、そのまま東へ行きラニア州へ赴く。五カ月間そこで軍船の管理をしたら、次はイオカステ州でまた五カ月間馬牧場の設営に必要な調査だ。
恐らく一年近く前線勤務を解かれることになった訳だが、実はこの間にカイたちは、カイがウラドに最後に言った怪しい者どもと、異なる形で遭遇することになる。
第七章 南方戦役、そして怪しい影 了
そんな訳で、主人公たちにはちょっとした試練を与えてしまいました。
この試練を彼らがどうやって乗り越えていくのか?
いや、彼らなら明るく乗り越えていくことを期待しましょう!
2週間ごとのスパンで投稿してきましたが、次回以降の投稿は全体の構成等を詳細に詰める時間も欲しいので(おおよその話の流れや終わりは決まっています)、今後は3週間から4週間ほどお時間をいただくことになります。
もし5週間以上かかる場合は何らかの形でアナウンスしますので、ご了承ください。
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