第五章 朔風が吹き、塵埃の中に血風が舞う
第五章になります。ようやく戦闘シーンです!
投稿5回目で戦闘シーンをまともに書くなんて、本当に地味なお話ですね!
ただこれ以降は戦闘シーンはもちろん、様々な陰謀や宮廷劇、さらにはロマンスなども絡ませ、自分でできる限り派手な感じで進めていこうと思っています。
それでは第五章、よろしくお願いいたします。
第五章 朔風が吹き、塵埃の中に血風が舞う
1
ホスワード帝国歴百五十三年四月三十日、レムン・ニャセル、カイ・ミセーム、ヴェルフ・ヘルキオスは、バリス帝国とホスワード帝国の間を流れるボーンゼン河のバリス側の地に着いた。三人とも騎行である。川を渡ればホスワード領だ。
彼らは約一カ月間バリス帝国の首都ヒトリールで商売をしていた旅商人たちである。
対岸から馬が数頭は乗せられるほどの船がやってきた。
「ご苦労。では皆乗るぞ」
そう言って指揮を執るのはニャセルで三十半ばの中背の男である。二十代前半から半ばといった若い二人の随行人はその指揮を受ける。
若い男の一人で馬を乗せていく男がカイ・ミセームことカイ・ウブチュブクで、その背は二尺(二メートル)を軽く超え体格もそれに見合った厚みがあるが、余分な肉が削ぎ落とされているので、俊敏さも併せ持った印象を受ける。一件他者には恐ろしげな巨躯の男に見えるが、その顔は太陽のように輝く大きな明るい茶色の瞳が印象的で、まだどこか少年っぽさを残している。黒褐色の髪は短く刈っている。
荷物を載せ、船頭からその役を変わろうと、提案しているもう一人の若者ががヴェルフ・ヘルキオスで、その背丈はカイよりやや低いくらいで、同じく力強さと軽快さを併せ持った肉体を持っていることが服ごしでもわかる。やや縮れた黒髪はやはり短く刈っており、一見鋭いが黒褐色の瞳は時折いたずらっぽい光を宿す。真夏のことでもないのに、露わになっている顔や、袖を捲った腕の肌が日に焼けいるのも印象的である。
対岸に着くと、初めに船をバリス側へ航行してきた男が三人に特殊な形をした幼児の握りこぶし大の符を渡す。これがないと彼らが目指す城へは入れないのだ。
「さて、城に戻って将軍に報告だぞ!」
三人は荷物を持って徒歩で、この付近にあるホスワードの城塞であるバルカーン城へと向かった。
一刻半(一時間半)もせずに、バルカーン城に着き、さらに司令官室に三人は入っていた。室の主であるバルカーン城を含める西方総司令官の四十代後半のムラト・ラスウェイ将軍はニャセル、つまりホスワード軍の正規の士官であるレムン・ディリブラントの報告書を読んでいた。この報告書はヒトリール滞在時の最後の日に纏めたものである。そのような敵国の情勢を記した報告書を堂々と持ってこれたのは、台帳を大量に鞄の中に詰め込んでいたからだ。
いや、大量というほどではない。二十冊あるかないかだ。実は出発時は台帳を二百冊近くほど持って行ったのだ。だが、そのほとんどはヒトリールの民衆たちや他の地から来た商人たちに売ってしまったのである。
ディリブラントはラスウェイ将軍の副官を呼んだ。
「副官殿。こちらは売上金とその簿記になる。生産してくれた方々へ宜しく頼む。あと残りは三十冊以内なら、そのままこちらに贈与するという取引内容なので、残部はどうぞご自由に」
頼まれた副官はかなりの金額を渡されて驚いた。こちらの簿記もヒトリール滞在最終日に纏めたものだ。もっともこちらは商人ニャセルが日々売り上げを記帳していたものを纏めたものであるのだが。
ホスワードは様々な産業が盛んだが、その一つが製紙だ。紙はバリスでもテヌーラでも生産されているが、ホスワード製が一番品質が良いとの評判があり、バリスより西方の国々よく売れる。
またこのように台帳を作ったり、書いた後に消せることができる鉛で作った木の筆や各種の用途に応じた筆、様々な色の墨料も製造されている。これらも大陸諸国は手が出るほど欲しいものだ。
「つまりバリスはバルカーン城に侵攻してくる可能性は低いと見ていいんだな」
報告書を読み終えたラスウェイ将軍はディルブラントに確認をする。
「一・二カ月間の運用で最大二万と記しましたが、それ以上は決してありません。むしろ最小で見積もった一万と数千が妥当な数と思われます」
「卿らが出立して一週間後に、このバルカーンの騎兵五千と歩兵五千を即座に北方へ移動させる準備せよ、との命が下った。つまりこの城の守りは五千になるが、バリスのその一万と数千と対峙することになるのか。籠城戦なら確かに持ちこたえられるが…」
「恐らく、閣下が今言った約一万はここには派兵されないでしょう。大部分がテヌーラとの国境地域に赴くため、数千が来寇するか。あるいは全く来ないと思われます」
そう答えたのはラスウェイの副官である。彼はテヌーラに対してバリスへの軍事行動をこの報告書を基にホスワード帝国政府が公式に要請するつもりだと上司に意見した。
「つまり、我々が今すべきことはバリスは現状、一・二カ月間のみしか最大で二万、最小で一万の軍を国境付近にしか派遣できない財政状況だということ帝都へ報告し、この城塞の歩騎一万を北方の遠征軍に合流するために派兵をするということだな」
「はっ、左様です。閣下、即座にその旨を早馬にて帝都に知らせますが」
「頼む。それとウブチュブクもヘルキオスもよくやってくれた。卿らも今言った遠征軍に参加だ。歩兵の輜重兵としてだが、おそらく前線で戦う可能性も高いと思えよ」
カイとヴェルフは立ち上がって、敬礼して答えた。
「よし、ディリブラントも歩兵の大隊指揮官の補佐役をせよ。卿は北方の地理にも詳しいからな」
ディリブラントも立ち上がり敬礼した。彼は久々の前線勤務で流石に緊張を覚えた。
三人はそれぞれ宿舎にて本日は休憩してよいことを告げられ、それぞれの宿舎へ向かう。士官のディリブラントとは途中で別れた。去り際に彼は二人に声をかけた。
「私は戦士としてはあまり役に立たないが、情報を集めることに関しては、まぁ、このように自信はある。貴官たちは戦闘では大いに役立ちそうだし、もし私が危険な目に合いそうになったら助けてくれよな。何しろお前たちは私の護衛役なのだからな」
そう言って笑うディリブラントにカイは返答した。
「いえ、こちらこそ色々勉強になりました。改めて情報の大切さを学ばせて頂きました」
軍人の役割にも色々ある。ただ戦士として戦場で活躍できるだけでは駄目なのだ。後方の輜重の安定、正確な情報。これらがあって初めて戦士は活躍できる。この一カ月でカイは様々なことを学んだ。
宿舎に入り二人はカイが普段使用している二階の集合寝室で語り合った。ヴェルフから語りかける。
「それにしても目まぐるしい一カ月だったな」
「あぁ、だが二週間目でほぼ先ほど言った状況が判明したからな」
バリス帝国の首都ヒトリールに入り二人が行ったのは、商人に扮したディリブラントの護衛役である。商売自体の活気はあったが、ヒトリール全体は静かな感じがした。またこれは他の場所でも確認されたことだが、兵士や衛士の数があまり見られなかったこと、そしてこれが確実に情報として挙がったことだが、バリスは大量の兵を鉱山へ派遣しているということだった。
それは鉱山付近で諜報活動をしているホスワードの者による情報で、来たときは皆一様に作業服だったので、気にも留めなかったが、見る限り罪人風でもないし、異様に統制がとれていて、何より大量の数だった。そこでこの諜報員は作業服を着て古株の作業員に扮し、「何処から来て、何時まで働くんだ?」とそれとなく新規に来た作業員に聞き、「我々は兵だ。一時の財政立て直しの為に半年間ここで働くことになっているだけだ」、との回答を得たのだ。それは即座にヒトリールにいるディリブラントに伝えられた。
ヴェルフがまたも語りかける。内容は先ほど命じられた遠征に関してだ。
「つまりバリスの脅威がないから、ここの駐屯兵一万もエルキトへの遠征軍に参加するのか」
「俺たちは輜重兵だが、エルキトは平野が多いので、先ほど将軍が仰っていた様に戦闘中は後方で待機ではなく、軍と共に行動するということだろう」
「しかし歩兵としての参加とは如何いうことだ?それで強力なエルキトの騎兵に対抗できるのか?」
「それをお決めになられるのが、皇帝陛下を初め軍の中枢の方々だろう。わざわざ歩兵も派遣せよ、というのは既に策があるのかもしれんな」
2
ホスワード帝国の帝都ウェザールの西にある練兵場では、既に四月に入ると、騎兵三万、歩兵二万が集められ調練が行われた。騎兵の内、五千は弓を主武器とする軽騎兵で、残りの二万五千は重装備で長槍などを持った重騎兵である。騎兵の練兵は大将軍のヨギフ・ガルガミシュが担当したが、歩兵の担当はティル・ブローメルトが担当した。
ブローメルト自身は遠征軍自体には参加しないが、歩兵を千人単位に分け、その各指揮官たちにかなり大きな図面を出し熱心に指導している。この歩兵二万の総指揮官はウラド・ガルガミシュが任命された。ヨギフの息子で三十代後半といったところである。父の威光で将になったわけでなく、着実に軍功を上げ、三十歳の若さで将軍に任じられた人物である。父は大将軍であるが、周囲に対して父の威を出さず礼儀正しいので、軍部の重鎮の多くもこの若い将軍には好意的だった。
当然全体を総覧する立場として、ホスワード帝国第八代皇帝アムリートも練兵場にいた。
ザンビエたち後方の輜重を担当する面々も集められ、その数は五千に達した。
ホスワードの中央軍は八万だが残りの三万は予備兵として残す。
アムリートは短期決戦で決着をつけるつもりだが、仮に戦いが長期化した場合、この三万の兵も動員される予定であった。
そして時期は五月に入り。五月四日にバルカーン城から急使にて、例の報告はホスワード中枢部へ届いた。既にバルカーン城は元より、北にある城塞にも歩騎一万の準備をするよう連絡済みである。
翌日にはアムリートは西と北の城塞の歩騎其々一万ずつを、エルキト領内であるシェラルブク族の居住地に五月二十日までに集合させよ、との命を下した。シェラルブク族の居住地はホスワードのもっとも北西の州であるラテノグ州のやや東寄りの一番北側から、北東へ馬を飛ばせば半日で着く。練兵場に集結している歩騎五万も、次の日に二十日の到着を目指して当地に行くことが決定した。アムリートの親征である。
さらにアムリートは先ず自軍七万が同盟軍として貴国へ集結致す、との内容をシェラルブク族の族長への親書を書き、急使として派遣させる。続いて、先ほどのバルカーン城から来た報告書の内容を纏め、テヌーラへ五月の中頃より、バリスの国境を最長でも二カ月間、侵して欲しいとの親書を書き、これも急使にて派遣させた。
アムリートは忙しい。親征するので、政務のことは宰相デヤン・イェーラルクリチフに任せているが、先ほどの親書の様に今回の軍事行動に関する政治的な事案がある場合は、帝都にて午前中に処理し、そして練兵場へ向い、遠征の準備を確認する。それを皇宮や帝都の大通りで見ていた妻カーテリーナや妻の妹マグタレーナは、以前アムリートが言っていた「では、一緒に征旅に行くか」、に関して「私たちの出番は?」、となどということを、冗談でも言えない雰囲気を纏ったアムリートをただ心配そうに見ているだけである。マグタレーナことレナは内心でそれを本気で正式に言えずにいる自分と、この征旅に参加させてくれない義兄である皇帝と実の兄ラースに対して、歯がゆい思いをしていた。
大将軍ヨギフ・ガルガミシュも当然この遠征に参加するわけだが、主君アムリートを見て自身の若き日のことを思い出した。自身が高級士官になった時のことである。
当時の皇帝は第五代のフラート帝。ヨギフが高級士官に出世した時、フラート帝は中年をとうに過ぎていて、その為人も統治も温容で、まるで温かな父のように民や兵士に接していた。ところがヨギフの父によると若き日のフラート帝は快活で冗談が好きであったが、時に苛烈で、他者がうっかり軽口を叩けない怜悧さに満ち、近づき難い雰囲気を纏うこと度々だったという。今のアムリートがまさにそうだ。
明らかに四年前の雪辱を期そうという個人的な復讐心からきているが、そういった激情を強靭な理性で制御しているのが見て取れた。父が言っていた若き日のフラート帝とはこういった方だったのだろう、と思うヨギフであった。
アムリートの本隊五万の兵馬や物資は、帝都の北を流れるボーンゼン河に用意した大型の何百艘という船にすべて収容され、中央に三本足の鷲が配された緑の帆が上がり、兵士たちが櫂をこいで、河川や運河を伝って進軍した。全行程の八割以上はこの船上での移動だったので、シェラルブク族の居住地へは五月二十日の数日前に達した。この期間のみ移動に使用した河川や運河は事前に商用などの民間が使用することを禁じていた。これらも軍事行動に関する政治や経済的な事案なので、アムリート自身が事前に帝都にて処理したことでもある。
程無く北と西の城塞からのそれぞれ一万の兵も到達したので、二十日には三万の部族であるシェラルブク族の居住地の人口は十万を超えた。
この時点で族長デギリ・シェラルブクはエルキトの中枢部に、エルキト帝国からの離脱とホスワード帝国へ帰属する絶縁状を出し、ホスワードの同盟軍と共にエルキト中枢部の動きを注視することになった。
以前よりそのことは匂わせていたので、エルキトが即座の動員で討伐隊を差し向けることは確実と思われる。故に同盟軍は協議を何度も重ねた。特にエルキトの詳細な地理をシェラルブク族はホスワードに提供した。
エルキトの中核部族名はそのままエルキトで、正確にはエルキト語で「偉大な」をつけて、「ルアンティ・エルキト」、と名乗っていた。ルアンティ・エルキトは自分たちと各諸部族に集合をかけ、シェラルブク族とホスワードの同盟軍の討伐へ向かった。
シェラルブク族の居住地に向かう、その総勢は八万である。七万は軽騎兵で、残りの一万は重騎兵である。総指揮を執るのはエルキトの皇帝である、バタル・ルアンティ・エルキト。歳は四十代前半で、即位して十五年以上経つ。四年前のバリスとの共同作戦でも陣頭に立ち六万の騎兵で以て、ホスワード軍を蹂躙した男である。彼は偵騎を差し向け、その情報を待った。この時、五月二十五日の昼である。
帰ってきた偵騎の情報を聞いて、バタルは驚いた。何と相手も全軍騎兵でホスワードが四万、シェラルブク族が一万という数で、まるで騎兵による正面決戦を挑むように展開しているという事である。
「何か裏がある」、と思いつつも、広大な平野でその数で待ち構えているというのなら、こちらは数でそのまま押し込んでやろう、とバタルは判断し、全軍にそのまま敵軍への進撃を命じた。但し気になる情報としてホスワードの四万の内、三万は重装備をした重騎兵だということである。重騎兵の数だけなら此方の方が少ない。相手は騎兵による接近戦に持ち込もうという腹か、とバタルは思った。
だがそれなら此方側でも戦い方があると、バタルは心中に様々に状況を巡らして進撃の指揮を執っていた。
エルキトの旌旗は黄土色で中央に銀色の狼の意匠が施されている。エルキトの軍装も黄土色で統一されていて、軽騎兵はその上に皮の帽子と鎧を身に付けているだけである。
バルカーン城から歩騎一万がシェラルブクへ出発したのは五月十日。既に四月の中ごろ頃から準備をしていたので、進軍は順調だった。騎兵は五千全てが重騎兵で、全軍の総司令官であるムラト・ラスウェイ将軍が統率する。歩兵五千は事前に輜重兵も合わせて千人単位で分けよ、との通達が出たいたので、五部隊にて進軍する。
カイとヴェルフは同じ歩兵部隊に輜重兵として配属され、その部隊の指揮官の補佐役として、ディリブラントも配属されていた。
十九日には目的地に全軍が到着した。皇帝の侍従武官で副官も兼務するラース・ブローメルト因り、重騎兵は皇帝の本隊に、歩兵はウラド・ガルガミシュ将軍の指揮下に入ることを通達された。
これは同日に到着した北方の城塞から来た軽騎兵五千と歩兵五千も同様だった。
五月二十一日。ホスワードの全歩兵三万は千人からなる三十の部隊に分けられ、その日の夜陰にエルキト領内の奥深くに入り、それぞれ各所にて、待機することが歩兵部隊総司令官ウラド・ガルガミシュ将軍より命じられた。
各指揮官は二十九人。つまり残りの一千の部隊はウラド自身が率い、彼の部隊が一番の北の奥地へ侵攻する。出発前に彼は二十九人の指揮官を集めて、作戦の子細な指示をしていた。
各部隊とも詳細な地図を渡され、各部隊用に待機場所に印が点いている。カイとヴェルフの部隊はかなり北の方へ向かうが、進軍には途中エルキトの部隊に見つからぬように、との通達が出されていたので、数名が進路を先に進み偵察し、安全が確認されたら進んでいった。当然旗は掲げない。故に夜半に、それもほとんど松明も点けずに移動することがほとんどで、この詳細な地図がなければ、何処とも知れぬ地に迷い込んでしまったであろう。
そしてカイたちの部隊は駐屯することを命じられた所に着くと、輜重車を壁のように並べて、その背後にて待機した。このようにエルキト領内の各地に三十のホスワード歩兵の部隊が密かに配置された。
まだ正規の兵でないカイとヴェルフは革製の帽子と手袋と靴、灰色がかった緑の軍装の上に首から腿のあたりまで届く鎖帷子を着込み、腰には短剣、手には長く太い木の槍を持っているだけである。
正規の兵の軍装はそれらに加えて鉄製の兜、胸に鉄製の胸甲、手袋も靴も鉄で各所を補強されたものを身に付けている。さらに腰には短剣でなく長剣を、手には長さや太さでは劣るが鉄製の槍を持っている。
北風が強く吹いている。五月二十六日の昼だが、この時期エルキトの北部はまだ冬なのでは、と思うほど風が冷たい。晴れてはいるが空には雲が多く、さらに砂塵が空中を舞い太陽の光さらに弱めている。待機しているカイたちは何もしなくても、降り落ちてくる砂塵で汚れていった。いったい本隊は如何しているのだろう、とカイは思っていたが、実はこの日の早朝に既にシェラルブクではエルキトの討伐軍とホスワードとシェラルブクの同盟軍が正面から激突していた。
3
エルキトの七万の軽騎兵が皇帝バタルの命により、突進して矢を浴びせる。それに対して前面にいたホスワードとシェラルブクの同盟軍の軽騎兵二万もその矢の中に怯むことなく突進して矢を浴びせる。
シェラルブクの一万の軽騎兵は、ホスワードの同盟軍であることを表すために、全員が頭に緑の布を巻き、首に緑の首巻をしている。
両軍の軽騎兵がちょうどほぼ接近し、ぶつかり合うと思われたその直前、ちょうど一万ずつである同盟軍の軽騎兵はそのまま左右へと分かれていき、エルキトの軽騎兵七万に同盟軍二万の軽騎兵の背後にいたホスワードの重騎兵三万が突撃を敢行した。
数こそ倍以上だが、接近戦となると、馬も人も重装備をし、手に持つ武器もすべて鉄製の槍や斧や鎚矛なので、エルキトの軽装備の兵士たちは少しでも当たれば致命傷となる。また単にこのような重武装の人馬が突進するだけでも、軽装の馬はよろめき倒れ、鞍上の兵士は投げ出され、馬蹄に踏みにじられる。
皇帝アムリートも周囲を侍従武官ラース・ブローメルトが率いる近衛隊に守られながら、この重騎兵の中にいて全体の指揮を執っている。時には自ら剣でもってエルキトの兵を切って捨てる。この時皇帝の幕舎は大将軍ヨギフ・ガルガミシュとシェラルブク族の族長デギリが数百人で守り、陣営全体はザンビエたち輜重兵五千が守っている。
皇帝と近衛隊百五十名は白を基調とした軍装に白銀の鎧を身に付け、彼らの騎乗している馬の装備も白銀だ。そして長大な剣を振るうので、戦場では大いに目立つ。いや、目立ち兵士たちを大いに鼓舞するためにこのような派手ないでたちをしているようなものだ。
そこでエルキト側の後方で大きな角笛の音がなった。退却の合図で、エルキトの軽騎兵たちは進路を変え退却していく、当然それをホスワードの重騎兵は追うが、そこにエルキトの重騎兵一万が立ちはだかった。指揮は皇帝バタル・ルアンティ・エルキト自らが取っている。
三万の兵に対して一万の兵で挑むのは勇敢とも言えたが、これは時間稼ぎだった。軽騎兵が次々に離脱していくのを確認すると、バタル自身もこの一万の重騎兵を引き返し、退却を図った。
「追撃だ!このまま逃がすな!」
アムリートの指示の元、まず二手に分かれ一時戦場から離れていた、同盟軍の軽騎兵二万が先頭になって追う。
いつの間にかエルキトの最後尾は軽騎兵になっていて、彼らは矢を浴びせてくる。そのため同盟軍の追撃は一旦止まる。だがまた逃げ出して行くので、同盟軍は追撃を始めた。
このころバタルは自身が率いる重騎兵から三千を割き、迂回させ、最初の戦闘場所へ向かわせた。ホスワードの輜重隊五千を留めて置く為である。
北へと、それはほぼ進撃してきた道をエルキトは一目散に逃げている。いや、正確には中途で止まり矢を浴びせ、同盟軍を足止めしてはまた逃げていく。
そう、エルキトの目的は同盟軍の後方を完全に切り離し、遠方まで同盟軍を吊り出し、補給の続かぬ地にて、包囲殲滅を狙っているのだ。
北風に舞う砂塵以外の砂煙が南からやってくるのをカイは察知した。約四半里(二百五十メートル)離れたところで、エルキトの騎馬隊が北を目指して疾走しているのだ。時刻は十六の刻(午後四時)を過ぎている。
「まだだ。我々が姿を現すのは、すぐ北にいる部隊から狼煙が上がってからだ。狼煙の用意はできているな」
この隊の指揮官が命ずる。そして十七の刻になった時、すぐ北にいる部隊からの狼煙が上がった、それが総攻撃の合図なのだ。そして指揮官が、狼煙を上げることと、いまだ続く北へ疾走する騎馬隊への攻撃を命じた。既に五千以上の騎馬隊は北へ過ぎて行った後である。
つまり一番北にいる部隊である、ウラド・ガルガミシュ将軍の部隊が最初に狼煙を上げ、それをすぐ真南にいる部隊が確認して狼煙を上げる。このように狼煙が連鎖して三十の伏せていた部隊はほぼ同時にエルキトの騎兵隊の其々の各所への攻撃を加えることになった。
各所で並べた輜重車の後ろや窪んだ土地の中に伏せていた、三十に分かれた歩兵部隊がほぼ同時に北へ疾走するエルキトの騎兵隊への近接を敢行した。三十尺(三十メートル)付近まで近づくと、まず弩兵が矢を放つ準備をし、その他は通常の弓を持ったもの、石つぶてを持ったものが揃う。これは全部隊とも同じ構成で、それぞれは百名ずつだ。他の七百名はそうした投擲部隊を守るように位置取っている。そしてまず弩の斉射が始まり、弓や投石の斉射も開始される。
そして全ての矢や石を打ち投げ尽くすと、全軍そのまま鬨の声を上げて突撃し、槍を構え完全に近接し騎乗したエルキト兵を突き刺そうとするか、あるいは執拗に馬の脚を狙う。この時点で既に一斉射撃により、エルキトの騎兵隊は混乱をきたしていた。騎手が弩矢にて撃ち落された馬が暴れ、他の騎兵を巻き込む。また馬の脚に石が命中し馬が暴れて、これも他の騎兵を巻き込む。そんな状態の中でこの突撃は敢行された。
若しこれを上空から見れば一匹の長い蛇が、三十カ所からによる蟻の群れによる攻撃を受けているように見えただろう。
エルキトの兵士たちは動揺した。この蟻たちを無視して、そのまま北へ奔るべきか、それとも駆逐するべきか、エルキトの各部隊指揮官は如何すればいいか躊躇した。そしてその判断の遅れが致命的となった。混乱の始まりで、長大な蛇はいいように蟻に各所を食いちぎられた。
カイは長大な木の槍を振り回す。かなりの太さで、それゆえ重量があるが、まるでそこらで拾い上げた木の枝を振り回すように、騎乗の敵兵目掛けて打ち据えるので、次々に落馬する者が続出した。
エルキトの軽騎兵の接近戦用の武器は腰の剣である。だがカイは振り下ろされるその剣を木の槍で弾き飛ばし、即座に相手の武器を無くす。そして無情な一撃を叩き込んでいく。
顔面に当てられたものは顔が原形ととどめず、歯は数本砕け、血まみれで馬から投げ出され倒れる。腕に当てられたものは、ありえない方向に折られた腕の激痛で絶叫の叫び声を発して、落馬して地にのた打ち回る。腹部に当てられたものも落馬して、地面に転がり嘔吐が止まらない物や、呼吸ができず苦しむ者もいる。幸いにもカイの打撃で体勢を崩して落馬しただけで済んだ者は、即座に立ち上がろうとするが、それに気づいたカイは蹴り飛ばすか、槍を顔面を目掛けて突くか、あるいは振り払い、立ち上がれない状態に直ぐにする。そしてそれに気づいた短剣を持った他のホスワードの兵たちが、地に伏している落馬したエルキトの兵たちの首や胸を刺して絶息させる。
カイは何十人とエルキト兵を戦闘不能にしていった。
エルキトの騎兵がこの危険人物を目掛けて矢を放とうとした。それを見たヴェルフはこの同じ長大な木の槍を凄まじい勢いで投げ、見事にカイを弓で狙っていた騎兵の顔面に命中させ、落馬させることに成功する。落馬したこの騎兵の顔面は目も当てられない程に血まみれで拉げ、四肢がぴくぴく動いたまま倒れている。
「すまん!ヴェルフ!」
「はん!こんなの魚に銛を打つよりも簡単さ!」
カイは即座にヴェルフの槍を拾い上げ、それをヴェルフに投げ返し、ヴェルフもまるで木の枝を取るように片手であっさりと掴む。そしてヴェルフもカイ同様に騎乗の敵兵を次々に戦闘不能にしていく。
他のホスワードの兵でこの木の槍を、このように馬上にいる相手目掛けて振り回したり、投げたりできるものはまずいない。馬上から振り下ろされる剣に脅えながら、彼らは基本に忠実に馬の脚を払うことに専念していた。
ディリブラントは呆気にとられてこの二人を見ていた。指揮官も感心して彼に問い質す。ディリブラントが約一カ月間この二人の巨躯の若者と行動を共にしていたことを聞いていたからだ。
「あの二人は何者なんだ?あんな勇士が我が軍にいたとは…」
「いや、私もまさかこれほどまでとは…」
「彼らは輜重兵だぞ!士官である我々が前面に立たず何とする!皆の者あの二人に後れを取るな!」
そう言って指揮官も鉄の槍を構え、エルキトの騎兵隊に突撃していった。ディリブラントも覚悟を決めて突撃する。
そして後方から来たホスワードとシェラルブクの同盟軍である騎兵隊が、次々に各地で混乱しているエルキトの騎兵隊を各個に粉砕していく。長大な蛇は蟻による浸食で、散り散りになったところを背後から来た猛禽にさらに食い荒らされている、という状況だった。そして遂に蛇の形を成さなくなっていった。
「いったい何が起こっているんだ!」
エルキト皇帝バタル・ルアンティ・エルキトはそう叫ばずにはいられなかった。そして即座に現状を知った。四年前の意趣返しなのか、ホスワードはエルキトの地を徹底的に調べあげて、こちらの偽退路を想定して事前に伏兵を敷いていたのだ!
「あの小僧!よくもやってくれたな!」
ただただアムリートに対する怒りの声を叫び、バタルは根拠地へと偽退ではなく、本当に逃げていく。
主君が逃げていくのを見て、散り散りのエルキト軍もそれに続いて逃げて行った。
しかしアムリートに油断はない。皇帝副官でもあるラースに次のような指令を出した。
「逃げていくものは追わずに全歩兵には撤収して、一カ所に集まることをウラド・ガルガミシュに伝えよ。そして騎兵隊は残ったエルキトの兵をヨギフ・ガルガミシュと挟み撃ちにする」
バタルがホスワードの後方を扼するために残した三千の重騎兵の殲滅を、アムリートは敢行しようというのだ。
カイは逃げていくエルキトの兵を追おうとしたが、指揮官がそれを止める。もう夜半に入っているので、迷ってしまう危険性もある。指揮官は相手が完全に戦意を無くし逃げていくことを、長年の戦場での経験から判断できた。
「皆の者、追わずともよい。恐らく正式に其の指示が来るはずだ。其れより全員戻って怪我人の手当てだ」
こうしてカイの所属している部隊の全員は、最初に待機していた輜重車の後ろに戻って行った。夜に入っているので篝火が焚かれている。
ディリブラントは深手ではないが、左腕を切られ治療を受けている。彼は戻ってきたカイとヴェルフを見て仰天した。二人とも全身鮮血に塗れている。
「おい、お前たち。大丈夫なのか!」
「痛みや、出血しているところはありません。全て敵兵の返り血のようです」
そうカイは平然と言い、ディリブラントはさらに驚いた。
この日、カイは興奮からなのかどうか自分でも分からなかったが、寝付けないと思って、指揮官に夜通しの見張り役を志願した。指揮官は「休んだ方がいい」と言ったが、ヴェルフも共に見張りを買って出たため、結局この二人と数名の輜重兵が見張りをした。カイもヴェルフも夜が明けるまで一言も発せず、ただただ見張りを続けていた。
二十七日の早朝、残っていたエルキトの三千の重騎兵はほぼ抵抗なく、黄土色で中央に銀色の狼の意匠が施されている旗を各自捨てて降伏を選んだ。アムリートは武器と装備と馬を取り上げ捕虜とせず、そのまま故郷への帰還を許した。これは寛容さからではなく、猜疑心が強く、厳格を通り越して、時に残忍と評されるバタルが馬と装備を全て取られ、無傷で帰還した兵たちを如何扱うか。それを考えれば、北方の地は暫しの安定を見るであろう。バタルはこれからかなり長期にわたって、エルキト国内での自身の権威の回復と維持に努めなければならず、外征などを行うゆとりなどは無くなる。
こうしてシェラルブク族はホスワードに帰属することが決まった。厳密には自治領という扱いで、ホスワードは北方の防備と馬の供給をシェラルブク族に頼む一方、シェラルブク族に大量の物資を対価として毎年贈与することが決まった。
念を押し、偵騎や偵察兵が三日間、周辺地域を確認し、エルキト側の動きがないことを確認する。そしてこの頃にはウラド・ガルガミシュが各地に配されていた歩兵を全て収容して本陣に戻ってきていた為、五月三十日の昼に祝勝の儀がホスワード遠征軍の陣営を中心にして執り行われた。
4
まず全員で勝ち鬨をあげて、祝勝のための食事と酒が準備される。準備してくれるのはホスワードの本陣の輜重兵たちと、戦闘に参加しなかったシェラルブク族の女性たちである。
聞くところによると、戦闘に参加したシェラルブク族はすべて健康な十八歳から五十五歳の男たちで、成人以上の女性たちは後方にて幼少の者、老人たち、病気や負傷しているものを守るように全員騎乗し弓を手にして戦闘態勢を取っていたという。そこで彼女たちは戦闘に参加した自分たちの父や夫や兄や弟や息子たちが、安心して戦えるように部族を守っていたのだ。
羊が何千と丸焼きにされ、その肉が丁寧に切り分けられたものを、シェラルブク族の女性からカイは受け取った。馬乳酒や西方からの交易で得た彼らには貴重な葡萄酒も大いに振る舞われた。
暫しカイは飲み食いに専念する。四日前の夕方から夜半にかけて、カイは何十人、いや百人以上のエルキトの兵を戦闘不能にした。その内の二割程は即死で、残った者も半分近くが程無くして命を落としたと聞いている。食べながらカイは父の最期の言葉を思い出していた。
「俺は数多くの人間を殺してきた。そんな俺が家族に看取られ死のうとしている。これが幸福と言わずして何と言うのか」
自分も大量の人殺しの道を歩んでいる。相手が全て武器を持った者なので、こちらが無抵抗なら、即座に殺される場だ。そしてこの道は力なき民衆を一人でも多く守るための道でもある。
しかしそれは相手にとっても同じことなので、だからこそ自分も何時かは父と同じ様な目に合うのかもしれない。父が日々言っていた「軍はお前が思っているようなものではない」、という言葉を去年志願兵として入ってから、一番強く感じた日々であった。
隣に座るヴェルフもまた黙々と飲み食いに専念している。
遠くではシェラルブク族の人々が独特な洋琵琶や擦弦楽器、そして打楽器を使って演奏し、それに合わせて独特な歌や踊りをしている。ホスワードの兵たちも混じってぎこちなく踊っている者もいるようだ。所々で嬌声も聞こえる。
「こちらです。陛下」
カイはディリブラントの声が聞こえたので、即座に飲み食いを止め、顔を上げた。そして隣にいて気付かないヴェルフに肘をぶつけて合図をする。
カイとヴェルフは食べ物や酒の入った木の器を置き、立ち上がり敬礼を施す。
アムリートとガルガミシュ親子とラースとラスウェイが、自身が所属していた歩兵隊の指揮官とディリブラントの案内で現れた。
「久しいな。カイ、ヴェルフ。戦場では素晴らしい活躍だったと聞いている」
皇帝は二人に声をかけ、座り飲み食いを続けることを進める。
「大した男たちです。臣はこれまで数多くの兵士を指揮してきましたが、これほどの勇士は初めて目にしました」
「バリスの諜報でも、この二人には色々助けてもらいました。戦場だけではなく、様々な任ができる逸材だと思います」
指揮官とディリブラントの言葉である。
「追って正式にラスウェイから通達があるだろうが、二人は小隊指揮官だ。士官は中隊指揮官からだから、その手前の下士官といったところだな」
軍に入って、一年とせず、カイとヴェルフは昇級を約束された。それも一般兵を飛び越え、一番の最底辺とはいえ指揮官だ!
「それと恩賞も出るが、ヴェルフ・ヘルキオス。おそらく卿の望む額に達すると思うが、如何する?」
皇帝はヴェルフの船の修繕の話を覚えていたのだ。カイはそれを聞いて動揺した。まさかヴェルフとここで異なる道を歩むということになるのか…。
「陛下、この釣りしか能のない端武者に昇級などありがたきお言葉です。船の件ですが、漁師は四十・五十になってからでもできるので、暫くはお国のために微細ながら、この力を尽くしたく思います」
この言葉に誰よりも喜んだのは隣りのカイであった。
そして周りを見ると兵たちも集まっている。これらの中には、カイやヴェルフがエルキトの騎兵を百人以上打ち据えたことを実際に見た者たちもいる。そんな中の兵の一人がカイに言った。
「おい、お前の名を教えてくれよ!出身は何処だ?」
「えっ、俺は…」
カイは姓名を名乗るのを躊躇った。ここで「ウブチュブク」という姓が出れば、さらに大騒ぎだ。「英雄の息子!」、との唱和が永遠に続くことを想像して、口籠ってしまった。
「こいつはカイ・ミセーム。ムヒルの出身だ」
ヴェルフが咄嗟に機転を利かせてカイを紹介した。確かに間違ってはいない。
それを見ていたヨギフ・ガルガミシュが叫ぶ。
「よしっ、カイ・ミセームとヴェルフ・ヘルキオスの昇級に乾杯だ!」
ヨギフはカイにそっと耳打ちする。
「そういえば、お前の母マイエの姓はミセームといったな。暫くは母の姓を使うのか?」
「そういう訳ではないのですが、士官になったら正々堂々と父の姓を名乗ります」
「まぁ、その方が色々面倒がなくてよいかもな」
宴は夜遅くまで続けられ、カイとヴェルフを初めほとんどの兵は幕舎で就寝した。後片付けをした本陣の輜重兵たちが見張りをする。
翌日、ホスワード軍は順次それぞれ帰還することになった。まず北の城塞から来た歩騎一万が帰還する。これから彼らは特にシェラルブク族と連絡を密にとって北方の守りをより強固にしなければならない。
昼ごろ、カイとヴェルフはラース・ブローメルトが遣わした一人の近衛兵によって、皇帝の幕舎へ赴くようにと告げられた。
「まさか、揃って近衛隊に入れられるのかな?」
ヴェルフはそう言ったが、カイは何故呼ばれるのか皆目見当もつかない。それよりこの日の午後より、バルカーン城から来たものも全軍帰還する予定である。
皇帝の幕舎には当然アムリートとラースがいたが、ラスウェイ将軍がいたことが意外だった。帰還の準備をしているものと思っていたからだ。
「すまぬ。卿らは程無くバルカーン城へ帰還する予定だが、カイとヴェルフに頼みというか、要請がある」
そう前置きして、アムリートは語り始めた。
この戦いを勝利に導いた要因の一つに他国、つまりバリス帝国を介入させなかったことが挙げられるが、実はバリスが介入できなかったのは、今現在南方の国境付近で南のテヌーラ帝国と交戦中だからである。
交戦といっても睨み合いに近いらしく、今シェラルブク領内にいるホスワード軍がすべて自国に帰還したら、テヌーラも自国に帰還する手はずになっている。
ところがこれには条約が結ばれており、テヌーラが本格的にバリスの領土を奪う行動に出る時、ホスワードは最大限の軍事援助をするというものだ。
「恐らく年内の終わりごろか、来年早々になるか、まだ確定はしていないが、本国に予備兵として置いてある三万の軍をその援軍に使おうと思っている。ただそれだけではまだ少し心もとないので、今回の戦いで活躍した者たち千名ほどを派遣しようと思っている」
「ヴェルフ・ヘルキオス。卿は操船が巧みだと聞いている。南方の戦いは船を使用することが多い。それにカイとの呼吸も合っている。故に卿らには南方へ行って欲しいという、陛下の頼みなのだ」
ラスウェイが補足した。二人はバルカーン城に所属しているため、離れるとなるとラスウェイの許可が必要となる。故にラスウェイも幕舎に呼ばれていたのだ。
「この命が正式に出されるのは、恐らく夏の終わりか秋頃になると思うが、バルカーン城から卿ら二人を含む各隊長が率いる数百人の兵を南方へ送るつもりだ」
「如何だ。突然ですまぬが、頼まれてくれるか?」
ラスウェイの言葉続けて、アムリートが確認の言葉を投げかける。
「謹んで、拝命いたします!」
カイとヴェルフは姿勢を正し敬礼をして了承の言を発した。
「では、もう帰還の準備をせよ。ラスウェイもこの二人が率いる兵の人選、および南方の派遣軍の選定を宜しく頼むぞ」
ラスウェイも敬礼して三者は皇帝の幕舎を退出し、帰還の準備へ取りかかった。
カイとヴェルフはバルカーン城から来た集団の中に入ると、即座に様々な荷物を纏め帰還準備の作業に入った。
それを見ていたラスウェイは心の中で感心する。正式な辞令はまだだが、既に皇帝陛下直々に二人は下士官とされているのだ。このような輜重兵や一般兵がやる作業を、本来はやらなくてもよい身分である。
しかし、それに驕らず、現時点での階級における役割を何の文句の垂れずに、当然のように行う。
「なるほど、確かにこの二人は逸材かもしれない。そう遠くない内に兵に愛される偉大な大隊指揮官となるであろう。特にカイは父であるガリン・ウブチュブクのような…」
将軍の傍に来た、左腕に包帯を巻いたディリブラントが言う。
「残念ですな。そう遠くない内にあの二人はバルカーン城を離れて、別の任地に赴くのでしょう?」
ラスウェイとディリブラントは黙々と帰還の準備をする二人の大男を見て、一抹の寂しさを感じていた。
5
ホスワード帝国歴百五十三年六月十一日。バルカーン城にラスウェイ将軍率いる遠征軍が帰還した。
出発時と比して、約一割以上の犠牲者を出したが、既に城では勝利の報告は届いていたので、城に残った者たちは歓声をもって迎えた。ちなみのこの間バリスからバルカーン城への攻撃は一切なかった。
城内に全将兵が全て入ると、城内の一番広い場所にてラスウェイ将軍と高級士官の元、論功行賞がそのまま行われた。
輜重兵から一般兵に格上げされるもの、小隊指揮官から中隊指揮官に格上げされるもの、様々な額の恩賞が各自の活躍に応じて貰える。
「カイ・ミセーム!ヴェルフ・ヘルキオス!両人を本日付で小隊指揮官に任ずる!それとこれは報奨金だ」
周囲から、「おぉ!」、とざわつきの声が出る。任じられた二人が若く、そして見事な偉丈夫であること、また何人かはカイの実の姓は「ウブチュブク」であり、あの無敵将軍ガリン・ウブチュブクの息子であることを知っていた。帰還中にカイはラスウェイ将軍に暫くは自分は母の姓である「ミセーム」を名乗りたいことを伝えていた。承知したラスウェイは早馬をバルカーン城に飛ばし、バルカーンの役人にカイの姓の変更の手続きを取らせていた。
報奨金を確認したヴェルフは満足そうに頷く。それは彼の船の修繕に十分に達する料だったからだ。また小隊指揮官なので、普段の俸禄も格段に上がる。
待遇が変わるのはこれだけではない。一通りの論功行賞が終わるころ、ほぼ左腕が完治したレムン・ディリブラントが二人の前に現れ、現在バルカーン城で寝食に使用している建物から、自分たちの荷物を纏めるようにと言われた。つまり居住場所が変わるのである。
更に役人もやってきて、引っ越しが終わったら二人の体の採寸を願い出た。今着ている灰色がかった緑色の軍装から、緑の軍装に変更になるのだが、予備に二人の体に合うものはないので、職員に新規に作らせるというのだ。
このようにバルカーン城の職員には衣装の製作や、鍛冶屋などの専門的な作業をする者たちもいる。
突然慌ただしくなった二人はまず荷物を纏めて、ディリブラントの案内で、下士官用の居住場所に連れていかれた。建物自体は今まで使用していた四階建てで同じ大きさだったが、内部は千人が寝床にしていたあの建物と違い、ここでは二百人程が寝床に使用している。二階以上が寝所ですべて四人部屋だ。また一階には、食堂と浴場以外に十人以上が談話できる会議室が幾つかある。
カイとヴェルフは同じ四人部屋に案内された。空き室らしく、他の同居人はいない。何より床が二人の巨躯を納めるのに十分な大きさだったことに安心した。またそれぞれの床の脇には書き物ができる机と椅子があり、カイはさっそく落ち着いたら、ここで実家への手紙を書こうと思った。その直前に書いた手紙はバリスでの諜報活動から帰ってきた直後で、エルキトへの軍事遠征参加の件は家族を心配させるのでは思い、あえて書かないでいたのだ。
採寸も終わり、さらに自分たち専用の剣と槍と弓も支給される。二月に支給された短剣は副武器としてそのまま携帯してもよいと言われた。そして鉄兜や鉄の胸甲や手足のこれも鉄で補強された靴と小手も軍装と一緒に一週間以内に揃えます、と役人は丁寧に言った。二人が改めて新たな居住場所へ赴くと、ディリブラントがいた。少し話がしたいという。
話し合いは一階の会議室で行われた。ちなみに士官も高級士官も同じような建物に居住しているが、士官は二人部屋、高級士官は一人部屋だという。
「話というのは、他でもない。暫くは我々はここバルカーン城にいるが、恐らく秋頃に貴官たちは南へ、私はまたヒトリールへの諜報に戻るからな。その間それぞれ準備があって城内にいても世間話などできないから、この機会に色々と雑談をしたいと思っただけだよ」
「以前から思っていたのですが、ディリブラント殿はどうやって士官まで昇進されたのです?中隊指揮官とかではありませんよね」
「おい、ヴェルフ!失礼だろ」
「いや構わんよ。そういったことを話したいと思って、この席を設けたのだ。私は帝都ウェザールの出身でな。実家は食堂兼宿屋をやっている。そこの次男坊として生まれ、学院を出る十八歳頃まではよく家の手伝いをしていた」
跡取りでないディリブラントは有料の学院を出た後、受けた役人試験に奇跡的に受かり役人の道へと入ったのだが、合格基準にギリギリで受かった彼は役人としての昇進の道はないと見切りをつけ、二十代半ばで軍籍へ転じた。役人が軍に異動する際は三カ月間の簡易な調練だけでよく、最下級の役人でも、いきなり下士官の地位に就ける。こういった役人出身の軍関係者は軍官僚や情報員、そして従軍時には参軍として指揮官の補佐をすることが多いらしい。
ディリブラントは情報収集の才を見込まれ、三十一歳の時に士官になり、現在に至っている。
「因みに士官に昇進した場合は、登録がウェザールの兵部省(国防省)に直に赴いてしなければならないので、昇進の際には是非ともウェザールにある私の実家の宿屋に泊ってほしい」
常に商魂逞しいディリブラントに二人は笑ったが、その件は了承した。宿の名前は「ニャセル亭」というので直ぐに分かるだろうと彼は補足した。ニャセルとしてディリブラントはまたヒトリールへ赴く。次は長期滞在なので、秋頃まで様々な商品を用意する予定だと言い、二人に其々固い握手をしながら別れの挨拶をして、この下士官用の建物から退出した。
翌日よりカイとヴェルフは城内任務から解放され、主に城内にある訓練場所で武芸の調練に汗を流した。天気の悪い日には読書をする。下士官用の例の会議室には少ないながらも書物がある。最もその大半は軍事関係の本だが、二人はそこに書かれた様々な軍事についての理論を熟読した。ヴェルフは文字の読み書きはできるが、十三歳から入れる有料の学院を出ていないので、読んでも理解ができない難しい文章表現や独特な用語などを学院を出ているカイにしばしば質問をした。
そうして二週間後、新たな軍装も既に揃い。カイとヴェルフはラスウェイの副官から城内の訓練場所に呼ばれた。そこには副官と二十人の兵たちがいる。
「カイ・ミセーム。ヴェルフ・ヘルキオス。彼らはそれぞれ十名ずつが貴官たちが直接率いる兵となる。以降、彼らの指揮と調練は貴官たちに任せたぞ」
そうすると二十名の兵たちは一斉にカイとヴェルフに敬礼を施した。よく見ると殆どがあのエルキトの遠征軍に参加した者たちで、見知った顔もある。年齢は全員二十代前半から二十代後半といったくらいだ。
ホスワード帝国歴百五十三年六月二十五日。カイとヴェルフは部下を持つ身分にまでなった。志願兵として調練を始めてから、まだ一年と経っていない。おそらく秋ごろに南部への異動が出されるので、その間彼らを指導し訓練をしなければならない。それだけでなく、人の上に立つ身としての人心掌握の手腕も試される。これが優れていないと、どんなに戦場で勇士であってもそれ以上の昇進はないからだ。部下を指導するという新たな任務と南方で行われるであろう会戦を思い、改めて己の身を引き締めるカイ・ウブチュブクであった。
第五章 朔風が吹き、塵埃の中に血風が舞う 了
という訳で、ようやく戦闘シーンが書けました。
これでようやくスタートを切った気分です。
このようにのんびりとしたテンポでありますが、お付き合いしてくださる方には、感謝しかありません。
今後とも、このスローな物語をよろしくお願いいたします。
【読んで下さった方へ】
・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。
・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。
・誤字脱字や表現のおかしなところの指摘も歓迎です。
・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。