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第四十四章 大海は洋洋と (最終章)

 最終回です!

 これで終わりです。

 エピローグ的な話なので、ただの箇条書きになっていますが、そこはご容赦を。

第四十四章 大海は洋洋と (最終章)



 カイ・ウブチュブクが死去したのは、ホスワード帝国歴百六十五年の六月三日。

 この十三年前の六月十日にカイの父、ガリン・ウブチュブクが五十三歳で死去していた。

 そして、来月の七月十五日で、カイは三十三歳に為る若さでの死去だ。

 死因は六年前の戦傷の影響で、日々が経つ連れ、彼の身体は蝕まれて行ったのだが、死の直前まで、彼は通常の生活を送っていた。

 其の死も、体調の異変を感じ取り、死期が近いと察すると、周囲の親族との別れを告げてから、律儀にこの世を去った。

 介護も殆ど必要とせず、この六年間、彼は愛する妻マグタレーナことレナと、娘のフレーデラことエラと共に、安らぎの日々を過ごしていた。

 カイが死去した場所は、カリーフ村のウブチュブク邸での、曾てのガリンの部屋である。

 カリーフ村滞在時、カイは基本的に、この父の部屋で養生をしていた。


 遡り、ホスワード帝国歴百五十九年の六月末付で、四名の軍人が退役した。

 一人は、カイ・ウブチュブク将軍。理由は戦傷の影響で戦えない身体に為った事。

 一人は、マグタレーナ・ウブチュブク上級大隊指揮官。彼女の理由は夫のカイの介護の為。

 一人は、カイの参軍のレムン・ディリブラント上級大隊指揮官。

 一人は、カイの副官のアルビン・リツキ上級中隊指揮官。

 カイを除く三名は、退役前に各自一階級の昇進をしている。


 カイの当初の退役理由は、スーア市攻防戦で、軍命を無視し、戦いに身を晒した事への自身への罰として、将の位を返上し、恩給を受ける事も拒否したのだが、周囲の説得に因り、将として退役し、恩給はスーア市攻防戦で戦死した、トビアス・ピルマーを初めとする、自身の部下の遺族に大半を分配する事で、受け入れた。


 レムンは、帝都ウェザールの実家のニャセル亭の近くで、ニャセル亭別館とも云うべき店舗を構え、様々な雑貨を扱う店長と為った。

 この時、彼は四十歳だったが、程無くウェザールの市井の女性と結婚し、夫婦仲良く店を運営して行く。

 アルビンは、ウェザール州の東隣のリプエーヤ州の州都リプエーヤ市にて、以前就いていた職に復帰した。

 彼は四十歳前の若さで、リプエーヤ市の市長に市議会から選ばれ、最終的にはリプエーヤ州知事にまで為る。

 レムンとアルビンは、各々晩年にカイ・ウチュブブクやヴェルフ・ヘルキオスを初めとする、「大海の騎兵隊」関係者の詳細な記録を残したので、後世にカイとヴェルフの超人的な豪傑ぶりが、広く語り継がれ、多くの物語作家たちには、様々な素材を提供する。


 因みにリプエーヤ市全体が、ホーゲルヴァイデ伯爵家の所領で、この人口七万の市内の最も立地の好い処に、豪奢なホーゲルヴァイデ家の宮殿が在る。

 帝国歴百六十年に入ると、当主で兵部次官のヴァルテマー・ホーゲルヴァイデ伯爵は、息子のファイヘルに位階を譲り、兵部次官も辞し、この宮殿での生活を、妻と始めた。

 彼の妻は伯爵エドガイス・ワロン大将軍の姉に当たり、ワロンが兼任で兵部次官に就いた。

 帝都のホーゲルヴァイデ邸は、前年の十一月に許嫁と結婚したファイヘルが住む事に為り、彼は将のまま、軍の高官である武衛長(軍事警察長官)を兼任したので、基本的に帝都住まいと為った。


 武衛長の前任者は、レナの父親のティル・ブローメルト子爵だが、彼も同じ百六十年に位階を息子のラース・ブローメルトに譲り、軍を辞し、帝都のブローメルト邸より、パールリ州のブローメルト家の別宅に、二年後に矢張り妻と共に移った。

 百六十二年に、養女としている、ツアラが十八歳に為り、大学寮と云う、高級官吏と為る、住み込みの学院に移ったのと合わせてである。

 この地は妻マリーカの出生地なので、マリーカとしては、故郷で基本的に残りの人生を過ごす事と為る。


 子爵ラース・ブローメルト将軍は、相変らず、独身のままで母親のマリーカを心配させていたが、長らく平時と云う事もあり、数年後に帝都ウェザールの官僚系の小貴族の二十代半ば程の令嬢と、自由恋愛の末に結婚をした。

 式場は曾て、彼の主君のアムリート帝と実姉カーテリーナ、又は妹夫婦のカイとレナが式典を挙げた処だ。

 無論、ファイヘル・ホーゲルヴァイデも此処で式を挙げた。

 これ等の結婚式には、カイたち一家も出席していた。

 カイたちが帝都に居る際は、ヴェルフ・ヘルキオスが所有していた邸宅を住処としていた。

 カイ・ウブチュブクの最期の六年間は、こう云った冠婚葬祭に主に費やされている。

 カイの葬儀とカリーフ村での埋葬を終えた時に、ハイケは「まったく、こんなに律儀に出席をしていなければ、あと三・四年は生きていたか、或いは兄さんの事だから恢復したかも知れないのに…」、と呆れた程だ。

 そう、帝国歴百五十九年六月末のカイの退役から、百六十五年の六月のカイの死去の間までに、カイの関係者たちは、多く亡くなった。



 先ずは、カリーフ村でのモルティの葬儀を、六月末の退役前に行った。

 モルティの妻は、夫が帝都防衛軍に入り、カイの従卒と為ってから、この事態が有る事を覚悟していた様で、寧ろカイが重傷を負った事に、夫が従卒の役目を果たせず、謝罪した程である。

 戸惑ったカイは、モルティの妻に「モルティ・バヌンには何の責務の有りません。我が父と、不肖な私に好く仕えてくれました」、と感謝をした。

 モルティは身寄りの無い少年の頃、ガリンに引き取られたが、其の場所が「バヌン」と云う小村だったので、彼は唯一名前だけしか覚えていない、モルティに「バヌン」と姓を付けた。

 モルティ・バヌンの享年は四十七歳。


 後は全員七十代以上の高齢者たちの死だ。

 マリーカの両親で、レナの祖父母に当たる夫婦が、立て続けに亡くなった。

 孫娘のレナは当然、夫のカイも娘を連れ、葬儀に出席し、更に非公式にこれには孫娘の皇妃カーテリーナと、彼女の夫のアムリート帝も、パールリ州のブローメルト邸の邸宅へと葬儀に赴いた。

 ティル・ブローメルトとラース・ブローメルト子爵が主に、この老夫婦の葬儀を取り仕切った。


 そして、レラーン州のトラムのカイの別邸の管理者の、ヘルキオス老夫婦も亡くなった。

 カイとしては盟友のヴェルフの大叔父夫妻であり、何よりエラの面倒を見てくれていた、幾らでも感謝しても仕切れない、老父婦である。


 カイの母であるマイエの両親のミセーム老夫婦も亡くなり、カイは帝都ウェザールや、パールリ州や、漁村トラムや、カリーフ村等を、家族三人で忙しなくホスワード国中を動き回っていたのだ。

 決定的だったのは、帝国歴百六十三年の十一月。

 子爵ヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書が在任中に亡くなった。享年七十四歳で、多くの人々はこの逞しい老人が九十まで生きる者と思っていたので、其の突然の死は、国内外に大きな衝撃を齎した。

 当然、カイも其の一人である。


 アムリート帝の甥のユミシス大公以来と為る、大規模なヨギフの国葬とも云うべき、葬儀が終わると、長子のウラドは爵位を継ぎ、兵部次官と為り、兵部尚書は大将軍のエドガイス・ワロンが兼任する形と為った。

 ワロンが大将軍に為るまでは、ヨギフが兵部尚書と大将軍を兼任していたので、其れに倣った形だ。

 但し、数年後にワロン伯爵は病を得て、退役し荘園での生活を余儀無くされ、兵部尚書にはウラド・ガルガミシュ子爵が、大将軍にはラース・ブローメルト子爵が就く事に為る。

 他にカイと親しくしていた高齢者は、ボーボルム城の司令官をしていたヤリ・ナポヘク、志願兵として指導を受けたブートが居るが、彼らはカイの死後の数年後に死去する。

 特にヤリ・ナポヘクは九十歳の長寿だった。


 宰相デヤン・イェーラルクリチフは、百六十年末で、帝国宰相を辞し、後継に度支(たくし)尚書(財務大臣)のシュレルネン子爵を推す。この新宰相は、バルカーン城司令官のギルフィ・シュレルネン将軍の長兄に当たる。

 そして、彼は自身の発案の国制改革、つまり女性にも広く国政に参与出来る制度の総仕上げを行い、一年後に引退し、百六十五年の冬に故郷の荘園にて亡くなる。享年七十八歳。

 次世代の若者たちが、雄飛する時代への前章とも取れる、偉大な人物たちの死去が続いた。



 ホスワード帝国歴百六十三年。軍学院を卒院したオリュン・ホスワード大公は、アムリート帝の皇帝副官と為った。

 この年にオリュンは十九歳。

 前任者のハイケ・ウブチュブクは、皇帝副官から兵部省の高官へと異動する。

 ハイケはこの年で二十八歳の若さだったが、軍での階級は上級大隊指揮官で、参軍長史と云う各参軍を監督、及び指導する地位に就いた。

 ハイケは軍での階級を其のままに、以降各省庁の高官を歴任して行く。

 礼部省(外務省)、吏部省(人事院)、工部省、刑部省(司法省)、度支省、更には典礼省(宮内省)でホスワード貴族の収入の監査を行なった。

 貴族は荘園を持つが、荘園に対しての統治権や警察権は無く、其れ等は当地の役人の仕事なのだが、稀に貴族が市長等の役人に密かに圧力を掛け、自領民に過大な労働を課し、其れに対する租税を多く得ようとしていた。

 其の様な越権行為に因る不正蓄財の監査である。

 又、文部省では父ガリンや、兄のカイや、ヴェルフの詳細な公式記録を著した。

 特にガリンの出自に関して、ハートラウプ家に繋がる負とも取れる面を、彼は明記したので、親族が著したが、寧ろ因り信頼出来得る記録だと、後世の史官から評される。

 この間にハイケは散士階級と叙される。


 何時しか「全省名人」為る異称を付けられ、四十歳の時に宰相府で、「左僕射(さぼくや)尚書」と云う第一副宰相と為り、位階も勲士へと上がる。

 そして、シュレルネン子爵が帝国宰相を引退すると、遂に帝国宰相へと推された。

 この時四十五歳で、位階は一代限りの男爵に叙され、ウブチュブク家で一番の地位と栄誉を賜った。

 同時に、これまでの功も合わされ、正式に将軍にまで任じられ、人臣を極めたが、彼は全く奢らず、公正な治世を実施し、彼の帝都での住処は官公庁には近いが、ヘルキオス邸位の少し豪奢な程度だった。

 後年、このハイケが宰相だった時代を、「ハイケ・ウブチュブクの治」と呼ぶ歴史家まで現れ、ホスワード帝国は、このハイケ時代に最大の国威を誇る。


 帝国宰相の座にある事、二十年。引退後は故郷のカリーフ村のウブチュブク邸にて、隠棲する。

 時折、帝都ウェザールから使者が来て、重要な事案の相談も受けていたので、八十四歳で死去するまで「村中宰相」等と、人々から呼称され尊崇を受けていた。

 彼は三十一歳で結婚をしたが、自身の身の振り方を、この頃に既に定めて居たのだろう。

 二十代の頃、ハイケは帝都で其れなりの浮名を流していたが、結果として、この様に小村での生活を苦としない、帝都生まれの数歳年下の女性を伴侶とした。

 二女、二男に恵まれ、上の長女と次女、そして三番目の長男は、大学寮を出て高級役人に為ったが、次男は軍学院を進路として選び、奇矯な生真面目さ、家族や仲間を大事に思う心、学問も愛好するが其れ以上に武芸に熱中し、ハイケはこの末子をカイにそっくりだ、と不思議とも頼もしいとも思っていた。

 成長すると、二尺近い、筋骨逞しい偉丈夫と為り、其の後ホスワードを代表する名将と為る。


 シュキンとシュシンは帝国歴百五十九年五月のスーア市奪還の戦いの功で、共に士官に昇進し、正式に「ウブチュブク」の姓を名乗り、各々の活動を始める。

 独り立ちした、と感じた双子は、兵部省へ二人一緒では無く、其々別の任務に就く事を要請し、これは受理され、以降双子の活躍は、別々の道を歩む。

 特にヴェルフ・ヘルキオスを尊敬していたシュシンは、南方での任務を志願し、ボーボルム城の所属と為る。

 ボーボルム城司令官は、矢張りスーア市奪還の戦いで活躍した、とある若い軍人貴族が将と為り、着任していた。

 時折、メルティアナ城での任務もしていたが、兵部次官として、中央に転じたウラド・ガルガミシュの後継の司令官は、同時期に将に任命された、カレル・ヴィッツだ。

 ガリンやヴェルフの様に死後に将に任じられた、平民出身者は其れなりに居るが、ヴィッツは装甲車両部隊総監を兼任のまま、カイ・ウブチュブクに次ぐ二番目の、平民出身者の将軍である。


 シュキンは北方での活動が中心と為り、先ずは破損の激しいオグローツ城の修復作業の任務に入った。

 オグローツ城の司令官には、アムリート帝と同年の、男爵ルカ・キュリウス将軍が就き、北方の地では城塞の修復と、シェラルブク族の族長を継いだ、ルギラス・シェラルブクと連携して、崩壊したエルキト藩王国を注視するのが主任務である。

 一時的に、シュキンはラテノグ州でプリゼーン城所属と為り、ラテノグ城塞を見張り様とする改築作業や、西方の国境への偵騎をしていた。

 プリゼーン城司令官は、身内のラースだったが、ラースも大将軍として、中央に転じたので、左程共の行動はしていない。


 二人とも家族を持ち、順当に昇進して行くが、大戦が発生しなかった事も有り、両者共に上級大隊指揮官に昇進してから、数年後の四十代半ばで退役し、共にムヒル州のハムチュース村で、隣り合った家々で家族と生活をする事に為る。

 尤も、まだまだ活発な両者は、学院の教師の資格を得て、少年時代に通っていたハムチュース村の学院で、運動や武芸や乗馬を教える。

 此処では、彼らの実姉のメイユも現役で教師をしていて、メイユの夫のタナス・レーマックに至っては学院長であり、ムヒル州を代表する名士として知られていた。


 この頃、タナスとメイユの子たちは、既に親元を離れている。

 ソルクタニは学院終了後、大学寮より困難と言われる、医術学院に受かり、卒院するとムヒル市にて医師として働いている。

 彼女が医術の道へと進んだのは、伯父のカイの死が影響しているだろう。

 サウルは学院終了後、父タナスと叔父のハイケが一時期就いていた、ムヒル市で役人として働いている。



 グライ・ウブチュブクは、カイの死の直後の百六十五年六月末に、帝都へと志願兵の調練に赴く。

 この年にグライは十九歳。

 カイが父ガリンの死後、志願兵の調練に向かったのと近似している。

 グライも姓をミセームとして、一時的に登録し、帝都西の練兵場へと着く。

 広い練兵場の周囲の人々は驚嘆する。

 何故なら、グライはこの時、身の丈が二尺と十三寸(二百十三センチ)、身の重さは百五十斤(百五十キロ)を超えているのだ。

 最終的には、二尺と十六寸にまでに達する。これはカイより十寸は高い。

 其処へグライと同じ位の齢の若者が、颯爽と現れる。

 彼の身の丈と体幹は、百と八十五寸を少し超える位で、且つ細身だが、機敏さと力強さが合わさった理想的な戦士の身体付きだ。

 他の者がこの規格外の巨人に惧れを抱く中、彼だけはグライに興味を持った様だ。

「うわっ、すごいデカいなぁ。俺はシェラルブク自治州から来た、ハータ・ヘレナト。今年で十八だ。貴方の名前は?」

「俺はグライ・ミセーム。ムヒル州の出身だ。歳は十九に為る」


 こうして、二人の友情が始まったが、互いの身内が「大海の騎兵隊」で上司と部下だった関係を知るのは、暫く経ってからである。

 尤も、其れを知っても、両者の関係は何ら変化は無かったが。

 曾てのカイとヴェルフの様に、二人は義兄弟の様に軍内で共に過ごして行く。

 グライは身体の大きさの関係から、馬上で武勇を振るえず、もっぱら騎乗は移動に使うのみだが、地に降りると、両端に突起物が幾つも有る鎚が付いた、長さ二百五十寸の鉄製の長大な棍を、両手で自在に振り回す。

 この棍の重さは、十二斤を超え、この様な物を扱えるのは彼だけであろう。

 馬上の戦士が相手でも、グライの身の丈と、この棍の長さが有れば、何の問題も無く戦えるのだ。


 ハータは典型的な馬上での勇士で、騎射をさせれば、彼に敵う者は誰も居なかった。

 又、鉄製の薙刀を馬上で振るい、室内戦などの地上での剣術や格闘術にも優れた戦士である。

 グライ・ミセームとハータ・ヘレナトは調練を終えると、北のオグローツ城の所属と為り、此処でグライの実兄のシュキンの元、曾てのエルキト藩王国を構成していた部族が、来寇すると、初陣を見事に飾り、一般兵から下士官へと、志願兵の調練を終えて、二年とせずに昇進した。


 セツカ・ミセームとツアラ・ブローメルトは、レナ・ウブチュブクが百五十九年の六月末に退役すると、レナの従卒を終え、元の学院生に戻った。

 百六十二年、セツカは十九歳、ツアラは十八歳に為る年。既に学院を修了した二人は、同時期に帝都ウェザールの全寮制の大学寮の試験に受かり、高級役人への道を進みだす。

 三年後に、終了して、二人は各省庁に配属されるのだが、大学寮の一時期に練兵場で調練を受け、下士官の階級を得たので、先ずは兵部省に配属された。

 兵部省の高官として、セツカの実兄のハイケが居たので、二人は色々とハイケから実務を学ぶ。


 半年程ハイケの元で経験を積んだ二人は、別々の道を歩む。

 ツアラは宰相府の戸部局(住民土地管理局)の孤児や孤児院についての担当の科に配属され、彼女は念願の事案の仕事に精を出す。

 数字を扱う事と、武芸の能力が高いセツカは、ホスワード女子部隊の主計官と為り、半ば軍人としての道を進む。

 ホスワード女子部隊は、シェラルブク族を初め、二千を超える規模に為っていたが、主帥の中級大隊指揮官のオッドルーン・ヘレナトと、副帥の下級大隊指揮官のラウラ・リンデヴェアステを初めとして、セツカには馴染みある人たちで構成されていたので、彼女は直ぐに女子部隊での立場を確立した。


 オリュンが二十歳を迎えた日、彼は正式に立太子され、以降オリュン皇太子殿下と為る。

 地位は叔父のアムリート帝の皇帝副官のままだが、次代の皇帝なので、アムリートは軍事だけでなく、オリュンを様々な省庁に連れて行った。

 ある日、宰相府の戸部局で働くツアラに、オリュンは気付く。

 二人は帝都の同じ学院に通っていた時期が有り、当時の思い出話や、お互いの其の後や、近況を語り合う関係に為った。

 オリュンは、ツアラが大陸大戦中に、女子部隊の一員として、戦場を駆けていた事に驚き、半ば悔しがる。

 彼が大戦中に行った事は、帝都の塔での見張り役を位だ。

 アムリートはそんな若い二人を、温かい目で見ていた。


 帝国歴百六十八年。共に二十四歳のオリュン皇太子殿下と、ツアラ・ブローメルト子爵令嬢は結婚をする。

 一部の重臣や貴族の中には、立て続けに皇妃がブローメルト家から出ている事。更にツアラは養女で、元は平民である事を問題視したが、アムリートの粘り強い説得で、何とか両者の結婚は認められた。

 例の典礼省に隣接した式場で、大いに祝われ、母のレナと共に出席した、この年に十歳のエラは、ツアラの美しさに魅了され、「ツアラお姉ちゃん、じゃなかった。ツアラ様素敵ですね。母様も此処で父様と式を挙げたのでしょう!」、と興奮する。

「そう、まるであの時が昨日の様みたい。本当にお似合いね。あの二人は」

 この日はホスワード帝国中が祝福気分(ムード)と為り、収監された多くの罪人も特赦された。


 其の特赦された罪人の中には、リロントとエレク・フーダッヒも居る。

 既に獄中生活で疲弊し、共に七十近い事。両者からは全ての事を洗いざらい自白させたので、特赦と為った。

 リロントは元の公爵の位を戻して貰い、両者は厳しい監視付きだが、クラドエ州のリロント邸で過ごすが、恩赦後、一年とせずにこの二人は死去して行く。



 テヌーラ帝国歴百八十八年(ホスワード帝国歴百六十二年)十月、テヌーラは北方のエルキトの地の、「エルキト藩王国」の正式な廃止を宣言する。

 藩王であるアヴァーナ帝の末弟、ルフィート・テヌーラと、藩王軍総司令官のゲルト・ミクルシュクを初めとするテヌーラ関係者は、外洋により故国へと帰還して行く。

 矢張り各諸部族を統御できず、内乱状態に陥ったが原因だ。

 ゲルトは無能ではないが、彼の能力は一将軍としての力量が限度で、弟のクルトの様な働きは出来なかった。

 更に西のキフヤーク可寒国も、クルト時代に苦しめられた復仇を遂げようと、しばしば侵犯して来たので、テヌーラ側としては藩王国を維持する意味が無くなった。


 ホスワードの北方も無関係ではない。

 この三年前の十二月に、ホスワードとテヌーラは正式に和平条約を結んだが、テヌーラが藩王国を廃止したので、北から来寇する、エルキトの部族に対して、テヌーラ側は何の責任も持たない事を意味する。

 大きな会戦こそ起こらなかったが、大戦終結後のホスワード帝国の軍事行動は、主に北のエルキトに費やされる。


 アヴァーナ帝は内政を充実させ、五十三歳の時に、息子に譲位をして、太上皇帝として、十一代皇帝の息子を後見した。

 譲位の理由は、息子に早く様々な経験を積ませて、ホスワードやバリスに対抗出来る能力を付けさせる為だ。

 テヌーラ帝国歴百八十八年で、アヴァーナ帝は四十六歳。隣国のアムリート帝は三十七歳。ヘスディーテ皇太子は二十九歳。

 そして、彼女の息子は二十一歳だ。

 特に極めて要注意人物である、ヘスディーテと年齢が近いので、自身の体力や指導力が衰えぬ内に、息子に対しての政戦両略を指導する。


 尤も、彼女は四六時中、息子に干渉はせず、徐々に息子が自身の判断で出来る様に為ると、其れ以上の口出しも行わず、日に因っては、穏やかな隠棲生活をしていた。

 特に彼女の興味を引いたのは、息子の長女、つまり初孫の娘だが、成長するにつれ、かなりの明晰さを有している事が判り、彼女はこの孫娘を溺愛し、様々な知識を授け、当然、帝室に生まれたのだから、高度な教育を受けさせた。

 テヌーラ帝国は長子が後継として優先されるので、この孫娘が十二代皇帝と為る予定だ。


 バリス帝国歴百五十五年(ホスワード帝国歴百六十三年)十二月、第七代皇帝ランティス・バリスは崩御する。享年六十二歳。

 テヌーラと同じく、ホスワード帝国歴百五十九年十二月にバリス帝国は、ホスワード帝国と和平条約を結び、ホスワード側は極めて大量の賠償金を受け取る事で、大戦中に捕えたバリス将兵の虜囚を順次帰国させて行く。

 今回は、和平条約なので、両国は互いの首都に通使館を置く事も決定された。

 

 バリスは多額の賠償金を払ったので、大規模な軍事行動が長期に渡り、起こせ無く為ったが、兵と労役を一致させているバリス帝国は、財政問題は左程深刻では無い。

 年改まり、百五十六年一月に即位した、第八代皇帝ヘスディーテは、既に行っている、国内改革を徹底させる。

 皮肉にも、其れはホスワード帝国で、大学寮を出たツアラが担当している事に近く、困窮家庭や孤児の支援事業だ。こうして少しでも有為の人材を漏らさんとする、ヘスディーテ帝の志が判る。


 何処までも実務や功利を優先するヘスディーテ帝は、即位した一年後にバリス国内のプラーキーナ系貴族の娘と結婚をする。

 頻繁にでは無いが、ホスワードとバリスに分かれた両プラーキーナ系貴族は、通婚を重ねている。

 無論、彼らの意志では無く、両帝国の帝室と実権を持った重臣たちの意向に因ってだ。

 ヘスディーテの皇妃と為った、この娘の祖母は、ホスワード帝国のとある侯爵家から、輿入れして来た。

 この祖母の母親、つまりヘスディーテの皇妃の曾祖母は、ホスワード朝第三代皇帝ゲルチェルの長男の次女に当たる。

 このゲルチェルに先立って薨去した皇太子には、二人の娘が居り、長女の曾孫に当たる娘が、ファイヘルの妻である。

 ヘスディーテに因る、対ホスワードの軟化姿勢を表わす、政略結婚だ。


 数年後、待望の後継者と為る男子に恵まれるが、如何した訳か、バリス家の男子は性質や見た目が、代々一致しない様だ。

 この息子は成長すると、身の丈は平均的な成人男性だが、恰幅が好く、頭脳は明晰だが、実利的な分野よりも芸術や文学を愛好し、身分の上下に捕らわれず、酒を前に様々な人々との座談を好む、明るい若者と為る。

 父と似ているのは、女性をも羨む白磁の肌と、微かに青みがかった灰色の瞳、ふっくらとしているが美麗な顔付き位で、黒褐色の髪はやや(ウェーブ)が有る。

「此奴は本当に私の息子なのか?」

 曾て、父のランティスがしばしばヘスディーテに対して思った事を、ヘスディーテは息子の言動で同じ事を思う様に為る。



 カイ・ウブチュブクの最期の六年間は、基本的に五月から九月まで、比較的涼しいムヒル州のカリーフ村のウブチュブク邸。十一月から翌三月までは、温暖なレラーン州の漁村トラムの別邸で、養生の為に過ごしていた。

 基本的に、とは冠婚葬祭時に、其の都度、帝国内を移動していたからだ。

 四月と十月は両州の移動日も兼ねて、帝都ウェザールのヴェルフから譲り受けた邸宅での滞在だ。


 百六十五年。娘のエラは七歳に為る年なので、学校に通っていたが、自身の移動で娘が折角出来た友達と離れ離れに為っている事を危惧したカイは、レナに帝都に定住しよう、と持ち掛けた。

 四月の帝都滞在中の頃である。

「じゃあ、夏休みは海で遊べるトラム村、冬休みは雪景色のカリーフ村、で好いかな?」

「あぁ、それなら、両村で出来た友達とも遊べるな」

 カイとレナは、エラの学校の夏休み終了後に、帝都に定住して、エラの学校の煩雑な転校を避ける事にした。


 五月に入りカリーフ村に移った直後、カイは自身の身体の異変を強く感じる。

 頭痛と身体中の節々の痛みが酷く為り、熱が常に有る状態だ。

「…これは、そろそろ持たないな」

 帝国各地で任務に就いている、兄妹たちに可能なら、五月の末までに、カリーフ村へ来る依頼の手紙を書く。

 カリーフ村に居る近親者は母のマイエと末弟のグライ、そしてモルティの妻だ。

 ハムチュース村のレーマック一家は、隣村なので、グライに頼み込めば好い。


 カイが最後に行った軍務は、スーア市攻略の為に掘った、坑道を埋める作業の命令だ。

 百五十九年の六月に、自身の部下の主だった者を、帝都ウェザールの将軍カイ・ウブチュブクの府と為った、元ヘルキオス邸に招集して、指示をした。

 主席幕僚のカレヴィ・クレゾール上級大隊指揮官と、次席幕僚と為ったヨスト・カルスドルフ下級大隊指揮官に対して、五千名を選抜して、七月から作業に当たらせる事を命ずる。

 レムンとアルビンはカイと同じく、六月末で退役。シュキンとシュシンは、其々別の任地を七月から希望したので、この五千名には入らない。

 事実上「大海の騎兵隊」は解散で、埋め立て終了後、この五千名はクレゾールが主帥、カルスドルフが副帥の、通常の五千の軽騎兵隊として、中央軍の一部隊と編成され、女子部隊も独立した一部隊と為った。

 残りの一万程は、北方のオグローツ城司令官ルカ・キュリウス将軍の旗下に入る。


 百六十五年の五月末までに、カイの親族は揃った。

 帝都からハイケとセツカが、ボーボルム城からシュシンが、オグローツ城からシュキンが、そして自営業と云う事で、レムンも妻を連れて現れた。

 レーマック一家はタナスの両親の家に滞在だ。

 五月も半ば入ると、カイは高熱を発し、意識を失う様に為り、ムヒル市から来た医師が常駐で診察をする。

 持って一週間程、との回答を得る。


 曾てのガリンの部屋で、完全に寝たきりに為ったカイは、一人一人と別れの挨拶をする。

 特に母親のマイエには、子が先に死ぬ親不孝者で有る事を詫びた。

「お前が居なければ、ホスワードの国中では、もっと多くの親より先に死ぬ人たちが出ていたよ」

「だが、俺が居たお陰で、諸国では多くの親より先に死んだ者たちが出ている」

 マイエは其れ以上何も言えなかった。


 エラの灰色がかった明るい茶色の瞳をした眼から、涙がポロポロと溢れ出し、彼女は「父様!」と叫び、(ベッド)に飛び乗って、布団ごしにカイの上にしがみ付いて泣きじゃくる。

 これにはカイは元より、妻のレナも周囲も驚いた。

 エラは泣く、と云う事が全く無い子で、単に気丈なのか、或いは其の様な感情が欠如しているのか、とカイとレナは不安に思っていたのだ。

 如何やら、単に気丈なだけで、悲しみを爆発させる感情を、娘が持っている事を確認すると、カイは安堵した。

「エラ、カイ兄さんは苦しいんだ。さ、離れて」

 巨躯のグライが優しく、カイの上にしがみ付くエラを引き離そうとする。

「好いんだ、グライ。目一杯甘えさせてやれ」

 泣き疲れると、エラは寝てしまい。レナが自室へと抱きかかえて行った。


 六月二日の夜十一の刻。傍に居たレナに向けて、カイは人生最期の言葉を発する。

「君と出会って何年かな。こんな形で別れるのは辛いが、君と一緒に居た時は、全てが貴重だった。愛してるよ、マグタレーナ。フレーデラの事を君に任せて申し訳ない」

「謝らないで、私の一番の大事な人、カイ。私こそ貴方に出会えて好かった」

 カイがレナの両手を上から握り締め、二人は接吻をして、其の後カイは昏睡状態に陥った。


 時折、呻くカイの言葉を聞いてレナは呆れる。

「…ヴェルフ、釣り上げたぞ。早速(さしみ)にして呑もう」

 如何やら混濁する意識の中、洋洋たる大海へ漁船にて進み、カイはヴェルフと釣りをして、酒を呑んでいる夢を見ている様だ。

「全く…。愛してるだの、貴重だのと言った直後で、これなんだから。この人が一番に大切に思っているのは、ヴェルフさんとの友情なのね」

 レナはそんなカイが逆にとても愛おしく思った。昏睡状態だが、カイの顔は涼やかで苦しさは無い。


 意識は回復せず、翌三日の八の刻に、医師によりカイ・ウブチュブクの死が確認された。

 レナは前日より、ずっとカイの床の傍に、七の刻にはマイエを初めとする家族たちは揃っていた。

「カイ・ウブチュブク閣下。閣下とヴェルフ・ヘルキオス閣下の事は、決して忘れません。御二人とも私よりもずっと年少なのに、教わる事多々でした」

 レムン・ディリブラントは、バルカーン城で初めて会い、一時期部下だった二人に対して、心の中で敬礼を施す。

 エラはもう泣く事は無く、毅然と父の死を受け入れ、一家で泣き崩れているのは、母のマイエで、モルティの妻とレムンの妻が懸命に慰めている。


 レナがハイケに葬儀と埋葬の手配を頼むと、この日の昼前からウブチュブク邸の周囲、及びカリーフ村は、この稀代の英雄を葬送する、奇妙な活気に満ち溢れた。


第四十四章 大海は洋洋と (最終章) 了


大海の騎兵隊 完結

 という訳で終わりました。(本年度中に終ってよかった…。しかもギリギリ)


 83万字を超える作品というのが、大作なのか、中程度なのか、よく分かりませんが、とりあえず来年(2023年)以降は読み専になるので、まずは「完結済み」で10万~20万字あたりの作品で、絞って読んで行きたいと思います。(基本、「完結済み」を優先して読みます)


 また、引き続き、適宜改稿を致しますので、内容が大きく変わった時は、「活動報告」に、その旨を連絡いたします。(せずに改稿した場合は、基本的な誤字や表現の修正、と思って下さい)


 以前、ガリンとエラを主役にした外伝をやるかもしれない、と言いましたが、これに関しては、いつやるか、の明言ができません。(リクエストが大きければ、やるとは思いますが…)

 書く場合は10万文字程度で、一気に書き上げて、一話で1万文字前後に編集して、10話を連続してアップする、という方式を取ると思います。


 来年(2023年)以降の私の活動は、読み専となること。「大海の騎兵隊」の改稿作業。「春推理」・「夏ホラー」・「秋歴史」・「冬童話」の創作となります。


 こんな変な物語に、最後まで付き合ってくれた方々に、厚くお礼を申し上げます!


 みなさまのよきなろうライフを願って。

 大野 錦

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【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
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