表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/44

第四十三章 大陸大戦 其之拾陸 カイ・ウブチュブクの戦い 後編

 改めて、物語をつくる、というのは難しいですね。

 特に完結させるのが、ここまで難しいとは思っていませんでした。

 何だかバタバタして読みにくいと思いますが、よろしくお願いします。

第四十三章 大陸大戦 其之拾陸 カイ・ウブチュブクの戦い 後編



 ホスワード帝国歴百五十九年五月二十四日。帝都ウェザール。

 この日の早朝、帝都内のブローメルト子爵家の邸宅は、戦時体制とは思えぬ程の、暖かさと穏やかさに包まれていた。

「メイユさん、家の事は私や使用人たちが遣るので、貴女はゆっくりして下さい」

 そう家事をしようとして、注意されたのは、この年で二十六歳に為る、メイユ・レーマック。

 彼女はブローメルト邸で二人の子と共に過ごし、兄であるカイ・ウブチュブクの娘のフレーデラの乳母を務めている。

 注意をしたのは、この子爵家の夫人、マリーカ・ブローメルトで、彼女は実の孫のフレーデラ、そしてメイユと、彼女の子たちのソルクタニとサウルに対して、今年三月より暖かく迎え入れていた。

 ソルクタニはこの年で六歳。サウルは去年の四月に、フレーデラは去年の十一月に産まれている。


 邸宅の食堂では、一家が集まり、朝食が始まった。

 この邸宅の主人のティル・ブローメルト子爵と、長姉のカーテリーナも居る。

 ティルとカーテリーナは、基本的に皇宮や官公庁に居て、最前線に出ている皇帝アムリート・ホスワードが決裁すべき事案の担当をしている。

 カーテリーナはアムリートの妻、つまり皇妃で、監国とも云うべき立場だが、重臣の交代制に因って、今現在は二人は実家で休暇中である。


 ティルは、主にソルクタニに本を読んであげたり、文字を教えている。

 其の呑込みの速さに、ティルの蒼みがかった薄灰色の瞳の目は、細く為る。

 マリーカは一歳を過ぎたサウルを抱き、メイユがフレーデラこと、エラの面倒を基本的に見ている。

 そんな両親と、妹のマグタレーナの夫、カイの実妹であるメイユを見て、カーテリーナは、青灰色の瞳を暖かく輝かせる。

「然し、上から女の子、男の子、女の子とは、曾ての我が家だな。よもやこの年に為って、三人の幼子の世話をするとは」

 当年で六十歳に為るティルは、そう言って、茶を含む。

「ツアラが居なくなって、寂しく為ったけど、大丈夫でしょうね、あの娘は?」

 マリーカがもう一人、実の孫とも、或いは末子とも可愛がっていた少女を心配する。

 メイユの実妹のセツカも同じく、ツアラと共にこの大戦に参加している。

 穏やかに本を読み、茶を喫する、ティル・ブローメルトは、つい先日まで北方にて、エルキト藩王軍に対する総司令官を務め、其の劫掠を防いだばかりだ。

 北方に居た時、自身の傍で仕えてくれた少年、ハータ・ヘレナトは元気で遣っているだろうか、と想いに耽る。


 メイユは抱いているエラに小声で話す。

「早く、貴女の御両親が帰ってくれば、好いのにねえ。困った御両親を持って大変ね」

 エラは笑顔でメイユを見詰める。

 明日からは、ティルもカーテリーナことリナも、皇宮や官公庁にほぼ常駐する。

 帝都に於いて、政権運営をしているのは、主に五人。

 先ずティルとリナ。

 そして、帝国宰相のデヤン・イェーラルクリチフ、兵部尚書のヨギフ・ガルガミシュ、兵部次官のヴァルテマー・ホーゲルヴァイデ。

 前二者は、既に齢七十を超え、ヴァルテマーは五十代だが、戦傷の影響で、片足が不自由である。

 如何しても、ティルとリナが多くの事案を決裁するのは、致し方無い事である。


 この日の次の翌朝、ウェザールから遥か遠く離れた、西のスーア市では、ホスワード軍とバリス軍の交戦が開始された。

 場所は、ホスワード軍が地下深く掘り進めた、坑道からのダバンザーク王国の遺構。

 今のスーア市は、約五百年前まで、ダバンザーク王国なる、ヴァトラックス教を国教とした祭政一致の王国が存在していた首都であり、この国はプラーキーナ帝国に滅ぼされたが、一部の高位者や臣民たちが、各地に散り、プラーキーナ朝とホスワード朝に対して、暗躍をし続けていた。

 其の後継の指導者のスーア市長エレク・フーダッヒが、バリス帝国の支援を受けて、ダバンザーク神聖国をこの年の二月に建国した経緯が有る。


 中の遺構内には、カイ・ウブチュブク一人が入っている。

 彼は坑道内で控えている重装歩兵五千が、この遺構内に入れる様に、穴から齎される土を階段状に成型していた。

 高さは三尺ある。重武装の兵が飛び降りるのは危険だ。

 其処へ彼の弟たちのシュキンとシュシンのミセーム兄弟も飛び降り、兄の作業を手伝う。

 五十名を超えるバリス兵が殺到して来るのを彼らは感じた。

 更に、数十名が呼ばれ、増援に来ている様だ。

「シュキン、シュシン。お前たちは兎に角、土を固める事に専念しろ。此処は俺が受け持つ」

 カイは念の為に、長剣と小太刀の用意をして於いて正解だった、と感じた。


 長剣を抜くが、カイは頭に皮の帽子を被っているだけで、後は動き易い様に軍装のままだ。

 頭の帽子にしても、作業中の落下物から身を護る為の物で、戦闘用では無い。

 殺到するバリス軍は完全武装、とは云わずとも、鉄兜に赤褐色の軍装の上に鎖帷子、そして鉄の胸甲と籠手と脛当てを身に付けている。

 彼らの武器は腰の長剣のみだ。

 瞬時にカイは狙いを付けるべき箇所は、首筋、両の二の腕、両の太腿辺り、と判断する。


 バリス軍も長剣を抜き、カイ目掛けて其の刃を振るう。

 カイが振るう長剣は、バリスの将兵が振るう剣速のまるで倍の速度で、巨体からは信じられない柔軟、且つ巧緻な動きで、周囲のバリス将兵の防具に覆われていない箇所を、自在に斬り込み、夥しい出血と共にバリス兵は次々に斃れこむ。

 バリス兵の剣先は、カイに掠りもせず、空を切るか、カイの剣で弾き飛ばされている。

 バリス兵たちは、後退りする。

 相手は規格外の巨躯だが、まるで曲芸師の様に、細かい動きが可能で、更に腕が長いので、攻撃範囲が広い。

 迂闊に飛び込むと、其の剣で瞬時に、致命的な箇所を斬られる。

 若し、彼らが弓矢を携帯していたら、遠巻きにこの武装をしていない、このホスワードの巨人を狙ったであろう。


 半数が斃されたバリス兵の指揮官は叫ぶ。

「囲め!我らが切り込むから、其の隙に剣を突き刺せ!」

 このバリスへ兵の指揮官は、こう命じ、自らと二人でカイに斬りかかる。

 カイは三者を同時相手したが、見事に三者の剣を弾き飛ばす。

 だが、其の瞬間を狙って、周囲に展開した何十名のバリス兵は剣先を前に突き出し、突進してきた。

 カイは右手に長剣、左手に小太刀を抜き、この四方からの突きに対処したが、流石に全てを凌ぎ切れない。

 致命傷に為る箇所を避けて、ある程度斬られる事を覚悟した。

 「ギンッ!」

 乾いた金属音が、遺構内に響く。

 シュキンとシュシンが円匙(シャベル)を持って、兄の危機を援けたのだ。

「ウブチュブク将軍!土は降りられる様に固め終えました!」

 弟たちの返答に、カイは簡易な礼を述べ、突撃合図を、階段状の上の穴の開いた場所に居る兵に命ずる。

 入れ替わりに、カイたちは階段状の土を登り、逃げて行き、完全武装のホスワード兵五千が次々に降りて行き、戦闘はこのホスワード重装歩兵が担当する。

 数にて圧倒するホスワード兵は、逃げるバリス兵を追い散らし、遺構内のバリス兵の探索と撃退へと移る。

 階段状の箇所は、カイたち作業をしていた約百名が残っている。



 カイの参軍のレムン・ディリブラントが現れた。

 彼は坑道が貫通した、と聞き確認に来たのだ。既にレムンは本営のアムリートの幕舎に貫通の報告を飛ばしている。

 土の階段を降り、つい先程まで、カイが戦っていた場所にて、周囲を観察する。

 隣にはカイも再び降りて来た。

「将軍閣下、これを見て何かを感じませんか?」

「…む、これは、若しや」

「そうです。ラスペチア王国の構造と好く似ています。恐らくダバンザーク王国の首都とは、都市国家ラスペチア王国の宮殿や神殿や市場の配置を模倣して造られたのでしょう」

「では、凡そではあるが、地図を作れるか?」

「はっ、少し確認に周囲を巡りますが」

 カイは部下のトビアス・ピルマーを初めとする、お馴染みの十九名の武装した部下たちを呼び、レムンの警護を命ずる。

 そして、副官のアルビン・リツキを呼び、彼もこの一団に入り、レムンが書いた地図を模写する事を命ずる。

「出来上がった地図は、今突撃している各指揮官たちに即座に渡せ。五千と数が多いとは云え、相手はこの遺構内を熟知している者共だ。地の利では我が軍は劣っている」


 二十一名は周辺を巡る。

 台帳(ノート)木の筆(えんぴつ)を、レムンとアルビンは取り出す。

 レムンは素早く上空から俯瞰した図を描きだし、描き終えると、其の台帳の一枚を取り出す。

 曾て、カイとヴェルフとレムンが、バリス帝国の首都ヒトリールで商いをした、あの破り易い台帳だ。

 そして、渡された紙片をアルビンは九枚は同じ物を描きだし、下に数字を振って其の管理用の数字を記した紙片も作る。

 十編の指揮官用の遺構の地図が、こうして作られていく。


 作られた十の地図は、レムンとトビアスとアルビン、そして残りの十八名が二組と為り、遺構の奥地で指揮を執っている自軍の指揮官たちに渡し、彼ら二十一名は元の掘り崩した穴に戻った。

 坑道が貫通してから、四刻以上が経過していた。

「…これで、私たちの役目は終わりですよね。将軍」

 アルビンがカイにそう語ったのは、自身が戦いに身を置く事を嫌がった訳では無く、上司がこれ以上の戦いに身を晒さない事の確認である。

「…あぁ、そうだ。後は突撃部隊に任せよう」

 カイの声は、静かだったが、内心で「本当にこのままで好いのか?」、との疑念が混じっている。

 地上では、ホスワード軍の大攻撃が開始され、市内外から攻撃に晒されるスーアは、確実に陥落するだろう。

 あのヘスディーテがこの状況に何の手も打っていない、とは思えない。


 一人の男がカイたちが、控えている遺構内へのは入り口に近づいて来た。

 バリス軍の正規の軍装では無く、首に赤褐色の首巻き(マフラー)を巻いた、動きやすい作業服を着た三十代前半の男だ。

 腰には剣を佩いているが、明らかに各所に暗器を所持している事が判る。

 禍々しさを纏っているが、其の顔は何処か涼やかで、立ち振る舞いも含めて、何処かあのパルヒーズ・ハートラウプを思わせる、そんな不可思議な人物だ。

 レルミス・メルシア。カイ個人を殺す為に結成された、バリスの囚人部隊の事実上の長だ。


「流石だねぇ、ウブチュブクさん。然るべき地に伏兵を敷いて、乱入して来るあんた等を撃滅する予定だったが、即座に地図を作っちまうとはねぇ。お陰でこっちの被害は甚大だよ。上ではあんた等の本軍が総攻撃を掛けているし、此奴は俺達の負けかな」

 そう言うと、レルミスはカイ目掛けて物を投げ付けた。

 手に皮の手袋をしているので、咄嗟に掴んだが、其れはつい先程まで、レムンたちが作っていたこの遺構内の地図だ。

 数枚の紙片を一遍にする為、左上に穴を開け、縄で締めた物だ。

 よく見ると、少し血に塗れていて、其の血は乾いていない。

「金に為らない人殺しなんて、自分の身を護る以外では、久々だったなぁ」

 地図を渡したホスワード軍の突撃部隊の一指揮官が、この男に因って殺された。

 カイたちは口に出さず、皆即座に察する。


「王宮は分かるだろう?其処にダバンザーク神聖国の全員が揃っている。あのエレク・フーダッヒもだ。そして王宮の王の間の奥に、地上へと出られる階段がある。出た場所は市庁舎近くの物置場だ」

「…随分と親切だな。俺たちを混乱させる為に、嘘を付いているとは思えんのだが」

「俺はお国の勝ち負けに感心が無いんでね。この間の遊びの続きは、王宮で行おう」

 そう最後に言葉を残し、レルミスは遺構の奥へと消えた。


「モルティさんを呼んでくれ。俺の武具一式を持って来る様に」

 カイはアルビンに命じたが、アルビンは反論する。

「其の命は聞き入れられません!突撃部隊がスーア市関係者を保護して来るので、彼らの安全な外への脱出の為、この場所で待機すべきです!」

「私もリツキ副官の意見に賛成です。如何か閣下、身を危険に晒す事の無き様」

 レムンも強い調子でカイを止める。


不可(ダメ)だ。この様に自軍への不意打ち、其れも指揮官に対して行われている。地図を渡した指揮官たちが殺され、仮にこの遺構の王宮の攻略が出来ても、各指揮官の不在では、スーア市関係者も纏めて、我が軍が混乱と恐慌の果てに、攻め滅ぼす可能性が高い」

 カイは自軍の将兵が上司を殺され、怒りと恐慌に駆られ、スーア市関係者たちも含めて、制圧、つまり殺害される可能性を示唆した。


 モルティがカイの武具一式を持って現れた。

 先程、カイの長剣と小太刀の用意を命じられたので、念の為に彼は自身の判断で持ち込んで来たのだ。

 だが、現場の異変を感じて、モルティは言葉を発する。

「将軍閣下、若しこの遺構へ突撃を為さるのなら、このモルティもお傍にて、続く事をお許し下さい。で無ければ、これ等の一式を閣下にお渡しする事は叶いません」

 両手には長さ二尺を超え、重さは八斤を超える長槍を、一槍ずつ平然と持つモルティは、そう返答した。

 カイの正規の防具である、額周りに鉄の鉢金が付けられた皮の帽子、皮の胸甲、鉄の籠手と脛当ても、彼が身に付けた背嚢(はいのう)の中に揃っている。


 レムンがカイの前に立ちはだかり、上司を強い目線で見上げる。

 何時もの商売人の様な愛想の好さは、完全に消えている。

「閣下、これ以上入る事は、決して認めません。如何しても入る、と云うのなら、この場で私を殺してでも構いません。何より、ゼルテスの奥方と帝都のお子様の事を第一に考えて下さい。閣下にとって最も大事な命は、この御二人ではありませんか」

 カイはレムンの真摯な顔を見て答える。

「今から言うのは、俺の父の最期の言葉の一つだ。必ずや此処に戻ると約束する」

 そう言うと、カイはこう続けた。

「『俺は数多くの人間を殺してきた。そんな俺が家族に看取られ死のうとしている。これが幸福と言わずして何と言うのか』、と。俺も多くの人を殺してきた。此処で殺害されるのも当然だと思っている。だが、這い蹲ってでも、必ずやスーア市関係者を援け、戻って来る。これをせずして、安全な処に居たら、俺が殺戮してきた諸国の将兵の嘲笑を受けるだろう」



 レムン・ディルブラントは深く息を吐き出した。

「…承知致しました。決してスーア市関係者の保護で、敵兵との戦いに身を投ずる事を行なわない、と云うのなら、認めましょう」

 そして、レムンはトビアス・ピルマーを初めとする、十九名の士官たちを呼び、「ウブチュブク将軍の護衛を頼む」、と懇請し、別の将兵にゼルテスまで赴き、毒物に対する解毒薬が作られていたら、この地に即座に齎す様に指示した。

「閣下、いや、カイ兄さん!俺達も共に連れ行って下さい!」

 シュキンとシュシンが叫ぶ。

不可(ダメ)だ。お前たちは、ディリブラントが言った様に、此処に避難して来るスーア市関係者の安全な保護を命ずる。ディリブラント、リツキ。この二人が遺構内に入らない事を注視してくれ」

 そう言葉を残し、カイは武装し、モルティとトビアスを初め十九名の部下たちと、遺構内に入った。


 カイたちが掘り開けた場所は、ダバンザーク王国の首都の最南地辺りだ。

 因みにダバンザーク王国の首都名もダバンザークである。

 都市国家ラスペチア王国と同じ造りをしていて、南は市民の生活の場や市場、北へ行くに従って、官公庁が続き、最も北に王宮が在り、王宮の左右に善神ソローと悪神ダランヴァンティスの神殿が在る。

 ダバンザーク王国は、プラーキーナ朝の初代皇帝アルシェ一世に因り、徹底的に破壊されたが、造りとしてより頑強な、王宮や神殿や官公庁は半壊で、使用不可な状態にして、其のまま放置していたらしい。

 何故なら、北へ進むに従って、半壊した建物の遺構が多く目に付く様に為るからだ。


 そして、この場所は殆ど市内戦と化している。

 五千のホスワード軍は、各建物を占拠しようと、分断し、建物内の一室の占拠を巡って、バリス軍と交戦している。

 バリス軍の全容は掴めないが、地上でホスワード本軍と交戦している以上、左程の大軍を送っては居らず、地の利で以て、ホスワード軍に痛撃を与えている。

 更に一時的に囚人部隊が、ホスワード軍の各指揮官を殺害する為に、然るべき場所に隠れ、実行をしている。

 レルミス・メルシアが言っていた様に「金に為らない」仕事だが、彼らは忠実にこの殺害を実行している。


 二十三日の午前から翌二十四日の深夜まで、バリス軍約二千の歩兵と、囚人部隊は、この遺構内を隅々まで巡り、其の地形を頭の中に叩き込まれ、其のまま旧官公庁を主とする場所にて、就寝した。

 ダバンザーク神聖国の国師エレク・フーダッヒは「何事か!」、と難詰すると、この一団に入っていたヘスディーテが冷たい声で言い放った。

「カイ・ウブチュブクが地下道を掘り、この遺構内に侵入しようとしている。最早到達直前なので、外に出て襲撃して止める事が出来ぬ」


 レルミスは二十四日の昼近くに起きた時、不機嫌であった。

 夢を見ていたのだが、其れは彼が初めて人を殺した時の夢だった。

 レルミスが初めて殺した人物は、彼の実父で、父親は碌に働かず、酒癖が悪く、妻であるレルミスの母親にしばしば暴力を振るっていた。

 十歳の頃に、レルミスはこの父親を殺した。

 そして、母と共に生活をするが、其の生活費はレルミスが掏りや強盗で得た物で、其れを知った母親は自害した。

「英雄ガリン・ウブチュブクの息子さんねぇ」

 ヘスディーテから、カイ・ウブチュブクだけでは無く、他のホスワードの指揮官の殺害を指示された、囚人部隊は「依頼の内容が違う」、と反発したが、このヘスディーテの以下の発言に対しては、レルミスが囚人部隊を説得し納得させた。

「ウブチュブクが突撃部隊に居ない可能性も高い。其れ故、ホスワードの各指揮官の殺害をすれば、ウブチュブクが出張る可能性は高いだろう。先ずは先行して突撃して来るホスワード軍の指揮官を殺害せよ」

 そして、何かを覚悟したレルミスは、自分の赤褐色の首巻きに細工をし始めた。


 王宮の遺構では、フーダッヒを初めとするスーア市関係者、百名程のバリス兵、そしてレルミスが居た。

「この様に遺構が荒らされるのは、不本意だ。この神聖な場を何と心得るか、この不信者共!」

 フーダッヒがレルミスに難詰する。

「殿下は、もうスーア市を諦めた様だ。だが、カイ・ウブチュブクを殺害して、其の首を城外で攻めているホスワード軍に晒せば、彼らの士気は下がり、退却して行くだろう。結果、バリス・ホスワード両軍が居なく為るのだから、あんたの意のままに為るんだぜ、此処は」

「だからと云って、この様に神聖な場が荒らされるのは、不本意だと言っているのだ」

「此処は昔の場所だろ。俺たちが居なく為れば、表であんたの望む新たな宮殿を建てれば好いだけの話じゃないか」


 カイたちが官公庁の場所に到達すると、ホスワード軍とバリス軍の戦闘が見て取れた。

 矢張り、数にてホスワード軍が押しているが、指揮官を死角から殺害された部隊も多く、統制が執れて居らず、目の前のバリス兵との戦いや、建物の占拠に拘り、無駄な死傷者を出している。

「総指揮官は無事なのか?彼の生死を確認するのが先だ」

 この五千を率いていたのは、年齢は三十代前半。軍人系の男爵家の次男だと聞いている。

 席次は上級大隊指揮官で、決して無能では無く、カイに対して特に何か意識を持った者でも無い。

 この混乱は、単に戦場が異様なだけだからだ。


 カイを初めとする二十名のホスワード軍の軍装をした一団を見つけた、あるバリス軍の一部隊が迎撃に現れた。

 カイが先頭に立ち、両手で自身とヴェルフの長槍を振り回し、この部隊を撃滅させる。

 遺構内は、凡そ高さ十尺近い。毀れた建築物に入らなければ、長槍を振り回すのは問題無い。

 カイたちは、このホスワード軍の五千を率いる、上級大隊指揮官を見付ける様に動く。

 彼に一旦部隊を纏め退いた後、再編成させ、改めて各遺構内の建物を制圧する様に、指示をする為だ。


 カイがこの上級大隊指揮官を見付けたのは、ダランヴァンティスの神殿近くだった。

 彼はこの神殿を制圧しようとしているらしい。

 カイはこの上級大隊指揮官に近づき、次の命を下した。

「バリス軍はこの遺構を熟知している。更に指揮官たちに対して、毒物を使った暗殺者たちも居る。一旦全兵を南に下がらせ、四つの部隊に再編せよ。一つは王宮制圧部隊、左右の神殿の制圧部隊を二つ、最後に毒を受けた者を初め、負傷者たちを南の出口に移送する部隊だ」

「ウブチュブク将軍は如何為されるのです」

「俺は王宮制圧部隊に入り、スーア市関係者を同じく南の出口へ誘導する。其れとバリスの正規の軍装をしていない、作業着に赤褐色の首巻き(マフラー)の姿をした者共の相手はするな。此奴らが例の毒物を使う囚人部隊だ。俺を見れば、奴等は俺を殺す為に動くから、其の隙にバリスの正規軍の制圧を頼む」

 最後に「事実が如何か不明だが」、とカイは註を付けて、玉座の奥に地上へ出られる階段が在ると述べた。



 二十五日の十の刻に、スーア市を半攻囲しているホスワード軍は、一斉攻撃を始めた。

 無論、地下の突撃部隊の襲撃と合わせた行動だ。

 スーア市の東側からやや北東方向に、二百五十輌近くの装甲車両群が突撃し、南側はキュリウス将軍率いる一万五千近くの重騎兵隊が、城壁上のバリス兵に矢を射かけては離脱し、再度反転し矢を射る事を繰り返す。

 当然、城壁上のバリス兵も矢を注ぐ。

 又、スーアの城壁の砲郭からは榴弾が飛び出し、着弾すると、迫るホスワード将兵に対して大爆発を起こす。

 ホスワード側は其れに対抗する様に、投石機(カタパルト)を二百機がスーア市を囲う様に配置して、水弾をスーアの城壁の砲郭に浴びせ、単純に石弾も飛ばしている。


 野戦幕僚長ウラド・ガルガミシュと、次長のファイヘル・ホーゲルヴァイデが中心と為って、全歩兵を上手く装甲車両群の背後に回り込ませ、スーアの城壁へと近付けさせた。

 歩兵の中には百名程の擲弾兵が居る。

 後方では、皇帝アムリートがキュリウス将軍が率いている以外の全騎兵を従え、少しでも城壁が毀れ、侵入可能路が出来たら、一斉に突撃する用意を整えている。


「レルミス・メルシアか…」

 激しい攻防の中、スーア市内の市庁舎の執務室で、ヘスディーテはレルミスに関する調書を読んでいた。

 この男は有為の逸材ではないのか?

 ヘスディーテは以前より気にしていた事が有った。

 其れは、ホスワードにはカイ・ウブチュブク。テヌーラには北のエルキトで自分の国を興したが、クルト・ミクルシュクと云う、武芸絶倫で、将兵たちの士気を高める事が出来る、偉大な野戦司令官を輩出している。

 一方、自国のバリスでは、彼らの様な卓絶した武の人材は輩出していない。

 いや、居たのだ。このレルミスを幼き日に、正しい道へと導く者が居たら、今頃将として、この大戦で大活躍していたであろう。

「体制造りや、組織を動かす為の円滑化も大事だが、真に大事なのは、彼の様な人材を漏らさぬ事なのだな」

 レルミスがカイの殺害に成功しても、彼を正規軍に加える事は出来ない。其れ程、彼が行なった来た犯罪行為は、許される物では無い。

 最初の父殺しは、酌量の余地も在り、未だ幼かったので、この時点で何らかの保護をするべきだったのだ。

 ヘスディーテの頭の中は、既にスーアを半ば諦め、国内体制の作新へと動いていた。


 ヘスディーテの首席秘書官が現れた。

「殿下、スーア脱出の用意は出来ております。早々の退去を御願い致します」

「未だ我が将兵はホスワード軍と戦っている。最高司令官が彼らを見捨てて逃げる訳にはいかぬ。この戦いを指揮し、ホスワード軍を今後数年は、外征に出れぬ様に打撃を与え、然る後に我が将兵と共に退去する」

 そう言うと、ヘスディーテは市庁舎を出て、スーアの最も東側の激戦地帯に向かった。


 この二十五日の夕方頃に、ゼルテス市にレムンに因って毒物の解毒薬が精製されていたら、スーアの坑道部隊に齎す様に、との早馬が到着した。

「其れは出来ている。急を要するのなら、私が自ら持ち込む」

 そう言ったのは、レナ・ウブチュブク中級大隊指揮官だ。

 彼女は部下のラウラ・リンデヴェアステ上級中隊指揮官を初め、四名の女性士官に命じ、後ろに医師をを乗せ、スーアの坑道を掘り始めた位置に向かう事を、兄のラースから許可を得た。

「オッドルーン・ヘレナト下級大隊指揮官には、女子部隊の統括を命ずる。其れと、念の為に馬車で好いので、医師と解毒薬の追加の派遣も頼みます」

 後半は、兄のラースに対してだ。

 こうしてレナたち五騎は、後ろに医師を乗せ、鞍の左右の袋に解毒薬を携えて、スーア市に対する坑道の入口へと奔った。


 突撃部隊は一旦、南へと退いて行く。

 カイたちもこの一団に入っているが、退く途上に下から何かを感じたカイは、跳躍した。

 建物の中には地下室を持った物も在り、当然毀れているので、この遺構内の地に対して、隙間が在る。

 其の地下室に潜った、囚人部隊の一人が手投げ剣をカイの足元へ投げ付けたのだ。

「この様な形で、何人かの中級指揮官たちがやられました。当然塞がった上階にも潜んでいますので、下のみだけで無く、全方向に注意が必要です」

 突撃部隊の上級大隊指揮官がカイに注意を促した。手投げ剣には毒が盛られている事、明白である。

 地下から攻撃をした、この囚人部隊の男は、逃げ道を確保していたので、取り逃がした。


「矢張り、ウブチュブクは現れたか。恐らくこの王宮に来る筈だから、途上で奴を殺したい者は此処を出て行っても構わん。此処で奴を相手にしたい者は、俺との競争と為るぞ」

 レルミスは囚人部隊全員を集めて、各自の判断に委ねた。

 五十名近くの内、十五名程が王宮外へと出て、身を其々隠す。

 そして、バリス軍は一旦引いたホスワード軍が、王宮の制圧を目指すと思われるので、八百の兵を王宮の前に、四百ずつを王宮の左右に在る神殿に配置した。

 実はソローとダランヴァンティスの神殿の奥からも、地上へと出られる隠し階段が在るのだ。

 これは大隊指揮官が、戦闘中にバリスの捕縛兵から得た事で、其の為に彼はダランヴァンティスの神殿の制圧に傾注していたのだ。


 後方に下がり、再編成した遺構内のホスワード軍は、王宮制圧部隊千五百、左右の神殿の制圧部隊を千ずつ、残る数百の兵は負傷兵や、バリスの捕縛兵を坑道の入り口に導く部隊とした。

 カイたちは王宮制圧部隊に入っているが、全体の指揮は上級大隊指揮官に任せ、自身はトビアスたちと、スーア市関係者の保護に集中する。

 無論、エレク・フーダッヒは保護では無く、捕縛の対象だ。

 再編が済むと、ホスワード軍は一気に三手に分かれて、進撃して行った。


 官公庁付近に達すると、王宮制圧部隊に居るカイは何かを感じ、モルティから受け取った先端が鎚の長槍を、ある建物に対して振るった。

 大音と炸裂し、塵埃が舞う崩れ去った建物の中から、三名の囚人兵が呻いて横たわっている。

「この様な歴史的に重要な遺構を破壊するのは、学の無い野蛮人の遣る事だ、と後でハイケに怒られそうだな」

 そうカイは言って、部下に三名の捕縛を命ずる。両手首を後ろに、そして両足首を鉄の鎖で縛る周到振りだ。この鎖は制圧部隊から幾つか貰い受けた物だ。

「お前たちの武器の弱点は、微かだが異臭がする。もう散々遣られたので、覚えたよ」

 カイは自身の鼻を指差しながら言うと、先へと進んだ。


 直進するカイだが、絶えず周囲を警戒する。

 身を潜ませるに適切な所。異臭を感じるか如何か。隠し通せても漏れ出る自身に注がれる殺意の気配。

 其れ等を感じると、躊躇なくヴェルフの長槍を建物に振るい、囚人兵の姿を暴き出す。

 トビアスらが数人掛かりで抑え付け、同じ様に鎖で縛り上げる。

 こうして、十五名程を捕え、王宮制圧部隊は、王宮の前に並ぶバリス兵と対峙する。

「将軍、敵兵を我らが受け持ちますので、中に入って、スーア市関係者の救助を御願致します」

 そう上級大隊指揮官に言われると、カイたちは交戦するホスワード軍とバリス軍の間を上手く縫う様に通って、王宮の扉を荒々しく抉じ開けた。



 扉はバリス兵によって、即座に閉められ、バリス兵はこれ以上のホスワード将兵を入れまいと、扉に張り付いて戦う。

 入った所は国王が使節を労う、謁見の間だ。 

 曾てカイがラスペチア王国の駐在武官として滞在した時、ラスペチア国王に拝謁した場所に酷似している。

 当然、此処は其処彼処が毀れているが。

 奥の数段上がった玉座には、レルミス・メルシアが大仰に座し、険呑に挨拶をした。

「ようこそ!殺し合いの舞台へ」

 玉座から立ち上がったレルミスは腰の長剣を抜き、カイたちに近づいて来た。

 周辺の円柱や幾つかの瓦礫からは、三十人程の殺気がする。


「フーダッヒたちは、此処の上階の王の間だ。さっきも言った通り、奥に地上に出られる階段が在る。だが、あんたは此処で死んで貰おう」

 レルミスはカイに一騎打ちを申し出る様に進む。

 カイは長槍二振りをモルティに預け、長剣を抜く。レルミスに合せたのでは無く、この円柱が多い室内では長槍は邪魔だからだ。

「大した奴だな。自身が戦い、周囲に隠れている者共が、隙有らば俺を殺す不意打ちをする訳か」

「そんな処だ。まぁ、あんたの部下さんたちが其れを防いでくれるんだろう」

 トビアスは状況を即座に理解した。

 このレルミスはカイとの一騎打ちをする事に因って、周囲の仲間にカイを不意打ちさせる心算だ。

 驚くべき事は、レルミスは最も危険で損な役割を、進んで引き受けているらしい。

 只の囚人とは思えない凄みを、トビアスはレルミスから感じた。

「お前たち、周囲のウブチュブク将軍を狙う、囚人共を排除しろ!」

 トビアスがそう叫ぶと、カイは注意の言を発した。

「待て。この男を片付けたら、俺と共に排除だ」

「おいおい、まるで俺が瞬殺される様な言い草じゃないか」

 レルミスは其の言葉を発するや否や、カイに一直線に斬り掛かりに突撃した。


 カイはレルミスに集中して、剣を正眼に構える。彼はレルミスを軽く見ていない。十分すぎる程の要注意人物として捉えている。

 最後の踏込みで、レルミスはカイの間合いに入ったが、其の刹那に深く身を沈め、剣も地に接する様に構え、瞬時に身を起こすと同時に、剣を下から上へと突き上げる様に振るう。

 カイの判断、と云うより、今までの戦いの本能が、其の身を後ろへと退かせた。

 若しこのレルミスの下段からの斬り上げに、剣にて防ごうとしたら、レルミスの剣の軌道は明らかに相手の手首に向かっていたので、鉄の籠手を着けているが、カイは腕に致命傷を負ったであろう。


 振り上げた剣が空を切ったので、レルミスには隙が有る。

 瞬時にカイは剣を片手で持ち、突きを行うが、後退した(バックステップ)にも拘わらず、これが相手に届くのは、カイの腕の長さ(リーチ)が可能としている。

 レルミスは瞬時に体勢を直し、この突きを剣にて弾く。

 一呼吸置いた両者は、互いに斬撃を浴びせ合う。

「何て奴だ。ウブチュブク将軍と渡り合えるのは、ヴェルフ卿か、あのエルキト藩王位だと思っていたのに…」

 周囲のトビアスやモルティたちは暫しの忘我をした。

 だが、次第にカイはレルミスを押して行く。

 通常の場で一騎打ちをしていたら、討ち取れる寸前だ。


 カイはレルミスからでは無い、別の攻撃から身を躱す。

 ある囚人兵が小刀を投げ付けたのだ。

 其の躱しで平衡を崩したカイに、レルミスが透かさず攻撃をする。

 カイの右上腕が斬り付けられた。

「閣下!」

 皆が叫ぶのは当然だ。レルミスの剣に毒が浸み込ませてあったら、これは致命傷である。

「斬撃に使う剣に毒など浸み込ましていない。撃ち合いの飛散で、自身にも喰らう恐れが有るからな」

 レルミスが剣を片手でくるりと回し、剣舞をする曲芸師の様に扱う。


 カイの右上腕の傷は深くないが、出血で右腕の軍装は血で染まり、ぽたりぽたりと流れる血が、地面を紅く染める。

「時間は掛かるが、この調子であんたを出血多量で動けなくしたら、俺たちの勝ちだな」

 トビアスがモルティと十八名の仲間に命じた。

「モルティ殿!閣下の槍を私に遣してくれ!これを防具として、私とモルティ殿が、閣下に投げ付けられる小刀を防ぐので、お前たちは周囲の囚人たちを始末しろ!」

 レルミスの不敵な笑みが続く。

「良い部下だな。だが、周りに居るのは三十人近く。隠れてこそこそするだけじゃなく、正規の戦いも出来る奴らだぞ」

 トビアスがカイの槍を、モルティがヴェルフの槍を両手で盾の様に持ち、カイを護るべく位置取る。

 そして、十八名の士官たちは、囚人兵に向かって攻撃に出た。


 レルミス・メルシアは、母が自殺した後、バリス帝国を出奔して、北の緑地都市(オアシス)国家群に本拠を置く、とある傭兵部隊に長らく所属していた。

 其処で彼は基本的な剣術や馬術、更に用兵を初め様々な事を学んだのだが、この傭兵部隊は半ば盗賊団と変わらず、様々な悪事に手を染めていた。

 傭兵らしく、統一前のブホータの地にて、対バリス、対テヌーラ、対他のブホータ勢力の戦闘にも参加していたが、基本的には戦闘後の略奪に熱心な部隊だった。

 彼が二十歳を過ぎる頃には、この傭兵部隊の副団長と為ったが、僅か百程のこの傭兵部隊は、とある会戦でほぼ殲滅された。

 殆ど唯一生き残ったレルミスは、バリス帝国に戻り、徒党を組み、身代金目的の貴人や金持ちの誘拐をしていたが、約三年程前に捕えられた経緯が有る。

 レルミスは、我流もかなり混じっているが、正統的な剣術や武術、そして部隊の指揮に優れているのだ。


 カイとレルミスの一騎打ちは、形勢が逆転して、レルミス優位に進み、カイは防戦一方に為る。

 又も骨に達する程、深くは無いが、カイの左太腿が切り付けられ、出血をする。

 カイはレルミスの相手をしながら、囚人部隊と戦う自分の部下たちに、半ば気を取られている。

「レギル!」

 遂に最初の部下の被害が出た。カイが叫んだレギルは、ある囚人を追い詰めていたが、別の囚人に因り背後から、長剣で背を深く突き刺された。

「閣下!小官たちの事は気に留めないで下さい!其の男を仕留める事に集中して下さい!投げられる小刀も我が身を以って防ぎます!」

 トビアスにそう言われるも、カイは今まで苦楽を共にして来た部下たちが、次々に苦境に陥ってる事に心を乱される。

 だが、トビアスの言う通り、レルミスを早期に討つ事が先決だ!


 カイは正対するレルミスに全力を尽くす事を決した。

 自身に投げられる小刀は、絶対にトビアスとモルティが防いでくれるものと、信じて迷いを捨てた。

 両手でしっかり剣の柄を握り締め、レルミスに矢継ぎ早に、突きや斬撃を浴びせる。

 レルミスも反撃に出ようとするも、カイの一撃を防ぐ都度、剣を握る両手が痺れ、遂にカイはレルミスの剣を弾き飛ばした。

 瞬時にカイは横一閃に剣を奔らせるが、これはレルミスが後方に宙返りをして躱した。

 躱すや否や、レルミスは小刀を投げ、これがカイの右肩に刺さるが、其の後に次々と投げ付ける暗器に対しては、カイは剣を左手に持ち、悉く全てを剣を振り回して弾き飛ばし、後方に下がって行った結果、円柱に背をぶつけたレルミスを捕えた。

 左手の剣でレルミスに斬撃を浴びせるも、レルミスは戦闘中に何時しか拾っていた、小岩で防ぐ。

 小岩は砕けるも、右靴に細工した小刀を、カイに突き刺そうとした其の瞬間、カイは左手の剣の柄頭をレルミスの右脚に討ち据え、カイの右手は小太刀を抜き、レルミスの首巻きを深く斬り付けた。

 この右腕の一振りで、カイの右肩に刺さった小刀の箇所は、大いに出血をする。


 赤褐色の首巻きから、赤黒い飛沫がカイとレルミスの全身に浴びせられる。

 明らかにレルミスの首からの出血だけでは無い。

「首巻きの中には毒袋を忍ばせてね。まっ、俺も死ぬ事に為るが…」

 カイの小太刀は、レルミスの毒袋ごと、レルミスの首を深く斬り付けたのだ。

 レルミスは斃れ、絶息し、カイも毒の影響で倒れ込みそうに為るも、左手の剣を地に刺し、何とか斃れ込まんとする。

「この言い草だと、解毒薬など持っていないな」

 カイはレルミスの遺体を改める必要性を感じなかった。

 よろめきながら、カイは部下たちを助けようとする。

「トビアス!モルティ!」

 長槍を持った二人は斃れ込み、其の体には幾つかの小刀が刺さっている。

 一方、部下たちは数が少ないのにも関わらず、三十人近くの囚人たちを全滅させた様だ。

 これは彼らがカイを狙う事を重視して、部下たちの攻撃に対して、後れを取ったからである。

 其の結果、トビアスとモルティは、毒の小刀を大いに受けた。

 だが、其れ以上に斃れた二人の周囲には、弾いた小刀が多く散らばっている。


「レギル、マルク、シャルダン、トゥムール、パウル、プリバツ、カシン、ミロシュ…」

 八名の部下の名をカイは呼び、彼らとトビアスとモルティの犠牲の結果、バリスの囚人部隊は此処に壊滅した。

 残る十名も全員負傷している。カイはある部下に次の様に命じた。

「プレスラグ、卿は此処で皆の遺体を並べてくれ、必ずや我が軍がバリス兵を打ち破り、この間に来る。皆の遺体を坑道の入り口に運ぶ様に頼んでくれ」

「将軍閣下は!?閣下は即刻の治療が必要です!」

 プレスラグは叫んだが、カイは厳命だと言い、九名の部下を連れて、上階の王の間へと進んだ。

 フーダッヒを捕縛して、スーア市関係者を保護する為だ。

「先ず俺がフーダッヒを指し示す。卿たちは其の者を捕え、そして、スーア市関係者を全員引き連れて、坑道の入り口に戻る」

 この中で、エレク・フーダッヒの顔を知るのは、カイだけである。

 尤も、神聖国の国師なのだから、装束等で誰にでも明らかであろうが。



 カイはよろめきながらも、上階へ進む。続くのはヨスト、マティアス、ギーツ、バートル、ジールフ、アンドリース、ライニィ、ズアルト、イェンスの九名だ。

 マティアスとジールフは百と九十寸程の長身なので、カイを支えようとするが、カイは其れを拒否した。

「俺は毒を浴びている。支えたら、卿たちにも被害が出る。大丈夫だ」

 ヨストが自分の軍装を裂き、カイの右腕と右肩と左腿の斬られた箇所を縛っている。

 だが、各箇所から出て来る血は止まらない。


 王の間に一同は至った。ジールフが荒々しく扉を開ける。

 王の間は当然其処彼処が毀れているが、百名は密着せず、佇む事が出来る広さだ。

 カイの目線は玉座近くの男を睨み付ける。

「あれが、エレク・フーダッヒだ」

 だが、フーダッヒの周りにはスーア市の衛士や役人、約百名が佇んでいた。

 衛士の三十名は、抜刀し、カイたち対峙している。

「武器を捨てよ。卿らは一切の罪は問われず、元の役職に戻れる。捕縛対象はフーダッヒのみだ」

 カイがそう言ったが、其のカイの今にも倒れそうな状況を見て、フーダッヒがカイに近付いた。

「ホスワードの英雄殿、久しいな。其の様な状態で何を言っている?」

「貴様だけは許せぬ。パルヒーズを散々利用尽くして…!」

 カイも部下たちも疲弊の極みである。

「レルミス・メルシアめ、偉そうな事を言いおって。貴様が此処に来たと云う事は、奴は殺されたのだな」

 将か、フーダッヒが隠し持った短剣でカイの腹部を刺すとは、カイも含め誰も直前まで感じ取れなかった。

 カイは斃れ込む。余りの出来事に一同は動けずにいた。

 この短剣にも毒が浸み込ませてある。レルミスに因る渡された武器だ。


 カイ・ウブチュブクが軍を志して、七年。其の間に彼はあらゆる戦いに身を晒してきたが、攻撃を受けて初めて斃れ込んだのは、戦士で無い、エレク・フーダッヒのこの一撃だった。

「早く此奴らを殺せ!」

 フーダッヒが衛士たちに叫ぶが、誰も動かない。

「この男を捕えるんだ!そして、もう一度言う。降伏すれば、一切の罪には問わぬ!」

 ヨストが叫び、慌てた衛士たちは武器を捨て、役人の中の一番の長が、降伏の意志を示した。

 部下達に見捨てられたフーダッヒは、ギーツとバートルに捕えられた。

「早く、坑道の入口へ!ウブチュブク将軍を搬送するのだ!」

 大柄なマティアスがカイを抱え、其れを同じ大柄のジールフも助ける。

 簡易な医療に最も知見の有るヨストが、カイの腹部に応急処置をして、一同は王宮から出て行こうとする。

 丁度謁見の間では、ホスワード軍がバリス軍を壊滅させ、次々に入り込んでいる。

 そして、カイを初め重傷者と遺体を運び出す。

 フーダッヒは捕縛されたまま、連れ出されているが、カイの部下たちは途上殺害をしようと試みたが、辛うじて意識の有るカイから、「其の男からは聞くべき事が山ほど有る。後で幾らでも処罰は出来るので、今は逃さず、大本営に護送する事が先決だ」、と言われので、厳重に縛り、引き摺る様に連れ出す。

 スーア市関係者は其の後に続き、坑道の入り口を目指した。


 王宮と両神殿は、ホスワード軍が占拠に成功し、ホスワード軍の突撃部隊は、この三カ所から地上、つまりスーア市の内部へと現れた。

 彼らの目標は、スーア市の正門である、東門の開門だ。

 スーア市の東門は、両開きで高さ三尺五十寸、片門で幅二尺だが、木材とは云え、厚さは二十寸は超え、所々鉄で補強されている。

 当然、閂で厳重に締められているが、ホスワード軍の突撃部隊はバリス軍と交戦しながら、この門扉を開こうと、決死の突撃を敢行した。


 其の門扉の上の城壁上の櫓では、ヘスディーテがバリス全軍の指揮を執っていた。

「地下坑道部隊か。我が迎撃部隊は敗れたか…」

 ヘスディーテは恐らくレルミス・メルシアが死亡したと思い、暫し自身の下で行われているホスワード軍を観察する。

「カイ・ウブチュブクは居ないな。レルミスが殺害に成功し、相打ちと為ったのか?」

 周囲のバリス将兵はヘスディーテのスーアからの退去を懇請するが、ヘスディーテはカイの存在の確認まで動こうとしなかった。


 遂に、スーアの東門が完全に開いた。

 遠巻きに其れを見ていた、ホスワード軍の総帥アムリート帝は、旗下の騎兵隊に号令を下す。

「全軍突撃!スーアに雪崩れ込め!」

 周辺は装甲車両と歩兵が、スーアの城壁の砲郭の火砲の的と為るように動き、この自軍の騎兵隊のスーア突撃を支援する。

「ありったけの水弾を城壁に浴びせろ!陛下の一軍が突撃為さるぞ!」

 そうファイヘルは叫び、城壁の砲郭へと水弾の集中を命じた。

 スーアの東では、着弾時の轟音と大地が抉り飛ばされ、周囲のホスワード兵は伏せている。

 そして、東の城壁は大いに水弾を受ける。

 二十五日の十六の刻。遂にアムリート帝を先頭とする、ホスワード騎兵一万五千はスーア市内に雪崩れ込んだ。

 既に地下からの四千程の重装歩兵も、市内に乱入しているので、スーア内の城壁上の兵は、城壁内のホスワード軍に狙いを付けて矢を射る。


「一軍を纏め、西への退路を確保せよ」

 半刻程前にヘスディーテがある将軍に命じ、この将軍は一軍を率いて、スーア市外の西へ布陣し、退却路の保持へと向かわせていた。

「殿下!城壁内にホスワード軍が入り込んでいます!早々の退去を!」

「城壁内に入り込んだのは、砲郭を占拠する為だ。未だ逃げ出す時では無い」

 ヘスディーテの言う通り、重装歩兵は砲郭の占拠を目指している。

「アムリートの一軍は、南の城門を開こうとしているな」

 スーアの南では、キュリウス将軍が同じく一万五千の騎兵で以て、交戦している。

「各部隊、順次北の城門から退去。西に展開している軍と合流せよ。其れと市庁舎内の部隊は、南の部隊の全退去を確認したら、南への砲撃をせよ」


 スーアのバリス軍は南の部隊が城壁を伝い、北まで走り、其処から降りて行き、西へと落ち延びる。

 其の為、南の城門の開錠は容易に出来たが、其の瞬間市庁舎内から、連続した轟音が轟いた。

 市庁舎の二階の南に向かった大広間にヘスディーテは、市内の全ての火砲を揃え、其処から、南に向かって砲を撃ち込ませた。

 南で集結した、アムリートとキュリウスの軍は、大いに其の餌食と為る。

 当然、市庁舎は崩れ去る。

「ヘスディーテめ。奴は逃げもせず、市庁舎内で籠城すらもしていなかったのか!」

 アムリートが叫ぶ。密集状態だった為、被害はかなり深刻だ。


 だが、砲郭を次々に占拠されたバリス側は砲が撃て無く為り、突撃車両は本来の使用用途である、城壁への突撃で、城壁を壊し始め、ホスワード歩兵もスーア内への侵入に成功した。

「此処までだな。全軍スーアを退去。若しホスワード兵に因って阻まれたら、降伏しても構わん。後で私が全責任を取って、講和で捕虜の解放を第一に進める」

 一番の東側に居る、ヘスディーテは最も捕虜に為り易いのだが、彼は自身が捕虜に為る心算など全く無かった。

 実は、彼はスーアの地下の遺構を知ってから、独自の逃げ道を地下に造る事を指示し、其処を側近たちと通って、スーア市の北側へ出て、西に展開している数万の自軍へと逃げて行った。


「西へ向かうな。西に布陣しているバリス軍は砲を前面に揃えている。市内の各建物の完全占拠。逃げ遅れているバリス兵の降伏勧告。この二つに専念せよ」

 アムリートは自軍が火砲の被害を受けてから、西へ偵騎を飛ばし、西に展開しているバリス軍を把握した。

 凡そ四万近くの兵が展開し、数十門の火砲を前面に揃え、次々に落ち延びるバリス将兵が、此処に集結している。

「彼らは其のまま自国へ帰っていくだろう。スーアの回復をしたのだから、この戦は本朝(わがくに)の勝ちだ」

 装甲車両群で火砲を薙ぎ倒したいが、大半の装甲車両は傷付き、これから西まで向かう余力は無い、と皇帝副官のハイケは主君に報告をした。

 二十の刻過ぎ、ホスワード軍はスーア市の奪還に成功した。


「カイが重傷を負っただと!?」

 アムリートは其の報告を、坑道の突撃部隊の上級大隊指揮官から報告を受け、ハイケを連れて南へと向かう事にした。

 地下の突撃部隊の負傷者は、遺構から坑道を通って、南の入り口まで搬送され、坑道を掘り進めていたカイの部隊の営舎に収容されている。


 スーアの完全陥落の数刻前に、カイたちの一行が、スーア市関係者を引き連れて、坑道の出口に現れた。

「カイ兄さん!」

 近付こうとするシュキンとシュシンを、ヨストは押し止めた。

「将軍に触れるな!将軍は毒を受けている。マティアスとジールフに搬送は任せよ」

「ヨスト・カルスドルフ指揮官。つい先程、営舎にゼルテスから医師と解毒薬が齎された、と報告が有りました」

 アルビン・リツキがヨストに報告をする。ヨスト・カルスドルフはアルビンの一つ上の二十八歳で、身の丈は百と七十五寸程の細身の若者だ。

 だが、一時的に彼が戦死したトビアス・ピルマーに代わって、一行の長と為っている。

「プレスラグは戦死した者を頼む。後の者はスーア市関係者を営舎へ、リツキ副官は入り口に向かい営舎への報告と、完全監禁出来る一室の用意を頼む」

 ヨストが一同に命じ、アルビンは出口へと奔って行った。

 レムンとシュキンとシュシンは、戦死者の中にモルティが居る事に愕然としている。


 日が経ち、翌二十六日の二の刻。

 カイが集中治療されている営舎の外では、アムリート、ハイケ、レナ、シュキンとシュシン、そしてレムンやアルビンやラウラたちが揃っている。

 部下達は全員、特にカイを担いで来た、マティアスとジールフも集中治療中である。


 医師が営舎から出て来た。

 一同は息を飲み、医師の報告を聞く為に黙ったままだった。

「…一命は取り留めました。ですが、もう二度と戦場で戦えない身体です。日常生活でも支障を来たすでしょう。更に言い難い事ですが、これから定期的に健診をしても、お命はそう長く無い物と思って下さい」

「今日、明日に死ぬ訳ではないでしょう!?」

 そう叫んだのはレナだ。

「はい、其れは確かです。経過を見なければ判りませんが、半年後か一年後の御覚悟の程を…」

「カイ兄さんは、戦え無く為っただけだ!決して死ぬもんか!」

 シュキンとシュシンは目に涙を浮かべて絶叫する。

「お前たち、大声を出すな…」

 ハイケは弟たちを注意して、彼も涙が出て来る。

 これでは十年前の父ガリン・ウブチュブクと同じではないか…!


 ホスワード帝国歴百五十九年五月二十六日。西に展開していたバリス軍は完全に自国領土へと退却し、ホスワード側は一万を超えるバリス兵の捕虜を得て勝利した。

 其の代償は、今までこの大戦で活躍してきた、カイ・ウブチュブクの戦士としての最期であった。


第四十三章 大陸大戦 其之拾陸 カイ・ウブチュブクの戦い 後編 了

 次回で終わりです。

 エピローグ的な話なので、2万字も書きません。

 主要人物たちのその後を、少し書くだけです。


 おまけとして、今まで名前が無かった18名の士官のフルネームと年齢です。(全員、上級中隊指揮官)

 あと、モルティさんも考えないと。(●は死亡)


 ・ヨスト・カルスドルフ:28歳

 ・プレスラグ・ブロイヒッチュ:29歳

 ●レギル・タルマーク:30歳

 ●マルク・ライバッハ:31歳

 ●シャルダン・メツ:30歳

 ●トゥムール・テンシャヌット:32歳

 ●パウル・ヴァルテンベルク:29歳

 ●プリバツ・マリンボー:30歳

 ●カシン・ヴィラクヴィッチ:29歳

 ●ミロシュ・ビュルキ:30歳

 ・マティアス・クーン:32歳

 ・ギーツ・アルバセテ:32歳

 ・バートル・レグズドム:31歳

 ・ジールフ・ヒューピリオン:31歳

 ・アンドリース・ライザン:31歳

 ・ライニィ・ジャン:30歳

 ・ズアルト・カスタロノス:30歳

 ・イェンス・シェルストローム:29歳


------------------

 ・アルビン・リツキ:27歳(カイの副官、中級中隊指揮官)

 ●トビアス・ピルマー:33歳(カイの軍の次席幕僚、下級大隊指揮官)



【読んで下さった方へ】

・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。

・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。

・誤字脱字や表現のおかしなところの指摘も歓迎です。

・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
■これらは発表済みの作品のリンクになります。お時間がありましたら、よろしくお願いいたします!

【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ