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第四十二章 大陸大戦 其之拾伍 カイ・ウブチュブクの戦い 前編

 ほぼ構成が完成しました。

 次が事実上の最終回の「後編」。

 最後にエピローグ的なお話をして、おしまいとなります。

第四十二章 大陸大戦 其之拾伍 カイ・ウブチュブクの戦い 前編



 ホスワード帝国歴百五十九年、四月二十五日。場所はホスワード帝国メルティアナ州のスーア市に近い、とある森林地帯。

 此処にホスワード軍約二万騎が待機していた。指揮しているのは、第八代皇帝アムリート自身であり、彼は東より、撤退して来るバリス軍の急襲を、追撃しているであろう、自軍の軍と連携する為に、この森林地帯に旗下を潜めさせていた。 

 バリス軍の撤退の理由は、前日にアムリート自ら率いるこの部隊に因る、バリス軍の補給部隊の殲滅が成功したからであった。


 現在、戦場と為っている、メルティアナ州北部のやや東寄りのゼルテス市近郊での戦いは、これでバリス軍が武器弾薬や食料等を初めとする、様々な資材が不足を来たしているので、バリス側は総撤退せざるを得ない。

 処が、この日の昼前には、五万を超えるバリス軍が整然と退却して来た。

 ホスワード本軍の追撃は不徹底に終った様だ。

 アムリートは自軍を本軍との合流へと、即座に切り替えた。


 凡そ、二十丈(二百メートル)に離れて、北側はバリス軍が、南側にアムリートの軍が進む。

 バリス軍の先頭近くに、漆黒の馬に乗った人物をアムリートは確認した。

「ヘスディーテ殿下!この場で貴殿と一騎打ちをして、其の首を跳ね飛ばしても好いが、貴殿には余の身内を助けて頂いた恩が有る。其の首はスーア市攻略時に貰い受けよう!」

 身内とは、アムリートの義妹に当たる、マグタレーナ・ウブチュブクと彼女の娘のフレーデラだ。

 スーア市は、「ダバンザーク神聖国」、と称し、其の指導者の国師エレク・フーダッヒは、この両者の謀殺を計ったが、事前に察知したヘスディーテがパルヒーズ・ハートラウプを派遣させ、彼女たちや、彼女たちが滞在していた、レラーン州の漁村トラムの住民は全員無事で、命を落としたのは、十数名の衛士と当のパルヒーズだけである。


「アムリート陛下。其の様な謝辞は不要です。寧ろこの我が軍と陛下の軍で、この場で決着を付けるのも一興ですが」

 やや南へ進み出た、ヘスディーテがアムリートに返した。

 白馬に乗ったアムリートも北へと進み出て、両者の位置は五丈と無い。

 双方の部下たちは、自身の総帥が敵方の矢で射殺される危険性と、寧ろ矢を射て敵の総帥を射殺すべきか、で心の中が掻き乱される。


 より不安に思ったのは、バリス側だ。

 アムリートは白の軍装の上に白銀の甲冑をを身に纏い、手には二尺を超えるこれも白銀に輝く長槍、馬の鞍には弓と数本の矢が納められた、弓袋が備えられ、副武器として、腰に長剣を佩いている。

 対峙しているヘスディーテは、濃い灰色の上下の勤務服の上に、銀の刺繍の飾りが付いた白の肩掛け(ケープ)を纏い、頭には同じく銀で飾られた白の帽子、手には黒の手袋、足には黒の長靴(ブーツ)で、鉄具は一切身に付けていない。

 武器と為る物も、腰の剣だけで、これだけでもアムリートの長剣より、長さや厚みで劣る。


 其の気に為れば、アムリートは自身で言った様に、ヘスディーテの首を跳ね飛ばす事が出来ただろう。

 然し、バリス軍は重装歩兵が中心と為り、中央を固め、左右に機動力のある軽装歩兵が、展開する布陣を自然と敷いて行く。

 ホスワード軍約二万が突撃し、重装歩兵の壁に阻まれたら、左右の歩兵に攻囲され、包囲殲滅されるのは必至だ。

 アムリートは軽い微笑を浮かべ、ヘスディーテは無表情のまま、互いに馬首を返し、己の率いる軍に戻り、自軍に撤退を指示し、両軍は離れて行った。


 アムリート率いる軍は東へ向かい、中途遠巻きにバリス軍の撤退を観察する。

 何十輌の四頭立ての輜重車が西へ向かい、周囲は主に弓兵が防備している。

 自軍の追撃気配は無く、如何もバリス陣営に突撃した際に、事前に造られた罠に嵌り、足止めを喰らった、と推測される。

 夕近くに為り、対峙していた戦場に程近い処まで、アムリートの軍は戻った。

 バリス軍の殿は騎兵隊三万程だが、これにホスワード軍の一万五千程の軽騎兵が追撃していた。

「何故カイの軍が追撃に出ている?彼にはゼルテスからの物資補給の護衛を任せた筈だぞ!」

 アムリートは、即座にこのカイの軍に合流しようと進路を変える。


 バリス軍の殿の三万の騎兵は、当初カイの軍が現れ、恐慌を来たしたが、この殿部隊に居たレルミス・メルシアがカイと一騎打ちをし、当然討ち果たせず、レルミスは逃げ出した。

 だが、彼はカイの主武器を遠くに飛ばす事に成功し、一時の時間を稼いだので、全軍は落ち着きを取り戻し、整然と数の優位で以て、カイの軍の追撃を防いでいる。


 この少し前、カイの軍は追撃を止めていた。

 単に主将のカイの武器が遠くに飛ばされたからだ。

 先端に斧が付いた長槍は、カイの従卒のモルティが、長剣はカイの副官のアルビン・リツキが下馬して、回収に成功する。

 長剣には木片が幾つも刺さり、アルビンは其れ等を外すが、掲げると、かなりの刃毀れをしていた。

「…これは、武器として使い物に為りませんね。代わりと為る物を調達する様、本陣へ連絡を致しましょうか?」

「まぁ、此奴とは長い付き合いだしな。取り敢えず、後々に輜重部隊にいる武具の補修をする、研ぎ師に頼もう」

 長剣をカイは余り戦闘時に使わない。身を軽くした時の室内戦で使用する位だ。

 そして、室内戦用にはもう一振りカイは「小太刀」を持っているので、特に代わりを必要としなかった。


 モルティが苦戦をしている。

 長槍の先の斧には巨大な丸太が突き刺さり、彼はこれを取り外すのに苦労している。

「モルティさん、其れを此方へ」

 カイが下馬して、モルティから長槍を片手で受けると、彼は周囲に離れる様に命じ、其れを地に打ち下ろすと、丸太は真っ二つに割れ、長槍は元に戻った。

 基本的に馬上からの打撃武器なので、多少の斧の刃毀れは気にする程では無い。


 こうして、再度の追撃へ移ったのだが、バリス軍は整然と弓に自信の有る者を揃え、矢を射て、時には攻囲するような動きをして、カイの追撃は思う様に行かなかった。

 其処へ、皇帝アムリートの軍がカイの軍に合流し、合計三万五千と為ったホスワード軍は、一気に強襲する。

 バリス軍は完全に逃げる事に専念し、更にバリス本陣を突破した、ルカ・キュリウス将軍の一万の騎兵も揃うと、少しでも身を軽くする為、バリス軍の騎兵は馬に掛かる鎖帷子や、自身の身を包む鉄具を取り外し、少しでも速度を上げ逃げ出して行く。

「もう、この辺で好い。本陣へ戻るぞ」

 アムリートの一言で、ホスワード軍は戦場と為ったゼルテス近郊の本陣へ戻る事にした。



 二十五日の夜半。ホスワード軍は「第四次ゼルテス会戦」と為った陣営に集結した。

 西のバリス陣営は、完全に撤収し、スーア市内に撤退している。

 謂わば、この会戦自体はホスワード軍の勝利だが、皇帝の幕舎では、勝利を祝する場では無く、緊張と静謐に溢れていた。

 軍の重鎮と其の幕僚たちが集まる、この幕舎内。皇帝に因る一言で、静寂は破られた。

「余はカイ・ウブチュブク将軍には、物資の護衛を任せた筈だが、何故彼がバリス軍の追撃の先頭に立っていたのだ?」

「…ウブチュブク将軍の軍は軽騎兵故、臣が護衛任務を終えたら、別路より急襲する様に命じました」

 エドガイス・ワロン大将軍は堂々と答えた。

 アムリートの緑ががった薄茶色の瞳は、ワロンに鋭く注がれる。


「ワロン大将軍の其の命を、ウブチュブク将軍に実際に届けたのは臣であります。若し、この命が陛下の望む物で無ければ、如何か臣に必罰を」

 そう言ったのは、野戦幕僚長のウラド・ガルガミシュだ。

 アムリートは無論、聞いているが、其の目はずっとワロン大将軍を見詰めている。

 この年で、皇帝アムリートは三十四歳、大将軍ワロンは四十八歳、幕僚長のウラドは四十四歳に為る。


「カイ・ウブチュブク将軍は、もう十分戦って来た。余は彼が戦地を離れ、家族と安寧な余暇を過ごす事を進めたい位だ」

「陛下。ウブチュブク将軍はこの若き身で、将と為りました。然も今は散士と云えども、元は平民。彼と同世代の勲士階級の将兵は、誰一人として将では無く、其れ処か、高級士官に為っている者も両の手で数える位です。如何に高い武功を立てた、としても、これでは只の身贔屓だと、臣には思われます」

「身贔屓!余がカイを特別扱いしていると、卿は言うのか!」

 アムリートは立ち上がり、ワロンを叱責した。

 ワロンは平然としたまま受け入れている。


「彼と同世代の将兵の中には、口に出す事を憚っていますが、そう思っている者たちが多いのは事実です」

 このワロンの言葉に、アムリートも拳を握りしめ、考え込む。

 確かに、カイは自分の妻のカーテリーナの実妹のマグタレーナの夫で、然も彼の実弟のハイケを副官に就けている。

 ウブチュブク家に特別待遇をしている。そう思っているカイやハイケと同世代の勲士階級の将校たちが少なからず居るのは、確かな事である。

 故アレン・ヌヴェルの息子たちの様な者ばかりでは無いのだ。

 何より、ウブチュブク家は国事犯パルヒーズ・ハートラウプに繋がっている。

 家柄を殊に恃む貴族たちとしては、この人事は、皇帝個人に因る特別待遇としか思っていない。

 バリス軍を未だ国内から駆逐していないのに、カイの休暇等、其の不満は爆発するだろう。


 この幕舎内には、将であるカイと、皇帝副官であるハイケも列席しているが、兄弟は口を噤み、視線を落とさず、静かに佇んでいる。

 「陛下」、とカイが漸く発言したい旨を述べた。

 アムリートに促されたカイは言葉を発する。

「臣は光栄にも将に任じられました。陛下を初め、上位者の命を受けるのは、将としての責務です。あの場ではワロン大将軍が最も上位者だったので、其れに従いました。其れこそ『私の役目は物資護衛のみだ』、と拒否すれば、若い将校の軌範と為りませぬ。弟にしても決して自らの判断で行動は致しません。臣はホスワード帝国の将として、当然の行動に出たまでです」


 次にウラドが発言を求めた。彼は意外な案を出した。

「現在、北方に居るファイヘル・ホーゲルヴァイデ将軍を、臣を援ける為に、『野戦幕僚次長』、として任命して頂けないでしょうか?彼の年齢や能力を考えれば、今後大局的な立場で、全軍を総覧する経験を積ませるのは、本朝(わがくに)にとっても、彼にとっても大切な事です」

 曾て、カイを戦場に出したくないアムリートとウラドとハイケは、カイとファイヘルの交代を提案したが、其れはワロンの反対に遭った。

 だが、これならワロンも受けざるを得ないし、何より若い将校の目付役として、ファイヘルに期待が出来る。

 ファイヘルは、特別カイと仲が好い訳では無いが、カイに対して嫉視する若い貴族の将校たちの掣肘はするだろう。

 この日の会合は、其れが決定して、早馬が即座に北方へと奔った。


 ウラドが危惧していた、ホスワード軍首脳部の分裂は、これで防げた。

 ファイヘルが来れば、若い貴族の将校たちは、彼にだけは大人しく従う傾向が有るので、カイやハイケが足を引っ張られる心配は無く為る。

 だが、根本的な問題が残っている。

 バリス軍の囚人部隊だ。

 彼らはカイ・ウブチュブク個人を殺害する事のみで動いている。

 カイが前線に出て、危険な目に合う事は、結局未解決なままだ。

 装甲車両群の整備が終わり次第、ホスワード軍はスーアへの進撃が決まり、其れまでにゼルテスにカイが齎した囚人部隊の毒物の分析結果と、ファイヘルがこの地に側近のみを連れての到着となるだろう。



 バリスの囚人部隊の使用した毒物が判明した。

 致死量に至る物も有ったが、基本的には相手を麻痺させる類の物だ。

 罪人である彼らは、貴人相手の身動きをしなくして、身代金を要求するのに使用していたのだろう。

 問題は致死量に至る物である。

 この大陸の大戦では、致死量に至る毒物を使用した戦は、基本的に行われない。

 其れは、別に人道的な見地からでは無く、単に占領地の保有を目的としているので、毒物で自分たちが占領する土地を汚染させたく無いからだ。

 大陸諸国ではエルキト帝国が長らく毒矢を使用していた。

 だが、毒矢で敵兵を殺すよりも、敵兵を虜囚とし、身代金を得るのが利と判ると、彼らも毒矢の使用を控えて行った。


 エルキト帝国が本格的に毒矢の使用を最後に行ったのは、十年前のバリス帝国との同盟しての、対ホスワードの戦いである。

 これはバリスから、多大な報奨金を得る事が決まっていたので、虜囚の身代金を顧みず、ホスワード軍に対して当時のバタル帝は徹底した殺戮を行った。

 この影響で、ガリン・ウブチュブクやヴァルテマー・ホーゲルヴァイデは、毒矢を受け、共に戦えない身体とされた。

 そして、現在カイ・ウブチュブクを個人の殺害を狙った、バリスの囚人部隊が結成されている。


 五月一日を以って、ホスワードの全軍は、スーア市奪還に出撃が決まった。

 既に野戦幕僚次長として、ファイヘル・ホーゲルヴァイデが自身の参軍や副官や従卒等の側近を連れて、大本営に到着している。

「ゼルテス付近は土塁や馬防柵で囲われている。装甲車両を前面に出して戦うので、卿の軍は最も最後尾にて控えて貰うぞ」

 出撃日の前日に、カイはホーゲルヴァイデ次長にこう言われ、左胸に右拳を当てる敬礼で応える。

 当の装甲車両は全て、底面にも鉄板と護謨で覆い、火薬爆破の対策を施している。


 装甲車両群を先頭に、続いて重騎兵、歩兵と続き、輜重群を護る様に、カイの軽騎兵が最後尾と為り、ホスワード軍はスーア市目指して進撃した。

 三日の夜半には先頭の装甲車両群は、スーア市まで七十丈の地点まで達し、アムリートは全軍に拠点となる陣営を付近に築くことを命ずる。

 カイはウラドとファイヘルに申し出て、自分の部隊が哨戒と見張りをしたい、と願い出て、其れは承諾されたので、この夜はカイの部隊から数百騎が偵騎と見張りを行った。


 翌日、スーア内外の主に火砲の位置を詳細に記された、地図をカイの参軍レムン・ディリブラントとアルビンが中心と為って作成され、其れは幕僚長のウラドに手渡された。

「ご苦労だった。これはスーア攻略の重要な情報と為る」

「私たちの部隊には偵騎を主に行う、女子部隊がいましたので。彼女たちには及びませんが、偵騎と情報収集なら、何でもお申し付けください」


 皇帝の幕舎で、早速この地図で以て、協議が為された。

 無論、以前より、スーア市の状態は定期的に調べているが、其れらとこのカイの部隊の最新の情報の擦り合わせが行なわれた。

「スーア市の城壁内の砲郭の数は、ほぼ変わっていないな。だが、スーアを護る様に設置された城塞が増えている」

 これ等の城塞は木材と石で造られた、数十人が入れる施設で、当然これ等には火砲が設置されている。

 土塁も多く、例えばスーアを完全攻囲する事だけでも、かなりの難事だ。


「スーア市の地下には、ダバンザーク王国の遺構が多く残されていると、聞き及んでいます。時間は掛かりますが、遠くより坑道を掘り、其れに気付かれぬ為、正面より猛攻撃を定期的に加えるのは、如何でしょうか?」

 そう発言したのは、皇帝副官のハイケ・ウブチュブクだ。スーアの遺構の件は、曾てカイとパルヒーズが対面で会話した時に、パルヒーズ側から出された情報だ。

 アムリートは厳しい顔付きに為った。策が悪い訳では無い。これを担当するのは最も遊兵と為るカイの一軍が適任だ。

 だが、掘り進みに成功したら、カイの一軍がスーア市内で先頭を切って戦う事に為る。

 然し、正面からの猛攻撃部隊には、カイの一軍を参加させたくは無い。

 ハイケも其れを承知して述べた。

 ウブチュブク家を特別扱いしている、との言葉を彼は引き摺っていたのだ。


「決定ですな。ウブチュブク将軍の一軍が坑道を掘り進め、我等は其れが察知されぬ様、スーアへの猛攻撃をすべきです」

 ワロン大将軍が言うと、彼の甥のファイヘルが「何故、ウブチュブク将軍が担当するのですか?」、と疑問を呈した。

「軽騎兵は攻城戦に向かないからだ。無論彼らには輜重部隊より、坑道を掘る経験を持った数十人を指導員として付けるが、後方での待機等、只の無駄だ」

「大将軍の意見、至極御尤もと思います。陛下、其の任、如何か臣に御命じ下さい」

「…分かった。然るべき場所を探し、スーアの地下への道を頼む。だが、地下に達した時は、重武装の歩兵を数百を先ず突撃させる。諸卿ら、これで異存は無いかな?」


 昼を過ぎ、協議が解散と為ると、カイは出席していたレムンとアルビンを連れ、自身の一軍に戻り、任務内容を伝えた。

 部下たちの反応は、当然余り芳しい物では無かった。

 こうして先ずはレムンが中心と為って、地下道を掘り進める適地探しと、アルビンが輜重部隊から坑道を掘り進めた経験を持つ数十人の人材集めだ。

 カイは輜重車数輌を用意し、ゼルテスを初め、周辺の村落から、数千の円匙(シャベル)と、土を入れた物を運び出す、小型の箱型の手押し車両を入手する事を命じ、其れに対する護衛として五千騎を選んだ。

 恰も、補給物資を護衛する様な状況を作る為だ。


 掘り進める箇所が決まり、円匙等の道具が揃い、輜重部隊から、坑道を掘った経験持った者が三十名程集まった。

 カイの一軍は、早速坑道を掘り始める。五月七日の事だった。

 場所はスーアからほぼ真南へ六十丈。連絡を受けたウラドは、キュリウス将軍に約一万五千の重騎兵を、其の手前で配置した。カイたちの作業を秘匿させるのは謂うまでも無い。

 そして、カイの軍も一万五千だが、全員を作業に当たらせるのでは無く、交代制で実施させた。

 先ず、五千が掘り進む事と土の運び出し、五千がゼルテスからの補給物資の実際の防衛。

 そして、数百騎が周囲の偵騎だ。

 坑道部隊は日が沈む頃に作業を初め、次の日の朝に終える形式を取ったので、坑道部隊に入った者たちは、次の任務まで丸一日休ませる。


 初日はカイ自ら円匙を手に取り、指導員の指示に従い、穴を掘り進めて行く。

「そう云えば、練兵場での最初の調練では穴を掘ったな。将か、大戦の最終局面で、軍に入った時の第一歩と同じ事を遣るとは思わなかったぞ」

 カイの傍には、シュキンとシュシンの弟二人が土を掘り返している。彼らも同じ思いをしている。

 スーアのバリス軍には、カイの一軍が行なっている事は、周辺の偵騎と後方の補給路を護っているだけだと、これで如何にか思わせられるだろうか。



 深夜の四の刻。明かりと為る物は最小限とし、カイの部隊は掘り進める。

 中途では、崩落を防ぐ為、木枠を設置をする。

「おい、カイ、もうへばったのか。どんどん掘り続けて行くぞ!」

 カイの目の前では、うっすらと巨躯の男が現れ、語り掛けた。

「全く煩い奴だな。お前さんは親父さんを探す道中だろうに」

 カイの呟きに、弟たちは反応し、カイは苦笑して、周辺に響かない程度の声で指示をする。

「さぁ、夜明けまで一気に進めるぞ!」


 戦いは二日前から、本格的に始まっていた。

 ホスワード軍は真東から、装甲車両が進み、歩兵が投石機(カタパルト)を運び、城塞やスーアの城壁の砲郭を目指して、水弾を打ち込む。

 装甲車両は城塞に突撃し、壊された城塞からスーア市内へ逃げるバリス兵と、並走する様にして、ホスワード軍がスーア市の侵入を果たそうとするも、スーアの城壁上から、味方を護る為に何千の弓兵がホスワード軍に矢を浴びせる。


 一方、スーアのバリス側は城塞の火砲と、城壁内の砲郭から、迫るホスワード軍に砲撃を浴びせ、各所で爆発と爆風が起こる。

 装甲車両を前面に出しているが、砲の射程距離は三十丈なので、ホスワード軍中にも大量に爆発物が撃ち込まれ、将兵は吹き飛ばされ、陣形は乱れ、前進が遅滞し、止むを得ず後退をして行く。

 この様な事が続けられ、カイの坑道部隊の作業は深夜帯だが、時に戦いは夜半まで行われる事も多く、爆音と揺れる地下内で、不安を憶えながら、土を掘り返して行く。


 レムン・ディリブラントが数名の部下を連れて、バリス領まで偵察に入ったのは五月十二日だった。

 中途で、下馬して、馬を然るべき地に繋ぎ、徒歩にてバリス領の奥地へと進む。

 スーア市はバリス領と接し、ホスワードとバリス領を分けるボーンゼン河は、スーアの北のメノスター州で北に流れている。

 平時には西の商人たちは、バリス領からホスワードへと商いをする時は、このスーア市に逗留し、メルティアナ市や帝都ウェザールを目指していた。

 バリスの地理に明るい、レムンはスーアより西に十里離れた処に、バリスの簡易な駐屯基地を発見し、其処には二万を超える騎兵隊が揃っている事を確認した。


 其の日の深夜には、レムンたちはカイたちが作業をしている、坑道の場所に戻り、レムンはずっと円匙を持ち、作業をしている上司に報告をする。

「ご苦労だった。早朝に陛下の幕舎へ赴き報告をしよう。卿らは休憩施設にて休め」

 この坑道を掘り進めている最初の地点で、簡易な営舎(バラック)が数十程造られ、其処は休憩所と為っている。

 だが、カイは夜通しで作業をして、早朝に報告へ赴く様だ。

 既に距離にして、二十丈近くは掘り進んでいる。


 レムンの功を労い、アムリートは発言した。

「つまり、今スーア市内のバリス軍は歩兵だけで、この騎兵隊が戦場を大きく迂回して、此方の陣営の物資集積地を襲う、と余は思うが、諸卿らは如何だ?」

 翌、十三日の早朝のホスワード軍の陣営の皇帝の幕舎で、軍高官たちが集まり協議した。

 想定されるスーア市内のバリス軍は、これで歩兵約八万五千、と推察される。

 攻めているホスワード軍は、歩騎八万五千、装甲車両が二百五十輌だが、カイの一万五千の軍は、坑道作業と偵騎と物資護衛の任務に就いている。

「ウブチュブク将軍の坑道作業を一時停止して、このバリスの騎兵部隊が襲来したら、当たらせるべきでは?」

「いや、敵の動き出しを見て、出撃されるのに適切な軍が、未だ此方には有るぞ」

 そうアムリートは言って、書状を認め、早馬を飛ばした。


 北方のラース・ブローメルト将軍が、一万を超える騎兵部隊を統括している。

 当のラースの報告では、エルキト藩王国は、宗主国テヌーラ帝国のアヴァーナ帝の末弟のルフィート大公が、藩王に就き、現状は小康状態に有るそうだ。

「ブローメルト将軍にこのバリスの騎兵部隊を当たらせよう。更に詳細な動きを察知する為に、ボーボルム城の女子部隊を全騎出撃させよ」

 アムリートはこのバリス側が後方に秘匿している、騎兵部隊の殲滅にラースとレナ・ウブチュブクの兄妹にて当たらせる策を述べた。

 レナはボーボルム城の司令官だが、監査役として、ヤリ・ナポヘクが居るので、一時的に離れても問題は無い、とアムリートは判断した。


 元の坑道作業の営舎に戻ったカイは、弟たちと会話をしている。

 内容が彼らの実妹に関するので、家族の言葉使いをしている。

「セツカとツアラは、レナの副官兼従卒だから、将か出陣する事は無いだろうな」

「レナさんなら、そんな無茶な事はさせないよ」

「いや、あの二人は責任感が強いから、レナさんに強く自分たちも連れて行く様に懇請するぞ」

 カイは妻のレナの選択に全てを委ねた。シュキンとシュシンを見て笑う。

「然し、我がウブチュブク家は後に生まれた者程、早期に大事を為すな。父さんでさえ、軍中に身を投じたのは十七。若し、セツカが出陣と為れば、十六で初陣か」

 この年で十三歳の末弟のグライは、ハムチュース村の学院に騎乗にて通い、カリーフ村では護衛の(リーダー)と為り、見張りの塔では衛士の見倣いの活動をしている。


 十五日の昼には、レナが率いる女子部隊二百五十騎が、十六日の夕には、ラースが率いる一万を超える騎兵隊が、先日までホスワード軍が拠点としていた、第四次ゼルテス会戦の陣営に到着した。

 早速、スーアからレムンがこの地に遣って来て、地図を出し、兄妹にバリス軍の騎兵部隊の位置を説明する。

 レムンはレナが率いている部隊に、セツカとツアラの存在を確認したので、この事に関しては、レナから十分な説明を受けなければ為らない。

 十六歳と十五歳の少女たちが軍中に居るのだ。


「ウブチュブク指揮官、あの二人の事ですが、将か従軍させる心算ですか?」

「二人が、如何しても、と聞かないので。二人の安全は、私が責任を持って護ります」

 レナとレムンは共に中級大隊指揮官だ。

 指揮官としての権限として、率いる兵は二千まで認められている。

 ラースは、先の北方の戦いに参加したエルキトの女性部隊から、希望者を募り、千五百騎程を選抜させ、この地に連れて来ていた。そして、彼女たちにレナの旗下に就く様に要請する。

「私たちは徹底してバリスの騎兵部隊の動向を調べます。余り数が多いと目立ってしまうので、ラース兄様…、ブローメルト将軍はバリスの騎兵部隊の撃破に傾注して下さい」

 レナは、早速二千近くまで膨れ上がった自部隊を細かく分け、偵騎の部隊を編成した。


 エルキトの女性部隊の軍装も、ホスワードの正規の女性部隊の軍装とは異なるが、白と緑を基調として造られ、手袋と長靴(ブーツ)(ベルト)以外は、革製品は身に付けていない。当然、鉄具もだ。

 武器と為る物は、速射のし易い複合弓と、腰に刃渡り七十寸程の剣を佩いている。

 馬も手綱と鞍と鐙のみで、防具は一切していない。

 これに身の軽い馬術に優れた女性が乗ると、先ず追い付ける部隊など、地上に存在しないだろう。



 約二千近くのホスワード女性軽騎兵は、陣営の構築の為、出立する。

 場所はバリス側へ偵騎に赴き易く、本隊のラースの軍に連絡がし易い、と云う事で、つい先日アムリートがバリスの補給部隊を壊滅させた、メノスター州との境付近の小川が流れる地点に決めた。

 先ずは全員で幕舎と陣営を築き、主に三つの事を彼女たちは行う。

 一つ目は、バリス領に入っての偵騎で、勿論これが一番の重要事だ。

 二つ目は、齎された情報を陣営内で纏める書記役。レナは当然これに対して、セツカとツアラが行う事を命じる。

 三つ目は、東のラースの本隊への定期連絡員だ。


 レムン・ディリブラントは、唯一この女性部隊の中に入っている。

 其れは、二つ目の情報を纏める指導役としてだ。

 彼の幕舎は簡易な一人用。近辺に在る小川には、谷から小さな滝が流れているので、淋浴(シャワー)を浴びる事が出来る。

 この時、レムンは彼専用の幕舎に閉じ込められている。

 数日間、彼はレナの部隊に帯同し、情報共有を終えると、スーア市の南の坑道の営舎へと一人出立した。

「数日、何処も彼処も女性だらけだったなぁ。ヴェルフ卿にこれを知られたら、私は夜に彼の亡霊に因ってに首を絞められ、殺されるんじゃないだろうか?」

 そうボヤキながら、レムンは本来の任地に戻った。


 ホスワード軍の物資集積地は、陣営の後方。つまり東側に整理されて、置かれている。

 食料品を初めとして、医薬品、弓矢や予備の武具や軍装、幕舎の資材、護謨弾や石弾、装甲車両や投石機の補修用の部品、更には予備の馬までいる。

 これ等を護るのは輜重部隊五千である。

 若し、この集積地が壊滅したら、ホスワード軍のスーア市への攻勢は継続不可能と為り、総撤退するしかない。

 バリス軍は、スーアの西の自国領土で駐屯している、二万を超える騎兵部隊で以て、戦場を大きく迂回させ、このホスワードの物資集積地の破壊を狙っていた。


 五月二十二日の午前九の刻。遂にこのバリスの騎兵部隊は動き出した。

 中途で障害が無ければ、夜半にはホスワード軍の物資集積地へ到達可能な、進軍の速さである。

 遠巻きに、其れを見ていた、ラウラ・リンデヴェアステ上級中隊指揮官は、数名の部下を女性部隊への連絡に飛ばす。

 ラウラは残った数名の部下と共に、一定の距離を取り、バリス軍の動きを気付かれずに観察出来る隘路を、馬上にて進む。

 これも身軽な女子部隊だからこそ出来る芸当だ。


 この日の早朝はホスワード軍はほぼ全軍を挙げて、スーア市への攻勢に出ていた。

 尤も定期的にホスワード軍は真正面から、攻勢を掛けるいる。

 これは坑道を掘り続けている、カイの部隊を気付かせ無い為だが、バリス側はこの攻勢が本格的な物と判断した様だ。

 スーアの西から密かに早馬が飛び、例の駐屯している騎馬部隊へ赴いたのだ。

 故に、バリスの騎兵部隊は動き出した。


 ラウラは四半刻(十五分)から半刻(三十分)毎に、部下を一騎ずつ自分たちの部隊の陣営へ奔らせ、其処でバリス軍の通過した地点と時刻を知らせ、其の内容を纏めた物を、今度はラースの本隊へと別の連絡員が奔る。

 時刻差(タイムラグ)は出るが、次々に齎される情報を整理すれば、バリス軍の出現位置と其の時刻を算出するのは可能だ。

 ラースの参軍を初め、部下たちはこの一帯の地図を睨み合いながら、ある開けた地点を指し示し、其処へバリス軍が午後の四の刻前に到達する、と述べた。

 現在は、丁度正午。急げば其の場所へは、ラースの一軍も午後四の刻には到着出来る。

「全軍出撃だ!」

 こうして既に出撃準備をしていたラース・ブローメルト率いる、一万を超える騎兵部隊は進発した。


 想定される場所は、つい先日アムリートとヘスディーテが一対一で会話を交わした場所に近く、其のやや北西部分の起伏の在る平野だ。

 レナは最後のラウラが午後二の刻近くに戻ると、全軍の出撃準備をさせる。

「ブローメルト将軍の方が、数にて敵に劣っている。急襲と将軍の指揮能力を以てすれば、この差は埋まるだろうが、我々も伏兵と為り、バリス軍を襲う」

 レナはセツカとツアラを呼び、厳命した。

「好い?二人とも武器は持たず、只手綱を持ち、セツカはオッドルーンの後、ツアラはラウラの後を奔りなさい。又二人の外側には一騎ずつ、護衛を付けるからね」

 二人の少女たちは、右拳を左胸に当てる敬礼で、承知の言明を力強く発し、其々馬に乗る。


 バリス軍の二万を超える騎兵隊は、スーア市の北側を通り、ホスワード領へはメノスター州をから侵攻した。

 最初の駐屯地から考えると、スーア市の真北を頂点に半円を描く様に進撃している。

 最終地点は、ホスワード軍の物資集積地である事は、謂うまでも無い。

 だが、其の中途のやや開けた地にて、彼らはホスワード軍の一万程の騎兵部隊の襲撃を受けた。

 ラース・ブローメルト率いる騎兵隊だ。


 数にては倍ほどだが、完全に虚を突かれたので、バリス軍の騎兵隊は混乱を極める。

 如何にか、これを率いるバリスの将は、自軍の動揺を沈め、敵の迎撃軍が寡兵と判断出来、殲滅を命ずる。

 ラースは鉄の薙刀を振るい、全軍の先頭にて猛威を振るう。

 彼の勇猛さで、バリス騎兵は次々に斃される。

 だが、次第に数にて圧倒するバリス軍が優位に経ちつつ有った、其の時。


 バリス軍の左翼、つまり北東側から二千近くの軽騎兵が現れた。

 其の布陣は、横に広く展開していて、鶴翼に逆三角形を形成している。

「全軍、斉射!」

 指揮官のレナの声が飛び、彼女は三角形の底の中心部分に居る。

 全騎が騎射を浴びせたのだが、其れは一点に対して密集して行われ、バリス軍の其の箇所は大いに崩れ去った。

「全軍、陣を変え突撃!」

 信じ難い速度で、レナの軽騎兵は、今度は縦隊へと変わり、この先頭にはレナが、背後にはオッドルーンとラウラが位置している。

 そして、彼女たちの後方に、セツカとツアラが居る。

 其のまま、穿ったバリス軍の中へとレナの軽騎兵部隊は突撃を敢行した。


 先頭のレナは、二尺を超える薙刀を振るい、背後のオッドルーンも同じ薙刀を振るう。

 ラウラは先端に錘の付いた鉄の鞭(チェーンクロス)を振るい、バリス騎兵を倒し、落馬させ、混乱させる事夥しい。

 突き進むと、レナは人馬共に一際目立つ重武装をした、周囲に精鋭に囲まれた将校を見つけた。

 恐らく、このバリス騎兵部隊の総司令官であろう。

 レナは直進し、この総司令官との一騎打ちの状況を作った。

 オッドルーンとラウラは、総司令官を護ろうとする、幕僚たちを相手にする。

 数合で、レナは敵総司令官の槍を撃ち落し、更に落馬させる事に成功する。

 本来、こう云った場合、従卒が下馬して、敵総大将の首を取る物だが、レナの従卒はセツカとツアラ。

 彼女は其れを命ぜず、兎に角、自軍が敵軍中を突破する事に集中していた。

 敵総司令官が落馬したからには、バリス軍の統制は一時的に執れず、これで兄のラースの軍が、一気に壊滅させるだろうとの、レナの判断であった。


 事実、バリス軍はこのホスワード女性軽騎兵隊の突撃で、混乱を極め、レナの一軍がバリス軍を穿った箇所から、一撃離脱で通り抜け遥か遠くへ駆け抜けて行くと、ラースの軍が一気に攻勢を掛け、バリス軍は次々に討ち取られた。

「見事だ、レナ。此処までの用兵巧者等、ホスワードの指揮官でも、そうは居ないぞ」

 曾て、妹が軍に入るのを強硬に反対していた兄は、この妹の活躍を、只誉める。

 バリス軍の、ホスワード軍に対する物資襲撃部隊の二万の騎兵隊は、こうして壊滅し、任務を果たせず、南から西へと自国領土へと落ち延びて行った。

 これは、本来のバリス軍の予定進路で、物資集積地を壊滅させた後は、この様に大きく一周して、自国領土に戻る算段だったのだ。


 一撃離脱を成功させたレナは、部隊を纏めると、早速セツカとツアラの無事を確認する。

「ウブチュブク指揮官、私たちは何とも有りません。ですが、私たちの両側で奔った方々が負傷しています。私たちより、あの方々たちの手当を」

 そうセツカが述べた。両側で二人を護る様に奔った兵士は、人馬とも軽度の出血しているが、共に致命傷では無いでの、二人は安堵する。

 レナがこの二人を連れたのは、将来二人は下士官の地位を得ようとしている。

 つまり、ハイケの様に軍に大いに関係する役職に就く可能性が有る。

 男性であれ、女性であれ、身分が高く、責任のある重職に就いている者は、最前線にて下の者の範とあれ。

 このホスワード帝国の独特の国風が、レナに二人を従軍させる事を決断させた。

「其れに私は元々、ウブチュブク指揮官の女性兵応募を受け、今ブローメルトの名を名乗る事を許されています。何時かこの様な事を体験すべきだと感じていました」

 ツアラがそう言うと、点呼の終った事を告げるラウラが報告に現れ、負傷者が百名にも満たない、完璧な一撃離脱戦法を成し遂げた事に、レナは内心安堵する。

「後で、ラース兄様と、僅かな人数で、カイの作業とやらを見学しようかな」

 レナは、夫がスーア攻防戦で、戦いに参加せず、只管(ひたすら)穴を掘っている、と聞いて少し面白がっていたのだ。



 壊滅したバリス軍の騎兵隊は、散り散りに、南から西へと落ち延びて行く。

 彼らは一塊と為らず、凡そ百に達するか、千に近い数にて、逃げて行く。

 大体、十の部隊に分かれ、西へ逃げて行くが、尤も北側、つまりスーア市の南に近い退却路を選んだ、ある百の部隊が、まるで小山の様に膨大な盛られた土塊を発見して驚く。

 カイの部隊が掘り進めた、土を盛った箇所だ。

 土は当然、其のままにせず、全てが終わったら、又元に戻す。

 そうしないと、付近で豪雨が有ったりすれば、崩落の危険性が有るし、盛った土も土砂崩れの恐れが有る。

 つまり、カイの軍は、全てが終わったら、即座にこの坑道を生める作業に従事する事に為る。

「あれは坑道を掘っているのではないか?スーアの殿下に、これは何としてでもご報告しなければ為らない!」

 逃げ延びる、あるバリスの士官はそう言って、如何にか敵兵に見つからない道を探り、スーア市へと一騎で向かった。

 時刻が本格的に暗く為り始めた、午後の八刻に近かった事が、これを可能にさせた。


 坑道を掘り進める、カイの部隊は、作業を分担して行っている。

 つまり、周辺のバリス兵の偵察兵の監視も、数十名体勢で行っているのだが、将か打ち破られた物資補給部隊の敵兵が、馬を乗り捨て、身重と為る武装を解き、剣のみを佩き、夜陰に乗じ、身を隠しながらスーア市へ向かっているとは、誰も思わなかったであろう。

 だが、スーア市の城壁直前で、この日の夜に見回りを担当していたシュシンに、この士官は見つかった。シュシンも軍装と剣だけの身軽な格好だ。

「貴様、何をしている!」

 シュシンの声に驚き、別路へ逃げるも、追い付かれ、格闘の末、シュシンは見事にこのバリス兵を捕えた。


 翌朝、カイの営舎にラースたちが遣って来た。

 レナ、オッドルーン、ラウラ、そしてセツカとツアラの僅かな供回りだ。

「カイ、疲れているところ済まぬが、気に為る事が有って此処に来た」

「将軍、バリス軍の撃破、お見事です。気に為る事とは?」

「其の撃破だ。追撃時、この近辺を逃げるバリスの一団が有ったらしい。若しや我が軍が坑道を掘っている事を、敵に判明されたかも知れぬ」

「見回りは徹底しています。昨夜シュシンがバリス兵を捕えたのですが、捕えた場所がスーア市の城壁近くだったので、スーア市の城壁上の見回り兵に、察知された可能性が有ります」

「其れは、既に陛下の本陣に連絡済みだな」

 カイは頷き、シュシンが捕えたこのバリス兵は、本陣へ護送済みだと述べ、暫しお互いの労いの会話と為る。


 セツカが居るので、シュキンとシュシンも加わり、明るい家族の会話と化して行く。

「二人とも怪我が無くて、本当に良かった。それにしても其の齢で、敵軍中を突破するとは、大したもんだ」

 カイの言葉に、自分たちよりも四歳早く初陣をしたセツカを、シュキンとシュシンは半ば感心、半ば嫉妬、と云った表情で眺める。

「只、周囲に守られ、奔っていただけです。レナ様が落馬させた敵司令官を絶息させるのが、本来の従卒の役目。モルティさんは其れをして来られたのでしょう?」

 セツカに指摘されたモルティは、恐縮するだけである。


「坑道を掘り進めたら、真っ先に突入するの?」

「いや、既に準備済みの重装歩兵の数百が突撃して、先ずスーア市庁舎の占拠だな。俺たちは其れを補助するか、この坑道に敵兵を入り込ませない見張り役だ」

「つまり、もう戦闘にカイは参加しない、と云う事ね」

「事が上手く進めば、そうなるな。寧ろ重要なのは、事が終ったら、この穴をしっかりと塞ぐ事だ。大雨でも有ったら、近隣住民の被災の原因と為り得る」

 カイとレナが遣り取りとしている。カイは笑顔で、太陽の様な明るい茶色の瞳を輝かせて、レナに言った。

「そんな訳で、夏の休暇は難しいかも知れんな。俺のこの大戦に於ける最後の戦いは、レナの様に華々しく敵兵を蹂躙する事では無く、穴を掘り、掘った穴を塞ぐ、土に塗れる事だ。まぁ、一週間位は現場を離れて、トラムへの休暇の予定を立てよう」


「さっきの話の偵察だけど、私たちに任せてくれないかな?」

「大丈夫、俺たちだけで十分出来るよ。レナたちはブローメルト将軍と共に、ゼルテスに駐屯し、他戦線に変事が起こった時に、柔軟に対応する、でしょう、将軍?」

 このカイの最後の言葉は、ラースに対して言った。

 ラースは頷き、カイに「余り無理はするなよ」、と言ってレナたちと出て行き、本陣のアムリートの元を訪れ、ゼルテスに向う。

 カイたちは夜通しの作業だったので、これから近くの川で身体を洗い、食事をして就寝だ。

 なので、ラースたちは長居はせず、営舎から出立したのだ。


 この二十三日の早朝、スーア市の市庁舎内で、ヘスディーテは自身の執務室で、ホスワード軍の物資襲撃部隊の壊滅の報告を聞いていた。

 例に因って、無表情で聞いていたヘスディーテは思案を巡らす。

 五月五日より、本格的なスーア市攻防戦が始まったが、ホスワード軍は東から単に力押しにて、攻勢を続け、何ら策らしい事をしていない。

 この力押しは、物資襲撃部隊の壊滅を先ずは狙ったのかと思ったが、其れだけにしては単純すぎる。

 何か別の腹案を隠蔽する正攻法では、とヘスディーテは思案した。


 ヘスディーテは情報取集をしていたが、昨日の深夜の報告に気に為る点があり、直下の秘書官たちに確認を取る。

「昨夜、我が将兵がホスワード軍に捕らえられたと聞いたが、其の者は此処から偵察に向かった者では無いのだな」

 これは、シュシンが捕えたバリス将兵の事を言っている。城壁上で一悶着を確認した兵が報告したのだ。

「はっ、撃破された物資襲撃部隊の士官と思われます。逃げるに際し、此処スーアを目指したのでしょう」

「……」

 ヘスディーテは考え込む。確かにスーアに逃げ込む事は有り得るが、其れ以上に何かを伝える為にスーアへ向かったのでは?

「南の戦線は、重騎兵隊が時折、進撃に来るな」

 これはホスワード軍のルカ・キュリウスの一軍の事だ。

「ホスワード軍が重点的に来るのは、東の正面から、何やら南から策謀を起こしている可能性が高い」

 そう言うと、ヘスディーテは自身が居る市庁舎の地下深くを思い出した。

 ダバンザーク王国の遺構が残されている、現ダバンザーク神聖国の存在場所だ。

 此処に国師エレク・フーダッヒを初め、スーア市の役人や衛士が構成員として、政府を構えている。

「若しや、地下からスーアの攻略を狙っている…?」

 地下と云えば、実はヘスディーテは万が一の時に、スーアから地下を通っての逃げ道を造らせている。

 彼がこれに気付いたのは、同種の事を秘密裏に指示していたからだ。


「物資襲撃部隊を壊滅させたのは、カイ・ウブチュブクの軍で無く、他戦線から来た将軍だな」

「はっ、ウブチュブクの義兄のブローメルトと、其の妹であるウブチュブクの妻が遊撃部隊を率いていたとか」

 このスーアの攻防戦が始まってから、カイ・ウブチュブクの存在は殆ど感じられない。

 周辺の偵騎とゼルテスから齎される補給物資の護衛をしている、としか聞いていない。

 だが、彼の率いる軍は一万五千だ。其れをこれだけに費やしているとは思えない。

「恐らく数千体勢で、日々坑道を掘り進めている可能性が高い。地下からあの男が遣って来る…」

 ヘスディーテはカイが先頭を切って、スーアの地下から市内の襲撃に来る物と断じた。


 翌日、又も交戦を始めたホスワード軍とバリス軍だが、バリス軍の全将兵は次の事を、ホスワード軍に吹聴する事をヘスディーテに命じられていた。

「スーア市の地下には、ダバンザーク王国の遺構が有り、現在はフーダッヒ国師を初め、神聖国の構成員たちの政体の場所と為っている」

 前日も作業をしていたカイも、昼を過ぎて起き上がってから、この事を聞いて驚く。

 若し、坑道が貫通したら、真っ先に神聖国の構成員を相手にする事に為る。

 フーダッヒは兎も角、他の者たちは元々スーアの役人や衛士たちだ。

 彼らにはホスワード帝国に対して、積極的に敵対している訳では無い。

 元々、スーア市長のフーダッヒが火急の事が有れば、自分が市を掌握する事を認める様に、と要望を出し、ホスワード帝国政府側は、其れを認めたのだ。



 この日の戦いは、ホスワード軍が早期に兵を引き返したので、其れを知ったカイは、レムンやアルビンを連れて、ホスワード本陣へ向かった。

 時刻は夕の十七の刻。この日は、と云うより、坑道任務を続けるカイたちには幸運な事に、長く好天に恵まれ、未だ日が高く、薄曇りの或る空は、九割以上青く、日が完全に沈む気配は未だ感じられない。

 将の姿のカイは、即座に陣営内に入れる。

 彼に気付く周辺の将兵たちは、直立不動に為り、右拳を左胸に当てる敬礼を施す。

 カイは簡単な身振りで、敬礼は不要、楽な姿勢で好い、と諭す。

 そして、皇帝の幕舎に対しては、皇帝副官ハイケを通してでは無く、野戦幕僚次長のファイヘルを通して入室を認めて貰った。

 カイも内心「ウブチュブク家を特別待遇している」、とのワロン大将軍の言葉を引きずっている。


 幕舎内には、アムリート、ハイケ、ウラド、ファイヘル、と云った面々が居て、他の重臣や将軍たちは、軍の再編等で、各自の持ち場に居る。

 カイを初め三者は敬礼を施すと、皇帝から着席を認められた。

 機先を制する様にアムリートがカイに言った。

「卿が此処に来た理由は分かっている。スーアの地下には元々の役人や衛士が居るので、彼らを保護したいのだろう?」

「…はっ」

 ファイヘルがカイに述べる。

「然し、全てでは無いだろうが、これだけの期日が経っている。中にはフーダッヒに完全忠誠を誓って、我らに向かって来るやも知れぬ。彼らを保護したいのは理解できるが、真に安心出来得る者かを判別するのが難しい」

「だからと云って、彼らを排除しながら、スーアの攻略をするのは間違っている」

「彼らは民間人では無い。国の為に奉職した公人だ。この様な場合、命の覚悟を持つのが、ホスワードの公人の責務である」


 ハイケが意見を述べる。

「抑々、フーダッヒにスーアの公僕を直接指導下に認める事を、許諾したのは私です。この一件、私にこそ責務が有りましょう」

 ウラドが更に意見を述べる。

「其のフーダッヒの監視を不十分に行ったのは、私だ。皇帝副官殿には何ら責務は無い。臣が責任を取って、一軍を率いスーア市関係者の保護を行います」

 アムリートは皆を制する。

「待て、先ずはこの様な流言が流れたのは、坑道を此方が掘っている事を敵が察知した、と云う事だ。彼らは十分な迎撃体勢を取って、市内戦の準備している筈。ウブチュブク将軍、坑道は後どれ位で達するか?」

「はっ、本日の夜を徹すれば、貫通は出来るかと」

「では、先陣を切る重装歩兵を向かわせる。彼らにはスーア市関係者には、『一切の罪には問わぬから、武器を捨て投降せよ、さも無くばバリス兵と同じと見做す』、と言う事を徹底させよう」


「陛下、如何か其の任務、臣が担当する事をお願い致します」

 カイがアムリートに直訴すると、アムリートは険しい顔をして答えた。

「ウブチュブク将軍、卿は囚人部隊に因り命を狙われている。通常の戦場でも危険性が有るのに、初めて立ち入る地下の遺構だ。当然、今頃其の部隊は遺構の構造を知り尽くしている筈。最早、通常の戦闘では無い。卿が突入する事は断固として認めぬ」

 アムリートは最後、カイに対して、突撃部隊にはスーア市関係者は必ず保護を優先させる事を強く命じて於く、と説得し、カイたちは元の営舎へと戻った。


 程無くして、約五千の重装歩兵がカイたちの営舎群に集結した。

 突撃部隊は当初、数百の予定だったが、バリス側に察知されたので、急遽規模を増やしたのだ。

 指揮官である、上級大隊指揮官は、カイに敬礼を施し、坑道貫通の折りには真っ先に突撃し、スーア市の関係者は仮に、武器を持って自分たちに攻撃して来ようとも、捕縛を優先する、と述べた。

 カイは「ご苦労である。今夜中にも到達するので、英気を養ってくれ」、と返し、円匙を持って坑道の中へ入り、最も奥へと進む。

「ヴェルフ、これで好いのか。俺はこのまま穴を掘るだけで好いのか?」

 ふと、カイは不思議がる。

 彼はこの様な時、真っ先に父ガリンの事を思い浮かべるのだが、今ではヴェルフ・ヘルキオスの事を思い浮かべる様に為った。

「カイ。お前が正しい、と思った事なら、例え軍命に背こうとも、必ずや多くの人たちが救われる」

 そう、カイの中のヴェルフは答えた。

「…そうだったな。お前も一人、自身の決断であのクルト・ミクルシュクと一騎打ちをしたのだな」

 カイの円匙は内心の複雑な思いと、もう少しで到達出来る為、ゆっくりと慎重に動いていた。


「アルビン、そろそろ貫通しそうだ。突撃部隊の指揮官に連絡を頼む。…其れと、俺の長剣と小太刀を持って来てくれ」

 カイの長剣は、既に研磨され、使用出来る状態に戻っている。

「閣下も突撃部隊に入るのですか?」

「念の為の護身用だ。尤も、これでも振り回せば、其れなりに役には立つがな」

 カイは円匙の先端の鉄製のさじ部を指し示した。

 先端が尖り、厚さも有し、実際に輜重部隊等は、円匙を武器として使用する事も有る。

 木製の柄は太さは直径五寸、長さは百尺程で、更に折れたりしない様に革が巻かれ補強されている。

「と云う訳で、突撃部隊との入れ代わりの際に、敵兵が迫って来たら、円匙を武器として使え。俺が最後尾に残るから、逃げる事を徹底してくれ」

 カイは坑道を掘る部下たちに命じた。今現在は百人程が作業をしている。


 坑道の長さは約六十丈。先ず、地下に二十五尺を掘り、其処から北へと進んでいる。

 高さは二尺と十寸程なので、カイの場合、防具用に被っている革の帽子の天辺が、やや天井に擦れる。

 幅は五尺を有し、丁度五千の突撃部隊は、十名五百列を為して、先頭に居る者たちが、作業をしている地点の三十尺後ろに展開した。

 そして、一気に崩れ去り、カイたちはダバンザーク王国の遺構を目にする。

 地に降り立つには、三尺程飛び降りなければ為らないので、急遽カイたちは掘り返した土を中に入れて、カイ自身は内部に飛び降り、階段状へと円匙にて土を成型する。

 其処へ、バリス兵と思わしき数十の兵が向かって来た。


 スーア市攻防戦は、こうして内部からの進入路を確保するホスワード軍と、其れを阻止するバリス軍の戦いが始まり、新たな局面を迎える。


第四十二章 大陸大戦 其之拾伍 カイ・ウブチュブクの戦い 前編 了

 あと残り2回です。

 書いてて印象深かったのは、途中で引っ越し(PCの)をして、キーボードに慣れるのに時間がかかったことです。

 (これを遅筆の言い訳にしてはいけませんね)



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