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第四十一章 大陸大戦 其之拾肆 第四次ゼルテス会戦

 そろそろ終着地が見えてきました。

 うっかり、事故・病気等に遭わない様に、しっかり自己管理して、終幕を迎えたいと思っています。

第四十一章 大陸大戦 其之拾肆 第四次ゼルテス会戦



 ホスワード帝国歴百五十九年の四月のメルティアナ州。

 メルティアナ州は曾ての超大国のプラーキーナ王朝の首都が在った、メルティアナ城が州の南西部寄りに位置し、ホスワード朝では、一番の領域と人口を誇る州である。

 人口は、このメルティアナ城を中心に南部に集中し、北部は五百から、二千を超える村落が大半で、万を超える大きな市と云えるのは、北西部のスーア市と、其処から真東に位置するゼルテス市位である。

 其のスーア市とゼルテス市の間の、ややゼルテス側で、ホスワード帝国軍九万と、バリス帝国軍十三万が対峙していた。

 四月十九日の十の刻(午前十時)。降雨の中バリス軍の三百の火砲が一斉にホスワード軍の陣営に打ち込まれた。


 即座にホスワード軍は三百機の投石機で以て、水弾を飛ばす。

 雨中なので、これで更に連続した着火を防ぎ、少しでも砲撃されない様にする。

 即座に、三百輌の装甲車両群が出撃の用意をする。問題は先ず斜面を降りる事だが、これは内部の三名が四列並ぶ、(サドル)には足踏桿(ペダル)の動きを止める抑制機(ブレーキ)が付いている。

 停止の合図は、上部に乗って方向変換機(ハンドル)を操る操縦者が、内部に鳴る特殊な鐘を鳴らすのだ。

 だが、其の先のバリスの火砲は三十尺(三十メートル)程の川の対岸に設置され、水深は最も深い処だと、二尺近くは有るので、事前に調べた水深が五十寸(五十センチメートル)に満たない箇所を通らねば為らない。


 ホスワード軍の総帥のアムリート帝は、ここで騎兵を先に渡河させて、装甲車両群の渡河を援けようと思ったが、瞬時躊躇した。

 当然、機動力のある軽騎兵が適任だろうが、軽騎兵一万五千を率いる将は、カイ・ウブチュブクである。

 この年で二十七歳に為る、若き将軍だが、アムリートが躊躇したのは、彼の若さでは無く、別の意味であった。

 実は、アムリートは、これ以上カイを最前線に出したくないと思っている。

 結果、渡河部隊は一万五千騎の重騎兵を率いる、アムリート帝と同年の、この年に三十四歳に為る、男爵ルカ・キュリウス将軍が担当する事に為った。


 騎兵がホスワード側から出て来た事を確認すると、バリス側は手押しの馬防柵を連ねて出撃し、この後ろには弓兵を揃えている。

 騎兵の突撃を防ぎ、後方から矢を射かける。

 晴天が続けば、流れを殆ど感じない小川だが、現在は多少の深みと流れの勢いが有る。

 ホスワード重騎兵が如何にか対岸に達し、バリス軍の火砲の後方に回り込もうとした、其の瞬間、先端が鋭い木の木柵の四輪の台車が雨水を跳ねながら、ホスワード重騎兵に向かってくる。

 其の後方からは、弓兵が現れ、走りながら、弓に矢を番える。


 約五万の歩兵がこの移動式馬防柵を動かしている。五名で手押ししているので、一万の馬防柵が、キュリウス率いる騎兵に突撃し、其の後方から、三万の弓兵がキュリウス軍一万五千に矢を浴びせる。

 キュリウス将軍も、火砲の砲撃部隊の撃退処では無く為り、砲撃部隊は火砲の台車の四輪の固定を解除し、西の自陣へと戻って行く。

「装甲車両は、砲撃部隊を襲え!余の軍とワロン大将軍の軍は、渡河してキュリウス将軍を救え!」

 そう命じたアムリートは先頭で馬を駆け、白銀の長槍を閃かし、渡河してバリス軍の弓兵に襲い掛かった。

 アムリート率いる軍も一万五千の重騎兵だ。

 そして、エドガイス・ワロン率いる歩兵四万五千は、厄介な馬防柵を手押しする部隊の殲滅に出撃した。


 ホスワード側の本陣には、野戦幕僚長のウラド・ガルガミシュが、戦況全体の把握に努める。

 ウラドはちらりと、カイを見た。

 バリス側は三万の騎兵を未だ投入していない。

 この視界の悪い雨中の中、遠回りして、この本陣を襲う心算なのか。雨音で馬蹄の響き等、かなり至近で無ければ感じられない。

 そうだとしたら、カイの一万五千の騎兵で以て防がねば為らない。

 北側からか、南側からか、更に迂回して、後方の東側からか、二分して南北からの挟撃も有り得る。


 バリス軍の火砲は四輪の木製の台車の上に乗っている。

 其れを如何にか渡河した、ホスワード軍三百輌の装甲車両群が押し潰しに、突撃を敢行する。

 重量は当然、装甲車両の方が圧倒的に重いが、後輪が履帯(キャタピラー)で、護謨(ゴム)を使用した前輪とあって、速度は装甲車両の方が速い。

 バリス兵の数名が一台を引っ張る、火砲台車群に、ホスワード軍の装甲車両群は至近まで迫る。

「このまま台車を押し潰せ!逃げる兵を追わなくて好い!火砲を潰す事に専念せよ!」

 装甲車両部隊総監のカレル・ヴィッツ上級大隊指揮官が叫ぶ。

 ホスワードの装甲車両は、バリス軍の火砲を蹂躙し始めた。

 半分以上の火砲を扱うバリス軍の砲兵部隊は、自分たちの武器を見捨てて、車両の蹂躙に巻き込まれまいと、バリス陣営に逃げ込む。

 火砲の収容は半分に満たなかった。


 雨は愈々(いよいよ)激しく為ったが、この時バリス陣営の手前で、爆発の轟音と、火柱と、朦々とした煙が発生している。

 装甲車両が何十輌と吹き飛ばされていた。

 バリス軍は自陣の手前で、爆発物を設置し、装甲車両が現れたら、長い導火線にて、火を付け、地中にて爆発を起こしたのだ。

 長年の火砲の研究と実戦から、導火線は激しい雨の中でも、しっかりと機能出来る様に改良されている。

 そして、これはホスワード軍の装甲車両の弱点を突いた物だった。

 前後左右を鉄と護謨の複合装甲だが、底辺は装甲自体が無い。休憩用に座するだけの厚さ五寸程の板が設置されているだけだ。

 ホスワード軍が、長らく敵国を蹂躙して来た装甲車両群は、バリス帝国の総帥ヘスディーテ・バリスの策に因って、大量に引っ繰り返され、中の操作員の死傷者は夥しい。


 五年近く前に、ヘスディーテ初めて主導と為って、戦を起こした、エルキト帝国の騎馬軍団十万を壊滅させた、あの策を再び使用したのだ。

 使い古され、然も雨中と云う事もあり、これは完全にホスワード側の虚を突いた物だった。

 装甲車両の発案者の、皇帝副官ハイケ・ウブチュブクも、戦場の西側で発生した事態に、愕然としている。

「全軍、陣に撤退!装甲車両を先として、歩兵は其の支援。余とキュリウスが殿を務める!」

 アムリートが全軍に大声で命じ、近くのハイケには彼にしか聞こえない声で言う。

「どんな兵器や策を用いても、何時かは破られる物だ。落ち込む暇が有ったら、次の策を考えよ」

 ハイケは「はっ」、と力無く言うと、今は殿として、馬上で槍を振るう事に専念する。


 次第に雨は弱く為り、微かに灰色雲の中から、沈む直前の太陽が輝く頃、両軍は共に自陣へと引いて行った。

 ホスワード軍はバリス軍の火砲を半減させる事に成功したが、全体の将兵の被害はホスワード側が多く、何より四十輌の装甲車両が完全破壊され、三十輌は半壊で暫く使用不可。同じく三十輌は数日の整備が必要とされた。

 この一連戦いで、カイ・ウブチュブク将軍は本陣で彼の率いる一軍と、待機状態だった。

 抑々、指示無くの出陣はしない事を条件に、彼はこの戦いの参加をアムリートに因って、厳命されている。



 翌二十日は両軍とも軍の再編で動きは無かった。

 天候は一気に快晴へと向かい、微かな乾いた風が吹き、空には薄雲がかかるだけの晴天。

 導火線にて爆発物を設置したら、其の煙ははっきりと判るだろう。

 先の戦いで装甲車両が吹き飛ばされたのは、導火線の煙が雨中と遭って、判明が出来なかったからだ。

 この天候が続けば、爆発物の判明は容易だ。

 アムリートは用心として、装甲車両がバリス陣営に突撃する際には、爆破物を扱うのに慣れた擲弾兵を中心に、爆発物の処理部隊を編成させた。


 快晴は続き、二十一日の午前七の刻に、ホスワード軍はバリス軍が又も小川の手前で、火砲と馬防柵を揃えているのを確認した。

「同じ事をしているとは思えぬ。周辺の偵騎を徹底せよ」

 アムリートが命ずると、ウラドが選抜した、メルティアナ州北部出身者で構成されている、約五十騎の偵察部隊が出立した。


 九の刻には、バリス軍の騎兵三万が、一万騎ずつの三路より、戦場を大きく南東へ向かっている、との報告をウラドは受け、彼はホスワード陣営の真南、南西、真西と三箇所から襲撃する心算では、とアムリートに自身の予想を述べた。

「余も同じだ。不可解なのは、何故この様な快晴時に、目立つ行動を起こす?先日の雨中なら馬蹄の響きも気付かず、此方の本陣を急襲出来たであろう」

 アムリートは対峙するヘスディーテの思惑を捕え切れずにいる。

 単に彼が戦場での正攻法な用兵に無知なだけでは無く、何かの策を乗せて、この様な目立つ迂回行動を取っていると感じた。


「如何致しますか、陛下。一万騎と三つに分けているのなら、速度の有る軽騎兵一万五千で以て、各個撃破も企図出来ますが…」

 そう進言したのはハイケだ。やや力無く言ったのは、先の装甲車両の爆破を見抜けなかった事と、軽騎兵一万五千を統括しているのは、彼の実兄のカイだからだ。

 ハイケも主君がカイを最前線に出す事に対して、渋っているのを感じているし、其れは彼も同じだ。

 今直ぐにでも、兄はこの場から立ち去り、ボーボルム城臨時司令官をしている義姉のレナと、帝都ウェザールに居る姪のエラの三人で、トラムのウブチュブク家の別邸でゆっくり過ごして欲しい、と思っている。


 アムリートの幕舎に主だった幹部たちが参集し、アムリートが次々に指示を出した。

「先ず、前線の火砲と馬防柵の軍は、ワロン大将軍が歩兵と装甲車両を率い、駆逐する事。仮にバリス陣営に追い込んだ時は、擲弾兵で編成された、爆破物処理部隊を先行させる事」

 そして、アムリートはカイを見た。

「ウブチュブク将軍は、南から三方向に分かれて迂回している、バリス騎兵三万の各個撃破を命ずる。深追いはせず、若し三部隊が合流する様な事が遭ったら、後続のキュリウス将軍率いる二万の重騎兵隊と合流せよ」

 カイの出陣を聞いて、諸将や其の幕僚たちは、「おお」、とざわつく。

「余はガルガミシュ幕僚長と共に本陣を護る。ヘスディーテの策が読めぬので、本陣にて全体を把握する」


 カイは立ち上がり、「勅命、謹んで承ります」、と直立不動で右拳を左胸に当てる敬礼をアムリートに対して行うと、幕舎を出て出撃準備に入る。

 共に皇帝の幕舎にて出席していたのは、参軍のレムン・ディリブラントと副官のアルビン・リツキなので、彼らも敬礼してカイの後を追う。

 三者は歩きながら、話し込む。レムンはカイより四十寸近く身の丈が低く、アルビンは更に数寸低い。

 歩きながらだと、カイは下を向きながら、二人は首を目いっぱい上げて会話をする。

「ディリブラントは先ず偵騎の報告を元に、三路の詳細な進路を調べてくれ。アルビンは我が軍中のメルティアナ州北部出身者の二十名近くの選別を頼む」

 十の刻を過ぎ、太陽は益々輝き、長らくの降雨の後で、空気は瑞々しい。気温は左程高くないが、少し動くと汗ばむ、初夏の陽気だ。


 両者の仕事は早く、四半刻(十五分)としない内にバリス騎兵の三つの侵攻路と、十八名の人員が揃った。

「この中間を通っている部隊は、途上多くの村落を通るな。先ずは彼らを叩こう」

 カイはレムンの報告を受けると、そう言って、自軍の出発準備をさせた。

 事前に近辺の村落の住民は避難しているが、携帯出来る貴重品のみを持っての避難だったので、村落の人家や畑や作業場所は其のままだ。

 アムリートは住民避難後、諸将に村落に被害を出す戦いをしても、大戦終了後には必ず帝国政府が復興の全面的な支援をするので、構わず戦え、と命じていたが、カイとしては矢張り村落の被害は食い止めたい。


 この様に三路から来襲しているバリス軍三万は、通常の道路を通らず、村落に通ずる小道や森林地帯から進んでいる。

 流石に、スーアに拠点を構え、一年以上。メルティアナ州のスーアからゼルテス周辺地域の地理は、バリス軍は周知していた。

 カイは自軍の選抜された十八名の部下に命じた。

「丁度、六名と三つに分け、各自進撃しているバリス軍の偵騎に向かってくれ。若し見つかり追い掛けられたら、無理をせず我が軍に戻っても構わぬ」

 六騎ずつの偵騎を先行させ、カイの軽騎兵一万五千の軍は中間を通る部隊へ向けて、出陣した。


 カイの一軍が目標としたバリス騎兵隊を捉えたのは、十二の刻の前だ。

 周囲は起伏は左程無いが、森林や小川が多く、何より近辺に村落が在る。

 大規模な騎兵隊を展開するのは、不適切な地で、カイの一万五千騎が限界だろう。

 バリス側は其の為、一万ずつと三分割したのかも知れない、と参軍のレムンはカイに述べた。

「彼らの相互連絡次第だが、上手く行けば、三つの軍を各個撃破出来るな」

 カイはそう述べ、全軍に弓矢の準備をさせる。


 カイの軍が一斉に馬上で進みながら矢を射る。

 この様に難易度の高い射撃にも拘らず、矢は正確にバリス軍に注がれる。

 両軍の距離は十丈(百メートル)以上だ。

 バリス騎兵は馬首を返して一斉に逃げ出した。其の方向にレムンが気付く。

「ウブチュブク将軍、彼らが逃げ出した方向には、約五百名程の村が在ります」

「村に篭り、人家や建物を壁として、我が軍を迎え撃つ気でしょうか?」

 アルビンが問うたが、カイは不思議に思った。

「歩兵なら、其の様に家々に隠れ、矢を射たりするだろう。だが、騎兵隊が村に篭るのは意味を為さない。若し村に篭っているのなら、村を攻囲して、矢を射れば好いだけの事」


 即座に、当の村にカイの軍は到着したが、バリス騎兵は其れを見て更に逃げ出して行った。

「ディリブラント、彼らが逃げ出した方向は、他部隊への合流路では無いな」

「左様です。然し、何を考えているのでしょう。只管(ひたすら)我が軍を引き付けるだけ引き付け、他の二つの部隊が本陣を直撃する心算でしょうか?」

「だが、其の前にはキュリウス将軍の二万の重騎兵が揃っている。彼らも偵騎を放ち、我が方の状況は知っていると思うが」


 カイは全軍に逃げて行ったバリス軍を再度追う、と命じ様とした瞬間、この村に人の気配を感じた。

 住民では無い。この辺り一帯の住民はカイに因り、事前にメルティアナ城へと避難している。

 好く見ると、村外れに二十名以上は乗り込む事が出来る、四輪の四頭立ての輜重車らしき物が、五輌確認された。

 人家から出て来たのは、軍装では無く作業服を着た者たちだ。この輜重車に村から強奪した、主に食料品を運んでいる。

 彼らの首には、赤褐色の首巻き(マフラー)が巻かれている。

「あれはバリスの輜重兵でしょうか?彼らの方が大軍で、且つ本拠地としているスーアから遠くに出撃しているので、無人の村落から物資を略奪をしていると思われます」

 アルビンがそう述べると、カイは又も不可思議に思う。

 あのヘスディーテが、如何に無人とは云え、掠奪を認めるだろうか?

 カイは主席幕僚の中級大隊指揮官に、軍の指揮を一旦任せ、自身とトビアス・ピルマー下級大隊指揮官と、十八名の上級中隊指揮官の古くからの部下たち、そしてシュキンとシュシンのミセーム上級小隊指揮官と従卒のモルティの合計二十三名で、彼らの略奪を止めさせる為に、騎乗のまま村内に入っていった。


 一旦、モルティに預けていた弓矢をカイは再び手にして、輜重車の付近に居る三十名程の作業服を着た男たちに矢を放つ。距離にして、凡そ十五丈だ。

 矢は輜重車の側面に凄まじい速度で突き刺さり、カイは警告の言を発した。

「バリスの者共!お前たちは武器を所持していない様だが、掠奪を止めぬのなら、次はお前たちの胴を射るぞ!」

 カイの中で更なる疑問が出て来る。この輜重兵たちは、カイの矢や言に怖れた風でも無く、只挑発的な態度を取っている。

 何か彼らは話している様だが、先のカイの警告の言と違い、通常に会話をしているので、何を話しているのかは聞き取れない。


「将かあの殿下の言う通りに平然と数騎で来るとはな」

「さて、此処からは競争と為るが」

「俺たちは暫く、あのウブチュブクとやらの観察と決め込もうぜ。既にあの辺りには何十人か潜んでいるぞ」

「一番乗りは彼奴らか。馬に乗った奴の殺しを得意としているそうな」

 彼らは自分たちの武器が納められている、輜重車の中へと入った。



 カイを先頭に二十三騎はゆっくりと騎行する。激しく動くと村を荒らしてしまうからだ。

 カイは何かに気付き、通っている細道の直ぐ右隣の人家から、只ならぬ気配を感じた。

 荒々しく戸が蹴破られ、現れたのは、矢張り首に赤褐色の首巻きをした、作業服姿の二人組だった。

 一人は身の丈が二尺に迫り、身体の幅も厚みも尋常では無いが、其れ以上に目に付くのは、この大男の背に乗った小男だ。

 小柄と云うより、六・七歳位の子供の様な背丈だが、顔付きは完全な壮年である。

 大男はこの小男を、何とカイ目掛けて投げ付けた。


 狙いは正確で、小男はカイの丁度背後へと落下して行く。

 何かを感じたカイは、腰の小太刀を抜き、自身の首の前に右手で構える。

 ギリッ!と軋む音がする。小男は銅線をカイの首に巻き付け、其のまま落下の勢いで、絞め殺そうとしたのだが、銅線は小太刀に因って、防がれている。

 小男は靴に仕込んだ小刀を出し、カイの濃い緑の肩掛け(ケープ)の背後に配された、銀で縁取りされた黄金の三本足の鷹を目掛けて突き刺そうとする。

「うげぇ!」

 小男が呻く。カイは腰の長剣を左手で操り、鞘の先端を小男の鳩尾(みぞおち)に勢い好く当てたのだ。

 小男は銅線を離し、地に倒れ込み、悶絶している。


 下馬したモルティが小男を短刀で絶息させると、カイの指示が飛んだ。

「モルティさん、長槍を頼む!」

 カイは弓矢をモルティに渡し、先端に突起がある鎚の長槍を貰い受け、小太刀を腰の鞘に納める。

 ヴェルフ・ヘルキオスの長槍だ。カイの長槍は自身の背に斜めにして納めてある。

 次に大男が直径五十尺は有る石を、いや寧ろ岩を用意し、投げ付けて来たのだ。

 カイは長槍を振るい、先端の鎚でこの岩を砕く。

 続け様にカイはこの大男に向かい、左手で長槍を振るう。最早彼らが輜重兵で無い事は明らかだ。

 又も大男は同じ大きさの岩を、今度は自分の身を護るのに使い、岩は砕かれるが、即座に先端が斧に為っている背に納めた長槍を、カイは右手で抜き放ち、大男の胴に深い一撃を叩き込んだ。


 この大男は、胴から大量の血と臓腑を(まろ)()し絶息したが、カイは別の攻撃に晒される。

 二十尺程離れた距離の人家の上から、別の男が現れ、手投げ剣の一種の(びょう)を投げ付けて来た。

 カイは左手に持った長槍の半ば部分を持って、先端の鎚で撃ち落したが、其の際に異様な匂いを感じた。

「皆の者、気を付けろ!此奴等は武器に毒を浸み込ませているぞ!」

 カイたちは五十人程に囲まれ、其々戦いと為っている。


「ウブチュブク将軍たちを救え!奴等を鏖殺(みなごろし)だ!」

不可(ダメ)だ!全騎の突入は村に被害が出る。村を攻囲し、弓に自身の有る者が此奴等を狙え!」

 中級大隊指揮官とカイは大声で遣り取りをして、この指揮官はカイの命を実行に移すが、隣のレムンが囁いた。

「若し、ウブチュブク将軍たちが危なければ、構わず全軍を村内に突撃させるべきです。彼らのあの服はバリスの囚人の作業着です。其れも命を落とし易い危険な作業を遣らされる、重犯罪人たちです」

 バリス帝国の内情に詳しいレムンが、この襲撃部隊の正体を漸く思い出した。

「バリスは死刑囚を死兵として、ウブチュブク将軍の殺害に使用しているのか!」

「如何やらこれが目的だった様です。見て下さい、先程逃げ出した騎兵隊が戻って来ています。我が軍の村内の突入を防ぎ、配した弓騎兵の排除をする心算でしょう」

「こ、これでは我らは彼らと交戦で、村内のウブチュブク将軍たちの救出処では有りません!」

 アルビンが悲痛な声を発する。

 ヘスディーテに因る、カイの性格を織り込んだ、この策謀に皆は戦慄する。


 参軍のレムンは冷静だった。彼は六騎の偵騎を呼び、この状況をキュリウス将軍と、更に本陣のアムリート帝に連絡する事を命ずる。

 このレムンの指示が少しでも遅ければ、六騎は戻って来たバリス軍に防がれていたであろう。

 然し、レムンも此処からは不安に襲われる。

 兵数こそ、自軍が五千騎程勝っているが、自分も主席幕僚も万を超す兵を指揮した経験が無い。

 当然バリスの一万の将は、其の経験を持っている。

 両者は話し合った結果、村内へ死刑囚を射撃をする、弓騎兵の防備に徹し、キュリウス将軍の援軍を待つ事に決めた。


 カイに鋲を投げ付けた男は、(ましら)の様に人家の屋根を飛び回り、鋲を投げ付けて来る。

 如何にか槍で弾き飛ばしていたが、今度はカイがモルティに弓矢を貰い受け、モルティは二槍を預かる。無論カイの様に両手で振るえないが、この重量の有る二槍を、問題無く保持出来る剛力を、彼は持っている。

 カイも両脚で以て、馬を駆け動き回り、矢を放つと、毒鋲を投げ付ける猴の首巻きに矢が突き刺さり、この猴男を仕留めた。

 其の瞬間、カイ目掛けて四人の男たちが、長さ四尺、高さ二尺の鉄網を広げて突撃して来た。

 網を馬に絡ませ、カイを落馬させる心算だ。


 カイは即座の判断で、弓を地に落とす。これは即座にモルティが回収する。

 そして、手綱を操り合図の掛け声を出すと、愛馬の前脚は高く上がり、網を持った片側の二人に対して、其の前脚を強かに討ち据える。

 片方の二名が転び、地に伏したので、網はカイの馬に絡まなかったが、又も別の方向から、八十寸程の手投げ槍が飛んで来た。

 カイは今度は腰の長剣を抜き放ち、手投げ槍を撃ち落す。

 この槍にも、先端に毒が浸み込ませてある事は明白だった。


 手投げ槍を投げ付けた男に、カイは長剣を投げ付け、これが見事に其の男の胴に深く突き刺さる。

 カイはモルティから二槍を受け取り、網を持った四人を即座に始末すると、モルティがカイの投げた長剣を抜き取り、カイに返す。

「何だ、ありゃ。化け物か彼奴は?あんなのを殺せ、とは殿下もとんでもない事を命じるな」

「だから、俺たちの釈放と報奨金が出るんだろう。然し、これは実質俺たちは死刑執行をされている様なもんだな」

 観察を決め込んだ、三十名程の輜重車に付近居た男たちだが、彼らは遠巻きからホスワードの弓騎兵から矢を射込まれるので、輜重車内に避難した。

「此処での殺害は難しいな。一旦引き下がるべきだ」

 カイを「化け物か」、と評した囚人が言う。丁度ホスワード軍はバリスの正規軍と交戦中なので、上手く逃げられるだろう。


 囚人たちはカイを目標としているので、ピルマーを初め他の村内に入ったホスワード将兵は狙われなかった。

 彼らはカイへ群がる囚人を追い、囚人は逃げながらカイを次々に狙ってくる。

 とは云え、全く無視している訳でも無く、ある囚人は積極的にピルマーたちを狙った。

 カイが部下や仲間を大切にする将だと、ヘスディーテに因って知らされているので、仲間を窮地に陥れて、カイを釣り出すのだ。

 ある囚人たちが狙ったのは、シュキンとシュシンである。勿論、彼らがカイの実弟である事を、この囚人たちは知らないが、これは効果的だった。


 カイが猛然と馬を駆け、シュキンとシュシンの元へ向かう。

 二人は六名に囲まれ、毒の浸み込んだ剣を相手にしているので、馬に当たるのも防ぐ為、攻撃が一切出来ずに馬を止め防備に徹していた。

 其処へカイが現れたので、六名は一斉に剣をカイの愛馬に突き刺そうとする。

 先ず馬を倒し、カイを地上にて仕留める心算だ。

 だが、馬上より両手の二槍を持ったまま、高々と飛び上がり、地に降り立つ前に二人を、着地するや否や二人を、両手の長槍で戦闘不能にし、残った二人は、シュキンとシュシンに因り始末された。

「お前たち、俺の馬を連れて村外に出ろ。矢にて此奴らの始末を頼む!モルティさんも村を出るんだ」

 逡巡する間も無く、三人は其の命を受け、モルティがカイの愛馬の手綱を持ち村外に出る。

 其れを護る様にシュキンとシュシンが続く。


 ピルマーたちも村外の弓騎兵の正確な射撃に援けられ、被害を出す事無く戦っているが、これは単に相手がカイを討ち取る事に狂奔しているからだ。

 其れを感じたピルマーは十八名の仲間に命ずる。

「この様な輩を相手に、戦い方等拘る必要は無い!将軍に向かう奴等の背後を取り、構わず殺せ!」

 下馬したカイに群がる三十人は超える囚人たち。其の彼らにピルマーたちは背後から襲い、中心のカイも二槍を振り回し、ほぼ一掃した。

 数人が輜重車の方に逃げて行き、五輌の輜重車はバリス軍中へと向かった。

 バリスの正規兵としても、カイを相手にする気概を持った者など居ないので、この対ウブチュブク専用の戦闘員を保護する。



 村内の戦いが終息する中、村外の戦いはホスワード軍の窮地に陥っていた。

 別路を進んでいた二部隊が合流し、バリス軍は三万と膨れ上がったのだ。

 カイたちは即座に村を出て、今度は軍の指揮を執らねば為らない。

 最後尾にトビアスが、周囲に未だあの襲撃者たちが、潜んでいないかを確認しながら奔る。

 カイたちが自軍内に入ると、レムンからキュリウス将軍に連絡済みとの報を受け、カイは其の功に感謝し、モルティが曳いて来た愛馬に跨り、全軍を一団に纏める様に指示をする。

 カイが最前線に立つと、最早バリス将兵は恐怖で怖気ずく。

 一万五千の軍を三万で半包囲しているのに、積極的な攻撃をせず、離れた場所から矢を射るだけだ。

 カイが進み出ると、「わあっ!」、と恐慌の叫び声を上げて、後退りして行く。

「こんな時こそ、奴等の出番だ!輜重車の囚人たちを前面に!」

 バリスの将が、村から逃げ戻った五十名近くの囚人部隊を出す様に命ずる。

「勘弁して欲しいぜ。こんな平地じゃ、あの化け物に殺されろ、と言われている様なもんだ。奴を殺すには乱戦中か、隠れる場所が在る市街戦じゃないと無理だぞ」

 バリスの将が苛立ち、再度囚人部隊をカイへの死兵に、と命じた時、この将の副官が二万騎のホスワード軍の援軍が迫っている、と報告して来た。


 バリス軍は撤退を即決した。この二万騎の攻撃に晒されたら、確実にカイの軍は突撃して来るだろう。

「何だよ。そう云った乱戦なら、あの化け物を殺せる機会(チャンス)が有るのだが」

 村内の戦いの中、輜重車付近でカイの観察を提案し、其の後に一旦引き下がるべきだ、と述べていた囚人が言う。

 年齢は三十代前半だが、十歳に為らない内から、様々な犯罪に手を染め、漸く三年程前に捕縛された。

 其の際に彼は、バリスの衛士百名以上に追われていたが、五十名以上を殺害して、力尽きた処で捕えられた。

 身の丈は百と八十五寸程で、しっかりとした体幹をしているが、筋骨隆々とまではいかない。

 寧ろ他の囚人たちの方が、彼よりも体格的には目立つ者が多い。

 だが、他の囚人たちはこの男に一目置いていた。何処で身に付けたのか知らないが、学が有り、殺しの技だけで無く、様々な知識を持っている。

 名をレルミス・メルシアと、何処か優しげな響きで、事実風采も整っている。後年にカイ・ウブチュブクの伝記や物語は、多く創られるのだが、彼はほぼ必ず、これ等の最終部分で出て来る難敵として著名だ。


 この二十一日の夕には、両軍の騎兵隊は其々の本陣に戻り、川を挟んで戦闘をしていた両軍も引き上げていった。

 カイは帰陣前に、例の戦闘と為った村から、毒物を含んだ武器を全て接収し、アムリートとハイケに報告をした。

「バリス軍の一部隊が毒物を使用した攻撃を行いました。村内に遺棄された其れらは全て回収しましたが、念の為に避難している住民が戻る前に、村内の安全のご確認をお願い致します」

 アムリートはカイを労わる様に言う。

「これは卿の一番の功だ。其の接収した武器はゼルテスに運び、帝都より宰相府の衛生局から、薬物に詳しい研究者を呼ぶ。分析と解毒薬の作成を即座に行わせよう。無論、其の村の除染も行う」

 アムリートはハイケに命じ、帝都の宰相府への其の依頼の早馬を出す様に命ずる。


 ホスワード本陣の皇帝の幕舎で、アムリートが険しい顔で、状況を整理している。

 ヘスディーテは、いやバリスの将兵は誰もカイと戦いたく無い様だ。

 そうだろう。昨年のドンロ大河の水戦に始まり、カイと大海の騎兵隊は、バリス軍を次々に破り、バリス将兵をカイが殺傷した事夥しい。

 この様に毒物を使う、囚人部隊を死兵として使い、カイを殺害させ、士気を高める算段だ。

 だからこそ、アムリートはこれ以上カイを最前線に出すのを止めさせ様とした。

 未だ北方の状況は不分明だが、北方はルギラス・シェラルブクとラース・ブローメルトに任せ、ファイヘル・ホーゲルヴァイデを当地に呼び、一万五千騎の軽騎兵の将の交代を、アムリートは幕僚長のウラド・ガルガミシュ、大将軍のエドガイス・ワロン、そして皇帝副官のハイケ・ウブチュブクと協議した。


 ファイヘルの叔父に当たるワロン大将軍は、反対の意を表した。

「ウブチュブク将軍は戦傷を受けた訳でも無いのに、其の様な危険性だけで、ホーゲルヴァイデ将軍を呼ぶのは、彼に対する敬意に欠けていますぞ。これでは『卿なら殺害の対象と為らないから、安心して戦え』、と彼の誇りを深く傷つけるでしょう」

 ウラドとハイケは賛成だったが、確かにワロンの言う通り、ファイヘルに対して敬意を欠いている。

 殊に、ファイヘルは誇り高き男だ。この事は最悪の場合、将来に何らかの禍根を残す。


「…大将軍の言う通りだ。余としてはこの戦いの勝利を余自身で掴もうと思う」

 アムリートはそう言うと、具体的な案を提示した。

 其れはスーアには一万の兵が残っているが、これは恐らくこの戦場に補給物資を運搬する輸送部隊でもある筈だ。

 この輸送部隊の出撃を確認したら、アムリート自ら一軍を率いて、輸送部隊を壊滅させ、総攻撃に行う事を提示した。

「陛下、其れは臣なり、キュリウス将軍が務めます。如何か其の様な御身を危険に晒す事の無き様」

 ウラドが制止の言を述べると、アムリートは反論した。

「卿やキュリウスが担当と為れば、必ずやカイは、自分が行う、と主張する。余が強い決意で行う、と表すれば、彼は必ずや承服する筈だ」

 ハイケは困惑する。兄が最前線に出ないのは歓迎すべき事だが、主君が最前線に出ようとしている。

 当然ハイケも副官として出陣だが、別に彼はこの事に恐怖や困惑は感じていない。


 翌朝の皇帝の幕舎で行われた会議は、このアムリートがバリスの補給部隊を襲撃する事の確認と為った。

 流石に諸将や其の幕僚たちはざわついたが、アムリートはカイを見て、次の様に発した。

「ウブチュブク将軍。卿には最も大事な事を任せたい。其れはゼルテスからこの陣営に(もたら)される物資輸送部隊の警護だ。当然バリス側も我が方の補給線を絶つ事を狙っていよう。異論は無いな」

 カイは、バリスの輸送部隊の襲撃を自身が行ないたい、と主張しようとしていたが、主君にこう言われては、承諾せざるを得なかった。


 アムリートは、スーアから補給部隊が出撃してから、本陣より出撃するのでは無く、事前に出撃して、想定路に対しての伏兵を行う。

 二万の騎兵を用意して、これを二千ずつと十の部隊に分け、小出しに各部隊が本陣から出立し、指定された伏兵場所へと向かう。

 特に北のメノスター州との州近辺に配し、各部隊は狼煙を持ち、最も西の部隊が狼煙を上げたら、次の西の部隊が狼煙を上げ、十の箇所より、同時攻撃を行う。

 地理に関しては、自国領土なので、不安点は無いが、唯一問題が有るとすれば、この初日の戦いの時の様な大雨では、狼煙は判別が難しい事だ。

「こればかりは、今の様な好天が続く事を願うしかないな」

 アムリートはそう締めて、悪天候だった場合も想定して、各部隊に相互連絡用の軽騎兵も配した。


 一番に出発したのは、アムリートの部隊で、皇帝が一番の西側。つまりスーアに一番近い処まで進出する。

 この日の夕闇には、第一陣として出撃した。当然ハイケもこの部隊に加わっている。

 先ず、東に進路を取り、そして北へ向かいメノスター州に入り、西へと進む。

 通常の道路を殆ど使わず、二千騎はほぼ一列に近い形で、隘路を進んで行った。

 本陣はワロン大将軍が統括し、ウラドが補佐する形を取った。


 一方、二十二日のバリス陣営は丸一日防備を固め、ヘスディーテの幕舎で協議が為された。

 先ず、火砲が半減し、更に弾薬も不足しだして来た。

 大軍故に食料品の無く為りも早い。

「必ずやホスワードはスーアからの補給部隊を襲うだろう。だが此処で大軍を補給部隊の防備に回せば、彼らの攻勢を誘う」

「速度から考えますと、軽騎兵を率いるカイ・ウブチュブクが担当すると思われますが」

 幕舎の諸将はざわつく。誰もあの男の相手をしたく無いのだ。

「囚人部隊は半減した様だな。何やら彼ら内で指導者らしき男が居るそうだが、其の男を此処へ呼べ」


 手錠を掛けられたレルミス・メルシアがヘスディーテの幕舎に入る。左右には武器を持った兵が彼を監視している。

「其の様な状態では彼も話し難かろう。座する事を許可する」

 ヘスディーテに因って、レルミスは一席に座した。

「如何だ?もうウブチュブクの相手はしたく無いか。其れ為らば、卿らは本国に帰還して、強制労働に逆戻りだが」

「あの男を殺すのは途轍も無い難事です。ですが、二つの条件が揃えば完遂出来るかと」

「申せ」

「先ず、場所は死角と為る多くの建物が有る処。状況としては敵味方入り乱れての混戦状態」

「其の状況を私に造れ、と云うのか」

「簡単に出来ましょう。スーア市を戦場とするのです」


 諸将は更にざわついた。折角の占領地を戦場とせよ、とこの囚人は言うのである。

「因みに、スーア市はダバンザーク神聖国が正式名称ですな。あの国師をウブチュブクを誘い出す駒としても使えますが」

 ヘスディーテは灰色の冷たい瞳で、レルミスを見据える。

 あのエレク・フーダッヒを持て余しているのは事実だ。ウブチュブクに始末させるのは、一つの手かも知れない。


 ヘスディーテは一人の将軍にこう命じた。

「卿は一万の軍を率い、補給部隊に合流して、二万で来る様に。若し、補給部隊を襲うホスワードの軍がカイ・ウブチュブクなら、其のままスーア市に逃げ込んでも構わん。だが、ウブチュブクで無い場合は、何としてでも敵軍を排し、この地に物資を齎す様に」

 そして、カイが襲撃に来た場合に備えて、諸将にはスーアへの総退却準備を命じた。

 ヘスディーテは、スーア市内外を最終決戦場とする事を決したのだ。



 二十四日の早朝にスーア市から、一万近くの補給部隊が出発した。

 これでスーア市内の戦闘員は、千に満た無いバリス将兵と、ダバンザーク神聖国の衛士が五十名程である。

 程無くして、バリス側の本陣から一万の兵が遣って来て、合流を果たす。

 火砲や弾薬、食料品や医薬品、そして馬防柵が乗せられた、四頭立ての輜重車が数十輌と連なり、周囲をバリス軍は護っている。


 ほぼ同時期に、ホスワード側の本陣から、カイ・ウブチュブク率いる軽騎兵一万五千が南へ進路を取り、西へ向かった。

 バリス側としては、カイがこの補給部隊を襲う、と見たであろう。

 だが、カイの軍は東のゼルテスから齎される、補給物資の護衛の為に出撃したのだ。

「この様な我が軍の動きを見れば、現在埋伏している陛下の各部隊は、気付かれないだろう」

 つまり、カイは目立つ進軍をして、北方で埋伏中のアムリートのバリス補給部隊への襲撃部隊を少しでも判明させない様にしたのだ。

 カイはある程度、西へと進むと、自軍を千騎単位で分け、各自東のゼルテス市へと、隘路を通って転進させた。

 通常なら、本陣からゼルテスへは軽騎兵なら、四刻(四時間)で到着出来る。

 この複雑な動きは、少し時間の無駄に思えるが、ホスワード側は未だ本陣の物資に余裕が有るから、行っているのだ。

 当然、或る一部隊は、先程の戦いで押収した、バリス側の囚人部隊の毒を含んだ武器を、分析の為に運搬している。


 幸運にも晴天は続き、やや空は白い雲が多いが、視界は良好だ。

 又、風も北から南からと、軽い感じに気まぐれに吹くだけなので、炊煙の臭いや、人馬の動く臭いや其の土煙等は遠くまでは、届かないだろう。

 バリスの補給部隊は真東に進んでいるが、北は起伏の在る草原や、人馬なら十分に進める小川が流れていて、更に北に疎らに点在する森林群が、メルティアナ州とメノスター州の境と為っている。

 アムリートの軍は、この境付近で待機している。

 南も基本的に草原だが、起伏が無い代わりに、森林が多い。

 軍が至近で隠れるには最適だが、騎馬隊だと森林を通るのは邪魔だ。

 バリス側はホスワード軍の襲撃が、北と南のどちらから来るか、計りかねていた。

 其処へ、カイの軍の南への陽動である。

 バリス側が北と南のどちらに注視すべきか、其れとも両方か、と困惑させたのは謂うまでも無い。


 北の方面に微かな立ち上る連続した煙を、バリスの補給部隊が確認したのは、この日の夕近く。

 半刻とせず、二千騎が縦に伸びた、補給部隊を十カ所からほぼ同時に襲った。

 バリス軍も同数の二万で、防備を重視した重装歩兵が中心である。

 弓を放ち、突撃して来たホスワード騎兵を防ぎながら、この襲撃部隊の指揮官を明らかにする様、バリスの補給部隊の長である将は命じた。

 程無くして、この部隊の総指揮官は、敵国の総帥アムリート帝である事が判明する。


 バリスの将は、輜重車を中心にして、円陣を組む事を指示する。

 北からだけで無く、南からも同時攻撃が来ると判断したからだ。

 将か、皇帝のみの一軍が襲撃に遣って来たとは思われない。

 ホスワード軍の十の部隊は、突撃と離脱を繰り返し、輜重車へ到達出来る様、執拗にこれを繰り返した。

 円陣では無く、完全に北に対しての防備を取れば、防げたかも知れないが、バリス軍の北側は次第に綻び始めた。

「陛下、そろそろ例の部隊を突入させる頃合いかと」

 馬上で長槍を持ったハイケが、同じく馬上で、白銀に輝く二尺を超える長槍を持った主君に述べる。

 両者、特にアムリートに因り、この長槍で蹴散らされたバリス将兵は数知れない。

「よし、大旗を振れ!」

 ハイケが、大きなホスワードの軍旗を持ったある士官に、其の旗を掲げ、振る事を命ずる。


 バリス軍の綻びに突入したのは、二百の騎兵だが、騎乗し馬を操る者は、一切の武装をしていない。軍装のままである。

 但し、厳密には四百騎と為る。何故なら同じく軍装のままの兵が、後ろに跨っているのだ。

 二人で騎乗しているので、軽装な訳だが、後ろに跨った兵は擲弾兵である。

 揺れる馬上で、手榴弾を出し、着火させ、其れをバリスの輜重車を目掛けて投げ込む。

 正確に投擲された手榴弾は、輜重車内で大爆発を起こし、中の物資は燃え上がったり、周囲に飛び散る。

 この策はハイケが中心と為って、策定された。

 当然、馬を操る者は、馬術に優れた者を選抜し、擲弾兵は通常から、揺れる船内や、装甲車両から投擲の訓練をしてるので、この馬上からの投擲も問題無く行えた。


 バリスのこの補給部隊の責任者である将は愕然とする。

 肝心の物資が、これで殆ど破砕されたからだ。

 最早、この戦い自体が意味を為さない。

 いや、此処で敵国の総帥のアムリート帝を討ち取れば、と開き直って、全軍に北から来たホスワード軍の殲滅を、この将は命じた。

 アムリートも物資破壊が完遂されたら、敵側が自身の討ち取りに切り替える事は、織り込み済みである。

 ホスワード軍とバリス軍の完全な戦いが始まったが、一方でアムリートは伝令兵を東に奔らせ、バリス軍の補給物資の破壊が出来た事を触れ回り、ホスワード本陣がバリス軍に総攻撃を実施する事を指示した。


 バリス軍は即座に円陣を解き、重装歩兵を前面に出した方陣を敷き、ホスワード騎兵へと突撃を開始する。

「此処でアムリート帝を討ち取れば、其の瞬間、本朝(わがくに)の勝ちだ!全軍突撃せよ!」

 アムリートも自軍を直ぐに纏める。

 十に分かれた部隊を結集し、北へと戻り、其の場所は起伏の在る高所。其処に自身が中央の先頭に立ち、一万近くの重騎兵を横陣に並べ、左右に各五千の騎兵を伏兵とした陣を敷く。

 物資が破壊された怒りと、敵国の皇帝を討ち取る事に固執したバリス軍は、其のまま正面の重騎兵へと突撃する。


 先ず、両軍は矢を射たが、ホスワード軍は騎乗の兵が高所より弓を放ち、バリス軍は前面の重装歩兵は弓矢を携帯していないので、後方の歩兵が低所より矢を射る。

 当然、ホスワード軍の矢はバリス軍に降り注がれ、バリス軍の矢はホスワード軍に届かない。

 構わず、バリス側は先頭の重装歩兵を、ホスワード軍の横に並んだ重装騎兵に突撃させるが、人馬が隙無く密集した、ホスワード軍の横陣を突破する事が出来ず、突撃は止まってしまった。

 其の瞬間、ホスワード軍の左右の騎兵が突撃し、包囲殲滅が完成し、このバリスの補給部隊は次々に討たれて行く。

 こうして、ほぼ壊滅したこのバリスの補給部隊は、西のスーア市へと落ち延びて行く。

 重騎兵の中心で矢を射、長槍を振るった、アムリートの用兵と戦士としての凄まじさである。


 日が沈み始めた頃には、バリスの残兵は完全に居なくなった。バリス側の死者は一万近く、ホスワード側は、数百と云う完全勝利だ。

「恐らく、東からバリスの本軍が撤退して来るだろう。余たちの軍は其の的と為るぞ」

 アムリートが勝利に沸く、将兵たちに注意を促す。

 十万を超える兵が、スーアを目指して、今自分たちが居る場所に、退却へと現れるのだ。



 アムリートは全軍に指示を出した。

「南へ向かい、森林地帯で身を隠し休息だ。バリスの撤退兵は先頭部隊はやり過ごし、追撃に現れた味方と連携して、斜め後背から襲う」

 日も暮れたので、この夜は数名の見張りを立てて、全軍は休息した。

 アムリートは、バリスの退却の先頭部隊が現れるのは、早くとも明日の夕近くだと、距離を考え判断した。


 処が翌二十五日の昼前に、アムリートの一軍が休憩していた箇所近くで、バリス軍の歩兵部隊が整然と退却して来た。

 数は五万を超え、追撃しているホスワード軍は確認されなかった。

 報告を受けたアムリートは呟く。

「これは既にバリス側は撤退準備を事前にしていたな。我が軍の追撃は大いに防がれていよう」


 撤退準備をしていたバリス軍は、先ず砲兵部隊を残し、自陣へ追撃に来たホスワード軍に猛射撃を浴びせた。

 二十五日の早朝の事である。ホスワード軍に因るバリスの補給部隊が壊滅した知らせを、両軍は受けていた。

「装甲車両を前面に出し、バリス陣営へ突撃せよ!奴等の弾薬はこれで既に尽きている」

 ワロン大将軍は、檄を飛ばした。

 確かに、射撃は一時的な物に終わり、火砲は輜重車に乗せられ、西へと向かって行く。


 ホスワード軍は、バリスの陣営へ突入する。

 だが、更に第二陣の砲撃部隊が展開していて、ホスワード軍の追撃は又も遅滞する。

「二度の砲撃を行いましたが、これは三度目の砲撃が有ると見せかけて、総退却か、実際に三度目の砲撃が実施するか、我らを悩ませる策と思われます」

 野戦幕僚長の、ウラドがワロンに進言した。

 この時点で、ワロン大将軍はホスワード全軍の統帥権を持っている。

 アムリートが一時的に大本営を離れたので、大将軍と云う地位は、其れを代理として、受け継ぐ権利を持っている。


「構わず進め!陛下が補給部隊を壊滅させた。これ以上の砲撃は無い!」

 事実、ワロンの言う通り、砲撃は発生しなかった。

 然し、バリス陣中内には、落とし穴が設置されたり、馬防柵の残骸で造られた、進路を塞ぐ箇所が幾つも出現した。

 一番恐れた罠は、緒戦で使われた火薬爆発で有る事は、謂うまでも無い。

 ホスワード軍は、このバリス陣営の罠の撤去に時間を取られた。

「ガルガミシュ将軍。ウブチュブク将軍が、ゼルテスから本陣へ補給物資の護衛任務を終えたら、こう伝えよ。『卿の軍は軽騎兵故、別路から迅速にバリス軍を追撃出来る。スーアに篭るバリス軍を少しでも打撃を与える為、出撃せよ』、と」

 ウラドは、ワロンを鋭い眼付きで睨み付けた。

 これ以上のカイの戦闘は、辞めさせたいのがウラドの心境だが、統帥権を持っているワロンのこの命を拒否する権が無い。

「…承知致しました。我が陣営に連絡兵を飛ばし、ウブチュブク将軍が到着したら、其の命を伝えます」


 ウラドは内心で嘆息する。

 成程、このエドガイス・ワロンは、カイ・ウブチュブクを高く評価している様だ。

 だが、其れは敵軍を殺戮する戦士として、評価しているので有って、自身やアムリート帝の様に、家族を愛し大切に思い、士卒を大事にし、民衆を護り、彼らの生活を安寧にする為に、戦場に身を投じ、勝利が確定したら、敵兵を一兵でも助ける。其処を評価している訳では無いのだ。

「…恐らく、カイを追撃に出したら、陛下の逆鱗にワロン大将軍は触れるだろう。この様な状態で、スーアの攻略等出来得るのか」

 ウラドは旗下の兵に、バリス陣営の罠の撤去に指示を出しながら、不安を覚えていた。


 午後の三刻にカイが率いる約一万五千の軽騎兵は、ゼルテス市からの補給物資の護衛を果たし、本陣に到着した。

 即座にウラドの旗下の士官がカイに、バリス軍の追撃要請を述べた。

 この士官は、アレン・ヌヴェルの長子だ。

「ご苦労だった。皆、物資の運搬を終えたら、申し訳ないが、出撃準備をしてくれ」

「やれやれ、何とまあ人使いの荒い」

 愚痴を零す、レムンにカイは苦笑して、「大将軍の命だ。現在は陛下が本陣を離れているので、全軍の統帥権は、大将軍が持っている」、と述べた。無論、レムンも承知の事である。


 バリス軍の殿を務めているのは、騎兵隊だ。

 この中に特別にレルミス・メルシアが騎乗して、約三万の騎兵隊の殿の一兵と為っている。

「この使えなく為った馬防柵の丸太を幾つか頂戴しても好いかな?」

 レルミスは、バリスの騎兵隊の或る士官に述べた。

「構わぬが、こんな物を投げ付け、カイ・ウブチュブクの殺害など出来るのか?」

「まぁ、其れは見てのお楽しみ、と云う事で」

 レルミスは直径約三十寸(三十センチメートル)、長さ五十寸の丸太を背に担ぎ、他に幾つかの木片を携え、馬にて殿部隊の中で西へ向かう。


 程無くして、殿を務めたバリスの三万の騎兵隊は、カイ・ウブチュブクの騎兵隊が追撃に迫って来る事を知る。

 バリス軍は動揺する。自軍が倍の三万近くなのにだ。

 先頭に長弓を構え、長い矢を番える人馬が巨大な姿を視認すると、最早恐慌状態だ。

 放たれた矢は、バリスの高級士官の胴に深々と突き刺さり、この高級士官は倒れ込む。

 そして、カイが両手に長槍を持ち、バリス軍に突撃の敢行をした。

 バリス騎兵は逃げ回ろうと、急いだ結果、逆に自ら混乱状態に為り、カイの両手の長槍で殺傷される事夥しい。

「全く、何を遣ってるんだか」

 レルミスはそう言うと、カイと対峙した。

 容赦なく振るわれる、カイの右手の先に斧が付いた長槍。

 其れが深々と十五寸は突き刺さった。


 だが、突き刺さったのは、レルミスが背後から出した、丸太だった。

 深々と突き刺さり、カイは自身の長槍が抜けない。

 即座に左手で先端に鎚の付いた長槍を、レルミスに放つが、彼は身を後ろに逸らし、空を切らせる。

 今度は、レルミスが木片をカイに投げ付けた。

 カイは右手の丸太に突き刺さった長槍を捨て、右手で長剣を抜き、其れ等を弾き飛ばすが、幾つが突き刺さり、使用不可と為った。

 再度、左手の長槍をレルミスに振るうと、今度はレルミスは馬上から宙へ飛び、小刀を突き出し、カイに向って、落ちて行く。


 左手の長槍を大きく振るったので、躱されたカイは左手の長槍を即時に動かす事が不可能だ。

 カイは瞬時に右手の長剣を捨て、小太刀を抜き、レルミスのこの小刀を防いだ。

 この小刀にも毒が浸み込ませてある事は明白だった。

 レルミスは着地すると、カイが地に捨てた先端に斧が付いた長槍と長剣の、突き刺さった木片を蹴り、遠くへと飛ばした。

「俺の名はレルミス・メルシア。ウブチュブクさんよ、この続きの遊びはスーアで遣ろうや」

 そうレルミスは言うと、自身の馬に乗り、西へと落ち延びて行った。


 こうして第四次ゼルテス会戦は、ホスワード軍の勝利に終わったが、バリス軍への追撃が思う様に行かず、大半のバリス将兵はスーア市への撤退に成功した。

 ホスワード帝国歴百五十九年四月二十五日。こうして大陸大戦は最後の戦いとなる、スーア市攻防戦へと移る。


第四十一章 大陸大戦 其之拾肆 第四次ゼルテス会戦 了

 戦記物で、勢力図がどんどん入れ替わる感じなのを書きたかったのですが、主人公たちが国のトップや、大陸全土の制覇を目指す狙う野心家ではなく、ただの一部将として戦っているので、勢力図がほとんど変わらない、というのは、ちょっと妙ですかね。

 お話は、あともう少し。お付き合いの程、よろしくお願いします。



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