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第四十章 大陸大戦 其之拾参 大軍集結

 ついに40回目の投稿です。

 多分ですが、50回まではさすがにいかなそうです。

 初めにうまく調整して、きっちり50回で終わったら、カッコいいんですけどね。

第四十章 大陸大戦 其之拾参 大軍集結



 ホスワード帝国歴百五十九年三月二十三日の昼近く。帝国南東部に位置する、クラドエ州の南部のとある村落に、軍装をした騎馬の一団が現れた。

 カイ・ウブチュブク将軍の一団だが、彼を含め合計十一名の内、五名は白を基調とした軍装で、女子部隊である事が判る。

 更に女性たちは皆若く、特に内二名は、十代半ばの少女だ。

 この年に、十六歳に為るセツカ・ミセームと、十五歳に為るツアラ・ブローメルトだ。

 両者とも騎乗は出来るが、通常の移動位だ。連絡兵や偵騎の様に猛速度で奔る事は出来ないし、馬上で武器を振るう事も不可能だ。

 なので、クラドエ州の東隣のレラーン州から昨日の早朝に出発したのだが、一団はこの両者に合わせて、馬を奔らせた。

 通常の連絡兵なら、半日で到達可能な距離である。

 途上、軍施設で宿泊をしたのは、謂うまでも無い。


 訪れた村落は、一種独特だった。人口三百名に届かない農村だが、近くに無骨な軍施設が見張る様に、存在している。

 更に、村の奥地には、独特な神殿が現在建立中である。

 ホスワードに於ける、ヴァトラックス教徒の自治区の村落だ。

 住民は、元から此処に住んでいた教徒と、長らく収監されていた教徒から為っている。


 一同は、下馬して歩いたが、何とも女性陣も男性陣も体格が不揃いだ。

 先ず先頭を歩くカイは、身の丈が二尺(二メートル)を優に超え、筋骨逞しい手足の長い所有者である。

 隣を歩くレナ・ウブチュブクは夫より、三十寸(三十センチ)以上は背が低いが、これでも平均的なホスワード人女性の背丈より高い方である。

 レナと同じ背格好のオッドルーン・ヘレナト。百と九十寸近く有る、細身ながら力強さを感じる、均整の取れた体格のシュキンとシュシンのミセーム兄弟。

 モルティの背丈は百と八十寸近くで、彼の背丈が大体ホスワード人男性の平均だ。

 尤も体の幅は有り、がっしりした体格だが。

 他の三人の女性たちは、ホスワード人女性の平均より、若干低い。


 其の中で一番背の高いセツカは、百と六十五寸に届かない。ツアラは彼女より二寸程低い。二人とも華奢だが、弱々しい感じは無く、白の女子部隊の軍装が好く似合っている。

 白の上下と、薄緑の縁無し帽子と胴着(ベスト)、茶色の手袋と(ベルト)長靴(ブーツ)、そして上に羽織った白の肩掛け(ケープ)

 但し、一部特殊な作りをしている。肩掛けの背の緑の三本足の鷹は、赤で縁取りされ、帽子の周囲にも赤糸の線が施され、胴着の左胸の三本足の鷹も赤で刺繍されている。

 モルティもそうだが、軍装に赤の装飾が付いているのは、従卒を表す。曾てシュキンとシュシンも似た様な物を着ていた。


 一番背の低い女性は、身の丈が百と六十寸に届かず、矢張り華奢だが、肩掛けの鷹の縁取りは銀色で、薄緑の帽子には三本の鷹の羽が付いている。

 女子部隊第二副指揮官のラウラ・リンデヴェアステ上級中隊指揮官だ。

 一見、少女の様な顔付きだが、この年で二十五歳である。

 帽子からはみ出る明るい金髪、大きな目の瞳の色は薄い蒼色と、ホスワード人でも珍しい風貌だが、特に注目が行くのは、左の腰に丸めて備えられた、先端に錘が付いた鉄の鞭(チェーンクロス)だ。


 高級士官の軍装をした、参軍レムン・ディリブラント中級大隊指揮官は、身の丈が百と七十寸に届かない細身の小柄で、副官のアルビン・リツキ中級中隊指揮官は、更に小柄で細身だ。

 この小柄な二人が、側近として、天を突く様な巨躯であるカイの傍に常にいる。

 セツカとツアラは、本来は学院通いだが、特別に今夏辺りまで、レナの副官兼従卒を務める。


 カイとレムンは、建立途上の神殿を見て、頷く。二人はヴァトラックス教を国教とする、ラスペチア王国の滞在経験を持っているからだ。

 近くに居た、灰白色で統一された衣装の神官にカイは問うた。

「これら二つの神殿は、善神ソローと悪神ダランヴァンティスを祭る物ですね」

 其の神官はラスペチアから、ホスワードの要請で来た神官で、ホスワード語も問題無い。

「はい、そうです。但し、本朝(わがくに)の信仰の在り方を、この地に強要するのは、問題が有ると思い、神殿の建立様式と、本朝の信仰形態を述べるに留めています」

 ラスペチアでは、ヴァトラックス教に関連した物は、年に数度の殆ど祭りの様な形式の儀式が行なわれる位だ。

 当地では、信仰形態がかなり俗化している。


 神殿から離れた処に、霊園が見えた。墓が二つ在る。

「あの一つは、パルヒーズ・ハートラウプの墓だと思いますが、もう一つは?」

「当地の貴族のミシュトゥール侯爵、と聞き及んでいます。侯爵閣下は身体が弱く、ハートラウプ師の死後、数日後に死去為さったとの事」

 ミシュトゥール侯爵は、ヴァトラックス教に耽溺した貴族で、長年パルヒーズに資金援助をしていた。

 彼にヴァトラックス教を紹介した貴族が、リロント公爵で、トラムのウブチュブク母娘の殺害指示の主犯であり、爵位を取り上げられ、現在は獄中に在る。

 ミシュトゥール侯爵は、この一連のトラム襲撃に関係は無かったが、同志のリロント公爵が捕縛され、元々体弱かった為、心痛からこの襲撃事件後、没したそうだ。


 ラスペチアの神官に案内され、二つの墓の元にカイたちは赴いた。

「祈りの仕方は、如何行うのでしょうか?抑々、我々の様な教団と関係の無い者は、祈っても宜しいのでしょうか?」

「教団員なら、作法は有りますが、通常に祈っても構いませんよ。此方がハートラウプ師の墓です」

 カイは事前に用意させた花束を、モルティから受け取り、パルヒーズの墓に献花した。

 彼のお陰で、レナと娘のフレーデラが助かった。

「知っていると思うが、此処に眠っている男は、ソルクタニお祖母さんの父親の曾孫に当たる。俺たちの又従兄弟だ」

 カイはシュキンとシュシンとセツカに説明した。

 近くに在る監視所の軍施設の責任者に、カイは次の言葉を残して、西のラニア州のボーボルム城へ一団は向かった。

「ホスワードに於ける、ヴァトラックス教徒の危険人物は、スーア市にいるエレク・フーダッヒのみだ。既にリロントも獄中に在る。この様な物々しい監視所は、大戦が終わったら不要と為るので、彼らに不必要な圧力は加えない様に」



 ボーボルム城は、クラドエ州の西隣のラニア州に在るが、殆どラニア州の最東端に在る、南にドンロ大河を望む水上要塞なので、これは半日とせずに着いた。

 現在の司令官はレナだが、カイは思い出した様に疑問を発した。

「そう云えば。レナは随分と離れているが、司令官の代理は誰がしているのだ?」

「秘密。着いたら判るよ」

 悪戯っぽい笑顔を夫に向け、カイは益々首を捻るが、司令官棟に入って、懐かしい顔を見て破顔する。

「ナポヘク将軍、其れにブートさんまで!」


「久しいな、ウブチュブク将軍。私は将を辞しているので、其の様に呼ばずとも宜しいですぞ」

 濃い緑の高級士官の姿をした老人が、姿勢正しく敬礼をして応えた。

 ヤリ・ナポヘクはこの年で七十四歳。帝国歴百五十五年十二月末で、将を辞し、退役している。

 彼は長らく、此処ボーボルム城塞の司令官を務めていた。

 レナが司令官に就くと、監査役として、一時的に現役復帰し、司令官職の補助をしているのだ。

 特に、ナポヘクは軍船からの、騎兵突撃のカイの案を実施改良した人物なので、「大海の騎兵隊」の生みの親と云って好い。


 ブートは七十歳に為る男で、カイが志願兵として、練兵場での調練の直接の担当をしていた人物だ。

 カイたちの調練終了後は、ここボーボルム城に赴任し、其の後は一時的にカイとはボーボルム城で共に任務に就いていたが、帝国歴百五十四年一月で退役している。

 彼の役割はナポヘクの従卒、と言った処だ。

「初めて将軍に会った時は、閣下は志願兵、次は下士官。将か再度お会いする時には、将軍に為っているとは、失礼ながら只驚きです」

 灰緑色の軍装のブートも、姿勢正しくカイに敬礼を施す。


 ナポヘクとブートが改めて低く、沈痛な声で言葉を発する。

「ヴェルフ・ヘルキオス将軍の件、この私でさえ辛いのに、ウブチュブク将軍の辛さは計り知れません。又、ヌヴェル将軍も私に比べれば、まだまだお若い。両将軍の事を想うと、心が痛みまする」

「ヴェルフ・ヘルキオス卿は、ホスワード一の勇士です。彼を指導した事は、私の残り少ない余生の自慢です」

 カイは笑って、二人に返した。

「将軍だの、ヴェルフ卿だの、と言われたら、彼奴は居心地が悪く為りますよ。如何か私の事はお気に為さらず。この城塞は若い者で溢れているので、お二人の長年の経験と英知を託す事をお願いする」

 五日間、カイたちはボーボルム城に滞在し、そしてスーア市に向かう事にした。

 途上、東隣りのバハール州のアレン・ヌヴェル将軍の墓参りをする。


 五日間のカイたちは完全な客人として過ごし、カイはレナの指示で働くセツカとツアラのテキパキとした動きに感心した。

 セツカとツアラの居住場所は、司令官室のレナの副官用の部屋で、二人で此処で寝起きしている。

 若干窮屈だが、元々成人男性用の部屋として設計されているので、其処まで生活に支障はない。

 現在のボーボルム城の活動は、主に以下と為る。

 軍船の修理と、必要資材の調達を帝都の造兵廠へ頼む事。ドンロ大河上で、哨戒と護謨弾や手榴弾の残骸を除去する事。医療棟で不足している医薬品の調達や、医師の派遣を要請する事。

 其の他様々な雑事があるので、ナポヘクが監査役として、補助を大いにしている。

 オッドルーンとラウラは特殊大型船で、哨戒活動と、除染作業の指示を中心に行っている。

 考えてみれば奇妙である。オッドルーンは北の遊牧民エルキトの出身。ラウラはホスワード北部で牧畜が盛んなエルマント州の出身。

 そんな彼女たちが水上で軍船に乗り、指揮を執っているのだ。


 カイ、レムン、アルビン、モルティ、シュキンとシュシンの出発日。

 司令官のレナを初め、大まかな幹部たちが見送りをする。

「お願い。絶対に無理はしないでね。必ず帰って来る事。夏にはトラムでエラと三人で遊ぶんだからね」

「分かっているよ。総指揮を執るのが陛下で、幕僚にはガルガミシュ尚書やハイケが居る。無理な事等、命じられる訳が無いだろう」

「其れより、エラをメイユさんに任してしまって、御免なさいね」

 カイはレナを抱擁して、彼女の金褐色の髪を其の巨大な手で撫で、「気にするな」と言った。

 レナは強くカイの大きな身体に腕を回し抱きしめる。

 カイは、レナをゆっくり優しく、自身から離すと、近くに居た二人の少女たちに言った。

「セツカ、ツアラ。レナの事を頼んだぞ」

 敬礼するセツカとツアラの姿勢も、段々と様に為って来ている。


「北方も、南方も問題無いな。ヌヴェル将軍の墓参りをしたら、即座にゼルテスへ向おう」

 カイはそう言うと、騎馬の速度を上げた。当然、五名は付いて行ける。

 バハール州の中央のやや北側、南にはショールル河が流れる、人口約八百近くの村がヌヴェル将軍の故郷だ。

 ショールル河はドンロ大河やボーンゼン河には及ばないが、大河と云って好い。

 このショールル河とドンロ大河の間の地域は、「北東ドンロ大河地帯」と称され、テヌーラの文化的影響が強い。

 ショールル河は、レラーン州の最北部近くが河口と為っている。


 ヌヴェル将軍は、この小さな村で勲士階級の家に生まれたが、其の荘園はカイの故郷のウブチュブク家程度の広さである。

 但し、彼の戦死後、村全体がヌヴェル家の荘園とされている。

 幼き頃より、アレン少年は、ショールル河で泳いだり、船に乗って釣りを楽しんでいたそうだ。

 特に彼の父親は、この辺り一帯の水路の調節官と、運行する船団の船長をしていた。

 帝都の軍学院に入るまで、アレン少年は、この父の手伝いを好くしていた。

 これが彼が水戦の指導者の原点と為っている。


 当地で二人の士官と下士官の軍装をした、若者たちの敬礼で迎えられた。

 ヌヴェル将軍の二人の息子で、彼らも父同様に軍務を志し、軍学院で学び、現在は共にメルティアナ城のウラド・ガルガミシュ将軍の旗下にある。

 一時的に、ガルガミシュ将軍から休暇を貰っているのだろう。

 長男は二十四歳で、士官に昇進したばかりだ。次男はシュキンとシュシンと同じ二十一歳で、中級小隊指揮官の席次にある。

 軍学院と云えば、今年より、帝都でオリュン大公が転院して学んでいる。オリュンはこの年で十五歳。軍学院は、主に武門の貴族の子弟が通い、十九歳に為る年で卒院し、下級小隊指揮官として、軍務に就く。

 この様に帝国全土から、上は名門軍人貴族から、下は勲士階級までが学ぶ、全寮制の学院だ。


「カイ・ウブチュブク将軍。小官たちも四月に入ったら、メルティアナ城へ戻るので、慌ただしいですが、ご容赦の程お願い致します」

「小官らが幼少の頃より、父はガリン・ウブチュブク”将軍”の事を、好く話してくれました」

 ハイケから手紙で知らされたのだが、如何やら大戦が終結したら、アムリートは今までの功臣、特に身分の低さや、出自の怪しさで実力以下の地位で没した、功臣たちに対して大規模な追贈や追封を行うらしい。

 ガリンは将と勲士階級へと叙される事がほぼ決まっている。

 ヌヴェルの息子たちに案内され、ヌヴェルの墓参りを済ませると、この日はヌヴェルの実家で宿泊をした。

 

 夕餉には鯉の揚げ物や、鰻を蕃茄(トマト)で煮込んだ物を初め、様々な川魚の料理が出て、一同は改めてホスワードの大地と川と海の恵みに感激する。

 蕃茄はホスワードでは、温暖な南部で栽培が盛んだ。

 また、鯉の切り身を冷水でしめた(さしみ)と、頭を取り背開きで内臓を取り除いた鰻を軽く炙り、蒸した物は絶品だった。薬味の山葵も、渓流の多いこの地では、栽培が盛んである。

 鰻の内臓も無駄にせず、串刺しにて焼いた物や、先の蕃茄の煮込みにも使われる。

 カイたちは、この自分たちの豊穣な土地を護る事、其れ以上に其処で生活する人々の安寧を護る事、これ等の事を、食べている物よりも深く噛み締め、翌朝メルティアナ州の北部のゼルテス市へ向かった。

 四月二日には、一行は半ば城塞と化した、ゼルテス市への入城を果たす。


 カイたちが厩舎に馬を収容すると、若い高級士官の男が小走りに来る。皇帝副官のハイケだ。

「ウブチュブク将軍!皆も先ずは陛下の元へ!」

 アムリートはカイと直接話がしたい様だ。

 シュキンとシュシンとモルティは顔を見合わせて、「自分たちは別室で控えるのでしょうか?」、とハイケに尋ねた。

「全員だ。陛下は皆との話し合いをご所望だ」



 入り口で敬礼を施すカイたちに、アムリートは楽な姿勢で好い、と述べる。

 入り口は両開きの扉で、高さ二尺半、一つの扉で幅は一尺半在るので、全開と為ると、巨躯のカイも含め、全員がアムリートの視界に入る。

「到着早々済まぬな。空いている席に自由に座って好い」

 場所はアムリートの執務室で、当然元々はゼルテス市庁舎の市長の執務室だ。

 豪奢に広く改装され、天井は三尺の高さ。床にはファルート帝国産の、見事な絨毯が敷き詰められ、ゆったりとした椅子(ソファ)が、広い机の周囲に十席並べられている。

 其の奥に机と椅子が在り、此処がアムリートの執務場所(デスク)である。

 アムリートは広い机の、背後に自身の執務場所である前の椅子に座る。縦長に伸びた机の左右に八つの椅子が在るが、アムリートに最も近い左右に、カイとハイケが、次にレムンとアルビン、シュキンとシュシン、四つ目の椅子にモルティが座す。

 アムリートと対面と為る、奥の一つの椅子には侍従武官が座している。


 先ず、アムリートがカイの方を向いて、話しかけた。

「卿には、何と言葉を掛けたら判らぬ。余としては、卿がレナと共に任務を外れ、娘と三人でトラムで休暇をしても構わぬ、と思っている。卿は既にこの大戦でヴェルフ・ヘルキオスと並び、一番の活躍をして来た。余たちの不甲斐なさで、この地での戦いに参加してくれるのは有難い。だが、もう一度言う。今、離れてトラムで家族三人と過ごす事を進める」

 カイは、「座したままでの御返答、お許し下さい」、一言述べ、皇帝にはっきりと自身の決意を述べた。

「陛下、其の様な御配慮、臣下として、大変光栄で御座います。家族と過ごすのは、スーア市を奪還してからと決めています。臣はヘルキオス将軍の様な英傑ではありませんが、如何か臣が一軍を率いて、スーア奪還の戦に加わる事をお許し下さい」


 常駐の使用人だろうか、彼が入出して来て、座している九人分の茶を、皇帝に対しては当然だが、シュキンやシュシンやモルティに対しても丁寧に置き、一例をする。レムンもアルビンも含め、これには逆に恐縮する。

 茶を含み、椅子に深く身を沈めたアムリートが、腕を組み高い天井を見上げる。

 そして、カイに向き直り、言葉を発した。

「知っての通り、この辺りの地は森林が多く、また陣営構築で土を掘り返している。卿の軽騎兵の軍は、最終決戦部隊として、後方にて出撃の合図無くの参戦は認めぬ。其処を理解してくれれば、卿が軍を率いる事を容認しよう」

 カイは立ち上がり、直立して右拳を左胸に当てる敬礼をして、明言した。

「陛下の命、確と承りました。決してご命令に背く事は致しません」

 慌てて、レムン以下の部下たちも立ち上がり、敬礼をする。


 翌日には、カイの主席幕僚の中級大隊指揮官と、次席幕僚のトビアス・ピルマー下級大隊指揮官が、一万のカイの軽騎兵を率いて、ゼルテス市付近に到着した。

 流石にゼルテス市内には入れないので、近辺に在る大規模な宿営地に軍団を留め、二人は上司のカイの元へ到着の連絡に赴く。

 この主席幕僚を務めているのは、この年で三十八歳の勲士階級の人物だが、長らく故マグヌス・バールキスカン将軍の元に所属していたので、騎兵運用は得意とする処である。

 また、元のバールキスカン将軍の部下たちは、カイがエルキト藩王軍相手に壮絶な戦いをして来た事を、直に見ている者が多いので、身分の上下や地位に因らず、皆カイを崇拝し、部下に為った者たちは完全忠誠を誓っている。


 そして、其の翌日にはメルティアナ城から、装甲車両部隊総監カレル・ヴィッツ上級大隊指揮官率いる百五十輌の装甲車両と、ルカ・キュリウス将軍率いる重騎兵隊約一万五千近くがゼルテスに到着した。

 ゼルテスの装甲車両群は三百輌と為り、当然彼らが先陣を切ってスーアに突撃をするので、即座に車両整備が始まる。

 此処で若干の人事異動が行なわれた。

 メルティアナ城の司令官ウラド・ガルガミシュが、ゼルテス大本営の野戦幕僚長の職を、ヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書に代わって就く。

 これを決めたのは、当然アムリートだが、この年で七十に為る、ヨギフの健康を心配して、帝都への帰還を命じた。

 ヨギフは最初は渋ったが、息子のウラドに「より大局的な立場に因る経験を積ませる為」、と説得され、息子に野戦幕僚長の地位を譲った。

 息子のウラドはこの年で四十四歳。皇帝アムリートの補佐なので、これで実質的にホスワード帝国の実動部隊全軍の副帥である。

 大将軍のエドガイス・ワロンに対しても、軍命を下せる立場だ。

 メルティアナ城は、ウラドの部下が約三千の兵にて駐屯している。


 四月七日がヨギフの帝都への帰還日なので、カイは直接、この偉大な老人に会いに行った。

 ヨギフは、カイの父のガリンを高く評価し、更に私的にも交流していた。

 ある意味、ガリンが身一つでホスワード軍の、とある一部隊に雑用係として入隊した後、ヨギフに見いだされ、公私共に厚く援助を受けていなければ、カイ・ウブチュブクを初め、彼ら兄弟はこの世に生まれなかったかも知れない。


「カイよ。我が力及ばず、卿にこの地での参戦を任せてしまった。幕僚長として、早々にスーアの攻略が出来ていたら、私のこの様な更迭は無かったかも知れんな」

 ヨギフが僅かな供回りと、帝都への出発の準備をしている。近くには後任のウラドも居る。

「尚書閣下のお陰で、我が部隊が広く、戦場を巡り、敵勢力の撃退に成功致しました。バリスの主力を此処まで引き付けていなければ、不可能な事でした」

「…だが、卿は大事な友を失った。本朝(わがくに)としても、あの様な偉大な勇士を失ったのは痛手だ。老将は後方で事務処理をするか、で無ければ偉大な勇士を失わない為に、最前線で戦い、討死するかのどちらかをするべきだったのだな」

「閣下。如何か其の様な事を仰らずに。閣下には我ら若い者に、豊富な経験と知恵を授ける、重要な使命が有ります」

「分かった。卿には、大した事では無いが、後々我が経験を授けたい。なので、絶対に生きて帰って来るのだぞ」


 こうして、ヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書は帝都の帰還へと発った。

 早速、後任のウラドとカイは、其の場で現状の分析に入る。カイの側からは参軍のレムンと、副官のアルビンが同席している。

 場所はゼルテス市内の幕僚長専用の営舎で、元々は市庁舎の別館の三階建ての建物だ。

 メルティアナ州は四月には、寒気と暖気が合わさり、西のボーンゼン河と、南のドンロ大河に半ば囲まれ、且つ多くの河川や運河の影響で、しばしば濃霧が発生する。

 然し、この日は珍しく晴天で、気温も初夏と云っても好い位、穏やかだ。


 先ずは自軍の確認から始まる。

 先陣を切る装甲車両が三百輌。其の後に続くのが歩兵で、歩兵は約四万五千。重騎兵は約三万騎だが、主として、装甲車両と歩兵でスーア市の城壁破壊や砲郭の無効化、そして城門突破が出来たら、重騎兵が市内に突撃。カイの一万の軽騎兵には五千が更に追加され、カイの一軍は最も後方で、若しバリス軍がスーア市を出て逃げ出したら、機動力を生かして追撃部隊とされた。

 総軍は輜重兵の五千も合わせると、十万近くだ。

「スーア市のバリス軍は未だ八万程でしょうか?」

「そう聞いている。これ以上の増員は難しいだろう。私や卿がブホータ軍と交戦した様にな」

 ウラドはバリス領に侵攻したが、迎撃にブホータ軍が現れた。一方のカイはラテノグ州に侵攻したブホータ軍を退けている。

 どちらもバリスの要請で行われた軍事行動だ。

 其処へ近衛隊の一人が入室を求め、カイとウラドに市庁舎の大会議室への参集を要請した。

 アムリートが幹部たちの参集を命じたのは謂うまでも無い。


 大会議室には、上級大隊指揮官以上が集まっている。将軍の場合は参軍や副官を連れいるので、かなりの人数だ。

 アムリートが左右に侍従武官と副官のハイケ、そして背後に近衛隊長を連れ入室すると、諸将や其の部下たちは一斉に立ち上がり、敬礼を施す。

「楽にして好い。皆座る様に」

 楕円の巨大な机が在り、長軸の直径は二十四尺程で、周囲の長さは六十尺程だ。

 南北に長軸が置かれているので、この部屋自体も南北に長い。

 最も北面の中央に皇帝が座し、左右に侍従武官とハイケが座り、皇帝の背後には近衛隊長が直立し控えている。

 周囲には四十名を超える、将や高級士官や士官が座している。

「スーアの偵察部隊から緊急の連絡が入って来た。現在、スーア市内外にバリス軍が続々と集結している。既に合計十二万を超え、更に未だ増員部隊が来ている様だ」



「未だ国内に其れ程の予備兵力を保持していたとは」

「保持と云うより、完全に本朝(わがくに)以外の危険が無く為ったからだ。スーアにバリスの全軍を集結させる心算だ」

 ある高級士官の呟きに、アムリートは応えた。これで全員は意味を納得する。

 この三月に行われたブホータ軍のバリス領を通っての侵攻は、単にホスワード軍を打ち破る為で無く、ブホータ軍其の物を疲弊させ、彼らにバリス領の侵攻自体を行なわせない為だ。

 そして、バリス軍の総帥ヘスディーテは、対ブホータに配置していた兵力を、スーア市に回している、この企図に改めてホスワードの諸将は、あの墨絵の皇太子の怜悧さに、表情には出さなかったが畏れを感じる。

特に、直にブホータ軍と干戈を交えた、カイとウラドは互いに顔を見合わせて、お互いの「してやられた」、と云う表情を確認し合う。


「但し、一戦しか出来ぬであろう。この様な大軍の長期間の運用は、物資的にも不可能だから、大規模な会戦を企図している筈だ」

 アムリートはちらりとカイを見た。これではカイの一軍も後方では無く、前線に出て貰わなければ為らない。

 更に戦場は大規模な物と為る。スーア市とゼルテス市の間には、大きな市は無いが、数十の村落が点在している。

 両軍共にこの様な大軍の展開は、周辺の村落に影響を及ぼす。

「先ず行うべきは、スーアとゼルテスの間の住民の避難だ。彼らを即座にメルティアナ城へ避難させよ」

 ホスワード軍がこのバリス軍の集結に対して、行った最初の行為は、住民の避難であった。

 これをせずして、集結中のバリス軍を急襲する、と云う発想はアムリートには無い。


 カイは意見を発する事を求めた。アムリートは了承する。

「陛下、近隣住民のメルティアナ城への避難は、臣が担当致したく存じます。臣の軍は軽騎兵ゆえ、迅速な行動が出来るかと」

「ウブチュブク将軍、メルティアナ城なら、私の方が好く知っている。其の役目は私が致そう」

「ガルガミシュ将軍は、幕僚長として、全軍を統括するお立場です」

 アムリートはカイとウラドの遣り取りを聞いて、暫し考え込んだが、カイに軽騎兵一万五千を任せ、近隣住民のメルティアナ城への避難司令官に命じた。

「緊急の事ゆえ、ウブチュブク将軍は、会議から離脱する事を認める。後で詳細はハイケ・ウブチュブクに因って伝える」

 カイとレムンとアルビンは、一斉に立ち上がり、敬礼をすると、この大会議室を出て行った。


「ディリブラント、卿は一軍の編成を、主席幕僚と次席幕僚のトビアス・ピルマーと頼む。一万を住民の保護兵とし、五千をバリス軍の来襲部隊の迎撃部隊と編制せよ。アルビンは数名のメルティアナ州の出身の将兵を選抜し、スーアとゼルテスの間の村落の住民の避難要請に当たってくれ!」

 カイはそう言うと、当然五千の迎撃部隊の指揮を執る事を表明した。

 周辺の村落は、スーア市の住民一万が避難している施設も在るので、約二万を超える住民を避難させる。

 住民には持ち運べる貴重品のみを所持しての退去を指示し、カイの軍の一万の軽騎兵が彼らを護る様に、南部のメルティアナ城を目指す。

 カイ自身は五千の軽騎兵を率い、バリス軍の来襲に備える。


 このホスワード軍の動きは、即座にスーア市のバリス軍の知る処と為った。

「これはカイ・ウブチュブクを討ち取る好機だ。二万以上の騎兵を編成して、住民を護る部隊を襲え。さすればウブチュブクは、彼らを護る為に最前線に出て来るだろう」

 スーアの大本営のヘスディーテ・バリスは、そう命じ、このカイの住民避難部隊の襲撃を命じた。

 ヘスディーテはカイの性質を、パルヒーズ・ハートラウプに因って把握している。

 必ずや、非戦闘員の住民を護る為に、最前線に現れ、相手が幾人でも、其の身を晒すだろう。

 こうして「第四次ゼルテス会戦」と呼ばれる戦いは、近辺住民を避難させるカイの軍を追撃するバリス軍の形で始まった。

 ホスワード帝国歴百五十九年四月九日の事である。


「ウブチュブク将軍の軍にバリスの追撃軍が組織されているだろう。其れを防ぐ為に、余自らが一軍を率い、出撃をする」

 カイの軍がスーアとゼルテスの間の近隣住民を率いて、メルティアナ城へ進発した報を聞いた、アムリートはそう述べた。当然、大本営では反対意見処か、大騒動と為る。

「陛下、ウブチュブク将軍の支援なら、臣が一軍を率います。如何か陛下は其の様な御身を危機に晒す事の無きよう」

 アムリートと同年のルカ・キュリウス将軍が述べたが、アムリートは強く主張した。

「此処で、卿の様な将が率いる軍が出撃したら、バリス側も同数の兵を出撃させるだろう。互いに兵の逐次投入と為り、兵数の少ない我が方は、消耗戦を強いられる。余が出撃すれば、バリス側は全軍を出すか如何か迷う筈だ」


 つまり、アムリートは自ら出陣して、バリス側に選択を迫るのだ。

 自身を討ち取る為に、全軍挙げて来襲するか。だが、其れを行うと、スーア市は少数の兵しか残らないので、装甲車両を中心としたホスワード軍に因るスーア市の攻略が容易と為る。

 ヘスディーテに自身の討ち取りを優先させるか、スーア市の防備を優先させるか、これで迷わせるのが、自身の出陣の意図だと、アムリートは諸将に説得した。

「何の為に近衛隊がいる?余が最前線に立っても護る為であろう。何より市民が危機に晒されているのに、皇帝が安全な処で傍観する訳にはいかぬ」

 そう締めて、アムリートは近衛隊と二万の重騎兵を率い、カイの軍の追うバリス軍に対しての出撃を行った。

 当然、皇帝副官ハイケ・ウブチュブクもこの一軍に入っている。


 ヘスディーテが、カイの避難民護送軍に対する自軍の追撃部隊を駆逐する為に、アムリート帝自らが出陣した、との報を受けたのは、四月十日の昼過ぎだった。

「ゼルテスの状況を即座に報告せよ」

 当日の陽が沈み切らない内に、ゼルテスから装甲車両が揃い、大将軍エドガイス・ワロンが全軍を統括して、スーアを扼する位置に布陣している事が判明した。

「全軍を挙げて、アムリートとカイ・ウブチュブクを討ち取ろうとすれば、彼らにスーアは攻略される」

 ヘスディーテは、即時にカイの軍を追撃している部隊の撤退を命じた。

 若し、パルヒーズがヘスディーテの傍らに在れば、スーアの全軍を挙げて出撃し、アムリートとカイの軍を一蹴し、反転してスーアへ迫るホスワード軍主力を襲う判断を下したであろう。

 だが、これは確かな地理感を持った人物が居なければ不可能な事だ。このメルティアナ州の中部から北部は森林や山地、起伏の多い平野や幾つもの河川や運河で、複雑な地形をしている。

 整備された広い道路だけでは、大軍の運用は難しく、複路で以て確実に兵を展開しなければ為らない。

 ヘスディーテは改めて、自身の傍にパルヒーズが居ない事に、表情に出さなかったが苛立った。


 カイは五千の騎兵を率いて、前を進む避難民の部隊を護る様に、後方で展開する。

 前方、つまりメルティアナ城目指して、南下するこの部隊には、大量の四頭立ての輜重車が奔っている。

 乗っているのは、補給物資では無く、スーアとゼルテスの間の住民たちだ。

 輜重車は元より、これだけ大量の馬を揃える事が、現在のホスワード軍には可能だ。

 何故なら、北東に位置するイオカステ州の大規模な馬牧場の存在に因る。

 今では毎年、千頭に近い馬の供給が出来、ゼルテスには予備として、大量の馬群をイオカステ州から引き入れている。


 南下する避難民部隊は、其の為ある程度の速度で進んでいるが、純粋な騎馬部隊に比べれば、無論比較に為らない。

 カイが、至近にバリス軍の騎兵隊が殺到して来るのを確認したのは、四月十日の昼前であった。

 カイの左右には、シュキンとシュシンが控え、トビアスを初めとする歴戦の部下たちが揃っている。

 避難民部隊の先頭を奔るのは、地理に詳しい参軍のレムンと、彼の補佐にアルビンを配している。

 主席幕僚の中級大隊指揮官には、避難民部隊の最後尾で、強兵を率い、住民を護る様に進んでいる。



 場所は少し開けた地だ。此処を通り抜けられると、南へ奔る避難民部隊が包囲され兼ねないので、先ずは此処でバリス軍を食い止める。

 カイは巨大な弓を持ち、長い矢を番え、向かって来るバリス軍に狙いを定める。

 彼はこの様な時、必ず敵の指揮官を狙う。流石に総指揮官は軍中の奥に居るので、狙う事は出来ないが、百人、或いは千人を束ねる隊長を狙い、其の部隊の混乱を起こさせるのだ。

 バリス軍も敵の先頭に矢を番える、人馬が巨大な明らかに高位の指揮官の軍装をした男が、矢を番えているのを確認した。

「敵兵は少ない。蹴散らせ!」

 そう言ったある指揮官は、其の数秒後に眉間に矢が深々と刺さり、馬上より倒れる。カイが射た矢だ。

 更に、ホスワード軍からは矢が注がれるが、恐ろしい程の命中率で、バリス軍の将兵に突き刺さる。

 バリス側も矢を射るが、四倍の矢を射ているのに、倒れているのはバリス軍の方が圧倒的に多い。

 カイの五千の軍は、ひと塊に為らず、やや散兵して、人馬の間を空け、動き回れる様にしている。

 迫って来た二万のバリス軍はひと塊に近いのも、矢が当たり易かった原因か知れない。


 カイは背後に控えているモルティに弓を預け、背の長槍を閃かす。長さは二尺を超え、先端に斧が付いているので、重量は八斤(八キログラム)を超える。

 そして彼はこれを右手だけで持った。

「モルティさん、もう一振りをお願いする」

 カイが言うと、モルティは矢張り二尺を超える長槍をカイに渡し、カイは其れを左手で持った。

 此方は先端が幾つもの突起が付いた鎚が有り、重量も同じく八斤を超える。

 ヴェルフ・ヘルキオスの武器だ。

 両手で長槍を持ったカイは、両脚で馬を操り、混乱を来たしているバリス軍へ突撃する。


 最初の一撃は、左手で振るった長槍だ。

 右胴に鎚の直撃を受けた、バリス兵は馬上より吹き飛ばされ、仲間の騎乗者の上に落ち、この兵も落馬する。

 左右で長大で重量のある槍を、まるで小刀の様にカイは振るい、左の鎚が頭部に当たれば、其の頭部は破壊され、右の斧が頸部に当たれば、其の首は吹き飛ばされる。

 腕に鎚が当たれば、骨が砕かれ、腕があり得ない方向に拉げ、折れた骨が夥しい出血と共に露出する。

 腕に斧が当たれば、其の腕は血飛沫と共に、吹き飛ばされている。

 カイに向かってくる、バリス軍の槍や剣を、彼は双方の槍で防ぐ処か、弾き飛ばし、武器の無い状態にする。

 単純にこのカイの暴風で、馬上で平衡を崩し、落馬する者すらいる。

「お、後れを取るな!将軍の後に続け!」

 この剛勇さは、歴戦のトビアスでさえも身体が暫し硬直し、漸く言葉を振り絞り、弟のシュキンとシュシンも弓矢を持ったまま、只見惚れていた。

 各自は弓矢を納め、長槍を構え、カイに続く。彼らの長槍は百と五十寸程で、重量は四斤程だ。手綱を取るとき以外は基本、両手にて扱う。


 ホスワード軍五千の騎兵と、バリス軍二万の騎兵は、この様に正面から衝突したのだが、二刻(二時間)と経たない内に、バリス側は二千を超える戦闘不能者を出した。

 其の内、約半数はカイ・ウブチュブクに因る物で、バリス軍の恐怖の対象として、刻み付けられる。

 別路より、ホスワード軍の一軍が現れた、と聞いた時、このバリスの一軍を率いる将は、全滅を覚悟したが、ほぼ同時にスーアから、撤退命令の伝令兵が来たので助かった、と思った。

 だが、撤退も至難の業だ。流石に二万の兵を率いる事を認められた将だけあって、このバリスの将軍は、上手く部隊毎に撤退させて行く。

 アムリート率いる軍が到着し、バリス軍を包囲する。

 スーアに落ち延びる者は、無視して、懸命に戦うバリス軍を相手にするのは、アムリートの一軍と為った。


「ウブチュブク将軍!将軍はメルティアナ城へ向かう避難民の保護に向かって下さい!此処は私たちが引き受けます!」

 皇帝の命を、カイに伝えに来たのは、弟の皇帝副官のハイケだ。

 彼も手に百と五十寸の鉄槍を持ち、戦場を駆け回り、兄の元に辿り着いた。

 流石の彼も、馬上で両手に長大な槍を持ち、血に塗れているが、明らかに敵兵の返り血のみの兄の姿に惧れを抱く。

「陛下の勅命、謹んで承った」

 其の表情が何処か静かで、涼やかなのも、特に相手にしたバリスの将兵からは、より恐ろしげに見えただろう、とハイケは思った。

 カイは即座に自身の部隊を集結させ、南へと奔った。


 白銀に輝く馬具を纏った白馬に跨り、白を基調とした軍装の上に白銀の鎧、手にした白銀に輝く長槍は二尺を超え、先端は鋭く厚い両刃だ。

 ホスワード帝国第八代皇帝、アムリート・ホスワードは最前線でバリス軍と干戈を交えていたが、敵兵の動きは防備を重視した物で、順次部隊毎に逃げて行くので、戦場全体の把握に努めていた。

 アムリートはこの年で三十四歳。即位して十年以上に為る。

 即位前はこの様に軍人としての道を歩んでいたので、戦場での活動は、皇帝の責務よりも長く、抑々彼は武の道に進む事を望んでいた。


 彼が率いた近衛隊と重騎兵隊の合計二万は、皆歴戦の勇士たちだが、この戦場で遺棄されたバリス将兵たちの惨状に畏怖を通り越して、戦慄が奔る。

 血の臭いが充満した酸鼻な状況。倒れているバリス軍の人馬は、つい先程まで、生きていた者と思えない原型を留めぬ存在として斃れている。

 戦場の経験が無ければ、嘔吐が止まらない者や、気絶する者が続出したであろう。

 アムリートは戦場の経験が豊富だが、これ程の敵兵の無惨な死屍累々は始めて見る物だった。彼の緑色がかった薄い茶色の瞳は、其れらを鋭く見る。

 其処へ彼の副官が遣って来た。

「ハイケよ、この惨状はカイに因る物か」


 皇帝副官は、つい先程の実兄の姿を思い出し、ぽつりと答えた。

「はっ、ウブチュブク将軍に因る物です。決して無抵抗な者たちを殺戮した訳では有りません」

 アムリートは頷く。其れは分かっている。

 だが、この惨状はまるで無抵抗な者たちを、一方的に殺戮した様にしか見えない。

「カイの中では、ヴェルフ・ヘルキオスの件が、未だ取り除かれていないな。矢張り彼には、レナと娘との平穏な日常を過ごさせるべきだった。これでは戦場の勇士では無く、只の殺戮の機械だ…」

 アムリートの秀麗な貌は暫く険しいままだった。

 バリスの避難民追撃軍二万の騎兵は、其の数を半減させて、スーア市に帰還した。

 其の一割以上は、カイ・ウブチュブク個人に因り殺害された、と指揮を執っていた負傷した将軍から報告を受けて、流石のバリス帝国皇太子ヘスディーテ・バリスも、極めて珍しいのだが、感情を露わにして驚愕した。


 スーア市の市庁舎の執務室で、ヘスディーテは以前より腹案として考えていた事を、本国の父帝であるバリス帝国第七代皇帝ランティス・バリスに書簡を送った。

 ヘスディーテはこの年で二十六歳に為る。

 外見の特徴としては、表情の薄い人形の様な白皙の美麗な顔立ちなのだが、カイ・ウブチュブクの件で、彼が無表情な人形で無い事が判った。

 綺麗に切り揃えられたさらさらとした直毛の黒髪。切れ長の目の瞳は、常に灰色の瞳が冷たく輝いているが、矢張りこの報で瞳孔が忙しなく動く。

 濃い灰色の勤務服に黒の(ベルト)長靴(ブーツ)、上に羽織った銀糸で装飾された白の肩掛け(ケープ)の姿の為、「墨絵の皇太子」なる異称で大陸諸国では、其の怜悧さ以て畏怖されている。

「あのクルト・ミクルシュクも、カイ・ウブチュブクには打ち勝つ事が出来なかった。ウブチュブクやミクルシュクに対抗出来得る剛勇の者は、ヴェルフ・ヘルキオスと聞く。ミクルシュクやヘルキオスが亡き今、カイ・ウブチュブクを斃す手段は、後世に卑劣と罵られ様とも、これしかもう無い」

 ヘスディーテは嘆息した。

 避難民追撃軍は半減したが、スーアには未だ続々と兵が集結し、バリス軍の諸将は編成に精を出している。

 四月十五日には、遂に十四万近くの兵力が整った。

 だが、其の内に約百名程の両手に手錠を掛けられた、バリスの正規の赤褐色の軍装で無い異様な集団が、元々はスーア市の宿であった監獄の様な兵舎棟に、ほぼ監禁状態で収容された。



 エルキト藩王クルト・ミクルシュクの戦死を受けて、宗主国のテヌーラ帝国では、この衛星国を如何するかの議論が紛糾し、最早大戦の継続処では無く為っていた。

 首都のオデュオスで最終的に決められた処置は、以下の物と為った。

 アヴァーナ帝の末弟のルフィート大公を藩王とし、可寒(カカン)の称号の使用は辞める事。

 クルトの実兄のゲルト・ミクルシュクを藩王軍総司令官として、ルフィート藩王の補佐をさせる事。

 テヌーラ帝国歴百八十五年四月十五日。両者は皇宮のアヴァーナに拝謁し、其の命を受け、早速外洋に出て、エルキト藩王国へ向かう。

 ゲルト・ミクルシュクはこの二月にメルティアナ城の攻防戦で、重傷を負っていたが、ほぼ快癒している。

 だが、弟の戦死、と云う事が、先の戦いの傷よりも、深く衝撃として刻まれている。


 アヴァーナは最悪、エルキト藩王国の解体も覚悟している。

 完全にクルト・ミクルシュクの支配力(カリスマ)性で一致していた国なので、自然と諸部族は分離して行くだろう、との判断を下した。

 其の際には、当地に居る、弟ルフィートとミクルシュクを初めとするテヌーラ関係者たちは帰国させて、従来の通使館の設置だけにし、彼らとは交易のみの関係状態に戻す。

 何れにしても、彼らからは馬や氷等、テヌーラでは入手し難い物も在るし、エルキト側もテヌーラの豊富な物産を欲するので、藩王国の推移が如何為ろうと、関係維持は続く筈だ。


 バリス帝国歴百五十一年四月十六日のスーア市。此処はダバンザーク神聖国なる独立国家で、神聖歴元年でもある。

 無論、バリス帝国以外、この神聖国を国として認めていない。

 否、内心では同盟援助している、バリス帝国でさえ同様だ。

 神聖国国師のエレク・フーダッヒは、其れを熟知しているが、愈々(いよいよ)彼の望む方向へと事が進んでいる事に安堵する。

 バリスとホスワードの大軍が、共に大規模な戦いを起こすのだ。

 どちらが勝っても、勝者は深い痛手を被るのは確実で、この瞬間にフーダッヒはスーアを初めとする、メルティアナ州の大半を領する行動を起こすのだ。

 彼の唯一の誤算は、腹心でこの行動で必要不可欠な、パルヒーズ・ハートラウプが、遠いレラーン州のトラムで命を落とした事である。


「殿下、御自ら彼らに対するのは危険です。説明は私が行ないます」

 スーア市内のある兵舎へ、ヘスディーテが赴こうとするのを、彼の直属の秘書官たちが止める。

不可(ダメ)だ。私自ら話さねば、彼らも信じる事が無いだろう」

 例の百名程の手錠を掛けられた、正規兵で無い者たちである。ヘスディーテは二人の側近を連れて、其の兵舎へ向かった。ヘスディーテは何枚かの紙を、二人は大きな箱を持っている。

 兵舎と云うより、監獄の様な其の棟は、厳重に入り口は元より、周囲もバリス兵が見張っている。

 兵たちが敬礼する中、ヘスディーテは自身が中へ入る事を、入り口の兵に命ずる。

「殿下、如何かご注意を。手錠を掛けておりますが、何をしでかすか分からぬ連中です」

「其れは十分承知している」


 中に居る百名程は、要するに犯罪者だ。其れも口に乗せる事を憚られる程の、猟奇的な犯罪を犯した者たちで、本来なら死罪に相当する。

 ヘスディーテがバリス帝国の事実上の指導者と為って、随分と経つが、其れでも重犯罪者と云う者は出て来る。

 抑々、バリス帝国は人口二千万近いのだから、寧ろこれだけしか重犯罪者たちが発生せず、皆全て捕縛に成功している、と表現する方が適切か。

「卿らもこの大戦に参加して貰う為、この地に呼んだのだが、卿らの役目は軍の勝利では無く、あるホスワードの将軍一人を戦場にて殺害する事だ」

 ヘスディーテは、重犯罪者たちに囲まれ、異様な眼付きで睨まれていたが、全く動じず説明を続けた。背後の箱を持つ二人の側近は震えが止まらない。


 要するに、彼らを死兵として、カイ・ウブチュブクの殺害に使用するのだ。

 当然、成功すれば、彼らは皆罪を咎められず、莫大な報償を得る事と為る。

「其の将軍を殺害した者だけが、無罪と報償を得るのか?殿下さんよ」

「いや、全員だ。だが当然、カイ・ウブチュブクを一番に手に懸けた者は、更に報償を上乗せする」

「このまま手錠が付いてたら、其のカイ何たら、と云う奴を殺せないぜ。俺たちは皆得意とする武器が有るんだけどな」

「其れは事前に調べてある。実際の戦が始まったら、手錠を解き、武器を渡す。今日は我が敵と誤認されない様に、この赤褐色の首巻き(マフラー)を渡しに来た」

 そうして二人の側近は、箱を開け、中には各五十程の赤褐色の首巻きが在った。

「殺す奴の特徴を教えてくれ。でないと殺し様が無いぞ」

 ヘスディーテは何枚かのカイの人相書きを渡したが、こう言った。

「一目で彼と判る男だ。身の丈は二尺を超え、両手に長大な槍を持って戦場を駆け回る。これがホスワードの将の軍装だ。これに最小限の防具を身に付けているだけなので、容易に判る」

 ホスワードの将の軍装の図も出して、ヘスディーテは説明を終えた。


 翌十七日、バリス軍はスーアに一万の兵を残し、ゼルテスへ十三万の兵で進軍する。

 極めて大規模な兵数なので、確かに進軍だけで、近隣住民の影響は計り知れなかっただろう。

 其れを知ったゼルテスのホスワード軍も九万の全軍で出撃する。

 カイたちの一軍もこの付近の住民をメルティアナ城へ避難させてから、既に戻っている。

 両軍は申し合わせた様に、五十丈の間で対峙し、其々陣営を構築した。

 特に大軍のバリス軍の布陣は南北に長く、厚みも有する。


 両軍の間には浅い川が、緩やかに流れている。

 川幅は最も広い処でも三十尺は無く、川の東西は緩やかな傾斜だが、さして深くない草地と為っていて、これが両軍の間に其々二十丈以上広がっているが、所々には大岩や木々が点在している。

 そして、両軍が陣営を築いた場所は、共に森林が多い。

 正面を突くするとしたら、先ず草地の坂を下り、川を渡り、そして同じ草地の坂を上る、と云った格好だ。

 バリス側は、最前線に土塁と馬防柵を南北に延々と連ね、其の間に三百門を超える火砲を揃えている。

 ホスワード側も、最前線に土塁を積み上げ、其の間に三百の投石機と、三百輌の装甲車両が並んでいる。

 どちらも正面激突して、相手陣営を混乱させ、一軍を迂回させ、敵陣営の側面攻撃を行いたい、そんな感じを抱かせる布陣だが、バリス側は機動力のある騎兵が全軍の内、三万程しか無い。

 先の戦いで約一万騎を失ったのだ。

 ホスワード側は四万五千の騎兵を揃えているが、迂回と為ると、バリス陣営に達すまで、森林が多いので、大規模な運用が困難な事が懸念事項である。

 何より、周辺には既に疎開したとは云え、幾つかの村落が点在している。


 十八日の夜半までには、この様に対峙状態と為ったが、両軍の動きはやや鈍い。

 其れは単に天候が悪い事を意味する。

 メルティアナ州は、ホスワードの全州で一番の領域を誇る州だが、位置は南西部の内地に在り、ボーンゼン河とドンロ大河の支流や、物資輸送の為に整備された水路が多く、冬から春に変わる時期には好く降雨が有るので、霧も発生しやすい。

 冬場、平地では降雪が有っても、積もる事は稀だが、山地や北部は雪化粧と為る。

 この雪解けも有り、大地はやや泥濘と化している。

 バリス軍は火砲を運ぶ際、少なからず苦労したし、ホスワード軍の装甲車両も時折車輪や履帯(キャタピラー)の動きが空転し、兵士が背後から手押しにて、動かす事しばしばだった。

 十九日には、一帯に季節を一カ月程元に戻した様な、冷たい雨が降り出し、この日も両軍の動きは無かったので、ホスワード軍は皇帝の幕舎で、主だった幹部を集めて、作戦会議を開いた。


 主な列席者たちは、総司令官のアムリート帝、幕僚長のウラド・ガルガミシュ将軍、副司令官のエドガイス・ワロン将軍、ルカ・キュリウス将軍、カイ・ウブチュブク将軍、装甲車両部隊総監カレル・ヴィッツ上級大隊指揮官、そして彼らの参軍や副官たちだ。

「雨中がこの様に続けば、火砲を主軸とする彼らは大規模な砲撃は出来ないだろう」

「点火部隊は雨の対策をしている。何より着火する火皿は蓋で覆われているぞ」

「だが、手順に一つ、二つの手間が掛かるはずだ。其れを考えれば、現在の状況では大規模に使用したくはないだろう」


 其処へ轟音が次々に轟いた。何事かと幕舎で座していた諸将たちは立ち上がる。

 伝令兵が入出を許され、報告に現れた。

「バリス軍、火砲を川の対岸の手前まで移動させ、我が軍に発砲しております!」

 川の手前だと、ホスワード軍陣営の最前面までは、二十三丈程だ。(二百三十メートル)

 射程距離としては十分だし、何よりこの雨中で打ち込んでいるので、完全にホスワード軍の虚を突いている。

 バリス軍の本陣の幕舎の総帥ヘスディーテは、先制攻撃と積極策を採択した様だ。

 このまま数の多さで、只管(ひたすら)押し込む心算の様である。

 アムリートの幕舎から、ホスワードの諸将は出て、各自の率いる軍に赴いた。


第四十章 大陸大戦 其之拾参 大軍集結 了

 例によって、投稿ペースが落ちていますが、何とか今年中の終幕に向けて頑張ります。

 あと書いてて鰻の白焼きが食べたくなりました。



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