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第三十九章 大陸大戦 其之拾弐 火焔、城塞と英雄へ

 また間隔があいてすみません。

 多分、5週以上の間隔はあけないように、頑張りますので、お見捨てなきよう。

第三十九章 大陸大戦 其之拾弐 火焔、城塞と英雄へ



 ホスワード帝国歴百五十九年の三月の初旬。場所はホスワード帝国の北方の城塞、オグローツ城。

 収容可能なのが、人馬其々一万五千なので、ホスワード帝国の北方軍は、親ホスワード影響圏のエルキト女性騎兵一万と、北方軍総司令官ティル・ブローメルト率いる五千の歩兵が入城し、城付近には大量の(ゲル)が設置され、多くの将兵は、其処で待機し、北から来る、エルキト藩王軍との対峙に備えていた。


 オグローツ城を囲む様に設置された数えきれない包には、五千近くの歩兵、一万近くの重騎兵、三万五千近くの軽騎兵が控えている。

 城内を含めると、大体六万五千近くの軍団だ。

 エルキト藩王軍は全軍の再編成と、オグローツ城攻撃の為の陣営構築で、三日から三日間動きが無かった。

 想定される藩王軍は八万近いので、数の上では北方軍は不利を強いられている。

 但し藩王軍は全軍騎兵だ。攻城兵器も恐らく無いので、上手く城内と城外の部隊の連携で、藩王軍の猛攻には耐えられるだろう。

 そう、城外の包から、様子見に外に出て、北を遠望するヴェルフ・ヘルキオス上級大隊指揮官は思った。


 ヴェルフ・ヘルキオスは、この年で三十歳。ホスワード帝国軍で、上級大隊指揮官の席次に有る者は、五十名を超えるが、彼は其の最年少だ。

 また、約九割が名門や傍流は有れど、軍人貴族が占めているが、最年少の彼は平民出身である。

 更に軍に入って七年とせず、この地位に付いている。

 如何に彼が傑出した戦士で、軍指揮官であるかが判る。


 事実、ヴェルフは身の丈が二尺(二メートル)を少し超え、厚手の軍装をしても好く分かる屈強な体格の偉丈夫だ。

 やや日に焼けた浅黒い肌。顔立ちは目鼻立ちがくっきりしていて、黒褐色の双眸の輝きは鋭いので、初見で彼を見る人は、其の巨躯と相まって、恐ろしさを感じる。

 然し、この野性味溢れる精悍な顔は、普段は陽気に輝き、大きな口から発する、大きな声の言葉も常に明るい。

 誰とでも直ぐに打ち解けるのが、彼の特徴で、士卒の人気が高く、特に若い将兵からは、「話の分かる上官」、との評判が高い。

 無論、戦場では、豪胆其の物、と評される剛勇さを発揮するのは、謂うまでも無い。


 遠くから、二十騎程の偵騎が帰って来た事を、ヴェルフは確認する。

 本来偵騎は軽快な女子部隊が行うのだが、女子部隊は全て南方のボーボルム城に赴き、オグローツ城内の女性たちも、四六時中の攻城戦用で弓兵として配置されているので、偵騎に使えない。

 帰って来たのは、ヴェルフ直属の部下のトビアス・ピルマー率いる、彼を合わせての十九名の士官たちだ。

 この十九名とヴェルフ、そしてヴェルフの盟友のカイ・ウブチュブク将軍との関係は深い。

 カイとヴェルフが下級小隊指揮官として、本格的に軍内での活躍を始めた頃に配属されたのが、彼ら十九名なのだ。

 もう一人を合わせて、二十名なのだが、この一名はカイの副官をしているアルビン・リツキ。

 カイはアルビンを初めとする、精鋭一万を率いて遥か西のラテノグ州へ、ブホータ軍の迎撃に為に、三日の深夜よりこの地を離れている。


 トビアスはこの中の最年長で、この年で三十三歳。階級も彼だけが上級中隊指揮官だ。

 残りの十八名は中級中隊指揮官で、年齢は最も若い者だと、二十八歳に為る。

 トビアスが急いだ様に報告する。

「これは、ブローメルト閣下へ即時に連絡した方が好いと思われます。藩王軍の陣営に巨大な移動式の包が続々と集結しています!」

 移動式の包とは、車輪を付け、何十頭と云う馬にて曳き動かす物だ。

 巨大な故に、解体と再構築に手間が掛かるので、エルキトの巨大包は、一般にこの様な移動式と為っている。


 オグローツ城内の司令官棟の会議室で、早速、話し合いが行われる。

 出席者は総司令官ティル・ブローメルト将軍、彼の息子のラース・ブローメルト将軍、ファイヘル・ホーゲルヴァイデ将軍、ルギラス・シェラルブク次期都督、女性部隊の長、そしてヴェルフを初めとする大隊指揮官たちだ。

 当然、報告者と為る、トビアスを初めとする十九名の士官たちも出席している。

 報告を聞いたティルは厳しい顔をした。

「其の巨大包は、将兵の休息場所として持って来たのでは無く、恐らく攻城戦用に、この城に突撃させて来るだろう」


「火矢で以て焼け落として仕舞えば宜しいのでは?」

 ファイヘルがティルに対策案を提示した。

「いや、火計は拙い。ピルマー指揮官、覚えている限りで好いが、其の包群は前から馬で曳いていただけか、其れとも後ろからも数十人が手押しにて押していたか?」

「はっ、全てを確認した訳では無いですが、後ろでも何十人の者が手押しをしていた包が在りました。あれだけ大きいのですから、馬だけでは運べないのでしょう」

「違う。馬だけで充分運べる。恐らく包に火を点け、後ろの手押し部隊が、この城にぶつけ、其のままこの城を焼け落とす心算だ」

 このティルの一言に一同は愕然と為った。

 燃え上がる巨大物を、あのエルキト藩王クルト・ミクルシュクは、この城目掛けてぶつける準備をしているのだ。


 曾てバタル帝健在時、と云うより、以前からエルキト帝国の首都は、「北庭」と「南庭」と二つ在った。

 夏場は北へ、冬場は南へと、大量の大型の包が移動していたのだ。

 其れがクルトが可寒(カカン)と為り、諸部族を統一すると、首都は南庭に固定され、定住式の建築物が今も多く造られている。

 首都を南に固定したのは、宗主国のテヌーラ通使館と近いからで、結果として不要と為った大量の包が、藩王国内では存在しているのだ。

 これ等を攻城兵器に、其れも火だるまして城塞の攻略に使用する発想は、テヌーラで生まれ育った、クルトだからこそで、通常の遊牧民からは出て来ないであろう。


「其れならば、我等城外の将兵は、手押しする藩王兵を討ち取る為に、出撃は必須でしょう。当然、其れを防ぐ為に、藩王自ら率いる精鋭との戦いは避けられぬでしょう」

 ヴェルフが言うと、ある高級士官が言った。

投石機(カタパルト)と水弾の材料と為る護謨の袋を、このオグローツ城にもたらす様、帝都に即刻頼むべきでは?」

「巨大な炎上した建物等、水弾では鎮火出来ぬ。ましてや水弾を造る水はこの城では限られている」

 ティルが冷静な一言を発した。

 オグローツ城の生活用水は、実は今現在ずっと貯蓄中である。

 つまり、冬の降雪時に大人二十人は入れる、巨大な水が外に漏れぬ、樽を幾つも用意し、其の中に雪を詰めている。

 飲料用には特殊なろ過装置を設置した樽から出し、其の他の清掃、風呂用等は其のまま樽から出して使用する。

 要するに、冬の間に雪を樽に詰め、夏場の間は其れを使用しているのだ。

 この北方の地では、夏場は余り雨が降らない。


「将に戦場での一番の面倒くさい奴だな。あの藩王様がホスワードの北にずっと君臨しているのは、ホスワードにとって、安寧は永遠に訪れぬぞ」

 ヴェルフ・ヘルキオスは腕を組み、この会議中、以降は意見をせず、ずっと考え込んだ。

 方針として、巨大包が遣って来たら、城壁上より、女性部隊が曳行している、前面の騎乗者を狙い、城外の兵は後方に回り、後ろで押している兵を襲撃する事が決まった。

 三月七日のオグローツ城内の会議であった。



 カイ・ウブチュブクの部隊は、三月六日から七日にかけて、ラテノグ州の安全を見回っていた。

 具体的には、カイと参軍のレムン・ディリブラントが、ブホータ軍に荒らされたラテノグ城塞の状況の確認。

 副官アルビン・リツキがラテノグ城塞以西の村落が、被害に遭っていないかの確認。

 中級小隊指揮官のシュキンとシュシンのミセーム兄弟は、国境近くまで、西に向かい、バリス軍又はブホータ軍が再度襲来に来ないかの確認。

 其々数十名の将兵を率いて、確認に向かっていた。

 又、この一連の戦いで、ホスワード軍はブホータ将兵の約四千程の捕虜を得ている。

 如何にか、ボーンゼン河を渡り切って、西へ落ち延びたのが、数十名確認されたので、ブホータ軍の死者は五千近くだ。


「略奪した物は、既に騾馬にて自国へ運んでいたのか。中々に用意周到だな」

 カイがラテノグ城塞の被害状態を確認した。

 ブホータ軍は、大半の略奪品を、プリゼーン城攻略の前に、自国へ送っていたので、ラテノグ城塞内の貴重品や食料は殆ど無い。

 暫くすると、アルビンとミセーム兄弟が、報告にラテノグ城塞に現れた。

「其れは好かった。村落は被害に遭わなかったのだな。あと一日国境の監視をしたら、我が軍はオグローツ城に戻ろう」

 副官のアルビンと、弟たちのミセーム兄弟の報告を聞いて、カイは安堵した。


 プリゼーン城に約三千の兵を残して、カイたちの一万の軽騎兵は、オグローツ城へと進発したのは、三月九日の早朝。

 僅かな期間ではあるが、最早西からの敵軍の襲来が確認されなかったので、カイたちはエルキト藩王軍との戦いに戻る。

「申し訳ないが、諸卿ら。あのエルキト藩王は何をしでかすか分からぬ危険人物だ。碌に休息が取れていないが、早期の到着を目指そう」

 カイは率いる軍団にそう命じた。


 ほぼこの頃には、バリス領に侵攻したウラド・ガルガミシュの軍団も、バリス軍とブホータ軍の追撃を躱して、ホスワード領に戻っている。

 メルティアナ城に戻ったウラドは、軍の再編をして、二千の歩兵をプリゼーン城へ派遣させる事を決めた。

 三月の半ばまでには、プリゼーン城は五千程の兵が常駐するので、先のブホータ軍の様な一万程度の兵の来襲なら、持ち堪えられるだろう。

 また南のドンロ大河のテヌーラ軍との水戦でも、テヌーラ軍を退けた報が入っている。

 当然、中途で指揮をカイの妻のレナ・ウブチュブクが執った事もだ。

 カイは、ごく僅かに南を向き、ヌヴェル将軍の戦死を悼みながら、全軍をオグローツ城へやや速い速度で、進軍させた。

「これで、エルキト藩王軍を退ければ、スーアのバリス軍に全軍が傾注できる。必ずや打ち破るぞ、クルト・ミクルシュク!」

 この時、カイは藩王軍がオグローツ城を攻囲し、其れに自軍が耐えている物だと思っていた。


 其の三月九日の早朝。ホスワード軍が駐屯するオグローツ城では、十五を数える巨大な包が、各包毎に前に五十を超える騎兵に曳かれ、後ろから五十に近い兵が押して来るのが確認された。

 包の下には無数の車輪が付けられ、また内部の調度品などは全て撤去しているので、巨大な割には、かなりの速度で迫って来る。

 火は未だ付けられず、其れ処か、包の外の上部に十名以上が控える事が出来る、箱状の乗り場が設置され、弓兵が此処に配されている。前面の曳行する騎兵を護る為だ。


「先ずは、前面の曳いている騎兵と包上の弓兵を射よ」

 オグローツ城内のティルはそう命じた。

 ティルも自ら弓矢を取り、城壁に向かい、包を曳く騎兵目掛けて射る。この城壁上に配されている弓兵は、エルキトの女性たちだ。

 城外ではラース率いる重騎兵一万近くと、ファイヘル率いる軽騎兵五千と、ルギラス・シェラルブク率いる三万近くの軽騎兵が、包の後方で押している藩王兵の駆逐の為の出撃準備をしている。

 其の当の包群の後方では、エルキト藩王クルト・ミクルシュクが六万以上の騎兵で以て待機し、この巨大包群を押している将兵の討ち取りに向かうであろう、ホスワード軍を襲撃する心算だ。

 ティルは五十の鹿角車も出撃させて、少しでも息子やファイヘルの両将軍、及びルギラスの負担を減らし、場合に因っては自身も僅かな供回りと共に出撃し、藩王との一騎打ちに臨む覚悟を決めている。


「この私とブローメルト将軍、そしてヘルキオス指揮官の三人掛かりで、あの僭主の相手をすれば、確実に奴を討ち取れるだろう。この際卑怯な事、等と言っておられぬ。将か精鋭百名に、『死兵と為り、僭主を討ち取れ』等、命じられぬでしょう」

 ファイヘルがラースとヴェルフに提案すると、ラースが応えた。

「確かに卑怯だが、其れ為らば確実に彼を討ち取れる。だが、我らの内一人、最悪な場合は二人が、彼に殺されるだろうがな」

 ヴェルフは、この三人掛かりのクルトへの攻撃の提案に対して、只渋い顔をして沈黙している。

 卑怯だからでは無い。ラースが言った様に最悪二人が犠牲と為り、クルトを討ち取れるだろう。

 そして、其の二人がラースとファイヘルだったら?

 前年にマグヌス・バールキスカン将軍、つい先日にはアレン・ヌヴェル将軍の戦死の報が入った。

 此処で更に二人の将軍が戦死する等、ホスワード軍全体の士気に影響が出る。


 城外のホスワード兵は鹿角車と、ルギラス旗下の内の千騎を包の後方で手押ししている藩王兵の攻撃、残りはクルト率いる精鋭との戦いと決まった。

 各自出撃して、先ず千騎が包を手押しする藩王兵に矢を射る。

 其れを護る様に鹿角車がこの騎兵の背後、つまり北側に回ったが、藩王軍の主力が猛速度で、ホスワード軍に襲い掛かった。

 其れを確認したラースは、自身とファイヘルの部隊の計一万五千騎を左回りに北上させ、藩王軍の右翼を、ルギラスは三万近くの騎兵を右回りに北上させ、藩王軍の左翼を突いた。


 この時、包群の上部に乗っていた弓兵は内部に入り、内部で作業をしたのか、暫くしてから彼らは包の後ろから出て、其のまま手押し部隊に加わる。

 程無くして、包の各所から煙と炎が上がり、木や獣毛布の焼ける臭いが立ち込める。この弓兵達が点火したのは謂うまでも無い。

 其れと同時に、前面で曳いていた騎馬隊は、包を曳く綱を取り離れ、後ろへ向かい、手押し部隊を討とうとする、ホスワード兵に挑んで来た。

 燃え上がる包群は、オグローツ城の北壁より、五十尺の距離に位置し、其の迫って来る速度は、前面の馬を外したので、やや低下したが、止まる気配が無い。


 北風に乗る、この異様な燃える臭いの中に、何かを感じたティルは、城壁上の、いや城内全ての将兵や職人や一部の民間人にたちに命じた。

「あの中に爆発物が仕込まれている!全員城塞の南部に退避!」

 ティルと彼の側近だけが、至近に迫る燃え上がる十五の巨大包を見詰めていた。

「背後の手押し部隊を、討ち取りに掛かっている部隊に即時に伝令!彼らは北へと逃げ出す筈だから、同じく同時に北へ逃げよ!」


「ハータ!お前も早く城の南側へ逃げるんだ!」

 ティルは傍に居た少年に命じた。ハータ・ヘレナト。彼はこの年で十二歳。ホスワード女子部隊の副指揮官オッドルーン・ヘレナトの息子で、今現在、ティルの従卒をしている。

「そ、総司令官閣下は如何為さるのですか!?」

「安心しろ、私も逃げる。だが、敵の手押し部隊が反転する瞬間を伝えねば為らない」

 内部の爆発物は、エルキト藩王国がバリス帝国から入手した、鉱山の岩壁を壊す、長い導火線が付いた爆発物である。

 実際に点火をした、包を手押ししている部隊が逃げ出すのが、爆発を起こす、恐らく六十を数える前だろう。

 ティルは城壁上で、其の確認を取り、全軍に命じる為、一番最後までこの北の城壁に残る。



 十五の包群は全て城壁まで十尺以内に迫った。一部は接する寸前にまで在る。

 手押しの藩王兵が、一目散に北へと逃げ出すのをティルは確認した。

 大半は先程まで包を馬にて曳いていた、味方の騎兵の後ろに乗り、藩王軍は北へと逃げる。

「敵の討ち取りは止めろ!今直ぐ北へ逃げるのだ!包が爆発するぞ!」

 城壁下で手押し部隊と激戦を繰り広げていた、ホスワード軍はまるで藩王軍と並び競争するかの様に、共に北へと逃げて行く。

 其れを確認したティルは、この年で六十歳とは思えぬ身軽さで、城壁上から、階段群を次々に飛び降り、二十尺近くの高さから地上に降り立つと、付近に在る自身の愛馬に跨り、城内の南へと、周囲の建物を躱しながら奔る。


 オグローツ城は、高さ約二十尺、厚さ四尺の石造りの城壁に因って、ほぼ正四角形に囲われている。

 其の城壁は一辺で一里(一キロメートル)近く在る。内部は重厚な司令官棟や、将兵が寝食をする幾つもの棟、更に一万頭の馬が収容出来る厩舎等だ。

 北へと出撃するので、大半の建物は南に寄っているが、其れでも北側に建物が全く無い訳では無い。


 ティルが馬にて駆けてから、三十を数えた後に、ティルの背後で大爆発が起こった。

 轟音と爆風、オグローツ城の北壁の中心から、四十丈(四百メートル)以上の左右に亘って、火柱と噴煙が上がる。

 爆風で飛ばされた物が、包の残骸なのか、城壁の毀れた物なのか、城内の建築物の破壊された物なのか、其れらすら判別出来ぬ物が、南へひた走るティルに注がれる。

 ティルは馬上で身を低くするも、幾つかの残骸に、其の身が当たり、遂には愛馬の後脚にかなりの大きさの残骸が当たった為、馬は狂奔し、咄嗟にティルは馬上より飛び上がり、身を屈めて、地に打ち付けられる寸前で、見事な受け身を取り、身体の損傷(ダメージ)を最小限にする。

「総司令官閣下!」

 ハータを初めとする、ティルの側近の者たちが、咄嗟に自分たちの上司の安全を確認する。


「…城壁が、崩れている」

 幾人かが、息を飲む様に呟く。

 北側は、城壁の残骸と包群の残骸で埋まっているが、粉塵と燃え上がる炎の先に、北の戦場がはっきりと見て取れた。

 このまま藩王軍はオグローツ城内に乱入が可能だ!

「…ハータ、お前が主導と為り、非戦闘員を安全な場所へ避難させよ」

 両側から側近に助け起こされたティルは、ハータにそう命ずる。

「総司令官閣下も共に!」

「大丈夫だ。少し身体を強く打っただけで、骨折はしとらんよ。非戦闘員の保護は女性部隊が行う様に」

 ティルは両側から自身を助け起こした、側近に礼を言いながら、指示を出した。


 其のオグローツ城の北側は、ホスワード軍とエルキト藩王軍が入り乱れる様に展開し、南の大爆発を共に忘我の状態で見詰めていた。

 オグローツ城の北壁から、北へ二十丈近く離れた位置に、エルキト藩王軍の包の手押し部隊と、其れを討ち取ろうとしていたホスワード軍の騎兵や鹿角車。

 其の更に北へ、十丈離れた位置に、中央にエルキト藩王軍の主力と左右にホスワード軍が展開している。

「全騎、オグローツ城に突撃!武器を持つ者で遮る者は、例え女子供でも躊躇わず皆殺しだ!」

 可寒クルト・ミクルシュクの号令が下り、藩王軍はオグローツ城目指して、突撃する。

 毀れ崩れ落ちた箇所は、遊牧民の馬術で以てすれば、踏破は難しく無い。


「鹿角車は破壊された城壁の前に、壁と為る様に展開!急げ!」

 ラースが叫ぶと、鹿角車の五十輌は、背後に炎と煙を上げる無惨に崩れ落ちた、包群の前面に並ぼうとする。

 だが、邪魔する様に藩王軍は決死の鹿角車への攻撃をする。

 角に人馬が巻き込まれて、斃され様とも、次々に車両に襲い掛かり、四頭の馬を操る馭者を討ち、鹿角車を横転させる。


 約三十の鹿角車が、崩れ落ちたオグローツ城の北の城壁に如何にか並び、オグローツ城の北側で、ホスワード軍とエルキト藩王軍の騎兵同士による、壮絶な接近戦が展開される。

 だが、次第に藩王軍は次々と、オグローツ城内へと侵入を果たして行く。

 ヴェルフ・ヘルキオスは手にした、長槍で以て馬上より藩王軍を蹴散らしていたが、近くに居たラースに注進に及んだ。

「ホーゲルヴァイデ将軍が城内に入り、侵入した藩王軍の殲滅。ブローメルト将軍とルギラス殿は、兎に角この北側から、これ以上の敵兵の侵入を防ぐ様、お願い致す!」

 ヴェルフはファイヘルの旗下だが、彼自身は別の戦いを自ら行おうとしていた。


 激戦下に、ヴェルフは可寒クルト・ミクルシュクを見つけた。

 そして、無言で馬を飛ばし、クルト目掛けて、二尺は超える、先端に幾つもの突起が突いた鎚を振るう。

 同じく、クルトも二尺を超える三叉槍(トライデント)で防ぐ。

「もういい加減、お前さんには御退場を願おう」

「この間の様に複数で来ぬのか?」

 然し、クルトは防いだ時に、両手が異常なまでに痺れるのを感じた。この男は少なくとも剛力ではカイと遜色無い。


 両騎の周囲で、暴風が巻き起こる。

 ヴェルフ・ヘルキオスとクルト・ミクルシュクが振るう、八斤(八キログラム)は超える長槍が、木の枝を振るう様に、互いに振り回しているのだ。

 クルトは驚きと、冷静な判断を下した。

 この男はカイ・ウブチュブクに匹敵する戦士である。だが、馬上の戦いに難を持っている。恐らく騎馬を覚えて、十年と経っていないであろう。

 仮に、互いに下馬し、取っ組み合えば、クルトはこの剛力の戦士に、殺される可能性が高い。だが、馬上での戦いは別の話だ。


 ヴェルフの身体は次々に、クルトの三叉槍で傷つけられる。

 通常の勇士相手なら、発生はしないが、クルトの様な達人が相手と為ると、ヴェルフはしばしば馬上で平衡(バランス)を崩す。

 遂に、ヴェルフの頭部に一撃が直撃し、頭部を護っている、皮の帽子は吹き飛ばされ、左の顔を深く抉られ、左耳は吹き飛ばされ、左目は潰された。

 出血で視界が悪く為ると、次にヴェルフは右腿に深い一撃を受け、此処からも大量の出血をする。

「ヘルキオス指揮官!」

 トビアスを初めとする、部下達が叫ぶが、ヴェルフは一喝する。

「お前たちは持ち場で、敵兵を防げ!俺に構うな!」

 更にヴェルフは深手を負っていくが、クルトは相手が何時まで経っても、倒れ込まない事に、一種の恐怖を抱いた。


 クルトは三叉槍をヴェルフの胴を目掛けて、深々と突き刺した。彼はこれでこの不気味な不死身の男を、確実に殺せると思い行ったのだが、これがヴェルフの狙いだった。

 藩王軍は歓呼を、ホスワード軍は絶望の声を上げる。

「ぬ、抜けぬ…!」

 深く自身の胴に貫かれた三叉槍を、ヴェルフは左手で渾身の力で掴んでいる。両者の位置は胴を突き刺す為に、クルトが人馬を前進させたので、近接している。

 クルトは咄嗟に槍から手を離し、退こうとした、其の刹那。

「喰らいやがれ!」

 右手でヴェルフは長槍を振るい、其の先端の鎚はクルトの左胴に強烈にぶち当たり、クルトは馬上より、吹き飛ばされた。

 クルトは立ち上がれない。呼吸が出来ず、肋骨が何本も折られた様だ。

 恐らく、通常の勇士なら、最悪即死か、重体と為り、気を失う一撃である。



 腹部に刺さった三叉槍を抜き取ったヴェルフは、地で苦しむクルトに言い放った。

「馬上の戦いはお前さんの得意領域だが、銛を撃つのは俺の得意領域なんでね」

 抜き出した腹から大量の出血が夥しく出ている。然し、ヴェルフは口調も半ば顔を抉られた表情も泰然としている。

 そして、クルト目掛けて渾身の力で、三叉槍を投げつけ、同じくクルトの胴も鎧を貫通して、深々と三叉槍に貫かれた。

「カイ、もう一度お前と酒を酌み交わしたかったが、如何も俺は此処までの様だ。家族と幸せに暮らせよ…」

 ヴェルフは口に出して言った心算だが、誰も彼のこの言葉を聞き取れなかった。最早、言葉が出ないのか、単に聞いて欲しい者だけに言ったのか、不明だ。其の直後、ヴェルフは馬上より崩れ落ちた。

「ヘルキオス指揮官!」

「藩王殿下!」

 互いの将兵が、この一騎打ちをした両者を引き取り、後方へと下がって行く。

 問題は、ヴェルフはホスワード軍の一指揮官だが、クルトは藩王軍の総帥だ。

 これでは、藩王軍は統制が取れ無く為り、戦況はホスワード軍に利して行く。


 オグローツ城内では、ティルが五千の兵を主要施設に入り込ませ、高所から侵入して来た藩王軍を弓矢で攻撃する。

 当然、藩王軍も矢を射るが、ホスワード軍は建物内に身を潜め、射込まれる矢を躱す。

 苛立った、藩王兵は下馬して、建物内に侵入して行くが、これがティルの狙いだった。

 南庭で建築物が在るとは云え、遊牧民である彼らは下馬して、建物内に侵入して戦うのは慣れていない。

 ましてや、初めて入る建物。ホスワード軍は勝手知ったる建物なので、想定外の場所より、藩王兵を襲い、この建築物内の戦いはホスワード側優位に進む。

 更に、ファイヘルが五千近くの騎兵を東側の城門より入城させて、藩王兵との乱戦と為る。


 城内の戦いは、この様にホスワード側優位に進んだが、ティルはこれを不審に思った。

 又何かの罠が在るのか、藩王軍の動きは統制が執れて無く、無秩序にこの乱戦で討ち取られている。

 藩王がこの状況を座して診ているとは思えない。

 暫くすると、ティルは驚きの報告を受けて、藩王軍の無秩序を理解した。

「ヴェルフ・ヘルキオス上級大隊指揮官、藩王との戦いで戦死!藩王も生死不明の重傷を負い、部下たちに因り、後方へと引き下げられました!」

 つまり、藩王軍は全軍を指揮する総帥が居ない状態だ。

 最早、各自が各自の判断で戦っている様で、主君の生死不明を聞いたのか、一部の藩王兵は北へと逃げ出している。


 オグローツ城の北辺で戦っていた、藩王軍も無秩序と為り、ラースとルギラス率いるホスワード軍に次々に討ち取られて行く。

 ラースもヴェルフの壮絶な戦死の報を受けて、暫し衝撃を受けたが、僚友の死を無駄にしない為、即座に率いる部下たちを叱咤して、藩王軍の追撃に移る。

 オグローツ城は半壊したが、九日の夜の六の刻。ホスワード軍は、エルキト藩王軍を退ける事に成功した。


 未だ吐く息は白いが、この日は早朝からずっと蒼天だったので、日が沈んだ今は、天には月と満天の星々が輝いている。

 オグローツ城の北の破損した城壁の付近の炎は、既に鎮火しているが、所々で煙が上がり、焦げ臭さが周囲に漂っている。

 一部が毀れた、司令官棟の地下室の一室を急遽、戦死した高級士官の収容場所として、一際大きな板の上にヴェルフ・ヘルキオスの遺体が横たわっていた。

 遺体にはホスワードの中央に三本足の鷹が配された、緑のホスワードの旌旗が掛けられている。

 周囲に居並ぶのは、ティル、ラース、ファイヘル、ルギラスと云った主要幹部たちと、トビアス・ピルマーを初めとする十九名の士官たちだが、トビアスたちは手当てが必要な負傷をしているのに、治療を拒否し、ヴェルフの遺体の前で、只泣いている。

「…父上、カイにはこの事を即時に連絡致しましょうか。何れにしても彼は数日の内に、此処に戻って来ます」

 ラースは身内の言葉使いをしている。冷静さを彼は装っているが、明らかに内心では衝撃を受けている事が分かる。

 息子の言葉使いを注意するでも無く、ティルは応えた。

「即座に伝えねば為るまい。ルギラス殿、旗下の中で無事な者を五名程選抜して、現在此方に向かっているカイに…、ウブチュブク将軍への連絡兵をお願いする」


「この様な場で言うべき事では無いが、否、ヘルキオス指揮官の勇敢さを無駄にしない為にも、藩王軍に偵騎を放ち、あの僭主の生死の確認をすべきだ」

 ファイヘルがそう言うと、ティルは頷き、ルギラスにこの事も頼んだ。

「カイよ、すまぬ。我が判断不足と力及ばず、曾ては卿の父ガリンを、今では卿の盟友で義兄弟のヴェルフを死なせてしまった。私は何と云う愚か者だ…」

 ティルは心中で呟く。

 この日は、激戦を演じたにも拘らず、其々が眠る事が出来ず、翌朝を迎えた。


 胴を自身の三叉槍で貫かれていた、クルト・ミクルシュクは、後方の輜重車に乗せられた時は、未だ辛うじて意識が有った。

 自身の命がこの様な形で尽きるとは思わなかったクルトは、周囲に言葉を発する。

 其の声は弱々しく、途切れがちで、辛うじて、聞き取れる程だ。

「我が死を秘匿しても、余り意味は無い。後継と国の今後の指針は、宗主国のテヌーラ帝国の指示を仰ぎ、決せよ」

 これがクルトの最期の言葉であった。

 クルト・ミクルシュクは、この年で三十二歳。身一つで国を興し、周辺諸国に暴虐なまでの猛威を振るった、稀代の英雄は、テヌーラ歴百八十五年三月九日の午後の五の刻、こうして短くも波乱の生涯を終えた。


 カイ・ウブチュブクの一軍は、ラテノグ州の東部のリープツィク市の市外で、幕舎を設置し休息をしていた。

 三月十日の夜半で、夜が明けたら、即座にオグローツ城目掛けて進む予定である。

 時刻が十一日に変わる直前に、カイは自身の幕舎で寝ようとしたが、彼の従卒のモルティからオグローツ城からの連絡兵が来たと、伝えられた。

 戦況の状況を伝えに来たのか、とカイは思い。其の連絡兵を自身の幕舎に迎えた。


 内容を聞いたカイは、椅子から立ち上がり、数秒間硬直し、明るい茶色の瞳の瞳孔が開き、生ける彫像と化した。

 連絡兵たちもモルティも、其の場でカイが卒倒して、倒れてしまうのかと思った。

 だが、如何にかカイはモルティに指示を出した。

「…ディリブラント、リツキ、ミセーム兄弟、そしてこの中で一番席次の高い指揮官を呼んでくれ」

 四半刻(十五分)とせず、彼らはカイの幕舎に集合し、当然其の内容に驚愕する。

 カイは席次の高い指揮官に向き合い、指示を出した。

「勝負は決した。なので、卿が全軍を統括して、通常の速度でオグローツ城への帰還を頼む。ディリブラント、アルビン、シュキン、シュシン、そしてモルティは、今即刻俺と共にオグローツ城へ発つ」

 全員が敬礼すると、カイを初め五名は出発の準備に入った。連絡兵たちには、其のままこの軍中に居て、戻って好い事もカイは伝えた。



 十一日の午前の十の刻には、カイたちはオグローツ城を至近に捉えた。

 南西から来ているので、北面の被害状況は分からない。

 カイたち六騎は城の南門から入城した。

 下馬し、周囲の将兵の敬礼を、軽く受けながら、カイは殆ど走る足取りで、司令官棟へと向かう。

 司令官棟に入ると、本来は総司令官のティルに帰還の報告をしなければ為らないが、カイは一直線に地下室へと向かった。

 其の為、レムンとアルビンが代わりに、司令官室のティルの元へ報告に向かう。

 シュキンとシュシンとモルティは、カイの後を追った。


「ヴェルフ…」

 そう言ったきり、カイは黙り、旌旗に包まれたヴェルフの遺体を只見詰めていた。

 モルティは帽子を取り、敬礼をし、シュキンとシュシンは泣くまいと堪えている。この様な事は父の事が遭って以来だ。

 程無くして、ティルがレムンとアルビンを連れて現れた。

 レムンとアルビンも帽子を取り、敬礼するが、彼らの右拳は震え、如何にか直立の姿勢を維持するのに必死だった。

「…皆の者、碌に休息が取れていないであろう。湯あみと食事の用意はしてある。其れが終ったら皆寝るのだ」

 ティルがそう言うと、ラースが報告に現れた。

「エルキト藩王、クルト・ミクルシュクの死亡の件、確認が取れました。自らの死を偽装した策謀の可能性も考えられたので、暫く厳重に調査していていましたが、彼の死は確実である事を報告します」


 カイはティルの言葉もラースの言葉も入ってこない。一刻程して、カイを残し皆はこの地下室から出て行った。

 モルティがカイに休息を、と懇請したが、彼は全く聞き入れず、其の場に立ち尽くしたままでいる。

 この日の午後の十の刻、司令官室でティルとラースの親子は話し合っていた。

「カイは未だあのままか?」

「はい、如何声を掛けるべきか。いっその事レナをボーボルム城から呼びますか?」

 ラースが父に提案したが、ティルは軽く首を振り、他の戻って来た者たちの状況を聞いた。

「全員、湯あみをして食事を取り、既に寝ています。全く会話は有りませんでした」

「そうだろう」、とティルは心の中で呟き、彼もラースもこの日は其のまま眠った。


 翌日の十二日の昼過ぎ、司令官棟の地下室に一人ヴェルフの傍で座り込んでいたカイの元に、将の姿をした人物が現れた。

 カイは一睡もせず、其の間、水も食事もずっと取っていない。

 現れたのは、ファイヘル・ホーゲルヴァイデ将軍だ。

「カイ・ウブチュブク。何時までそうしている心算だ。十日か、半年か、其れとも一年以上か、其れならば、卿はこの大戦でもう不要だ。将の座を辞し、其処で何時までもそうしていろ」

 座り蹲ったカイは、何の反応もしない。

「ヴェルフ・ヘルキオスについては、俺は好く分からん。其れ処か寧ろ内心では、この男を嫌っていたからな。だが、今では俺は卿よりも、この男の想いが分かっている」

「…卿にヴェルフの何が分かる」

 カイはゆっくりと立ち上がり、ファイヘルを睨み付ける。

「この男はこう想っている。『カイよ、俺の事を何時までも気にするな。お前は自身のやるべき事をやれ』、と。卿の中のヴェルフ・ヘルキオスは、寂しいから自身の傍にずっと居てくれ、と柔弱に懇請しているのか?」

 カイはファイヘルを焼き付ける様な瞳で睨み付け、両の拳は強く握られた。

 曾ての両者の若き日、テヌーラ帝国の支援で、カートハージ州に赴いた時に、この様な状態が有ったが、カイはゆっくり呼吸を整えると、次の事をぽつりと言い。地下室からゆっくりと出て行った。

「…一時、休息を貰う。藩王も死んだ事だし、北方はもう問題は無かろう。俺はトラムでヴェルフを埋葬したら、復帰してゼルテスの大本営への所属を志望し、スーア市奪還の戦いに身を投じる…!」


 カイは司令官室で、ティルとラースに謝辞をし、ヴェルフの遺体を彼の故郷に埋葬する為の、休暇を申し出た。

「勿論、構わん。既にゼルテスの陛下から、私も陛下の代理として、葬儀に赴く事を命じられている。詳細な事は追って出るだろうが、ヘルキオス指揮官は生前に遡って、将の位と、散士と叙せられる」

 そして、ティルはオグローツ城と北方軍の、今後の編成を説明した。

 エルキト藩王国は、主が居ない状態だが、分裂や内部抗争の可能性が高いので、其の飛び火を防ぐ為、ルギラスを中心にラースとファイヘルが駐屯する。

 ホスワード側の兵力は、重騎兵と軽騎兵を合わせて一万を超える程だが、これに二万を超えるホスワード側エルキト男性騎兵と、一万のエルキト女性騎兵が合わさるので、十分に防げるだろう。


 ティルは一軍を率いて、帝都に戻る。抑々彼が率いている将兵は、退役兵や衛士を中心としているので、帝都に戻り、軍を解散させる。

 其の後、ティルはヴェルフの葬儀に出て、再度帝都に戻り、娘の皇妃カーテリーナ、宰相デヤン・イェーラルクリチフ、そして兵部次官ヴァルテマー・ホーゲルヴァイデを補佐する。

 カイがブホータ軍との戦いで率いた一万の軽騎兵は、ほぼ無傷なので、矢張り帝都に戻り、一時の休暇後、カイの休暇が終えると同時に、再びカイが指揮して、ゼルテスに赴く予定だ。


 十三日の早朝。ティル・ブローメルト総司令官と、カイ・ウブチュブク将軍率いる、歩騎約一万六千程は、オグローツ城出発し、帝都ウェザールへ向かう。

 見送るハータ・ヘレナトは短期間だが、ティルの傍に居た事を誇らしく思っていた。

 事実、後年この経験は彼の財産と為る。

 歩兵の多くは、幾つもの台車を曳き、其の台車の中には戦死した僚友たちが、棺に納められている。

 北方軍が形成された時、騎兵六万五千、歩兵一万だったが、騎兵は五万以下まで減り、歩兵はほぼ半減している。

 エルキト藩王軍は、八万を超える騎兵で臨んだが、ラースの調べでは全軍は六万を切っているそうだ。


 十五日には帝都の西の練兵場に到着したので、総司令官ティルは歩兵の解散と、戦死者を遺族の居る地に届ける手配の為に、帝都の兵部省へ赴いた。

 カイは中級大隊指揮官に当たる、先に自軍を預けた部下に、練兵場での一万の将兵の統括を任せた。

「モルティさんは、カリーフ村へ帰っても構わないぞ」

「いえ、ウブチュブク将軍。この大戦中は御傍に仕える事をお願い致します」

 カリーフ村のウブチュブク家には、モルティの妻が居るが、モルティは帰る事を拒否した。

 そして、ヴェルフの故郷への一団は、下級大隊指揮官に昇進したトビアス・ピルマー、上級中隊指揮官に昇進した十八名の部下達、中級中隊指揮官に昇進した副官アルビン・リツキ。彼ら二十名はカイとヴェルフが持った初めての部下達だ。

 そして、参軍レムン・ディリブラント中級大隊指揮官と、上級下級指揮官と為ったミセーム兄弟と、従卒のモルティ。


 ティルの準備が終わり次第、出発なので、カイは帝都のヘルキオス邸に、ヴェルフの遺体を安置し、弟二人とモルティとブローメルト邸で過ごす事に為った。

 何より、この家には、彼の娘のフレーデラ・ウブチュブクと、彼の妹のメイユ・レーマックと彼女の子供たちのソルクタニ、サウルがいる。

 カイは何日振りかの、笑顔と暖かい瞳を宿し、娘と姪と甥の安らぎの時間を過ごした。

「ツアラとセツカがボーボルム城で、レナの副官をしているのですか?」

 カイはブローメルト邸にツアラが居ない事に、義母のマリーカに問うと、そう返された。

「恐らくハイケが要らぬ進言を陛下に為さり、陛下は受け入れられたのだろう。まったく何をお考えなのか」

 カイのこの反応は妻のレナと全く同じ物であった。


「タナスはハムチュース村で一人寂しく居るのか。全てが終わったら、俺は生涯彼奴と呑む時は、奢り続けなければ為らんな」

 そうカイはメイユに言うと、エラを抱いたメイユは笑う。カイはサウルを抱いている。

 一方、ヘルキオス邸は引っ切り無しに、人が遣って来る。

 来る人々たちは、ウェザールの市井の人気者だった、ヴェルフの死を悼みに来ているのだ。

 其の話を聞いたカイは、住み込みの初老の老夫婦だけでは対応が大変だろう、と思い、自分もモルティを連れ、極力ヘルキオス邸に居る事にした。


 十七日にティルが豪奢な鞄を持ち、トラムへの出発を告げた。

 中に入っているのは、皇帝アムリートからの感謝状、兵部省からヴェルフを将とする任命状、典礼省から同じくヴェルフを武散士に叙する勅許状などだ。

「当たり前な話だが、これ等より、当の本人が無事に帰って来るのが、遺族にとっては一番だ。無論、陛下は其れを分かってらっしゃる」

「小官も其れは承知しています。陛下の御聖恩、ヴェルフに代わり感謝致します」

「処で、カイよ。ホーゲルヴァイデ将軍が、ヴェルフの望みは、卿が自身のやるべき事をやれ、と説得したそうだが、私は其れに加え、いや、其れ以上にヴェルフが想っている事を代弁しよう」

 二頭立ての馬車をトビアスとアルビンが操り、内部にはヴェルフの棺が納められている。

 他は皆騎乗で、馬車も乗せれる軍船を使い、河川や水路を伝いレラーン州のトラムまでの道程だ。

「『お前は家族と幸せに暮らせ』、だ。これこそがヴェルフ・ヘルキオスのカイへの一番の想いだ、と私は思う。ゼルテスでのスーア市奪還の戦では、この事を心に留める様に」

「…はい、ブローメルト閣下。決して家族を悲しませる事は致しません」


 十九日には、一行はトラムに入った。一同は、特にカイは身が引き締まる。

 ヴェルフの大叔父夫妻には何と言って好いのだろう、との思いが過る。

 既に、ヴェルフの戦死の報は、ヘルキオス老夫婦の元に伝わっている。

 やや、曇り空だが、さして寒さは感じない、トラムで、カイたちは五人の女性、其れも白を基調とした軍装のホスワード女子部隊の出迎えを受ける。

 カイの妻の、レナ・ウブチュブク中級大隊指揮官、オッドルーン・ヘレナト下級大隊指揮官、ラウラ・リンデヴェアステ上級中隊指揮官たちは元より、二名の若い、と云うより、女子部隊の軍装をした二名の少女たちに驚いた。

 カイの実妹のセツカ・ミセームと、ツアラ・ブローメルトだ。


「お前たち、役人に為る進路を決めているのに、こんな事を遣ってて好いのか?」

 カイは二人の少女に言う。

「私たちは、ハイケ兄さんの様に、大学寮に行ったら、休暇中に軍の調練を受けて、下士官の地位を元々受ける心算です。現在のこのお役目を受けたのは、予行演習として丁度好いと思いました」

 この年で、十六歳の女子部隊の軍装に身を包んだセツカに言われ、カイは改めて首を捻る。

 妹の其の姿を見た、シュキンとシュシンの兄たちは、少しからかった様子で言葉を出す。

「セツカ、俺たちがお前位の時に、軍に入ると騒いだ時は、猛反対してた癖に、お前はあっさりと軍に入っているなんて狡いぞ」

「ミセームだなんて、俺たちの真似をしやがって。処で、グライは如何しているんだ?レーマック先生の家で、お世話に為っているのか?」

 グライは特例で、カリーフから学院の在るハムチュース村に騎馬にて通っている。

 抑々、カリーフ村の見張り塔に、物資の運搬をしていた経緯から、特例で時刻を問わずの、騎馬での移動を認められたのだ。

 学院時代のカイ、ハイケ、シュキンとシュシンは、騎馬でハムチュース村の学院に登校する事は、認められていなかった。

 どんなに騎馬が達者でも、登下校時の騎乗は、認められないのが、ホスワード帝国の学院規則である。

 ある意味、グライはウブチュブク家で最も特例を認められた、英才なのかも知れない。



 こうして揃った一同は、ヴェルフの大叔父夫妻の家へ赴く。

 やや曇り空だが、大気は微かに柔らかな温かさを感じる。流石に夜に為ると未だ冷えるが。

 ヴェルフの遺体を何時までも棺の中に入れたままなのは、余り宜しくない気候に為りつつある。

「葬儀が終わったら、ボーボルム城の司令官に為る事は出来ないの?私は幕僚で十分だよ」

 隣を歩くレナがカイに言う。現在、ボーボルム城の司令官はレナだが、本来城塞司令官は将軍が務める物なので、中級大隊指揮官のレナは、これも特例で就いているのだ。

「テヌーラとの戦いも、もう無いだろう。俺はスーア奪還の戦いに加わる。だが、少しゆっくりゼルテスへと行くよ。ヴェルフの葬儀、クラドエ州のヴァトラックス教徒自治区を確認し、パルヒーズの墓所に赴き、其れからバハール州で、ヌヴェル将軍の墓参りもしないとな」

 ヴェルフの棺は、トビアスを初め十九名が抱えている。

 流石に巨大な棺だが、十九名は多過ぎだ。だが彼らは如何しても担ぎたがった。


 大きな棺を抱えた一団が、村内を歩いているのだから、当然目立つ。

 老夫婦は家の入口で待っていた。周囲にはトラムの住民が遠巻きに集まり眺めている。

 カイとティルを先頭にして、共に謝辞と感謝の言葉を老夫婦に述べた。

「…此奴が軍に行く、と言ってから、何となくこんな日が来るとは思っていました。此奴の父親も自身より、他人の安全を優先する奴でしたからね」

 大叔父は、甥であるヴェルフの父親の事を言った。ヴェルフの父親は十年以上も前に、此処トラムで発生した暴風雨の中、一艘でも仲間の船を安全な処へ、引き揚げていたが、自身は大波にのまれ消息不明、つまり死亡している。


 大叔父はカイに手紙を手渡した。ヴェルフが去年の十一月、最後に村を離れた時に、大叔父に直に渡した手紙だ。

 カイは其の場で読んだ。

「若し、俺が戦死し、遺体が仮に無事に故郷に戻れる事が遭ったら、お袋には悪いが、お袋の墓の隣で埋葬するのでは無く、俺の遺体を焼き、海に散骨して欲しい。親父を探したいのでね。この身体を灰まで燃やし尽くすのは、一苦労だろうが如何か頼む。俺が灰に為るまでの長い時間は、皆で酒でも呑んで楽しんでくれ。最後に、燃やす前は俺に上等な酒をたっぷり注げよ」

 カイは読んで、笑ってしまった。全くヴェルフ・ヘルキオスは、死んでまでヴェルフ・ヘルキオスだ!

 こんな面倒な事を押し付けるとは!

 隣で読んでいたレナも、面白さから笑い、そして泣いている。


 漁村だからか、トラムでは遺言で、火葬して海に散骨して欲しい、との願いが多い。

 其の為、村はずれに、かなり立派な火葬場がある。

 燃やす為の木材も、大抵使用不可に為った漁船を解体して、備蓄している。

 三月二十日の午前。棺を前にティルがヴェルフに対しての皇帝アムリートの感謝状を読み上げ、生前に遡っての将とする儀と、散士に叙する勅許状を読み上げる。

 其れが終ると、カイは巨大なヴェルフの棺を空け、二十合(二リットル)は入る陶器の(かめ)から、米を原料として造られた満々の清酒をヴェルフの遺体に注ぎ、棺を閉めた。

「これじゃあ少ないぞ、との文句は受け付けないからな」

 そして、カイが棺の下に何十本と設置された、木材の下に火を起こす。

 追加の為の木材も脇に揃っている。

 周囲は三尺を超えるの高さの布により、支柱と為る幾つもの柱に備え付けられ、囲まれている。

 ほぼ正四角形で、一辺が十尺程在り、中央にて燃やしているのだ。


 中にはカイ、ティル、レムン、ミセーム兄弟、モルティ、トビアスとアルビンを初めとする二十名。ボーボルム城から来た、レナ、オッドルーン、ラウラ、セツカ、ツアラの五名。そしてヴェルフの大叔父夫妻が居る。

 大叔父夫妻以外のホスワードの軍装をした者たちは、直立不動で右拳を左胸に当てる敬礼を、燃え上がる棺に対して行った。

 流石にセツカとツアラは、少しぎこちないが。

 外にはトラムのほぼ全ての住民が集まり、上へあがる煙に見入っていた。

 燃え上がる棺の赤い火焔が、カイの其の明るい太陽の様な茶色の瞳の中に映り、彼はヴェルフとの出会いから、様々な事を思い出す。

「しみったれてると、彼奴に怒られる。酒を呑んで、大いに語り笑い合おう!」

 カイがそう言うと、この火葬場は英雄を偲ぶ宴会場と為った。

 

 中に居る者たちも、外のトラムの住民たちも、宴席を作り、酒と料理を前に笑い合った。

 余りに笑過ぎて、泣き笑っている者たちも居るが、半分は、いや恐らくは純粋な悲しみからの涙だ。

 大泣きしているシュキンとシュシンは、「これはヴェルフさんの冗談を思い出して、可笑し過ぎて涙が出る程、笑ってるんだ!」、と言い張って、セツカとツアラから手拭(ハンカチ)を手渡されている。


 午後の四の刻を過ぎると、完全に燃え尽き、カイは用意していた骨壺に、ヴェルフの遺骨や遺灰を丁寧に入れていく。

 一刻程の作業後、カイはこう言った。

「明日、海に出て散骨しよう。絶対に明日は晴れるぞ!」

 トラムでは、ウブチュブク邸に所有者のカイとレナ、そしてティル、オッドルーン、ラウラ、シュキンとシュシン、そしてセツカとツアラが宿泊し、他はトラム内に在る衛士用の営舎に泊まっている。

 流石に大きなウブチュブク邸だが、彼ら全員を泊める事は出来ない。

 この日、全トラムの住民は皆早くに寝てしまった。


 二十一日。この日は朝から雲一つない晴天で、微かに吹く風は柔らかだ。

 カイは自分の漁船に乗り、同乗者は其のまま自邸に泊まっている者たちだ。

 ヴェルフの漁船を大叔父が操船し、他の者たち全員は此方に乗り込んでいる。本格的な漁船なので、カイの因りも一回り以上大きい。

 この日はトラムの人々は漁を中止し、カイたちの両船を見送っている。

 見送っている場は、ヴェルフの大金で改築された波止場だ。

 出港し、暫し東へと進む。波は穏やかで、空に輝く太陽が、見事に海に反射して、視界に入る物は全て明るい光に包まれている。

 両船は並ぶ様に、停止した。


 何処までも広く続く大海を望み、カイは骨壺の蓋を開ける。

「これまでお前とは、色々な処を冒険したが、これからはこの大海で、親父さんを探す大冒険だな。だが、お前なら必ずや成功するだろう。ホスワードで一番の、いや、大陸諸国で一番の英雄だからな」

 大海にヴェルフの遺灰が注がれ、海に溶け込む。一同は右拳を左胸に当てる敬礼をして、ヴェルフ・ヘルキオスへの最後の別れをする。

 散骨を終えたカイの右隣にレナが、そっと身を寄せる。

 カイは太く長い腕を妻の身体に回し、二艘の全員は一刻程、大海の穏やかな波を見ていた。


 翌日、カイたちは二手に分かれて、トラムを後にした。

 一方はボーボルム城組で、カイ、レナ、レムン、オッドルーン、ラウラ、アルビン、モルティ、シュキンとシュシン、セツカとツアラ。

 一方は帝都ウェザール組で、ティル、トビアスを初め十九名の部下達。

 下級大隊指揮官と、高級士官に昇進したトビアス・ピルマーは、カイの部隊の次席幕僚と為り、現在練兵場で主席幕僚の中級大隊指揮官が統括している、軽騎兵一万の統括の補助だ。

「四月の第一週までに、ゼルテスに到着する様に。現在メルティアナ城の装甲車両、百五十輌の整備が終わり、ゼルテスに到着するのが、其の時期だと聞いている」

 カイはトビアスに命ずる。両者は完全な軍人の顔に戻っている。

 カイ、レムン、アルビン、モルティ、シュキンとシュシンは、途上クラドエ州のヴァトラックス教徒の村落を確認し、ボーボルム城でレナたちと別れ、バハール州のアレン・ヌヴェル将軍の墓所を訪れ、同じく四月の第一週にはゼルテスへ到着予定だ。


 こうして、ホスワード帝国に対峙している勢力は、バリス帝国のみと為った。

 ホスワード帝国歴百五十九年四月。遂に大陸大戦は最終局面へと至る。


第三十九章 大陸大戦 其之拾弐 火焔、城塞と英雄へ 了

 そんなわけで、ヴェルフさんのご退場です。

 彼は関しては、初めから死亡させる予定でしたが、もっと早くに死なせる予定でした。

 物語終盤までねばるヴェルフさんの生命力に脱帽です。



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