表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/44

第三十八章 大陸大戦 其之拾壱 大海と草原の騎兵隊

 長々とお待たせしました。

 それでは、ご一読よろしくお願いします。

第三十八章 大陸大戦 其之拾壱 大海と草原の騎兵隊



 ホスワード帝国軍マグタレーナ・ウブチュブク率いる、約二百五十騎の女子部隊は、帝国歴百五十九年の三月二日の午前にボーボルム城に到着した。

 当地の大気は冷たくやや湿っているが、空は薄雲が疎らに在るだけの晴天で、北風が少し吹いているが、日向に居れば、人に因るだろうが、過度の厚着は必要としない気温である。


 彼女たちの役目は、ドンロ大河上でテヌーラ水軍と決戦をする、ホスワード水軍の後方支援である。

 具体的には特殊大型船三艘を使い、負傷者の運搬、物資補給、将兵の各船の移乗を助ける。

 其れが可能なのは、特殊大型船の船首は、幅二尺半(二メートル五十センチ)、長さが十尺程の形状をしていて、更に船首上には軌条(レール)があり、長さ六尺、厚さ五寸(五センチメートル)程の鉄板を伸ばす事が出来るからだ。

 つまり、味方船にこの桟橋を架ける事に因って、先の移送が速やかに行える。


 尤も、これは敵船に鉄板を突き刺し、騎兵部隊を突入させる物として、考案され、造られた。

 戦闘の推移に因っては、マグタレーナことレナは、本来のこの使用方法で、一戦に臨もうと考えている。

 レナたちはボーボルム城の陸地側の入口、北側より下馬して、馬を曳き入城する。

 既に当地の任務に就く事は、ボーボルム城司令官アレン・ヌヴェルに通達済みである。


 レナたちは北門から入って、直ぐの厩舎に馬を預け、部下たちを城内のある一棟にて休憩させ、自らは二人の側近と共に、司令官棟へ赴く。

 レナ・ウブチュブクはこの年で二十六歳。昨年十一月に娘を産んだばかりの母親であるが、白を基調とした軍装姿で律動的歩く姿からは、まるで其れを感じられない。

 少し伸びた緩やかな(ウェーブ)がある、金褐色の髪は薄緑の髪留めで纏め、同じく薄緑色の縁無し帽子の後ろから出ている。この帽子には大きな鷹の羽が一本、飾りとして刺さっている。

 そして、閃く白の肩掛け(ケープ)の背の緑色の三本足の鷹の周囲は、鮮やかな金色で縁取りされている。

 彼女の階級は下級大隊指揮官。ホスワード帝国軍で唯一の女性高級士官だ。


 彼女の存在に気付いた、付近のホスワード軍の将兵は、左胸に右拳を当て、直立不動の体制で敬礼をして迎える。

 彼らに対して、レナの青灰色の瞳は、暖かい和らぎの輝きと為り、楽な姿勢で好い、と軽く手を振る。

 レナの左右で歩く女性たちは士官だ。

 一人は身の丈がレナとほぼ同じの百と七十寸を超え、もう一人は小柄で百と六十寸に届かない。

 三者とも細身だが、身軽さは当然として、しなやかな力感を有する点でも共通している。

 女子部隊第一副指揮官のオッドルーン・ヘレナト上級中隊指揮官と、第二副指揮官のラウラ・リンデヴェアステ中級中隊指揮官だ。

 こうして三者は司令官棟へ入った。


 ボーボルム城司令官のアレン・ヌヴェルは、この年で五十二歳。

 彼は若き日にガリン・ウブチュブクの副帥を長く務めていた。

 将に為ったのも、四十を半ばも過ぎてからであり、其れは彼の身分がホスワード貴族の末端の、勲士階級である事も一因だ。

 大半の勲士出身の軍人は、将の手前の上級大隊指揮官で、出世が止まり、六十を過ぎると退役する。

「女子部隊が、此方の戦線に来てくれたのは有難い。将兵の士気も上がっている」

 ヌヴェルは三人に感謝と労いの言葉を述べる。レナは子を産んで未だ数カ月、レナ以外の女子部隊の全員は、つい先日まで、ホスワード帝国の北方で戦っていた。

「では、手続きが終ったら、今日は休息だ。詳細は明日の会議で行おう」

 ヌヴェルは一旦、レナたちを下がらせ、レナたちは自分たちが宛がわれた、城内の居住棟でこの日は過ごした。


 翌日、司令塔の大会議室での会議では、同じくレナとオッドルーンとラウラが出席した。

 先ず、ヌヴェルは三艘の特殊大型船の船員兼戦闘員の三百名を、レナの指揮下に配属する事を決定する。

「テヌーラの船団だが、オデュオスに近い軍港に続々と船団が集結している。周知の様に皇帝専用の超大型船も配置されているので、アヴァーナ帝が親征して来る」

 一同は半ば意気込み、半ば緊張を持った。

 アヴァーナは戦闘の指揮官としてだけなら、特に怖れるべき物は無い。

 だが、敗戦を分析させ対策を立てる、知性と指導力を持っているので、親征と云う事は、例えば昨年の手榴弾の攻撃等の対策を立てて来ているのだろう。


 両軍の編成は以下と判明している。

 ホスワード水軍。大型船が二十艘、中型船が四十艘、小型船が三百五十艘。特殊大型船三艘。

 テヌーラ水軍。大型船が二十五艘、中型船が四十五艘、小型船が四百艘。超大型船一艘。

 ホスワード水軍の小型船全てには、手榴弾の擲弾兵が配置されている。

 また、ホスワード水軍の中型船以上には、無限の投擲武器である水弾が打ち込める。

 尤も、火砲の無いテヌーラ水軍に、この水弾がどれ程意味が有るかは不明ではあるが。


「明後日の早朝を全艘の出撃日とする。先ずは小型船が手榴弾の投擲をして、若し対策が取られ、攻略不可な場合は、小型船は速やかに後方に移り、中型船以上の正面決戦とする」

 ヌヴェル将軍は、作戦期日と作戦案をこの様に纏めた。

 レナたちの三艘は最も後方に位置し、後方支援だが、レナは特殊大型船の各艘に、三十頭の馬を収容する事をヌヴェル将軍から許可を得た。

「ウブチュブク指揮官の旗下に入れた将兵は、皆船首の鉄の軌条の扱いには慣れているが、騎兵突撃と其の収容の経験は無い事を、好く肝に銘じる様に」

 ヌヴェルはレナに騎兵突撃の無茶をさせない様に釘を刺した。


 ボーボルム城の各将兵は、出撃準備に入り、予定通りに三月五日に全艘がドンロ大河へ出て南下を始める。

 程無くして、城塞からの連絡船がヌヴェル将軍の旗艦へと到着した。

「何と!ブホータ軍と思われる軍団がバリス領を通り、ラテノグ州に襲来しただと!?」

 ヌヴェルが驚くのも無理は無い、バリス帝国の西に在るブホータ王国は、ホスワードと同盟して、この大陸大戦では東西よりバリスを挟撃した形を取っている。

 然し、ブホータ王国軍は敗れたが、領土失陥をした訳でも無く、未だ体勢を整えれば、再度バリスに挑める状態だ。

 だが、彼らは再度の挑戦を、同盟国のホスワードに対して向けて来た。


 レナたちはヌヴェルの旗艦に赴いた。船首が通路に出来るので、この様に移動が容易だ。

 旗艦の後部の楼閣内の会議室で、ヌヴェルは険しい顔で、レナに告げた。

「…ウブチュブク将軍が、約一万程の騎兵を率いて、ラテノグ州へ転進したそうだ。ウブチュブク将軍も心配だが、一万の兵を分離した北方軍は、エルキト藩王軍の猛攻撃に晒されるだろう」

 レナの青灰色の瞳は、不安を抑え付け、覚悟の光を宿す。

 夫のカイは他戦線に転進。父のティルと兄のラースは、一時的な寡兵でのエルキト藩王軍との交戦。

 だが、彼女は身内の安否に動揺せず、目の前の自分が決した任務を熟さなければ為らない。


「藩王軍との交戦は初日は激しかったですが、以降は散発的な物でした。恐らく藩王はこの事態をバリス側から伝えられていたのでしょう」

 オッドルーンがレナに、彼女たちが北方軍に居た時までの、藩王軍との交戦状態を報告している。

 交戦の初日とは先月の二十日だ。



 ホスワード帝国の北西に位置する、メノスター州のバリスとの国境の城塞であるバルカーン城に、急報がもたらされたのは、三月の初日。

 其の内容は北である最北西部のラテノグ州へ、バリス側から約一万の騎兵が向かっているとの事だった。

 騎馬隊の様子や、武装等を見ると、バリス軍では無く、ブホータ軍と思われ、即座にバルカーン城司令官のギルフィ・シュレルネン将軍は、ホスワード軍の大本営がある、南のメルティアナ州のゼルテス市と、ホスワード北方軍に連絡兵を奔らせた。

 翌日の夜半には、北方軍はこの状況を知る事と為る。

 地理的に近いゼルテスでは当日の夜半だ。


 三月三日の深夜、北方軍の総司令官ティル・ブローメルトの幕舎で、主だった将と幹部たちが集まり、対策会議を開いた。

 ホスワード北方方面軍の陣営は、オグローツ城から徒歩で北へ半日程の場所に位置している。

「同盟を締結したのに、其れをこの様に破棄するとは、下劣極まる連中だ!ブローメルト閣下、如何かこの私に迎撃の一軍を率いる事を認めて下さい!」

 そう叫んだのは、ファイヘル・ホーゲルヴァイデ将軍。

 彼は数年前のブホータ王国との修好の使節団の主席幕僚として参加していた。

「若し、ラテノグ州が危機に見舞われたら、ウブチュブク将軍が対応に当たる事が、事前に決められている。卿の怒りは尤もだが、ここはウブチュブク将軍に一軍を率いて貰おう」

 そう、当の使節団の団長を務めていた、ラース・ブローメルトが述べる。


 これは抑々の予定であった。

 但し、「バリス軍がラテノグ州に侵攻した時」の場合だ。

 侵攻しているのはブホータ軍である。

「エルキト藩王はこの事態を事前に知っていたと思われます。消極的な戦いを続けていたのは、これに因って全軍を挙げ我が軍を強襲する為でしょう」

 カイが発言した。此処で自身が離れたら、あのクルト・ミクルシュクを相手にする人物が居なくなる。

「カイ…、ウブチュブク将軍。将軍は一軍を率いて、対ブホータへ向かうべきだ。此処は俺たちが何とか踏ん張る。将軍はブホータ軍を早期に一蹴して、戻ってくれば好い」

 ヴェルフ・ヘルキオスがカイに述べた。

 結局、当初の予定通り、カイ・ウブチュブクは其の夜の内に一万の騎兵を編成し、即座にラテノグ州へ進発と為った。


 先ず、カイとファイヘルが率いている合計一万五千程の軽騎兵から、一万を選別する。

 主な構成員は、参軍レムン・ディリブラント、副官アルビン・リツキ、シュキンとシュシンのミセーム兄弟、従卒のモルティ、そして大半の故マグヌス・バールキスカンの元の部下達が加わる。

 五千の残りは、ファイヘルが統括して、主な人員はヴェルフ、トビアス・ピルマーを初めとする、カイとヴェルフが最初にバルカーン城で部下にした十九名たちだ。

「準備が出来次第、直ぐ出発しましょう。夜半でも最短の公路(ルート)を私は把握しています」

 情報と地理に詳しいレムンが述べ、一刻(一時間)以内の出発と決まり、選別された者は準備に入る。

「ヴェルフ、無理はするなよ。間違ってもあの藩王の相手はするなよ」

「分かってるよ。ブローメルト閣下の指示に従うのだから、無謀な事はせんよ」

 カイとヴェルフは向き合うと、互いの右手の掌をバチンと大音で打ち合わせ、お互いの健闘と無事を祈る。


「深夜とは云え、一万もの兵が動けば、藩王軍の偵騎の知る処と為るでしょう。ブローメルト総司令官、この陣営も即時に放棄し、オグローツ城へ退避すべきかと」

 ラースが父のティルに意見する。

「うむ。先ずは女性騎兵一万は即時にオグローツ城へ入城し、藩王軍がオグローツ城に現れたら、城壁上からの弓戦を頼む。交代制の四六時中でお願いする」

 ティルは幕舎に居る、女性騎兵部隊の指揮官に命じ、更に陣営の総撤退の案と指示を、ラースとファイヘルとヴェルフに述べる。

「…流石はホスワード軍の至宝と謳われていただけは有るな。カイとは別の意味でこの御方となら負ける気がしないぞ」

 心中にそう思う、ヴェルフ・ヘルキオスであった。


 三日の午前の三の刻。カイ・ウブチュブク将軍率いる一万の軽騎兵は、北方軍の陣営を離れ、西へと転身する。

 当然真っ暗で、空は厚い雲に覆われ、明かりと為る月や星空は拝めない。

 最小限の松明を掲げ、一万騎は雪道の悪路を信じがたい速度で、一糸乱れず進んで行く。

 だが、これは付近を偵察していた、藩王軍の知る処と為る。

「一万程か、率いている主帥までは分かったか?」

「遠巻きで数を確認するのを重視した為、其処までは…。ですが先頭を奔る主帥を思わしき者は人馬共に巨大で、背には長槍を納めていました」

 当然、この様な夜半偵察は夜目が効く者を、クルトは選別して行っている。

「カイ・ウブチュブクと見て好いだろう。ホスワードにはもう一人巨躯の指揮官がいるが、其の者は将で無いから、一万の兵を統括する権は無い筈だ」


 クルトは続々と情報を手にした。

 女性部隊は既にオグローツ城へ撤退し、残りのホスワード本陣の将兵も、オグローツ城への撤退準備を始めている。

「あの陣営を其のまま頂き、オグローツ城の攻撃の拠点とする」

 クルトは全軍を挙げて、ホスワードの本営の強奪を決した。

 三日の午前の昼前である。


 ホスワード北方軍の本営は、厚さ二尺半、高さ三尺、長さが凡そ十尺から三十尺の雪壁が、ほぼ円形上に並んで造られ、内部は七万を超える将兵と馬が入れる広さだ。

 先ず北側から造り、降雪が有る度に雪壁を造っていたので、陣営内部と其の周辺は雪が殆ど無い。

 藩王軍が視認できる程に迫ると、陣営から昼餉なのか、多くの炊煙が上がっていた。

「呑気な奴らめ。このまま奴等の昼飯も頂くとしよう」

 先頭を奔る藩王兵が息巻く。


 この日は珍しく灰色雲は疎らで、弱々しいが空には太陽が輝いている。

 但し、強風ではないが、北からの風があるので、人馬の吐く息は白く、寒さに弱い者なら外になど出たくない状況だが、北の人々にとっては珍しい陽気、と云った処である。

 クルトは異変を感じていた。炊煙が上がっている割には、陣営内に人の気配が感じられない。

「周囲に伏兵が居ないか、十分に調べたであろうな」

「はっ、隈なく廻りましたが、伏兵の気配は有りませんでした」

 当然、この陣営強襲前に、クルトは周辺の探索を徹底して行わせている。


 近付くにつれ、クルトは異様な匂いを微かに感じた。北風なので、遠くからは分からなかったが、この煙は炊煙の臭いだけでは無い!

「火薬だ!ホスワード陣営内には火薬が仕込まれているぞ!全軍反転して退避!」

 ホスワード軍は手榴弾を武器として使う。但し其の擲弾兵は限られているので、ティルは事前に手榴弾の導火線を、長い物にさせた物を百個程用意していた。

 恐らく、クルトのこの言葉が、あと六十を数える程遅かったら、エルキト藩王軍の先頭部隊は爆風で吹き飛ばされていたであろう。


 五十丈(五百メートル)は離れた位置まで、クルトは全軍を北へ戻すと、ホスワード陣営内から次々に爆発が発生し、周囲を囲む多くの雪壁が崩れ落ちた。

 朦々と上がる煙が北風に乗って、藩王軍に来ないのが幸いだ。

「危うくバタルと同じ目に合う処だった。ティル・ブローメルト。カイ・ウブチュブクとは別種の恐るべき人物だ」

 曾て、エルキト帝国が健在時、当時のバタル帝はバリス帝国に十万の騎兵で侵攻したが、地下に埋められた爆発物で空前の大敗を喫した。

 其の後、衆望を失ったバタルをクルトは弑して、自らエルキト可寒と為ったのだが、バタルと同じ醜態を晒す処だった。

「オグローツ城の攻囲も慎重を期さねば為らぬ。敵の総司令官はこの種の事を、これから幾度と無く行うぞ」

 クルトのこの一声と、無惨に崩れ落ちたホスワード陣営を見て、藩王軍は粛然と為る。


 ティルは当日の撤退を一斉に行わず、カイの部隊の転進時と、女性部隊の撤退時に合わせて、小部隊毎に別路よりオグローツ城に戻した。

 つまり、カイや女性部隊の大軍の方に当然藩王軍の偵騎の目は向くので、其れを利用して、小出しにオグローツ城へ部隊を引かせた。

 そして、幕舎や(ゲル)、更に食事用の炉や鍋は幾つか残し、ティル自ら率いる約千の歩兵部隊が食事の用意と手榴弾の設置を行い、(あたか)も昼餉の様な状況を設置し、藩王軍を確認すると、目いっぱいまで引き付け、手榴弾の導火線に火を点け、陣営を退去した。

 ティルの千人の部隊は、藩王軍と同じく五十丈の距離を逆に南に位置している。

「ふむ。如何も引っ掛からなかった様だな。猛獣だけに鼻は効くらしい」

「然し、幕舎や食料を少なからず無駄にしたのは勿体無いですな」

 近くに居た小部隊を率いていたヴェルフがティルに言う。

「何れにせよ、オグローツを攻略しようとすれば、あの地で陣営を築かねばならぬ。我が軍の遺棄した物資撤去と陣営の構築で、即座のオグローツの攻略に彼らが向かう事は無いであろう」

 最後の部隊と為る、ティルの千の部隊と、ヴェルフの小部隊は悠然とオグローツ城へ退いて行った。



 三月五日のドンロ大河上で、テヌーラ水軍を視認したホスワード水軍は、小型船三百五十艘が一気に南へ進む。

 テヌーラ水軍は中型船や大型船を前面に出し、小型船は後方に配置している様だ。

 ホスワード水軍の小型船全てには、手榴弾を投げ込める専任の擲弾兵が、一名配置されている。

 これが北方軍に於いて、ティルが手榴弾を、長い導火線にして用意した理由だ。

 擲弾兵は三つの手榴弾を持ち、更に後方の特殊大型船には、手榴弾を初め、各種物資が補充されているので、一斉に三つを炸裂させても問題は無い。


 ホスワード水軍の小型船団が、テヌーラ水軍の中型船団と大型船団に迫ると、ホスワード軍の三百五十の擲弾兵は手榴弾を用意し、着火の用意をする。

 すると、テヌーラの船団から(ホース)が船外に出て来た。

 喞筒(ポンプ)にて河の水を汲みあげ、射出する装置である。

 中型船からは二本の管が、大型船からは四本の管が現れ、ホスワード水軍の小型船団に勢い好く水を撒き散らす。

 ホスワードの擲弾兵たちは着火に難儀を来たしたが、幾人かは如何にか着火させ、テヌーラ船へ投擲する。

 すると、今度は幅が二尺、高さが一尺は有る板状の物を、船上のテヌーラ兵二人が左右を持ち、飛んで来た手榴弾を跳ね返した。

 この板状の物は、表面が護謨(ゴム)で覆われている。テヌーラ軍も護謨を利用した、武器では無いが、手榴弾の対応物を造っていたのだ。


 其れも船上に二十名、つまり十の護謨板が船内に投げ込まれる手榴弾を弾き出そうと、動き回っているのだ。

 ホスワード軍が投擲した手榴弾の大半は、この様に跳ね返され、河に落ちたが、ごく僅かにホスワードの小型船に転がり、爆発を起こした。

 テヌーラ水軍の中型船や大型船の殆どは、この手榴弾の被害に遭っていない。

「このまま管にて、敵小型船には、兎に角水を浴びせろ。全船は近接戦闘の用意を」

 テヌーラ水軍の旗艦の超大型船の後方の楼閣上で指揮を執る、アヴァーナは全船に命ずる。

 この対応策は、アヴァーナを中心にテヌーラの軍部の高官たちで為された物だ。

 また、アヴァーナが旗艦としている超大型船は、八つの管が備え付けられている。


「矢張り対策が取られていたか!小型船は後方へ、中型船以上は攻撃準備を行い進み、先ずは水弾を撃ち込め!」

 旗艦でヌヴェル将軍が小型船団を退避させる、後退の角笛と太鼓を鳴らさせ、中型船団と大型船団が前面に出て、水弾を討つ用意をさせる。

 石弾も在るが、数に限りが有るので、使用するのは戦闘の推移を確認して行う。

 テヌーラ水軍は其のまま、管から水をホスワード軍に浴びせ、ホスワード水軍は水弾をテヌーラ軍に打ち込む。

 本来、水上の戦いは、船体が木材を中心に造られているので、火計で以て行うのが基本だ。

 だが、先日の北方で騎馬遊牧民のホスワードとエルキトの戦いで、騎兵の劫掠を防ぐ車両を決戦部隊として投入した様に、この南方の戦いでも、火計でなく、双方水を浴びせた。

 「大陸大戦」の著者のイブンは、この各交戦国の兵科を好く調べていて、次の様な一節を述べている。

「互いに充実した騎兵部隊を持っているのに、地上では、護謨で覆われた装甲車両を初め、多くの車両を決戦兵器として使用し、互いに大船団を保持しているのに、水上では互いに水を浴びせる。何とも不可思議な戦闘方法を各国は採択していた」


 イブンの指摘通り、両軍は互いに大いに水を浴びせていた。

 テヌーラ側は、ホスワードの中型船や大型船にも、擲弾兵が居るのではないか、と念を入れて管にて水を浴びせ、ホスワード側は無限に近い投擲武器が水弾なので、様子見として打ち込んでいる。

 死傷者を大量発生させる攻撃ではないが、互いの甲板上は水びだしに為り、両軍とも足を滑らす将兵が続出した。


 次第に両軍は石弾や弓矢を浴びせる。両軍の船底には触角が付いているので、相手陣形を乱し、突撃用に船団を編成して、乱れた船の船腹に触角を突き刺し、水没させる。

 又は、船腹が補強され、触角を突き刺しても水没させるのが不可能な船には、船首より突撃兵が移乗して敵船の占拠をする。

 火計や爆破物の投擲兵器が無い場合、水上の戦いは、主にこれが基本的な戦闘方法だ。

 其れだけに鉄の船首を突き刺し、騎兵隊が突撃する戦闘方法は、突飛な様に見えて、実は一番の威力を発する。特に相手敵船が大きければ大きい程。


 ホスワード水軍の全中型船と大型船の最後尾には、ホスワード軍の緑地の旗を専用に振る兵が控えている。

 これは後方に控えている、特殊大型船三艘への合図用で、振り方に因って、「負傷兵の搬出」、「不足人員の搬入」、「石弾の補充」、「矢の補充」、と事前に決められていた。

 ホスワード水軍は数にて劣るが、この様に後方から鉄の船首を掛け、レナの指示の元、これ等を迅速に行い、如何にか五分の戦いが出来ている。


 数に勝る自軍が、敵軍を圧倒出来ない状況に対して、テヌーラ水軍の旗艦上で皇帝アヴァーナは、このホスワード水軍の背後で、絶えず後方支援をする三艘の特殊大型船の存在を報告された。

「小型船団を回り込ませ、あの忌々しい女子(おなご)共の船を攻撃せよ」

 テヌーラの小型船団は近接戦闘だけでなく、矢や石弾を投擲出来る装置が備えらている。

 この小型船団で、先ずは後方で支援をするホスワードの特殊大型船の殲滅を、アヴァーナは命じた。


 小型船は軽快に動く。二手に分かれたテヌーラ水軍の小型船団は、戦場を左右に大きく回り、ホスワード水軍の後方へと達する。

 当然、ヌヴェルは後方の自軍の小型船団に、この回り込んだテヌーラの小型船団の迎撃を指示する。

 テヌーラの小型船団は、矢や石弾を投擲出来る装置はあるが、水を撒く管までは備えられていない。

 レナたちの補給を受けた、ホスワード軍の小型船団は先ず、手榴弾でテヌーラの小型船団に攻撃をする。


 其れなりの損傷を与えたが、小回りが利く小型船は巧く回避し、このホスワード水軍の手榴弾を躱す。

 更に、両軍の小型船団が入り乱れる状況と為ると、もう味方船も巻き込むので、使用が出来ない。

「全艘、矢を射よ!又は敵船を薙ぎ倒す動きを採れ!」

 レナの指示で三艘の特殊大型船は、甲板上からテヌーラの小型船団に矢を浴びせる。

 射手たちはレナを初め、女性部隊だ。元々軽騎兵隊なので、其の精度は高く、テヌーラの小型船の乗員は次々に射られる。

 そして、単純に自船を敵船にぶつけて、大いにテヌーラの小型船を引っ繰り返した。

 だが、余り戦闘に集中すると、肝心の後方支援が止まるので、レナは自ら率いる三艘の戦闘は一刻とせず停止させて、元の任務に戻る。

 この一連のレナたちのお陰で、小型船団の戦いは、ホスワード側優位に進む。


 レナたち三艘の特殊大型船も、物資補給場所に限りが有る。

 又、負傷者を搬入しているが、中には至急城塞に戻り、医療棟で手当てを受けなければ為らない者も居る。

 レナたちの三艘は、後方へ、つまり北のボーボルム城塞方面へ進路を取った。

 城塞至近に完全な輸送船が五艘待機していて、この輸送船が物資補給と、負傷者の城塞への搬入を担当する。

 一艘に付き、十のテヌーラの小型船が猛速度で迫り、先端に(フック)が付いた太い、鉄線も編み込んだ(ロープ)を投げ込む。

 特殊大型船に移乗して、白兵戦を行う心算の様だ。

 レナはある男性士官に、一時的に敵兵侵入の防御指揮を頼む、と命じ、自身と四名の女性士官を連れ、一層目に入った。


 ホスワードの小型船団は、この特殊大型船に群がるテヌーラ船を逆に接近攻撃で、制圧しようと向かうが、テヌーラの小型船団が進路を妨害し、突撃して来るので、ホスワードの特殊大型船は孤立し、一艘に付き十のテヌーラ船に囲まれた。

 同時に十の箇所から、兵が登ってくる。縄を切りたいが鉄線が編み込まれ、剣を振るっても弾き飛ばされる。

 鉤は頑強に掛かっている為、取り外す事が出来ない。

 ホスワードの特殊大型船の乗員は矢を浴びせ、テヌーラ兵を退けようとするが、十の箇所からの為、侵入を許してしまった。

 白兵戦は剣で行われる。水上故に鉄具の武具は共に身に殆ど纏っていない。

 テヌーラ兵は登攀して来たので、大型の武器を所持している物は居ない。


 其処へ甲板上に五騎のホスワード騎兵が現れる。五騎は見事に味方を避け、敵兵に進み、馬上より攻撃を浴びせ、単に馬で追い掛けて、船上より落とす。

 レナは二尺を超える薙刀を馬上で振るい、テヌーラ兵の剣を次々に弾き飛ばす。

「これを見れば、オッドルーンもラウラも同じ事をする筈」

 侵入したテヌーラ兵を大方退けたレナは、もう二艘の特殊大型船の遠望した。

 矢張り同じく、オッドルーンはレナと同じ薙刀を馬上で振るい、ラウラは鉄の鞭(チェーンクロス)を馬上で振るい、侵入したテヌーラ兵を退けている。

 特殊大型船三艘の艦長はレナ、オッドルーン、ラウラが務め、総指揮官がレナだが、両艦長とも即時にレナと同じ対応をして、テヌーラ兵の侵入を防いだ様だ。

 こうして特殊大型船は北上して、味方の輸送船が展開している場所に付き、先ずは重傷者の移乗をさせ、物資補給を受ける。


(わらわ)の艦を前面に出せ!ホスワード軍に猛攻撃をせよ!」

 そう叫んだのだのはテヌーラの女帝アヴァーナだ。

 アヴァーナの旗艦は、他を圧する程に巨大だ。甲板上は投石機が幾つも設置され、一層目は一度に十の矢が射出できる装置も多く在る。

 そして、巨大故にこれらの投擲武器は多く保持している。

 女帝がこの攻撃力の高い自船を前面に出し、ホスワード水軍の攻撃を命じたのは至極当然だが、逆に前面に出る事で、主君の危険をテヌーラ将兵は危惧した。


 最前面に出た、アヴァーナの旗艦はホスワード水軍に猛攻撃を浴びせる。

 ホスワード側の陣形は、鉄で補強された大型船が前面に出ている。

 ホスワード水軍の総司令官のヌヴェルの旗艦は、其の前面の中央だ。

「耐えよ!此処で戦線を維持すれば、ウブチュブク指揮官が物資を補充してくれる!」

 ヌヴェルはそう叫び、最前線の船首で指揮を執る。


 レナたちの後方移動、其れに付け込んだテヌーラ水軍の撃退に時間を取られた為、ホスワード側の中型船以上の正面決戦は不利に陥っている。

 途上の小型船団の戦いは、又も特殊大型船は高所より、テヌーラ水軍の兵に矢を射て、支援と再度の自船の潜入をさせない様にした。

 ホスワード水軍の後方に漸く達し、補給物資を渡したが、負傷兵の搬入が格段に大きく為った事に、前面で展開されている戦闘の凄まじさと、自軍の状況の危機を感じるレナであった。



 カイ・ウブチュブク率いる約一万の軽騎兵は、西へと進む。

 この様な大部隊の移動の故、後方から、エルキト藩王軍の追撃を受けるかと思ったが、矢張り藩王軍はホスワード北方軍の一部が、其の内に転進するのを事前に知っていたのか、追わずに目の前に残った寡兵と為った北方軍との一戦に臨む様だ。

 一万を率いる経験はカイは初めてである。其れ処か、彼の父のガリン・ウブチュブクも率いた経験が無い。

 父をも超える将と為る、と決意して軍中に身を投じたカイだが、この様な異常事態で父を超える規模の将兵を率いるとは思わなかった。

 いや、困惑している時ではない!

 自身がすべき事は、この一軍でブホータ軍の撃退と、ラテノグ州の住民の安全だ。

 其れを思うと、彼の明るい茶色の瞳は、力強く、且つ冷静な光を宿し、まるで目的地までの燈火の様に輝く。


 夜が明け視界が良好と為る。尤も、日中でも夜半でも大抵厚い灰色の雲が空を覆っているが。

 カイは直ぐ後方を奔る、副官のアルビン・リツキに九の刻に為ったら、知らせる様に頼み、小休止をする事にした。

 出発時は三日の三の刻なので、六刻も奔っていたのだが、脱落者は一切出ていない。

 小休止中に、カイは付近の地図を広げる、参軍のレムン・ディリブラントの説明を受けていた。

「この地より、この進路を通りますと、以前にバリス軍と交戦したリープツィク市に、四刻程で辿り着けます。先遣部隊を出して、当市にてラテノグ州の現状把握の優先を提案致します」

 リープツィク市はラテノグ州の副都とも云うべき大きな市で、ラテノグ州の北東部に在る。

「アルビン、ミセーム中級小隊指揮官たちを呼んでくれ」

 カイは副官に実弟たちを呼ぶ事を命じた。


 呼ばれたシュキンとシュシンに、カイは地図を以て説明した。

「卿らが率いる四十騎を先ず、このリープツィク市に先行させる。そして、我々は悠然とでは無いが、少し速度を落として本軍を進める。定期的に五騎単位で、ラテノグ州の全体の状況を知らせる様に送ってくれ。若し、急を要する情報が入ったら、卿らのどちらかが本軍に戻り情報を伝えよ。つまり卿らの内一人はリープツィク市に残ったままと為るが、これに関しては卿らの判断に委ねる」

 急がなければ為らないが、戦闘を行う可能性が高い。全軍猛進して疲弊の極みで、対峙では意味が無い。カイは弟たちを緊急連絡要員として、先ずはリープツィク市に向かわせる事にした。

 二人は右拳を左胸に当てる敬礼をして、即座に部下たちを集め、出発準備をする。

 弟たちのこのきびきびとした動きに、兄としてカイは内心頼もしく思い、心中で軽く綻んだ。


「然し、こんな事なら女子部隊を全騎、南へ向かわせる必要は無かったな。ラウラを初め三十騎程は残して於くべきだったかな?」

「テヌーラは二度も特殊大型船にて敗れています。攻略方法として先ず考えられるのが、以前もボーンゼン河でバリス軍との交戦時に有った様に、鉤にて兵が登る事です。剛の者を多く揃えていないと、特殊大型船は占拠の憂き目に遭いましょう」

 カイの懸念にレムンが意見する。カイは「其れは尤もだ」、と言い、十を超える小型船団に囲まれ、鉤にて特殊大型船が攻略される危険性を心配したが、妻のレナなら必ずや対応策を講じて退けるだろう、と信じた。

 カイは、愛する妻が単なる武芸の達人なだけで無く、知勇兼備の冷静な指揮官だと、誰よりも認めているからである。


 ミセーム兄弟たちが出発後してから、一刻後にカイの本軍は少し速度を落として、ラテノグ州へと向かった。

 日中でも空は灰色。更に周囲は雪景色。途上の道は雪解けでぬかるみ、或いは凍結して、進軍に難儀を来す。

 先行したミセーム兄弟の部隊は、特に馬術に秀でた物を選んでいるので、この悪路は物ともしないであろう。


 山中を抜け、幅が狭く浅い幾つもの細い流れの箇所がある。

 ボーンゼン河の渡河が出来る地点だ。

 幾つかの流れは凍結しているので、渡河は更に容易だ。

 これでカイの本隊は完全にラテノグ州へと入った。三日の午後の五の刻である。

 急報が無い限り、カイは自部隊の出発を明日の六の刻として、全軍の休息を取る事にした。

 幕舎で最初の連絡兵が来たのは、午後の九の刻で、其の内容は現在ブホータ軍はラテノグ州の最も西部のバリス領を望む位置から、視認できる位置に現れた、との事である。

 この情報は当日の午後の四の刻にリープツィク市に入った情報なので、当然、今現在はホスワード領に雪崩れ込んでいるであろう。

 カイが不安に思ったのは、ラテノグ州の最西部でも幾つかの村落が在るので、其処が襲われていないかだ。

 付近で対応出来るホスワード兵は、バリスから奪取したラテノグ城塞で、此処には数百の兵しか詰めていない。

 襲来したブホータ軍は約一万なので、彼らが迎撃に出るのは自殺行為である。

 詰めている将兵には申し訳ないが、ブホータ軍が目の前のラテノグ城塞の攻略を重視する事を願うカイであった。


 出発の時刻。二回目の連絡兵が来た。其の内容にカイは安堵した。

 ラテノグ州の南のメノスター州のバルカーン城司令官、ギルフィ・シュレルネン将軍が、旗下から二千をラテノグ州に向かわせ、最西部の住民をプリゼーン城に避難させた事。

 又、ラテノグ城塞は敢えて明け渡し、ブホータ軍に略奪させ、少しでも時間を稼ぎ、ラテノグ城塞の兵も全てプリゼーン城に移動した、との事だ。

 こうしてプリゼーン城内は、住民数千と、約三千近いホスワード軍が駐屯している状態だ。

「これなら、数日は持つだろう。流石はシュレルネン将軍だ」

 カイはこの連絡兵に、ミセーム兄弟を更に先行させて、プリゼーン城内に密かに入城して貰う事を指示した。


「ですが、今頃ブホータ軍は空のラテノグ城塞で物資の強奪をしているんですよね。彼らはこれで充足して、軍を引き返し、自国へと帰って行く事も考えられますが」

 アルビンがカイに疑問を呈した。状況に因っては進軍を止め、元のオグローツ城に戻るべきでは、と更に述べた。

「確かに、其れが最も効率的だが、今後の事を考えると、ホーゲルヴァイデ将軍ではないが、ブホータ軍には、我がホスワードを敵に回す事の愚かさを、実際に骨身に沁みて貰おう」

 カイが冷静な顔で、冷酷とも云える行動を起こす事に、アルビンは少し驚いた。

 成程、ウブチュブク将軍は無制限に、味方や敵の士卒に優しい男では無い。時として、この様に冷酷とも取れる行動を選択するからこそ、この若さで将まで上り詰めたのだ、と。

 カイも実は内心では、アルビンの言い分を優先したい。だが、此処でブホータ軍に大打撃を与えないと、又、同種の事が発生する危険性が有るので、徹底して打ち破る心算だ。


 プリゼーン城は、ラテノグ城塞からボーンゼン河を渡って、東へ二里(二キロメートル)に位置している。

 どちらも一万を超える将兵を収容出来るので、この様に近接した位置に二つの大規模な城塞は不要だ。

 ホスワード側としては、ラテノグ州の領土画定が安定したら、ラテノグ城塞は縮小して、数百の見張り用の兵の駐屯地に変更する事が決まっている。

 物資を強奪されているのは、確かに痛手だが、人命、其れも近隣住民の安全を考えれば、今はブホータ軍に荒らされても構わない。


 カイの本隊は、四日の十の刻にリープツィク市に達し、二刻の休息を挟むと、少し速度を上げて西へと進軍した。

 既に朝日が昇るのが早く、沈むのが日々遅く為る時期だ。

 だが、この地で春を感じるのはこれ位で、空は灰色の雲が多く、北風は冷たく、豪雪こそ稀だが、未だ降雪は三月中はしばしば起こる。

 ホスワードの整備された道路を進軍するが、左右の雪原は所々草地が見え、もう少し経てば見事な緑の草原が視界に広がるだろう。


 この日の夜の休憩時に、既にプリゼーン城に入城しているミセーム兄弟からの連絡兵が来た。

 如何やら、ブホータ軍はラテノグ城塞の略奪に飽き足らず、プリゼーン城も標的とした様だ。

 ラテノグ城塞は多くの物資を残し、退去したが、武具や矢等の戦闘に使われる物資は全て持ち帰っている。

 また、ラテノグ城塞は砲が設置されているが、念の為、弾丸や榴弾も全て持ち帰っている。

 未だ、ボーンゼン河は凍結しているので、ブホータ軍は河を渡り、プリゼーン城の攻略を目指している。


「急ぐぞ。一気にプリゼーン城を攻囲しているブホータ軍を急襲する」

 カイは全軍にそう命じ、進軍速度を上げた。

 五日の昼を過ぎる頃、カイの本隊は遂にプリゼーン城を視認出来る位置にまで達した。

 遠巻きからでも、一万の騎兵が攻囲しているのが判る。

 ブホータ軍の軍装は薄茶色を基調とし、人馬は薄手の鎖帷子を身に付け、其の上に頭は鉄兜、身体には厚手の皮の鎧を、鎖帷子の上に身に付けている。

 乗っている馬はホスワード騎兵の馬より一回りは小さいが、四肢が太く、頑健な感じがする。後方には更に小さい馬が荷物を多く背負っているが、これは輜重用の騾馬だ。

 彼らの旌旗は、薄茶色で中央には虎が配されている。

 武器は弓矢、そして腰にやや短い剣を帯剣し、百と三十寸程の鉄槍を主武器としている。


 攻城用の武器が無く、逆にプリゼーン城の投石機から石弾を浴びせられ、更にはホスワード軍の投擲主武器と為りつつある水弾まで、ブホータ軍浴びる。

 投石場所の無い箇所から、下馬し、城壁を登ろうとするも、素早く弓兵が対応する。

 この中にはミセーム兄弟も居て、彼らは至近なだけで無く、十丈(百メートル)は離れた箇所のブホータ兵まで射抜くので、城内は喝采に沸く。

 其処へ、東からカイの本隊が迫ると、ブホータ軍は攻略を諦め、全軍をプリゼーン城から離れた位置へ纏め、交戦しつつ撤退準備を始める。

 もう十分にラテノグ城塞で略奪の旨味は知ったからだ。これ以上の危険を冒す必要は無い。

 だが、ホスワード軍はこのブホータ軍の勝ち逃げを認めなかった。


 先頭を奔るカイが弓矢を構える。背の長槍は従卒のモルティに預けてある。

 両脚で馬を操り、十分に狙いを付けて放った矢は、二十丈の距離を飛んで、ブホータ軍の一指揮官らしき男の胸部を、防具を物ともせず貫き、深く射抜いた。

 これがホスワード軍とブホータ軍の歴史上初めての交戦の合図と為る。

 両軍共に矢を浴びせるが、ホスワード軍の騎兵の速度は凄まじく、即座に近接戦闘と為る。

 先頭のカイは、弓矢をモルティに預け、長槍を閃かし、ブホータ将兵をまるで田畑の収穫物を刈り取る様に、首や腕を跳ね飛ばし、胴に深い一撃を与え落馬させる。

 ブホータ軍からすれば、「この様な化け物を相手にするとは聞いていない」、とバリスに難詰したい地獄絵図が展開される。


 数こそ五分だが、互いの戦意で半ば勝敗は決した。

 ラテノグ城塞の略奪で充足して、去るべきだったと感じるブホータ軍と、徹底して駆逐せんとするホスワード軍では、この一戦の意気込みが異なる。

 この時、プリゼーン城内の兵の一部が出撃した。

 ブホータ軍を駆逐する為では無い。ボーンゼン河に向かい、手にした手斧や金槌(ハンマー)で、凍結した河を砕く。

 事前にカイがプリゼーン城への連絡兵に、自軍が交戦したら、河の氷を砕く事を指示していたのだ。

 ブホータ軍が完全に戦意を無くし、西へ逃げて行くが、渡河すべき個所は、これで殆ど残されていなかった。

 追いすがるホスワード軍に殺傷され、或いは馬を捨て、河へ飛び込み、冷たさに苦しむ者が続出する。

 大陸の歴史上で初のホスワード軍とブホータ軍の会戦は、この様にホスワード軍の大勝に終わったが、最早一方的な殺戮と化したので、カイは戦闘を止めさせ、降伏勧告と、水中で冷たさで溺れているブホータ将兵の救出を命じた。

「この時期では、遥か南のドンロ大河も冷たいだろうな」

 カイは戦闘の終結を確認すると、其の関心は南方の水戦に向いた。



 同時刻、ドンロ大河上のレナは、自軍の小型船団の擲弾兵を特殊大型船に移乗させる事を命ずる。

 そして、正面激突している、ホスワード水軍の最右翼の大型船と、最左翼の大型船に、擲弾兵を移乗させた。

 正面の決戦が有利と判じた、テヌーラ水軍は、中型船を五艘ずつ用意し、ホスワード水軍の両翼に突撃を敢行しようとしていた。

 テヌーラの中型船十艘が、五艘ずつ大きく左右に迂回し、ホスワード水軍の両翼に近づく。

 だが、移乗していた擲弾兵が手榴弾を投げ、この迂回突撃を行なおうと計った、テヌーラの中型船は大いに損傷する。

 指揮の失敗に苛立った、アヴァーナ帝は、ひたすら正面のホスワード水軍を猛攻撃する事を指示する。


 ホスワード水軍の最前線の中央は、ヌヴェル将軍の旗艦だ。

 其処にテヌーラ水軍の石弾と無数の矢が飛んでくる。

 船の先頭に立ち、全軍の指揮を執るヌヴェル将軍に数本の矢が深々と刺さった。

「将軍!」

 周囲の部下達は騒然と為る。甲板上に斃れたヌヴェルの周囲は、彼の血でみるみる赤く染まる。

「レナ・ウブチュブクを総司令官として、戦いを継続せよ。あの様に迂回したテヌーラ船団を撃滅した。彼女に総指揮を任せよ…」

 其の言葉を最後に、ヌヴェルは意識不明と為り、幕僚の一人がレナの特殊大型船に移乗して、この事態を伝える。

 迷っている暇は無い!今は戦闘の継続をしなければ、ヌヴェル将軍の奮戦は意味が無くなる。

「分かりました。ヌヴェル将軍は後方に移送。私が旗艦に乗り込みます」

 レナはヌヴェルと入れ替わる形で、ホスワード水軍の旗艦に移乗した。


「凡そ、世界中で行われた会戦で、一時的とは云え、万を超える将兵を率いる総司令官が、共に女性と云うのは、過去も、現在も、そして恐らく未来でも見られないであろう」

 「大陸大戦」の著者のイブンの一節に有る様に、ドンロ大河上の会戦は、共に総司令官が女性と為った。

 レナは自身が乗っていた特殊大型船は、別の女子部隊の士官に艦長を任せ、オッドルーンとラウラが艦長と為っている特殊大型船に命を下す。

「今度は此方から、逆に敵の左右に迂回し、騎兵突撃を敢行せよ。テヌーラの女帝に以前の恐怖を体験させよ」

 補足として、相手の防備が整っていたら、無理に突撃する必要は無く、飽く迄も「騎兵突撃がある」、と注意を向けさせる事が重要と指示した。


 テヌーラ水軍の左右に、つまり東側と西側に特殊大型船が、突撃せんと構え、もう一艘の特殊大型船はヌヴェル将軍を後方の輸送船に移乗させると、又も前面、つまり南に展開している自軍の船団に物資補給をする。

 この時点で、テヌーラ側の遠距離武器は、アヴァーナが旗艦としている超大型船以外は尽きかけていた。

 ホスワード側の巧緻な処は、この様に物資補給を受けるまで、水弾を浴びせていた。

 勿論、死傷者を出す攻撃ではないが、テヌーラ側からすると、これは相手に遠距離武器が無限に在るかの様な恐怖を与える。

 其処に、左右に「あの」騎兵突撃船が至近に迫っている。

 レナとしては、これで相手の戦意を挫き、総撤退を実行してくれる事を期待した。


 旗艦の後方の楼閣上で、テヌーラ水軍の幕僚長が述べる。

「陛下、申し上げ難い事ですが、この辺りが限度かと。今ならば整然と退却は出来ます」

「先程、ホスワードの総司令官は交代した。猛攻撃を掛け、この交代で混乱を来すのなら、このまま力づくで屈服出来よう。だが、代わった総司令官が見事対処したら、其の退却の案は受け入れる」

 アヴァーナは敵軍の総司令官の交代で、猛攻撃を加える事を指示する。

 更に、遠距離物資は最も両翼に展開している船団に渡し、「あの」騎兵突撃船を近付けない様に、と指示した。

 猛攻撃の期間は一刻とし、其れでホスワード水軍が混乱を来さなければ、順次撤退、とアヴァーナは決する。

「代わった総司令官は、以前に妾に矢を射た、あの女子か。アムリートは文武の要職に女性を多く採用する心算と聞くが、武の方面では着々と進行している様だな」

 アヴァーナは、少女の頃を思い出し、微かに笑った。

 彼女の父帝は在位時に、聡明なアヴァーナを称揚する事多く、元々そうであったが、この九代皇帝時に、文の要職に対する、女性の登用がテヌーラ帝国では促進された。


 南に展開するテヌーラ水軍は、旗艦を頂点に三角形の楔状に布陣をして、旗艦が猛攻撃を加え、他の船団は其の補助、特に両側は至近に迫るホスワードの特殊大型船に、遠距離武器の照準を合わせる。

 北に展開するホスワード水軍は、旗艦を底辺に逆三角形の鶴翼に布陣して、全船が敵旗艦に集中攻撃を浴びせる。

 ホスワードとテヌーラの小型船団の戦いは、ほぼホスワード側の勝利に終わり、大半のテヌーラの小型船は水没したか、半壊し南の後方に下がっている。


 両軍の総司令官が叫ぶ。

「全ての投擲武器を打ち込め!無くなった場合は、管にて敵船に水を撒き散らせ!」

「敵旗艦に全ての攻撃を集中!無くなった場合は、水弾を打ち込め!」

 半刻(三十分)が経つと、前者の命を下したテヌーラ船団は、武器が無く為ったので、管で水を浴びせる。

 其の四半刻(十五分)後に、後者の命を下したホスワード船団は、水弾を浴びせる。

 この瞬間にテヌーラ側の左右に、ホスワードの特殊大型船が迫った。

「口惜しいが、此処が限度か。妾の艦を最後尾として、順次離脱の準備をせよ」

 アヴァーナは総撤退を決した。彼女の旗艦の損傷は極めて激しく、乗員八百名の半数以上が重軽傷を負っている。

 最も後方の楼閣上で指揮を執っていた、アヴァーナの周囲の警護の兵も少なからず、負傷者を出し、彼女自身も水弾の影響で、軍装が半ば濡れている。


「敵軍、退いて行きます」

「全船は其のままの陣形で待機。そして、小型船を最も外側に展開している、特殊大型船二艘に連絡。其のまま間隔を取って、半刻程追尾せよ、と」

 報告した男性士官も、其れを受けた総司令官代理のレナも、テヌーラ軍の放水で半ば濡れているが、負傷はしていない。

 テヌーラ水軍は完全に南へと撤退し、半刻程すると、最後尾のテヌーラ旗艦も五十丈は離れ、あの巨大さが小さく見える。

「追尾している特殊大型船二艘に連絡。帰陣せよ、と。二艘が戻ったら、我が軍もボーボルム城へ帰投する」

 レナはそう命じた。時刻は午後の六の刻を過ぎ、各船は松明を掲げている。


 ホスワード水軍は、水中に投げ出された自軍と敵軍の将兵を救出しながら、ボーボルム城塞へ向かう。

 其処へ、レナが乗っていた特殊大型船が北から遣って来た。

 レナの乗っている旗艦に船首を掛け、艦長を務めている女性士官がレナの前に急いで現れる。

 レナは既に全船の確認事項を取り、急を要する重傷者は現在自船団内には居ない事を、この女性士官に言おうとしたが、この士官の報告に暫しの忘我を受ける。

「アレン・ヌヴェル将軍、つい半刻程前にボーボルム城の医療棟にて、戦傷の影響に因り、死去との事です」

 アレン・ヌヴェルはこの年で五十二歳。彼は二十代半ばの頃から、約十五年間ガリン・ウブチュブクの部隊の副帥と務めていたが、八歳上のガリンの一つ下の年齢で死去した。


 レナは全船の将兵に伝えた。

「負傷で立ち上がれない者は、其のままで好い。無事な者は全員ボーボルム城に向けて、六十を数える敬礼!」

 ボーボルム城に帰投したレナたちだが、一気に慌ただしく為る。

 先ず、ゼルテスの大本営にヌヴェルの戦死と、テヌーラ水軍を退けた旨を知らせる事。

 ヌヴェルの故郷は、此処ラニア州の西隣のバハール州なので、彼の家族に戦死を伝える事。

 一時的にレナが総司令官と為っているが、ボーボルム城の正規の総司令官を誰にするのか、これも大本営への確認。


 事務作業を終えると、レナはオッドルーンとラウラと共に、ヌヴェルの遺体が横たわっている医療棟へ向かい、改めて敬礼をした。

 ヌヴェルの死因は、身体に何本もの矢が深く突き刺さった、出血多量が原因で、其の顔は傷が無く、首から上を見ると、まるで眠っている様である。

 身内が武の道に進んだ、遺族としては少しは救われるであろう。

 何故なら、大半の戦死者が、家族にとって本当に身内か、と思われる程、判別出来ない損傷を被るのが戦場であり、戦争の一面なのだ。

 翌日には、ヌヴェルの遺体は彼の故郷へ葬送される。


 ゼルテスの大本営からの連絡は、五日後に来た。

 第一に、中途で指揮を執ったマグタレーナ・ウブチュブクの中級大隊指揮官への昇進と、ボーボルム城の司令官職を彼女が務める事。

 更に、レナの副官人事に関しては、驚くべき内容が記されていた。

「半ば、従卒扱いとするが、ツアラ・ブローメルトとセツカ・ミセームの両名を、マグタレーナ・ウブチュブクの副官とする。両者には既に了承を得ているので、三月十五日までには、当地に到着予定である」

 レナは呆れ返る。

「これはきっと、アムリート兄様と、ハイケさんが決めた事ね。あの娘たちを遣すなんて、全くあの二人は何を考えているんだか」

 レナは事実上の妹のツアラと、義妹のセツカを書類対応の補助として、推薦されたのだ。

 この両者は将来の道を役人、其れも高官と決めている。其れ故に役人体験に事前にさせる為、恐らく皇帝副官ハイケ・ウブチュブクが、この少女たちをレナの傍に暫し置く事を提案し、アムリートが了承したのだろう。


 ホスワード帝国歴百五十九年の三月に行われた、南の水戦と、北西部の陸戦は、奇しくも五日に共に勝利し、其々の勝利を導いた主将が、カイとレナのウブチュブク夫妻であった。


第三十八章 大陸大戦 其之拾壱 大海と草原の騎兵隊 了

 次回も4週間隔どうか、不明といったところです。

 4週間も空いたら、はっきり言って忘れ去られますよね。



【読んで下さった方へ】

・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。

・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。

・誤字脱字や表現のおかしなところの指摘も歓迎です。

・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
■これらは発表済みの作品のリンクになります。お時間がありましたら、よろしくお願いいたします!

【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ