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第三十七章 大陸大戦 其之拾 復帰、そして急転

 とうとう10回目まで来ました。

 確か以前10回前後で終わる、と言った覚えがありますが(この時点でいいかげん)、まだまだ最終地点まで見えていません。


 自分の構成力と計画性の無さを反省しつつ、しっかり着地を目指して頑張ります。

第三十七章 大陸大戦 其之拾 復帰、そして急転



 ホスワード帝国歴百五十九年二月十八日。場所はホスワード帝国と長年の同盟関係に在る、エルキト諸部族のシェラルブク族の地の北辺。

 当地で、ホスワード軍の軽騎兵四万五千が、雪原の中を慎重に北に進んでいた。

 内、一万五千騎がホスワード帝国軍で、彼らの軍装は緑を基調にしている。掲げる旌旗も緑地に三本足の鷹が配されている。

 三万騎はシェラルブク族を中心とする、親ホスワードのエルキト諸部族で、彼らもホスワードの正規の軍装とは異なるが、緑地による厚手の上下を着こみ、其の上に皮の帽子と胸甲を身に付けている。


 ホスワード軍の軽騎兵も同種の防備だが、茶色の手袋と長靴(ブーツ)の手首と脛には、鉄の籠手と脛当てを装着し、頭の首回りまで保護された皮の帽子の額周りには、鉄の鉢金が巻き付けられている。

 ホスワード軽騎兵は、この様に全員同じ装備をしているが、軍装の色の差異と飾りで、階級が分かる様に為っている。


 先ず、一般兵は灰色がかった緑色で、下士官と士官は緑色、高級士官と将は濃い緑色だ。

 次に、下士官の外套(コート)の背後には灰色の三本足の鷹が配され、頭の皮の帽子には、下級、中級、上級と判別出来る様に、灰色に彩色された小ぶりな鷹の羽が、各階級毎に一本、二本、三本と刺さっている。

 士官の外套の鷹は銀色で、彩色されていない小ぶりな鷹の羽が、高級士官の場合は外套の鷹が金色で、大ぶりの鷹の羽が、これも階級毎に各本数が刺さっている。

 将軍は、外套の背後の鷹が縁周りを銀で刺繍された一回り大きい黄金の鷹で、帽子に刺さっている鷹の羽は一本だが、これは一際大きく、更に黄金で彩色されている。


 そして、ホスワード軽騎兵の主武器は、当然弓矢であるのだが、近接戦闘にも堪え得る様に、百と五十寸(百五十センチメートル)程の鉄槍を、外套の上に肩から斜め掛けられた、皮の斜革(ストラップ)の背の留め具で斜めに納め、更に腰には長剣を佩いている。

 将の姿をした若者が白い息と共に、ゆっくりと騎行する。騎乗姿からでも好く分かる、巨大で屈強な体格。カイ・ウブチュブクである。

 カイの背には、二尺を超える鉄の長槍が納められ、更に槍の先端には斧が付いた物である。

 通常の鉄槍は四斤(四キログラム)程だが、この長槍の重さは八斤を超える。

 腰には長大な剣と、小ぶりな業物の「小太刀」を二刀佩き、手にしている弓は巨大な大弓で、尋常為らざる偉容である。


 彼の左右には小柄な部下の二騎が付き従っていた。彼らは弓と剣は所持しているが、槍は背に携帯していない。

 両者とも騎乗は達者だが、馬上での武を誇る事は苦手としているからだ。

 濃い緑の軍装の方が、カイの参軍のレムン・ディリブラント。緑の軍装の方が、カイの副官のアルビン・リツキだ。

 そして、彼らの背後には、灰色がかった緑色の軍装をした中年の男性が、矢張り騎乗して控えていた。

 カイの従卒のモルティだ。防具こそ皆と同じだが、武器と為る物は腰の短剣だけ。但し、鞍の両側の袋には大量の矢が納められている。

 カイの弓を預かったり、矢を補充したり、時には途轍もなく重いカイの長槍を保持する為に、常にカイの傍らで控える役目だからだ。

 彼は若き日に、カイの父親のガリン・ウブチュブクに対して、同種の事をしていた。


「この様子ですと、本格的に降りそうですな」

 参軍のレムンが言う。時刻は昼の十二刻近く。空は厚い灰色の雲覆われ、半刻程前から、ちらちらと粉雪が舞って来ていたが、降る量も多く為り、其の塊は粉雪とは云えなく為って来ている。

 レムン・ディリブラントは、この年で四十歳だが、小柄で細身で、顔付きに至っては、商売人の様な愛想の好さなので、数歳は若く見え、何より軍人に見えない。

 だが、カイが高級士官と為って、「大海の騎兵隊」を結成してから、彼の存在無くして、カイが将とまで上り詰める武功を立てる事は、不可能であっただろう。


「そろそろヘレナト指揮官たちが戻って来る時刻です」

 半刻前に微かに見えた太陽の位置から、心の中で数を数え時刻の確認をしていたのは、副官のアルビンだ。

 アルビン・リツキは、カイと同年の二十七歳に為る。レムンより更に小柄で細身のこの若者は、長らく役人をしていたのだが、将と為ったカイが副官人事を決める時に、彼の事を真っ先に思い出し勧誘をして、彼は其れを快諾した経緯が有る。


 遠くから白い一団の騎兵隊が向かって来るのが見えた。カイの旗下の女子部隊で、二百五十騎程の規模だ。

 女子部隊の軍装は上下とも白を基調としている。薄緑の耳まで覆える厚手の帽子と、同色の胴着(ベスト)を身に付け、冬季用に白の外套(コート)を着ているが、背の三本足の鷹は緑色で、縁取りで灰色、銀色、金色と階級が分かる様に為っている。

 尤も、高級士官を表す、金色を身に付ける者は、現在の処、マグタレーナ・ウブチュブクしか居なく、彼女は遥か南のレラーン州で、カイとの間に生まれた娘のフレーデラを養育中だ。

 また、帽子の鷹の羽の形式は同じである。


 カイの元に到着した女子部隊から、二名の指揮官が進み出る。

 指揮官のオッドルーン・ヘレナトと、副指揮官のラウラ・リンデヴェアステだ。

 女子部隊の防具は、鉄具は元より、皮の防具も身に付けない、徹底して機動力重視の部隊である。

 そして、武器は弓と腰の片刃剣(サーベル)だが、指揮官と副指揮官は、別に専用の武器を所持している。


 オッドルーンは、この年で三十二歳で、女子部隊の最年長に当たる。シェラルブク族の出身で、十二歳に為るハータと云う息子がいる。

 片手には長い武器を持っている。二尺近くの木製の柄の先に、厚く広い、三十寸程の片刃の剣が付いた薙刀だ。木製の柄は、漆塗りされ、補強されている。

 この武器は、本来の女子部隊の指揮官のレナから託された物だ。


 ラウラは、この年で二十五歳。ホスワード帝国の北部のエルマント州出身で、牧畜が盛んなこの州では、幼き日から馬に親しむ者が多い。

 彼女は、身の丈が百と六十寸(百六十センチメートル)にも満たない小柄で細身だが、馬上での武芸は右の腰に丸めて備えた、特徴的な武器を扱うのに長けている。

 其の武器の握り手の柄は、十五寸程の鉄製で、更に其の上に皮が巻かれている。

 柄の先からは鉄製の輪が連なり、先端には五・六寸程の鉄製の錘が付いている。

 全体の長さは、百と三十寸程で、重さも一と半斤(一キロと半グラム)も無い、鉄の鎖(チェーンクロス)だが、彼女がこれを馬上から振るうと、先端の錘は確実に敵兵の防備の薄い箇所を討つのだ。

 ホスワード人でも珍しい、明るい金髪と薄い碧い瞳、そして色白の肌は寒気で桜色に染まり、女子部隊でも一際目立つ存在だ。


 カイの部下のヴェルフ・ヘルキオス、トビアス・ピルマー、シュキンとシュシンのミセーム兄弟も報告を聞く為に騎乗のまま現れ、オッドルーンとラウラも騎乗したまま報告が始まった。

「確認した処、全軍は騎兵五万程です。先頭には狼の頭蓋骨が頂点に備えられた、藩王軍の旌旗が掲げられていたので、藩王による陣頭指揮と思われます。後方には四頭立ての例の輜重車が少なくとも百輌は連なっています」

「ご苦労だった。ルギラス殿とファイヘル卿と協議の上、追って指示を出す。この場所にて進軍を停止し、小休止だ」

 オッドルーンから、藩王軍の位置等の詳細な報告を聞いたカイは、自部隊に命を下した。


 トビアスとミセーム兄弟が、其の命を伝える為に向かった。

 トビアス・ピルマーは、この年で三十三歳。彼はカイとヴェルフが下士官に昇進した時に、部下として配属された人物である。

 合計二十名の部下をカイとヴェルフは、この時に初めて持ったのだが、この中にはアルビン・リツキも入っている。

 現在二十名は、カイの旗下の士官であり、トビアスは上級、副官のアルビンは下級、他の十八名は中級中隊指揮官だ。


 そして、この降雪と寒風を物ともしない、元気な双子の若者たちは、カイの双子の弟たちで、この年で二十一歳。

 シュキンもシュシンも中級下級指揮官と、この若さでは立派な身分だが、ウブチュブク家の男子は何時しか一人前、具体的には士官に昇進後に、母のミセーム姓から、父のウブチュブク姓を名乗る習慣が出来てしまった。

 謂うまでも無く、其の先鞭をつけたのは長兄のカイである。

 双子の特徴として、シュシンの方は左手で字を書くので、彼は剣を右に佩いている。矢を番えるのも左手だ。

 二人の見た目は完全に同じなので、周囲はこの利き手で両者の判別をしている。


 カイの軍は左軍で七千五百、中央はルギラス・シェラルブクが率いるエルキト軽騎兵三万、右軍がファイヘル・ホーゲルヴァイデ将軍が率いる七千五百なので、当然会合はルギラスの待機場所で行われた。

 ルギラス・シェラルブクは、現シェラルブク族長のデギリの後継者で、この年で四十三歳。

 直に率いている兵が最も多く、年齢もカイやファイヘルよりもずっと上なので、彼が事実上の主将と為っている。

 総司令官のティル・ブローメルトは、一万のホスワード歩兵と、一万のエルキト女性騎兵を率い、彼の息子のラース・ブローメルトは一万のホスワード重騎兵を率い、其々別の場所に位置している。

 当然、各所の連絡は密にしてある。



 ルギラスは簡易な幕舎を設置し、其処にはファイヘルと彼の側近たちも揃っている。

 カイはヴェルフ、レムン、オッドルーン、アルビンを引き連れ、其の幕舎へ入った。

「では、全員揃った様ですな。ウブチュブク将軍、報告をお願い致す」

 ルギラスは丁寧な言葉使いだが、遜った感じや、また鷹揚な感じもしない。

 シェラルブク族を初めとする、親ホスワード帝国のエルキト諸部族は、ホスワード帝国の一部でもあるが、自治領の扱いで、この様な対外的な軍事行動で、ホスワードの指揮下に入る位である。

 次代の族長であるルギラスは、族長を継げば、ホスワード風に言うと、「シェラルブク自治州都督(総督)」とも表現されるので、一将軍よりも遥かに高い地位と権限を持っている。


「騎兵突撃をする、と見せて反転し、後方の輜重車群に誘き出し、例の弩兵の猛射撃を浴びせる心算か。我らは軽騎兵だから有効ではあろう」

 報告を聞いて、そう言ったのは、ファイヘルで、エルキト藩王軍の輜重車は、弩兵を潜ませて、敵騎兵を蹂躙する軍事車両なのは、大陸諸国の周知する処である。

「若し、藩王軍が反転したら、俺が一部隊を率いて追ってみよう。輜重車群の並べの確認は取らなければ為らん。如何だ、ウブチュブク将軍」

「…十分に注意して行えよ。藩王が前線に出てきたら、俺が対応する。全将兵に奴には絶対に近づかない事を徹底させよう」

 カイとヴェルフの遣り取りで、藩王の相手はカイが、反転した場合の追撃部隊を率いるのはヴェルフと決まった。


 カイたちが左翼の自部隊に戻った頃には、遠くに藩王軍の姿が確認された。

 大雪では無いが、降り続ける雪の中、独特な陣容なので、遠くからでもはっきりと判る。

 総指揮はルギラスが執るので、カイは自部隊に命が下されたら、即座の行動が出来る様に言い渡す。


 エルキト藩王軍が掲げる旌旗は独特である。

 元々エルキトの旗は黄土色の地に、中央に銀の狼が配されているのだが、黄土色の地の四辺にはやや濃い蒼色で縁取りされていて、中央の銀の狼もこのやや濃い蒼色で縁取りされている。このやや濃い蒼色はテヌーラ帝国の色だ。

 先頭の最も高く大きい旌旗の頂点に、狼の頭蓋骨が付けられている。

 牙門(大本営)を表す旌旗だ。


 エルキト藩王軍の軍装と武装は皆同じである。

 ホスワードの重騎兵程では無いが、馬は鎖帷子で覆われている。

 騎乗者は、連射し易い短弓を、鞍に付いた弓袋に納め、腰に帯剣している。

 頭には薄く視界を遮らない鉄兜、黄土色の軍装の上には鉄の鎧を身に付けているが、この鎧は動き易いように関節部分などの可動域は、薄い鉄板が組み合わさって出来ている。

 この鎧の背には、留め具があり、接近戦用の鉄の長槍を背に斜めに納めている。

 そして、上級の指揮官は首にやや濃い蒼の首巻(マフラー)を靡かせ、更に上の指揮官は鉄兜の上に獣皮の帽子を被り、上に獣皮の外套(マント)を纏っている。


 藩王軍の五万の騎兵も三つに分かれ、中央が三万、左右が一万と為り進んで来る。

 中央の先頭に牙門があるので、エルキト藩王クルト・ミクルシュクは中央軍を指揮してる筈だ。

 カイはヴェルフに言葉を発する。

「藩王の相手をする時は、俺は一騎で行くから、部隊の指揮はお前に任せる」

「レナ殿ではないが、無理はするなよ、カイ」

 こうして互いに白い世界に、お互い緑と黄土色の軍勢を至近に確認すると、両軍は先ず矢を射た。

 時刻は午後の三の刻を過ぎた頃だ。


 灰白色の空と、舞い落ちる雪を遮る様に、両軍の矢が互いに降り注がれる。

 エルキト藩王軍の弓は、騎馬遊牧民伝統の短弓ながら、動物の骨を組み合わせた複合弓なので、速射が可能で、更に飛距離も威力もある。

 ホスワードの中央軍のエルキト軽騎兵も同様の弓だ。中央軍は互いに三万なので、互いの弓戦は互角かと思われたが、防具が藩王軍の方がより重装備なので、ホスワード側の中央軍の人馬が斃される数が多い。


 両翼のホスワードの軽騎兵が扱う弓は長い。使用する個人の身体様に、三種の長さで造られているのだが、最も短い弓でもエルキト騎兵の複合弓より少し長い。

 其の為、速射では劣るが、特に長大な弓を扱う者は、藩王軍の装備を突き破り、確実に深手を負わせる。

 カイ・ウブチュブクが扱う弓は、特注で造られた長大さで矢も長く、然も彼はこれを速射に近い程、連射まで出来るので、エルキト藩王軍の人馬は次々に斃れる。

 同じく、ヴェルフ・ヘルキオスも同様の弓矢を扱い、カイと同じ速度で射るが、精度が若干落ちるので、斃す数こそは少ないが、猛速度で飛んでくるヴェルフの矢に、藩王軍の右軍は恐怖を抱いた。


 だが全体的には、弓戦はエルキト藩王軍の有利に進んだので、藩王軍は全騎が馬の腹を蹴り、弓を鞍に付けられた弓袋に納め、背の鉄槍を扱き、接近戦を挑むべく突撃して来た。

 主将のルギラスの指示が飛ぶ。

 ホスワード軍は全軍反転して、逃げながら矢を射る。これは装備が軽量なホスワード側に利して、藩王軍側は追い付けず、接近戦が行えない。

 シェラルブク族の地は基本的に平原だが、所々に崖が在ったり、森林が在ったり、河川や湖も在り、起伏に富んだ地も多い。降雪のお陰で、更に身を隠し易い場所も多々在る。

 伏兵として別の場所で待機していた、ラース・ブローメルト率いるホスワード重騎兵一万が、エルキト藩王軍の横を突いた。


「小癪な真似を!このままこの重騎兵と乱戦だ!そうすれば弓騎兵どもは矢を射る事が出来ない」

 陣頭で指揮を執る、クルトは自軍全てをラースの重騎兵との乱戦に持ち込んだ。

 周囲のホスワード軽騎兵は、味方に当たる危険性が有るので、矢を射る事が出来ず、遠巻きに眺めるだけだ。

 重武装のラースは、二尺(二メートル)はある鉄製の薙刀を振るい戦い、且つ全軍の指揮をしている。

 其の彼目掛けて、一直線に突き進む男がいた。

 屈強な汗馬を両脚で操り、両手で二尺を超える鉄製の三叉槍(トライデント)を振るうと、ラース旗下の重騎兵は、まるで重さが無い藁人形の様に吹き飛ばされている。

 細く高い鼻の両側の落ち窪んだ眼は、黄みがかった薄茶色で、殺気の光に満ちている。

 エルキト藩王クルト・ミクルシュクだ。


 ラースとクルトは激突し、十合と撃ち合わず、ラースは理解した。

 如何足掻いてもこの男を討ち取る事は不可能だ。自分が出来る事は、防備に徹し、上手く瞬間を狙って逃げ出す事だけだ。

「我が名はラース・ブローメルト。エルキトの僭主よ、貴様を討ち取る勇士は此方で準備済みだ!」

 ラースと入れ替わる様に、カイがクルトの目の前に現れた。手には二尺を超える鉄製の、先に斧が付いた長槍を閃かす。

「以前の様な邪魔は入れぬ。存分に戦おうぞ、カイ・ウブチュブク!」


 長く重量のある両者の槍は、其の攻防で高速で振り回されているので、まるで暴風が起こっている様だ。周囲で息を飲むホスワード兵も藩王兵も近付けない。

 近付いたら最後、この暴風に巻き込まれて、重傷を負う事は確実だ。

 雪の中、両者の討ち合いで火花が飛び散り、周辺は熱を帯び、見ているだけで両軍の将兵たちは汗が出て来る。

 両者は片手に武器を持ち、手綱を操り、有利な位置を取ろうともする。

 曾て、クルトはラースの父親のティルと一騎打ちをした時、老将と侮り手綱を斬られる失態を犯したが、あの時の様な隙は見せない。其れはカイも同様だ。


 両雄は致命傷は元より、出血に繋がる打撃を受けなかったが、カイの方は軍装が微かに切り裂かれているのに対し、クルトの防具は所々破砕されていた。

「化け物め…!あの時よりも更に強く為っている。此奴(こいつ)の強さは底なしなのか…」

 次第にクルトが防備一辺倒に追われる。

 先のラースの様に、上手く呼吸を合わせて、クルトは逃げ出す算段を講じる。

 クルトの殺気の瞳は、如何にか逃げ出す瞬間を見計らう眼つきへと変わった。

 彼は力尽くで、相手を蹂躙するだけの野戦司令官では無く、策謀にも長けている。


 この時、ある声が飛んだ。

「何をしておる!其の背に背負った槍は飾りか?ウブチュブク将軍には僭主の相手を専念させ、ブローメルト将軍の将兵の負担を減らすのだ!」

 ファイヘルが槍を扱き、藩王軍に先頭を切って突撃する。其れに従う様にホスワード軍も近接戦闘に切り替えて行った。

 ヴェルフが統率するカイの軍も槍を手に突撃する。女子部隊の近接用の武器は片刃剣(サーベル)だが、オッドルーンは薙刀を、ラウラを鉄の鞭を振るって戦う。


 一方でカイもこの一騎打ちに苛立ちを覚え始めた。

 流石のカイもクルトに防御を重視した戦い方をされると、手の打ち用が無い。

 カイは、自分を討ち取らせる様な、隙を見せたり、クルトが逃げる事が可能な体勢を取り、其の刹那に討ち取る様な人馬や槍の動きをしたが、クルトは全く引っ掛からず、ひたすら防備に徹していた。

 と、思ったらクルトの渾身の連続攻撃がカイに対して振るわれた。

 恐らく、カイではなく、仮に十人以上の強者がクルトを囲んで対峙していたら、全員が瞬時に斃される凄まじい連続攻撃だった。

 だが、カイは其れら全てを凌ぎ切った。但し、直後に僅かの瞬時だったが、彼の身体の、人馬の動きが止まった。

 クルトは其れを確認すると、咄嗟に馬首を返して逃げ出した。

 彼も最早、三叉槍を持つのが精一杯で、あの連続攻撃の代償として、槍を振るう力がもう出ない。


「全軍転進!予定の動きをせよ!」

 如何にか呼吸を整え、クルトは命を下し、藩王軍は全て馬首を返して、進んで来た方向へと戻って行く。

 其の方向には藩王軍の輜重車群が在る方向だ。

「お前ら、行くぞ!奴等を追え!」

 ヴェルフが一部隊を率いて、踵を返した藩王軍を追った。其の部隊構成はシュキンとシュシンのミセーム兄弟やトビアスたちの、事前に決めていた精鋭千騎だ。


「ウブチュブク将軍!後はヘルキオス指揮官、ブローメルト将軍、ホーゲルヴァイデ将軍、そしてルギラス様に任せて、一時お休み下さい!」

 そう近くに居たモルティが、カイの槍を受けるように両手を馬上で差し出し、カイは槍をモルティに無言で渡した。

 常に礼儀正しい男だが、この時は疲労から、息が乱れ、感謝等の言葉が出てこなかった。

 カイも其れ程までに疲弊していたのである。人馬の吐く息で白く為り、カイの愛馬も疲弊している事が分かる。

 アルビンも近くに来て、モルティが既に預かっていたカイの大弓を自分が保持する、と言ったのでモルティはカイの弓をアルビンに託した。



「一列に並べたり、両側に並べ間に入った敵兵を弩兵が射撃すると、聞き及んでいます。此度はどの様な並びか確認したら、即座に逆進すべきです」

 同じくヴェルフ率いる千騎に入ったレムンが情報を述べる。

 藩王軍はクルトの指揮の元、全軍戦場から離脱して、ひたすら北へと奔っている。

 先程までカイと一騎打ちをしていたが、即座に全軍の総帥としての姿に変わる。ヴェルフに言わせると、「戦場で一番の面倒な奴」だ。

 追うホスワード騎兵は軽装備なので、付かず離れずで追い掛ける。

 すると藩王軍が二手に分かれて、更に北へ進んだ。分かれた間から四頭立ての車両が、何十輌と向かってくる。

 罠として、後方に配置したのではなく、其のまま移動攻撃に使用している!


「此奴は(まず)いぞ!皆戻れ!弩兵の車両が、此方へ突き進んでいる事を知らせねば為らん!」

 ヴェルフの命で、ホスワード軍の千騎は転進する。(まさ)か突撃に使用して来るとは、全員の想定外だった。

「何て野郎だ。此処まで厄介な男だとは。カイと馬上で互角の戦いをするだけでも、恐るべき男なのに…!」

 豪胆其の物、と時に評されるヴェルフもクルトの存在には、流石の豪胆さが揺らぐ。

「シュキン、シュシン!お前らは兎に角飛ばして、この状況をカイたちに伝えろ!」

 命じられたシュキンとシュシンは、「承知」、と簡易な返答で、馬を飛ばす。

 ホスワード軍で上官から軍命を受けた場合は、基本は直立して右拳を左胸に当て、周知の言を述べるが、この様な緊急の場合、音を出さない場合は右手を額に当てたり、声だけの場合は名詞や不定詞で応答するのが常である。


 双子の弟たちが戻って来た頃には、カイも十分に恢復していた。

 報告を聞き、即座にラース、ファイヘル、ルギラスに伝えると、ラースが主と為って、命を下した。

「全軍、ブローメルト総司令官が構築している、陣営に退避!軽騎兵が先で我等は敵車両の構成を確認してからだ!」

 ラースの父のティルは野営と防御陣地の構築の為、歩兵を率い、厚く長い雪壁の設営の指導中である。

 一番数が多いルギラスの軽騎兵が退いて行き、次にファイヘルと続き、カイはヴェルフたちが揃うまで待っている。

 ヴェルフたちが戻って来た頃には、肉眼で藩王軍の車両群が見て取れた。


 四頭立てで四輪の車両内には、十名は入っている。

 そして、彼らは弩を手に身を乗り出して、特有の弩の操作棒(レバー)を引き、離した。この弩には上に矢を十本装填する箱状の装置が在り、操作棒を引き離すだけで、連続して十回の矢を射る事が出来る。

 百輌近くの台車が確認されたので、約千名が立て続けに十本の矢を放った。

 ラースが率いる重騎兵隊で、大きく厚い鉄の盾を持つ者が二千騎程いるので、彼らが前面に立ち弩矢を防ぐが、藩王軍は第二射の再装填をしている。距離も至近に為っているので、次はこの鉄の壁も突き破られるかも知れない。


 すると、別路から同じく四頭立ての車両が出現した。

 五十輌程で、特徴として車両の外側には鹿の角が幾つも取り付けられている。

 ティル・ブローメルト率いる鹿角車部隊だ。

「ウブチュブク将軍!遠距離より矢を命中させる事が出来得る将兵を、五十名程選抜し、敵の車両の馬を操っている者共を射るのだ!」

 義父から命じられたカイは、即座に自分も含め弓自慢、其れも遠距離の精度が高い者たちを選抜した。

「ヴェルフ、すまんがお前は部隊の指揮を頼む!」

「分かってるよ。俺の精度じゃ間違って味方を撃っちまうからな」


 ティルも馬上で弓を構え、カイはアルビンに託した弓を受け取る。常に一定の距離を取り、敵車両の馭者を狙う。

 鹿角車からは十名の弓兵が乗っていて、藩王軍の車両に矢を射ながら突撃して行く。

 この状況を連絡で受けたのだろう。クルトも一軍を率い、ホスワード軍車両の対処に現れた。

「敵の総司令官は、あの時の老将か!」

 昨年の四月にエルキト藩王軍は、帝都ウェザール近郊まで侵攻したが、ティルの率いる帝都防衛軍に因り阻まれたのだ。


 戦闘は互いの車両が中心と為り、相互に入れ替わったり、逃げたり、転回して再度突撃し、車両内の兵が矢を射る状況と為った。

 戦場は基本的に広い平原。両軍の主力は共に騎馬遊牧民である。

 だが、どちらも最終決戦部隊として、騎馬遊牧民の劫掠を防ぐ、強固な箱型の車両を投入したのだ。

 車両こそ、エルキト藩王軍が倍の数だったが、ホスワード軍の鹿角車が近づくと、角で藩王軍の車体は傷付き、藩王軍の騎兵も迂闊に近付けない。


 カイは馬を奔らせながら、藩王軍の馭者を狙う。常に動いていないと、弩矢の的に為るからだ。

 この選抜部隊にはオッドルーン、シュキンとシュシンも入っていて、彼らも絶えず移動しながら、狙いを定める。

 またラース旗下の盾を持つ者は、選抜部隊の防御の為、其々に付き共に奔っている。

 一方の藩王軍もホスワードの鹿角車の馭者に、狙いを付けている様だ。

 ラースは自身を含め藩王軍のこの射手に対して、接近戦で討ち取ろうと動き回る。

 当然、藩王軍の近接部隊もホスワードの射手を近接戦で狙う。


 中心で両軍の車両が入り乱れ、周囲に車両の馭者を狙う弓騎兵が絶えず奔り回り、更にこの弓騎兵を接近戦で討ち取ろうとする騎兵が追い回す。

 凡そ、騎馬遊牧民同士の戦いとは思えない、奇妙な戦い方と陣形を双方は展開している。

 カイが弓矢を持ち、両手が塞がっているのを確認した、ある藩王兵が接近し、槍を突きだした。

 カイは咄嗟に矢を鞍の矢袋に入れ、右手で小太刀を抜き、槍の突きを逸らす。更に、擦れ違い様に小太刀でこの兵の防備の薄い、肩の箇所を深く斬り付ける。

 藩王兵は馬上より出血と絶叫と共に落ち、カイは小太刀に付いた血飛沫を振って落とし、鞘にを納め、右手に矢を改めて持つ。


 自身も、狙う相手の車両も動き回っているが、五十尺以上の距離が有るのに、カイは見事に藩王軍の車両の馭者の胴を射抜く。

 鎧を貫通して、深々と突き刺さり、馭者は倒れ崩れ、車両内から馬を御する為に、弩兵の一人が急いで前部に移ろうとするが、四頭の馬は暴れ縺れて転び、其の車両自体もひっくり返った。

 藩王軍の不運は、未だ続き、この横転した味方の車両を避け様とした、別の車両が無理な移動をして、同じく横転している。


「また、ウブチュブクか!彼奴が居る限り、我等の勝利は得られぬ!」

 クルトは弓矢でホスワード軍の車両の馭者を狙っていたが、カイ目掛けて、三叉槍を扱き、突進して行く。

 カイを至近に捉えたクルトは背後から、攻撃の気配を感じて、槍で防ぐ。

 ラウラの錘が飛んでいたのだ。

「ウブチュブク将軍の邪魔はさせない!」

「小娘が!」

 だが、この瞬時で、ヴェルフとラースが更にクルトに立ち塞がり、クルトはヴェルフ、ラース、そしてラウラを同時に相手にする状況と為った。

「藩王様。お前さんを討ち取るのはカイの役目だが、このまま三人掛かりで討ち取らせて貰うぜ」

 ヴェルフが先端に幾つもの突起が付いた鎚の槍を振う。

 ラースが長い鉄製の薙刀を翳し、更にラウラが鉄の鞭を構え、クルトは同時に三人を相手にする状況と為った。


 恐るべき事に、クルトはこの三者を同時に相手にしても、五分に戦っていた。

 其れ処か、彼は先程のカイとの一騎打ちでの疲労が完全に恢復していない。

 上手く、三者の攻撃を防ぎながら、クルトは又も馬首を返して、逃げ出して行った。

「全軍、撤退だ!所定の位置に退け!」

 クルトは又も野戦司令官としての立場に変わり、車両も含め、全軍の撤退を命じた。

 先の弓戦では藩王軍が優位だったが、この互いの車両を扱う馭者を狙う弓戦では、ホスワード側が優位に立ち、藩王軍の多くの車両はひっくり返っていた。

 車両から投げ出された兵は、無事な車両に乗り込み、クルトを初め強兵たちが殿を務めて、整然とした全軍の撤退をして行く。

 こうして、ホスワード軍とエルキト藩王軍の緒戦は終わった。

 時刻は午後の六の刻に近く、夕闇に染まっているが、降雪は落ち着いて来た。


 ホスワード軍も陣営に戻って行く。

 其の陣営は、高く厚い雪壁内に、幾つもの(ゲル)が設置され、数えきれない程の炉が在り、其の上には大鍋が熱せられ、湯気を立てている。

 鍋のスープの具材は、羊肉とジャガイモを初めとする根菜が、塩と香辛料で味付けされた物だ。スープの元に為っている物は水では無く、周辺の雪である。

 また、小麦粉を生地とした包子(まんじゅう)が数えきれない程、同じく雪を詰めて熱せられた大鍋の上の蒸籠(せいろ)で蒸してある。中の具材は、豚の挽き肉と、細かく刻まれた韮、葱、大蒜、生姜を軽く炒めた物だ。

 陣営は南のオグローツ城から、徒歩で半日程の距離なので、物資に関して、ホスワード軍は先ず困窮は来たさない。

 カイは椀に注がれた鍋のスープと幾つかの包子を食し、体力の回復に勤しむ。

 エルキトの約一万の女性軍が交代制で、四六時中の陣営の見回りと、周辺の偵騎を担当する様だ。



「何故パルヒーズをレラーン州の様な遠い処に赴かせ、死亡させたのか!」

 口角泡を飛ばし、苛立ちの顔で、絶叫しているのは、ダバンザーク王国の国師エレク・フーダッヒ。難詰を受けているのは、バリス帝国の皇太子のヘスディーテ・バリスだ。

 場所はダバンザーク神聖国こと、ホスワード帝国のメルティアナ州の北西に在るスーア市の、バリス軍の大本営と為っている、曾ての市庁舎の市長室である。

 市長時代フーダッヒは、常に市民や部下の役人たちに、温容な表情と声で、指示や労いの言葉を掛けていたが、この怒声と顔付きが本性の様だ。


 一方のヘスディーテはまるで表情が変わらない。

 元々、感情に乏しい男だが、彼も実は内心ではパルヒーズの死亡報告を受けて、少なからず動揺、いや苛立ちを覚えている。

 このフーダッヒが余計な事をした所為で、有為の人材のパルヒーズが失われてしまったのだ。

 ヘスディーテは心の中で嘆息する。若しパルヒーズが自国のバリスのヴァトラックス教徒の村に生まれていたら、彼の好きな演劇を支援して、ホスワード中を回らせる、腹心の諜報員にしただろう。


 無表情のまま、ヘスディーテは冷たい声を発する。子細に観察すれば、其の灰色の瞳は微かに怒りが漏れ出ている様に見える。

「以前、私はこの大戦が本朝(わがくに)の不利に陥っているのは、カイ・ウブチュブクの存在と判断し、パルヒーズに彼の妻を攫えと命じた事がある。だが、彼から其の様な卑劣な事をせず、正々堂々と打ち破るのが、正道であり、卑劣な手はたとえ勝利しても、永遠に侮りを受ける、と諭された。我が軍中には数人だが、ヴァトラックス教徒の将兵も居て、彼らがリロント公爵が、ウブチュブクの妻子を害する事に気付き、リロント公爵の関係者を好く知る、パルヒーズが確認の為にレラーン州に赴いたのだ」

 ヘスディーテのこの話は、前半のごく一部のみ事実でしかない。

 後半は殆ど作り話で、パルヒーズに諭されたとか、手紙の封筒の細工に至っては、ヘスディーテ自らが発見した事だ。


 フーダッヒを強制的に退出させた、ヘスディーテは側近から確認事項を聞く。

 ダバンザーク神聖国の国師の相手より、何万倍も重要な事だ。

 一つは、ゼルテスのホスワード軍の動向、一つはバリス領内に侵攻しているホスワード軍の状況、一つは帝都のヒトリールにて、父帝のランティスに交渉を頼んだ一件だ。


 昨年末、バリス帝国は西に在るブホータ王国との戦闘に勝利した。

 但し、これは侵犯して来たブホータ軍を退けただけで、ブホータ領土の占領はしていない。

 一方で、万を超えるブホータ将兵の捕虜を得た。バリス側の虜囚は二千にも満たない。

 本来これだけ捕虜の数が異なれば、少ない方が和約金を要求して、相互に捕虜変換して講和する物だが、バリス側は和約金無しの講和交渉をしていた。

 当然、「ある条件」が付けられているのは、謂うまでも無い。

 この講和に当たっているのが、ランティス帝を初めとする、帝都ヒトリールの高官たちだが、この講和条件自体はヘスディーテの案だ。


 また現在、バリス領を侵攻しているホスワード軍がある。

 ウラド・ガルガミシュを主将とする、騎兵約一万五千程と装甲車両百五十輌が、ヒトリールを直撃する様に、二月十三日より進撃している。

 これに対して、スーアのバリス軍の主力を回す事は出来ない。

 即座に三万の兵を揃え、ヒトリール手前の城塞で防衛する。

 だが、これがバリス軍の現在に於ける、動員可能な将兵の全てだ。

 これ以上の動員は不可能な為、空白地のラテノグ州や、テヌーラ軍が退いたメルティアナ城を攻撃する兵力は、もう無い。


 一方、ゼルテスのホスワード軍主力は動きが無い。

 バリス側にも入っている情報だが、メルティアナ城の攻囲軍が撃破されたテヌーラ軍は、水軍を整え、ホスワード水軍との決戦に臨むので、万が一の為にスーアへの総攻撃を控えている様だ。

 未確定ながら、この水軍にはテヌーラ帝国皇帝アヴァーナが親征する、との報もある。

 決戦は三月の初旬に行われる。何故ならこれ以降を過ぎると、ドンロ大河の下流域は乾いた北風が吹き、好天が続き、北側のホスワード側が利するからだ。

 其れ以前までなら、大気は湿り気を帯び、北風はしばしば冷たい雨を伴うので、火計は有用と為らない。

 この一戦にもバリスは参戦出来ない。

 海運国で無いバリスは、大半の軍船を破壊され、未だ修復中だ。

 このバリスの軍船を大いに破ったのも、カイ・ウブチュブクが主帥を務める、あの「大海の騎兵隊」である。


 ヘスディーテの首席秘書官が最後に述べた。

「三月の上旬までに、二万近くの騎兵で以て、一万騎が本朝の領内のホスワード軍の迎撃に、残りの一万騎が本朝の領土を通って、ラテノグ州に殺到する、と云う約定で纏まりそうです」

「そうか、ラテノグ州への襲来は、あくまでラテノグ城塞とプリゼーン城塞の物資強奪を狙える、と念を押したであろうな」

「はっ、ですが、其の件に関しては、我が方では強制力は有りませんが…」

「ふむ…。我等も遣っている事が、フーダッヒと変わらんな。無辜のホスワード市民が塗炭の苦しみ舐める事を思うと、自らが情けなく為る」

 バリス帝国は、ブホータ王国との講和で、領内に侵攻したホスワード軍の援軍を頼み、更に自国領を通してのラテノグ州の侵攻、つまり両城の物資強奪の旨味が有ると唆したのだ。

 バリス帝国歴百五十一年二月十五日の事であった。


 バリス歴百五十一年は、ホスワード歴で百五十九年、テヌーラ帝国歴では百八十五年に為る。

 因みに、テヌーラ帝国を宗主国としている、エルキト藩王国もテヌーラ歴を用いている。

 このテヌーラ歴百八十五年二月の初旬に、テヌーラ帝国の帝都オデュオスで、テヌーラの全水軍を上げてのホスワードとの決戦が決まった。期日は三月に入ってからだ。

 皇帝アヴァーナも、重臣の反対を押し切り、親征する。


 アヴァーナ・テヌーラは第十代皇帝。テヌーラ帝国は男女に関わらず、長子が優先して即位する。アヴァーナはテヌーラの歴史上三人目の女帝である。

 この十代皇帝はこの年で四十三歳。即位して二十年近く経っている。

 同性異性問わず、俄かに近寄りがたい硬質の美貌は、歳を重ねるに連れ、益々鋭くなり、重臣の親征を控える説得も、この表情と同じく鋭い声色で一喝されると、相手は黙りこくる。

 只、彼女は威圧的なだけの為政者では無い、政略や指導力に長け、殊に国を富ませ安定させ、民の生活水準を上げる手腕は確かな物が有る。

 彼女の父帝の九代皇帝は在位時、若しアヴァーナが長姉で無くても、この娘を後継者に選んだであろう、としばしば漏らしていた程である。


 ホスワード側も、順次ドンロ大河のボーボルム城の水軍の充実を図っていたが、判明した限りの両軍の戦力は以下と為る。

 ホスワード水軍、大型船が二十艘、中型船が四十艘、小型船が三百五十艘。

 テヌーラ水軍、皇帝専用の超大型船一艘、大型船が二十五艘、中型船が四十五艘、小型船が四百艘。

 唯一ホスワード側に特殊事例が有るとすれば、補給物資を必要としない水弾と、擲弾兵による手榴弾の炸裂だろう。

 当然、テヌーラ側としては、これ等の対策を立てて挑むので、ボーボルム城司令官アレン・ヌヴェルは二月に入ってから、頻繁に幹部との会合や船団の視察を行っている。

「ウブチュブク将軍が居なければ、我がホスワード水軍は敵を打ち破れない、との怯懦を捨てよ!将軍には安心して、藩王軍の相手をして貰うのだ!」

 曾てガリンの副帥を長く務めていた、ヌヴェル将軍が部下たちを叱咤する。

 ドンロ大河上のホスワード水軍の勝利は、近年はカイ率いる「大海の騎兵隊」に因る処多かったからだ。



 この様に大陸大戦の主要参戦国は、ホスワード帝国、バリス帝国、テヌーラ帝国、そしてエルキト藩王国と、ホスワード歴百五十九年の二月には落ち着いたのだが、三月からブホータ王国がホスワード帝国に挑む。これにはホスワード関係者たちは、完全に虚を突かれる事と為る。

 ブホータ王国は、抑々ホスワード側で参戦した。だがバリスに敗れ、講和条件の捕虜交換でバリス側に立っての再度の参戦へと至る。

 ブホータ王国は建国されて、未だ十年と経っていない。

 建国経緯として、王族である中核部族がブホータ高原を統一したのだが、この部族は親バリスである。

 バリスを敵視する他の部族の手前、バリス軍と大いに戦ったが、敗れ、結果として、王族の発言権が増した。

 バリスとの和約で、ホスワードとの軍事同盟を破棄し、バリス領内のホスワード軍の駆逐と、バリス領を通っての、ホスワードの北西の地ラテノグ州の襲来が決まっている。

 ホスワード側は、バリス全軍の運用が限界と判断し、ラテノグ州を空白としていたが、ヘスディーテに因って、この地はブホータ軍の襲来、と云うより略奪に晒される事と為る。


 二月二十日のホスワード北方軍の陣営では、総司令官のティル・ブローメルトの幕舎で、協議が為されていた。

 前日は互いに動きは無く、藩王軍は長期戦の構えを見せている。

 これは南部のエルキト藩王国の宗主国のテヌーラ帝国とホスワード帝国の水戦に、少しでも此処のホスワード軍を張り付けて、援軍に行かせない為の様だ。

 ボーボルム城の三艘の騎兵突撃用の特殊大型船は、カイたち「大海の騎兵隊」がこの地に居る限り、運用する者が居ない。

 其の様な訳で、ヌヴェル将軍に対テヌーラを完全に一任するか、カイたちをボーボルム城へ派遣するかの協議であった。


「ゼルテスの大本営は、スーアへの攻勢を控えている。仮にヌヴェル将軍が不利に陥っても、大本営が支援をしてくれる筈だ。ウブチュブク将軍はこの地でエルキト僭主の討伐に専念して貰うべきでは?」

 そう述べたのは、カイの義兄のラースである。

 彼はヌヴェル将軍とは一時期共にボーボルム城で任務に就いていた。

 ラースはヌヴェルが水戦指揮官として、高い能力を持っている事を知悉している。

 この日の協議は其のまま結論無く終わったが、カイがオッドルーンに言葉を掛ける。

「ヘレナト指揮官。生後三・四カ月の赤子とは、母親が暫し居なくても問題は無いだろうか?」

「乳母が居れば問題は無いかと思いますが」

「恐らく、レナの事だから、自らボーボルム城へ赴きそうだ。場合に因っては、女子部隊全てをボーボルム城に派遣する事を念頭に置いといてくれ」


 カイの予感は当たった。

 レナは赤子のエラを連れ、先ず帝都ウェザールに赴き、現役の復帰手続きをして、エラを実家のブローメルト家に預け、ボーボルム城に赴こうとしていた。既に其の内容の文は帝都の兵部省に送ってある。

 又、ある女性に自身の娘の乳母を頼む手紙も送ってある。

 謂うまでも無く、テヌーラ水軍が活発な動きをしているとの情報を得たからである。

「レナ様。如何しても行かなければ為らないのですか?」

 トラムのウブチュブク邸で、ヴェルフの大叔母が心配そうに声を掛ける。

 エラを背にしっかりと背負った、レナは安心させる様に笑顔で言う。

「必ず私もカイも無事に戻って、三人で夏ごろ此処に来ます」

 トラムは襲撃以降、衛士が百人体制で詰めているが、レナとエラが村を離れれば、この過剰な警護も必要無くなるだろう。

 高級士官の濃い緑の軍装をしたレナは、愛馬に跨る。背のエラは何とも思っていなく、無邪気な笑顔をしている。

 こうしてレナとエラは、帝都ウェザールへと出発した。二月二十一日の事である。


 二十一日から、藩王軍の攻撃は散発的で、基本的に晴れた日に全軍挙げて攻勢を掛け、日が沈む前には全軍撤退して行く。

 クルトは最前線で指揮を執っているが、カイとの一騎打ちを徹底して避け、ひたすら総帥としての全軍の指揮に終始している。

 不審に思ったティル・ブローメルトは、ラース、カイ、ファイヘル、ルギラスを初めとする幹部たちとの会合を自分の幕舎で行った。

「南方のテヌーラに我らを赴けさせない動きにしては、消極的に過ぎる。何か別路からの本朝(わがくに)の領内への侵攻の情報を、彼は掴んでいるのではないか?」

 実は二十日の夜に、エルキト藩王国が構えているラスペチア王国の通使館から、バリス側の情報として、ブホータ王国が三月の初めにバリス領を通り、ラテノグ州を襲撃する、との報をクルトは得ていた。

 全軍の総攻撃は、このブホータ軍の襲来に合わせて行う心算で、其れまでクルトは兵力の温存に努めているのだ。

「恐らく一万程の対峙しているホスワード軍が抜けるだろう。此処でカイ・ウブチュブクがラテノグ州に転進すれば、上々な事この上ない」


 またこの会合の日は二十四日だが、帝都の兵部省から急報が来て、マグタレーナ・ウブチュブク下級大隊指揮官が、現役に復帰する旨を告げた。

「娘は…ウブチュブク指揮官は此方へ来ようとしているのか?」

「いえ、御息女はボーボルム城へ赴くと、特殊大型船で後方の負傷兵の運搬を行う任務に就きたいとか」

 前年の対バリス・テヌーラ連合水軍との戦いの最終局面で、カイたち「大海の騎兵隊」は特殊大型船を負傷者の運搬に使用した。

 レナは最前線に出る無理はせず、この様な後方勤務活動を志願したのだ。


「ブローメルト閣下。私の旗下の女子部隊も全員ボーボルム城に派遣しましょう。ヘレナト指揮官、最前線では無く、後方支援と為るが、構わぬかな?」

 カイはこの会合に出ている、オッドルーンに言った。

「勿論構いません。私たちの直属の指揮官はレナ様なのですから、今から急いで行きます。そうすれば帝都で御二人の御子様が見られますからね!」

 そう言って、右拳を左胸に当てる敬礼をしたオッドルーンは幕舎を出て行き、早速約二百五十名の女子部隊を集め、ウェザールへと経ってしまった。

 幕舎を一旦出て、其の様子を見たカイは、彼女たちが一様に笑顔で話し合いながら進むのを確認した。

 如何やら、フレーデラに会える一心で喜んでいる様だ。

「まっ、南方はこれで安心だな。気になる点は先程閣下が仰った、別路からの本朝の侵攻の可能性だな」

 同じく、幕舎を出てカイの隣でヴェルフが声を掛けると、二人を改めて幕舎に入った。


 二月二十五日の午後にレナとエラはウェザールに到着した。

 先ずは、エラと荷物をブローメルト邸に預け、レナは其のまま兵部省へと現役復帰の手続きに向かう。

 ブローメルト邸の人々は、エラを抱いた祖母のマリーカを中心に盛り上がっている。

 丁度学院からツアラも帰って来たので、彼女も其の輪に加わる。

「レナ様はもう軍に復帰されるのですか?」

「そうなのよ。もう一年位のんびり過ごせば好いのにねえ」

 マリーカに疑問を発したツアラは、この年で十五歳。

 少し華奢だが弱々しい感じは無く、淡い茶色の髪はさらさらとした直毛で、少し黄みがかった緑灰色の瞳は優しげに輝き、白磁の肌は頬が少し桜色をして、見た目はホスワード貴族の令嬢然とした美少女だ。

 だが、彼女はエルマント州の出身で、早くに両親を亡くし、親類に預けられていたが、この親類は幼いツアラを学校に通わせず、朝から夜遅くまで、家の仕事をさせていた。

 当時、女子部隊の結成の為に当地を訪れていたレナは、彼女の境遇を知り、大金をこの親類に渡し、ツアラを引き取った経緯が有る。


 兵部省からレナは女子部隊用の白を基調とした、高級士官用の軍装一式を被服部署から貰った。

 今着ているのは濃い緑で、これは大体背丈が百と七十寸から七十五寸の細身の男性用のだ。

「特にどちらかを着用するかの規定は有りませんので、今着ているのを御身体に合う様に手直ししましょうか?」

 女性職員に言われたレナは採寸部屋で、この濃い緑の軍装を渡し、久々の白を基調としたこの軍装に身を包んだ。

「では出来ましたら、申し訳ありませんが、私の実家に届けて下さい」

 女性職員にそう言ったレナは、再度実家のブローメルト邸に戻った。

 家に戻ると、ツアラが不安そうな顔でレナを見る。レナは安心させる様にツアラに声を掛けた。

「大丈夫。最前線に出ての戦いじゃなくて、後方支援をするだけだから。戦闘、偵察、後方支援、時には書類業務。何でも遣るのが女子部隊なの」


 翌日の昼。ツアラは特別に学院を休み、ブローメルト邸の関係者たちはレナを見送る為、帝都の正門を超える処まで来ていた。

 勿論、エラは祖母のマリーカに抱かれている。

 其の傍にはエラの乳母役を任された、カイの妹のメイユ。彼女の六歳なる長女のソルクタニと、メイユに抱かれた長男である、去年の四月に生まれたサウルもいる。彼女たちはこの日の早朝に帝都に着き、レナの頼みでブローメルト邸で生活をする。

「御免なさいね、メイユさん。娘を宜しくお願いします」

「好いんですよ、レナさんとカイ兄さんの子供の世話をするなんて光栄です」

 祖母に抱かれたエラの額にレナは軽く接吻すると、愛馬に跨り、一人南のボーボルム城に出発しようとした…、と其の時であった。

「レナ様!」

 何と彼女の部下たちである、女子部隊約二百五十騎が現れたのだ。

「一人で行くなんて駄目ですよ!うわっ、この娘がフレーデラ様なのね。可愛い!」

 破顔して、薄い碧い瞳を輝かせてエラを見る為、下馬したのは、ラウラ・リンデヴェアステ。

 彼女を初め、女子部隊の面々は帝都の正門前で、一刻程エラやソルクタニやサウルの周りで嬌声を上げる。

 オッドルーンを初め、彼女たちの三割程は子がいるので、幼子や赤子の扱いは慣れている。


 ラウラがツアラに声を掛ける。

「ツアラ、私よりも背が高くなったのね」

 二人は同郷で、抑々ツアラの事情をレナに紹介したのがラウラだ。

 ツアラの背丈は百と六十寸を少し超え、ラウラより五寸近くだけだが高い。

 こうして女子部隊はレナを先頭にボーボルム城へ進発した。

 主目的は三月に行われるであろう、テヌーラ水軍との戦いで、特殊大型船三艘を使った負傷者の移送や物資の補給等の後方支援だ。


 この様にホスワード軍の関係者たちは、三月に大戦が起こるのはドンロ大河上と見ていた。

 若し、このテヌーラ軍と北のエルキト藩王軍を退ければ、ホスワード側は全軍をゼルテスに集結させ、ダバンザーク神聖国への総攻撃に傾注する予定である。

 然し、ホスワード帝国の脅威は、又も最北西部のラテノグ州で発生する事に為る。

 その予兆は、二月の終わりにバリス帝国に侵攻している、ウラド・ガルガミシュを総司令官とする軍団から、ゼルテスの大本営にもたらされた。

「臣の軍団はヒトリール手前のバリス軍三万が篭る城塞を攻囲しているが、西よりバリス軍で無い一万程の騎兵が迫っている事を確認す。この不明の部隊はバリスの民兵とは思われず。詳細が分かり次第、再度の連絡兵を遣す物とす」

 進行しているウラドの軍団は騎兵一万五千、装甲車両が百五十輌である。

 攻囲している城塞には、当然砲が幾つも設置してあるので、先ず装甲車両の突撃をさせ、城塞内の砲弾が尽きた処で、一斉攻撃を試みているが、この一万の騎兵を同時相手すると為ると、当然城塞の攻略は難事と化す。


 ゼルテスの大本営では、当然このウラドの連絡内容の対策会議が開かれる。

「バリスには未だ予備兵力が残されているのか?」

「スーアの主力の内、数千がバリス国内に戻ったと云う事実は確認されていない」

 ダバンザーク神聖国のバリス軍は、歩騎八万が揃ったままだ。

「推測ですが、これはバリス軍では無く、他国の軍隊かと」

 そう述べたのは、皇帝副官のハイケ・ウブチュブクだ。

「ハイケよ、例えば其れはブホータ王国かな?」

 皇帝アムリートが応じると、「はっ」、とハイケは静かに頷く。

「つまり、バリスはブホータと講和し、其れ処か同盟を結び、援軍を依頼した訳か。この一万だけとは思えんな。自国領土内を通しているのだから、北のラテノグ州へもブホータ軍を通している可能性も高い。バルカーン城のシュレルネンにバリスの北東部を重点的に調べる様に伝えろ」

 ゼルテスの会議室で控えていた連絡兵の指揮官は、即座に部下をバルカーン城に飛ばす。

 ホスワード帝国歴百五十九年三月。ホスワード帝国は、北、北西、南と三カ所で同時に会戦を行う事に為る。

 全ては、バリス帝国の墨絵の皇太子、ヘスディーテの頭脳から生み出された窮地である。


第三十七章 大陸大戦 其之拾 復帰、そして急転 了

 前書きに書いた様に、しっかり終着目指して頑張ります!

 と、言いたいところですが、諸事情ありまして、次回から4週間隔の投稿となります。

 重ね重ね申し訳ありません。



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