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第三十六章 大陸大戦 其之玖 神聖国の建国

 もう9回目です。ちょっとダラダラしすぎですかね?

 ご一読、宜しくお願いします。

第三十六章 大陸大戦 其之玖 神聖国の建国



 バリス帝国歴百五十一年二月に入ってから、ホスワード軍の動きが活発に為って来たとの情報を、バリス帝国皇太子ヘスディーテは、スーア市の大本営にて受けた。

 ヘスディーテはホスワードの首脳部の意見を分裂させ、少しでも全面対決の時間を稼ごう、としていたが、如何も敵の総帥ホスワード帝国のアムリート帝は、意見を一致させ、即断の行動を起こした様だ。

 ヘスディーテはこの年で二十六歳と若いが、彼が事実上のバリス帝国の総帥だ。

 其れも数年前からだが、別に父帝のランティスが病気がちだから等では無く、単純に父帝が息子に国の指導の大半を委譲している。

 例えば、一国の主が玉座の在る地を離れれば、監国として、主の近しい者、其れこそ皇太子や皇妃が代理をするが、バリス帝国では、皇帝ランティスが監国をしている様な状態だ。


 バリス帝国第七代皇帝ランティス・バリスは、この年で五十八歳。まだ隠棲する年齢でも無く、国の主して、政戦両略に指導する事に倦んだ訳でも無く、単純に現在の乱世では、息子こそが国を指導すべきだと、判断し、権限の大半を委譲していたのだ。

「若し、ランティス帝が最高指導者として、この大陸の大戦に臨んでいたら、バリス帝国はホスワード帝国に因る、併呑の憂き目に遭ったであろう」

 この一節は、「大陸大戦」の著者である、「世界の旅行者」イブンなるアクバルス帝国出身者の見解である。

 この箇所から、以下の事が読み取れよう。

 ランティスは平時の指導者としては、有能だが、乱世には適さない。

 其れを自身で知悉していたので、乱世の指導者に相応しい息子に権限を委譲する明晰さを持っている。


 とは云え、完璧な指導者など居る訳が無く、ヘスディーテも問題を持っていた。

 彼は極めて聡明且つ冷徹で、政略や戦略に高い能力を持っていたが、単純に野戦指揮官としての能力が欠如していた。

 野戦に関しては、完全に将軍に任せっきりで、彼が戦場で能力を発揮しているのは、高い情報分析力と、後方の輜重の安定と、野戦の敗北時や撤退時の速やかな兵力の撤収であった。

 勿論、これだけでも能力的には素晴らしいが、敵軍主力を打ち破る、と云う決定打に欠けている。

 そして、この能力を高く持っているのが、対峙しているホスワード帝国第八代皇帝アムリート・ホスワードなのだ。


本朝(わがくに)の建国者の傍に、軍事総司令官としてアムリート帝、軍事幕僚長としてヘスディーテ殿下が居たならば、本朝はこの大陸の悉くを手中に収めていたであろう」

 これもイブンの見解で、要するにアムリートもヘスディーテも偉才だが、自国の偉大な指導者の部下として生まれていたならば、存分に其の能力を発揮出来たので、自国は大陸全土を支配下に治めていたであろう、と仮定の話を述べている。


 現在、スーア市のバリス軍八万は、二万単位で一時的に離し、少しでも物資補給を軽減させているが、ヘスディーテは、スーア市の軍の再結集と、後方の予備兵力が何時でも軍事行動が起こせる様に早馬を飛ばした。

 だが、現時点では、空白地と為ったラテノグ州の侵攻と、メルティアナ城を攻囲するテヌーラ軍の援軍は出来そうに無い。


 メルティアナ城のテヌーラ軍の攻囲は、昨年の四月から続いている。

 只、其の主目的は、メルティアナ城駐屯軍が、他戦線へ赴く事をさせない事で、城の陥落を目的とした物では無い。

 テヌーラ軍はメルティアナ州に接する、自国の西のカートハージ州に兵の駐屯基地を造り、交代制で攻囲していた。

 攻撃は散発的な物だったが、ホスワード側としては問題が有った。

 其れはメルティアナ城は軍事要塞であると共に、住民十万を超えるメルティアナ州の州都でもあるのだ。

 水には困らないが、食料は基本的に自給出来ない。

 メルティアナ城司令官、ウラド・ガルガミシュ将軍は、城内で荒廃したままのプラーキーナ朝期の貴族の跡地の一部を、作物が生育出来る様に整備したが、これは精々「無いよりかはまし」的な物だった。


 必然的に城内へ食料を供給する部隊が、定期的にメルティアナ城に近づくのだが、この時はテヌーラ軍の攻撃は激しくなり、ウラドも旗下の兵を出撃させて、何とか補給部隊の入城を助ける。

 特にテヌーラ軍には三千だが、高度に訓練された騎兵団がこの攻囲軍に所属している為、疾風の様に補給部隊を襲う彼らを撃退するのは、流石のウラドも神経を擦り減らされていた。

 そして、今では数カ月前より、メルティアナ城内では、食料は配給制と為り、アムリートが先ずメルティアナ城のテヌーラ軍の駆逐を重視したのは、当然であろう。


 ゼルテスの大本営から、一万の重騎兵を率いるルカ・キュリウス将軍と、百五十輌の装甲車両群を率いるカレル・ヴィッツ上級大隊指揮官は、二月四日にメルティアナ城を指呼に臨む距離まで、進撃していた。

 ホスワード帝国歴だと、百五十九年に為る。

 この年にウラド・ガルガミシュ将軍は四十四歳、救援に来ているキュリウス将軍はアムリート帝と同年の三十四歳、装甲車両部隊総監のヴィッツ指揮官は四十四歳だ。


 メルティアナ城内の食料以外の消費物資は、特に不足は来たしていない。

 現在は冷え込む冬だが、炉に使用する石炭は十分である。

 ホスワード帝国では、石炭は殆どバリス帝国から輸入している。

 鉱山業と鍛鉄が盛んなバリスでは、石炭は重要で、曾てテヌーラ帝国と交戦し和平条約を締結する際に、領土の確定を炭田が豊富な地域で決した。

 二年間の停戦中には、ホスワードはバリスから、かなりの石炭を取引していたので、燃料問題は現在の処、発生はしていない。



 一方、同じ頃、スーア市内外では様々な噂が流れた。

 元々、バリス軍のスーア市の進駐は、「ホスワード当局に弾圧されているヴァトラックス教徒を解放し、スーア市をヴァトラックス教徒の解放区として、自治国を造る物である」、との大義名分で行った。

 だが、以下の様な噂がスーア市内外に流れた。謂うまでも無く、これ等の流言はホスワード側からの工作員に因る物だ。


「ヘスディーテ殿下は、スーア市をヴァトラックス教徒の独立国としての支援等する気は無く、バリスの直轄領とする心算だ」

「フーダッヒ市長は、ヘスディーテ殿下に好い様に操られているだけで、用済みと為れば、謀殺されるだろう」

「既に、フーダッヒ市長の腹心のパルヒーズ・ハートラウプなる国事犯は、ヘスディーテ殿下に完全忠誠を誓い、師のフーダッヒに取って代わろう、としている」


 スーア市の市庁舎である、バリス軍の大本営内のヘスディーテの執務室では、エレク・フーダッヒが訪れ、この件に関する説明を求めたのは、当然であろう。

 ヘスディーテの対応は、彼の灰色の瞳の様に冷ややかだった。

「ホスワードからすれば、卿は自国を裏切り、我等を導き入れた。私と卿の仲を割く流言を放つ等、至極当然の事と思うが、其れを真正直に信じるのかな」

「では、殿下は其れを証明する為に、ホスワード軍を打ち破り、此処スーアを我が国とする事を即刻認めて頂きたい」

「構わぬが、現時点での状況だと、空白地と為った北のラテノグ州の占領が、我々からすれば最も容易い。我が全軍はスーアを退去するので、卿は此処で自分の思うがままの国を造るが好い」

「……!」


 フーダッヒはパルヒーズとの面会も限られている。

 スーア市庁舎の地下深くには、曾てのダバンザーク王国の遺構があり、此処でフーダッヒとパルヒーズは秘密会合をしていたが、この場所はバリス軍の知る処と為っている。


 だが、如何にかフーダッヒはパルヒーズと会い、対話をした。バリスの兵士が遠巻きに監視しているのも構わず、である。

「パルヒーズよ。お前は我が悲願の達成を助ける為に、動いているのだな。決して、ヘスディーテ殿下の言い成りには為っていないな」

「師父も以前から感じていた様に、ホスワードの中枢部は一筋縄では行きません。私はホスワードの首脳部を分裂させる策謀を行いましたが、逆にホスワードがこれを流言として利用している様です」

 パルヒーズは、先日ホスワードの将のカイ・ウブチュブクに秘密裏に会い、彼に対バリスの指針を分裂させる策謀を行った事を話した。


「カイ・ウブチュブク…」

 フーダッヒは数年前の記憶を呼び起こした。

「あの途轍もなく巨躯の若者か。確かお前を調べに、数年前に我がスーアに来ていたな。若い女性の部下を連れて」

「左様です。彼は先日将軍に任命されました。其の若い女性は彼の妻であります。この大戦がバリスの不利に陥っているのも、彼の者に因る武功が大であります」

「…カイ・ウブチュブク。あの男の存在が、ヘスディーテ殿下を積極的に動かさぬ理由か」

「彼は現在、北方のエルキト藩王軍との一戦に臨む、と聞き及んでいます」

「妻も共に従軍しているのか?」

「いえ、彼の子を産んだ為、彼の荘園のレラーン州のトラムに在住しています」

「レラーン州か…。クラドエ州の隣だな…」


 二月六日。ゼルテスには北のラテノグ州から来た、百四十輌の装甲車両が到着した。

 三日後をスーアへの出撃日として、ゼルテスの将兵が活発に動く中、驚愕の発表がスーアからバリス帝国と連名で出された。

「本日、二月六日を以って、ここスーアは『ダバンザーク神聖国』として独立する。先ず、本年を神聖歴元年とし、バリス帝国との同盟関係を結ぶ。本朝(わがくに)の目的は、我が同胞のヴァトラックス教徒を弾圧するホスワード帝国を懲罰し、同胞の解放と安住の国を造る物である」

 この声明は、ダバンザーク神聖国国師エレク・フーダッヒの名で出された。

 エレク・フーダッヒは、この神聖歴元年で五十一歳。少年の日の頃よりの、野望を遂に実現させた。


 ダバンザーク神聖国の構成員は、国師のフーダッヒを筆頭にスーア市の衛士と役人だけである。

 パルヒーズ・ハートラウプはこの中に入っていない。

 ヘスディーテが、「ホスワード打倒までは、地理に詳しいパルヒーズは我が傍に置く。其の代わり、卿に因る独立国を認める」、と五日に独立国家の権を認めたのだ。

「我々は我々の遣り方で、ホスワード軍と対峙する。卿らは独立国として、卿らの遣り方でホスワードからの完全な脱却の策を講じるが好い。但し、此処スーア市…、ダバンザーク国内に居る場合は、卿らの安全の保障はするが、外に出て計略を講じ実行する場合、手助けはせぬし、一切の関わりは持たない」


 これがヘスディーテが語った、スーアの独立国の条件だった。

 要するに、フーダッヒ自身が国主として行う活動に対して、バリス帝国は一切関わらない、と告げたのだ。

 これも六日の独立宣言で、バリス側で出された内容である。

 そして、フーダッヒが対ホスワードの策謀で、先ず講じたのは、あるホスワードの若き将軍を精神面で打撃を与える事だった…。


 翌日、スーア市の役人で、ダバンザーク神聖国の構成員が、スーア市外に出る事をバリス軍関係者に頼んだ。

 ダバンザーク神聖国の本拠地は、スーア市庁舎の地下深くの曾てのダバンザーク王国の遺構で、当然スーアの役人も衛士も、「この様な処が在ったのか」、と驚きを露わにした。

 元々、以前より正当な理由が有れば、スーア市関係者はスーア市外に出る事を許されている。

 この役人は、去年バリス軍がスーアに進駐してから、市外に追い出されたスーアのある住民名義で、リロント公爵に感謝状を贈る事を頼む為に、市外に出る事の許可を願い出た。


 其の感謝状の内容は、当然バリス軍から検められた。特に何の変哲も無い感謝の内容だった。

 リロント公爵とは、クラドエ州に居る貴族で、彼の祖父は四代皇帝のマゴメートの信を得た、ヴァトラックス教徒であった。

 当時のリロント公爵が中心と為って、ホスワード各地に潜んでいた、教団員が宮中に集められ、マゴメート帝は彼らの操り人形とされ、ホスワード内外は大いに乱れた。

 五代皇帝フラート帝の登極で、これらは一掃されたが、追放されたリロント家は密かに散った教団員を援助していた。

 其れとは別に、別名義でリロント公爵は、スーア市に曾て在った孤児院の篤志家で、目的は実質管理していたフーダッヒの信徒獲得だったが、実際にこの孤児院で養育され、正業に就き、家庭を持った者が多いのは事実である。


 数年前の吟遊詩人の騒動で、リロント公爵家はホスワード当局の監視下にある。

 この手紙も当然、ホスワード側から検められるだろうが、内容が大した事では無いので、このバリスの担当の士官は、このスーアの役人が市外に出る事を認めた。



「手紙を読んで、本当に不審な点は有りませんでしたか?」

 問うたのはパルヒーズで、問われたのは当のバリスの士官である。場所はヘスディーテの執務室だ。

 既に件の手紙は、近郊の村に居る、スーア孤児院出身の名で、発送されている。

 パルヒーズはヘスディーテの側近たちが、身に付けている勤務服を着ている。彼はこの年で三十五歳に為るが、何処か其の雰囲気は宮中劇で、貴族の令嬢が恋に落ちる若い官吏役を思わせる。

「何でも好い。何か気になる処が有ったら、構わず申せ」

 ヘスディーテが促す。如何考えてもフーダッヒが何かを企んで行った事に違いない。

「奇妙に思いましたのは、文面の内容よりも、文が納められた封筒には、何とも豪奢な意匠が施されていました。公爵に送るのだから、この様に凝った封筒なのでしょうが、模様と云う因り、何か文字の様にも見えました」

「覚えている限りで好い。其の文字の様な物を此処に書き出せ」

 ヘスディーテは紙を筆を出し、士官は思い出しながら、字とも図案ともつかない物を描き出していく。


「ふむ。これはヴァトラックス教の経典に使われている文字を思わせる。意味はファルート語に近いが、より複雑な感じがする」

「仰る通りです、殿下。これは開祖ヴァトラックスが教えに使用した文字と言語です」

 開祖ヴァトラックスは、今より二千年とも三千年とも前に、今のファルート帝国の北東部地帯に生まれた。

 其の文字は現在のファルートでは使用されていなく、其の言語は現在のファルート語よりも遥かに文法性や屈折性の高い言語で、ファルートの人々でこの古語を読み書き出来るのは、一部の学者等である。

 大陸諸国で、ファルート語と近いのは、ラスペチア語だが、ラスペチアでもこの文字と言語は、高位の神官しか理解出来ない。


 語学に関心が高いヘスディーテは、幾つかから意味を拾い出した。

「これは『王とする』。これは『害せよ』と読めるが、如何だパルヒーズ?」

「私も同様の見解です。抑々我がホスワードのヴァトラックス教徒は、この文字に書かれている事の解釈をして、呪いや予言などをしていました」

 ホスワードではこれらの書物は禁書とされ、出回っているのは殆ど焚書され、原型の書が帝都ウェザールの皇宮の地下深くに厳重に保管されている。

 若き日のマゴメートは、この書に触れ、ヴァトラックス教に耽溺して行った。


「フーダッヒはホスワードの要人の暗殺を、リロント公爵に頼んだ可能性が高い。其の対価が公爵を王と迎える事だろう」

 では、誰が其の対象か?筆頭に挙げられるのは、アムリート帝だが、彼はゼルテスで大軍と共に行動している。

 次に考えられるのは、皇妃のカーテリーナだが、やはり皇宮の警備は厳重だ。

「アムリートと皇妃に近しい者たちが居る。更に其の者たちは、現在北方の戦に挑むホスワードの将軍たちとも近しい」

 ヘスディーテはこう言って、ある二名の人物の可能性を示唆した。

 マグタレーナ・ウブチュブク散士夫人と、其の娘のフレーデラ・ウブチュブク散士令嬢。

 マグタレーナは皇妃の実妹で、ホスワード北方軍総司令官ティル・ブローメルトの娘である。更にティルの旗下には彼女の実兄のラース、そして彼女の夫でフレーデラの実父のカイ・ウブチュブクが居る!


 士官が意見を述べる。

「小官が白旗を持ち、ゼルテスに赴き、要人暗殺の可能性が有る、とホスワードに忠告を致しましょうか?」

「お互い、流言を放ったり、其れに対抗する為に様々な動きをした。場合に因っては策謀の一環として、一蹴される可能性も高い」

「殿下、確実性が不明の事ですので、この私がレラーン州のトラムに行きます。若し、リロント公爵がウブチュブク夫人の暗殺を狙っているのなら、隣のクラドエ州故、急いだ方が宜しいかと。私はリロント公爵家の関係者たちを把握しています」

「…分かった。パルヒーズ、トラムへ赴け。そして無事に戻って来るのだ。卿には未だ遣って貰いたい事が沢山有る」

 互いに関わりを持たない、と正式に発表してしまった以上、フーダッヒを呼びつけて、この意図を尋ねる事が不可能に為ってしまったのが、悔やまれる。

 こうして、其の日の内にパルヒーズは旅人の姿と為り、馬で以てトラムへと奔った。

 現在、ホスワードの主要道路は民間の使用が制限されている。

 だが、パルヒーズはホスワード全土を駆け巡った経験から、様々な近道や抜け道を知っている。


 ゼルテスの大本営では、この「ダバンザーク神聖国」に対する会議を行った結果、侵攻予定日を延長する事にした。先ずは確実な情報集めである。

 但し、メルティアナ城の対テヌーラの軍事行動は、其のまま実施。北方の対エルキト藩王国とは、総司令官が知勇兼備の驍将ティル・ブローメルトと云う事もあって、彼の判断で全ての動きをしても好い、とかなりの権限を与えた。

 平時なら、皇帝の舅で外戚ある、ティルはこの様な大権は受けなかっただろうが、現在の状況では、其の様な訳にはいかず、彼は能力の限りを尽くして、対エルキト藩王国との対峙に集中している。


 メルティアナ城外で、ルカ・キュリウス将軍率いるホスワードの救援軍と、テヌーラ軍の交戦が始まったのは、ダバンザーク神聖国の独立日前の五日の事だった。

 テヌーラの陣営には土塁が積み上がり、其れを構築する為に掘った穴も在るが、新型の装甲車両は余程の凹凸が無ければ、進撃できる。

 テヌーラ軍も同種の車両を五十輌用意していた。攻城用の衝車だ。また梯車も在る。

 これを装甲車両の防壁に使ったり、逆に突撃させるが、速度、機動性、強固さ、全てに勝るホスワードの装甲車両は、テヌーラ軍の衝車を薙ぎ倒していく。


 テヌーラの攻囲軍は歩兵が三万、騎兵が三千だ。このテヌーラ騎兵団にキュリウスの一万騎が襲い掛かる。

 テヌーラ騎兵団長のゲルト・ミクルシュクは善戦はするものの、数にて圧倒され、彼が殿を務め、順次離脱をしていく。

 この瞬間に城内のウラド・ガルガミシュ率いる一万三千の歩騎も出撃すると、戦いの趨勢は一方的に為った。

 ホスワードの装甲車両部隊は、テヌーラの陣営破壊と衝車と梯車の破壊を担当、キュリウスの一万騎はテヌーラ騎兵団の掃討、出撃したウラドはテヌーラ歩兵を相手と、自然に役割が決まり、相手を明確にして戦ったので、相互の混乱を来さず、テヌーラ軍は次第に瓦解して行った。

 テヌーラの将兵は西へと向かい、カートハージ州の駐屯基地へと逃げて行く。


 再度、攻囲に彼らが現れない様に、徹底した追撃戦が行われ、ホスワードの全軍はカートハージ州に達する処まで、執拗な攻撃を加えた。

 最も被害が少なかったのは、テヌーラ騎兵団だったが、其れでも三割以上の戦死者を出し、団長のゲルトも命に別状は無いが、暫く指揮は執れない重体と為って、駐屯基地の医療棟へ運ばれた。

 テヌーラ騎兵団、特にゲルトの奮戦が無ければ、テヌーラ軍は実質壊滅していたであろう。


 歓喜に包まれるメルティアナ城に凱旋した、ウラド達は翌日に、「ダバンザーク神聖国」の建国を知り、驚き戸惑う。

 程無く大本営から連絡兵が来て、当初の予定通り、ボーボルム城への援軍と、バリス領への侵攻を実行せよ、との通達が出された。

 装甲車両群の整備に六日を取られるので、其の間を軍の編成の準備に当てる。

 先ず、メルティアナ城守備兵は歩兵約五千近くとした。残りの歩兵三千は南のレーク州に向かい、当地に在る数艘の軍船に乗り込み、ドンロ大河へ出てボーボルム城への援軍へと向かう。

 そして、ウラド・ガルガミシュを主将、ルカ・キュリウスを副将として、騎兵約一万五千程、ヴィッツ総監率いる装甲車両百五十輌に因る、バリス領への侵攻が決定された。


 バリス帝国がヘスディーテ主導の国家運営に切り替わった頃、ホスワード側は其れを邪魔する様に、主に、夏季は北のバルカーン城から故ムラト・ラスウェイ将軍が、冬季はメルティアナ城からウラドがバリス領を侵犯していた。

 其の当時の侵犯路を使い、更にウラドはバリス帝国の首都ヒトリールを目指す進路を採択した。

「当然迎撃軍は出て来るだろうが、上手く行けば、装甲車両でヒトリールの城壁を壊し乱入し、ランティス帝に城下の盟を誓わせ、バリスの全面降伏も可能と為る侵攻だ」

 其の様にウラドは将兵を鼓舞し、これまで受け身だったホスワード軍は士気が上がり、バリス領へ十三日に雪崩れ込んだ。

 この一日前には、三千の歩兵が南のレーク州に赴き、当地に在る十艘近くの軍船で以て、ドンロ大河を下り、ボーボルム城へ出発している。



 少し遡り、二月九日の早朝に、クラドエ州のリロント公爵邸にある手紙が届いた。

 当然、手紙の中身は内政全般を司る、宰相府の当地の役人に因って検められている。

 内容に問題が無かったので、この役人は差出人と内容を模写して、上役に提出し、手紙は其のままリロント公爵邸に届いた。

 リロント公爵家は代々ヴァトラックス教徒である。現当主も秘儀、つまり開祖の文字や言語に詳しい。

 内容、つまり封筒の文字を公爵は解読した。


「今まで自身の正体を明かさず、申し訳ない。小生は長年奉職していた為、代わりの者を『三代目の師父』とした。私が真の師父である」

「もうご周知の事だろうが、スーアにてダバンザーク神聖国を建国した。公爵閣下を王に迎えたい」

「但し、王として小生を含め、臣民の赤心を得るには、ホスワードに対して行動を起こし、打撃を与え、功を立てるのが筋である」

「レラーン州のトラムに、ウブチュブクなる母娘が居住している。彼女らはアムリート帝の近親者に当たる」

「彼女らを害せば、アムリート帝は正常な判断が執れなく為るだろう。さすれば、本朝とバリス軍はホスワード軍を打ち破るのが容易と為る。閣下の行動を期待するや大である」

 末尾に「ダバンザーク神聖国国師エレク・フーダッヒ」、と結ばれていた。


 リロント公爵邸は、当然敷地面積も広く、家事や広い庭の剪定や、更には護衛を主とする者たちも住み込みで居る。

 十五名の護衛の者が、買い出し用の二頭立ての大きな四輪の馬車で出発した。

 彼らは武器は所持していない。先年の取調時に武器と為る物は、全て没収されたからだ。

「武器など、現地で調達すれば好い」

 護衛の(おさ)がそう呟いた。彼らは元々兵だったり、武芸の達人だが、長らく自慢の暴力を行使する機会が無かったので、喜び勇んで、このトラムへの襲撃に出発した。

 トラムでは、三十名の衛士が昼夜を問わず、交代制で村内の警備をしている。

 先ず、彼らを襲い、彼らの武器を奪ってしまう算段だ。


 十一日の夜には、この襲撃団はトラムに到着した。

 そして、この集団の長が、見回っている衛士を背後より忍び寄り、右腕を首に回し、左手を回した右腕に組み上げ、音も無く絞め殺した。

 素早く部下達が衛士の武器を取り上げ、この衛士の死体を人目の付かない所へ隠す。

 見回っているのは五名、全てをこの様に音も無く殺害して、五名は武器を手に入れたので、五名が邸宅に侵入し、十名が見張りと、邸宅からの脱走者の捕縛の為に残る手筈とした。

 夜の九の刻を過ぎた頃、一団はウブチュブク邸に到着し、五名が広い庭を速やかに進み、正面玄関以外の侵入口を探す。


 レナ・ウブチュブクは歴戦の戦士である。彼女は戦場での勘とも謂うべきものが働いて、何か村で異変が発生している事を察知した。

 同居人のヴェルフ・ヘルキオスの大叔父夫妻に言う。

「おじ様、おば様、エラを連れて、三階のカイの部屋に行ってください。必ず鍵を掛ける事」

 そう言うと、彼女は瞬時に高級士官の軍装に着替え、片刃剣(サーベル)を用意した。

 自邸の庭に侵入者たちが来ている事を察知した彼女は、即座に家中の戸締りをして、灯りと為る物を消した。


「何だ?家中の明かりが消えたぞ。みんな寝ちまったのか?」

「ならば正面の玄関から、強硬突破だ」

 五名の襲撃者たちは木製の玄関を荒々しく壊す。この音で住民たちも村で異変が起こっている事に気付く。

 衛士の詰所では、二十五名が休んでいたが、村人の通報で大音がした方向へと向かった。

 ウブチュブク邸ではないか!


 最初に邸内に入った襲撃者は、レナの一撃で絶息する。

「やるじゃないか。そういやあんたは女子部隊の隊長さんなんだってな」

 次は長が剣を構える。レナは瞬時にこの男が首領で、一番の腕の立つ者だと判断したが、この男を相手にすると、他の三人が上階に上がってしまう!

 矢張りかなりの手練れだった。レナが苦戦する中、三人の侵入者たちは、邸内を荒らしまわる。


 程無くして、衛士が遣って来た事に気付いた長は、レナとの戦闘を中断し、外の衛士の一掃に飛び出した。

「この家の奴等はお前ら三人で片を付けろ!俺は外の邪魔者を排除したら、再度赴く!」

 レナは次は三人の襲撃者に囲まれた。

 衛士二十五人と、賊十一人の戦いと為ったが、長の力量は尋常で無く、瞬く間に衛士の半数近くは戦闘不能にされ、襲撃者たちの残りの十名も武器をこれで手に入れた。

「交渉用と逃亡用に村人を三人四人攫え。俺は改めて中に入る」

 長はそう部下の三名に命じると、再度ウブチュブク邸に侵入した。

 そして、新たに三人の部下の死体を彼は見た。

「へぇ、こりゃすげえな。だが相当疲れている様だな」

 確かにレナは負傷こそしていないが、息が乱れ、片刃剣を握る力が出ない。


 其処へ又も、ウブチュブク邸に大音が発生した。二階の方だ。別の襲撃者が二階から侵入したと思い、レナは愕然とした表情になる。

 然し、其の者は上階に上がらず、下に降りて行き、戦闘の場と為っている、居間へと現れた。

「女性や赤子に手を上げるとは。貴方たちと共にリロント邸でお世話に為っていた、自分が情けなく思っています」

「パルヒーズ!」

 其れは、レナと長が同時に発した言葉だった。

 パルヒーズはレナに向き言葉を発する。

「説明は後です。二人掛かりなら、この男を倒せましょう。卑劣な者に一対一など不要です」

 パルヒーズは腰の剣を抜く。使い込まれ、手入れされた剣だ。彼が単なる役者で無い事が好く分かる。


 長は逃げ出した。パルヒーズの力量を知っているからだ。

「如何やら住民を交渉と脱走の為の人質とする様です。私が其れを阻止しますから、貴女は住民を全員集め、安全な処へ避難させなさい」

 長は邸宅外で衛士と戦っている七人に、「あの二人を始末しろ!俺は人攫いに行く!」、と言い残し、闇夜に消える。

 暗殺対象が軍人なので、民間人を人質にすれば、暗殺失敗時に交渉でレナを捕縛する心算の様だ。


 邸宅外では十人以上の衛士と、七人の襲撃者の戦いに為っていたが、パルヒーズとレナの参戦で、六人が討ち取られ、一人は長が向かった方向へと逃げて行く。衛士の一人が言う。

「レナ様。住民たちは我々の詰所に避難させましょう。最大で五十名しか寝泊まり出来ない営舎ですが、我々とトラムの屈強な若い漁師たちで外を守ります」

「分かりました。先ずは三階にいる私の娘と、ヘルキオス夫婦の保護をお願いします」

「ウブチュブク夫人。貴女も其の詰所で住民の避難の誘導と、守りをお願い致します。あの者共は私が相手をしましょう」

「パルヒーズ、何で貴方が此処に来たのかは、分からないけど、『レナ』で好いよ」

 其処へエラを抱いた大叔母と、大叔父のヘルキオス老夫婦が現れた。

「レナ様。この赤子はこの様な騒動で、泣きもせず、何とも凛々しい表情。将来が頼もしいです。ウブチュブク将軍から聞いているかと思いますが、この娘は私の遠い縁類なのですね」

 そう優しい顔をパルヒーズはエラに向け、エラは無邪気な笑顔でパルヒーズに応える。

 好い娘だ、とパルヒーズは小声で言い、襲撃者の長が向かった方向へと走り出した。


 レナは衛士たちに頼みごとをする。

「住民たちの避難を迅速にお願い!私も手伝うけど、あのパルヒーズの支援に行きたいから!」

 こうして全トラムの住民は、衛士の詰所の営舎へと誘導されていく。村長を初め何名かの者に住民の確認を頼み、営舎に到着していない住民の居住場所を教えて貰ったレナは、即座に其の場所へ騎乗して赴く。

 レナにとっては、久々の乗馬である。

 元々、トラムで買い物をしていた時に、広く村内を歩き回っていたので、夜半でも彼女は地理感を持っている。



 ある一家が襲われていた。若い夫婦と、彼らの子等であろう幼い兄弟、合わせて四人が縛られている。

 長を初め五人の無頼漢が、この縛り上げた一家を、家の門前へ出し、剣を突き付けている。

 パルヒーズは其れに対峙していた。

「武器を捨てろ。さもなくばガキから手足を切り落とす」

 長がそう言うと、パルヒーズは剣を捨てた。手を挙げたパルヒーズの身体を一人の賊が検める。

 其処へレナが馬にて駆けつけた。

「彼らを解放しなさい!お前たちの目的は私でしょう!私を縛るが好い」

「そうだが、あんたの娘も入ってるんだよな」

「駄目です、レナ様。彼らの言う事を聞いてはいけません。先ずは剣を捨てるのです」

 パルヒーズに言われ、レナも片刃剣を捨てた。


 パルヒーズは柔らかい独特の音色で、語りかけた。役者特有の朗々とした声。そして、動きが声に合わせて自然に動くので、この場に居る者、全員が見惚れた。

「今宵の空は満天の星々。あの星々は悪を為す者を漏らさず見る、善神ソローの眼である」

 全員が釣られる様に一瞬空を見た。其処でパルヒーズは台詞に合わせた動きから、腰にぶら下げた水筒から、水を激しく賊たちと一家に撒いた。

「これは我がヴァトラックス教秘伝の聖水。悪しき心を持つ者は、其の身が腐食し、朽ち果てるであろう」

 何人かの賊は驚くが、長の一喝が飛ぶ。

「只の水だ!こんな虚仮威(こけおど)しに引っ掛かるな…!」


 瞬時、パルヒーズが長靴の中に細工された収納場所から、小型のナイフ四刀を取りだし、両手で二刀ずつ同時に投げると、長以外の四人の賊の身体に刺さる。部下の絶叫の声に気を取られた長は、パルヒーズの体当たりを喰らっていた。

「レナ様。彼らを安全な処まで!」

 レナは瞬時に片刃剣を拾い、縛られた一家の縄を切り、彼らを安全な処まで連れて行く。


 再び戻ったレナは、五人の男が倒れ、息が荒い負傷した一人の男が、剣を手にふら付きながら立っているのを発見した。長である。

「先ずはお前から殺す!」

 振り上げられた剣を受け流し、レナの剣は長の首元に突き刺さる。

 大量の血飛沫を首から流した長は絶息する。

「パルヒーズ!」

 レナは倒れていたパルヒーズの身を起こそうとする。が、彼の体中は何カ所と斬られ、幾つかの箇所は深々として、血が大量に溢れ出ている。

 他の四人の賊も絶息している様だ。

 

「好かった。レナ様も、村の人たちも皆無事の様ですね…」

「喋らないで!」

 レナは一家の家に入り、手当てに為る物を探し、パルヒーズの止血をする。

「…ウブチュブク将軍に伝えて下さい。あの夜に言った事は、私の真の願いである事を」

 其れがパルヒーズ・ハートラウプの最期の言葉だった。


 翌朝、レラーン市から州知事と、レラーン州の刑部(司法)関係者が数人と、何十人という衛士たちが、遣って来た。

 レナとトラムの村長が代表して、顛末を話す。

 全員死亡した、襲撃者たち十五人はリロント公爵家の関係者で、もう一人の死亡した若い男もリロント公爵家に関係する者だが、村を護る為に戦っていた事、等を話した。

「十六名が襲撃に来て、内一人が内部分裂で、トラムを護った訳では無く、この男はリロント邸とは違う場所から来たのですな」

「この男は例の国事犯パルヒーズ・ハートラウプです。彼はバリス帝国に身を隠し、現在はバリス軍の協力者です。恐らくスーア市から来たと思われます」

 州知事と刑部関係者の代表は困惑する。国事犯でバリスの内通者が、ホスワード帝国の皇帝の義妹を護る為に現れ戦っていた?


「詳細な事は、私がゼルテスの陛下と、帝都の姉と、オグローツに居る私の夫に手紙を書きます。出来ましたら、ハートラウプはクラドエ州のヴァトラックス教徒の居る村で、埋葬をして欲しいのですが」

 其の日の内にレナは、同じ内容が記された手紙を三通書き上げ、昼前には其々が早馬にて発送された。


 十四日の早朝。ゼルテス市の大本営に、このレナの手紙がアムリートの元に届く。

 内容を読んだアムリートは、早速御前会議を開く。

「以前ハートラウプは、ウブチュブク将軍に秘密裏に会い、自身の望みを託していた。余もハートラウプの願いを叶えたいと思うが、諸卿らは如何かな」

 つまり、アムリートは現在収監中のヴァトラックス教徒関係者を全て解放し、クラドエ州の一部を、神殿の建立を認めた自治区の創設を提案した。

 流石にこれには消極的な反対の意見も出たが、皇帝副官ハイケ・ウブチュブクが発言したい旨を述べた。

 アムリートは促す。


「スーアでは、『ダバンザーク神聖国』なる国が造られています。寧ろ本朝のクラドエ州の自治区こそが、ホスワードに於けるヴァトラックス教徒の安住の地だと、大いに喧伝すべきです。これでフーダッヒは完全に孤立しましょう」

 このハイケの意見を、特に兵部尚書ヨギフ・ガルガミシュが後押ししたので、結果採択され、今月中に教団員の解放と、神殿の建立を含めた自治区の案が纏まった。

「リロント公爵は、当然爵位取り上げの上、獄に繋ぐべきだ」

 この意見は大将軍エドガイス・ワロンから出され、これも可決と為った。

 この日の御前会議は、こうして終わり、アムリートとハイケは二人きりで話し合っていた。


「然し、フーダッヒがリロントに秘密裏に指示した様だが、バリス側はどの様にして、これを知ったのだ?」

「クラドエ州の当局に因りますと、命じた手紙は暗号で無く、封筒自体が何やら複雑な文字の様な図案だった、との事。バリス側で検めた時、恐らくヘスディーテ殿下が封筒が暗号だと気付き、パルヒーズをレナ様を護る為に奔らせたのでしょう」

 疑問に対して、ハイケから推論を聞いたアムリートは考え込む。

「ヘスディーテ…。この様な形で彼に恩義を受けるとはな」

「彼の者は、臣が及びも付かない深慮と知識を持ち、大国の偉大な指導者だと思います。敵の総帥ながら、尊敬すべき点や学ぶべき点が多々有ります」

「リロントやフーダッヒの様な卑劣な小物は、容易に排除出来る。だが、ヘスディーテの様な偉才を打ち破るのは困難だ。彼の様な尊敬すべき者と、全知を使って戦い合わねば為らんとはな…。成程、教えが有るのも頷ける。この非情な世に対する緩和なのだな」


 この翌日には、オグローツ城内に居たカイ・ウブチュブクにも同様の手紙が届く。

 彼は妻と娘の安全に安堵し、襲撃を命じたフーダッヒとリロントに激しい怒りを抱き、そして村を護る為に戦ったパルヒーズの死には、衝撃を受けた。

「パルヒーズ。お前の望みは必ず叶える。いや、陛下の事だから、きっと認めてくれる筈だ。そして、お前を長年苦しめたフーダッヒは絶対に許さん…!」


 レナの父のティル・ブローメルトと、兄のラースも、この手紙を読んで安堵する。

 だが、彼らも又、尊敬すべき偉才、クルト・ミクルシュクとの対峙をしている。

 エルキト藩王軍に動き在り、と報じられたのは、翌々日の十七日だった。



 ラース・ブローメルトを主将とする、ラテノグ州からの軍団がオグローツ城付近に到着したのは、二月十日である。

 次将として、ファイヘル・ホーゲルヴァイデ、カイ・ウブチュブクの両将軍を従え、合計兵力は軽騎兵一万五千、重騎兵五千だ。

 一方、既にオグローツ城付近には、ティル・ブローメルト総司令官が率いる兵が到着していて、当地のルギラス・シェラルブクが率いる軍団との合流をしている。合計兵力は軽騎兵が四万五千(内女性が一万騎)、歩兵が一万だ。

 オグローツ城は将兵を一万五千までしか収容出来ないので、大半の将兵は、(ゲル)にて城周辺で寝泊まりする。

 包はシェラルブクの地に近い故、数には困らない。


 カイたちは当地に着いて、基本的に包で寝泊まりしていたが、主要会議ではオグローツ城内に入り、司令官棟に赴く。

 到着日は、義父であるティルへの挨拶と北方軍の首脳陣の顔合わせだった。

 ラースとファイヘルは各自の幕僚たちを従え、カイも幕僚を従えオグローツ城内に入城した。

 カイの幕僚は、主席幕僚のヴェルフ・ヘルキオス上級大隊指揮官、参軍のレムン・ディリブラント下級大隊指揮官、女子部隊指揮官のオッドルーン・ヘレナト上級中隊指揮官、副官のアルビン・リツキ下級中隊指揮官だ。


 城内に入り、カイは四十過ぎの見知った兵を見て驚く。

「モルティさん!」

「ウブチュブク将軍!そうだ、将軍に為ったのですね。ガリン様はきっと誇りに思っていましょう…」

 モルティは身寄りの無かった少年の日の頃、ガリンに拾われ、其のままガリンの従卒をしていた。

 ガリンの退役時に、彼も軍を辞め、ガリンの口利きで、ムヒル市の衛士をしていたのだが、其の後、ガリンが死去すると、カリーフ村のウブチュブク家にて、妻と共に住み込みで、馬牧場の管理と家族の世話をしている。

 だが、モルティは大戦が始まってから、軍籍に在ったものを対象とした帝都防衛軍に参加し、現在も軍に籍を置いている様だ。

 モルティの案内で、一同はティルが待っている、司令官棟の大会議室へと行く。


 大会議室の入り口では、一人の少年が待機していた。

「ハータ…」

 次に驚きの呟きを発したのは、オッドルーンだ。この少年は彼女の息子である。少年は母親に一瞥もせず、一同に案内の言葉を発した。やや緊張と未だ完璧とは云えないホスワード語だが、堂々としていた。

「此方にブローメルト子爵閣下と、ルギラス・シェラルブク様が既に入室済みです。お荷物が有れば、僕が…私がお預かり致します」

「君がハータか。何時か会いたいと思っていた。荷物は無いので、暫し母親と言葉を交わすが好い。ヘレナト指揮官、入室は少し遅れても問題は無いぞ」

 カイはハータに酷寒を吹き飛ばす、真夏の太陽の様に輝く明るい茶色の瞳を向け、そう優しく語り掛けた。ハータは巨躯のカイを尊敬の眼差しで仰ぎ見る。一同はオッドルーンを残して入室した。

 モルティも母子の再開を邪魔しない様に、彼が命じられた持ち場へと戻る。


 オッドルーンはこの年で三十二歳、息子は十二歳だ。彼女たちの夫で父親は既に死去している。

 病死でも戦死でも無く、ハータが生まれる直前に事故死している。

 母親は数年前に、未だ幼い息子を故郷に残し、ホスワードの女子部隊に参加し、息子は将来ホスワードの正規兵と為る為に、武芸と学問に明け暮れる毎日だ。

 共に強く生きてきた母子である。息子の背丈は母親にあと少しで届く程。未だ少年の細身の体付きだが、機敏さを感じさせる体幹だ。


 室内にはティルと彼の幕僚たち。ルギラスを初め数名のエルキト人の有力者たち。この有力者たちの中には女性も居る。そして、故マグヌス・バールキスカンの幕僚たちも居た。

 バールキスカンの後を継いで、北方軍総司令官と為った、ティル・ブローメルトはこの年で六十歳。

 カイの父のガリンが健在なら、同年齢である。

 入室した一同は帽子を取り、右拳を左胸に当てる敬礼をすると、ティルから着席を促される。

 カイは自分の部下の一人が、遅れて入室する事を伝え、ティルは其れを了承した。


 ブローメルトの父子はそっくりである。共に身の丈が百と九十寸(百九十センチメートル)近く、均整のとれた戦士の体格だ。

 何より、蒼みがかった薄灰色の目をしていて、薄茶色の髪を綺麗に後ろに撫でつけ、首筋で編まれて垂れ下げ、両側頭部を綺麗に剃り上げている。尤も父親の方は八割がた髪は白いが。

 顔付きも似ているが、三十一歳のラースは眉目秀麗な美丈夫で、父親は穏やかそうな紳士然とした佇まいだ。


 ルギラス・シェラルブクは、シェラルブク族の族長デギリの息子で、年齢はこの年で四十三歳に為る。

 彼を筆頭にエルキト諸部族の指導者たちと、一万の女性部隊の代表者が座している。

 そして、バールキスカンの参軍や副官を務めていた者たちも居るが、彼らはバールキスカン軍壊滅後は、ルギラスの指揮下に入っていた。この将兵は約五千程と為る。


「先ずは、バールキスカン将軍が率いていた兵を、ホーゲルヴァイデ、ウブチュブク両将軍の指揮下に配属する」

 ティルのこの言葉が、会合の始まりと為った。

 約二千五百の軽騎兵がカイの直属の兵として、追加配属だ。カイの現在の直属の兵は五千程の軽騎兵なので、将が率いる万を超える規模には、未だ至らない。

 既にバールキスカンの部下達が、自部隊の分離を済ませていたので、この二千五百を預かる指揮官が、カイに自己紹介と、旗下に加わる事の忠誠の誓いを述べた。


 この初日は各自の紹介に終始し、改めて各部隊内での会合をする様に、ティルに言われ解散と為った。

「馬は兎も角、金なんてばら撒いていたのか、何処から金を生み出したんだ、あの藩王様は?彼奴は錬金術師なのか?」

 会合が終わり、カイたちは自部隊が集合している処へ向かっている。バールキスカンの部下の代表も一緒だ。

「エルキトの一部の河では、砂金が獲れるそうです。藩王は以前よりこの事業に特に力を入れていたとか」

 ヴェルフの疑問にレムンが応える。小柄なレムンの横では、彼より更に小柄なアルビンが興味深そうに聞く。

 レムンとしては、今までこの種の会合では、書記係も兼務していたが、アルビンのお陰で、自分の情報分析を述べるだけで好いので、助かっている。


 エルキト藩王軍は、長らく西部国境で、隣接するキフヤーク可寒国の侵攻と離脱に悩まされていたが、エルキト藩王のクルト・ミクルシュクは、キフヤークの南に位置する、ファルート帝国へ、ラスペチア王国を初めとする、緑地都市(オアシス)国家群を通して、数百匹の馬と黄金を贈与して、キフヤークの侵犯を頼んだのだ。

 其の為、エルキト藩王軍は着々と軍勢を西から戻し、再度のホスワードの侵攻を狙っている状態である。

「戦場に現れるだけでも、面倒な奴なのに、そんな取引までしやがるとは、厄介な事この上ない奴だな。テヌーラ帝国で高官として登り詰め、悠々自適の生活をしていれば好いものを」

 クルト・ミクルシュクは、元々はテヌーラ帝国の礼部省(外務省)の、出世進路(コース)に居た役人だった事をヴェルフは言っている。



 カイが自部隊を集めた処では、弟たちのシュキンとシュシンのミセーム兄弟と、モルティが楽しげに話し合っていた。

 三人はカイたちを確認すると、敬礼をする。

「ウブチュブク将軍!モルティさんは将軍の従卒役をブローメルト子爵閣下から、直々に命じられたそうです!」

 双子は口を揃えて、上司である長兄に言った。

「そうなのか。でもモルティさん程、経験が豊富な者が俺の従卒で好いのかな?」

「ウブチュブク将軍。身の回りの事は、このモルティに何なりとお申し付け下さい」

 モルティに一礼されたカイは、「此方こそ」、と返すのが精一杯だった。

 モルティは、曾てガリンの傍に居た時の事を思い出し、感激で目に涙がたまり、全身が震える。


 総司令官として、ティルは全軍を以下に分けて、各指揮官を決めた。

 歩兵一万はティル本人が指揮。バルカーン城から来た騎兵五千とラテノグ州から来た重騎兵五千の合わせて一万騎は息子のラースが指揮。三万のエルキト軽騎兵はルギラスが指揮。カイとファイヘルが其々七千五百の軽騎兵を指揮。そして、一万のエルキト女性騎兵を遊撃部隊として後方に配置だ。

 合計で七万五千だが、エルキト藩王軍は八万以上の動員が可能だと伝わっている。


 また、バリス軍が空白地のラテノグ州を急襲した場合は、カイがファイヘルの軽騎兵を一部受け持ち、最大で一万を超える兵で迎撃に出る手筈と為った。

 この事態が起こった場合は、オグローツ城での籠城を主体とした、防御を重視した用兵に切り替わる。

 この大まかな指針が決まったのは十五日である。司令官棟で会合をしていたカイは、モルティからレナの手紙を受け、トラムの襲撃を知り、其の眼が灼熱の太陽の様に燃え上がった日でもあった。


 オグローツ城内には、五十輌程だが、車両が在る。

 但し、例の装甲車両で無く、騎兵軍団相手の伝統的な車両だ。ティルは当地に着いてから、其の点検と運用方法を指示していた。

 其れは四輪の大型の箱型の車両で、四頭の馬にて曳き、各馬には鎖帷子を覆い弓矢の対策をする。

 車両内には十人が弓兵として乗れ、更に車両の外面には鹿の角が幾つも付けられていて、敵の人馬を近寄せられない造りに為っている。

 其の造りから鹿角車と呼ばれる物だ。

 ティル直下の歩兵で、馬車の操作が豊富な者が選別され、この車両も出撃させる。


 十七日の報告ではエルキト藩王軍が、彼らの首都である南庭と呼ばれる地域に全軍を終結させた事だった。

 当然の様に、可寒クルト・ミクルシュクは陣頭指揮の為に先頭にて、全軍の進軍の合図を行う。

 クルト・ミクルシュクは、この年で三十二歳。

 身の丈は百と九十五寸を超え、筋骨逞しい。其の整った顔立ちは、他者を圧倒する険しさに満ち、細長い鼻の両目は落ち窪み、其処から発せられる鋭い眼光の瞳は、黄みがかった薄茶色である。

 明るい褐色の頭髪の側頭部は剃りあげ、後頭部は伸ばし、其れを編んで垂らしている。ブローメルト家を思わせる髪型だが、ミクルシュク家もブローメルト家も、元々エルキトを起源とする一族だからだ。


 十八日に、カイ、ファイヘル、そしてルギラスの軽騎兵部隊、計四万五千騎が北上して、様子を見る事に為った。

 先ずは、迅速な動きの出来る、カイ旗下の女子部隊二百五十騎が偵騎に赴く。

 ファイヘルがカイに近付き声を掛けた。

 共にホスワード帝国の最年少の将だ。この年に二十七歳と為る、同年生まれの彼らだが、カイが七月生まれ、ファイヘルが十一月生まれなので、厳密にはファイヘルが最年少と為る。


「カイ卿、問題は無いかな。身内の事に関する不安を抱くのは、誰でも同じだ。ましてや我等の様な将が、其れに慌てふためく様では、士卒に対する示しがつかん」

「大丈夫だ、ファイヘル卿。今は眼前のエルキト藩王軍の事しか頭に無い」

「あの藩王は偉大だ。特徴として最前線に出て来る。我等で周囲を引き付け、卿が藩王との一対一の状況を作り、討ち取って貰う、と云うのが理想だがな」

「そう為れば、当然俺は藩王との決着をつけるが、ヘスディーテ程では無いにしても、何を企図しているか分からぬ男だからな。彼も俺が最前線に出ている事は知っていよう」


 場所はシェラルブク族の最も北端の地。緩やかな平野が何処までも広がる地だが、降雪で白化粧されている。

 時刻は午前の十の刻だが、天は厚い灰色の雲に覆われ、時たま吹き荒れる風に因って、ごく僅かに太陽の存在を感じる。

 風は気まぐれで、強風が吹いてるかと思えば、微かな北風だ。何れにしよ、身の芯から凍える冷たさの朔風が吹き荒れている。

 降雪や霙は無く、霧も発生せず、視界を遮る物は自身の吐く白い息。

 だが、この天候がずっと続く訳が無い。変わったにしても両軍のどちらに利するか。


 また、テヌーラ軍を駆逐した、ウラド・ガルガミシュ率いる軍がバリス領に侵攻した報が入って来たので、ラテノグ州のバリス軍の襲来は、可能性としては低いと判断された。

 ホスワード帝国歴百五十九年二月十八日。北上するホスワード北方軍と、南下するエルキト藩王軍は、あと数刻で互いの姿を視認する位置にまで近づいた。

 カイ・ウブチュブクが将と為って、初めての戦である。


第三十六章 大陸大戦 其之玖 神聖国の建国 了

 この様な訳で、パルヒーズさんは本作からの退場となりました。


 彼に関しては、もっと話に絡み、主人公たちを手玉に取るキャラとして、活躍させるつもりでしたが、作者の力量不足により、中途半端な登場で終わってしまいました。


 欠点だらけの作品ですが、個人的に一番失敗した点だと思っています。



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