第三十五章 大陸大戦 其之捌 親族
35回目の投稿です。
作中では、6年半以上、投稿を始めてから、1年半以上、と結構経っていますね。
第三十五章 大陸大戦 其之捌 親族
1
「物資の欠乏が本格的に来たし。一時的に将兵を労役に就かさなければ、あと持って一カ月が限度である」
バリス帝国歴百五十一年一月の初旬、バリス軍の大本営のスーア市に、バリス帝国第七代皇帝ランティス・バリスから、バリス軍の事実上の総帥である息子の皇太子ヘスディーテ・バリスに、輸送物資の欠乏を知らせる書が届いた。
「アムリートは我々に対して、長期戦を視野に入れて行っていたらしいな」
スーア市の執務室で、ヘスディーテは呟いた。
バリス軍の将兵は、通常時には何らかの労役に就いている。無論、本国では全く労働者が居ない訳では無いが、去年の二月より、二十万を超える将兵が、生産者から完全消費者へと変貌し、本国の生産力は著しく低下しているにも拘わらず、二十万を超える将兵が日々物資を消費している。
無論、この為に普段の労役で、膨大な物資は備蓄して、大戦に臨んだ訳だが、結果として、そろそろ潮時の様だ。
国境の城塞に駐屯している、ホスワード軍の軍団を確実に殲滅する事を重視したバリス軍の戦略は、ホスワードの各城塞の駐屯部隊の強硬な粘りと、支援部隊の迅速な攻撃で、スーアの主力以外は全て撃退されてしまった。
其れ処か、最も北方では、逆に自分たちのラテノグ城塞が攻略された。
バリス帝国はホスワード帝国の同盟国である、ブホータ王国の侵攻を退けたが、この撃退に成功した軍団を東部戦線の対ホスワードに回さず、一時の休暇の後、労役の再配置をする事にした。
この兵は五万近くと為る。
スーアの大本営の約八万程の将兵も、二万規模で、約二週間の休暇を取らせ、スーアへの物資補給を少しでも抑える。
ヘスディーテと主席秘書を初めとする、側近たちが試算した処、これであと半年ばかりは全軍の運用が可能、と出た。
「半年以内に、北方でエルキト藩王軍と共同でラテノグ州を、南方でテヌーラ軍とメルティアナ城を、そしてここスーアよりゼルテスを攻撃する。何れも戦場を広く設定して、ホスワード側が民を護りながらの戦いに追い込む状況で行いたい」
ヘスディーテは、やや険しい顔付きで言った。余り彼の本意とする処では無い。
此処で、「殿下」、ととある側近が注進に及んだ。
「エレク・フーダッヒ市長ですが、何やらホスワード人の間を駆け回っている様子。彼に関してはスーア外に出す事は認めていませんが、市内に於いて四六時中見張りを付けている訳ではありません。市長の件、如何致しましょうか?」
スーア市に居るホスワード人は、市民は全て近郊の村落に追い出されている。残っているのは役人と衛士で、元々、火急の際には彼らを直接指揮出来る権限を、フーダッヒは保持していたが、現在では困惑気味に彼らはフーダッヒに従っている。
「其の中にパルヒーズ・ハートラウプは居るか?」
ヘスディーテが問うた男は、ホスワード人のヴァトラックス教徒で、フーダッヒはヴァトラックス教徒の師父なる最高指導者である。
但し、ホスワード帝国内で監視や投獄されていないホスワード人のヴァトラックス教徒は、彼ら二人だけで、二人はここスーア市に、古い昔に存在していた、ヴァトラックス教を祭政一致としていた、ダバンザーク王国の復活を企図している。
其の為に、バリス軍に一時的にスーア市を対ホスワードの後方基地として、明け渡したのだ。
「ハートラウプは基本、派手な衣装を着こみ、市内で我が将兵相手に洋琵琶で歌を歌ったり、大道芸をして、楽しませている様です。市長との面会は殿下の許可が無ければ、行っておりません」
フーダッヒとハートラウプ、この二人のホスワード人のヴァトラックス教徒の願いは、完全に異なっている。
パルヒーズは特に未だ収容中の同胞の解放と、小さな規模で好いので、ヴァトラックス教徒の村落が欲しいだけだ。
国を造っても、王が只一人の国など、何の意味も無い。
フーダッヒがスーア市内に残った役人や衛士を駆け回っているのは、自分が造る王国の臣下とする為であろう。
「余り、此方から彼らを四六時中監視下に置くと、其れこそ、フーダッヒの元に一致し兼ねない。彼らの監視は程々にして、若し、ホスワード人の役人や衛士で市外に出たい者が居るのなら、其の目的を問い質し、帰還時間を守れば許可をする様に」
ヘスディーテは、フーダッヒ以外のスーアのホスワード人には、バリスは話の分かる軍だ、と意識させ、フーダッヒへの盲信を邪魔する事を命じた。
そんな折、パルヒーズが珍しく、ヘスディーテの元に赴いた。基本的にパルヒーズはヘスディーテから呼ばれない限り、自ら赴く事はしない。
スーア市の市庁舎は、完全に大軍を指導する司令部へと改造され、曾て市長室であった豪奢さも有るが、其れ以上に偉容さを発する、バリス軍の総帥であるヘスディーテの執務室へ、パルヒーズは許可を貰い入室した。
去年末はスーア市近辺は、しばしば大雪に見舞われたが、年が明けてから、晴れの日が多く為り、稀に曇りの時に、粉雪が降る位だ。
この日、一月五日。ヘスディーテとパルヒーズは、会談した。
この年にヘスディーテは二十六歳に為る。実質上の国家指導者と為ってから、五年目だ。
正対し一礼し、執務室の前の椅子に着席を許可され、腰を下ろしたパルヒーズは、この年で三十五歳に為る。
彼はヘスディーテ直下の秘書官たちが着ている、濃い灰色の勤務服を着ているが、柔和な顔立ちと姿勢の好い其の姿は、宮中劇の舞台での高官役を思わせる。
「殿下。私をゼルテス近郊に赴く事の許可を頂きに参りました」
「何故、ゼルテスに行く?」
「カイ・ウブチュブクがゼルテス市へ赴き、皇帝アムリートより、将に任じられるそうです」
ゼルテス市とは、此処スーア市より、東へ馬を飛ばせば、一日で到着出来るホスワード軍の大本営が在る市である。
カイ・ウブチュブクは、前年のバリス軍のラテノグ城塞を落とした功で、将軍への任命と散士なる貴族と為る手続きをするので、今月の半ば頃ゼルテス市へ赴くそうだ。
「上手く彼と一対一で話し合いたい機会を設けたいのです。無論、バリス軍の機密情報を流す訳ではありません。以前より彼とは正規に話し合いたかったので」
「ウブチュブクは武芸絶倫と聞き及ぶが、卿が捕縛、ないしは殺される危険性が有るのでは無いか?」
「其処は、確かに仰る通りですが、逃げる事なら私は自信は有りますし、彼の性格上、話し合いには応じてくれる、と思います」
ヘスディーテは、パルヒーズがゼルテス近郊に赴く事を許し、翌日にパルヒーズはスーア市を離れた。表向きは敵陣営の諜報活動だと謳い、一部の側近にだけは、彼が私的にカイ・ウブチュブクに対面する為に、市を発った事を告げた。
其れを聞いた側近たちは、ヘスディーテに難色を示した。
「彼は重要人物だ。特にフーダッヒを抑えるには、彼の存在が必要だ。今は彼の望む事を尊重しよう。其れにウブチュブクが敵側の重要人物と秘密裏に会っていたと判明すれば、ホスワードの重鎮が訝しがるだろうし、上手く行けば、今後ウブチュブクの動きも掣肘し、ホスワードの首脳部の意見の分裂も可能だ」
ヘスディーテは側近たちの反論を、こう封じ込めた。
2
ホスワード帝国歴百五十九年一月九日。メルティアナ州の北部の中央寄りに在るゼルテス市に、北方から十騎の将兵が、午後四の刻(午後四時)過ぎに入城した。
プリゼーン城司令官のラース・ブローメルト将軍。其の主席幕僚のファイヘル・ホーゲルヴァイデ上級大隊指揮官。次席幕僚のカイ・ウブチュブク上級大隊指揮官。シュキンとシュシンのミセーム下級小隊指揮官の双子の兄弟。そして、五名の付添いの士官の計十名だ。
カイとファイヘルに皇帝アムリート・ホスワードが将に任ずる儀式をする為である。
彼らが来たのは北方のラテノグ州からだが、現地では一万六千を超える将兵が駐屯している。
其の将兵たちは、現在ヴェルフ・ヘルキオス上級大隊指揮官が、一時的に統括している。
彼らは皆若い。この年で、将軍のラースは三十一歳。カイとファイヘルは二十七歳。ミセーム兄弟は二十一歳。留守を任されたヴェルフも三十歳だ。
カイとファイヘルを将に任じる、ホスワード帝国第八代皇帝のアムリートも三十四歳の若さだ。
アムリートの傍で、皇帝副官を務める、ハイケ・ウブチュブクも二十四歳で、彼は今年に入って正式に高級士官と為っている。席次は下級大隊指揮官だ。
ゼルテス市もスーア市同様に、大軍を指導する司令部へと改造され、この日ラースたちは高級将校用の官舎で休息する事を命じられた。
天候は辛うじて太陽が輝いているが曇り、風は左程無いが、吐く息は白い。建物の日陰に為っている箇所は、雪が凍って固まっている。
だが、彼らは宿泊する官舎は、暖かい風呂と、炉が設置され、床の布団も厚手だ。
最前線故に、豪勢では無いが、暖かく十分な量の食事と済ませ、風呂に入り、十名は眠った。
翌朝、ラースとカイとファイヘルは、市庁舎の広間へ赴く事を命じられた。
カイの部隊からは、基本的にカイ一人が昇進だが、特別にミセーム兄弟だけは、中級小隊指揮官に任じられるので、別室へと軍の高官から手続きをする為に赴いている。
一月十日の早朝。この日は珍しく快晴で、日向に居ると、左程の寒さは感じない。天も祝福をしているのだろうか。
ゼルテス市の市庁舎の広間は、帝都ウェザールの宮殿に比べれば簡素だが、地方の市庁舎の広間としては、調度品等が絢爛豪華だった。
北面の最も奥に数段上がった箇所に、やはり地方都市としては不釣り合いな豪奢な椅子が在り、其処にアムリートが座している。
左右に並んでいるのも、軍関係者たちだけで無く、帝都より典礼省(宮内省)の貴族の管理を担当する長や、吏部省(人事院)の高官が来ている。
ラースは広間に入ると、将軍たちが居並ぶ列に入った。此処には兵部尚書(国防大臣)のヨギフ・ガルガミシュ。大将軍のエドガイス・ワロン。また、ルカ・キュリウス将軍と云った人物が並んでいる。
バルカーン城からも、ギルフィ・シュレルネン将軍の姿もある。地理的に近いので、一時的に来ているのだろう。
メルティアナ城とボーボルム城のウラド・ガルガミシュ将軍とアレン・ヌヴェル将軍は、対テヌーラの為に、離れられ無い様だ。
ファイヘルは其の一団の中に、杖を持った人物が直立しているのを見出した。
「父上…」
ごく僅かにファイヘルは呟いた。彼の父の兵部次官のヴァルテマー・ホーゲルヴァイデ伯爵だ。
兵部次官は戦傷の影響で片足が不自由だ。大戦に入ってからは、帝都で軍政を総覧していたが、数日前に馬車にて、このゼルテスの地に到着していた。
「ホーゲルヴァイデ次官、卿の着席を認める」
其れがカイとファイヘルの将軍と為る儀式のアムリートの第一声であった。
兵部次官は皇帝に向かって、一礼をして着席する。列席者はこの様な軍の高官たちと、ゼルテスの大本営に居る高級士官たちと、数名の典礼省と吏部省の高官たちだ。
高級士官たちの中には、上級大隊指揮官で、装甲車両部隊総監のカレル・ヴィッツ指揮官も居る。
アムリートの左右には、侍従武官の高級士官と皇帝副官のハイケが控えている。
白を基調とした、近衛隊長を初め、数十名の近衛隊もこの広間に警護役として、周囲に散らばっている。
「先ず、ファイヘル・ホーゲルヴァイデを将に任じ、次にカイ・ウブチュブクを将、及び貴族と叙位する儀を執り行う」
アムリートがそう述べると、彼の左に控えた侍従武官が進み出て、ファイヘルの名を呼び、皇帝の面前まで進み出る事を命じた。
ファイヘルが歩み出すと、両側の高官たちは右拳を左胸に当てる敬礼をして、直立不動の姿勢を取る。
皇帝は、侍従武官から受け取った任命書を受け、座から立ち上がったが、長身で数段の階上故に広間全体を睥睨する様な格好と為る。
皇帝の前に着き、片膝を付き、平伏したしたままのファイヘルに、アムリートは任命書の内容を読み、ファイヘルを立ち上がる様に促し、正式に将として任じた。
そして、任命されたファイヘルは将軍たちが居並ぶ列に入る。位置は座している父親の隣だ。
だが、親子は目を合わせず、言葉も交わさず、只じっと姿勢を正す。
続いて、カイの番と為った。ファイヘルと同じ手続きをしたが、其の後に典礼省の高官が進み出て、カイを「武散士」、と云う貴族階級に列する勅許状を皇帝に渡す。
アムリートが其の内容を読み上げると、最後にこう付け加えた。
「処で、カイ。卿は荘園として、カリーフ村、トラム村、どちらを選ぶ?両方でも構わぬぞ」
つまり、カイは村一つ二つを荘園として所有する事が認められたのだ。
故郷のカリーフ村も、別邸の在るトラム村も、どちらも人口が五百名にも満たない。
だが、荘園主として、彼らの納める租税の半分は、貴族として、カイ本人の収入と為る。
カイは、皇帝の右隣りで控えている弟のハイケを見て言葉を発した。
「臣はレラーン州の村トラムを荘園として、拝領致したく存じます。カリーフ村は臣の弟が正嫡として領すべきかと」
謂ってみれば、カイはウブチュブク家の後継を弟のハイケに譲った形と為る。
将来ハイケがカイと同じく、「散士」に任じられたら、カリーフ村を荘園とさせる為だ。
ハイケは頭を垂れ、神妙にこの儀式に臨んでいたが、この兄の配慮に内心では、感謝と困惑が混ざってしまった。
「全く、卿は家族思い、兄弟思いだな。今月中はラースと共にウブチュブク家の四名はトラムでの休暇。ファイヘル・ホーゲルヴァイデは数日間、兵部次官と此処で過ごし、ラテノグ州の司令官を今月末まで任せる。両将軍の部隊編成だが、暫しラース・ブローメルトの下に就き、追って故マグヌス・バールキスカン将軍が率いていた将兵を追加配属する物とする」
そして、アムリートは「昼食は皆と共にしたい」、と言って、侍従武官と典礼省と吏部省の高官たちと別室で、詳細な任命書の確認作業に赴き、広間は昼まで軍高官たちの歓談の場と為った。
カイの元に、兵部尚書のヨギフが笑顔で歩み寄る。この年で七十歳に為るとは思えぬ、力感と律動的な所作だ。
「カイよ。いや、ウブチュブク将軍。この様な日が来るとは、全く思わなかったぞ。ガリンも喜んでいるだろう。無論、卿の其の地位はガリンの威光に因る物では無い、卿自身の武功と真摯さに因る物だ」
「尚書閣下、有難う御座います。本格的に将として自負するのは、バリス、エルキト、テヌーラの脅威を完全に退けてから、と思っています。此処ゼルテス市の市民が一日も早く、通常通りの生活に戻られる事が第一です」
ヨギフはカイの身体を軽く叩き、目に涙を潤ませた。彼は十五年以上前から、一貫してガリンを将とする様、当時の軍首脳部や吏部省を説得していたのだが、其れが悉く跳ね返された事を思い出している。
ガリンが健在なら、この年で六十歳に為る。
兵部省の役人がカイとファイヘルに、将軍用の軍装一式を差し出した。
将と高級士官は濃い緑で共通しているが、将用は飾りや意匠が凝っている。今二人が着ている高級士官用の軍装も、手直しで将用に変更出来るので、着替える事を依頼された。
別室で着替えたカイとファイヘルが現れると、「おお」、とざわめきが起こり、歓談は一層華やかに為った。
軍装と云えば、数名の高級士官が全身黒を基調とした物を着ている。カレル・ヴィッツ総監を初め、装甲車両部隊関係者は黒色が基本なのだ。
市庁舎の二階にある大会議室で、皇帝と諸将による昼食が催され、流石に前線故に豪奢な料理では無かったが、赤や白の葡萄酒は大いに振る舞われた。
カイとファイヘルは、アムリート帝自ら、葡萄酒を杯に注がれる栄誉を賜った。
この日の午後の三の刻には、ウブチュブクの四兄弟とラースが、レラーン州のトラムへ出立し、ファイヘルは数日間だけ父と共に残る。其の後、ファイヘルは共に来た五名の士官とラテノグ州へ、父のヴァルテマーは帝都ウェザールへ帰る。
「では、ホーゲルヴァイデ将軍。ラテノグ州の事は、暫し宜しく頼む」
ラースがそう言い騎乗の人と為る。ファイヘルと五名の付添いの士官は、右拳を左胸に当てる敬礼をして、見送った。
現在、ラテノグ州のプリゼーン城はラース直下の高級士官が治め、奪取したバリスのラテノグ城塞は、ヴェルフが統括している。全体の総責任者はヴェルフだが、ファイヘルが戻れば、彼がこの一帯の司令官代理と為り、ヴェルフが主席幕僚代理と為る。
カイは内心、其の状態を心配したが、参軍のレムン・ディリブラントや、女子部隊指揮官オッドルーン・ヘレナトが上手くヴェルフを制御してくれるだろう、と自らに言い聞かせた。
「俺の身内は、昨年十二月にフレーデラと会ったが、考えてみれば卿の母親は未だ孫に会っていないのだろう。俺が先に会って好いのかな?ウブチュブク将軍」
「問題無いですよ。私の母は、近くに住む私の直ぐ下の妹が二人の子を儲けているので、彼らにしばしば会っていますからね。幼子や赤子に会う事など、何時でも構わないでしょう」
馬上で、カイとラースが話し込む。昼食に酒を呑んだ事もあり、この日は宿泊予定地の軍施設までゆっくり騎行している。
「兄さん。其れより荘園の事だけど、本当にトラムだけで好いのかい?兄さんなら、両村を選んでも、陛下は認めてくれたと思うよ」
ハイケが兄に普段の感じで語った。少し前に、ラースが「今から休暇の終わりまでは、改まった口の聞き方は止そう。俺たちは兄弟みたいなもんだからな」、と言ったからだ。
「トラムだが、知っての通り、あの地は夏場に暴風雨が多い。ヴェルフのお陰で強固な波止場が造られたが、定期的な検査や場合に因っては補修も必要だろう。俺が頂く収入は、何か有った場合の村の安全に使いたい、と思ってな」
カイはトラムからの収入の大半を基金として、レラーン州の当局に管轄して貰い、トラムの住民や村自体が困った時に、運用する事を決めている。
これならヴェルフ・ヘルキオスの様に、村が困った時に、軍に入り金を稼ごうとする若者は出ないだろう。
「フレーデラは貴族のお嬢様か。でも『散士令嬢』なんて、恰好が付かないな。物語の主役としては不十分だぞ」
「馬鹿だなぁ、シュキン。カイ兄さんは、次は位階が昇進して行くのさ。其の内『男爵令嬢』とかに為るぞ」
晴れて、中級小隊指揮官と為った、ミセーム兄弟の会話に、カイとラースとハイケは笑う。
これから会いに行く、カイの娘のフレーデラ・ウブチュブク散士令嬢は、四人にとっては実の姪に当たるのだ。
近辺の軍施設に到着すると、一行は各部屋へと入る。一人部屋が十室、十人部屋が三室の小さな施設だが、四十人が入れる食堂と風呂場、そして厠が五つ在る。
他に泊まっている軍関係者は居なかったので、全員一人部屋に泊まる事に為った。
3
職員は十名も居ない。ある職員がカイの泊まっている部屋の戸を叩き、出て来たカイに手紙を差し出した。
「本日の午後の二の刻位に、ウブチュブク将軍が泊まりに来たら、これをお渡しして欲しい、と頼まれました。軍の関係者で無く、旅人風で、名を『ナルヨム』と名乗っていました。本当にお知り合いでしょうか?」
カイは瞬時、厳しい顔をしたが、「ご苦労だった。恐らく知り合いだ」、と言って中身を改めた。
「すまんが、一人で読みたいので、暫し誰に入れない様に、お願い出来ないだろうか」
と、戸を閉めて、内容を熟読した。
ナルヨムからの内容は、本日の夜の八の刻に、指定された場所にカイ一人で赴く事、指定された場所の半径二十丈(二百メートル)以内に、カイ以外に人の気配がすれば、即座に自分は退散する事、行いたいのは一対一の話し合いで、何ら危害は互いに加えない事。
これ等が守られれば、ナルヨムなる者は自身に対する、答えられる限りの質問には応ずる、と有った。
カイが「昼食時に酒を呑み過ぎたので、暫く外で夜風に当たりたい」、と周囲に言って、この軍施設を徒歩で発ったのは、夜の七の半の刻。
北へと向かう。道も無い山中へと、カイは目的地に進む。明かりと為るのは、空に輝く月と星空だ。
この日は朝より、ずっと好天が続いている。
葉は全て落葉しているが、木々が多く、枝でやや空の明かりが頼り無く為る。
雪解けで、一面の地の上の葉は湿り、しっかりと歩まないと、滑り転びそうだ。
「其処までです。其れ以上進む事はお止め下さい」
二十尺先に聞き覚えのある声がした。成人男性の声だが、澄んで柔らかな独特の音色だ。
暗闇の中でも薄らと判る、其の姿も見間違いが無かった。ナルヨムこと、パルヒーズ・ハートラウプであった。
パルヒーズは小石をカイの近辺に投げ込んだ。
すると、小石が地に落ちると同時に上方より、矢が射出され、カイの面前に突き刺さった。
「この様に周囲は罠を仕掛けてあります。話し合いが終わった時は、来た方向に対して真っ直ぐ戻る事をお勧めします」
「罠はこれ一つだけで、俺を足止めする為の虚勢とも思えるがな」
「成程、其の手が有りましたか。そうすれば罠を沢山作る手間が省けた」
「…話し合いとは何だ?」
「もうご存知かと思いますが、エレク・フーダッヒが現在のヴァトラックス教の真の師父です。師の目的はスーア市をバリス軍の後方基地として使用して好い代わりに、大戦終了の暁には、スーアにダバンザーク王国を建国し、国王兼尊師と為る事です」
「お前は其の手足と為って動いている訳か」
「フーダッヒ師からすればそうでしょうが、私の目的は異なります。私の目的は同胞の解放と、クラドエ州にヴァトラックス教徒の自治区を造る事です。バリス帝国に同種の村落が在るのはご存知でしょう。あれと同じで監視付きでも構いません」
「何故其れを俺に話す」
「これはバリスの総帥ヘスディーテ殿下も了承している事です。講和の折には、このクラドエ州の自治区の話が出るでしょう。ですのでホスワード軍の高官に、予め言って於いた方が好いと思いまして」
カイはバリス側、スーア市側の状況を理解した。フーダッヒは独立王国を造る為にバリスに通じていて、ヘスディーテは表面上は其れを支持しているが、実際はパルヒーズが望む自治区に対する協力の様だ。
現在、クラドエ州には監視付きでヴァトラックス教徒の村が在るが、祭祀の為の神殿の建立は認められていない。
また、帝都ウェザールの北東に在る収容施設には、貴族を除く、ホスワード内のヴァトラックス教徒が収監されている。
パルヒーズの望みは、彼らの解放と、神殿の建立に因る教団の自治区を造る事である。
「スーア市は如何する?我々は何としてでも攻略するぞ」
「スーア市は要所故、ヘスディーテ殿下はバリスの領土とする心算です。フーダッヒ師の望みは事実上絶たれています」
「…いや、我々とバリス軍が大いに戦い、共に疲弊すれば、フーダッヒの野望は実現の可能性が高く為るな」
「其の通り。ですが、スーア市をバリス領とする事を認め、講和をすれば、フーダッヒ師は捕縛され、ホスワードに突き出されるでしょう。私としてはこれで同胞が解放され、自治区の件も認められれば、自首をするので、獄に繋がれても構いません」
「この話は、お前とヘスディーテ、及び彼に近しい側近しか知らない、と見て好いのだな」
「そうです。当然フーダッヒ師は知りません」
其の後、カイとパルヒーズは遣り取りをしたが、パルヒーズが意外な事を言い出した。
「少し、私の話をしましょう。私の両親は私が十歳に為る前に亡くなりました。そして親類縁者も居なかったので、スーア市の孤児院に引き取られました」
其の孤児院は、当時フーダッヒが事実上管轄していたので、彼は「見込みのある」子供を教団員にしていた。
「私の両親は元より、私の父方の祖父母も苦労をしていました。この祖父の父。つまり、私の曾祖父はホスワードの兵士だったのですが、戦死した為、残された祖父と其の母は、生活に困窮していたそうです」
カイは沈黙していた。戦乱の時代なのだから、同種の事例は多く有るだろう。同情はするが、致し方ない部分でもある。
「この曾祖父は、戦死前にホスワードの辺境で守備兵をしていたとか。処が、其の地で妻子が居ながら、エルキト人の女性を妻とし、『ソルクタニ』なる女の子を儲けたそうです」
「……!」
「少し遠いですが、私には親類縁者がいたんですね、カイ・ウブチュブク将軍。この曾祖父は下士官だったので、兵部省で無く、オグローツ城などの資料をもっと好く調べれば、『ハートラウプ』と云う名が記された人事録が在る筈です」
この話が事実なら、カイたち兄妹にとって、パルヒーズは又従兄に当たる。カイは沈黙を続けていたが、混乱を極め、口から言葉が出て来る事も、其の場から動く事も出来ない。
「では、これにて失礼します。初めに言った通り、来た方向に戻る事をお勧めします」
まるで闇に溶け込む様に、パルヒーズの気配は全く無くなり、カイは忘我の状態から、己の身を戻した。
カイはそのまま真っ直ぐに進む。不審な箇所が幾つも在り、怪我は一切しなかったが、矢が射出される罠が五つ、落とし穴が三つ、更に、太さが十五寸、長さが二尺の丸太が飛び出る罠まで確認された。
「…あの細身の体で、好くこれだけ罠を作り上げられる物だな。我が一家で養っていたら、俺の部下として騒乱部隊を率いて貰いたかった程だ」
誤って誰かがこの罠に引っ掛からない様に、罠の解除に時間を取られたので、カイはパルヒーズの追尾を諦め、軍施設に戻った。
翌朝、五騎は一気に速度上げて、ホスワード帝国の一番の南西部のレラーン州へと奔る。
カイはラースたちに昨夜の一件を話さずにいた。
自分の心の整理と、実際にオグローツ城での将兵の人事録の問い合わせの結果、全てを話す心算である。
進むにつれて、大気の冷たさは徐々に和らいでいき、付近には降雪の跡が少なくなる。
人馬の吐く息も、ほんの微かに白いのが出るだけで、一日中奔ると汗が出る程だ。
十四日の昼前には、一行はレラーン州に入り、数刻後にはトラムに到着した。
厩舎に馬を預け、荷物を下し、五名はウブチュブク邸に向かう。
トラムの住人も昨年の五月と十二月に、皇妃一家が来ていたので、貴人に対する免疫は出来ているが、カイの身なりが豪奢な将の軍装なのには驚いていた。
同じ将の軍装のラース、同じやや濃い緑の高級士官のハイケ、緑の下士官のミセーム兄弟。
一際背が高く、屈強なカイを先頭に、全員が百と九十寸(百九十センチメートル)前後の、カイの義兄と実弟たちは村内を歩き、ウブチュブク邸に到着した。
4
帰宅を告げると、ヴェルフの大叔父が出て来た。カイは約二カ月振り、ラースは去年の七月に一週間ほど滞在していた。ハイケとシュキンとシュシンは二年半近く振りだ。
「そろそろだと思いましたので、風呂の用意はしてあります。赤子のいる家ですからね」
カイは礼を言う。確かに五人とも厚手の外套着て、帽子は耳まで覆える厚手の物を身に付けている。この地ではやや厚着に過ぎるので、五名はかなりの汗をかいていた。
赤子を抱いたレナが現れ、当然伯父のラースと、叔父たちのハイケたちは、興味津々に覗き込む。
「ほう、何とも可愛いな。エラか。おっと失礼、先ずは父親が挨拶するのが先だな」
ラースたちはレナから離れ、カイが進み出る。
「ただいま。レナ、エラ。この通りちゃんと無事に帰って来たぞ」
「早くこの子を抱き上げたいのなら、お風呂に行ったら?」
「そうだな。ではラース卿、皆、風呂へ行こう。おじさんとおばさんには五人分もの衣服を担当させて、申し訳ありません」
「カイよ。如何も卿は、レナの指で引っ掻き回せれている様だな」
「そんなに悪い気分ではありませんよ。ラース卿も早く自分を操る御方を見つけないと」
「まるで陛下みたいな事を言う」
五名は軍装を脱ぎ、ヴェルフの大叔父が受け取る。そして、十名はゆったり出来る風呂場へ向かった。
「然し、ガルガミシュ尚書閣下は奇矯な御方だな。カイが生まれた時は、身一つでカリーフ村を訪れ、この様にあやしていたとか」
風呂から上がり、ラースはカイから託されたエラを抱く。エラは笑いながら、風呂上がりの為、伯父の後頭部の結を解いた長い髪を引っ張るので、「こいつは叶わん」、とラースはカイにエラを返す。
「駄目じゃないかエラ。伯父さんの髪は玩具じゃないぞ」
其処で夕食が揃った事を告げる声が聞こえたので、一同は居間から食堂へ向かう。
この日の料理は鱠が中心で、レナは医師から生ものを食べても好い許可を得ている。
一週間後、ウブチュブク邸に軍関係者からの書類が届いた。カイは其れを改めると、一同に「夕食後、話がある」、と言い、エラを寝かしつけたら、居間でレナも含めての話し合いの場を儲けたい旨を告げた。
謂うまでも無く、パルヒーズ・ハートラウプの事である。書類は遥か北方のオグローツ城から取り寄せた物だ。
あの例の一夜の後、カイは翌朝にオグローツ城に「九十年程前に『ハートラウプ』なる下士官は所属していたか」、と問い合わせの文を送っていたのだ。
ソルクタニがガリンを産んだのが三十歳位なので、計算としてはそうなる。
そして、実際に九十年以上前にオグローツ城登録で、西方の砦の守備兵として、ハートラウプなる下士官が所属していた事は事実で、其れより約十年後、中央軍に配属し、戦死した事まで記されていた。
また、この一夜にはカイは帝都の兵部省と、帝都の在るウェザール州の隣のリプエーヤ州に書簡を出していた。
これ等は完全な軍の人事に関する依頼である。
夕食が終わり、居間でカイが淹れた茶を前に話し合いが行われた。
カイ、ラース、レナ、ハイケ、シュキンとシュシンだ。エラとヴェルフの大叔父夫婦はもう寝ている。
先ずカイは、このウブチュブク邸へ向かう初日に、国事犯パルヒーズ・ハートラウプに会った事を話した。
一つの手紙と一式の書類を、此処でカイは出す。手紙は「ナルヨム」なる者に因る、カイが一人で来る条件を付けた、例の手紙だ。
そして、カイはフーダッヒの野望と、ヘスディーテとパルヒーズの其れに対する相違、最後にパルヒーズが自分たちウブチュブク家の遠い親類である事を告げた。
「これは…、当然陛下や重臣たちにお伝えするが、最悪の場合、軍の重鎮の中には、カイの貴族階級を取り上げ、将を解任しろ、と主張する者が出るぞ。無論、俺はそうなったら断固反対するし、陛下も理解して下さる筈だ。だが、軍中でウブチュブク家に向けられる目は、厳しい物と為る事を覚悟せよ」
「其れは承知しています。ですが大局をこれで我々も相手も判断が迫られるでしょう」
カイが言うと、ハイケが冷静さを取り戻し、分析した。
「先ず、本朝としては、ヴァトラックス教徒の自治区を造る事を条件に、バリスと単独講和をする。利点はこれでもうフーダッヒを捕縛出来るので、ヴァトラックス教団の蠢動は国内では完全に無くなる。そして、軍事行動は対テヌーラ・エルキト藩王軍のみに集中出来る。欠点はスーア市が完全にバリス領と為る事です」
「でも其れだと、ラテノグ州を回復したけど、スーアが占領されたまま。次にスーアを回復する戦を起こすと、別の重要拠点がバリスに占領されるんじゃないかな。例えば、メルティアナ城とか」
レナがそう言うと、一同は頷いた。これでは旧領回復の戦をする毎に、逆に其れ以上の重要拠点をバリスに占領される鼬ごっこだ。
「パルヒーズがカイ兄さんに単独で会ったのは、ヘスディーテの許可が有ってだろう。彼としては、これで本朝の首脳部の意見を、この様に分裂させる意味で認めたのだと思う」
カイは改めてヘスディーテの策謀家としての恐ろしさに戦慄した。
「だが、上手く我々も流言を用いて、『バリスはスーアに独立国を造る意志など無い』、とヘスディーテとフーダッヒの間を決定的に分裂させ、スーアを混乱に陥れる事も出来るのでは無いか」
ラースがそう言うと、ハイケは厳しい顔をして語った。
「元々、フーダッヒにはメルティアナ城のガルガミシュ将軍が、見張り役として士官を付けていましたが、バリス側に謀殺された様です。ですので、フーダッヒを謀殺する事も可能でしょう。只、其の様な事態に為った場合、パルヒーズが如何出るか。師が殺される事に抵抗するか、自ら手を掛け師と為り、ヘスディーテの言い成りに為るか」
カイは頭の中で、今までパルヒーズと会って、会話した事を思い出していた。
最初のナルヨム二世の劇から、ついこの間の夜中の対峙。
「彼は仲間を見捨てる男では無い。また、自分が望まない野望に執着しているとは云え、恩人の師を謀殺する男とも思えない」
「何れににしても、私がゼルテスの大本営に戻ったら、この話で全体的な方向が決まるでしょう」
ハイケがそう言うと、シュキンとシュシンが心配そうな顔をした。
「俺たちはラース卿やカイ兄さん、其れにラテノグ州に戻ったら、ヴェルフさんたちが居るけど、ハイケ兄さんは、味方に為ってくれる人が居ないじゃないか」
「皇帝副官の職を辞して、カイ兄さんの主席参軍には為れないのか」
「そんな心配をするな。中途で職を辞めるなど、其れこそウブチュブク家の信用問題に関わる」
「ハイケ、陛下には俺が特別に強く言って於く。また、何か有ったらガルガミシュ尚書閣下を頼れ。あの方なら卿を必ず守ってくれる」
ラースがそう言うと、この夜の話し合いは終わり、各自の部屋で就寝をした。
一月二十六日の昼過ぎ。カイたち五人は又も最前線へ着任する為に、トラムを出発する。
ハイケは、メルティアナ州のゼルテス市の大本営に戻るので、中途で彼とは別れる。
既にラースに因る事情が記された書は、ゼルテスのアムリートの元に届いている筈だ。
特に、「カイを大本営に召還せよ」、との命は出ていないので、少なくともアムリートはこの一件に関しての人事的な処断はしない様だ。
庭先でエラを抱き、あやしていたカイは、レナに戻し、何時もの真夏の様な明るい太陽の様な瞳を彼女に向け、穏やかな口調で出発を告げた。別れの挨拶では無い。また此処で妻と娘に合う為の出発の言葉だ。
「先ずは、ゼルテスでバリスと講和をするか否かが話されるので、其れまでは当地の慰撫が主体と為ろう。ひょっとしたら、もう何も無く戻って来るかも知れんな」
「カイ、周囲に何か言われても過剰反応しない様にね」
「其れはヴェルフに注意した方が好いな。彼奴は自分以外の事と為ると、暴発する奴だからな」
こうして二名の将軍と、一名の高級士官の皇帝副官と、二名の中級下級指揮官たちは出発した。
5
其の数日前、ゼルテス市の大本営では、ラース・ブローメルトに因る書簡で、騒動が起こっていた。
謂うまでも無く、カイ・ウブチュブクが国事犯のパルヒーズ・ハートラウプと秘密裏に会い、彼を捕えもせず逃し、更にはパルヒーズがウブチュブク家の縁類だと知らされたからである。
多くの将や文武の高官は、カイの将と散士階級の取り上げや、ハイケの皇帝副官の解任を主張した。
「寧ろ正直に自らの行動と出自を明らかにした、カイ・ウブチュブクの態度は堂々とし、忠義に溢れている。この一件、黙っていたら、彼はこの様な非難を受け無かった筈だ」
アムリートはそう重鎮たちを制し、続けて言葉を発した。
「若し、ウブチュブク家がハートラウプに繋がるので非難する者は、其の前に、余のホスワード家がバリスに繋がる事を非難せよ」
ホスワード朝の始祖メルオン、バリス朝の始祖コクダンは、共にプラーキーナ朝の事実上の最後の皇帝ダーム三世の実の姉たちを正妃としていた。
其処から現在まで両家は続いている。更に両王朝の歴代の皇帝たちの大半は、プラーキーナ貴族の令嬢を皇妃に迎えていた。
両帝国に分かれているとは云え、彼らプラーキーナ貴族たちは長年に亘って、複雑な縁戚関係を持っている。
アムリートとヘスディーテは、流石に兄弟や従兄弟程、血は近くは無いが、又従兄弟程度には近しいのだ。
ハイケがゼルテス市に戻った。流石に士官以下は状況は知らされていないらしく、通常の敬礼をハイケは受ける。
だが、主君へ帰還の連絡をする為に市庁舎に入ると、周囲の文武の高官たちから、奇異な目で見られた気分がしたのは、過剰な思い込みか。
ハイケがゼルテスに戻った翌日の一月三十一日。市庁舎の大会議室で、高官たちを集め、大戦の指針を定める御前会議が開かれた。
アムリートは先ず、各自に自由に発言せよ、と命じ、各自が意見を言い合う状況と為った。
纏めると、武官の大半はスーア市に流言を放ち、混乱に乗じてスーアの攻略。文官の大半と武官の一部はバリスとは講和して、フーダッヒの身柄を確保し、大戦の相手をテヌーラ帝国とエルキト藩王国に集中すべきだと主張した。
「この狙いは、バリス側の窮状が苦しいとも取れる。我が方にこの様な意見の分裂をさせ、少しでも時間を稼ぎたいのだろう。流言だが、当然ヘスディーテは其れを行われる事を承知で遣っていると思う。既にスーアに進駐して一年近く。何らフーダッヒの要求を叶えていないのだから、最早両者の関係は冷え切っていると察する」
アムリートは兵の再編成を、一週間以内に次の様に行い、スーア市奪還の方向で指針を纏めた。
ラテノグ州の装甲車両百五十輌は、ゼルテスに配置する事。
バルカーン城は歩兵五千を残し、騎兵五千をラテノグ州へ、歩兵五千をゼルテスへ。
ウェザールの帝都防衛軍から、水戦の戦いが豊富な者を三千をボーボルム城へ。
残りのウェザールの帝都防衛軍は、数千を帝都守備兵として残し、オグローツ城の四万と合流して、対エルキト藩王国へ向ける。
ゼルテスの装甲車両百五十輌と重騎兵一万を、メルティアナ城の対テヌーラに向ける。
そして、再配置後は、以下と為る。
ラテノグ州。将ラース・ブローメルト、ファイヘル・ホーゲルヴァイデ、カイ・ウブチュブク。合計兵力は軽騎兵一万、重騎兵一万。目的、エルキト藩王国との対峙。
オグローツ城付近。将ティル・ブローメルト、ルギラス・シェラルブク。合計兵力は軽騎兵が四万五千(内女性が一万騎)、歩兵が一万。目的、エルキト藩王国との対峙。
バルカーン城内。将ギルフィ・シュレルネン。合計兵力は歩兵が五千。目的、バリス側の動向報告を主任務。
ボーボルム城内。将アレン・ヌヴェル。合計兵力は水兵が一万三千。目的、テヌーラ水軍との決戦。
メルティアナ城内。将ウラド・ガルガミシュ。合計兵力は歩兵が八千。重騎兵が五千。目的、攻囲するテヌーラ軍を援軍と連携しての撃破。
メルティアナ城外。将ルカ・キュリウス。合計兵力は重騎兵一万。装甲車両が百五十輌。目的、攻囲するテヌーラ軍を城内軍と連携しての撃破。
ゼルテス大本営。皇帝アムリート。合計兵力は重騎兵一万五千。軽騎兵五千。歩兵四万五千。装甲車両百五十輌。目的、スーア市攻略。
「メルティアナ城のテヌーラ軍を、先ず確実に一掃する事が前提だ。其の後、一部の水上の戦いが豊富な者をボーボルム城への援軍、メルティアナ城に守備兵を数千残し、ウラド・ガルガミシュを主将として、卿らはバリス領へ其のまま雪崩れ込め」
アムリートは、メルティアナ城の支援部隊の、キュリウス将軍とカレル・ヴィッツ総監に、強く言い渡した。
両者は右拳を左胸に当てる敬礼をして、早々に出撃準備に入る。
此処で最も難しいのは、対エルキト藩王軍との戦いだろう。ラテノグ州の駐在軍も全て出撃させるが、バリス側が再奪取に侵攻しないとも限らない。其の為バルカーン城のシュレルネン将軍には絶えず注視して貰う。
場合に因っては、ラテノグ州軍の二万騎の内の軽騎兵一万は、全軍踵を返して、ラテノグ州へ戻り、対バリスの迎撃に赴くかも知れない。
そして、現状の対峙相手の兵力は以下と為る筈だ。
テヌーラ軍。ドンロ大河上の水軍が約一万五千。メルティアナ城攻囲軍が騎兵三千、歩兵三万。
エルキト藩王軍。領土内に騎兵八万以上。
バリス帝国。スーア市に歩騎八万。そして、国内に予備兵力として歩騎八万だ。だが、其の内ブホータ王国軍を退けたとは云え、約二万程が西部国境に駐屯している。この二万を使用する可能性は少ないので、純粋な予備兵力は六万近くだ。
ハイケが「陛下」、と主君に声を掛けた。皇帝副官の立場上、ハイケはアムリートの隣に座している。
周囲の軍高官の何人かは、厳しい目をハイケに向ける。
「ラテノグ州の車両の内、十輌は除雪車です。当地の事を考えると、この十輌は残した方が宜しいかと」
「そうだった。ラテノグ州からの車両は、除雪車以外の百四十輌に改めよ」
各地へ飛ばす勅諚を記していた書記官は、言われた通りの内容に変更する。
カイ、ラース、シュキンとシュシンが、プリゼーン城に戻ったのは、二月一日だった。
当地は当然一面の銀世界である。ホスワード帝国の一番の南東から、一番の北西へ移動したのだが、帝国内の主要道路や河川は、民間が使用する時間帯の制限、又は使用禁止にしているので、中途からの雪中を除けば、問題無く到着出来た。
プリゼーン城は司令官代理として、ヴェルフが統括していて、其の旗下の兵も「大海の騎兵隊」が中心だ。
ファイヘル・ホーゲルヴァイデ将軍は、奪取したラテノグ城塞にて、城塞の修繕と、恢復した周辺地域の慰撫を行っている。
この地の住民は数年間だが、バリス帝国の住民とされていたのだ。
尤も、十にも満たない村落だけで、総人口も千名にも満たないが。
「ヘルキオス指揮官、ご苦労だった。明日、俺はラテノグ城へ行くので、ウブチュブク将軍の補佐を頼む」
「承知致しました」
ヴェルフは右拳を左胸に当てる敬礼をしたが、改まった場は此処までで、カイはプリゼーン城内の会議室で、ヴェルフを初めとする「大海の騎兵隊」の幹部を集めて、例のパルヒーズとの邂逅について話し合いたい、とラースに願い出た。
「ま、だから何だ、って感じだな。ハイケの言う様に此方の首脳部の意見を分裂させるのが、主目的の活動だろう」
ヴェルフはそう締め括り、参軍のレムン・ディリブラント以下も同種の感想を持った。
翌日、ラースが僅かな供回りと、ボーンゼン河の西に在るラテノグ城塞へ発った。
其の数刻後にゼルテスの大本営から、以下の勅諚を受けた。同種の書簡はラテノグ城塞にも飛ばしているので、カイからラースへの連絡は不要、と補足された。
先ず、除雪車を除く百四十輌の装甲車両をゼルテスへ向ける事。
バルカーン城から騎兵五千が補充される事。
東側のオグローツ城付近で、ティル・ブローメルト将軍が歩騎五万五千を統括しているので、バルカーン城からの騎兵の補充が到着次第、この北方方面軍に参加する事。
目的はエルキト藩王国との決戦である。
6
この日、プリゼーン城には、帝都ウェザールから、一人の士官の姿の騎行した若者が到着した。
アルビン・リツキと云う者で、彼はカイとヴェルフが最初にバルカーン城で部下にした二十名の内の一人である。
但し、アルビンは中途で軍を離れ、ウェザール州の東隣に在る故郷のリプエーヤ州で役人の道に進んだのだが、将と為ったカイが「自分の副官をする気は無いか」、と直接手紙を送り、彼は其れを快諾し、帝都の兵部省で登録を済ませ、新任士官としてプリゼーン城に遣って来たのだ。
「有難う、アルビン。以前より俺の副官をしてくれるのは、卿しかいない、と思ってな。勿論、平時に為ったら、リプエーヤ州での業務に再び就ける様に差配はする」
「お国がこの状態ですからね。帝都防衛軍の様に軍の経験者は将兵に志願しています。ウブチュブク将軍の副官を拝命されるなど、大変名誉な事です」
アルビンはカイと同年で、この年で二十七歳に為る。彼はカイより、四十寸以上は背が低く、細身だ。戦場に於ける武芸は、「自分の身は自身で護れる」程度だが、馬術に優れていて、カイは当初「大海の騎兵隊」の水上騎兵突撃部隊はアルビンを初め、小柄な男性で構成する案を持っていたのだ。
こうして、カイ・ウブチュブク将軍の幹部が決まった。
副将である主席幕僚がヴェルフ・ヘルキオス上級大隊指揮官。参軍がレムン・ディリブラント下級大隊指揮官。女子部隊指揮官がオッドルーン・ヘレナト上級中隊指揮官。副官がアルビン・リツキ下級中隊指揮官だ。
早速、カイは全身黒づくめの軍装の五十近い男を執務室に呼ぶ。
この地に於ける、百五十輌の装甲車両部隊を纏めている、中級大隊指揮官だ。
「この陛下からの書簡に有る様に、卿ら装甲車両部隊はゼルテスへの出発の準備をしてくれ。除雪車の十輌は残す」
「勅命、拝領致しました。では、即座に移動準備に取り掛かります」
右拳を左胸に当て、職人肌の無駄口の少ない黒衣の中年の指揮官は退出する。この黒衣の左胸には、高級士官の場合には、黄金色の三本足の鷹の意匠が配されている。
カイの執務室では、早速アルビンが対応する書類業務をする。役人として働いていたので、お手の物である。
この日の夕食、食事棟ではトビアス・ピルマー上級中隊指揮官を初め、例の二十名が揃い、アルビンを中心に盛り上がっていたので、カイは特例で升の杯(約一リットル)までの麦酒の飲酒を許した。
ヴェルフも其の輪の中に加わり、盛り上がりが加速する。
二日後、除雪車がある程度南への進行方向に雪を掻き分けたので、装甲車両百四十輌は、ゼルテスへと出発する。
同日に、バルカーン城から五千の騎兵が、プリゼーン城に入城した。
ラテノグ城塞には五千騎が、プリゼーン城には一万五千騎の規模と為り、ラースとファイヘルがプリゼーン城に戻り、今後の指針を決める会議が主催された。
カイたちからは、副将のヴェルフ、参軍のレムン、そしてカイの新任副官のアルビンが書記役として参加した。
「明後日までに、両城塞に其々百程の守備兵、及び連絡兵を残し、全軍オグローツ城付近へ進発する。若しバリスが再度ラテノグ州へ侵攻して来たら、ウブチュブク将軍が反転して対応する物とする。相手の規模にも因るが、五千から一万五千の軽騎兵で向かう物と思ってくれ」
補足として、現在バリス国内の予備兵八万は、ブホータに対する守備軍と、国内労役を行っているので、侵攻の可能性は少なく、有っても数千程度である。これはバルカーン城のシュレルネン将軍からの情報だ。
「当地に着いたら、我々はティル・ブローメルト子爵閣下の指揮下に入る」
ラースは父の指揮下に入る訳だが、完全に公私を分けた言葉使いで続ける。
カイとしても義父の指揮下なので、ラースの態度を見習わなければ為らない。
総司令官がティルで、彼に因り、ラース、カイ、ファイヘル、そしてシェラルブク族の族長デギリの息子のルギラスが率いる兵が決められる。
オグローツ城付近では、このルギラスが四万五千の軽騎兵を統括しているが、内一万はシェラルブクの女性で、三万程がシェラルブクの男性で、ホスワード軍は五千程である。
この五千は故マグヌス・バールキスカン将軍旗下の者たちなので、先ず彼らが二分されて、カイとファイヘルの旗下と為るだろう。
ティルが帝都防衛軍から、数千の兵を帝都の守りに残し、歩兵一万を率いて、当地へ総司令官として赴く。
カイはひょっとしたら、このブローメルト子爵が率いる兵に、帝都防衛軍に参加しているモルティさんも入っているのかな、との思いが過った。
若し、共に居たら頼もしくもあるが、カリーフ村で彼の帰りを待っている、モルティの妻の事を思うと、やや心苦しい、背反した気持ちを彼は抱いた。
ホスワード帝国歴百五十九年二月六日。ラテノグ州に集結している騎兵約二万は、やや北寄りの東部へと進発する。
カイが直接率いる部隊は五千騎程で、内二百五十騎が女性だ。全て軽騎兵である。
耳も覆える厚手の帽子と外套に身を包み、灰色の空から、気まぐれに降る粉雪の中で進軍する。
中途までは、プリゼーン城の十輌の除雪車で、多少は道上の雪は掻き分けられていたが、ある程度進むと、もう雪深い道なので、速度は若干遅く為る。
十日までには、目的のオグローツ城付近に到着しなければ為らない。
対峙するのは、南方生まれの北の狼、可寒クルト・ミクルシュク率いる、恐らく大陸で最も精強な騎馬軍団だ。
第三十五章 大陸大戦 其之捌 親族 了
下級貴族階級の名称ですが、「帝国騎士」だと、なんか違うな~、と思っていたので、
「(帝国)勲士」、「(帝国)散士」という変な名称を付けました。
シュキン君が言ってるように、「散士令嬢」なんて変ですね。
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