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第三十三章 大陸大戦 其之陸 一時の休息

 前々から「美丈夫」と書いて「イケメン」というルビを振るべきか、どうか迷っていましたが、結局していません。

 もし、「美丈夫」と言う言葉があったら、「イケメン」と同義語と思って下さい。

第三十三章 大陸大戦 其之陸 一時の休息



 ホスワード帝国の最も北西に在るラテノグ州の、更に北西の箇所は、二年半の前の戦いで、バリス帝国に奪われた。

 ラテノグ州全体からすれば、約七分の一程、人口は大きな市が無い箇所なので、一千にも達しない。

 其の奪われた箇所は、ボーンゼン河が南西から北東へと流れ、更に緩やかに南東へ流れる弧に沿った、西側がバリス領だ。

 このちょうど、弧の頂点の部分に、占領直後より、バリス帝国の城塞が造られた。

 バリス側は、これを単に「ラテノグ城塞」と呼んでいた。

 其のボーンゼン河の対岸から、二里(二キロメートル)程、東へ離れた箇所に、ホスワードの城塞がある。

 こちらは近辺の市から名を拝借した、「プリゼーン城」だ。

 現在、五月も過ぎているが、この地は未だに吐く息が白い時や、粉雪が舞ったりとか、厚い灰色の雲に空が覆われる事が多い。


 プリゼーン城の司令官は、ラース・ブローメルト将軍で、彼はホスワード帝国軍で最年少の将軍である。

 このホスワード帝国歴百五十八年に、彼は三十歳に為る。

 ラースは身の丈が、百と九十寸(百九十センチメートル)近くある偉丈夫だ。

 だが、其れより目を引くのは、薄茶色の髪を額から綺麗に後ろに撫で付け、首筋の辺りで、編まれて二十寸(二十センチ)程垂れ下げ、更に両側頭部を綺麗に剃り上げた、頭部だろう。

 顔も眉目が端正で、特に薄灰色の目はやや蒼みを帯びていて、帝都ウェザールでは貴族の令嬢から、市井の若い女性まで、広く美丈夫との評判も高い。


 部下の将兵たちの忠義は高く、全員年長の将たちも、彼には敬意を持ち、何より皇帝アムリートの信頼が厚い、と公人としては完璧に近い彼だが、私人としては、母親のマリーカ・ブローメルトから見れば、柔弱に見える様だ。

 其れは、単に彼が未だに妻を娶らず、独身でいる事だ。

 彼の三歳上の姉のカーテリーナは、同年の幼馴染でもある、即位前のアムリート大公殿下と結婚し、彼の五歳下の妹のマグタレーナは、カイ・ウブチュブクと云う、将来有望な若き指揮官と一年前の一月に結婚している。

 ブローメルト家は、家訓と云う程、大袈裟ではないが、貴族の家なのに、結婚は自由恋愛でする事を認めている。

 何時まで経っても、女性を紹介してこない息子が、マリーカにとっては心配の種だった。


 プリゼーン城は一万の騎兵、つまり一万を超える馬も収容出来る程、大きな城塞である。

 この年の二月から、バリスのラテノグ城塞から歩騎二万が、凍結したボーンゼン河を渡り、攻囲に現れた。

 一時期は、ホスワードの北方軍二万騎が夜襲を行い、其れに合わせて、ラースは城内の一万の騎兵を出撃させ、バリス軍を大いに苦しめたが、程無くして北方軍は、北のエルキト藩王軍との決戦の為に、戻ってしまい、未だバリス軍の駆逐が出来ていない状況である。


 バリス軍の主武器は火砲で、この軍にも五十の砲が持ち込まれ、プリゼーン城は砲撃に晒されていた。

 プリゼーン城からは、投石機に水が入った人頭大の護謨弾を飛ばす、対火砲の対策をしているが、効果は「無いよりかはまし」、と云った処だった。

 一つには、直ぐ西にラテノグ城塞がある、このバリス軍は補給が容易だからである。

 更に、ラテノグ城塞には常時一万の兵が詰めていて、プリゼーン城攻囲軍は、交代制で、常に二万の状態で攻囲し、砲撃を浴びせていた。


 出撃もしたい処だが、其れが難しい。

 バリス軍は陣営の周りに、先端が鋭くしてある馬防柵を連ねている。

 この「バリスの馬防柵」の特徴は、移動式と固定式に変える事が可能で、移動式にすると四輪の車輪が動かせるので、手押しにて、騎兵隊への突撃が出来る。

 数年前にバリス軍は、バタル帝のエルキト軍十万騎を壊滅させたが、火薬爆破と同等、寧ろ其れ以上にこの「バリスの馬防柵」の突撃が効いた。

 ホスワードも精強な騎馬隊を揃えているので、「バリスの馬防柵」の威力は、長年の対峙状態から、バリス軍が造り上げた伝統ある攻防装置である。

 そして、この伝統の攻防装置と、新型の火砲で、プリゼーン城は苦しめられていた。


 五月も終わりに近づく頃、上手く夜陰に乗じて、ホスワード軍の他の戦線の将校が、プリゼーン城に入城を果たした。

 其の者は、ラースの義弟に当たる、カイ・ウブチュブクの部隊の者で、彼は六月十日の早朝に、南からカイの部隊が、北東からオグローツ城の部隊が、バリス軍を襲撃するので、其れに合わせて出撃の要請を頼んだ。

「バリスには、あの厄介な馬防柵が在るが、両部隊は例の装甲車両で以て、蹂躙するのだな」

 ラースは確認する様に、このカイからの情報将校に言った。


 カイの部隊の「大海の騎兵隊」は、昨年の八月から十二月まで、このプリゼーン城で任務に就いていたが、其の際、北方のシェラルブク族の領地と、定期的な連絡が出来る様に整備していた。

 シェラルブク族の地はホスワードの北方城塞オグローツ城とも近く、参軍レムン・ディリブラントは、オグローツ城に駐在している、プリゼーン城の攻撃部隊とも、即座に定期的な連絡が出来る様に整備した。

 レムン・ディリブラントは、この年で三十九歳。

 カイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスが、本格的な任務を行った、バリス帝国の諜報時では、上司として、カイが主帥、ヴェルフが副帥と為った「大海の騎兵隊」では、部下として参軍に任命され、二人とはかなり長い付き合いだ。

 彼の実家は、帝都ウェザールの宿屋兼食堂の「ニャセル亭」で、ヴェルフ御贔屓の店である。

 つい先日、彼は高級士官に昇進したのだが、身の丈が百と七十寸に満たず、細身で、然もやや癖のある黒褐色の髪の下に在る顔付きは、陽気な旅商人、と云った感じで、黄土色がかった薄い褐色の瞳も、常に愛想好く輝いている。


「六月六日までに、新型の装甲車両五輌が、ラテノグ市付近へ、もう五輌がリープツィク市付近へ到着予定です」

 カイはレムンの報告を、バルカーン城内の彼に宛がわれた執務室で聞いていた。

「其の新型車両とはどんな物か判るか?」

「詳細は…。ですが、外観はあまり変わらず、内部の操作機能が大幅に変更に為ったとの事」

「まあ、ハイケが考えた物だから、不安点は無いな。俺たちは同日にラテノグ市付近へ到着すれば、好いのだな」

「合流後は、両部隊はプリゼーン城に向かい、予定通り十日の早朝が攻撃開始です」

「では、以降もオグローツ城から来る部隊と、プリゼーン城のブローメルト将軍との連絡は、卿に一任する」

 レムンは右拳を左胸に当てる敬礼をして、カイの執務室から去った。



 カイは改めて、レムン・ディリブラントが得難い人材であると、感心する。

 初めて会った時は、色々と教えて貰ったし、今でも実質、この自分よりも十三歳年長の部下には教えられる事ばかりだ。

 カイは(デスク)から立ち上がり、執務室の窓へ向かい、外を眺める。

 この窓は東を望むので、カイの大きな目の太陽のように輝く、明るい茶色の瞳は、南東へと向けられている。

 遠く、途方も無く遠く、千里(一里=一キロメートル)以上は離れた処に、彼の愛する妻が居る。

 先日手紙が届き、無事に滞在先のトラムに着いた事や、両親と姉である皇妃が、短期間ではあるが見舞いに来た事が記されていた。

 出産の予定日は十一月頃で、定期的に診察に来てくれる医師による結果も、順調だとも記されていた。


 この年内に父親と為る、カイ・ウブチュブクは二十六歳。母親と為るマグタレーナ・ウブチュブクは二十五歳だ。

 執務室内は十分な広さ、高さが在るが、カイが立ち上がると、まるで狭い部屋の様な錯覚を起こす。

 カイの身の丈は、二尺(二メートル)を優に超え、広い肩幅、長く太い手足、厚い胸板、引き締まった腰回り、瞬発力を感じさせる突き出た臀部の持ち主だ。

 高級士官の濃い緑の軍装に身を包んでも、其れがはっきりと分かる、規格外の偉丈夫だ。

 大きな鷹の羽が三つ付いた、同色の縁無し帽子は、机に置かれている。

 屈強其の物と云うべき、首から上は、又違った印象を他者に与える。

 眉目整った凛々しく、歴戦の勇士の風格に溢れた顔付きだが、一方で優しさも感じさせる造りで、殊に太陽のように輝く、明るい茶色の瞳が印象的だ。

 黒褐色の髪は、短く刈り上げているので、其の柔和な表情が好く分かる。

 暫し、窓辺に立った彼は、元の机に戻り、書類の決裁をする。

 上級大隊指揮官である彼は、只戦場で武を誇る以外の、様々な書類業務が有るのだ。


 尤も、カイが書類業務に追われるのは、もう一つには、同じ上級大隊指揮官のヴェルフ・ヘルキオスの存在が有る。

 彼は書類業務は出来なくは無いが、はっきり言うと遣りたくは無い。

 なので、カイが全面的に其れを請け負っていた。

 ヴェルフ・ヘルキオスは、この年に二十九歳。

 カイと共に志願兵の調練を受け、現在まで行動を共にして来た。

 親友、盟友、義兄弟。色々と表現は有るだろうが、其の様な表現で表わせない程の結び付きが、両者には有る。


 ヴェルフもカイ同様の規格外の体格の持ち主だ。

 身の丈は二尺を超え、カイより指を三本程、横に並べただけ低いだけで、其の体付きは、軍装の上でもはっきりと分かる、カイ同様に筋骨逞しい。

 特に日に焼けた浅黒い肌、やや縮れた短く刈った黒髪、鼻や口の造形がくっきりして大きく、太い眉の直ぐ下の大きな目の黒褐色の瞳の眼光は鋭く、初見では、余り近付きたく無い風貌だが、任務外では、表情も言動も陽気の一語に尽きる。

 なので、彼を慕う将兵は多く、今現在も部隊の将兵に対して、お得意の冗談(ユーモア)で、安静(リラックス)させている。


 其のヴェルフの周りには、まるで師と慕うかの様に、双子の若い兵が、常にいる。

 カイの双子の弟たちで、シュキンとシュシンのミセーム兄弟だ。

 ミセームとは、カイたちの母のマイエの旧姓で、何時の間にかウブチュブク家の男子は、一人前、つまり士官と為るまでは、この姓を名乗るのが慣習と為った。

 ミセーム兄弟は、この年で二十歳。然も、下士官の最底辺とは云え、下級小隊指揮官である。

 共に、身の丈は百と九十寸近くあり、一見細身ながら、長い手足は力感と柔軟性の見事な一致で、未だ少年っぽさを残す顔は、褐色の瞳が輝き、兄のカイの様に褐色の髪も短く刈っている。


 バルカーン城の内外では、先日のバリス軍の攻撃に対する修繕が、兵士たちに因って行われている。

 カイたちは、ボーンゼン河の除染作業を主に行っていたが、バルカーン城の司令官のギルフィ・シュレルネン将軍から、出撃日まで城内で休養と取る様に、と言われていた。

 なので、カイの部隊の大半は城内で休み、主に行動している者たちは、カイとレムンを中心に、プリゼーン城とオグローツ城との連携の連絡をする者たちだけだ。


 六月二日。カイたちの部隊約二千騎は、集結地であるラテノグ市付近へと出発した。

 早馬を飛ばせば、二日と掛からず、バルカーン城から、当地に着くが、余裕を持って、集結日の四日前に出発をした。

 進路は北だが、やや西側と為る。道路は整備されているが、ラテノグ州とバルカーン城の在る真南のメノスター州の境は、山地に因って隔てられている。

 一番の低い山に広い山道が整備され、この山道を超えると、ラテノグ州の州都のラテノグ市は、徒歩でも半日で着ける。

 この時期のホスワードの北西部は、気候が好く、雨も余り降らず、朝早くから太陽が輝き、沈むのもかなり遅い時間だ。

 太陽が輝いている時間が長いのだが、時折吹く風は涼しく、この地に居る人々にとっては、一番過ごし易い季節である。


 山道に入ると、一気に体感温度が下がり、寒いとまでは行かなくても、ややひんやりする。

 道は、騎馬が六列並んでも、十分に通れる程の幅だが、当然左右は十五尺以上の高さの森林に覆われているので、真夏でも肌寒いのだ。

 先頭はカイとレムン。そして、女子部隊指揮官のオッドルーン・ヘレナトと、副指揮官のラウラ・リンデヴェアステが並んで進む。其の背後は、女子部隊二百騎程が続き、更に二千近くの軽騎兵、最後尾には二頭立ての輜重車が十輌以上連なり、最後尾には、ヴェルフとミセーム兄弟、そしてトビアス・ピルマーが進んでいる。


 オッドルーンは、この年で三十一歳に為る。彼女はシェラルブクの出身で、ハータと云う十一歳に為る一人息子がいる。夫は息子が生まれる直前に、事故死している。

 なので、彼女の指揮官のカイを見る表情は、常に険しい。

 指揮官殿には、自分の夫と同じ様に、子を見る事無くの死亡は、絶対にさせまい、とレナから譲り受けた薙刀を握り締める力が篭る。


 ラウラは、この年で二十四歳に為る。牧畜が盛んなエルマント州の出身で、馬は幼い頃から親しんで来た。

 ホスワード人でも珍しい、明るい金髪と、薄い碧い瞳の持ち主で、身の丈が百と六十寸に満たず、身体の線も細く、小さな顔の造りは愛らしく、一見すると十代の少女の様だ。

 だが、軍に入って身に付けた、弓や剣の扱いも十分に優れているが、何と云っても右の腰に丸めてぶら下げている、鉄の鞭(チェーンクス)の見事な使い手だ。

 馬上で彼女がこれを振るうと、先端の錘が敵兵の装甲の薄い部分を確実に撃ち、軽装備の敵兵には鉄の輪が撃ち据えられるだけで、戦闘不能にさせる事が出来る。


 トビアス・ピルマーは、上級中隊指揮官の席次に在り、オッドルーンが同じで、ラウラが一つ下の中級中隊指揮官の士官だ。

 この年で三十二歳に為る彼は、数年前にこのバルカーン城でカイとヴェルフの、初めての部下の二十名の内の一員で、身の丈が百と八十五寸程のがっしりした体格と、水戦、陸戦、騎乗、更に様々な特殊任務が熟せる、有為の逸材だ。

 部隊の最後尾で、其々十名の部下をを指揮する、ミセーム兄弟に助言を与えながら、トビアスは進んでいる。

 其のミセーム兄弟の部下達だが、全員シュキンとシュシンより年上だ。

 其れ程、歳は離れていないが、大体二十代前半から後半で、流石に三十代は居ない。



 進軍は順調で、予定より丸一日以上早く、集結地のラテノグ市付近にカイたちの部隊は到着した。

 四日の夜の九の刻近くだったので、陣営と幕舎を築き、最小限の見張りの兵を配して、部隊は休息した。

 翌日の夕近く、五輌の新型車両が見えて来た。

 カイたちが驚いたのは、車両は馬で曳かれず、自走している事である。つまり内部の三十人は帝都のウェザールの西の練兵場の造兵廠から、ずっと走りっぱなしなのか、とカイたちは不思議に思った。

 厳密には六輌で、一輌は輜重車である。これは二頭立ての馬に因って曳かれている。


 五輌から出て来たのは、一輌につき十四名だった。そして、其の軍装は頭の帽子から、下の半長靴(ハーフブーツ)まで、黒で統一されている。

 半長靴は革だけで無く、護謨も使用されていて、足に極力負担を掛けない造りに為っている。

「十四名…、いや、見た限り、二人は上部に乗っていたから、十二名で手押しにて、此処へ来たのか?」

 カイがこの五輌の指揮官である、下級中隊指揮官に質問を発する。

 黒色の軍装の指揮官は、こう答えた。

「中を見れば分かります。どうぞ、ウブチュブク指揮官殿」


 内部は複雑な歯車に因って構成されていた。三人四列が(サドル)に座し、足踏桿(ペダル)を漕ぎ、前の六名が前輪を、後ろの六名が後輪を、其の推進で動かす。

 更に上部の操舵席とは別に、もう一つ席が設置され、此処には手榴弾を持った専門の投擲兵が座している。

 只、敵陣を突破するだけでなく、この車両からも飛び道具の攻撃が出来るのだ。

「流石に、一尺以上の起伏が在る地を超える事は難しいですが、これなら多少の土塁に因る起伏を突破する事も可能です」

 カイは車両指揮官の説明を聞いて、感心を通り越して、半ば唖然としている。

 何でもゼルテス市の百輌の車両も、順次帝都の造兵廠に戻し、この内部機構に改造し、本年度中に百五十輌をこの枠組み(シャシ)に改造した物を揃え、最終的には三百輌まで増産するそうだ。

「一輌に付き、擲弾兵を合わせ、十四名なら、三百輌でも四千二百名で済むわけか。整備員や輜重兵も入れれば、装甲車両の人員は五千を超えるか如何かだな」

 カイは改めて、実弟のハイケに感心した。この弟こそ、貴族に列せられるべきだ、とも思った。

 これならば、通常の歩兵の人員不足を起こさない。

 また、五千と云う人員の数も、上級大隊指揮官である、カレル・ヴィッツ指揮官が装甲車両部隊総監として、責任者と為るに相応しい。


「出撃と攻撃の時機(タイミング)は、我が部隊の参軍が連絡網を造り、一任している。卿らは其れに従う訳だが、好いかな?」

 カイは五輌を率いて来た指揮官に、確認した。

 黒衣の指揮官は、右拳を左胸に当てる敬礼をして、「ウブチュブク指揮官の軍命に従います」、と真っ直ぐに答えた。


 翌日の六日の昼頃、レムンが報告に現れ、リープツィク市付近での、五輌の車両と、オグローツ城から来た二千の軽騎兵が集結している事を、カイに伝えた。

 ラテノグ市はラテノグ州の南部のほぼ中央から東寄りに在り、リープツィク市は州中心よりやや北東に在る。

 目標地である、プリゼーン城へは、カイの部隊が北東へ、オグローツ城からの部隊がほぼ西へと目指す。

 二方向から、バリス軍二万の陣営に強襲を掛ける訳だが、若しバリス軍が偵察で、この自分たちの進軍を知り、全軍を上げて、例えばカイの部隊の殲滅に向かったら、即座にプリゼーン城内の一万の騎兵は、バリス軍の後背を襲う事、等の連絡をレムン・ディリブラントが中心に為って構築されている。


 プリゼーン城を攻囲するバリス軍二万が選択するのは、以下と為る筈だ。

 一つ、其のまま防備を固め、三方向からの攻撃に耐える事。

 一つ、五千から一万程を陣営に残し、カイかオグローツ城からの部隊の殲滅に出撃させる事。

 一つ、兵を三分割して、各自に当たらせる事。

 問題は兵科で、このラテノグ州に在るホスワード軍は、装甲車両を除けば全て騎兵だ。だが、バリス軍二万は五千が騎兵で、一万五千が歩兵なので、大軍での迅速な行動は難しいだろう。

 なので、五千の騎兵が、カイかオグローツ城からの部隊の二千の騎兵の殲滅に向かう事が、一番に予想された。


「是非とも、バリス軍の騎兵は、俺たちの方に来て貰いたいな。存分に可愛がってやるぞ」

 背に斜めに納めた長槍を閃かせ、ヴェルフは陽気さと剛毅さを合わせた、表情と声で言う。

 この様な時、部下達はこの巨躯の指揮官を見て、士気が上がる。

「プリゼーン城からラテノグ市へは、道は整備されていますが、森林や起伏が多く、東のリープツィク市の方へは、平らな平原が続くので、オグローツ城部隊の殲滅に出る事が可能性としては高いです」

 レムンが水を差す様な事を言うので、ヴェルフは不機嫌に為る。

「其の場合は、プリゼーン城の軽騎兵五千が、バリス軍騎兵の後背を襲い、俺たちはプリゼーン城の重騎兵五千と同時に、バリス軍の陣営攻撃に出るのだな」

「はっ、無論、此方にバリス軍が来た場合は、同様の事をする様に、オグローツ部隊には伝えてあります」

 参軍の報告を聞いて、カイは頷いた。若し、殲滅に来なければ、三カ所からの同時攻撃だ。


「もう一つ、バリス側のラテノグ城塞だが、此処にも一万の兵が詰めているのだろう。彼らが出撃して来たら、厄介だな」

「其の場合は、バルカーン城のシュレルネン将軍にボーンゼン河を下って、城塞を扼する様に頼んであります。我らはプリゼーン城に張り付いているバリス軍二万に傾注すれば好いかと」

「うむ。周囲の事は出来る方にお任せしよう。何でもかんでも自分と遣ろうとせず、自分たちが出来る事を確実に遂行する事が大事だな」

 このレムンに対するカイの返答は、曾てレナがカイに言った言葉の流用である。


「何でも()んでも自分で遣ろうとしないの!」

「絶対に無茶は不可(ダメ)!」

 妻の言葉がカイの頭でひっきりなしに響くので、カイはほんの一瞬苦笑してしまった。

「分かってるよ。レナ、君を不安にさせる事は、自身は元より、仲間にも絶対にさせない」

 カイは自分にしか聞こえない言葉を発して、自身を落ち着けた。



 プリゼーン城を目指す、カイたちの「大海の騎兵隊」二千程と、五輌の装甲車両の部隊が、以下の報告を得たのは、八日の深夜近くだった。

 バリス軍の騎兵五千が、東から来るバルカーン城部隊の殲滅に出撃したとの報だ。

「今より、一気にプリゼーン城のバリス軍一万五千を殲滅する為に、昼夜を問わず、進軍する!装甲車両が陣に突撃し、馬防柵が崩れた箇所から、一気に敵陣に雪崩れ込む!」

 カイの命で、即座に部隊は戦闘態勢を整え、猛速度でプリゼーン城へ向かった。


 装甲車両の内部の操作員は半数以下だが、この新型は従来のよりも、遥かに速い。

 馬を軽く駆けるのと同等で、重武装の人馬なら、ほぼ同じ速度であろう。

 上部には操縦者と、其の後ろに擲弾兵が乗っている。

 擲弾兵は五つの手榴弾を用意している。彼ら全員は先のドンロ大河で小型船にて、手榴弾を投げ込んでいた兵たちだ。

 弓程に無いにしろ、如何しても専門の技術が必須なので、現状、擲弾兵の人員は限られている。

 更に、揺れる船体と同じく、揺れる車両から正確に投擲するのだから、即座の人員確保は難しいのだ。


 レムン・ディリブラントは十五名の情報将校を統括している。

 各三名ずつが以下の五カ所に配置されている。

 一つはオグローツ城から来た部隊に、一つはプリゼーン城内に、一つは其のプリゼーン城を攻囲するバリス軍の陣営付近に、一つはバリス側のラテノグ城塞付近に、そして最後の一つがバルカーン城内に残っている。

 五カ所で必ず一名は、其の場に残り、二名が他の四カ所や、カイの部隊のレムンに報告をする様に動く。

 こうして、カイの部隊は、味方とバリス軍の動きが、プリゼーン城を攻囲するバリス軍を至近に見る前に完全に分かった。

 ラテノグ城塞からのバリスの支援軍は派兵されず、五千のバリス騎兵が、オグローツ城からの部隊の殲滅に出撃し、プリゼーン城を攻囲するバリス軍は歩兵一万五千のみで、プリゼーン城からは五千の軽騎兵隊が、このバリスの五千の騎兵隊の後背を襲う為に出撃準備をしている。


 六月十日の早朝には、カイの部隊の突撃車両の五輌は、プリゼーン城を攻囲するバリス陣営の南側から突撃を開始した。

 バリス側も偵騎を放っているので、南からホスワード軍が来る事は事前に知っている。

 其の為、ホスワード軍が突撃に来る箇所は土塁を積み上げ、砲を二十門程、土塁の間の後方に設置させ、砲撃を浴びせる。

 五輌は横に一列に並び、背後に少し離れる様に、砲撃の被害に遭わない様にカイの部隊が控えていた。

 車両は土塁を突破した。抑々、急に造った物で、更に左程の高さで無くても十分に車両突撃は防げる、とバリス側は思っていたので、この土塁は高さが一尺にも満たない物だったのだ。

 五輌の車両は火砲を薙ぎ倒し、更に上に乗った擲弾兵が手榴弾を投げ込み、バリス陣営の各所に爆発を起こす。


「突撃だ!プリゼーン城からはブローメルト将軍が出撃するので、二方向からの攻撃だ!」

 南からカイの部隊の軽騎兵二千と、プリゼーン城の正門である、西に向いた門から、プリゼーン城司令官ラース・ブローメルト率いる重騎兵五千が、バリス陣営の東側を襲撃する。

 ファイヘル・ホーゲルヴァイデ上級大隊指揮官は、五千の軽騎兵を率いて、プリゼーン城の裏門の東から、オグローツ城部隊二千の殲滅に向かった、バリス騎兵五千を追う為に、既に出撃している。


 プリゼーン城の西の正門上部の櫓で、五輌の装甲車両がバリスの馬防柵を破壊しながら進むのを確認した、ラースは全軍の出撃を命じた。

 数はバリス軍一万五千、ホスワード軍は合計で七千だが、バリス軍は全て歩兵で、ホスワード軍は全て騎兵だ。

 更に陣中で手榴弾を浴びせられたバリス軍は混乱を来たし、馬防柵も大半が装甲車両で破壊され、南と東からのホスワード騎兵に一方的に蹂躙された。


 単純に戦場と為った場所がカイの部隊に有利だった。現在の約半数だが、この辺りで「大海の騎兵隊」は、去年の末まで数カ月間、霧深い中でも、夜半でも実戦に近い調練をしていた。

 一気に北へとバリス陣営を駆け、反転して再度の突撃を敢行する。

 先頭はカイとヴェルフが並び、この両者が振るう長槍で文字通りバリス兵の血路が出来上がる。

 其れに続くのは、短弓を速射をする女子部隊だが、指揮官のオッドルーンは薙刀を、副指揮官のラウラは鉄の鞭を振るう。

 そして、其れに続く将兵は、弓を射るか、百と五十寸程の鉄槍を振るう。シュキンとシュシンは、この鉄槍で以て、目につくバリス兵を蹴散らす。

 最後尾にはトビアス・ピルマーと彼が自らが選んだ強兵が、部隊全体を護る様に突き進む。

 カイの部隊は、まるで其れ自体が巨大な槍の様に、バリス軍を南から北へ突き刺し、北から南へと突き刺す事を繰り返した。

 そんな中、ラースの重騎兵が突撃を敢行すると、バリス軍一万五千は完全に瓦解した。


「カイ、見事だ!長距離の進軍で疲れているだろう。西へ逃げて行くバリス兵の追撃は我々がする。卿らは倒れているバリス兵の捕縛を頼む」

 手にブローメルト家伝統の鉄製の薙刀を持った、義兄のラースから命じられたカイは、簡易な軍用の挨拶をして、義兄の指示を自身の部隊に命ずる。

 ラースが率いる五千の重騎兵は、西へと逃げて行くバリス兵を追撃したが、ボーンゼン河の手前十丈(百メートル)に達すると、爆発が生じた。

 対岸のバリスのラテノグ城塞は五十を超える砲を設置していて、其の射程距離は、ラース達した辺りなのだ。


 数十人が乗れる船が何十艘と用意され、逃げて行くバリス兵はこれに乗り、ラテノグ城塞内へと向かう。

 其れを十丈離れた箇所で、只見送る事しか出来ないホスワード軍は、歯痒さを持ったが、これ以上進むと火砲の餌食と為る。

 程無くして、バリス騎兵も敗走して来た、オグローツ部隊とファイヘルの部隊で完全に挟撃され、此方も潰走しているのだ。

 近くに追撃に現れたファイヘルに、ラースは注意の言を発する。

「ホーゲルヴァイデ指揮官!其れ以上は、対岸の城塞の火砲の射程距離内だ。其処で全軍を止めよ!」

「ブローメルト将軍。逃げる敵兵と並走すれば、砲撃の餌食には為らないと思いますが?」

「先程、付近に味方が居たのに、奴等は砲撃して来た。威嚇かも知れんし、本当に味方ごと吹き飛ばす心算かも知れん。敢えて危険を冒すのは止めて於こう」

 ファイヘルは付近で着弾した地が抉れ、朦々と煙が出ている箇所を見詰めていた。


 ホスワード軍は追撃を其れ以上しなかったので、バリス側は一万近い攻囲部隊の撤収に成功した。バリス側の戦死者は五千を超え、残りは全て捕縛された。

 ホスワード側の死傷者は、二月の攻囲戦から数えても、五百名にも届かない。

 この日はオグローツ城から遣って来た二千の部隊が、見張りを買って出て、プリゼーン城内へはカイたちの部隊も入城した。

「この地が心配なら、出世をして改めて来い、と言った覚えが有るが、将か本当に出世して遣って来るとは思わなかったぞ、カイ・ウブチュブク」

「ファイヘル卿の其の言葉が有って、この身分に為れた様な物だ。礼を言う。俺も卿に共に将として轡を並べる日が来ると好いな、と言ったが、其れも現実と為りそうだな」

 カイとファイヘルは同年で同じ地位。ホスワード軍の上級大隊指揮官の最年少である。

 ファイヘルは不機嫌な顔で、「ご苦労だった。ゆっくり休んで於け」、とだけ言って、城内の自室へと向かってしまった。



「カイ、未だ予断は許さないが、これから順次プリゼーン城の将兵は、俺も含めて休暇を取る。司令官職をホーゲルヴァイデと卿が出来るので、先ずは俺が六月と七月に休暇を取る」

 プリゼーン城は一万の兵と一万の馬しか収容出来ない。現在、この地には一万四千の兵と、同数の馬、更に十輌の装甲車両が有る。

 順次、休暇を取る事で城内に全員が入れる様にして、同時並行で城の拡張工事も行われる予定だ。

 ラースが六月終わりから七月全体、ファイヘルが八月と九月全体、カイが十月と十一月全体が休暇予定だ。当然、彼らの率いる部隊も同じ期間が休暇と為る。

「十一月なのだろう、予定日は。これなら丁度立ち会う事が出来るな」

 ラースは笑顔でカイに言う。この義兄は自身をレナの出産に立ち会わせる様に、調整をしてくれたのだ。

 そして十二月に入れば、ボーンゼン河は凍結する。其れと同時に大量に揃えた装甲車両で以て、ラテノグ城塞の攻略が予定されている。


「一旦、帝都の実家に戻ったら、レラーン州のトラムの卿の別邸で、一週間程厄介に為るが構わないかな?」

「構いませんよ。寧ろレナが喜びます。ずっと居ても構いませんよ」

「いやいや、一週間にして、残りはパールリ州の我が別邸で過ごすよ。但し、パールリ州の別邸に俺の母親が滞在して居たら、ずっと厄介に為るかも知れんな。如何しても母とは極力顔を合わせたくない」

 母のマリーカは、ラースに会う都度、兎に角小言が多いのだ。

 ラースは苦笑いして、カイも其れに釣られて、綻んでしまった。


 六月二十日、ラース・ブローメルトは五千の重騎兵隊と共に、休暇へと出発した。バリス将兵の捕虜約四千程を護送してだ。

 同時期に、プリゼーン城の修復と拡張工事用の職人も百名程現れ、早速工事に入る。

 司令官代理はファイヘルが務め、カイは主席幕僚代理と為った。

 オグローツ城から来た騎兵二千は、其のままカイの旗下に入り、更に十輌の装甲車両も一時的にカイの指揮下に入る。


 数日後。遂にホスワード側は待望の情報を伝えられた。

 其れは、バリス帝国の西に在る、ブホータ王国がバリス帝国に八万を超える兵で以て、侵攻したとの報だ。

 バリス側は五万の兵を西の国境に置いていたが、順次兵を西に回している。

 其れもこの二月から始まった大戦で、ドンロ大河、メルティアナ城、バルカーン城、そして数日前に潰走したプリゼーン城の部隊を纏めて、約四万近くの兵を組織して、向かわせているらしい。

 なので、ボーンゼン河のラテノグ城塞に駐在しているバリス兵は一万だけだ。

 おかげで、プリゼーン城の将兵の休暇は、予定通りに行う事が出来る。


「然し、未だにボーボルム城とメルティアナ城は、テヌーラ軍に苦しめられている様だ」

 ファイヘルが代表して言う。特に、メルティアナ城を攻撃しているテヌーラ軍は、近辺の自国領であるカートハージ州で城塞を造り、やはり交代制で攻囲を続けているらしい。

 テヌーラ騎兵隊がカートハージの城塞で休んでいる時は、歩兵を三万近くまで増員して、攻囲する徹底ぶりだ。

 ゼルテスの大本営でも、装甲車両が揃い次第、スーア市に対して猛攻を掛ける予定との情報も得ている。

 十二月までに、ゼルテス市とプリゼーン城に、装甲車両を其々百五十輌を揃え、同時攻略を目指す方向だ。

 バリスを完全にホスワード領から駆逐すれば、テヌーラは自然と軍を引いて行くだろう。

「あのクルト・ミクルシュクが、如何出て来るか分からぬな。この十二月のバリスへの同時攻撃に合わせて、再度のホスワードの侵攻をしてくるかも知れん」

 南方の対テヌーラは別にして、十一月末までホスワード軍の大半は、一時の休息が取れそうだ。


 七月に入りある日、司令官室でファイヘルとカイは定期的な会合の後に、二人きりで珍しく私的な会話をした。

「ファイヘル卿、卿は結婚する心算は無いのか。ブローメルト将軍の様に、煩く御両親から催促されていないのか?」

「…許嫁がいる」

「…成程」

 カイはブローメルト家の定規で測ってしまったが、ホーゲルヴァイデ伯爵家の様な家に生まれたら、結婚など自由意志では決められないだろう。

「失礼ながら、どの様なお方であられるのか。何時婚約が決まったのだ?」

「俺が十歳の時だ。当時相手は四歳だ。彼女が二十に為る年に結婚する事が決められている」

「ふむ」、とカイは頷いたが、計算をすると、其の女性は今年で二十歳ではないか!

「お国がこの様な状態だからな。別に一年や二年先延ばしにしても、問題は無かろう」

 ファイヘルは茶を含んだ。この茶はカイが淹れた物だ。妙な特技がある奴だ、とファイヘルは其の甘露に感心する。


 ホーゲルヴァイデ家のホスワード朝での始祖は、メルオン大帝と同世代の大功ある将軍で、メルオンが帝位に登極すると、彼は大将軍に任じられた。

 息子はメルオン大帝の娘を娶り、其の後、ホーゲルヴァイデ家の跡取りは名門軍人貴族、プラーキーナ系貴族と交互に婚姻する事が習わしと為り、ファイヘルの父のヴァルテマーが名門軍人貴族のワロン家から妻を迎えた為、自然と次のファイヘルは、プラーキーナ系貴族との婚姻が決められた。

 其の貴族は、プラーキーナ帝室家から派生した歴史ある公爵家で、現当主、つまりファイヘルの許嫁の父親だが、彼の祖母は、第三代皇帝ゲルチェルの長子の娘に当たる。

 ゲルチェルの長子は父に先立って、二人の幼い娘を残して没した為、四代皇帝は次子のマゴメートだ。

 この二人の娘は、成長すると、其々プラーキーナ系貴族に降嫁した。


 ファイヘルは、百と八十五寸(百八十五センチメートル)を越える、堂々たる体格の所有者で、黒褐色の髪は短くし、蒼みがかった薄い茶色の瞳を持った、眉目秀麗な顔立ちの若者である。

 だが、この様に少年の日に、婚約が決まったので、帝都ウェザールでは、ラースの様に貴族の令嬢から、市井の若い女性まで広く、噂話には上がらない。

 実はこのラースと人気を二分するのが、カイの弟のハイケで、カイも一時は人気が高かったが、レナとの結婚以降は、やはり噂話には上がらない。

 一部では、野性味溢れる、「夜の大将軍」ヴェルフ・ヘルキオスの人気も高い。


「彼女と最後に合ったのは、使節団の報告で、帝都に赴いた時だな。処で、卿は最底辺とは云え、貴族に列せられるらしいな。母親がブローメルト子爵家だから、若し卿の生まれる子が女子なら、次は軍人貴族家から嫁を迎えるので、有力な候補と為るぞ」

 カイは自身で淹れた茶を噴き出しそうに為った。未だ産まれていない自分たちの子の将来を決められるとは。流石にファイヘルは冗談で言ったのだろうが、これが貴族の考え方なのか、と改めて知らされた。

「卿の八月からの休暇では、其の婚約者殿と是非ともゆっくりと過ごされよ」

 カイは其れを言うのが精一杯だった。



 ブホータ王国の本格的な参戦で、バリス側の対ホスワードの動きは鈍った。

 時にはヘスディーテ自ら、一時的にバリス帝国の首都ヒトリールに戻り、状況の確認をする。

 一方でホスワード側は、この期間を小休止とした。本格的な対バリスの攻撃は装甲車両三百輌が揃ってからである。

 其の為、ゼルテスの大本営も順次、将兵を交代制で休暇に出させた。

 皇帝アムリート、兵部尚書ヨギフ・ガルガミシュ、大将軍エドガイス・ワロンは、一カ月間のみ各自休暇を取り、常に三者の内二名がゼルテス市に駐在する様に調整していた。

 更に一カ月の半分は帝都で各自の省庁で、業務をしていたので、実質休暇は半月であった。

 皇帝副官ハイケ・ウブチュブクはこの半月ばかりを、故郷のカリーフ村で過ごし、ハムチュース村で姉夫婦に合い、生まれたばかりの甥をあやしていた。


 八月に為り、ラースがプリゼーン城に帰還し、ファイヘルたちが休暇へと城から離れて行った。

 カイの職務は其のまま主席幕僚代理だ。

 カイがプリゼーン城内で遣っている事は、八割がたが書類業務、残りが城内の厩舎の点検で、ヴェルフは完全に城の拡張工事の手伝いをしている。

 彼はこれを率先して行う事で、書類業務を回避している。全く業種は異なるが、漁船の点検業務が豊富なヴェルフは、其れなりに建築関係で役立つし、何より力仕事なら数人分は軽く出来る。なので、城塞の職人たちの信頼も高い。

 カイとしては、寧ろこのヴェルフの活躍を労い、自身には多くの書類業務を課した。


 其の他は、女子部隊は近辺の見回りを、プリゼーン城内の全馬の運動を兼ねて行っている。

 カイの部隊は四千を超えているが、やはり大半はヴェルフと共に城塞の工事の手伝いをしている。

 レムン・ディリブラントは、十五名の直属の情報将校を統括し、バリス側深くを潜入させ、バリスとブホータの戦いの情報収集を主にしている。

 また、司令官をを初めとする高級士官の定期的な会合も行われ、これには流石のヴェルフも参加をする。

 週に一度だが、カイは自部隊の練度と、新規に加わった将兵が居るため、丸一日の調練もしていた。

 昨年も行っていた様に、夜半でも実施したので、注意深くは行っているが、如何しても軽傷者は出る。

 シュキンとシュシンは昨年の今頃は、練兵場で輜重兵の調練をしていたが、この軍事訓練では目覚ましい成果を上げ、長兄のカイを唸らせた。


 九月も終わりに近づく頃、カイはプリゼーン城内の広い会合室に、自身の部隊の士官以上を集めて、何時もの自部隊への連絡事項を話した。

「十月よりの休暇だが、特に帰りたく無い者の名簿を提出する様に。ブローメルト将軍に言って、滞在許可を貰う。作業を命じられるかも知れんが、週に二・三日の軽作業なので、安心して申し出てくれ。帰郷する者は、集合地は例に因って、帝都の練兵場の造兵廠付近とする。期日は十一月の最終日の三日前の午後一の刻とする」


 休暇を終えたフェイヘルたちが、至近に戻って来たのを確認したカイは、翌日からを休暇日とした。

 未だ、プリゼーン城は一万を超える人馬が、収容出来る状態では無いので、速やかな退去が必要だ。

 カイは、ヴェルフと弟二人と共にカリーフ村で暫く過ごし、其の後はカイとヴェルフのみが、レラーン州のトラムに赴く。

 こうして「大海の騎兵隊」は各自、故郷へと出発した。


 プリゼーン城からムヒル州に入り、カリーフ村に辿り着くのは、左程の時間は掛からない。

 早馬なら丸一日の騎行で到着出来る。四騎はゆっくりとは進まなかったが、速度は落としていた。

 単純に現状の民間生活を観察したかったからだ。

 如何やら他の市や村へ行き交う民衆も多く、厳しい外出規制は完全にではないが、一部緩和されている。

「処で、あの気の強い嬢ちゃんは、未だハムチュース村に居るのか?」

「メイユが二人目の子を産んだばかりだしな、セツカは少なくとも本年中は、レーマック家でお世話に為るそうだ。いや、タナスに言わせると、住み込みで家の仕事をしてくれるので、世話をされている、と表現していたが」

 ハムチュース村のレーマック家は、流石に彼ら四人が泊まれる程の広さは無い。

 カリーフ村滞在中に、日帰りで様子を見に行く事しか出来ないだろう。


「其れと家だが、俺たちの祖父母が自邸をある一家に譲って、移り住んでいる。また帝都防衛軍のモルティさんは、七月と八月が休暇だったので、入れ違いだな」

 カイが今のカリーフ村のウブチュブク家の状態を説明する。

 現在の居住者は、母のマイエ、マイエの両親のミセーム老夫婦、モルティの妻、そして末弟のグライだ。

「グライは、家だけで無く、村人を安心させたり、見張り塔までの資材の運搬の仕事をしてたからな。家に着いたら、真っ先に彼奴(あいつ)に感謝しよう」

 カイがシュキンとシュシンに言うと、二人は了承した。


 一行がムヒル州に入り、暫くすると、対面から騎行して来る若者を確認した。

 いや、若者では無い。顔付きは完全な少年である。迎えに来たグライだ。下馬したグライは元気よく言葉を発する。

「兄さんたち、ヴェルフさん。お疲れ様です。幾つか荷物を俺の馬に載せても好いですよ」

 カイたちも下馬したが、驚くのは十二歳の末弟の背丈だ。二十歳のシュキンとシュシンとほぼ等しい。

 身の重さは百三十斤(百三十キログラム)は有るだろう。一同の中で一番の重さだ。カイとヴェルフでもグライより、二十斤近くは軽い。

「お前、でかく為り過ぎだぞ。何を食ったら、そんな体に為るんだ?」

「こりゃあ、俺たちは来年、此奴(こいつ)に背丈が抜かれそうだな」

 シュキンとシュシンが呆れる。ヴェルフもそうだ。グライのこの姿で、先の感謝の言葉は皆吹き飛んでしまった。

「荷物を載せろって、お前が一番の大荷物じゃないか。然し、これは俺は元より、カイ、お前よりもでかく為りそうだな」

「馬術は、馬に負担を掛けない乗り方を重視して訓練してるんだ。其の代わり、馬上で武勇を誇るのは難しいけどね」

 そう言って、グライは一行の荷物の幾つか自分の愛馬に乗せ、改めてカリーフ村を目指した。



「家の事や、村の仕事を手伝ったり、更には見張り塔まで運搬の手伝いをしていたそうだな。お前の様な子、…いや、もう男だな。そんな立派な男が故郷に居るのは、本当に助かるよ、グライ」

 そう長兄に誉められ、グライは誇らしい顔をした。

 短く切り揃えた、黒褐色の毛はサラサラとしていて、喜びに輝く灰色がかった薄茶色の瞳の顔付きをだけを見ると、やはりまだ子供である。


 程無くして、カリーフ村の門前に到着した五人は、下馬し木柵の門を通る。

 未だ日の暮れる前なので、周囲の村人は、この五人の若者たちに驚く。

 濃い緑の高級士官の軍装のカイとヴェルフ。下士官の緑の軍装のシュキンとシュシン。そして、年齢を超越した体格を持ったグライが、村内を馬を曳いてのし歩くのだ。

 カイは周囲の村人に優しく、陽気に挨拶をするが、最早彼が発する雰囲気はガリン・ウブチュブクと同等、いや、其れ以上かも知れない。

 この時期のカリーフ村は、既に冬の始まりを感じさせる。平地の森林は(オーク)が多いので、紅葉し落葉している。

 団栗(どんぐり)も多く落ち、野生生物の重要な食糧だ。家畜の飼料として、拾い集める者も居る。


 カイとヴェルフのカリーフ村滞在は、二週間にも満たなかった。其の間、シュキンとシュシンを連れ、ハムチュース村のレーマック家へ、日帰りで訪れている。

「御免なさいね、兄さん。若し女の子だったら、名前が使えないでしょう」

 生まれて半年ばかりのサウルを抱きながら、メイユはカイに謝った。名前とは、久しぶりにシュキンとシュシンお兄ちゃんたちに合えて喜んでいる、五歳のレーマック家の長女のソルクタニの事だ。

「まあ、早い者勝ちだから、気にするな。女の子と決まった訳でも無いし、ブローメルト子爵の御両親は既に亡くなっているので、参考としてレナに名前を教えて貰う心算だ」


「カイ兄さんは、お父さんの事を色々と調べていたそうだけど、ソルクタニお婆様以外の人は分からなかったの?」

 そう質問したのはセツカだ。この年に十五歳に為る彼女も成長しているが、身の丈は百とあと少しで六十五寸に届くか、といった処だ。華奢ではないが、細い身体は身軽そうで、事実運動能力は高い。

 義姉のレナに憧れる彼女は、もう少し背丈が欲しいそうだが、メイユとほぼ同じなので、ウブチュブク家の女性はこの辺りが限度なのかも知れない。

「知ったのは、父さんが苦労して、あの家と牧場を持つまでに為った事だ。其れに比べれば、俺は出発点が恵まれている」


 こうして、カイとヴェルフはカリーフ村を後にした。母親のマイエと祖父母のミセーム夫妻には軽く抱擁し、モルティの妻には改めて感謝を述べる。

 グライに対しては、正対し、十二歳の少年の者とは思えない厚く広い肩を、カイは自身の巨大な手で軽く叩いた。これは彼が弟たちだけに遣る挨拶で、一人前と認めた時にする行為だ。

「来年からは、学院だな。お前の十七・八歳の卒院頃には、お国が如何なっているか分からんが、お前が志願兵に応募しても、平穏な城塞勤務で済む様に努力するよ」


 最後にシュキンとシュシンに対しては、上司としての顔で向き直る。

「期日と集合場所は分かっているな。あと、休暇だからと云って、余り酒を呑み過ぎるなよ」

 シュキンとシュシンは右拳を左胸に当てる敬礼をして、カイとヴェルフを見送った。

 改めて、ハムチュース村のレーマック一家にも別れの挨拶をすると、カイとヴェルフはトラムへの騎行速度を上げ、まるで緊急の連絡兵の様に奔った。


 ホスワード帝国歴百五十八年の十月十七日。カイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスは、ホスワード帝国の一番の南東に在るレラーン州の、漁村の村トラムに到着した。

 馬を厩舎に預け、二人の巨躯の男たちは、トラムで一番の豪奢な邸宅へ向かう。

 カイ・ウブチュブクの私邸だ。

 午後の三の刻だったので、広い庭では、男性の老人が落ち葉を集めていた。

「じいさん。帰って来たぞ!」

 この老人の大甥に当たる、ヴェルフが声を掛ける。

「カイさん、ヴェルフ!うむ、先ずは清潔にした方が好いから、風呂場の用意をしとくか?」

「お願いします!取り敢えず、レナに俺が来た事を伝えて下さい!」


 風呂に入って、室内着に着替えた二人は、レナが居る部屋へ向かった。この部屋は本来はカイの私室だが、広いので、常駐してくれる医師が診察し易いのだ。

 部屋には、四十代と思われる女性医師と、其の若い女性の助手、そしてヴェルフの大叔母が居た。

「カイ!」

 カイの(ベッド)で、レナが半身を起こす。其のお腹は途轍もなく大きい。

 カイは愛する妻を抱きしめたい衝動に駆られたが、お腹を見て、踏み止まった。

「大丈夫ですよ、ウブチュブク指揮官。お話には聞いていましたが、本当に巨塔の様に大きな方なのですね」

 医師がカイに妻との時間を取る様に、自身と助手と大叔母を伴って、この部屋から離れた。当然ヴェルフもだ。


「レナ…、其の、あの、取り敢えず、大丈夫か?」

「うん、順調だよ。来月の二週目が予定日だって。其れまで貴方がする事は、男女両方の名前を考える事位じゃない?」

「レナは自身で名付けたいとは思わないのか?」

「無事に産む事だけに専念したいから、名前はお願いね」

「そうだ、参考にブローメルト子爵閣下の御両親の御尊名を知りたい。教えてくれるかな?」

「あの…、其の事だけど、この間アムリート兄様から手紙が来て、『カイにはティルの両親の名を教えるな。カイには存分に名付けに困らせろ』、って有ったんだけど…」

「……!」

 主君アムリートを尊敬し、忠誠を尽くす事、人後に落ちない、と自負するカイだが、時に主君のこの種の意地悪に関しては、真剣に困っていた。


 この日、と云う因り、長らくヴェルフの大叔父夫妻が造る料理は、火を通した魚介の料理だ。

 久しぶりに(さしみ)を食べたいと思っていたカイだが、これは妊婦のレナの事を思えば当然だろう。

 ヴェルフは自宅へ戻り、カイは自邸だが、客用の一室で眠る事に為る。

 また、この医師と助手は半月前から、ウブチュブク邸に泊まっているので、お腹の子を合わせると、住人は七人だ。


 レナは、トラム到着してから、定期的に一人で村内の散歩をしていたが、今は臨月の為、カイが付添いで散歩を共にした。

 二人で如何でも好い事を話し、笑いながら歩くが、時折軍事の話が出てしまう。

「私の現役復帰って、やっぱり一年後なの?」

「そうだな。だが、一年後には全て片を付ける予定なので、レナが活躍する場は無いぞ」

「ラース兄様の旗下で、十二月以降に、ボーンゼン河を渡り、ラテノグ城塞の攻略なのね」

「渡河地点は、慎重を期さんとな。百五十輌の装甲車両を通すので、最も凍結した箇所を見定めなければ為らん」

 ラテノグ州のボーンゼン河は、冬場は凍結するが、流れる箇所、川幅、深さに因って、左程氷が厚く張らない箇所なども在る。

 其処に、装甲車両の様な重量の在る物を侵入させたら、水没だ。


 赤子が産まれたら、再度ブローメルト一家は、トラムを訪れるそうだ。

 無論、皇妃のカーテリーナと、帝都防衛軍司令官のティルは数日の滞在だが。

 十一月八日の早朝、異変を感じ目が覚めたレナは、部屋内の長さ三尺は有る寝椅子(カウチ)で寝ていたカイに、医師を呼ぶ様に頼んだ。

 カイは医師と助手を、彼女たちが泊まっている部屋から呼ぶ。

 騒ぎを聞いたヴェルフの大叔母は、産湯を初めとする準備を行う。

 部屋には医師と助手と大叔母だけが入り、カイは戸の外で朝食も取らずにずっと待っていた。


 そして、其の日の午前十の刻。赤子の産声が上がり、程無くして戸が開く。

「女の子ですよ。ウブチュブク指揮官。ご両親どちらに似ても、凛々しい女子部隊の指揮官に為りそうですね」

 医師から託された、カイはまだ目も開かぬ布に包まれた赤子を抱く。妹弟が多く、つい先日には生後半年の甥をあやしていたが、この命程、彼が今まで生きて来て、感激する温もりは無かった。

 カイ・ウブチュブクは、こうして一児の父と為った。


第三十三章 大陸大戦 其之陸 一時の休息

 そのうち、装甲車両は内燃機関を搭載して、砲塔が備え付けられるかもしれません。

 ふつーに近現代戦ものをやれよ、って感じですね。



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