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第三十二章 大陸大戦 其之伍 将への道

 5回目です。何回目まで行くんでしょう?

 自分の構成力の無さを反省しています。

第三十二章 大陸大戦 其之伍 将への道



 ホスワード帝国歴百五十八年、二月十四日から始まった、「大陸大戦」は、四月の下旬までに、以下の様な状態と為っている。


 先ず、エルキト藩王国。

 総帥である可寒(カカン)クルト・ミクルシュクは、ホスワード領の完全な劫掠を目指し、西の大国キフヤーク可寒国を大いに破り、後顧の憂いを絶ち、ホスワード領に雪崩れ込んだが、帝都ウェザールの直前で、ホスワード軍の猛反撃に遭い、結果、本拠地へ総撤退している。


 次に、エルキト藩王国の宗主国のテヌーラ帝国。

 二月にはドンロ大河での水戦で敗れ、三月にはホスワード帝国の南西部に位置する、曾ての大陸統一王朝の首都のメルティアナ城を攻囲するも、これも敗れた。

 どちらもバリス軍と共同で行った事だけに、この立て続けの敗戦は失態だったが、南で境を接するヴィエット王国との海戦では、辛うじて勝利し、南部の陸戦では、このヴィエット王国と、ジェムーア王国の侵攻を食い止めている。

 更に痛手を被った、水軍と陸上部隊の早期の再編成に着手し、前者はホスワード帝国のドンロ大河を望む、水軍の本拠地であるボーボルム城を、後者はメルティアナ城を攻撃し、結果、両城の司令官は他戦線に趣けず、城塞防備に忙殺させる事に成功している。


 次に、バリス帝国。

 「大陸大戦」の発端と為った、ホスワード帝国のメルティアナ州の北西に在る、スーア市を占拠、後方基地化に成功し、更に北より、プリゼーン城、バルカーン城、メルティアナ城、ボーボルム城にも同時攻撃を仕掛けた。

 後者の二つは、テヌーラ帝国と共同で行ったが、此方は既に撃退されている。

 そして、バルカーン城の攻囲軍は補給部隊が絶たれ、窮地に陥っている。

 主力のスーア市のバリス軍は、メルティアナ城で潰走した部隊を収容し、彼らを主にスーアの守備兵として、ホスワード軍の主力が終結する、スーア市からほぼ真東のゼルテス市へ二度目の侵攻を開始した。

 これは四月二十二日である。この頃はエルキト藩王軍が、ウェザール近郊でホスワード帝都防衛軍と戦っていた頃だ。

 彼らの最大の懸念は、西に在るブホータ王国だ。

 地理上、バリス帝国以外、この国は何処とも強国と国境を接していない。

 其の彼らが、全力を挙げて、侵犯して来たら、バリスは一気に窮地に陥る。


 テヌーラ帝国の帝都オデュオスの皇宮の閣議室で、二人の女性が口論を戦わせていた。

 時に、テヌーラ帝国歴百八十四年の四月の終わり頃である。

 典礼尚書(宮内庁長官)のファーラ・アルキノと、度支尚書(財務大臣)のイビーザ・ラザンだ。

「今直ぐに、ホスワードとの交易、特に護謨の扱いを即刻停止するべきです!ホスワードは護謨(ゴム)を兵器として使用しています。先のメルティアナ城での攻囲戦でも、本朝(わがくに)の将兵が車輪に護謨を使用した装甲車で大量に轢死しています!」

「先に交わした条約では、喩え今後両国が戦時状態に為っても、交易は停止しない、と云う条項が有ります。其れを反故にすれば、信の足りない国と罵られ、今現在の戦の停戦や和平条約にも影響します」

 前者のホスワードとの交易の停止を主張しているのが、アルキノで、この年に四十一歳に為る。

 彼女の兄は、テヌーラ帝国の皇帝アヴァーナ・テヌーラの夫だ。

 後者を主張しているのは、ラザンで、彼女はこの年で四十二歳に為る。


 戦争と経済の関係性は、真に不思議な物である。

 曾て、ホスワードの第五代皇帝フラートは、大軍で以て、此処オデュオスを攻囲していたが、其の間にもホスワードとテヌーラの商人は普段通り交易していた。

 テヌーラ帝国の南部の港湾都市カンホンに、ホスワードの商船が護謨を買い付けに来ているが、抑々、この護謨は南方の国々が、カンホンにもたらしている物だ。

 つまり、護謨に関してはカンホンは全くの中継地である。

 中継地は様々な利が有る。

 南方の船の乗員の宿泊、荷の下ろし、船の整備。そして、ホスワードの船の乗員の宿泊、荷の搬入、船の整備。

 これ等を全てをカンホンのテヌーラ人が行う。当然、彼らは大いに利益を得る。

 時期によると、ホスワードは護謨の対価に、氷を南方の国々に渡すので、氷の運搬もまた金に為る。

 護謨の停止は、これ等に関わるカンホンの住民にとっては一大事だ。


「現状、其の護謨を使用した装甲車と水弾は、対バリスにしか使われておらぬな」

 テヌーラ帝国第十代皇帝アヴァーナ・テヌーラが、両者を静める様に言った。

「左様で御座います」、とテヌーラの兵部尚書(国防大臣)が言ったが、ファーラ・アルキノは更に付け加えた。

「ならば、バリス軍は苦戦しているでしょう。彼らが護謨の取引を停止する様に求めて来るかも知れません」

「其処まで、バリス軍を手助けする必要は無かろう。彼らが護謨の取引を停止する様に言ってきたら、此方は其れ相応の対価を求めれば好いだけの事」

 ホスワード軍とバリス軍は、大いに戦って、深手を共に負っている。此処で片方、つまりバリス側に利する様な事をして、バリスの優位を助けるよりも、高みの見物をした方が賢明だと、アヴァーナは纏めた。

 結局、ホスワード帝国とテヌーラ帝国の海上貿易は、何ら双方とも制裁や封鎖等は無く、普段通りに行っている。

 両国はメルティアナ城とボーボルム城で、小競り合いに近いとは云え、対峙中なのに、だ。


 ホスワード帝国の西部、バリス領に接するメノスター州のバルカーン城。

 「大陸大戦」の開始より、この城は二万五千のバリス軍が来襲し、駐屯している一万五千のホスワード軍は持ち堪えている。

 バルカーン城の司令官は、ギルフィ・シュレルネンと云い、当年で三十九歳。

 曾て、カイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスが初陣を飾った、ホスワード・シェラルブク連合軍とバタル帝率いるエルキト軍との戦いまで、バルカーン城司令官をしていた、ムラト・ラスウェイの主席幕僚を務めていた。

 この戦いで、騎兵隊を率い功を立てたシュレルネンは、将に任じられ、中央軍へと転じた。

 其の後も、バルカーン城はラスウェイ将軍が、司令官として務めていたが、約二年半前のバリス軍との最終局面で、ラスウェイ将軍を初め、バルカーン城関係者は大量の死傷者を出した。

 シュレルネンが出世せず、其のままバルカーン城の幹部だったら、彼も其の死傷者の一覧に入っていたであろう。


 曾ての上司が務めた司令官職を受け、長らくバリス軍から、ラスウェイ将軍の戦死原因と為った、バリス軍の砲撃に対して、城内指揮で耐えている。

 一時は、北方のバールキスカン将軍の二万の援軍が、しばしば夜襲を行い、一息は付けたが、バールキスカン将軍の北方の転進後は、又も砲撃に耐える状況に為った。

 バリス軍の火門は五十門。位置するのはバルカーン城の北。其の陣営は、木柵だけでなく、土塁で積み上がっている。

 バルカーン城の城壁の高さは三十尺(三十メートル)を超え、其の幅も五尺を超えるが、其処彼処で毀れている。

 只、シュレルネン将軍も耐えるだけで無く、人頭大の護謨の水弾を投石機で飛ばして応戦している。

 火門は物資補給を必要とするが、護謨弾は万に近い数をバルカーン城は保持し、水にも全く困らない。

 そして、四月の下旬より、ゼルテス市の大本営から援軍が来て、バリス軍の物資集積地の破壊と、ボーンゼン河から来る補給船の殲滅を開始した。

 これが効いたのか、砲撃は一日に一・二度あるだけで、バルカーン城の将兵は、城を打って出て、バリス陣営への総攻撃の準備を始めている。



 四月二十七日の昼過ぎ。ボーンゼン河にバリス軍の輸送船が現れた。四艘だ。

 二艘は通常の巨大な輸送船で、共に甲板上には、五十を超える弓兵が控えている。

 もう二艘は輸送船より二回りは小さいが、やはり共に甲板上には、五十を超える弓兵が揃っているのを、見張りの責任者のトビアス・ピルマーは確認した。恐らくこの二艘内には補給物資は無く、純粋な防御船の様だ。

 輸送船にも通常の防衛兵が居るので、二艘の特殊大型船にとっては攻略がかなり難事だ。

 だが、逆に云えば、これがバリス側がバルカーン城攻略軍に対する、最後の補給物資である事を意味する。

 既に四艘の輸送船を半壊させたので、海運国で無いバリス帝国は、これ以上の船はもう無いだろう。

 トビアスは部下の一人に見張りを任せ、特殊大型船を係留している処に、内容の詳細な説明する為に向かった。


「弓兵か。為らば此方も弓兵を揃えよう。抑々、俺たちは弓騎兵なのだからな。弓の戦は望む処だ」

 カイ・ウブチュブクが、トビアスからの報告を受けて、部下達に指示する。

 今回は甲板上に自部隊の軽騎兵から、弓矢を持つ多くの将兵を乗せた。

 参軍のレムン・ディリブラントは、四十名から為る「危険物撤去部隊」、と称した箱を持った部隊を組織している。

 これは河に遺棄すると、水質を汚染する可能性の有る物資を、撤去、と云えば言葉は良いが、劫奪する部隊だ。

 レムンがカイの船で自身を含め二十名、トビアスがヴェルフの船に自身を含め二十名の構成だ。


 ボーンゼン河に進む運河の船の係留地には、カイの部隊の軽騎兵二千と、装甲車両十輌、重騎兵が二千騎、特殊大型船を守る様に、陣営を築いていたが、カイは自部隊の大半の軽騎兵を二艘に乗せ、弓戦に臨むべく、ボーンゼン河へと出撃した。

 突撃用の馬は一層目に控えさせたまま、甲板上に二艘の特殊大型船は進む。

 カイの船の後方の楼閣上には、シュキンとシュシンのミセーム兄弟を初め、特に弓術に優れた者を配置している。


 四艘のバリス船に望む位置にまで、カイたちの二艘の船は近づいた。

 バリス側は甲板上だけで無く、帆柱の上部にも弓兵を配置させている。

 両軍の船団は、其のまま正面から近づいて行く。

 通路でもある、船首の先頭にカイは仁王立ちし、大弓を片手に、敵船へ嶮しい顔と、其の太陽の様な明るい茶色の瞳で、相手を焼け焦がさんと見詰めている。

 近くのラウラ・リンデヴェアステが心配そうに、上官を薄い碧い瞳で見上げる。

 彼女の身の丈は百と六十寸(百六十センチメートル)に満たない。

 なので、首を目いっぱい上げて、自分より五十寸は身の丈が高い、この自分たちの指揮官を見上げている。


「レナが居ないのが不安か。ラウラ」

「…はい、弓では…。いえ、其れ以外にも色々有りますが、弓では私はレナ様の足元にも及びません」

「レナが言っていた言葉だ。『私達は欠点だらけです。皆お互いが支え合うのが、私達”大海の騎兵隊”の部隊の理念です』、と。俺はこの言葉が凄く好きだ。人に因っては『甘え』と断じるだろうが、何でもかんでも十全に出来得る人間が居ないのは事実だ」

 ラウラは女子部隊の副指揮官に為った。

 女子部隊指揮官のマグタレーナ・ウブチュブクは、カイの子を身籠り、ヴェルフの故郷であるレラーン州の漁村トラムのウブチュブク家の別邸へと、お産の為に向かっている。

 そして、指揮官にはオッドルーン・ヘレナトが、副指揮官にはレナとオッドルーン以外で、唯一の女性士官のラウラが就いた。


 エルマント州出身のラウラは、幼い頃から馬に親しんで来たので、騎乗には自信がある。

 だが、武芸は女子部隊がホスワード軍で結成され、其の最初の応募に応じてから、初めて学んだ。

 特別に、故郷で羊を追っていたラウラは、鞭を上手く使い熟せるので、特殊な先端に鉄の錘が付いた鉄の鞭(チェーンクロス)を振るう。

 この武器だけは、彼女の他に、誰も上手く使い熟せない物だ。

「少しでも危ない、と思ったら、一層目に向かえ。騎兵突撃もするから、副指揮官は、存分に其の武器を敵船で振るうのだ」

 ずっと首を真下に向けていたカイは、ラウラに嶮しく、厳しい、灼熱の太陽の瞳を、初夏の陽気の様に少し和らげて言うと、首を上げ、即座に元の熱視線に戻した。


 カイは船首で、矢を番え、弓を引き絞り、狙いを定める。

 この様な巨人が前面に居るのは、寧ろ的に為りそうだが、彼は自身を目立たせる様にして、部下達が十分な狙いを持って、矢を番える事を助けているのだ。

 当然の様に、バリス側から雨の様に矢がカイを目掛けて、降って来た。

 矢を正確に射るのは、長年の修練で身に付く技術だ。ラウラが不安がっていた様に。

 河とは云え、ましてや揺れる船上。

 降り注がれる矢は、巨躯のカイに掠りもしなかった。

 そして、カイが放った矢は、防衛船の指揮官であろうか。其の者の首元に深々と突き刺さり、バリス軍のこの船は混乱状態と化す。其れが本格的な両軍の矢の応酬と為った。


 やはり精度は、圧倒的にカイたちの方が高い。バリス軍は相手が水上兵と見て、弓術の能力が低いと思っていた様だ。

 カイとヴェルフの二艘は、先ず確実に防御船二艘に狙いを付け、猛射撃をする。

 ボーンゼン河をホスワード軍の特殊大型船は、西へと進み、バリス軍の四艘は東へ進んだので、両軍は擦れ違った。

 当然、カイは回頭を命じて、バリス軍の後背を襲う。

 バリス軍の四艘も回頭をした。理由は、目的の対岸に、ホスワード軍が展開していたからだ。

 係留地の陣営を護っていた部隊は、バリス軍が目的とする、渡河地点で待ち構えていたのだ。

 互いに回頭した両軍は、擦れ違い様に、又も激しく矢を撃ち合う。


 船の運用も、矢の精度も、どちらもカイたちの方が高かったので、四艘を相手にしても、完全に甲板上のバリスの弓兵は退けた。

 二艘の輸送船の船腹に対して、カイたちの特殊大型船は、物資破棄の為の、船首の突撃を敢行する。

 今回は、カイの船からはレムンが、ヴェルフの船からはトビアスが、専用の箱を持った部下達を指揮して、輸送船の内部へと侵入して行く。

 事前の打ち合わせで、河に廃棄してはいけない物を決め、彼らは自船内に運び込むのだ。

 場合に因っては、複数回往復する事が有るので、船体突撃兵は、両手が塞がる彼らを守る事が、先ず第一と為る。

 当然の様に甲板上では騎兵部隊が暴れ、注意を引き付ける。


 カイは敵輸送船内で、長剣を振るい、戦っていた。例の長槍では、狭い事もあり、剣を使用している。

 其処に往復で来た、レムンから、報告を受けた。

「ウブチュブク指揮官。小型の船の方ですが、(フック)が先に付いた投げ縄で、我が方の船に侵入しようとしています!」

 カイは双子の弟たちを呼んだ。

「シュキン!お前は十名程の兵を組織し、其の侵入者の排除を頼む!シュシンは如何にかしてヴェルフの船に移乗して、同じく十名程の兵を組織して、同じ事だ!」

 共に兄と同じく剣を振るっていた二人は、簡易な敬礼をすると、即座に兄の指示に従った。

 十名の兵の指揮を弟たちに任せた。カイはこの戦いが終了したら、弟たちを正式に下級小隊指揮官。つまり、下士官に任命する事を決めている。

 高級士官は、自部隊に於いて、自己の権限で、下士官までの人事が可能とされているのだ。


 カイは剣を振るっている。輸送船は船内の一室一室が当然広いが、彼の様な巨躯で、腕の長い者が、長剣を振るうと、室内に引っ掛かる恐れが有る。

 なので、彼は剣を自身の身を守るのに使い、基本的にバリス兵に対しては蹴りや肘打ちで、戦闘不能にしていた。

「ヴェルフの奴は、長さ五十寸程の太い鎚矛(メイス)を用意してたな。俺も室内戦を想定して、短めの武器を所持してた方が良さそうだな」

 戦闘中なのに、半ば全体の状況の把握と、自身の戦い方の反省をしながら、カイは周囲のバリス兵を、文字通り蹴散らしている。


 シュキンは自船に戻ると、投げ縄が付けられた場所に赴き、よじ登ってきたバリス兵を一蹴し、何と其のままバリス軍の船に飛び降りた。

 シュシンが鉤を外し、投げ縄はシュキンの物と為る。鉤は両端に付いている。

「それっ!」

 シュキンは投げ縄を近辺に在った、ヴェルフの船を目指して投げる。

「シュシン、行け!皆さんは援助を頼みます!」

「おうっ!任せたぞ、シュキン!」

 シュシンが同じくバリス軍のこの船に飛び降り、更に縄を掴んでヴェルフの船まで、ぶら下がりながら進んで行く。

 当然、河上で的に為っているので、シュキンはバリス船内で、十名程のカイの船の兵士は弓で、シュシンに狙いを付けるバリス兵を攻撃する。

 恐るべき速さで、シュシンはヴェルフの船に移乗して、即座に十名程を集めて、ヴェルフの船によじ登ろうとするバリス兵の侵入者に対処する。

 処で、其の前にシュシンはヴェルフの船に掛かった鉤を外し、シュキンが乗っているバリス船へ投げ込む。

 そして、シュキンはこの鉤を、カイの船に投げ入れ、自身は素早く元に戻って行く。味方が援助しているのは言うまでもない。

 この双子の水上での鮮やかで、素早い動きに、バリス兵たちは唖然としている。

 自分たちは途轍もない精鋭たちが揃った部隊を相手にしているのでは、と。



 四月二十七日の夕に為ると、カイたちの部隊は、完全にバリス軍の輸送部隊四艘を撃退した。

 四艘とも、半壊し、物資は全て破棄か、カイたちの自船への搬入に成功している。

 この状況下で、考えられるのは、次だろう。

 バルカーン城を攻撃しているバリス軍が、物資欲しさに、カイたちの部隊を襲う可能性だ。

 そして、この日の内に手筈は整った。バルカーン城の裏門。つまり東に面した方から、主に深夜にバルカーン城関係者が、定期的にカイたちの陣営に赴いている。

 先日は、此処から医師が来て、レナの診察をしてくれた。


「バリス軍がウブチュブク指揮官の部隊に襲撃に来たら、この狼煙を上げて下さい。そうすれば我が城内の全軍を上げて、バリス軍の後背を襲います」

 この日の深夜に、そう言って、数名のバルカーン城の士官が狼煙を渡した。

 翌日よりもカイたちの部隊は、ボーンゼン河の監視も続けている。

 恐らくもうバリス側には輸送船は無いだろうが、一応確認の為だ。

 この二十八日は、両軍共に何の行動も出ずに、過ぎて行った。

 バリス軍はバルカーン城に砲撃すら出来ない状態にある。


 二十九日も何もなく過ぎ、三十日に遠巻きにバリス陣営を確認していた、カイの部隊の部下が報告にカイの陣営に戻って来た。

「如何やら、我が方に攻撃準備を進めている様です。確認した限りでは、将兵は碌に食事が取れていないのか、かなり疲弊している様に見えました」

「ご苦労だった。では装甲車両を前面に出し、各自弓の準備をせよ。狼煙の準備も頼む」

 カイは装甲車両の十輌を、陣営を護る様に、横に並べて、更に重騎兵の二千騎は陣営の物資を集積している処を護る様に、自らの軽騎兵二千は装甲車両の背後に控えさせる配置を取った。


 五月に入り、初日の早朝、バリス軍がカイたちの陣営に近づいて来た。

 全軍の様だ。物資を奪う以前に、このままこの陣営を乗っ取る様な行動である。

 バリス軍は二万と数千だ。だが、やはり碌に食事が取れていないのか、動きは緩慢で、疲弊している様に見える。彼らとしては数にて押して、カイたちを追い払い、この陣営を拠点として、一息つき、改めて対岸のボーンゼン河からの物資補給を要求する心算なのだろう。


 このバリス側から見れば、周辺に純軍事陣営の物資集積所が三つある。

 一つは、カイたちの部隊。

 一つは、ルカ・キュリウス将軍率いる、重騎兵八千と装甲車両四十輌の部隊。

 一つは、バルカーン城内の一万と数千のホスワード兵だ。

 カイたちを狙ったのは、至極当然と云える。


 即時に狼煙をカイの部隊は上げて、戦闘態勢を取る。

 万を超えるバリス歩兵が矢をカイの部隊に射る。然し、単純に疲弊し力が出ないのか、ふらふらと飛んで来る矢は、一番前面の装甲車両の手前か、装甲車両に弾かれるだけで、其の背後のカイの部隊には何ら実害は無かった。

「よし、弓を射よ!」

 カイが命ずると、装甲車両の背後の軽騎兵部隊は弓を射る。

 この勢いの好い矢は、バリス軍に大いに降り注がれ、バリス兵はバタバタと倒れる。


 然し、二万を超える兵がカイの陣営を完全に囲み、物資欲しさにジワリと迫って来る。

 カイとヴェルフは、待機場所から飛び出し、馬上で長槍を振るう。

 文字通り、一騎で万を相手にする形と為った。

 カイは左側から飛び出し、攻囲するバリス軍に単騎突撃し、先に斧が付いた長槍を振り回す。

 ヴェルフは右側から飛び出し、やはり攻囲するバリス軍に単騎突撃し、先に突起の付いた鎚が付いた長槍を振り回す。

 彼ら二人が、尋常でない戦士だからだが、其れ以上にバリス軍は、疲弊の極みにあって、まともにこの二人の勇士の相手が出来ずに、騎兵、重装歩兵、軽装歩兵を問わず、バタバタと倒されていく。


 其処で、バリス軍の後背から、バルカーン城のシュレルネン将軍が率いる一万以上の歩騎が現れ、突撃を敢行すると、勝敗は完全に決した。

 バリス兵は西へと逃げて行く。西はボーンゼン河だ。

 ボーンゼン河には、バリス側が苦慮して、この地に向けた船が迫っていた。

 輸送船では無く、先のドンロ大河での決戦に使用した攻撃船だ。

 但し、これ等は未だ建造途中、或いは、先のドンロ大河での戦いで使用した修理中の船団なので、砲などは設置されていない。

 バリス側は、この建造中や修理中の攻撃船を、自軍の将兵の撤退用に止むを得ず使用している形と為っている。


 砲が無いと、報告を受けたカイは自部隊の弓騎兵を馬から下させ、二艘の特殊大型船に自身も含めて搭乗させ、船にて追撃の進発をした。

 つい、先程まで馬上で武勇を誇り、即座に船に乗り追撃に移る。

 シュレルネン将軍は、このカイたちの部隊の切り替えの早さに、感心する。

「ウブチュブク指揮官たちが追撃に進発している!我らはこのままボーンゼン河へ逃げるバリス兵を一人残らず、討ち果たすのだ!」


 出撃したカイの二艘の船は、このバリス軍の撤退の軍船に矢を浴びせる。

「対岸に達した兵は追わなくて構わん!運行している船団を中心に攻撃せよ!」

 カイの指示は、兵の討ち取りよりも、バリスのこの臨時輸送船を少しでも傷付ける事を指示した。

 そうすれば、バリス軍が再度のドンロ大河での出撃を遅滞させる事が出来るからだ。

 其の為、火矢で兎に角、バリスのこの臨時輸送船を損傷させる事に専念する。

 二月の中旬より、バルカーン城の攻略に来ていた、二万五千のバリス軍は、五千を超える死者、其の倍の負傷者を出して、五月一日に駆逐された。

 残兵は、北のプリゼーン城攻略に組み込まれるか、バリス軍本営のスーア市に再編入されるだろう。

 何れにしても、攻撃船まで、大きく損傷させたホスワード側としては、ドンロ大河のボーボルム城の安全を長く保障出来た、と云って好い。


 ギルフィ・シュレルネン将軍は、バルカーン城にカイたちの部隊と、キュリウス将軍とヴィッツ指揮官の部隊を、休息の為に入城させた。

 装甲車両は城外の近辺に並べ、早くも専門の整備士が修理をしている。

 考えてみれば、カイがこの城に入城するのは、五年近く振りだ。

 司令官のシュレルネンとは会話をした事は無いが、確かに当時、高級士官だった彼を見た事はある。

 寧ろ、シュレルネンの方がカイの方を好く覚えていた様だ。ヴェルフもそうだが、これだけ目立つ巨躯の戦士たちを忘れる方が難しい。


 シュレルネン家は高官を輩出する、官僚系の名家で、ギルフィは三男に当たる。

 長男で、当主であるシュレルネン子爵は、度支尚書(財務大臣)の職に在り、次男は吏部省(人事院)の高官で、次の尚書職を有力視されている。

 つまり、軍事を志した彼は、異端児とは云わずとも、一種の変わり者の類で、カイたちには当然だが、普段から士卒にも温かく接するので、士卒の信頼が厚い知将だ。

 この辺りは、直属の上司として仕えていた、ムラト・ラスウェイ将軍の影響を受けているとも取れる。


 バルカーン城の内部は、外部程では無いにしろ、流石に其処彼処で、爆発と爆風の影響で建物が毀れている。

 シュレルネン将軍は、即座に帝都と、バルカーン城が在るメノスター州の州都に、先ずは必要最低限の資材の一覧を纏め、バリス軍の撤退後に早馬を飛ばしている。

 ホスワードの軍人貴族の大半、と云う因りほぼ全員は、十九に為る年で軍学院を出て、下士官から軍歴を始めるの通常だが、彼は大学寮を出て、一時期役人に為り、其の後三カ月間、下士官の調練を受けて、二十代前半から軍務に就いた。

 経歴としては、カイの弟の皇帝副官のハイケと似た感じである。

 其の為、書類業務はお手の物で、物資を必要最低限にしたのは、未だ帝都の安全が不分明と云う、シュレルネン将軍の配慮だった。



 武人としての功も高い、このシュレルネン将軍の司令官室で、現状の協議と、今後の対策が話し合われたのは、五月二日。

 出席者は、シュレルネン将軍と其の主席参軍と副官。キュリウス将軍と其の主席参軍と副官。ヴィッツ装甲車両部隊指揮官。そして、カイとヴェルフとレムンだ。

「現状、ゼルテス市の付近の陛下の主力は、バリス軍の主力と対峙中と聞く。この勝報で如何バリスが動くか分からぬが、キュリウス将軍とヴィッツ指揮官はゼルテスに戻る可能性が高いだろう」

「では、小官らはバルカーン城にて、哨戒や城の修繕等の任務に為りましょうか?」

 カイがシュレルネンに意見をした。

「恐らく、当面はウブチュブク指揮官たちには、申し訳ないが、其れらをお願いしたい。ゼルテスの大本営からの正式な通達が来たら、勿論、其方が優先だ」


「私が聞いた処だと、ゼルテスの戦いでは、五十輌の装甲車両が在るが、あまり活かせていない様だ」

 キュリウス将軍が述べた。

 此処のバルカーン城での戦いでも、土塁を陣に高く積み上げたバリス軍に対して、装甲車両の突撃は余り効果的で無かった。ゼルテスでは、寧ろ陣営の防備を主体として使われているらしい。

「確かに車両の運用は、相手陣営や、周辺の環境で効果の有用性が異なる。其の為、北のラテノグ州に対して大規模に使われると聞いている」

「では、小官たちはプリゼーン城へ赴くのですか?」

 ヴィッツ指揮官が質問をすると、シュレルネン将軍は、カイに視線を向けて、意外な事を言った。

「ウブチュブク指揮官。卿の弟の皇帝副官殿だが、彼は更に装甲車両の改良版を練兵場の造兵廠に送ったそうだ。私も詳しくは分からぬが、三百の車両が造られ、冬場のラテノグ州にボーンゼン河を渡って、対岸のバリスの城塞攻略に使用するらしい」


 三百輌、と聞いてカイは驚いた。装甲車両は三十名が中に入って動かす。これでは一万近くの兵が車両運搬の人員と為る。純粋な歩兵を少なくする行為なので、寧ろ兵力の不足を来すのでは無いか、とカイは不可思議に思った。

 また、ラテノグ州のボーンゼン河の対岸には、バリス軍の城塞が在るので、特殊大型船に因る補給線破壊が出来ない。

 現在なら城塞の火砲で狙い撃ちにされ、単純に冬場は凍結するので、船の運航が出来ない。

 其の為、二艘の特殊大型船は、ボーンゼン河を東へ出て、外洋に行き、ドンロ大河を遡上して、元のボーボルム城に帰投する事が決まっていた。


 五月五日。バルカーン城に、ゼルテスの大本営から、皇帝アムリート、及び野戦幕僚長を務める、兵部尚書ヨギフ・ガルガミシュから、バルカーン城へ正規の書状が届いた。

 先ずは、第二次ゼルテス会戦は、三日前。つまり五月二日に又もバリス側の撤退で終了した連絡。そして、カイたち「大海の騎兵隊」の昇進人事であった。

 大半が、一階級の昇進をした。

 カイとヴェルフは遂に上級大隊指揮官と為り、レムン・ディリブラントは下級大隊指揮官。

 オッドルーン・ヘレナトとトビアス・ピルマーは上級中隊指揮官。

 ラウラ・リンデヴェアステと、カイたちが此処のバルカーン城で、初めて部下にした十八名が中級中隊指揮官。

 其の他、女子部隊から十名程が新規の士官に任命され、シュキンとシュシンのミセーム兄弟も正式に下級小隊指揮官の地位を認められた。


 また、レナ・ウブチュブクも下級大隊指揮官である、高級士官に任命され、各人には報奨金も多く出たが、何故かカイにだけは報奨金が無く、皇帝アムリートに因る一通の手紙が添えられただけであった。

 カイは其の内容を読んで、吃驚した。内容は如何にもアムリートらしい一文である。

「カイ・ウブチュブク上級大隊指揮官。卿が次に大功を立てたら、将とする。其れに伴い、卿を正規の貴族と列するので、武勲を祈る。若し、卿が貴族に列せられる事を断れば、ハイケを代わりに列するので、好く熟慮する様に」

 要するに、次に「大海の騎兵隊」が大功を立てれば、カイは将と為り、貴族の末端と為るのだ!

 カイは呻いた。弟のハイケの名を出されたら、断る事が出来ない。改めて自身の主君は悪戯心に精通してるな、と妙な感心をした。


 ホスワード帝国では、男爵以下の貴族を、大まかに以下に分けている。

 先ず、ギルフィ・シュレルネンの様な、子爵家の嫡男で無い、功績のある貴族の子弟は、「準男爵」に叙せられ、分家と為る。

 更に傍流と為ると、武官は「勲騎士」、文官は「勲文士」と呼ばれる地位に為る。前者はボーボルム城司令官のアレン・ヌヴェル将軍、後者は帝国宰相のデヤン・イェーラルクリチフの地位だ。

 両者を合わせて、一般に「勲士」と呼ばれる。

 其れとは別に、メルオン大帝時代に、功ある平民出身の将兵や役人に対して、武官には「武散士」、文官には「文散士」と呼ばれる、「散士」なる最下級貴族階層が形成されていた。

 これ等は、新たな貴族階級が造られなくなり、「武散士」も「文散士」も「勲騎士」や「勲文士」に昇格し、廃れたので、アムリートはこのメルオン大帝時代の「散士」の貴族制度を復活させる心算である。

 つまり、カイは将軍に為ると同時に、「武散士」と呼ばれる貴族に列せられる予定だ。


 五月七日に、ルカ・キュリウス将軍と、上級大隊指揮官に昇進したカレル・ヴィッツ指揮官は、装甲車両の整備も終わったので、ゼルテスの大本営に戻って行った。

 カイたちはバルカーン城の修繕を主に遣っていたが、カイはシュレルネン将軍に直訴して、自部隊をバリスの物資を遺棄したボーンゼン河の除染作業を主体に行いたい、と述べ、其れは了承され、カイの部隊は、ボーンゼン河へ赴き、除染作業を行った。

 大半は鉄部品などを使用した物なので、遠くへ流されておらず、対岸の監視や哨戒も含めて、カイの部隊は一日の大半を、先日までのバリスの輸送船との戦いの場所での任務を熟した。


 四月二十二日から始まった、「第二次ゼルテス会戦」は、結果からすると、両軍共に又も膠着状態に為り、五月二日にバリス側がスーア市に整然とした撤退を行い、終結している。

 寧ろ、両軍の主力の対峙だが、両軍とも、他戦線の情報収集や、其れに対する対応に終始し、戦闘自体は睨み合いを続けたに近かった。


 先ず、ホスワード軍は五十輌の装甲車両を用意していたが、バリス軍側は土塁を築き、容易に突撃を許さない陣営を築いていた。

 アムリートもこの状況が数日続くと嘆息した。

「土塁もそうだが、土を掘り返している、と云うのは、逆に穴が在ろう。車両を突撃させ、仮に土塁と突破しても、穴に嵌りこむ危険性が有る」

 装甲車両の発案者のハイケ・ウブチュブクも、これには恐縮する。

「陣営の破壊は、仰る通り不可能に近いと思われます。火砲の防御用に並べるべきですが、其れとは別に、臣には車両の新案が御座います」

「何だ?また何か思い付いたのか?」

「装甲車両の欠点は、陛下が仰った点に有りますが、其れ以上に致命的な欠点が有ります」

 皇帝副官ハイケは四月の末頃に、皇帝の幕舎で、新図案を提示して説明をした。

 主な列席者は、皇帝アムリート。野戦幕僚長のヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書。野戦副総司令官のエドガイス・ワロン大将軍。そして彼らの参軍たちである。


「装甲車両は百輌の運用し、更に帝都の造兵廠で量産していますが、仮に三百輌の車両を揃えると、一万近くの歩兵を車両専用の兵としてしまい、歩兵の実動部隊の不足を招きます。其処で小官は、装甲車両の枠組み(シャシ)を大きく変えたく思います」

 其れは、帝都ウェザールに在る、時計塔の内部の歯車の機構を援用した物で、五人六列の三十人を、三人四列の十二人にして、座席を設置し、足踏桿(ペダル)を漕ぎ、軸に因って前の六人には前輪を、後ろの六人は後輪を推進させる、と云う物だった。

 アムリートは装甲車両の整備士の主任を幕舎に呼び、このハイケの案を検証(レヴュー)させ、工部省や兵部省の技術者なら、作成は可能です、との回答を得た。

「これなら、三百輌を揃えても、四千の兵で済むな。早速、この案を帝都の練兵場の造兵廠へもたらす様に」


 この年に六十九歳のヨギフ・ガルガミシュは、この年で二十三歳に為るハイケを見て、改めて驚く。

 彼の父のガリンや長兄のカイは、戦場での得難い勇士であるが、ハイケはそう言った次元を超えている。

「この若者は、ひょっとして、其の内、本朝(わがくに)の宰相に為るのではないか。ガリンは恐るべき子らを残したな…」

 この年に四十七歳のエドガイス・ワロン大将軍も、あまりの発想に驚く。戦場で装甲車両を主軸として使い、更に其の内部の操作員の調整まで考える、この若者に半分奇異と半分惧れを持った。


 翌日、アムリートとハイケは二人きりで、戦場を見渡しながら、戦と全く関係ない事を話し合っていた。

「レナがカイの子を身籠った。目出度い事だ。ティルとマリーカは孫の顔を見るのが、念願だった様だからな…」

「レナ様は、レラーン州のトラムでお産の為に滞在するそうですね。レナ様に限って、其の様な事は有りませんが、落馬をしない様に、ゆっくりと騎行して向かっている、と聞き及んでいます」

「卿の姉は二人目の子を産んだらしいな」

「はい、男の子です。名は『サウル』と名付けたそうです」


 一般的な習慣であり、ホスワード人の皆が皆している訳では無いが、初めての女の子が生まれた時は、両親のどちらかの、既に死去している祖母の名、初めての男の子が生まれた時は、既に死去している祖父の名を付ける習慣がプラーキーナ朝以前より、この大陸には長らく有る。

 何故、皆がしていないかと云うと、単純に両親どちらの祖父母が健在である事が、往々にして有るからだ。例えば、メイユなら母方の祖父母のミセーム夫妻が健在だ。

 なので、タナスとメイユのレーマック夫妻は、長女にメイユの父であるガリンの母の「ソルクタニ」の名を付け、長男にはタナスの既に死去している祖父の「サウル」の名を付けた。

 これは一種の、先祖が子を護ってくれる古き(まじない)の様な因習だが、今では単に形骸化して、名付けに使う場合の一例として残っている。

「カイの祖父母の名は使えぬな。因みにティルの両親は既に死去しているので、彼らの名を教えて於こうか?」

 レナの母のマリーカの両親は健在だ。マリーカの父は勲士階級で、パールリ州で副知事まで務めていたが、孫娘のカーテリーナが結婚をして大公妃に為ったのと同時に職を辞し、ブローメルト家の荘園の管理者と為っている。

「そうですね。カイ兄さんは、多分名付けに何日も悩む性分だと思うので、教えて差し上げるのは好いかも知れません」

「ふっ、其れならば教えず、カイには存分に名付けに困って貰った方が、一興と云う物だな」

 ハイケは心の中で笑った。この主君は妙な処で、この様な悪戯心が有るのだ。



 四月二十二日に、ゼルテス市に付近に侵攻したバリス軍の主力が先ず行った事は、陣営の構築であった。

 其れも土を掘り、土塁で周囲を囲み、更には掘り起こした処は、其のままにして、バリスの主力の大半七万程は、土塁と掘られた穴に囲われた箇所に布陣した。

 火砲を土塁の隙間から出し、ホスワード軍約六万に対して、射撃をする。

 其れに対するホスワード軍も、土塁を築き、要所で装甲車両を防衛用に設置し、バリス軍の火砲に耐えていた。

 例の様に、水弾を投石機で投擲する事も行っていた。


 バリス軍には、当然の様にヘスディーテが事実上の総司令官として居て、彼は戦闘指揮以外の日々の情報の収集と、其れらの対応を幕舎でしていた。

 先ず、四月二十四日中に、エルキト藩王国軍がウェザールを目前まで侵攻したが、撃退され、本拠地への総撤退をしているとの報が入った。

 同日に、北のメノスター州のバルカーン城の攻略軍だが、彼らは補給線を絶たれ、窮地に陥っているとの報も入った。

 ヘスディーテは、対ホスワードの基地としているスーア市へ、次の様な連絡を送った。

「スーアに向けている物資搬入を、北のバルカーン城の攻略軍へ全て送る様に。また、二艘の輸送船には十分な兵を乗せ、更に二艘の護衛船を付ける事」


 これが、四月二十七日にカイたちが撃破した、四艘の船団である。

 この報を二十八日に受けたヘスディーテは、総撤退の準備をする様に、全軍に通達した。

「殿下は、何をお考えなのだ?出撃しては、他戦線の状況を鑑みて撤退をする等、ホスワード軍を撃滅する意志が、本当に御有りなのか?」

 一部のバリス軍の将兵が不満を述べる中、五月二日にスーア市へと撤退して行った。

 当の二十八日にヘスディーテは、兎に角、バリス内の全船団を、バルカーン城攻略に向かっている軍の撤退船として、向かわせる事も指示していた。

 これが五月に入ってからの、バルカーン城のバリス軍の撤退に使用された攻撃船団だ。


 スーア市に戻ったヘスディーテは、市長のエレク・フーダッヒとの会談を行った。

 いや、会談と云う因り、フーダッヒの一方的な難詰だった。

「殿下の大軍は、何故ウェザールを直撃なさらぬ?傍に地理に詳しいパルヒーズを置いているのも、其の為ですぞ!」

「フーダッヒ師。我らがウェザールに直撃したら、ゼルテスのホスワードの主力に後背を襲われる。またウェザールには二万を超える帝都防衛軍が組織されている。この両軍で挟撃を受けたら、我が軍の敗北は必至。当然、スーア市の防御どころで無く、我が軍はバリスへ撤退し、スーアを平定したアムリートに因り、卿の首は跳ね飛ばされるだろう」


 但し、将兵の不満も募っているのも事実である。其れ以上に現在ヘスディーテが怖れているのは、バリス帝国の西に在る大国、ブホータ王国が動き出すのではないか、と云う状況だ。

 こう為ると、スーアに最低限の兵を残し、ブホータとの全面戦争に突入せざるを得ない。

 ヘスディーテは、フーダッヒの言い分を無視して、スーアに残った情報将校から、本国の状況を聞く。

 本国は当然、ヘスディーテの父親である、バリス帝国第七代皇帝ランティスが、国政を総攬している。


 ある意味、奇妙な親子である。

 とある日に、ランティスはヘスディーテに譲位して、自身は上皇と為り、事実上の引退をしたい旨を述べたが、ヘスディーテの返答は次の様な物であった。

「皇帝の座に就けば、意味の無い儀礼に忙殺されます。申し訳ありませんが、父上には其の儀礼をお任せしたいのですが」

 皇位を息子に譲りたい父親、皇位を継ぐのを断り実務に没頭したい息子。

 バリス帝国は、この親子で長らく運営されている。

 帝都ヒトリールから、定期的にもたらされる父帝からの情報で、五月に入っても、ブホータ王国側の動きは無い事が分かった。


 基本的にヘスディーテと行動を共にしているパルヒーズ・ハートラウプも、フーダッヒとは異なる意味で、帝都ウェザールの直撃をしないバリスの皇太子には不満だった。

 彼は先ず、ウェザールの北西に在る収容施設の同胞の解放を望んでいた。

 だが、其の為にはヘスディーテが言った様に、前面のホスワードの主力と、帝都を護る防衛軍との挟み撃ちで、其れが不可能と為ってしまう。

 先月には、エルキト藩王軍がウェザール直前まで進撃した事は、パルヒーズも知っている。

 彼としては、ヘスディーテの知略を助けるために、自身の持つホスワード全土の詳細な地理を教える事だった。

 これは旅劇団や、時に吟遊詩人として、ホスワード全土を回っていたパルヒーズだからこそ出来る事で、ヘスディーテは彼の情報を貴重な物として受け取っていた。

 勿論、ヘスディーテはパルヒーズの願いが同胞の解放である事を知っているし、其の手助けは確実に行おうと思っている。

 フーダッヒのダバンザーク王国の復活なる妄執は、彼にとって、全く無視すべき物でしかない。


 五月も半ば近くに為り、カイたち「大海の騎兵隊」は相変わらず、ボーンゼン河の除染作業を主に行っている。

 主に小舟を数艘用意し、念の為に特殊大型船も運用して行っている。

 この特殊大型船は五月の末に、元のボーボルム城へ帰投する事が決まっている。

 小舟に乗っていたヴェルフが呑気な声を発する。

「いっその事、特殊大型船で対岸に渡り、俺たちだけでバリスの首都のヒトリールを直撃しないか?俺たちには、バリスの地理に詳しい高級士官殿も居るしな」

 ヴェルフは、別の小舟に乗っている、濃い緑の高級士官の軍装に身を包んだ、レムン・ディリブラントを指し示した。

 其れにシュキンとシュシンは、「賛成!賛成!」、と大はしゃぎする。

 やや小柄で細身のレムンは、あまり軍人に見えない。陽気な旅商人か、で無ければ市井の宿屋の愛想の好い旦那と云った趣である。

 彼が初めて高級士官の軍装で現れた時は、周囲は笑いを堪えるのに必死だった。


「それにしても我が部隊は上級の大隊なのに、未だ部隊数が二千程なのですか?」

 レムンは上官のカイに問うた。上級大隊指揮官のカイは、最大で五千の兵を率いる事が許されている。

「うむ。如何やら、俺たちはプリゼーン城を攻囲しているバリス軍を攻撃する事に為る。また二・三千程の軽騎兵を、オグローツ城で北方軍を統括している、ルギラス・シェラルブク殿から、出撃させるそうだ。成功すれば、彼らが其のまま俺の旗下と為る」

「其れは俺たちとオグローツ城からの部隊と、プリゼーン城の内部の部隊が同時出撃して、プリゼーン城を攻囲しているバリス軍を破る為か?」

「そうだヴェルフ。連絡が密で無いと、各個撃破の餌食に為るな。高級士官殿、卿の手腕の見せ処だぞ」

 カイはレムンに期待を込めて、この初夏を迎え様とする太陽の様に輝く、明るい茶色の瞳を、レムンに向けた。

「やれやれ、出世とは余りしたく無い物ですな」

 このプリゼーン城のバリス軍の撃破に成功すれば、明らかにブホータ王国の、対バリスの全軍出撃を決意させる物と為ろう。


 具体的には、今月末に作戦の詳細が伝わるので、レムンは早くも自部隊と、プリゼーン城内と、オグローツ城の派遣される部隊の連絡網を作り始めた。

 彼はカイから特別に、自身も含めて、この様な隠密の行動が得意な者を選抜して、独自の情報部隊を組織する事を許されている。

 帝都からは新規の突撃装甲車両が十輌、其のまま試験も兼ねて運用される。カイの部隊には五輌が、オグローツ城からの部隊には五輌が配置される。

「で、この戦で勝利すれば、晴れてお前さんは、将と為り、貴族様と為るのか?」

「いや、大功、と有ったからな、恐らくラテノグ州のバリスの城塞を落としたら、だろう」


 ホスワード帝国の最も南東の州である、レラーン州の海に面した漁村のトラム。

 五月二日の午前中にレナ・ウブチュブクと、共の女子部隊の二騎の合計三騎は、このウブチュブク家の別邸がある村へ到着した。

 出発日が帝国の西端のバルカーン城から、四月二十一日なので、十日以上かけての到着だ。

 途上は軍施設だけでなく、通常の市や村の宿泊施設にも泊まったが、現在帝国全土で移動の制限がされているので、軍装をしたこの三名は、不思議に思われたかも知れない。

 連絡兵なら、もっと慌ただしい筈だが、彼女たちは内の一人を、気遣いながらゆっくり進んで来た。


「ありがとう。もう戻っても大丈夫だけど、今日は私達の邸宅に泊まって、明日出発でも大丈夫だよ」

 レナは二人のシェラルブク出身の部下たちに言った。彼女たちは未だ二十代半ばの若さだが、既に結婚をして子を産んでいる。

 部下だが、母親としては先輩なので、レナは途上彼女たちの言う事に、素直に従っていた。

「では、お言葉に甘えさせて頂きます。其れとレナ様。お辛いでしょうが、本日よりもう馬に乗る事は、控えて下さる様に」


 馬を降りた三人は、トラムの厩舎に馬を預け、荷物を持ち、ウブチュブク家の別邸へ向かう。

 庭仕事をしていた邸宅の管理人である、ヴェルフの大叔父がレナに気付く。

「おお、レナ様。漸く到着されましたか。荷物を此方へ、おーい、ばあさん!レナ様が到着されたぞー!」

 家からヴェルフの大叔母が出て来て、満面の顔で「おめでとう御座います」、と言う。

「御二人には、お世話に為ります」

「好いんですよ。カイさんとレナ様の御子だなんて、全く素晴らしいです。今の処はオースナン市の婦人科を専門に行っている女性の医師が、週に一度診察に来ますが、お産が近く為ったら、この村に常駐してくれるそうです」


 ホスワード帝国では、医師は高度な知識と技能を有する、専門職として、高く評価されている。

 皮肉にも、この医師の地位向上が本格的に図られたのが、四代皇帝マゴメートの時代からであった。

 尤も、当の本人は次第に怪しげな呪術に嵌り、正統的な医術を信用しなく為っていったが。

 息子で、父帝を退位させた五代皇帝フラートは、マゴメートの施策の多くを改めさせたが、十二歳までの無料教育や、この様な医術の発展など、民衆に直接利が有る物は、寧ろより推進させた。

 また、学院では簡易な医療学を修了すれば、看護師の職に就け、更に帝国全土で三つ在る六年制の医術学院に入学する事が認められ、卒院すると、医師として働く事が許される。

 ホスワードでも数少ない、女性が活躍出来る場でも有り、医術学院に進む女性は、比較的多い。

 無論、裕福な家に生まれた場合が大半だが、これは男女を問わずだ。

 懸念としては、国政改革が為され、女性の有為の人材が医術で無く、政治の場へ流れてしまう事か。

 医療関係を管轄しているのは、宰相府の衛生局なので、宰相で、国政改革の発案者でもある、デヤン・イェーラルクリチフは、医療現場に有能な女性が多い事を知悉していたのだ。


 レナがトラムに到着して一週間後。帝都から、レナを高級士官に任じる報告に来た、兵部省の役人から、次に言われた事が、自身の昇進よりも驚いた。

「恐らく、来週か再来週に為ると思われますが、マグタレーナ・ウブチュブク指揮官のご両親と、姉君である皇妃様が、此処トラムへお祝いと、お見舞いに来られるそうです」

 傍で聞いていたヴェルフの大叔父夫婦も驚く。何しろ本朝(わがくに)御后(おきさき)様が来られるのだ。


 そして、ブローメルト家と彼らが養育しているツアラと、多くの従者がトラムに到着したのは、五月十九日であった。

 一行を持て成す様に、この日のトラムは雲一つない晴天で、潮風は柔らかく、先ずブローメルト一家は海に魅入られる。

「好い処ですね。お父様、お母様。パールリ州の別邸も絶景ですが、此処は活気あって、レナにお似合いね。ツアラは二度目ね」

「はい、素晴らしい処です」

 騎行して来た、皇妃カーテリーナは、馬を降り、海辺へ駆けだし、暫し潮風を其の身を浴びる。


 事前に知っていたとは云え、トラムの人々は五十名程の従者たちを、何処に泊めれば好いのか困惑した。

 そして、皇妃を見て、「やはりレナ様にそっくりだな」、と感想を述べ合う。

 トラムの村長と、事前に滞在していたレラーン州の知事が、一行をウブチュブク邸に案内する。

「お父様。お母様。リナ姉様。ツアラまで…」

「レナ、おめでとう。でも本当に驚きだわ」

 玄関で、リナは優しい笑顔を妹に向けた。

 レナの傍で、頭を下げ、平伏しようとしたヴェルフの大叔父夫婦に、気付いたティルが言葉を発した。

「ヴェルフ・ヘルキオス指揮官の御縁類の方々ですな。私はティル・ブローメルト子爵。娘のカーテリーナは皇妃だが、私用で来ているので、其の様な礼は不要です。レナの身の回りの世話をして下さって、此方が平伏したい位です」

 母のマリーカは、涙が溢れて、レナに抱き着いた。

「ああ、こんなに強く抱きしめたら、お腹の子に好くないかしら?」

「大丈夫。皆はどの位滞在するの?」

「お父さんとリナは一週間後に帝都へ戻る予定よ。お父さんは帝都防衛軍の司令官だし、リナは帝都で政務をしないといけないからね。私とツアラはもう少し残るけど」


 こうして、ウブチュブク邸へブローメルト一家の四名が入り、レラーン州の知事が急遽造らせた、邸宅周囲の営舎(バラック)に従者たちは入るが、半数近くが溢れ、彼らは其々トラムの家々に厄介になる事に為った。

 其れとは別に、レラーン州の衛士五十名程が昼夜を問わず、トラムの見回りをしている。

 ブローメルト家の一家は、ヴェルフの大叔父夫妻の海鮮の手料理に舌鼓を打ち、久方振りの笑いに包まれた。


第三十二章 大陸大戦 其之伍 将への道 了

 そんなわけで、まだまだ続きます。

 まるっと1年はこのタイトルで埋まりそうです。



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