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第三十章 大陸大戦 其之参 南国生まれの北の狼

 早くも大陸大戦が3回目ですが、まだまだ序盤といった感じです。

 ちゃんと、本年度中に終れるのか、不安になってきました。

第三十章 大陸大戦 其之参 南国生まれの北の狼



 ホスワード帝国歴百五十八年三月二十一日。メルティアナ州の北部の中央辺りに在るゼルテス市近郊で、ホスワード軍六万と、バリス軍七万五千は、数日に亘って睨み合っていた。

 基本的にバリス側は百五十門の火砲を昼夜問わずに撃ち込み、ホスワード側は土塁を築き、二百機の投石機から水弾を撃ち込んでいる。

 ホスワード軍の軍装は緑を基調とし、其の軍旗は緑色の地で中央に三本足の鷹が配されている。

 バリス軍の軍装は赤褐色を基調とし、其の軍旗は赤褐色の地で中央に双頭の鷲が配されている。

 若し、上空から望めば、西側に赤褐色の軍団、東側に緑色の軍団、と云う対峙が、鮮やかに見る事が出来たであろう。


 このバリス軍は、先月にメルティアナ州の北西部に在るスーア市に進駐し、進駐理由とホスワードに対する戦の正統性を、次の様に述べた。

「二年前にホスワードは我らと停戦条約を交わしたのにも拘らず、本朝(わがくに)の西に在るブホータ王国を唆し、彼らで以て本朝を脅かす事甚だしい。更にはホスワードではヴァトラックス教徒を弾圧し、彼らを収容所に入れている。外には謀略、内では強権。凡そ、人道や信義に(もと)る国なので、懲罰して、此処スーアの地にて、ヴァトラックス教徒の解放区を造る物である」

 バリス帝国では、制限付きだが、ヴァトラックス教徒の信仰が認められ、そう云った村落が実際に在る。

 この宣言は、スーアに進駐したバリス軍主力の総司令官が述べた物だが、内容はバリス軍の事実上の総帥のヘスディーテに因って、作られた物だ。

 彼は内心、スーア市にヴァトラックス教徒の解放区などを造る心算は、全く無い。


 このバリス帝国の皇太子であるヘスディーテは、この年に二十五歳に為る。

 彼は軍装では無く、身に付けているのは、上下共に濃い灰色の役人の衣服で、これには各所に銀の装飾がされ、上着の左胸には銀の双頭の鷲が配されている。

 そして、手袋と(ベルト)長靴(ブーツ)は漆黒であり、上半身に羽織った白の肩掛け(ケープ)にも銀の装飾が施されている。

 綺麗に切り揃えられた、美しく艶のある直毛の黒髪の上にも、銀で飾られた白の帽子を被り、其の下の顔は秀麗な白皙で、切れ長の目には、灰色の瞳が冷たく光っている。

 彼は、辛うじて長身と云う部類に属するが、其の体格は虚弱では無いにしろ、線が細く戦士の体付きをしていない。

 一応、腰には剣を佩いているが、この剣は柄が白で銀の装飾がされ、鍔は濃い銀色、柄の柄巻は灰色と黒が交互に混ざった造りだ。


 このバリス側の宣言は、スーア市に進駐した二月十四日の翌日に出された。

 前日、つまり進駐日にヘスディーテはスーア市長エレク・フーダッヒと面会した。

 ヘスディーテの傍らには、宛ら腹心の部下の様に、一人の男が付き従い、この男が両者を其々紹介した。

「殿下、此方が我が『師父』のフーダッヒ師であります」

 フーダッヒが片膝を付き、挨拶をする。ヘスディーテは立ち上がり、面を上げよ、と許可する。

「ヘスディーテ殿下。エレク・フーダッヒと申します。私が現在、三代目の『師父』をしている者です。この様にスーア市を掌握出来たのは、実は私は表向きはスーア市長だからです」

 ヘスディーテは無表情で聞いていた。今、フーダッヒを紹介した、パルヒーズ・ハートラウプにより、既知の事である。

「成程、市の掌握が、かように容易なのは、『師父』が市長を兼ねていたからか」

 ヘスディーテのこの冷たい無表情は、フーダッヒにこの周知の事を、悟られない役目を果たしたに違いない。


 スーア市長で、ヴァトラックス教徒の三代目の師父であるエレク・フーダッヒは、この年で五十歳。見た目は中肉中背で温容な政治家に見える。

 そして、唯一残った自由に動ける教団員のパルヒーズ・ハートラウプは、この年で三十四歳。身の丈は平均的な成年男性より少し高いだけで、其の細い身体には機敏さや身軽さを感じる。

 癖のある赤みががった茶色い髪と、優しげな顔には、やはり涼やかな薄茶色の瞳が輝く。其の為か、五・六歳は若く見える。


 この三者が、其々頭の中で巡らしている野望が、実は異なる。

 フーダッヒは、スーアの地に、曾てヴァトラックス教を国教としていたダバンザーク王国の復活。

 其れもバリス軍とホスワード軍が大いに戦い合って、疲弊すれば、最大でもメルティアナ州全土での復活を企図している。

 ヘスディーテは、最低でもホスワード軍を大いに破り、西部方面の領土確保。スーア市は重要地なので、完全にバリスの直轄地にする心算だ。

 また、和約の際にはホスワードのクラドエ州に、ホスワード人のヴァトラックス教徒の自治地区を造らせる。

 そして、パルヒーズは、表向きはフーダッヒの野望の手助けだが、実際はヘスディーテの野望の実現の為に動いている。

 同胞の多くは、ウェザール州の北東部に在る、収容所に入れられている。

 彼にとって一番の目的は、先ず彼らの解放だ。

 十五日に発表された宣言の「解放区」云々は、ヘスディーテにとっては、フーダッヒに対する見せかけ(ポーズ)でしかない。


 三月二十日のバリス軍の大本営では、ヘスディーテがゼルテスの地からスーアへの総退却を主張した。

 当然、総司令官を初めとする将軍や高級士官たちは、疑問や反対の意を出す。

「南のメルティアナ城の我が軍は敗れた。若し、我が主力が此処に留まったままだと、南のメルティアナ城と北のバルカーン城から、スーアの攻略軍が組織される恐れが有る。そう為れば我が軍は敵中に孤立する」

 バルカーン城にはバリス軍二万五千が攻囲しているが、ホスワード側はバルカーン城内の一万五千だけでなく、遠くに二万の騎兵を夜襲部隊として組織している。

 この夜襲部隊を一時的に、スーア攻略に使用される可能性をヘスディーテは述べた。

 現在、スーア市にはバリス軍は、五千しか駐在していない。

「引くのは一時的だ。再度の動きは、北方に動きが有ってから行う」

 北方とは、エルキト藩王国の事である。彼らは今、完全に後顧の憂いを取り除く為、西に在る強国「キフヤーク可寒(カカン)国」と交戦中だ。


 翌日の二十一日。ホスワード側が普段以上に水弾を浴びせてきたのは、昼を過ぎてからである。

 其れ処か、土塁の後方に潜んでいた歩兵が飛び出し、バリス軍の陣営に突撃して来た。

 約四万程のこの歩兵を指揮するのは、ホスワード全軍の野戦幕僚長を務めるヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書で、ホスワード歩兵は矢を浴びせ、手にした槍で突撃して来た。

 幾人かは、と云う因り、相当数のホスワード兵がバリス軍の火砲で吹き飛ばされたが、この強引さにバリス側は浮足立った。


 ほぼ同時に、バリス側の左翼。つまり北側に配置していた五千の騎兵隊が、来襲して来たホスワード軍一万の重騎兵隊と交戦する。

 このホスワードの重騎兵隊を率いるのは、大将軍のエドガイス・ワロンだ。

 ワロン大将軍は、ホスワード全軍の野戦副総司令官として、ヨギフと共に皇帝の補佐をしている。

 ホスワードの歩兵はヨギフ・ガルガミシュの指示の元、次々に引いて行く。

 バリス側は、この歩兵の正面突撃は陽動で、真の狙いは左翼の騎兵部隊の壊滅だ、と判断して、右翼に配置した騎兵隊五千を回し、更に歩兵も支援に回す。



 このバリス軍の動きを見計らったように、ホスワード帝国皇帝アムリート自らが率いる騎兵約八千が、バリス側の右翼に突撃した。

 アムリートはホスワード全軍の野戦総司令官である。

 ワロン大将軍の突撃さえも、陽動だったのだ。

 先頭を奔るのは、アムリートと二百名に増員された近衛隊だ。

 彼らは白を基調とした軍装と、人馬は白銀で武装されている。ホスワードの色である緑は、飾りの様に付いているだけだ。

 彼等が手にしている武器は、長槍や長剣である。


 この近衛隊の中に、五名の近衛隊の姿で無い戦士たちが混じっている。

 一人は皇帝副官のハイケ・ウブチュブク。

 もう四人は、つい先日まで、メルティアナ城での戦いに参加していた、「大海の騎兵隊」の幹部たちだ。

 主帥のカイ・ウブチュブク、副帥のヴェルフ・ヘルキオス、別帥で女子部隊指揮官のマグタレーナ・ウブチュブク、参軍のレムン・ディリブラントだ。

 この四名の役割はバリスの軍中に、フーダッヒ、またはパルヒーズ、或いは両者共に居るかの確認要員である。

 カイとレナことマグタレーナの夫妻は、フーダッヒとパルヒーズを直接見知っている。

 ヴェルフとレムンは、パルヒーズを直接見知っている。


 ハイケとレナの軍装は白を基調としているので、近衛隊に交じっても左程違和感は無い。

 カイとヴェルフの軍装は濃い緑の高級士官。レムンの軍装は緑の士官の姿だ。

 また、防具も異なる。

 レナは鉄具は元より、皮の防具すら身に付けていない。

 但し、其の分極めて軽快に疾走し、細かい動きも可能で、人馬一体と云う言葉を、其のまま体現している。

 抑々、水上で、船から船へと飛び移るのだから、地上で疾走する彼女に狙いを付けられる兵士など、先ず居ないであろう。


 男性四人は全く同じ武装である。

 皮の帽子は、首回りも保護する様に長く垂れ下がり、額周りには鉄の鉢金が巻き付けられている。

 上半身には皮の胸甲。手袋の上には鉄の籠手。長靴(ブーツ)の上には鉄の脛当てだ。

 カイとヴェルフは、更に背に長さが二尺(二メートル)、重さが八斤(八キログラム)を超える長槍を背負っている。

 ヴェルフが其の長槍の一振りにて、バリス兵数名を吹き飛ばす。

「ヘルキオス指揮官。我らの役目は、パルヒーズを陣中にて確認する事ですぞ!」

「だから、見晴らしを良くする為に、邪魔者を追い払ったのさ」

「では、御二人方は元々は私の護衛役なのですから、私に来る敵兵も打ち払って下さい。頼みましたぞ。ミセーム殿、ヘルキオス殿!」

 レムンは乗馬は達者だが、馬上で武を誇る事は、自他共に認める様に不得手である。

 カイも其のレムンの泣き言を聞いて、半ば笑いながら、背の長槍を扱く。


 バリス陣中は混乱に陥った。

 南から現れたホスワード軍に対して、一方的に陣中は突き破られる。

 其の混乱を目の当たりにしたヘスディーテは、全軍の総撤退を命じた。

「砲兵は速やかに全砲を移動式にして、撤収せよ。パルヒーズ、砲兵の総責任者に撤退進路の指示を頼む」

 パルヒーズ・ハートラウプは、バリス軍の前面。つまり最も東側に現れた。

 砲兵の総指揮官に地図を以て、退却路を指示する。


 バリス軍の砲は、四輪の車体の上に載っている。攻撃時は四輪は固定されるが、バリス兵たちは次々に砲の四輪を動ける様にする。この時点でもう砲は使えない。撃ったら、反動で吹き飛ぶからだ。

 其の瞬間、先頭を奔るアムリートの騎兵隊が現れた。

 慌てて、バリス兵たちは砲を手押しにて、後方、つまり西側へと逃げていく。


 カイ、ヴェルフ、レナ、レムン、全員が確認した。

 上に各所に銀をあしらった白の肩掛け(ケープ)を羽織った、戦場にそぐわない旅人風の衣服。

 周囲に退却路を必死に命じているが、何処か優しさを感じさせる雰囲気や振る舞い。

 カイは叫んだ。

「パルヒーズ!お前がバリスの内通者か!スーア市長のフーダッヒとは何か関係が有るのか!」

 其の叫びに気付いた、パルヒーズはほんの一瞬、叫んだ者を見て、優しい笑みを零した。

 如何も自分は、あの若きホスワードの英雄と奇妙な縁が有るらしい、と。


 数人が砲が備えられた四輪の台車を運んでいく。

 其れを守る様に、バリス兵はアムリート率いる騎兵隊に立ちはだかる。

「この様子だと、事前に総撤退の準備をしていたな。スーアに別働隊を組織されて、攻略されるのを避ける為か」

「陛下、このバリスの兵の追撃はガルガミシュ尚書にお任せして、我々はワロン大将軍の救援に赴きましょう。ウブチュブク指揮官がバリス軍中に、件のヴァトラックス教徒が居る事を確認しております」

 ハイケのこのアムリートに対する進言は、採択され、アムリートの八千の騎兵隊は、バリス軍の左翼へと進む。つまり、其のまま北へと直進する事に為る。


 カイは只一騎残って、西へと去って行くバリス兵達を見つめていた。

 今直ぐにでも、彼は西へと駆けて、パルヒーズを追い詰めたい衝動に我が身を焦がしている。

「カイ!何してるの!早くこっちへ!」

 妻のレナの声で、カイは我を戻し、半ば西を見つめながら、北へと奔った。


 アムリートの八千の騎兵と、ワロン大将軍の一万の重騎兵で、バリス軍を挟撃、とは出来なかった。

 アムリートが率いる部隊が、バリス陣営の最も左翼に到達した時には、重武装の騎兵や歩兵が壁と為り、次々に各部隊毎にバリス軍は戦場から離脱していたのだ。

 ワロン大将軍は攻め(あぐ)み、アムリートの軍と合流すると、皇帝に進言した。

「此方も追撃部隊を細かく編成して、別路より攻撃を加えるべきです。地の利は此方に有るのですから」

「いや、バリス側にこの辺りの地理に詳しい者が居る。ヘスディーテは其の者を傍に置いている様だ。また、砲兵を一番に撤退させたので、然るべき場所に砲兵部隊を再編制して、此方の追撃に対する反撃に使うやも知れぬ」


 特にこの地に詳しい、数十名の偵騎をアムリートは放ち、帰還した彼らの報告は、やはり要所に砲兵部隊が砲を構えて、此方の追撃に対する攻撃態勢を取っている事が判明した。

 バリス軍は、次々にこのゼルテスの地より、西のスーアへと部隊毎に退却して行き、中央の歩兵を任された、ヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書も、追撃を控える様に通達を出した。

 こうして、翌二十二日の昼前までにバリス軍は、ゼルテスから完全撤退し、全軍がスーアに戻った事が報告された。

 両軍の被害は、若干ホスワード側が多かったが、どちらも再度の軍事行動が即座に出来る程の軽微である。



 この「ゼルテスの戦い」は、別名「第一次ゼルテス会戦」、とも後に呼ばれる。

 ホスワード軍とバリス軍の主力は、このメルティアナ州の中央北部のゼルテス市付近で、今後も交戦する事に為るからだ。

 アムリートは、不本意ながら、ゼルテス市をスーア市に駐留するバリス軍に対抗する為、ホスワード本軍の駐屯基地とする事にした。

 当然、市長を初め市民たちの協力をお願いする。

 野外にて、幕舎内で何カ月も居続ける、と云うのは、将兵の心身に堪えるからだ。

 其の為、軍事要塞でもあるメルティアナ城が在るのだが、メルティアナ城からだと、バリスの軍事要塞と化した、スーア市に対する対応が遅れてしまう。

 アムリートはゼルテス市長と面会して、市の城塞化の許可を得て、大戦後は真っ先にゼルテス市の市民生活の回復を優先する、と約束した。


 早速、市庁舎の会議室で、皇帝アムリートを初め、ホスワード本軍の幹部たちが参集し、今後の計画等を話し合い、程無くしてカイたち四人が呼ばれた。

 会議室に入り、四人は右の拳を左胸に当てる敬礼をする。

 バリス軍にホスワード人、其れもヴァトラックス教徒の首魁ともされる、国事犯パルヒーズ・ハートラウプに対する説明を、四人は求められた。

 パルヒーズが国事犯とされているのは、アムリートの甥のユミシス大公の薨去後、其れを揶揄する俗謡を作り、ホスワード全土に流布させた張本人だからだ。

 資金援助に関しては、プラーキーナ系貴族と謂われる、ヴァトラックス教に耽溺した貴族たちが行い、彼らは今も監視下にある。

「エレク・フーダッヒが軍中に居なかったのは確かだな」

「はい、注意深くバリス軍中を観察しましたが、彼の姿は確認されませんでした」

 先ず、アムリートが質問を発すると、レナが明確に答えた。


「この中で一番初めに、パルヒーズ・ハートラウプなるヴァトラックス教徒のホスワード人と会ったのは、カイとヴェルフだな。どの様な状況下でだ?」

 アムリートの問いに、カイが代表して、バハール州のとある市で、彼の劇団による観劇が、最初だと言った。其の時は、劇の内容に少しの違和感と、衣装を納めた馬車に教団特有の灰白色の外套(フード)を見つけただけで、彼、及び劇団員たちが、ヴァトラックス教徒だとは思わなかった、と述べた。

「違和感を感じたのなら、何故追及せぬ。其のまま卿らは立ち去った、と云うのか」

 厳しい調子で、難詰したのは、ワロン大将軍だが、ヴェルフが平然と反論した。

「当時、小官たちは、任地のラニア州のボーボルム城塞への途上だったので、其の軍命を優先しました。追及の件が、もし小官らの不手際なら、其の軍命を出した御方の責も当然有るでしょう」

 この場にアムリートが居なかったら、ワロンはヴェルフを怒鳴りつけた筈である。

 流石にカイもヴェルフの身体に肘をぶつけ、其れ以上の発言をさせない様にする。


 アムリートは四人にも席に着く様に命じる。

 四人が座ると、少しは場の悪い空気は和らいだ。

「劇はヴァトラックス教の教えを間接的に広める内容で、命じたのは、『師父』と呼ばれる指導者。資金援助は、クラドエ州の貴族共だな」

「左様です、陛下。臣が調べた限りでは、劇の内容はプラーキーナ朝での、教団関係を匂わせる俗謡を元にした話が多かったです。後は其れらばかりだと怪しまれるのか、単純明快な剣劇も多く遣っていた様です」

 答えたのはレムンである。俗謡を流布させた吟遊詩人の調査の時に、集めた情報である。

「三代目の『師父』の死後に、卿ら三人はラスペチアで、其の『師父』と鳥葬する為に来ていた、パルヒーズと会っているな」

 ガルガミシュ尚書が述べる。この三代目の「師父」は、現在収容されている劇団員をたちも知っている者で、数年前に亡くなり、現在の「師父」は四代目のパルヒーズとされている。


「ヴァトラックス教徒の考えは分からぬが、『師父』などと指導的な立場の者が、あの様にヘスディーテの手足と為って、何故動く?」

 アムリートの呟きは、自身の推論で、応えた。

「恐らく、真の『師父』はフーダッヒであろう。其の鳥葬された者は、代理の可能性が高い。フーダッヒの正体が見破られない為の、な」

 ハイケが兄に確認する様に発言をした。

「ウブチュブク指揮官は、以前私たちにパルヒーズが俗謡を流布させたのは、自分たちの足が付かない為、敢えて行った、と推論を述べましたよね。確かにスーアをヴァトラックス教徒の解放区と、フーダッヒが以前より企図していたのなら、其の推論は正しいと思います。何故なら、フーダッヒが完全な指導者として、スーアに君臨する為に、貴族等の邪魔者たちは、これで廃したのですから」


「つまり、フーダッヒとハートラウプは何年も前から、この野望を企図していたが、其の裏面を知っている者は、当のこの二人だけ、と為る訳か。今、捕えている教団員や、クラドエ州の貴族共や教団関係者を追及しても、彼らはからは、何ら有益な情報が得られぬのか」

 ある若手の将軍が、こう嘆息して纏めると、アムリートがこの話を打ち切る様に、言葉を発した。

「この二人に関しては、其処までにして於こう。余はあのヘスディーテが、スーア市にヴァトラックス教団の解放区を造る事を、本心から行っているとは、とても思えぬ。彼も彼で、この二人を利用しているだけだ。我が軍が第一に行うべきは、バリス軍の本朝(わがくに)からの完全な駆逐。其れが成れば、自ずとこの二人も捕える事も出来るし、尋問も出来よう」


 翌日、カイたち四人は、メルティアナ城へ帰還と為った。

 ハイケが近辺まで、見送りに付いて来ている。

 ウブチュブクの兄弟は、お互いの安全を願い、激励をし、近況を語る。

「姉さんの赤子は四月の中頃が予定日だから、そろそろだね」

「そうか、メイユも二人の母か」

「兄さんとレナ様の方は、其の予定は無いのかい?」

 カイとレナは、お互いの顔を見合わせて、神妙な顔をする。

 其れを見ていた、ヴェルフとレムンが失笑を堪える。

「お前こそ、誰か好い相手は居ないのか?噂で聞いたが、宮中では特に若い宮女たちが、お前の噂で持ち切りだと云うではないか」

 兄弟は、以前のカリーフ村での生活に戻った様に、笑顔で軽口を叩き合う。

 其れは僅か六年前までの事である。

 だが、この六年で、この兄弟は国の柱石とも評される人物に為っている。

 そう、六年前に亡くなった、父ガリン・ウブチュブクの様に…。

「それじゃあ、シュキンとシュシンに宜しく!」

 ハイケは四騎が見えなく為るまで、手を振って見送っていた。



 クルト・ミクルシュクは、テヌーラ帝国の首都オデュオス郊外に在る、軍用の馬を管理する厩舎の長で、「テヌーラ騎兵総監」の職に就いている父の、其の次男として生まれた。

 テヌーラ歴では百五十三年と為る。

 現在、つまりテヌーラ歴百八十四年でも、父は其の総監の座に在り、実兄は三千程のテヌーラ騎兵団の団長を務めている。

 ミクルシュク家は、プラーキーナ朝末期に権勢を誇った一族である。

 特に相国として、皇帝をも凌ぐ権力を持った、ビクトゥル・ミクルシュクの配下には、ホスワード朝の開祖メルオンと、バリス朝の開祖コクダンが居た。

 然し、ビクトゥル・ミクルシュクは、プラーキーナ朝簒奪直前に長子と共に殺され、次子がプラーキーナ朝の帝都であったメルティアナ城で、勢力を維持し、ミクルシュク家の故地である今のエルキト付近に割拠していた一族の決起と、彼自身は南のテヌーラ帝国にメルティアナ城を明け渡し、メルオン・ホスワードと対抗していた。


 結果、メルティアナ城はメルオンに攻略され、故地は完全に破壊され、行く当ての無くなったこの次子はテヌーラ帝国に亡命する。

 名をエツェル・ミクルシュクと云い、彼はテヌーラの厚遇を受けて、テヌーラ皇族に連なる貴族の娘と結婚した。

 こうして、テヌーラの地にミクルシュク家は根を張って行く。

 エツェル・ミクルシュクは、創設されたばかりの騎兵部隊の総指揮官と為り、更に厩舎の充実を主に行っていた。

 肝心の馬だが、これは主にエルキトより海上で輸入していた。

 当然、大規模に輸入された訳では無いので、現在もテヌーラの騎兵部隊は三千騎だけである。


 寧ろ、輸入、と云う因り、人材がミクルシュク家に集まった。

 単にエルキトで生活に困窮した者が、この馬の輸入船に乗り、亡命。

 中には、同じ様にホスワードに亡命したエルキト人が、更にテヌーラへと又亡命していた。

 テヌーラは騎兵が充実していない為、馬術の腕や馬の飼育の得意な者は、厚遇されると言われていたからだ。


 テヌーラのミクルシュク家の始祖は、テヌーラ貴族と結婚したエツェルだが、其れ以降は基本的にミクルシュク家は、この様なエルキト人の亡命者の娘を娶る事が多かった。

 次第に、このオデュオス郊外の厩舎は、テヌーラ語とエルキト語が飛び交う、一種の特別区と為って行く。

 クルトも当然、この環境下で生まれ育ち、其れ処か十五に為る頃には、誰も馬術や騎射や馬上での武勇で、彼に敵う者はいなかった。

 父はこの剛勇の次男のクルトを跡取りにしよう、と思った程である。

 長男は決して無能では無かったが、クルトと比べると、武人としてあらゆる点で見劣りするのだ。

 だが、クルトは十八歳の時に役人試験を受け、更に上級の役人に為れる試験も受かり、中央政界の礼部省(外務省)で働く事に為った。

 兄との跡目争いを避ける為か、単にクルトが役人としての出世を望んだかは、定かで無い。


 そして、若くして礼部省で実績を積んだクルトは、エルキト帝国の通使館の長として赴任する。

 其の後の彼は、誰もが予想もしなかった立ち回りをして、現在はテヌーラ帝国の衛星国とも云うべき、エルキト藩王国の藩王殿下として、一国の主だ。


 エルキト帝国の東端より、遥か西へと干草原(ステップ)地帯が続く、山脈や森林地帯が無い平原で、この地域の主な国々は、エルキト、キフヤーク、ルスランと云った騎馬遊牧を主体とした可寒国が在り、終着地が、レムトゥーム帝国の東端のコルパート平原と為る。

 主に、干草原地帯の北は針葉樹林(タイガ)地帯、南は砂漠や山脈だ。

 要するに、エルキト可寒国とキフヤーク可寒国の間には、地理上の障壁が無く、お互いに相手国の奥深くまで、侵攻出来、屈服させる事が可能だ。


 この辺りの建国神話には、狼が始祖として表現される。

 家畜を襲う場合が有るのだから、寧ろ害獣扱いされ忌み嫌われそうだが、何故か狼を神聖視する。

 遥か西のレムトゥームでも、狼が建国神話に出て来る。

 戦では、可寒の牙門(大本営)の旌旗の上には、狼の頭蓋骨が付けられている。

 そして彼らにとって、戦とは相手を屈服させ、奪い尽くす、将に狼の狩りである。

 故に、狼を神聖視するのかも知れない。


 エルキト可寒国とキフヤーク可寒国は、昨年、テヌーラ歴で云うと百八十三年の二月に交戦している。

 この戦いは、キフヤークがエルキトに侵攻したが、迎撃側のエルキト側の一方的に勝利に終わっている。

 そして、一年後のテヌーラ歴百八十四年三月の中旬、今度はエルキト側が、キフヤークの勢力圏へ侵攻した。

 エルキト藩王軍は八万、キフヤーク軍は十万。全軍騎兵である。両軍とも主君である可寒が出陣しているので、本陣には共に狼の頭蓋骨の旌旗が掲げられている。

 お互いに、速射が可能で、且つ威力のある、複合弓にて馬上より相手に浴びせる。

 処が、エルキト藩王軍は反転して、逃げて行った。


 エルキト藩王軍は、後ろ向きに矢を浴びせては逃げて行く。

 本来、この戦い方は、機動力に劣る歩兵が混じった軍団に対して有効なのであって、全軍騎兵のキフヤーク軍は、陣形を乱さずにエルキト藩王軍を追い、矢を浴びせる。

 エルキト藩王軍は、後方に控えさせていた、輜重部隊の地域まで後退した。

 輜重車は四輪で二百輌は在り、其れを曳く馬は外され、後退する自軍に対して、幅二十丈(二百メートル)の両側に、百輌ごとに並んでいた。


 エルキト藩王軍が、この両側に並んだ輜重車の間の道を通り過ぎ、追撃して来たキフヤーク軍が侵入して来た。

 すると、両側に並んだ輜重車の内側の側面の板が、下面を軸として外側へと回転して、下へと外れて落ちた。

 輜重車の中には、連続して十本の弓を発射出来る連弩を構えた兵が、一輌につき十人居て、其の後ろには、矢を弩の上にある装置に補充する担当の兵が、十名控えていた。更に後ろには、数えきれない程の矢が積まれている。

 中の弩兵が十本打ち尽くすと、背後の兵が十本の矢を弩の上部にある箱状の装置に再装填する。弩兵はただ操作棒(レバー)を引いて離すだけの操作だ。


 両側からキフヤーク騎兵は、この連弩の猛射撃に遭い、人馬が次々に倒れて行く。

 反転したエルキト藩王軍の主力は、角笛を鳴らして、この混乱したキフヤーク軍に突撃をする。

 手にした槍で以て、接近戦を敢行する。

 角笛は、味方に弩の連射を止める合図だ。

 反転した全軍の先頭には、長大な三叉槍(トライデント)を構えた、可寒クルト・ミクルシュクが奔っている。

 エルキト藩王軍の一方的な殺戮と為り、キフヤーク軍の総帥の可寒は、一年前と同様に逃げ出して行く。



「この種の小手先の奇術は、改良と工夫を凝らせ、手を変えれば、意外と通用する物らしいな。ドンロ大河でテヌーラの水軍は、二度も騎兵突撃の奇術で敗れたと聞いたが」

 大勢が決したので、クルトは追撃は部下達に任せ、自身はこの輜重車の中の弩兵たちを労う。

「此のままキフヤーク可寒の首を討ち取り、彼の国を完全併呑出来るが、流石にそろそろアヴァーナ帝とヘスディーテ殿下の支援に赴こう。明日は帰還準備、明後日に全軍は本拠地に帰還する!」

 この時、クルトの元へ、バリス・テヌーラ連合軍が、ドンロ大河だけでなく、メルティアナ城の攻略にも失敗し、敗れ潰走した事を伝える伝令兵が来たからだ。


 何とも慌ただしいが、部下達は何の不満も無い。

 其れ処か、自分達のこの主君を崇拝の眼で仰ぎ見る。

 エルキト藩王軍は、当然エルキト諸部族から構成されているが、数百名のテヌーラ将兵も混じっている。

 クルトの起兵時のテヌーラの通使館の関係者だけでなく、藩王国の成立より、クルトの故郷のオデュオス郊外の厩舎から、彼の父親の部下達が自発的に加わっている。

 エルキト藩王軍は、この様に生まれた地や環境が異なるが、主君に完全忠誠を誓っている処で一致している。


 クルト・ミクルシュクは、この年に三十一歳に為る。

 身の丈は百と九十五寸(百九十五センチメートル)を超え、体格は、獣皮の戦披(マント)を纏い、鉄鎧と黄土色の軍装に包まれているが、筋骨逞しい事が好く分かる。

 獣皮の帽子と鉄兜を取ると、明るい褐色の頭髪が露わに為る。

 其の側頭部は剃りあげ、後頭部は伸ばし、其れを編んで垂らしている。

 整った顔立ちは、他者を圧倒する険しさに満ち、細長い鼻の両目は落ち窪み、其処から発せられる鋭い眼光の瞳は、黄みがかった薄茶色である。

 彼はテヌーラ人の側近を呼び、文具の用意を頼む。

 そして、形式上の主君のアヴァーナと、実家の父と兄宛の手紙を其の場で書き、この伝令兵に渡した。

 当然、外洋へ出て行くので、到着には時間が掛かるであろう。


 テヌーラ帝国の皇帝アヴァーナ・テヌーラは、苛立ちが止まらなかった。

 アヴァーナは、この年で四十二歳に為るが、其の硬質の美貌は歳を重ねるにつれ、ますます近寄り難い雰囲気を纏っている。

 二月には、ドンロ大河でのバリス軍との連合水軍が、ホスワード水軍に打ち破られ、三月には、メルティアナ城攻略の、やはりバリス軍との連合軍が、ホスワード軍に因って打ち負かされた。

 南のヴィエットとの水戦では、勝利を収めたが、被害が深刻で、南方の陸戦も膠着状態だ。

 三月も終わりに近づく頃、アヴァーナの主席秘書が、遥か遠くのクルト・ミクルシュクの親書を、恐る恐る手渡した。

「臣クルト、陛下に奏上致します…」、と始まる内容は、テヌーラ軍に対する要請であった。


 先ず、ホスワードのドンロ大河上のボーボルム城に、定期的な攻撃を加える事。

 理由としては、城塞の攻略で無く、大規模で無くて好いので、少しでも定期的な攻撃を加える事に因って、ホスワード軍船の回復と整備を遅らせる事。

 また、これはボーボルム城の水兵を、歩兵一万として、他戦線に赴けさせない為だ。

 次に、ホスワードのメルティアナ城に、先の敗残兵で最低でも一万以上は再編成し、メルティアナ城に再度貼り付けさせる事。今度は攻城兵器を持ち込むべき、と補足してある。

 更に、このメルティアナ城の部隊に、自身の兄が団長を務める、テヌーラ騎兵隊三千を参加させる事。

 これも理由はメルティアナ城内の歩騎が、他戦線の援助に行かせない為である。

「…四月の中頃までには、臣のエルキト藩王軍は全軍を上げて、ホスワードの影響下のエルキト地域に侵攻致します」、と結んであった。

 アヴァーナは即座に主席秘書に閣僚の招集と、関連する各部署に命を下す。


 クルトが実家へ書いた手紙は、「何とか元気でやっている」、と有り触れた内容だが、兄に対して、「兄者にはメルティアナ城の侵攻の騎兵指揮官として、アヴァーナ陛下に書面にて進言をした。若し、採択されれば、兄者の御武運を祈る」、と有った。

 クルトの兄はゲルト・ミクルシュクと云い、クルトの二歳上である。

 僅か三千だが、テヌーラ帝国の騎兵部隊の団長だ。

 そして、実際に数日後、ゲルトはオデュオスに参内を求められ、正式にメルティアナ城の侵攻部隊として、騎兵三千を率いる事を命じられた。


 テヌーラ軍は、メルティアナ州の南西に位置する、カートハージ州で、先のメルティアナ城攻略で潰走した六万の内、軽傷で済んだ約一万五千程を再編成し、更に十数台の梯車を用意した。

 そして、ドンロ大河を数艘の輸送船で以て、ゲルト・ミクルシュク率いる三千の騎兵隊が、カートハージへと遡上する。

 この全軍の集結は、四月九日であった。

 既に、前の戦いで自分たちを蹂躙した装甲車両群は、全て北のゼルテスのホスワード本陣に帰還した事は確認済みだ。

 あの危険極まる車両が無い事と、あくまで城の攻略では無く、メルティアナ城内の軍団を引き留めて置く事が、主体の軍事行動なので、テヌーラ軍は士気も高く、翌日には北東のメルティアナ城目指して進発した。


 ほぼ同時期に、テヌーラ水軍はボーボルム城にちょっかい(・・・・・)を出す様に為った。

 数十艘の駆逐船が、火矢や石弾を放ったりするのだが、ホスワード水軍が迎撃に出ると、一目散に逃げて行く。

 特にホスワード側を悩ませたのは、夜半でも襲撃に来る事だ。

 恐らく、交代制で行っているのだろう。ボーボルム城はこのテヌーラの子煩い蠅に悩まされ、肝心の大型船や中型船の修復作業は、次第に遅滞して行った。

 軍船の修復等の資材は、ドンロ大河を使わず、ホスワード国内の道路や水路で運搬しているので、資材の安全は確保出来ているが、如何しても肝心の作業が遅れるのは、ボーボルム城司令官、ヌヴェル将軍としても頭の痛い処だった。


 メルティアナ城内には、騎兵五千、歩兵八千が常駐して居る。

 整備の終った装甲車両の百輌と、ルカ・キュリウス将軍の重騎兵一万は、一週間前に北のゼルテス市の皇帝の本陣に戻っている。

 カイ・ウブチュブク率いる「大海の騎兵隊」、約二千は残っている。

 メルティアナ城司令官、ウラド・ガルガミシュ将軍は、歩兵五千を残し、歩騎八千とカイの部隊を率い、ゼルテス市の本陣に支援部隊として、赴く準備をしていた。

 処が、又もテヌーラの軍勢が攻囲に現れた。

 この中には、テヌーラの騎兵隊も居る事にウラドは驚く。

 即座に、支援部隊の編成を解いて、城の防備を固める準備を、ウラドは部下の将兵たちに命じた。


 そんな中、急報がメルティアナ城にもたらされた。四月十二日だ。

 北のエルキト藩王軍が南下を開始した為、バルカーン城とプリゼーン城の支援部隊の四万の騎兵は即時撤退して、北の防備に向かったとの事である。

 バルカーン城の支援部隊として、カイの「大海の騎兵隊」を向かわせよ、との命が下った。

 これには、例の装甲車両群とキュリウス将軍も向かうので、カイの部隊は途上で合流せよ、ともあった。


 そして、ボーボルム城にも、ゼルテス市の大本営から、通達が届いた。

 書面を読んだ、ヌヴェルは頷き、副官に船渠(ドック)の軍船整備の責任者を呼ぶ事を命ずる。

「特殊大型船の整備は終わっているか?」

「三艘とも被害が軽微なので、他の被害の大きい船の修復を優先しております。若し、今直ぐにせよ、と仰るのなら、半日も有れば、三艘とも整備は終わります」

「では、二艘を整備し、外洋の操船経験が有る者たちを集めよ。整備が終わり次第、出港だ」

「あの軍船はウブチュブク指揮官たちしか、運用出来ませんが…」

「だから、ウブチュブク指揮官に運用させる為に、出港させるのだ。外洋に出て、ボーンゼン河を遡上する。目的地はメノスター州のバルカーン城付近だ」



 カイの部隊がメルティアナ城の最も北東の門から出発する事に為った。

 然し、このテヌーラ軍には三千の騎兵隊が確認されている。

 其の為、ウラドはカイの部隊が後背から、襲われない様に、自身が五千騎を率いて、テヌーラ騎兵を防ぐ事にした。

「ガルガミシュ将軍。では、宜しくお願いします」

「カイ、後ろの事は我らに任せよ。卿たちは北を目指して直進すれば好い。壮健でな」

 カイは自部隊の殿を務め、先頭はヴェルフに任せた。

 四月十三日の午前。霧も無く、まばらな雲が在るだけの日中、カイの部隊は東の最も北の城門から、出発した。

 当初は隠密の夜半行動とすべきでは、との案も有ったが、実際にテヌーラ騎兵と手合わせをして、其の実力を測る事が決まり、ウラドの五千の騎兵隊は、カイたちが出発した後に、出撃する予定である。


 テヌーラ軍は、事前にメルティアナ城の周囲の離れた処に、見張り専用の兵を配置していたので、ホスワードの騎兵部隊が他戦線へ赴く為に進発している、との情報は、即座にテヌーラ司令部に伝わった。

「ミクルシュク団長。この騎兵部隊の追撃を頼む」

 総司令官に言われた、ゲルト・ミクルシュクは、即座に全騎兵団を報告された地域に飛ばす。


 部隊の最後尾にいるカイが、テヌーラ騎兵隊が猛追して来るのを確認したのは、出発して半刻程だ。

 テヌーラ騎兵隊は、馬は鎖帷子で覆われ、弓と接近戦用の鉄の長槍を持っている。頭には薄く視界を遮らない鉄兜、やや濃い蒼色の軍装の上には鉄の鎧を身に付けているが、この鎧は動き易い様に関節部分などの可動域は、薄い鉄板が組み合わさって出来ている。

 先頭を奔る長大な三叉槍(トライデント)を持つ指揮官らしき男を遠望して、カイは仰天する。

「クルト・ミクルシュク!?」、と一瞬思ったが、好く見ると、全体的な雰囲気や纏っている凄みが異なる。

 そう謂えば、クルトはテヌーラの出身だ。この指揮官は、或いはクルトの縁類に当たる者では無いか、とカイは推測した。


 カイは二頭立ての輜重車が、十数両並ぶ最後尾で馬を駆けている。

 共として行動しているのは、騎乗している弟たちのシュキンとシュシンだ。

 其の為、三騎の進行速度は極めて遅いが、逆にテヌーラ騎兵部隊と、出撃して来たウラドの騎兵部隊の激突を、彼らは至近で見る事に為った。


 ウラドの騎兵隊が出撃すると、テヌーラ騎兵は整然と矢を浴びせる。

 そして、両軍は其のまま至近に迫り、近接戦闘に入った。

 ホスワード側もテヌーラ側も、近接用の主武器は鉄の槍で、大体百と二十寸から五十寸(百二十~五十センチメートル)である。

 だが、ウラドが扱う鉄の槍は、二尺(二メートル)を超え、先端が蛇の様に波打つ刃先だ。


 ウラドは敵の指揮官と思わしき男と一騎打ちに為った。

 相手も二尺を超える三叉槍を扱っている。

「我が名は、ウラド・ガルガミシュ。この城の司令官をしている。テヌーラの騎兵隊の指揮官よ。卿の名を聞いて於こう」

 ウラドはややたどたどしいテヌーラ語で問う。返答は見事なホスワード語だった。微かな訛りにテヌーラ語の影響を感じさせる程度だ。

「我が名は、ゲルト・ミクルシュク。我が一族の始祖は、このメルティアナ城を本拠としたエツェル・ミクルシュクだ。この城はテヌーラ領とし、私は始祖の後を継いで、この城の司令官とさせて貰う!」

「ふん、戯言を!」

 両者は激しく打ち合う。共に身の丈が百と九十五寸程の屈強な体格だ。


 ウラドは驚く。テヌーラ人で馬上でこれ程の武芸を持つ者が居る事に。

 然し、討ち合いの中で、慎重に相手をすれば、自身が討ち取られる事は無い、と判断出来たが、逆に周囲が確認出来ない。

 この男を相手にしたまま、周囲の確認を行おうとすれば、ウラドは自身が討ち取られる危険を察した。

 あくまで、カイの部隊が安全圏に赴けるまでの時間稼ぎである。

 ウラドは巧く、相手のこのゲルトとの間合いを取り、周囲が確認出来る位置にまで退いた。

 カイの部隊は、もう点の様にしか見えない。

 だが、驚いたのは、自身の部隊が、テヌーラ騎兵隊に押されている事だ。

「指揮官だけでなく、テヌーラはこれ程の騎兵部隊を持っているとは…」

 ウラドはゲルトから完全に離れ、部隊の指揮に専念する事にした。少しずつ部隊を城内に引き戻し、城門の上の櫓や、近辺の城壁上から、弓兵の支援を頼む。


「待て!逃げるのか!」

 ゲルトはウラドを追う。処が、其処に巨大な濃い緑の旋風が巻き起こった様に、一騎が現れた。

 カイ・ウブチュブクである。

 至近で、この両軍の激突を見ていたカイは、弟たちに殿を任せて、直進では無く、大きく曲がりながら、メルティアナ城へ戻り、中途で割って入ったのだ。

「ガルガミシュ将軍。部隊の城内の引き上げに専念して下さい。この男は小官が相手をします!」

 内心ウラドは助かった、と思ったが、カイには注意を促した。

「其の男は危険だぞ。少しでも危険を感じたら、構わず逃げ、早く北へ向え!」


 カイが先に斧が付いた二尺を超える、長大な槍を扱く。

 今度はカイとゲルトの一騎打ちに為った。

「貴様はクルト・ミクルシュクと何か関係が有るのか?」

「エルキト藩王クルトは、我が弟だ。クルトに敵う者など、この地上の何処にも居らぬわ!」

 処が、ゲルトは防戦一方と為ってしまう。若き日に武芸の稽古で、弟のクルト相手でも、これ程に一方的にやられた経験は無い。

「き、貴様は、カイ・ウブチュブクか…」

 ゲルトが呟いたのは、其れだけで、呼吸が乱れ、最早、其れ以上の言葉が出ない。更に、彼は全身に疲労を感じ、身の危機感と合わせて、汗まみれに為っている。

 辛うじて体が震えるのを、如何にか止めているのは、この男の剛毅さを示している。

 弟のクルトから、「ホスワードのカイ・ウブチュブクなる化け物は、相手にしない様に」、と手紙に記されていた事を思い出す。

 ゲルトはカイから離れて行ったが、カイは追わない。其の顔は余裕が有り、疲労感を全く感じさせない姿だ。


「全軍引くぞ!」

 ゲルトが、如何にか声を振り絞り、そう命ずると、テヌーラ騎兵は整然と陣形を整え、ゲルトを中心に強兵が槍を付きだし、間から弓に自信が有る者が、矢を射る。

 そして、小部隊ずつに、テヌーラ騎兵は戦線を離脱して行き、最後にはゲルトの殿の騎兵も引いて行った。

 カイは馬上で八斤(八キログラム)以上のこの長大な槍を、小枝を振るう様に振り回し、降り注がれる矢を弾く。

 そして、ウラドの軍が全て城内へ、ゲルトの軍が南の遥か後方へ下がった事を確認すると、槍を背に納め、馬を飛ばし、自部隊の後を追った。


 「大海の騎兵隊」が最初の休息地とした処にカイが現れたのは、全員が揃って一刻近くが経ってからだ。

 ヴェルフがカイの軍装が少し汚れているのを確認する。

「さては、お前、メルティアナ城でひと暴れして来たな。一人だけ狡いぞ」

「ちょっと、何でそんな無茶をするの!」

 妻のレナの言葉に、カイは平然と反論した。

「無茶と云うのは、あの場で敵の指揮官を討ち取り、復仇に猛り立つテヌーラ騎兵を相手に立ちまわる事だ。俺はガルガミシュ将軍たちが、安全に城内へ帰還するのを手伝っただけだ」

 更に何か言おうとしたレナを落ち着かせる様に、レムンが間に入り、地図を示した。

「あの、夫婦喧嘩は後ほどでお願い致します。此処がキュリウス将軍とヴィッツ指揮官との合流地点に為ります」

 合流地点はメノスター州の南部の中央から、やや西寄りであった。

 バルカーン城は、メノスター州の西端で、南北の位置はほぼ中央である。


「ほう、テヌーラの騎兵隊の指揮官は、あのエルキト藩王の実兄なのか」

「高度に訓練された騎兵隊だった。恐らくあの三千騎が全軍なのだろうが、若し、テヌーラが万を超える騎兵部隊を保持していたらと思うと、空恐ろしい物が有るぞ」

「そう謂えば、ミクルシュクって、プラーキーナ朝の末期に相国と為った権臣の姓だよね。其の相国の息子の一人が、戦乱中にテヌーラに亡命したって話が、半分噂話として有ったけど、如何も本当の様ね」

 カイとレナとヴェルフが、近くの川から汲んで、ろ過装置を通した水を飲みながら語り合う。

 オッドルーンとレムンが点呼が終ったので、何時でも出発可能だと報告して来た。

 カイは立ち上がり命ずる。

「では、行くか!」


「脱出を許したのは、二千騎程で、残りは未だ城内に残っているのだな」

「はっ、小官の力及ばず、申し訳ありません」

「だが、城内の五千の騎兵を抑えられる力量が、卿に有る事は分かった。以降も頼む」

「承知致しました」

 テヌーラの総司令官はゲルトを労わった。


 ゲルト率いる、このテヌーラの騎兵隊は、テヌーラ人とエルキト人の、文字通りの混種である。

 また、クルトは役人に為ってから、エルキトの通使館の長と為る前までは、休暇が有る度に、この部隊の在る実家を訪れ、共に調練に汗を流していた。

 いや、寧ろクルトが来る度に、騎兵隊の練度は上がり、ウラド・ガルガミシュの騎兵隊を数が少ないながらも押していたのだ。

 実際、城内に戻ったウラドも悩む。

 このままあの騎兵隊も含めて、攻囲されては自身の軍の一万三千が他戦線に使えない。

 ボーボルム城の一万の兵も、昼夜を問わず奇襲に現れるテヌーラの小船団に悩まされている、との報も得ている。


 緒戦の二つの会戦に、ホスワード軍はテヌーラ軍に一方的な勝利を収めたが、この様に南部戦線はテヌーラ帝国の意地に、この大陸大戦中、ホスワード側は長く悩まされる事に為る。

 そんな中、南下するエルキト藩王軍約八万が、マグヌス・バールキスカン将軍率いるホスワード・エルキト連合軍六万と、エルキトのシェラルブクの地に近い開けた平野で激突をする。

 時期は、ホスワード帝国歴百五十八年四月十四日。両軍は共に騎兵だ。

 ホスワード側のホスワード兵は緑の軍装、エルキト兵は頭には皮の帽子の上に緑の布を巻き、首には緑の首巻(マフラー)を靡かせ、掲げる旌旗は、中央に三本足の鷹が配された緑だ。

 エルキト藩王軍は黄土色の軍装で、掲げる旌旗も黄土色だが、四辺がやや濃い蒼で縁取りされ、中央に配された銀色の狼も、やや濃い蒼で縁取りされている。


「このままホスワード軍を一蹴して、南下すれば、エルマント州に入る。そして、エルマント州を抜ければ、ホスワードの帝都ウェザールに迫る事が出来る。さすれば、バリス軍と対峙しているホスワード軍は大混乱と為ろう」

 クルト・ミクルシュクは、自身の祖先のビクトゥル・ミクルシュクの部下だった、メルオン・ホスワードが根拠地としたウェザールまでの進撃を目指していた。

 ミクルシュク家の故地は、このメルオン・ホスワードに因って、完全破壊されている。


「では、ティル・ブローメルト子爵を一時的に将として、一軍を率いる権を与える」

 帝都ウェザールの兵部省内では、伯爵ヴァルテマー・ホーゲルヴァイデ兵部次官が、ティルを将として、約二万五千の帝都防衛軍を率いる認可をしていた。

 この二万五千は、退役兵からの志願者や、衛士の中で軍の経験が有った者を中心に構成されている。

 練兵場内では、ティルは全軍を集めて、説明をする。

「我が部隊は、北のボーンゼン河を渡り、帝都の防衛軍と為る。バールキスカン将軍は百戦錬磨の将だ。必ずや、エルキト藩王軍を退けるだろう。だが、この様に常に最悪の事態を想定に入れて、組織をし、行動を起こすのが、ホスワード軍の伝統である。諸卿らの集中に期待するや、大である」

 ティル・ブローメルトは、この年で五十九歳。

 ゼルテス市の大本営では、この年で六十九歳に為る、兵部尚書のヨギフ・ガルガミシュが、野戦幕僚長として居るのだから、老将とは云えないだろう。

 但し、ティルは実戦の指揮を、もう十年以上は行っていない。

 アムリートが即位すると、舅に当たる彼は、自ら将を辞し、閑職に回ったのだ。

 若き日には、同年のガリン・ウブチュブクと共に、ホスワードを代表する驍将として知られていた。


 そして、この軍にはカリーフ村のウブチュブク家から、ガリンの従卒をしていたモルティも参加している。

 モルティはガリンが軍籍を退くと、同じく軍を離れ、ムヒル市で衛士を務めていた。

「家は、いや、カリーフ村は、俺が守ります!モルティさんは、安心して防衛軍に参加して下さい!」

 ウブチュブク家の末弟のグライが、そう後押ししたのだ。

 一方、セツカはハムチュース村のレーマック家に住んでいる。

 午前の移動が制限されているので、其のまま学院の在るハムチュース村に在住しているのだ。

 また、姉であるメイユが身重の為、家に居る時はレーマック家の家事全般を担当している。

 姉の夫のタナスは自分も手伝おうとしたが、セツカにこう言われた。

「お世話に為っているので、家の事は私がします。先生は学院とソルクタニの面倒の事だけを考えて下さい」

 タナスは、渋々セツカの言う事に従った。

 それを見て笑っていたメイユは、当の四月十四日に、二人目の子を産んだ。

 男の子だ。

 この様に大戦が有ろうと、無かろうと、命は生まれる。

 カイ・ウブチュブクが軍務を志したのは、この様な新たな弱き命を護る為なのだ。

 そして、彼にも、新たな命がもたらされる事を知るのは、程無くしてからである。


第三十章 大陸大戦 其之参 南国生まれの北の狼 了

 クルトさんは書いてて一番面白いキャラです。

 某ゲームの様に、「統率」、「武力」、「知力」、「政治」、「魅力」の合計値が、本作で一番高そうなキャラですね。

 (次点はアムリートさんか?)



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