表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/44

第三章 初任務

 期間が開いてしまって、申し訳ありません。第三章です。


 地味な感じなので、ちょっとは華麗な人物(?)を出してみました。

 まぁ、カイも主人公補正でそれなりに目立つんですけどね。


 それでは第三章、よろしくお願いいたします。

第三章 初任務



 ホスワード帝国は帝国歴百五十三年を迎え、二十日ほど経った。帝都ウェザールとその付近は冬の寒さは厳しいが、平地のため降雪はあまりない。十二月の初めから二月の終わり頃まで、週に一日か二日、粉雪が舞うか、みぞれが降るか、冷たい雨が降るくらいで、大雪はその間に月に一回起こるくらいだ。大雪といっても、せいぜい脛のあたりまで積もるくらいで、雪かきも特別大作業とはならない。

 ただこの時期のウェザールは、ほぼ一日中厚い灰色の雲に空は覆われているため、短い昼の間に太陽は完全に雲の中に隠れているか、時折その存在を主張するかの如く、淡く気分的に照っている。


 練兵場には去年の年末に調練を終えた志願兵三百五十人の中の八割がたが残っていた。残りの二割は近隣に実家があるので、一旦帰郷している。彼らは二月に入って即座に合否を受けて、さっそく初任務に就く。それまでこの一カ月の間、残った者たちは施設の修繕をはじめとする軽作業を時折命じられていた。

 大地は雪やみぞれや雨のおかげで、かすかに日の当たるところはぬかるみ、日の当たらないところは凍っている。

 そんな悪条件の中を二騎が疾走していた。カイとヴェルフである。


「ヴェルフ!こんな状態の悪い中、よくできているな。大したもんだよ!」

 ヴェルフと呼ばれた男は、姓をヘルキオスといい、短くした黒いやや縮れた髪と、黒褐色の鋭い眼光をしていて、冬なので厚着をしているので分からないが、日に焼けた逞しい体つきをした青年である。この新しい年に二十四歳になる。褒められるのは当然で、彼は先月になって初めて馬の騎乗をしたのだ。上達の速さはもともと海で漁師をしていて、海上で平衡感覚を鍛えられていた、という事もあるかもしれない。

「そうか!じゃあ、今日はこの辺にしておくか!」

 ヴェルフが自分を褒めた男に言う。褒めた男はカイ・ウブチュブクという。こちらもヴェルフに劣らない逞しい体つきをした青年で、この年に二十一歳になる。短く刈った黒褐色の髪と明るい茶色の瞳は大きく、真夏の太陽を思わせるので、冬の間は彼の目を見ると、自然と暖かな気持ちを他者に与える。


 両者は馬を厩舎に入れ、手入れをして、真冬の厳冬の中だが汗をかき、やや泥に(まみ)れたので、湯あみをして自分たちが寝食をしている小屋へ入った。

 小屋はそれなりに頑丈、且つ季節に応じた造りになっていて、夏の時は各所にある厚手の大きな戸が全開に開けることができる様になっている。冬の時は当然閉めたままにしていて、隙間風などは一切通さない。また小屋の四隅にはそれなりに大きな室内用の据え置きされた炉があり、定期的に炉に薪をくべていれば、部屋の中はそれなりに暖かい。炉の上には水を満たした銅製の薬缶(やかん)が置かれており、喉が渇いた場合はここから白湯を飲む。この小屋の中には五十人ほどがいるが、最大で百人は寝食ができる広さである。このような小屋は他に合わせて十棟ほどある。

 他のものは、命じられた軽作業を終えて(くつろ)いでいるか、如何(どう)でもいい談笑をしている。カイやヴェルフのように命じられない限り、基本的にこの様な寒い日々に外には出たくないようだ。そんな小屋で寛いでいた一人が呆れて二人に物を言う

「お前さんたち、よくそんな元気があるな。せっかくの一カ月の休養なのだから、作業を命じられない限りは、のんびりしたらどうだ?」

 そう、彼らは去年の七月から半年間、調練に次ぐ調練で心身を酷使していたのだ。そんな中に時間を見つけては、軍の調練をする二人は確かに浮いていた。


 小屋にザンビエが入ってきた。ザンビエはこの調練の総指揮を任された五十代後半の男である。

 一堂に緊張が走り、急いでザンビエの前に集合する。また何かの軽作業を命じられるのか?

 ところがザンビエの言葉は意外なものだった。

「明日、皇帝陛下が諸君らを労いに来られるという。時刻は午後の三の刻(三時)だ。集合場所はいつも俺が台に立って説明をしていた場所だ。くれぐれも遅れるなよ」

 そう言って、ザンビエは小屋を出ていき、また別の小屋へ入った。全員に同じ事を伝えるためだ。


「皇帝陛下が来られるのか。噂によるとずいぶんお忙しい方だと聞いていたが」

「去年の十二月に皇宮にお戻りになられたらしい。今は政務などを主にやっておられるのだろう」

 カイとヴェルフはもちろん、この中の誰も皇帝の姿を見たことがある者はいない。だが皇帝がまだ若いこと、そして軍務や政治に熱心なこと、ここ数カ月は帝都ウェザールに居ず、主に国境を中心とする地方の巡幸に出ていたことなどは皆知っていた。


 翌日となり、さすがにこの日はカイもヴェルフも馬の訓練はせず、皇帝が来る時間まで、おとなしく小屋の中で待っていた。皆緊張からか、普段より口数が少なく、それはカイもヴェルフも同様だった。

 皇帝の名はアムリート・ホスワード。第八代皇帝であり、当年で二十八歳になる。即位した時に二十一歳の若さだった。生来活発で政務に熱心だが、暇を見つけてはよく狩りを好むという。殊に軍事に関する関心が高く、志願兵への労いもそういった軍関係の視察の一環というところからだろう。


 志願兵たちは昼食を済ませ、午後二刻を過ぎると、皆一斉に灰色がかった緑の上下の訓練服を着て、皮の手袋と(ブーツ)と帽子を身に付け、さらに訓練服と同色の外套(コート)を羽織り、そしていつもの場所に集合した。三の刻まであと四半刻(十五分)というところである。

 天気は例によって曇りだが、雪やみぞれや冷たい雨はなく、北からの冷たい強風がないのも幸いだが、吐く息は白い。

 そこで既にいたブートという六十代の男が声をかけた。ブートはカイやヴェルフの調練の指導員をしていた男である。ブート以外の全指導員も集まっていた。

「今、陛下は各施設の職員たち一人一人に労いの言葉をかけておられる。おそらくここに来られるのは予定の三の刻を過ぎるであろう。用と足したいものは今の内に行っておいた方がよいぞ」

 施設の職員は傷痍兵が多い。軍事に関心が高い皇帝はこういった人達に一層感謝や激励の言葉を述べる時間を割く。そうブートは説明した。


 そして午後の三刻を過ぎ、四半刻ほど経ってから、三名の人物がザンビエの先導によって現れた。三名とも剣を佩いているのみで、物々しい武装はしていない。ザンビエは三名に敬礼を施すと指導員たちの中に走っていき、姿勢正しく直立した。それに合わせて指導員たちもカイたち志願兵たちも姿勢を正した。



 先頭を歩くのが皇帝アムリートである。白を基調とした上下の軍装は、右胸にはホスワードの紋章である三本足の鷹の紋章が刺繍されていて、襟を初め各所に鮮やかな緑色の飾りが施されている。精巧に作られたボタンも緑色だ。(ベルト)も手袋も長靴(ブーツ)も黒褐色で、どれもささやかながら装飾がついていて、何より最高級の職人の腕で作られたものであることが分かる。帯に佩いている剣も鞘や柄や鍔の意匠が凝っている。外套(コート)も白で、これにも緑色の飾りが施されている。

 カイたちの訓練服もそうだが、ホスワード帝国の軍装は緑を基調としているのだ。


 皇帝に従う二人の男も同種の軍装をしている。ただし一方は上下とも濃い緑を基調としていて、ボタンを初め飾りは薄い灰色をしている。

 この濃い緑の軍装しているのは初老の男で、もう一方の皇帝と同じく白を基調とした軍装をしているのは二十代半ばくらいの若者だ。若者は勿論だが、この初老の男も歩行や動きに力感が漲っているので、正確な年齢は計り兼ねる。

 皇帝がほぼ全員の目の前まで来ると、指導員たちも志願兵たちも帽子を取り、全員一斉に右手の拳を左胸に当てて敬礼をした。皇帝アムリートは手を挙げて軽く振り、敬礼を辞め帽子をかぶってもよい仕草をする。

「よい、皆楽にせよ。寒い中、長く待たせてすまなかった」

「皇帝陛下!ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

 ザンビエの大声の返答に続けて、皆が唱和して、楽な姿勢を取った。


 アムリートは長身でどちらかといえば細身だが、服ごしでも鍛えられた体幹を持っているのが分かる。

 寒い中だが、帽子を被っていないので、金褐色のやや長い髪が微細に吹く冷たい北風に揺れている。

 顔つきは流石に貴公子然としていて、無髭で端正そのものだ。特にホスワードの軍装の色である緑がかった薄い茶色の目が印象的だ。

「卿らは来月に任務に就くので、今月は休暇中と聞いていたが、突然の訪問申し訳ない。調練はどうだったかな?」

 アムリートは一人の志願兵の前に立ち返答を促した。

「緊張せずともよい。思ったことを述べよ」

「はい、陛下。辛く厳しいものでしたが、今は直ぐにでもお国の為に任務に就けるよう、準備はできております」

「ふむ。そうか」


 アムリートは目につくもの一人一人に似たような質問をしていく。志願兵たちの返答も似たようなものなので、いささか興が削がれているようだった。アムリートの後ろにはまるで護衛するかのように随行した片方の若い士官がついている。

 この若者はアムリートより、やや背が低く、その代りに体の幅や厚みが主君より若干あった。薄茶色の髪は額から綺麗に後ろに撫でつけられていて、首筋のあたりで、編まれて二十寸(二十センチ)ほど垂れ下がっているが、両側頭部は綺麗に剃り上げられている。皇帝とはまた別種の端正な貴公子だが、灰褐色の目はやや蒼みを帯びていて鋭く、他者には威圧感を与える。

「ラース。そう厳しい目つきをするでない。皆が脅えているぞ」

「はっ、申し訳ございません。陛下」

 ラースと言われた男は姓をブローメルトといい。皇帝の侍従武官として、皇帝の副官と近衛隊隊長を兼務している。年齢はこの年に二十五歳になる。このような場では警護役となる。


 アムリートは二人の男に目がいった。カイとヴェルフだ。アムリートは長身だが、カイやヴェルフよりも頭半分近くは低い。カイは背丈が二尺(二メートル)を越え、ヴェルフはそれよりやや低いくらいである。そしてこの二人以上にこの場いる者たちで、大きな者はいなかった。皇帝が両者に興味を持つのも当然だろう。まず皇帝はヴェルフに声をかけた。

「卿の名は?出身は何処(どこ)かな?」

「ヴェルフ・ヘルキオスと申します。出身はレラーン州です。陛下」

「それはまたずいぶん遠いところから来たものだな。レラーンは漁業や造船、それに海産物の加工品が盛んだが、なぜ兵を志願したのだ」

「はい、仰る通り漁業を行いたいのですが、私の船は今使い物にならず、その修繕費を数年間軍務に就き稼ぎたいからです。陛下」

 隣にいたカイは驚いてのけぞった。そんな事を皇帝相手に馬鹿正直に言うヤツいるか!とヴェルフを叱りつけたい衝動に駆られた。

「そうか。それは惜しいな。卿は見るところ戦士として優れているようだし、操船も巧みなら水軍の指揮官にも使えるのにな。なかなかもって有為の人材を集めるのは難しい。卿が一日も早く漁師に戻れることを期待する。余はこう見えて、海の物の料理が好きなのだ」

 皇帝は半分本気で残念がって、半分面白がって笑みをこぼした。彼はこういったくだけた会話を兵士や民衆とするのを好むのだ。


 アムリートはカイに向き直った。

「卿はガリン・ウブチュブクの息子であろう。名は知っているぞ。カイというのだろう?」

「恐れながら陛下。なぜ私の名を…」

「ガリンは(かつ)て私の直属の部下だった時期があったのだよ」

 そう言ったのはもう一人の随行人の初老の男であった。皇帝がカイたちのところへ向かうと、この初老の男はすぐさま駆けつけたのだ。よく見るとその軍装は皇帝とほぼ変わらない精巧さがある。おそらく将であろう。

「私の名はヨギフ・ガルガミシュ。本朝(わがくに)の大将軍と兵部尚書(防衛大臣)を兼ねている。うむ、若き日のガリンによく似ておるな。そうガリンのことは若き日より知っておる。偉大な男だった…」

 ヨギフ・ガルガミシュはカイに向かってそう簡単に挨拶し、ガリンの死を悼んだが、カイは対峙した男の身分に仰天した。彼はホスワード帝国全軍の総指揮官であり、軍政の長でもあるのだ。ヨギフはこの前者の地位に就いたのが十三年程前、其のまま兼任で後者の地位に就いたのが七年程前になる。年齢はこの年で六十四歳になるので、ガリンのちょうど十歳上だ。黒褐色の髪と口髭は半分以上は白いが、穏やかそうながら知性と意志の強さを感じさせる褐色の眼。背丈は侍従武官ラース・ブローメルトより、やや低いといったところだが、姿勢がよくその体幹は壮年のような力感にあふれ、無駄な肉はついていない。髪や髭の白さや顔に刻まれた深い皺がなければ、三十代後半といっても言い過ぎではないであろう。


「カイよ。実は私はお前に一度会ったことがある。というか、この手であやしたことがあるのだ。あの時の赤子がこんなに見上げるほど大きくなるとは、時の流れとは不思議なものだ」

 実はカリーフ村にガリンが住むように手配したのは、当時のガリンの上官であったヨギフであった。この時はまだ一軍の将であったヨギフは帝都内の自宅を兼ねた府にて、ガリンから長男が生まれたという連絡の手紙を受けると、共も連れず、すぐさま愛馬にて数日かけてカリーフ村へ駆け付け、ウブチュブク家で数日過ごしカイをあやしていたのだ。

 ただしその後、ヨギフは出世していき、ガリンから子供を次々に儲けたという連絡を受けても、流石に仕事を放り出して、カリーフ村へ行くことはできなかったが…。

「たしか、女の子が二人、男の子がお前を合わせて五人だった…かな?母親のマイエや兄弟たちは皆元気かな?」

「はい。皆元気です、閣下。閣下にあやされていたことは、両親は何も語らなかったので、そのようなことがあったとは初めて聞きました」

「おい、ガルガミシュよ。余もカイと話がしたい。卿ばかりずるいぞ」

「おお、これは失礼いたしました。陛下」


「ガリン・ウブチュブク、そなたの父親に対しては感謝してもしきれない。今、ガルガミシュが言った通り真に偉大な男だった。国にとっては重要な存在であり、お前たち一家にとっては大切な父親を奪った張本人として、この通り謝る」

 なんと皇帝はカイに頭を下げた。即座にラースが「そのようなことなりませぬ!」、と頭を下げるのを止める様に促す。カイも同様だった。

「陛下。父は常々言っていました。『自分は身よりなく、一兵卒から大隊の指揮官まで出世させてもらい。お国から広大な土地まで与えてもらった。それに対してこの命を懸けて国に尽くすことは、当然のことだ』と。父に代わって僭越ながら申し上げます、陛下。どうかそのような謝辞は無用です。父は任務として当然のことをしたまでです」

「そう言ってもらえるとありがたいが、やはりすべての遠因はここ数年の外交や経済の失敗からきているのだ。故に一国の主として、その責務を痛感している」

 カイは皇帝が妙に深刻な顔をしていることに違和感を感じた。如何に重要な臣下とはいえ、軍籍を離れざるを得ないほどの重傷を負わせたことが、ここまで深刻になるものなのだろうか…?


 カイの様子を見てヨギフ・ガルガミシュが簡単に説明した。

「知ってのとおり、お前の生まれ故郷ムヒル州は数十年前までバリス帝国と国境が近かった。それを大きく西へ国境を広げることに成功したのだが、バリス側としては当然それを回復しようとしていたのだ」

 バリス帝国はしばしば失地を回復しようをホスワード帝国に侵攻していたが、ホスワードはそれを(ことごと)く跳ね返してきた。そのため北のエルキト帝国と度々共同戦線による同時侵攻を提案していたのだが、エルキトはそれに対して莫大な金銭をバリスに要求してきたので、両国のすり合わせは何年と続いた。何故ならエルキトにはその援軍で何かの利がある訳ではない。最大限の利をバリスから得て、最小限の被害でホスワードに大打撃を与えるべくエルキトの中枢では策が練られた。

 エルキトはホスワードとの非公式の通商を利用した。取引をホスワード領内で行いたいというもので、わざわざエルキト側から「今回は馬を五百頭贈与するが、駄馬が混じってないか、そちら側でじっくり調べて欲しい。もし駄馬が一頭でも有れば、その場で商いの責任者を切って捨ててもよい」などと通達してきた。

 その通達は十年ほど前から来て、それ以降は定期的な通商は一貫してホスワード領内で行われた。つまりエルキトは良馬と引き換えに、ホスワードの地形を長らく調べ上げていたのだ。

 自国内にエルキトの商隊を迎え入れることには、当初危惧する声も出たが、相手に贈与する物資を遠く国境まで運ぶ手間が大幅に軽減されるので、ホスワード側は結局これを問題視しなかった。

 そして四年前のバリスとの一戦で、夜半に突如意外な方角から現れたエルキトの騎兵隊によって、ホスワードの全軍は瓦解した。全軍の総指揮官として親征していた皇帝アムリートの身を守ろうとホスワード軍が右往左往している時に、バリス軍が総攻撃をかけてきて、この時自軍の混乱をいち早く静めていたガリンの一隊がバリス軍に対する殿を務めたのだ。

 結果、ホスワード軍は大量の戦死者を出したが、国境を守ることに成功した。

 その代償がガリン・ウブチュブクの重傷だったというわけだ。

 皇帝がこれほど悔いているのは、エルキトの経済行為が偵察を目的としたことを見抜けなかった悔恨による屈辱から来ているのだ。



 ヨギフの説明をカイとヴェルフは真剣に聞いていた。この頃には他の志願兵や指導員も交じって、アムリートたちを中心に皆ヨギフの話に聞き入っていた。

 アムリートが思い付いた様にカイに話しかける。

「カイ。卿が武芸全般に秀でているのは、そこのザンビエから聞いている。如何だ、二月から輜重兵ではなく、余の近時として近衛隊に入るというのは?」

 立て続けの会話の内容に驚くカイは即座の返答が出ずにいた。もちろん断るつもりだ。しかしこの皇帝の好意を断固として拒絶する術が思い浮かばなかった。

「陛下。これはガリン・ウブチュブクが一年ほど前に臣に出した手紙です。どうかご一読を」

 そう言ってヨギフは懐から手紙を出した。カイは父ガリンが死の間際に言った手紙とはこれのことかと思った。その内容は「ウブチュブク家の者だからといって特別扱いしないこと」、「もしカイに才なくば解雇して帰郷させよ」という強い調子で書かれた内容である。

「分かった。ガリンの意志は尊重しよう。だがカイよ。卿ならきっと父親。いや、それ以上の人物にまで登りつめると期待しているぞ」

「ご聖恩、感謝いたします。そのお言葉を胸に、しっかり任務に励む所存です」

 時刻は夜の五の刻(午後五時)近くになってきた。もう日はほぼ暮れてきている。周囲には篝火があるが、これ以上の立ち話は切り上げた方がよさそうだ。

「皆、寒い中に長話に付き合わせてすまなかった!余たちはこれより帝都に帰る。卿らも其々の宿舎に戻ってよいぞ!」

「ありがとうございます、陛下!」

 指導員たちと志願兵たちが敬礼をして三人を見送る。三人は自分たちの愛馬を止めている所へと去って行った。


 小屋での夕食となった。大量の葡萄酒(ワイン)が供されている。皇帝からの下賜だ。それも一人につき三瓶の量である。

「おい、随分勿体無い事をしたな。近衛兵という事はいきなり士官だろう」

「只のお戯れだよ。本気でその様な事を軽々しくお決めになられる訳ないだろう」

「しかし、噂では聞いていたが、本当に気さくな方なのだな。陛下は」

「そうだ!お前、あんな失礼な事を言って、何とも思わないのか!」

「失礼な事とは何だ?」

「船の修理費を稼ぐために軍役に就くだなんて、事実だとしても、そこはうまくお国のために尽くしたい、とか言い方があるだろう?」

「いや、ああいったお方はそういう決まりきったことを嫌うのさ。人間身分の上下はあっても、性格は其々だ。環境が人の性格を造るというが、時にはそんな環境に影響を受けず独特なお人柄を持つものも多い」

「ずいぶん詳しそうに言うが、それはお前の勝手な想像だろう?」

 カイはこういったことになると父との会話を思い出す。一兵卒から高級士官までなったガリンは、当然身分の高い人々との交流が自然と増えていった。

 ヴェルフの言う通り、大半は何処の馬の骨ともしれぬガリンを見下していたが、この日に初めて聞いたことだが、ヨギフのように長男が生まれてからといって駆けつけてくるものを初め、一部はガリンに好意的な者もいたという。皇帝もそんな中の一人だが、だからといって機会があってまたそういった好意的な貴人に会うことがあっても、必要以上に馴れ馴れしくするのは避けるべきだ、と父は言っていた。理由はそうした態度をとり続けると、大半の者たちの嫉視を買うし、また親しくしてくれる者も「この者は媚び諂う者なのか」、と判断することがあるからだという。

 この日は皆大いに酒を飲んだので、皆直ぐに眠った。


 翌日、空は珍しく晴れていて、久々の太陽の光が大地に差し込み、空はほぼ青く、灰色の雲はうっすらとあるだけで、普段の存在感を出さなかった。只その代り北風は強く、日のあるところに立っていても心身に堪える寒さは変わらない。

 カイは外で東の方を向いていた。遠くに帝都ウェザールが遠望できる。うっすらと灰色の長い城壁がまるで太い線のように確認できるが、この城壁は高さが十五尺(十五メートル)もあるのだ。そして長さに至っては五里(五キロ)もある。

 城壁の一番左側、つまり帝都の一番の北は城壁に繋がるように高く城が聳えている。城には幾つかの塔が確認でき、一番高い塔は城壁の高さの六倍はある。

 もともとウェザールはプラーキーナ帝国時代に城塞として造られ、数万の兵馬が駐屯する軍事施設だった。高い城は見張りの遠望用の塔としての名残である。

 カイは城へ視線を固定させたまま、昨日会った皇帝アムリートは今頃あそこで政務を執っているのだろうか、と想像した。


 ここを根拠地として、今から百六十年ほど前にプラーキーナの将軍、メルオン・ホスワードは周辺地域を平定していき、約十年後、ホスワード帝国を建国し、初代皇帝となった。つまりアムリートの祖である。

 現在の帝都内は軍事施設としての名残はほぼなく、大体南の正門から北へ行くにつれて、市などの商業場所や歓楽街、職人たちの作業場所や彼らの家、常駐している兵士たちの家、貴族たちの邸宅、官公庁と続き、最も奥に皇宮である、あの高く聳える城がある。そして帝都の人口は二十万を超える。


「カイ、如何した?酔い覚ましか?」

 ヴェルフも外へ出てきて声をかけてきた。何しろ昨日は葡萄酒、それもかなりの逸品である物を一人につき三瓶もいただいたからだ。

「そんなところだ。どうする?今日は乗馬の練習はするか?」

「うむ。少し頭がくらくらするな。今日は止めて於いた方がいいだろう」

「俺もそう思う」

 両者は笑った。二人とも酒は愛飲する方だが、去年の七月にこの練兵場に来てから、酒類は基本的に週に一度しか出されていない。昨日のような痛飲は二人とも久々だったので、なかなか酔いが醒めないのだ。

「あと一週間程だな」

 それとなくカイは言うと、ヴェルフが何かに気付き、カイに答えた。

「おい、見ろよ。帰郷してた奴等が戻って来ているぞ。この天気だから今の内に戻って来ようとしたのかな?あともう少し前に戻っていれば、うまい酒にありつけたのにな」

「まったくだ。あとで陛下にお会いしことも含めて、存分に自慢してやろう」



 一月二十八日。この日は帰郷した者が戻ってくる最終日となっていた。九十名近くが帰郷していたが、戻ってきた者は八十人を少し超えた位だ。おそらく残りは任務に就くこと拒否したのだろう。

 調練が始まってから何人と脱落した者がいたが、最後になっても脱落者は出てしまった。というより、帰郷を促したのは「任務に自信が無いものは、戻らなくてもよい」という暗黙の通知だったのだ。


 そして二月の初日を迎えた。ごく数名はこの練兵場の職員として採用された。つまり兵としての資質なしと判断されたのだが、これは当の本人たちが兵としてやっていく自信がないとして、ザンビエに事前に通知していたのだ。その者たちは調練中に怪我や体調不良などで、合計十日以上休んだ者たちだ。十日以上休んだ者は調練終了後に、ザンビエからの公聴の対象となっていた。

 合格者は三百十八名。この内二百五十名が西の国境の城塞に必要としている資材や物資を届け、そのまま駐屯すること、残りの六十八名は南の国境の城塞に同じく必要としている資材や物資を届け、そのまま駐屯することが告げられた。明らかに西側のほうが任務としては厳しい。カイとヴェルフは当然この西側の班の任務に就くことになった。

 この日は必要な資材を輜重車に詰め込むだけで、翌日の朝の九の刻に其々西と南へ向かうことが決定された。

 また西の班の総責任者はザンビエで、彼と共に三十五名の指導員が警護兵としてついて行く。

 南の班の総責任者はブートで、彼と共に十名の指導員が警護兵としてついて行く。

「ここでお別れだな。カイ、ヴェルフ。西は常に小競り合いがあるから、十分に気をつけろよ。だが、逆に言えば軍功を立てる機会が多いということだ。しかし無理はするなよ」

「ブートさん。色々お世話になりました。そちらこそ如何かご壮健で」


 二月二日の朝。資材を積んだ大小さまざまな輜重車が西と南へと進路を取り進んで行く。基本的に大きな輜重車は二頭の馬で曳き、小型のものは人力だ。馬を操る者、小型の輜重車を曳く者、旗を持って歩行する者、ただ手荷物だけ持って歩行する者、と其々である。これは日ごとによって変わるので、任地に着くまでの労力としては皆同程度となる。旗は緑地に中央にホスワード帝国の紋章である三本足の鷹が配されている。

 また前日に正式な輜重兵としての軍装も支給された。といっても訓練着さほど変わりはなく、せいぜい右胸に三本足の鷹の紋章が刺繍されている程度である。あと鎖帷子と武器である短剣と木の槍も支給された。


 出発初日はカイは旗を持っての歩行。ヴェルフは輜重車を曳く馬を操る役割を与えられた。先頭は馬に乗るザンビエ。昨年の十一月の調練を思い出す。

 昼は野外で休憩して食べたが、国内の移動なので、夜は軍の施設に泊まることになった。ホスワード国内にはこういった施設が百近くあり、軍の関係者は無料で使用できるのだ。

 西へと続く道は基本的に陸路を通る。もちろん陸路は整備されているが、季節がら雪が残り、路面が凍結している箇所がある。帝国内は河川があり水路も整備されているが、河川や水路はあくまでも商業の為の物資の輸送や、賃金を払っての旅行者の移動といった民間用が優先で、軍事で使用する時は大軍やその大軍の為の物資を、国境地帯へ移動させる時のみである。またもっと北方だと今の時期は河川は凍結していることが多い。

 出発から二週間近く経ち、カイは風景が見慣れたものになるのを感じた。一行はムヒル州に入ろうとしている。そして次の日にはそのままムヒル州へ入り、午後の三の刻にはムヒル市の門前に到着した。市に近づくにつれて雪はかき分けられていた。

 事前にムヒル市の役所に連絡を取ってあるので、一行はムヒル市へと入っていき、騎乗のザンビエを先頭に市内の軍施設へと向かった。カイはこの日は輜重車を曳く馬を操っている。市内の通路は完全に雪は降雪の都度、かき出されていて空いた地に小山のように積まれている。


 軍の施設の近くになると二人の若い役人が出迎えたが、カイは仰天した。出迎えの担当が妹の夫であるタナスと実の弟であるハイケではないか!カイは高い位置に居るから二人に直ぐに気付いたが、二人の方はザンビエと話をしていて、カイに気付いていない。公務なのだからカイはこのまま彼らが気付かなければ、其のままでいようと思った。

 だが、こういった時に限って勘のいいヴェルフが何かに気付く。この日はヴェルフはカイの隣にいて馬を操る補助をしていたのだ。

「カイ。ムヒルはお前の故郷だよな。あの若い役人たちはお前の知り合いか?」

 かつてヴェルフが皇帝に兵の志望動機について、正直に言ったことを叱りつけたカイだが、カイも基本的に嘘のつけない性分である。つい正直に言ってしまった。

「…うむ。一人は俺の妹の夫で、もう一人の若い方は俺の弟だ」

「おい、それは挨拶した方がいいぞ!」

「馬鹿!公務中だぞ!」

「公務も何もあるか!久々に親類に合うんだろ?挨拶もせず、こそこそするなんて、見損なったぞ」

「こそこそなどはしていない。向こうが気付いたら挨拶はする」


 すると二人は恐らく点検を兼ねて、一行全員の確認をしに来たではないか!カイは流石に覚悟を決めた。

「えっ!カイ兄さん!?」

 懐かしい声にカイは頷く。

「久しぶりだな。ハイケ、こういったことをしているということは、正式に役人になったんだな」

「兄さんこそ、任務に就いているということは輜重兵になったんだね。この一団は西の国境の城塞へ行くんだろ?」

「そうだが、何故それを知っている?」

「今日、ここの軍事施設でこの一団の宿泊の手続きをしていたのが俺だからさ。あとムヒルから衛士が二十人と役人が三人、城塞へ赴任するから、明日彼らと一緒に出発する手はずを整えるのも、俺の役目だよ」

 そんな中、ザンビエとタナスがやってきた。

「カイ・ウブチュブク。こちらの方々の一人がウブチュブクと名乗ったので、まさかお前の親類かと思ったが弟なのか?」

「はい。そちらのタナス・レーマック氏は私の妹の夫になります」

 『ウブチュブク』という姓はホスワード内ではやや異国風の響きを持つ。父ガリンはあまり自分の生い立ちを語らなかったが、帝国のもっとも北西部の出身であるガリンは、自身の出自はエルキト内の小部族にあることを仄めかしていた。

 ザンビエが提案した。

「カイ。泊まる場所は知っておろう。我々は先に行くから、お前は家族と十分に時間を取ってから来てもいい。宜しければ両人とも施設に泊まっても構いませんぞ」

「そういう訳だ、カイ。久々の再会だ。語り合いたいことはいっぱいあるはずだ。邪魔者は先に行くぜ」

 そうヴェルフは言って、ザンビエへカイを残して一団の宿泊施設への移動をしようと提案した。


 カイを残して、一団は施設へと去っていき、三者はその場にいた。

「そうだ、カイ兄さん!メイユ姉さんは今身籠っているんだよ!生まれるのは七月の終わりか八月の最初だったよね?レーマック主任」

「おい、この場では『タナス』でいいだろ。そういうわけだ、カイ。どうする?メイユに会っていくか?」

「いや、身籠っているのなら、余計な心配はかけたくない。『カイは元気にやっている。今は任務のため会えないが、赤子が生まれたら、必ず(いとま)を取って会いに行く』、とだけ伝えてくれ」

 出立の日にメイユに「一人前の兵士になるまでは帰らないつもりだ」と言ったのに一年と経たずに再会するのは、何となく照れくさいとカイは思うのだった。

「それはメイユが寂しがるぞ。だが分かったよ。俺は一旦役所に戻って、仕事を終えたら家に帰るが、お前は如何する、ハイケ?あのザンビエさんが言っていた通り、施設に泊まってもいいぞ。上役には戻った時に言っておく」

 タナスは役所の近郊の小さな借家でメイユと二人暮らしをしている。いや厳密には三人だ。

 ハイケも役所の近くにある役人用の独身寮で暮らしている。その部屋は曾てタナスが使用していたものだった。

「兄さん。お言葉に甘えてもいいかな?」

「うん。まぁいいだろう。家族の皆の近況も知りたいしな」

 そう言って二人は並んで、施設へと歩いて行った。タナスは役所へと向かう。カイは役人の薄緑の正装をした弟をしげしげと見る。

「ハイケ。少し背が伸びたようだな」

「兄さんこそ、背は元より、体つきが更にすごくなっていないか。まるで昔の父さんのようだ」

 ホスワード帝国の軍人や役人などの公人の衣装は、大体次のように分けられている。兵士(輜重兵も)は灰色がかった緑、士官は緑、高級士官や将は濃い緑、文官は薄い緑、そして皇帝と近衛隊のような近侍は白で各所に明るい緑を配している。

 すれ違うムヒルの人たちは天を突くような大きさの、この灰色がかった緑の軍装をした青年に当然目を奪われた。



 兄弟はムヒル市の軍施設へゆっくり百を数える程で着いた。時刻は夜の五の刻に近くなっており、ほぼ真っ暗だ。すでに湯あみや夕食の用意はできている。ハイケが事前にこの施設の職員たちに指示していたからだ。

 兄弟は湯あみを済ませ。食事の間へ入るとヴェルフがこっちに来るよう呼んだ。

「あれ?弟だけか。もう一人の方はどうした?」

「家に身籠った妻がいるからな。何かあった時に傍にいないとな」

「そうか。おっと、紹介がまだだったな。俺はヴェルフ・ヘルキオス。レラーン州の出身で、今年で二十四になる。元々は海で漁師をしていた」

「カイ兄さんがお世話になっています。私はハイケ・ウブチュブク。歳は今年で十八になります。私たち兄弟の生まれたカリーフ村は、ここから北西に馬を飛ばせば二刻(二時間)で着きます。漁師ってことはヴェルフさん、海が常に見える場所に住んでたということですよね」

 ハイケも生まれて此の方、海を見たことがない。自然と興奮してしまう。

 料理を食べながら三人は色々なことを話し合った。麦酒(ビール)が五合(半リットル)の杯が一人につき三杯出されたが、ハイケは一杯のみにして残りの二杯を兄とヴェルフに譲った。

 ヴェルフが軍務に就く理由を述べるとハイケは「それはお悔やみ申し上げます」、と丁寧に言ったものだが、カイがそれに対して笑顔で返した。

「実はな。先月皇帝陛下が俺たちの労をねぎらいに来られたのだが、こいつときたら陛下の目の前で『自分の船は今使い物にならず、その修繕費を数年間軍務に就き稼ぎたい』、などと志願の理由を述べたのだ」

 ハイケは驚き、そして笑う。

「皇帝陛下にお会いになられたのですか!すごいなぁ。でもヴェルフさん、それはちょっといただけないですよ」

「何でだよ。お前たち兄弟はそろって俺を道化者だとでも思っているのか?」


 ハイケから家族のことを聞き、皆元気なことを聞いてカイは安心した。それに対してハイケが嘆息した。

「みんな何時も兄さんのことを心配しているよ。今日のことはそのうち公用でカリーフ村へ行くから話せるけど、手紙とか出せないのかい?」

 カイが今まで手紙を出さなかったのは、郵送費を控えていたからでなく、両親や兄弟がいないヴェルフに気を使ってのことであった。それを聞いてヴェルフは言った。

「ハイケの言うとおりだ。せめて月に一回くらいは手紙を書け。特に御母堂は心配で堪らないだろう」

「母の心配といえば、シュキンとシュシンだよ。あいつら十七になったら志願兵に応募すると言って聞かないんだ」

 カイは腕を組んで、ヴェルフの意見には了承したが、双子の弟たちのことは確かに心配だ。十七というのは父ガリンが兵役に就いた歳である。

「ハイケ。お前から見て今の二人はどう見る?」

「そうだな。まず背はかなり伸びたよ。これくらいだ」

 そう言ってハイケは掌を横にして、自分の唇あたりに添えた。

「それに馬術の腕も騎射も確かだ。モルティさんも手放しで褒めているよ」

 モルティというのはかつてガリンの従卒をしていた男で、今は夫婦でウブチュブク家に住み込みで一家の面倒を見てくれている。

「あいつら、ちゃんと志願兵の調練は騎射の腕を競うことではなくて、後方での重労働だということが分かっているのか?もしそうでないなら、其れこそ一度(いとま)を貰って、帰郷すべきだな」

 双子の弟たちは今年で十五歳になる。あと二年以内に如何にか自由に暇が取れるよう功績を立てなければいけない。

 そう思うとカイはふいに可笑しがった。これでは曾ての自分と父の関係ではないか。しかも自分はまだ駆け出しだ。たとえ肉親であれ、偉そうに軍務の辛さを教示できる立場じゃない。

「そのことはとりあえず俺と同じく二十になったら、ということで説得してくれないか」


 了承したハイケは言葉を続ける。

「ところでさっきの陛下にお会いしたという話だけど、兄さんは陛下直々に近衛隊に誘われたんだって?」

「俺が道化者なら、こいつは頑固者だな。それは辞退したよ。そうすれば問題の弟たちも部下として迎えることができただろうに」

「あの時も言ったが、あれは陛下のお戯れだ。それよりセツカやグライはどうだ?」

「そうそうセツカは家の手伝いをよくしているよ。モルティさんの奥さんに色々と教わっているようだ。あと寧ろシュキンとシュシンの志願兵の件だけど、母さん以上にセツカが二人を叱りつけているよ」

「そいつは頼もしいな。ふぅん、あのセツカがねぇ…」

 カイにとってこの小さな妹は、いつも姉のメイユにぴったりとくっついたまま、おどおどとした印象しかない。確かに強く育っているようだ。

「グライはまだ今年で七歳だから、まだ何とも言えないな」

 グライはモルティの元、驢馬(ロバ)で騎乗の練習などをしているが、現時点では不真面目ではないが、取り立てて熱心でもないという。また家の手伝いもあまりしないので、セツカによく叱られているという。どうものんびりとした性格のようだ。

「なんかセツカが随分と大人になったようだな。もし帰ることがあったら母さんより、セツカのほうが怖いな。手紙を出さないことで怒られそうだ」

 三人は色々な事を話し合って、夜の十一刻には寝た。


 翌朝、八の刻にはハイケは役所に行き、一刻程して城塞へ赴任する、ムヒルの衛士二十名と役人三名を連れてきた。いずれも若く二十代半ばから三十代前半といったところである。彼ら進んで志願した者達である。というのも国境地帯の任務に就くものは、その間の税がかなり免除されるからだ。ヴェルフではないが数年間前線で働いて大金を得たい、というのが彼らの動機のようだった。

「ハイケ、改めてみんなに宜しくな。手紙はきちんと書くから心配はしないように、と伝えてくれ」

「分かったよ。兄さん、気を付けてね」

 衛士たちは歩行で、役人たちは輜重車に乗り、一団はムヒル市を出発した。ハイケはムヒル市の入り口まで見送りとしてついて来た。

 カリーフ村はムヒル市の北西に位置しているが、目的地はムヒルからは南西への道となる。なので周りの景色はカイには次第に見慣れぬ物へと変化していった。



 ムヒルを出発して六日が経った。バリス帝国と国境を接するメノスター州に入り、目的の城塞であるバルカーン城の入り口に一団は到着した。入り口といっても裏口の後方の城門である。

 バルカーン城は周囲を鬱蒼とした森林の中に囲まれているが、裏口側の後方、つまり東側は早馬が帝都に通れるように整備されている。カイたちもこの道を通ってきた。途中のこの道の両側には様々な農作業場や家畜の飼育場所が点在していた。城に常駐している兵士たちが開墾して作り上げた物である。

 城の反対側、つまり国境に対峙している正門である西側から、百尺(百メートル)そのまま西に進むと、河が流れている。帝都近くで流れているボーンゼン河の上流だが、ここでは南から北へと流れている。幅もさして広くなく、深さも浅い。ボーンゼン河はメノスター州の北部にある、ラテノグ州という帝国で一番の北西にある州で北から東へ流れを大きく変え、そのままやや南東へと流れる。そして帝都近くを流れると、その次にはやや北東へ進路を変え、ホスワード帝国の北東部分で海へと達する。

 遥か南を流れるドンロ大河ほどではないが、ボーンゼン河もかなりの大河であるのだ。違いといえば中下流域での幅の広さと水深だ。これはどちらもドンロ大河が圧倒している。特に下流域ではほとんど海としか見えない。ドンロ大河もボーンゼン河もバリス帝国の西の奥地の峻険な山地を源流としている。

 そしてこの城塞の目の前の南から北へ流れる、ボーンゼン河がバリス帝国との現在の国境となっている。


 ザンビエが裏門にいる兵士に問い合わせると、木製ながら所々金属で補強された厚い両開きの扉が開いた。高さは三尺半(三メートル五十センチ)を越え、幅は片方の扉で二尺はある。一団は悠々と入れた。

 バルカーン城は周囲四里(四キロメートル)のほぼ正四角形の石造りの城で、城壁の高さは三十尺を超え、その幅も五尺を超える。

 内部は兵馬と役人のみしか居住しておらず、兵士たちは将や士官たちを含めて一万五千、役人は百人ほどである。また練兵場のように食事をはじめとする、日常生活における軽作業や特殊な作業のみを担当する職員や職人が五百名程いる。内部は司令部となっている中央にある巨大な施設を初め、兵士や職員たちの居住場所、士官や役人たちの居住場所、馬の厩舎、それに訓練場まである。地上にも物資の倉庫はあるが、地下にはさらに物資が貯蔵できる空間がある。更に幾つもの井戸があり、水には全く困らない。

 現れた城の物資を担当する士官と役人の元、運んできた物資の置き場所を指示され、一団はそこに向かい。輜重車から積み荷を降ろし、その倉庫内へ入れていく。カイもヴェルフも任務ということもあって黙々と作業する。


 作業が終わると、時刻はもう夜の四の刻になっていたので、担当の士官は一団を休むようにと勧めた。

役人の案内で、この日は城内の来賓用の宿泊施設に泊まることになった。むろん食事も出るし浴場や厠もある。役人は去り際に「明日、城の内部の案内を兼ねて、各自担当して欲しい所と、今後の宿泊場所を説明に来る別の士官が私と来ます」と言って去った。

 ヴェルフは食事に酒が供されていないことに文句を言っているが、基本的に城塞内は禁酒である。酒が貯蔵されている所もあるが、飲酒ができるのは城塞司令官が日々の労苦に対しての感謝などで、時々許すだけである。そしてこの日は帝都からの長旅が終わったということもあって、皆疲れが一気に出て、すぐに眠った。


 翌朝、昨日役人が言っていた士官と当の役人が現れた。士官は数人の兵士を連れている。むろん全員士官が現れる前に施設の前で整列して待っていた。右手を左胸に置く敬礼を施す。

 士官が説明をする。

「まず、諸君たちにここでやってもらいたいのは、馬の飼育、城外での農作業、城や城内の各施設の修繕、塔における見張り、そしてこれが一番の難事だと思うが、付近の巡回や河を渡ってのバリス領に入っての偵察だ」

 士官が連れてきた一人の兵士にムヒルから来た衛士たち二十人を、塔における見張りの任務に連れて行くことを命じた。他の任務は規定の時間内で済ませることができるが、見張りは二十四刻、一日も欠かすことができない。故に交代制で行うので人手が最も必要とされる任務だ。

 また役人はそのままムヒルから来た三名の役人を司令部へと連れて行った。残ったのはカイたち二百五十名とザンビエたち指導員たちである。

「ここにいる兵士たちは今言った、バリス領に入っての偵察以外の全てのことができる。敵国偵察以外の全てを先ずは其々一週間ごとに行い覚えてもらおう」

 二百五十人がいるので、丁度五十人ごとの班に分けられた。五人の兵が各班を引き連れて、「馬の飼育」、「農作業」、「修繕」、「見張り」、「巡回」を一週間ごとに教えることが決まった。調練と同じく七日目は休日だ。

 また珍しくカイとヴェルフは別の班に振り分けられた。二人ともそのようなことで動揺する精神は持ち合わせていないが、やはり一抹の寂しさはある。

 またザンビエたち指導員は別に司令部への各種報告や、輜重車の整備や城内の簡単な軽作業を行った後、一カ月後に帝都に戻っていく。彼らはその間そのままこの施設に泊まることになる。


 こうしてバルカーン城での任務を覚えるための指導が始まった。この最初の一週間目はカイの班は「農作業」、ヴェルフの班は「修繕」となった。

 カイは最後に言われた「バリス領に入っての偵察」という言葉に胸を躍らせた。これはもっとも功を立てる任務ではないか?と思ったのだ。いや、焦りは禁物だ。今は言われた五つの任務を完璧にこなせるように集中しよう!と気を引き締めるのであった。


 ホスワード帝国歴百五十三年二月二十四日。カイ・ウブチュブクは先ずバルカーン城外の農場や牧場の仕事を覚えることとなった。まだまだ本格的な軍務は先のようである。


第三章 初任務 了

 いやー、いまだにまともな戦闘シーンがない。

 こんなペースでいいんでしょうか?


 いつものように内容のペースと同様に書くペースの遅いので、次回の投稿はいつになるやらわかりません。



【読んで下さった方へ】

・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。

・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。

・誤字脱字や表現のおかしなところの指摘も歓迎です。

・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
■これらは発表済みの作品のリンクになります。お時間がありましたら、よろしくお願いいたします!

【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ