第二十八章 大陸大戦 其之壱 大海の騎兵隊、再び
この様な感じで、「大陸大戦 其之○ ×××××」、とタイトルをつけていきます。
「×××××」の文字数が多かったら、レイアウト的にどうなんだろう?
早くも、変な心配をしています。
では、御一読、宜しくお願いします。
第二十八章 大陸大戦 其之壱 大海の騎兵隊、再び
1
アクバルス帝国出身のイブンなる「世界の旅行者」と自称する男は、テヌーラ帝国を広く回っていた。
テヌーラ帝国歴百八十四年を過ぎると、彼はテヌーラの北端のドンロ大河沿いで、戦が起こりそうだ、と聞いたので、当地付近にまで赴き、色々な人々からこの戦が、単にドンロ大河の北に在るホスワード帝国との戦いで無く、大陸の諸国を同時に巻き込んだ大戦だと知った。
主要交戦国は、ホスワード帝国とバリス帝国。
ホスワード帝国側で軍事行動に出たのが、遥か南のヴィエット王国とジェムーア王国。遥か北西のキフヤーク可寒国。遥か西のブホータ王国。
バリス帝国側で軍事行動に出たのが、ホスワードの北のエルキト藩王国。そして、今彼が居るテヌーラ帝国。
後に故郷に帰った彼は、この一連の大戦を詳細に纏めた物を上梓する。
其の名も「大陸大戦」である。
ホスワード帝国歴百五十七年十二月半ば、帝都ウェザールにバリス側から、停戦条約の話し合いを行わない、との通達が正式に出された。
其の理由として、ホスワードがバリスの西に在るブホータ王国を嗾け、自国に対し間接的に軍事行動に出ている事、またブホータと秘密条約を結んだ可能性が高いので、此方の信頼を甚だ裏切っている、との事だ。
これらの事由を、年内に自分たちが納得する様に明確に説明すれば、停戦条約の話し合いは、来年からに為るが、再度応じる、との補足も有った。
「ヘスディーテ殿下は、ああ見えて、喧嘩の挑発が得意な様だ」
宮殿の閣議室で、ホスワード帝国第八代皇帝アムリートが言った。因みにこの通達の発行者は、バリス帝国第七代皇帝ランティスに因る物であるが、ランティスが殆ど国政に関わっておらず、息子のヘスディーテにかなりの権限を与えている事は、大陸諸国の周知する処である。
「然し、最低でも三年、出来たら五年は民力の休養に使いたかったが、僅か二年か…」
アムリートは嘆息する。だが、彼も永遠にバリスと停戦をし続ける心算は無い。
何より、ラテノグ州の北西部の領土回復の為の兵は、確実に起こす予定であった。
この日、閣議室には閣僚だけでなく、文武の高官たちも列席し、対応を話し合う事に為った。
武官たちは、当然バリスとの開戦を望み、文官たちは折角交易が充実してきて、国力が増大しだしているのに、其れを軍事に回し、消費する事に難色を示した。
「抑々、本朝はプラーキーナ朝の正統後継国家である。無論、エルキトやテヌーラの全土を征服し尽くすまで、兵や民を戦いに駆り出せと、主張している訳では無い。だが、同じプラーキーナ朝の後継国家などと称する、バリスだけは征さねば為らない。これはメルオン大帝以来の国是でもある」
そう述べたのは、兵部次官(国防次官)のヴァルテマー・ホーゲルヴァイデ伯爵である。五十代前半の堂々とした如何にもホスワードの軍人貴族然とした男だ。
彼は十年近く前にバリス・エルキト連合軍に対して、将として参加していたが、瀕死では無いが重傷を負い、座しているので分かり辛いが、今も其の後遺症で片足がやや不自由である。
歩行には杖が必要で、もう馬にも乗れない。
其れ以降、将は辞して、兵部省で現在まで、主に事務作業の事実上の長と為っている。
彼の息子は来年より上級大隊指揮官と為る、ファイヘル・ホーゲルヴァイデ。
奇しくも、カイ・ウブチュブクとファイヘルは、共に十年近く前のエルキト・バリス連合軍との戦いで、父親が重傷を負い、軍部の一線から外れた、と云う共通項を持っている。
「ブホータを初め、大陸諸国と広く、交誼を結んだのは、交易を活発にし、国を富ませる為に行っている事である。対等な立場で交流しているので、第三国に軍事行動を起こせ、等と命を下せる立場には無い」
アムリートはこの様にバリスに返答する事を命じた。
「これで納得する筈も無いだろうが、これで押し切れ。如何もバリス側は開戦で決まっている様だ。国政改革が遅滞、又は中途で止まるのは甚だ残念だが、此方も年が改まったら、戦時体制に切り替えるしかない」
この日の閣議は、こうして終わり、ホスワード側も停戦の破棄の方向へと決まった。
現状、ホスワード軍の編成と、軍の駐在位置は以下に為る。既に国境の小さな見張り塔などは、常駐の兵では無く、主に衛士を詰めさせ、有事の際には連絡の狼煙を上げたら、其々所属している州や市への帰参を命じてある。
先ず、北はオグローツ城にマグヌス・バールキスカン将軍率いる軽騎兵一万。更にホスワード側のエルキト諸部族五万の軽騎兵が、バールキスカンの旗下に即座に入るので、北方は六万の軽騎兵が組織出来る。
次に西側は、最も北にラテノグ州のプリゼーン城に重騎兵二千と軽騎兵五千の計七千が詰めている。
司令官は来年より、ラース・ブローメルト将軍が着任する。
また三千の重騎兵が中央より、駐在するので、合計は一万と為る予定だ。
南へ下り、メノスター州のバルカーン城には歩騎一万五千が詰めている。
バルカーン城の司令官は、曾てバルカーン城の司令官を長く務めていた、故ムラト・ラスウェイ将軍の元で主席幕僚の経験を持つ、ギルフィ・シュレルネンと云う三十代後半の将が就任する。
そして、最も南のメルティアナ城は歩騎一万三千が詰め、司令官はウラド・ガルガミシュ将軍だ。
南はドンロ大河沿いのラニア州に在るボーボルム城で、一万を超える水兵をアレン・ヌヴェル将軍が統括している。
中央で用意できる兵は、八万程で、内訳は歩兵五万、重騎兵二万五千、軽騎兵が五千と数百名で、カイ・ウブチュブク率いる「大海の騎兵隊」約千二百も、この軽騎兵の中に入る。
西側の三つの城塞には既に何十機もの投石機が配置されていて、水に困らぬこれら城塞には大量の人頭大の護謨に因る、水弾が造れる。
これは中央の五万の歩兵にも移動式の投石機が二百機程配置され、更に百輌の突撃車両も揃っている。
突撃車両は操縦者を合わせると、一輌に付き三十一名の特別な訓練を受けた兵が乗り込むので、歩兵の内、約三千名はこの突撃車両専用の兵である。
年内中に決まった対外方針は、先ず中央から水上の戦の豊富な歩兵二千と、「大海の騎兵隊」をボーボルム城へ、来年より駐在させる事。
残りの中央軍は分散させず、バリスとの全面戦争と為ったら、最も危地に陥っている戦線へ全軍で当たる方向と決まった。
当然、三カ国に対する、扼して貰う連絡も来年早々にする。ブホータ王国とキフヤーク可寒国は、ラスペチア王国に通使館を構えているので、其処で連絡が出来る。
南のヴィエット王国には高速船を出し、更にヴィエットから早馬をジェムーア王国に飛ばして貰う。
「ハイケ。そう云う訳で、暫し『国制改革局』の仕事は中断だ。卿もこの様な形で中途で外れるのは無念だろうが、引き続きリナが中心と為って、活動は続けるので安心して欲しい」
「皇妃様なら、臣が居なくても、見事に纏め上げられるでしょう。宰相閣下も帝都に在って、戦時体制の後方の統括と為りましょうか?」
ハイケ・ウブチュブクはアムリートの副官であるが、この年の初めに設置された「国制改革局」にも籍を置き、活動していた。
宰相のデヤン・イェーラルクリチフは、抑々発案者で、長である皇妃のカーテリーナを補佐する立場だったが、彼も当然この部局から離れる。
兵部尚書のヨギフ・ガルガミシュも、前線に出て貰う事に為る。
其の様な訳で、帝都で国内の統括は宰相が、軍事上の後方統括はホーゲルヴァイデ次官が担当する。
無論、アムリートは前線に出て、野戦総司令官として、全戦線を統括する。
ハイケは皇帝副官として、大将軍のエドガイス・ワロンが全軍の統括の補佐として、兵部尚書のヨギフ・ガルガミシュが幕僚長として、皇帝の大本営と共に在る。
「ハイケよ。期間は短いが、来年の初めのカイたちの部隊の出発日まで、ヴェルフ・ヘルキオスの家に泊まり、兄のカイと共に過ごすが好い。そう云えば卿らの双子の弟たちは、そろそろ調練の終了と為るな。調練が終ったら、出発日まで皆でヴェルフの家で過ごせ。これは命令だ。断る事は認めぬ」
2
十二月二十九日。帝都ウェザールの西の練兵場に、ハイケは赴き、志願兵の調練の場所へ向かった。
この日は調練の最終日である。時刻は午後の二の刻(午後二時)過ぎ、この時期のウェザールにしては、珍しく快晴で、気温が低いだけで、風もあまりない。
馬を飛ばし、目的地に着いたハイケは、調練の責任者であるザンビエと云う六十歳過ぎの男に、調練が終ったら、シュキン・ミセームとシュシン・ミセームを自分の処に呼んで欲しい、と頼んだ。
そして、ハイケは志願兵が寝起きをする棟の近くの施設に、特別に入れて貰った。
カイの部隊の「大海の騎兵隊」は、プリゼーン城から十二月二十日に帝都に帰還し、三日後に来年の一月十日を出発日として、南のボーボルム城に、水上の戦いの経験が豊富な歩兵二千を引き連れて、向かう事が通達されている。
其の為、カイやヴェルフなど帝都内に家が在る者は、自宅で其の日まで過ごし、そうでない者は練兵場の兵舎棟で過ごしている。
一旦、故地に帰還している女子部隊のシェラルブクの将兵に関しては、ホスワードの一番の北東の州から、船で外洋に出て、ドンロ大河を遡上して、ボーボルム城に到着する予定と為っている。
「二人とも逞しく為ったな。大きな怪我はしなかったか?」
「かすり傷も無しさ。二人とも皆勤だよ。ハイケ兄さん」
「来年の一月の末まで、棟に住み、時折軽作業をするらしいんだけど、何か有ったのか、兄さん?」
ハイケは双子の弟たちを呼び付けた理由を述べた。其れは来年の十日が長兄のカイの部隊の出発日なので、其の日まで共に帝都内のヘルキオス邸で過ごそう、と云う内容だった。
「調練の指導者の方には、既に許可は取ってある。十日からまた此処に戻る事に為るが、大丈夫だよな」
シュキン・ミセーム、シュシン・ミセームこと、ウブチュブク家の双子の兄弟は、来年で二十歳を迎える。
共に身の丈は百と九十寸(百九十センチメートル)近くあり、細身ながら、半年間鍛えられた為、逞しさも増している。
短くした褐色の髪。顔付きはまだ少年っぽさを残しているが、大きな目に輝く褐色の瞳は力強い。
二人は荷物を纏め、馬を曳く次兄の後に従い、帝都のヘルキオス邸へと向かった。
ムヒル州のカリーフ村で産まれた、ガリン・ウブチュブクとマイエ・ウブチュブクの七人の子供たちは、皆立派に育ち、其々の職や学を真摯に従事し修めている。
因みにマイエの旧姓は「ミセーム」で、カイやシュキンやシュシンは、父の名声を避ける為に、一時的にこの姓を名乗っていたし、双子は現在名乗っている。
兄妹の現状は以下に為る。年齢は来年からだ。
一番上の長男のカイは、二十六歳。軍に於いて高級士官の任に在り、千二百名程の部隊の長だ。
二番目の長女のメイユは、二十五歳。ハムチュース村で夫のタナス・レーマックと共に学院の教師をしている。五歳に為るソルクタニと云う娘がいるが、現在二番目の子を身籠っているので、教師の職は一時的に辞している。
三番目の次男のハイケは、二十三歳。皇帝副官の任に在り、恐らく彼がウブチュブク家が輩出した、一番の国の柱石かも知れない。
四番目は三男と四男の双子で、シュキンとシュシン。半年間の志願兵の調練を終えたばかりだ。
六番目の次女のセツカは、十五歳。ハムチュース村の学院に通っている。将来は役人の試験を受ける進路を決めている。
そして、七番目の五男のグライは、十二歳。カリーフ村で学校に通っているが、顔付きを除けば、身の丈は百と八十五寸を超え、重さは百二十斤(百二十キロ)に迫る、大人としか思えない背格好である。
この少年は家の仕事だけでなく、空いた時間はカリーフ村の木材の運搬の手伝いまで、率先して行っている。
ウブチュブクの三兄弟がヘルキオス邸に到着したのは、午後の七の刻(午後七時)を過ぎていた。
当然、数刻も前から、外は真っ暗であるが、帝都内は家々の明かりが外に漏れ、また城壁上の四隅の塔の最上部と、南東西の九つの城門の上の櫓の上部は、絶えず篝火が灯っているし、帝都内の公共の建物の多くも、夜には篝火が灯る。故に特別松明を持つ必要は無い。
四兄弟は久しぶりに顔を合わせた。もう四人とも喜びの声を出し、抱き合ったりする年齢では無い。
長兄のカイは、弟三人の肩を叩きながら、「短いがゆっくりしてくれ」、と穏やかに言うだけだ。
其の日の夕食は格別に美味しく、ヴェルフが双子に「調練を無事終えたお祝いだ」、と言って酒を注ぎまくる。
「お前たちも周知しているだろうが、未だ調練は正式には終わっていない。一月の最終日に合否が出て、任務を言い渡される。だが、皆勤だから当然合格だろう。実はお前たちの任地は、ボーボルム城にする様に要請してある」
「つまり、カイ兄さんの…、ウブチュブク指揮官の部隊に正式に配属と為るのですか?」
「そうだ。弓術が達者な者が一人でも多く欲しくてな。其れと、この様な私的な場なら、そんな言葉使いはしなくて好いぞ」
「私的な場と云えば、レナ様が居ないね」
「レナはブローメルト邸に居るぞ。ツアラと短い間だが、一緒に居たいだろうからな」
ハイケの疑問にカイは普通に答えた。カイとレナは夫婦である。共に過ごしていない事を、奇妙と思っていないのは、当のこの夫婦だけであろう。
夕食後に居間で地図を広げ、ハイケはカイとヴェルフに色々と説明をしていた。地図はボーボルム城付近のドンロ大河で、軍船を模した木の駒が幾つも地図上に並んでいる。
シュキンとシュシンも次兄の話に聞き入っている。
説明が終わり、ハイケはある事に気付いて、兄に質問を発した。
「兄さん。スーア市のエレク・フーダッヒ市長とは、どんな感じの人だったかな?」
突然の質問に驚いたカイだが、三年程前の記憶を頼りに、弟に答えた。
「そうだな。人当たりの良さそうな方で、市民や部下達からも信頼されていたな」
ハイケはフーダッヒ市長が、火急の場合には自身が市の全権限を掌握する事を望んだので、其れを監視付きで認めた事を話した。
「其の様な、武断的な事をする御方には見えなかったので、其れは意外だな。だが、市民と市の安全を考えての事だろう」
ハイケは自分で調べた限りのフーダッヒ市長の経歴を話した。
生まれはクラドエ州だが、これは両親が旅商人をやっていた為で、厳密な故郷では無い。両親は主に国内、時に国外に息子エレクを連れ、商売をしていたが、父親が倒れ亡くなり、母子は母の出身地であるスーア市に定住し、生活をしていた様だ。
商売を上手く行っていたので、父の遺産が其れなりに在り、母子は困窮せず、エレクは学院卒業後にスーア市の役人試験を受けた。
「この父親が、不分明だ。大成功した商人じゃないから、単に記録に残っていないだけなのだろうけど…」
「まぁ、あまり家族の不幸を詮索するのも、好くない事だしな。生まれがクラドエ州か…」
クラドエ州はヴァトラックス教徒の村が在り、また其処に住む貴族の一部はヴァトラックス教を信奉している。
年が明け、ホスワード帝国歴百五十八年と為った。年明けと同時に数日、帝都ウェザールは気まぐれに降雪があったが、左程積もらず、十日のカイの部隊の出発日を迎えた。
ハイケは皇宮に戻り、シュキンとシュシンは練兵場の志願兵の棟へ戻る。
自部隊と歩兵の確認を終えた、参軍レムン・ディリブラントがカイに報告すると、カイは出発の合図を出す事を命じ、約千二百名程の軽騎兵と二千の歩兵は、南のボーボルム城へ向かう。
吐く息は白いが、薄曇りの晴天。北風は左程強く無く、しっかりと防寒着を着込んだ一団は、歩兵の速度に合わせて、進んで行く。
カイとレナは十数日振りに会ったのに、行軍中は任務の話、休憩中は互いの家族の話しかしないので、傍に居るヴェルフやレムンは、改めて変わった二人だ、と囁き合っていた。
四日後、ボーボルム城に到着した「大海の騎兵隊」と歩兵二千は、カイが代表して、司令官のヌヴェル将軍に着任の手続きをする。
考えてみれば、頻繁にこの城塞にカイは赴任している。
初めてこの城塞にカイが着任した時は、千人にも満たない規模だった。其れが今ではホスワードに於ける、重要な軍事拠点の一つだ。
一日の休暇後、早速兵たちは小型船に乗り、哨戒任務を行い、カイたち部隊の幹部は、ヌヴェル将軍との会合や、軍船の視察を主に行った。
南部地域とあって、寒さは其れ程厳しくない。カイは厚手の外套では無く、肩掛けを軍装の上に羽織っている。
晴天も多く、日向に居れば人に因るだろうが、寒さは余り感じない。但し、北風が強い時は骨身に沁みる寒さを感じるし、手足は寒さで悴む。
稀に降る、冷たい雨や、霙や、粉雪の時は、流石に寒い。そんな時、哨戒任務の兵が誤ってドンロ大河に落ちたら、確実に命の危険が有るだろう。
そして、遂に一月の終わり頃、バリス帝国は停戦条約の履行の話し合いを打ち切る、と通達し、ホスワード側も其れを受け、即座に戦時体制に入った。
既に任地に居るカイたち将兵たちは、特に何も変わらないが、市民生活が大きく変わる。
先ず、主要な道路や水路を民間が使用するのは、午前十の刻(午前十時)から、午後四の刻(午後四時)までとして、更に場合に因っては一日中の使用を不可とする事。
他の市や村への移動も同じく、午前十の刻から、午後四の刻の間とし、其の時間以外に民間人が市や村を出る事は原則禁止とする事。
市内や村内に於ける外出は自由だが、極力午後八の刻以降の外出を控える事。
夜間から早朝に営業している店は、各自当局に営業許可証を貰い、許可無くの深夜営業は禁止とする事。
これらは二月の初日から、ホスワード帝国全土で実施し、解除は無期限とされた。
カリーフ村のウブチュブク家で、この影響を最も受けるのは、学院通いのセツカだ。
彼女は事実上、午前中の履修科目は無期限で受講出来なく為る。
二月に入って、数日後。シュキンとシュシンのミセーム兄弟が、四十名程の同期の志願兵と共に、ボーボルム城に着任して来た。
彼らは正規の兵の為、この条項に当て嵌らず、昼夜を問わず移動して遣って来た。
全員カイの配下と為り、内二十名程は女性なので、彼女たちは女子部隊指揮官マグタレーナ・ウブチュブクの部下と為る。
3
二月十日、メルティアナ州の北西に在るスーア市に、一人の道化師が現れた。
時刻は昼過ぎで、市庁舎から程近い広場である。
其の道化師の姿は、赤褐色と黄色の縞模様の上下、帽子は黄色い三角帽子で先端から赤褐色の飾りが垂れていて、半長靴は黄土色で、其の靴先の先端が上に反り上がっている。
見事な奇術にスーアの市民は拍手を送る。外出が制限されているのも、盛況の一つかも知れない。
市庁舎からも、其の盛況は見て取れ、派手な出で立ちの道化師の姿も、好く分かる。
スーア市長エレク・フーダッヒは、市長室から、無表情で其れをずっと眺めていた。
市長の隣には、メルティアナ城の司令官であるウラド・ガルガミシュ旗下の士官が、半ば市長の護衛、半ば監視役として付き従っていた。
「市民が楽しんでるから、問題無いですが、現在の状況を鑑みると、あの様な旅芸人も自由に市内に入れない方が好いですな。私自ら、あの芸人が何処から来て、次は何処へ行く心算なのか、確認して於きましょう」
フーダッヒは、士官にそう言うと、一人で市庁舎近くの広場へ向かって行った。
メルティアナ城司令官ウラド・ガルガミシュが、スーア市に送ってある部下の士官からの報告が、十日から途絶えた為、調査用の十名程の将兵をスーア市に送ろうとしていたのは、二月十四日の早朝であった。
この日、ウラドの司令部には立て続けに、驚くべき情報が入って来た。
先ず、昼近くにスーア市の住民の大半が、近隣の村落に避難、と云う因り追い出され、スーア市は市長の元、防備を強固にしている事。
其の日の夕近くには、バリス軍歩騎八万がスーア市を完全に無血占領した事。
同時刻に南西のテヌーラ領のカートハージ州から、テヌーラ軍六万程の軍勢が、メルティアナ城に迫っている事。
深夜近くには、やはりバリス軍二万が、メルティアナ城に迫っている事だった。
「何が起こっている!フーダッヒ市長はバリスに降伏したと云うのか!」
自身の守る城の防備体制を指揮しながら、ウラドはスーア市で起こった事を即座に帝都へ早馬を飛ばした。
この日にスーア市の状況は、帝都ウェザールの西の練兵場で、中央軍の兵馬の準備をしていた皇帝アムリート以下の軍首脳にも、即座に知る処と為った。
編成と同時に、ホスワード側は情報収集に努めた。
翌日の十五日に分かった事は、以下である。
スーア市をバリスの主力の歩騎八万が占拠している。
メルティアナ城に、バリス軍二万と、テヌーラ軍六万が迫っている。
バルカーン城にはバリス軍二万五千が迫っている。
最も北西のラテノグ州では、凍結したボーンゼン河をバリス軍二万が渡り、プリゼーン城を攻囲しようとしている。
更に翌日には、ドンロ大河を南からテヌーラの軍船が北上し、西からバリスの軍船が東進している事が判明した。
北方のエルキト藩王国には、特にこの時点で動きは無い。
バールキスカン旗下の六万の騎兵をバリスに当たらせたら、即座に空白地帯と為るホスワードの北方地方を襲う心算なのか。
アムリートの大本営では、バールキスカン将軍の軍を如何動かすか、対策を話し合った。
当然、北方のオグローツ城との連絡を密にして、エルキト藩王国の動きについて、逐次詳細を伝える様に体制を整える。
十四日には、レラーン州の港湾都市オースナン市から、高速船が南へ出港し、ヴィエット王国に向かい、ラスペチア王国に通使館を構えている、ブホータ王国とキフヤーク可寒国にも、軍の出兵の依頼を行う連絡兵を奔らせた。
ボーボルム城で、スーア市の状況が判明したのは、十六日である。
当然、城塞内は騒然と為ったが、スーア市長エレク・フーダッヒがバリス軍に市を明け渡し事には、直に彼と面識のあるカイとレナには衝撃的だった。
一体、何が目的で其の様な事をしたのか?其の疑問を解き明かす暇も無く、西と南からバリスとテヌーラの水軍が近づいて来た為、カイとレナはそちらに集中を切り替え、ヌヴェル将軍の元で、城塞幹部たちに因る対策会議に出席した。
「既に哨戒船を出してあるが、予想通りの運航を両国の軍船はしている様だ。詳細が分かり次第、全船出港で予定の布陣を敷く」
ヌヴェル将軍が言うと、各幹部たちは立ち上がり、右手の拳を左胸に当てる敬礼をして、会議室を退出し、各自出撃準備に入る。
翌、十七日早朝。ボーボルム城の船渠から、以下の軍船が出撃した。
大型船が十五艘、中型船が三十五艘、小型船が三百艘、そして特殊大型船が三艘だ。
其の布陣は、西側に対して全ての大型船が、北から南へと隙間無く並ぶ様に配置され、其の後ろに五艘の中型船が、前に位置する大型船の隙間を塞ぐ様に位置している。
南に対しては、中型船三十艘と小型船三百艘が展開し、特殊大型船三艘も其の中に入っている。
三艘の特殊大型船は、先ず南に向いている全船団の副指揮を任された、カイが艦長として乗り込み、主な同乗者は参軍のレムン・ディリブラント、五十名のシェラルブクとホスワード女性が半々の五十騎を率いるマグタレーナ・ウブチュブク、そして船体防衛兵として、シュキン・ミセームだ。
二艘目には艦長としてヴェルフ・ヘルキオス、五十騎のシェラルブク女性を率いるオッドルーン・ヘレナト下級中隊指揮官、そして船体防衛兵として、シュシン・ミセーム。
三艘目には艦長としてトビアス・ピルマー下級中隊指揮官、五十騎のホスワード女性を率いるラウラ・リンデヴェアステ上級小隊指揮官だ。
ラウラはレナの女子部隊創設時からの兵士で、牧畜が盛んなエルマント州の出身だ。幼き頃より馬に親しみ、学校を出ると、両親や兄たちと馬上より羊を追っていた。
年齢はレナの一つ下で、この年で二十四歳。身の丈は百と六十寸も無く、更に細身の小柄。然も、兵に入って初めて弓矢や剣を扱う様に為ったが、其の力量は十分に高い。
ホスワード人でも珍しい明るい金髪と薄い碧い瞳。美麗と云う因り、寧ろ愛らしい顔は、入隊以前から変わらず、カイは初め彼女を見た時、十代半ばの少女だと勘違いして、故郷に帰る様に促した程だ。
西に向いている船団を指揮するのが、全軍の総司令官である、アレン・ヌヴェル将軍で、ヌヴェルはちょうど十五艘ある大型船の中央の船を旗艦としている。
全船とも鉄の補強が大きく為され、更に投石機を大型船は五機、中型船は三機、甲板上に設置されている。
この日、風は微風、曇りだが、霧も無く、視界は特に悪くは無い。
ヌヴェル将軍の旗艦に哨戒船が幾つか戻って来て、乗員は移乗して将軍に報告をする。
この哨戒船団は其のまま、移動用の船として使い、主にヌヴェルと南面部隊の間の連絡役を務める。
4
南から現れたテヌーラ軍の船団を、ホスワード軍南面船団が、視認出来たのは、午前の十の刻である。
大型船は三十艘程あり、中型船は其れ以上だ。小型船は逆に百艘を超えるか如何かだ。
カイが注視したのは大型船や中型船だ。
やはり、船腹は触角で突き破られない様に鉄で補強され、甲板上は欄干で囲われている。
欄干は鉄ではないが、頑強な木でしっかりと備え付けられている。
一番にカイが気にしたのは、船の高所だ。
帆柱の上部と、後方の楼閣の最上部に、数人の弓兵が配置されているのが確認出来た。
騎兵が突撃したら、彼らはこの高所から狙い撃ちする心算なのだろう。
テヌーラも対策を取っている事が、好く分かるが、実はここまではカイの予想通りだった。
先ず、敵船突入の通路は、鉄製の動かせる通路を無理やり突き刺す。そして、船体防衛兵が其のまま欄干を大斧で壊し、無理やり騎兵隊の通路を作る。
高所の弓兵には、特別に弓術に優れた船体防衛兵を配置して、彼らに撃ち落して貰う。
シュキンとシュシンはこの役目を任されている。
前年、「大海の騎兵隊」は、ラテノグ州で馬上ではあれど、弓術に特化した調練をした。
其の中から、特に優れた者たちをカイは同様に配置している。
此処までのホスワード軍の動きは、一月の初め、カイたちがヘルキオス邸で過ごした時の、ハイケが中心と為った軍議を元にしている。
ホスワード軍南面船団の総指揮を任されたのは、ヌヴェル将軍旗下の上級大隊指揮官で、彼は三十艘ある中型船の一艘を指揮艦としている。
自身の船を含め、この三十艘の中型船は防備を固め、特殊大型船三艘と、三百艘の小型船に北上するテヌーラの船団への攻撃を命じた。
テヌーラの三十艘の大型船には、特殊大型船の騎兵突撃を、同じく五十艘程と判明した中型船には、三百艘の小型船が近づき、意外な攻撃方法を取った。
この小型船に各自乗船している、選抜された三百人の兵士は、実は長らく手榴弾の擲弾兵としての訓練を受けていた。
この手榴弾は短い導火線に火を点け、相手に投げ込むものである。
発想としては、曾てバタル帝が健在時のエルキト軍に、バリス軍が仕掛けた爆破装置に近い。
但し、導火線は短く、投げ易い様に、掌に収まる大きさの球状の鉄で出来ている。
先年のバリス軍との戦いの最終局面で、一方的に打ちのめされた榴弾の破片等から、成分を分析し、同種の爆発物をホスワード軍は造っていたのである。
ホスワード軍の小型船に乗船している専任の擲弾兵が、テヌーラ軍の中型船に近づき、点火させた手榴弾を甲板上へ投げつける。
謂うまでも無く、少しでも投げ込む瞬間が悪ければ、其の場で乗船している船諸共に自爆だ。
だが、其の様な不手際は起こらず、テヌーラ軍の中型船の甲板上は、次々に爆発が起こり、大混乱と為る。
擲弾兵は三つの手榴弾を持っている。つまり合計で九百の手榴弾を炸裂させる事が出来る。
テヌーラ軍の中型船は五十艘なので、一艘につき十八も投擲出来るが、流石に最初の一つだけを使い、様子を見る事と為った。
単純計算すれば、テヌーラ軍の中型船五十艘は、六つの手榴弾を受けた事に為る。
大半のテヌーラ軍の中型船は、殆どこの一事で戦闘不能の状態と為り、テヌーラ軍の小型船は、このホスワード軍の危険極まる小型船を駆逐しようと、攻撃を掛けて来た。
小型船は別名、駆逐船なので、このテヌーラの取った戦法は正しいが、駆逐船の数だけだと、ホスワード軍が三百艘、テヌーラ軍が百艘である。
テヌーラ側の駆逐船が少ないのは、ホスワード水軍を南から東へ半包囲する為、大型船と中型船を多く用意した事。また南のヴィエット王国との戦いは、海上でも同時に行われていて、其方に中型船五艘と、二百艘程の駆逐船を回していたからだ。
残るテヌーラ軍の軍船は、帝都オデュオスを護る様に、超大型船一艘と大型船五艘と中型船十艘。各港湾都市ごとに数十艘の駆逐船を配置している。
若し、これらテヌーラ水軍が全滅すれば、水上の軍事大国テヌーラは、其の覇権を失墜するだろう。
自軍のテヌーラ軍の中型船の大半が、戦闘不能に為ったのを歯軋りして、見て取ったテヌーラ軍の対ホスワードの総司令官は、大型船だけでホスワード水軍を南から東へと攻囲する事を指示した。
当然、各船の間は空く。其れを見て取ったカイは自船を含めた、特殊大型船三艘をテヌーラ軍の大型船相手に騎兵突撃の指示を出した。
カイの船、ヴェルフの船、トビアスの船が、各自目標と定めたテヌーラ軍の大型船の横腹に鉄の船首を突き刺す。
即座に欄干を壊し、弓兵が高所に居る敵船の弓兵に先んじて射る。
カイの船のシュキンは、帆柱の高所に居た弓兵を、狙いを定めて射て、其の弓兵は肩に深々と矢が刺さり、帆柱の高所から絶叫を上げて落下する。
ヴェルフの船のシュシンは、後方の楼閣上の弓兵を射て、見事にこれも肩に突き刺さり、其の兵は後方に仰け反り、水面に落ちていく。
カイとヴェルフの特殊大型船では、シュキンとシュシンの弓術に対する喝采が起こる。
特にトビアス・ピルマーの船は、弓兵を含め船体防衛兵と、敵船突撃兵は、特に強固な者たちを選んだので、この三艘は、騎兵突撃と突撃兵に因り、テヌーラ軍の大型船を蹂躙する事、夥しかった。
まさか対策を立てたにも拘らず、数年前の戦いと同じ蹂躙をされるとは思わなかった、テヌーラ軍は愕然とする。
カイは敵船突撃兵として、先に斧が付いた鉄製の長槍を振り回し、テヌーラ兵を殺傷し、船体を傷つける事甚だしい。
レナ率いる突撃騎兵は、テヌーラ兵を追いまわし、水面に落とすか、弓矢で攻撃をする。
ヴェルフとオッドルーンの部隊も、トビアスとラウラの部隊も、同様にテヌーラ軍の大型船を各自蹂躙して、突き刺さった鉄の船首を伝って、撤収すると、即座に鉄の船首は引き戻され、離脱して、次の相手に狙いを定める。
この時、カイの特殊大型船に乗船しているレムン・ディリブラントは、全体の戦況を逐次受け、主帥のカイに手短に、且つ正確に報告する。
彼は水上の戦いの経験は殆ど無いが、この様に次々に報告される情報を整理し、上官に分かり易く伝達する技術に関しては、特別な能力を持っている。
ホスワード軍の駆逐船百艘が、テヌーラ軍の大型船に手榴弾を投げつけるので、カイたち三艘の特殊大型船は、其れに巻き込まれない様に、突撃に狙いを定めるテヌーラ軍の大型船を、このレムンの報告で選別出来た。
上官のカイの許可を得たレムンが、カイの艦上の伝令兵に、ホスワードの緑地に中央に三本足の鷹が配された、大きな旗を独特に振らせる事を指示した。
全船への連絡用だ。
南面に布陣するホスワード軍の中型船三十艘に、攻囲攻撃に向かっているテヌーラの軍船には、小型船百艘が手榴弾で攻撃する事。
其の南でテヌーラ軍全船を指揮する旗艦と、其れを護る様に在る数艘の軍船への攻撃は、特殊大型船三艘が担当する事。
其のやや東側では、ホスワード軍の小型船二百艘と、テヌーラ軍の小型船百艘の接近戦が行われているが、此方は数にてホスワード側が押している。
5
トビアス・ピルマーの船が、テヌーラ軍の旗艦に突撃を成功させた。
瞬時に騎兵の入り口を作り、弓兵が高所に構えるテヌーラ兵を撃ち落とすのを確認した、ラウラ・リンデヴェアステは旗下のホスワード騎兵五十騎に、相手船内への突撃を命ずる。
騎兵はラウラを初め身の軽い女性たちだ。然も、彼女たちは防具は鉄具は勿論、皮の鎧兜すらしていない。
この身の軽さが、連続した相手船内の突撃を可能としている。
「女子部隊は、レナ様やヘレナト副指揮官だけでは無い、と見せ付けるんだ!」
実年齢より幼く見えるラウラが部下達に激を飛ばす。
彼女の明るい金髪は、尊敬するレナの様に短くしている。
そして、彼女たちを守る様に、また主要な攻撃装置を破壊する為に、トビアス率いる三十名の突撃部隊が其れに続く。此方は額部分に鉄を巻いた皮の帽子や、皮の胸甲、そして鉄の籠手と脛当てをを身に付け、手にしている武器は強大な斧などだ。
ラウラは騎乗のまま、後方の楼閣まで上がった。其処で、慌てて飛び出した、テヌーラ軍の水軍総司令官に矢を放つ。
矢は総司令官の左腿に突き刺さり、彼は楼閣上から甲板へ転げ落ちる。
即座にトビアスが彼を捕縛して、彼の首に短刀を押し当て、たどたどしいテヌーラ語で宣言した。
「お前たちの大将は、この様だぞ!これ以上の抵抗は大将の首が胴から離れる物と思え!」
この状態は即座にホスワード軍南面部隊の知れる処と為り、ヴェルフは半ば称揚して、半ば悔しがって感想を述べた。
「トビアスとラウラに今回は見事に美味しい処を持って行かれたな。まあ、これは俺やオッドルーン殿の普段の指導の賜物としよう」
近くで聞いていたオッドルーンは苦笑する。
テヌーラ軍のこの一方的な敗退は、ホスワード軍の騎兵突撃の改良と、機動力のある駆逐船に練度の高い擲弾兵を配した事が有るだろうが、もう一つは彼らが南から東へと、ホスワード水軍を半包囲する事に固執したからだ。
何故なら、西からは猛打撃を与えるバリスの軍船が、攻撃的に出る為、其れに巻き込まれない様に、防備を重視した戦術を、テヌーラ軍は採択したのだが、其れはハイケによって完全に読まれていた。
西から来るバリスの軍船をホスワード側の西面部隊である、ヌヴェル将軍が確認したのは、同日の十の刻半過ぎである。バリス水軍は一列の単縦陣を形成していて、全船の数は二十艘程、大きさもホスワード軍船の分類で云うと、大型船と中型船の中間位だ。
ドンロ大河上を北から南へ、バリス軍の進路を塞ぐ様にホスワード軍の大型船十五艘が並ぶ。
先頭のバリス軍の軍船が、この壁まで、約二十丈(二百メートル)程近づくと、船首に備えられた三つの砲を放った。
中央が着弾時に爆発を起こす榴弾で、左右は口径十寸(十センチメートル)の鉛の弾を射出する砲だ。
三つを撃ち尽くすと、先頭の船は左へ、つまりホスワード側から見ると、北へと進路を変えた。
そして、この先頭の船には、右舷にも三つの砲が設置されていて、当然発射をする。
ホスワード軍の軍船上は爆発と爆風と水柱で、混乱を来たすが、ヌヴェル将軍がこの混乱下に、全船の水弾の投擲を指示する。
先頭の回頭して、船団の最後尾に回ろうとする船と、二番目の砲の攻撃準備をしていた船は、人頭大の弾が幾つも降り注ぐのを確認した。
当初は石弾と思い、人体に直撃すれば、致命傷を負うだろうし、船体がまともに受けたら、かなりの損傷を被る。
だが、炸裂した其れは大きく激しく、甲板上に水を撒き散らす。
中にはまともに水を浴び、ずぶ濡れに為ったバリス兵も居る。
一体、ホスワードは何を飛ばしているのか、と不思議に思ったバリス軍だが、肝心の砲の点火要員が全身水浸しに為ったので、点火が上手く出来ず慌てている。
其の為、二番目のバリスの軍船は砲を半分程しか打てず、先頭の船とは逆に南へ進路を変えながら、左舷に備え付けた砲を撃とうとするも、次々に放たれる水弾に大混乱と為る。
三番目のバリス軍の軍船が砲を撃ちこむ準備をする頃には、ホスワード軍が打ち込んでいる弾が判明した。
其れは薄い人頭大の護謨の中に、水が満たされた物を飛ばしていたのだ。
初めは、水弾だと分かり、直撃さえしなければ、致命傷に為らない、と安心したバリス軍だが、次第に恐怖を感じていく。
バリス軍が打ち込む鉛弾や榴弾、又はホスワード、バリス、テヌーラの各軍の矢や石弾は、船内の物資保管場所に限りがある。
これはホスワード軍の手榴弾とて同じだ。
故に、後方からの物資補給が必要な訳だが、この護謨の水弾は後方の補給を基本的に必要としない。
厳密には、護謨の袋は一艘につき、千袋を用意しているが、水弾を造る、水には水上故に簡易に製作可能だ。
これは限られた遠距離武器しか持たない相手には、まるで無限に在るかの様に思われる。
バリス軍の単縦陣の二十艘が一巡した頃には、相手のホスワード軍船は朦々と各所から煙と火を出し、大半が損傷していたが、一方のバリス軍は船体全体が水浸しに為り、兵の中には全身に水を浴び震え、まともに動けない者がいる。
季節が真冬と云うのも、ホスワード側にこの水弾を有利にしていた。
そして、如何にか一艘が、一・二発の砲を撃つ代償に、数十発の水弾をバリスの軍船は受けていた。
カイが南面部隊の総指揮を執る、上級大隊指揮官の艦上に、副指揮官として、参軍のレムン共に移乗したのは、テヌーラ軍を一蹴した後である。
殊勲のトビアスとラウラも、縄に縛られたテヌーラの総司令官を連れ共に移乗していた。
「指揮官殿、この艦隊の十五艘程は同じく水弾が打てるので、ヌヴェル将軍の艦隊の援助に回すべきです。其れと小官とピルマーの船は船首より、通路が出来ますので、ヌヴェル将軍の将兵の負傷者をボーボルム城に運搬したいのですが、宜しいでしょうか?」
この指揮官は即座にカイの提案を承諾し、自身の船を含め十五艘近くをヌヴェル将軍の援護に、残りの船は、カイの指揮下に置き、負傷兵の救護を任せた。
当然、テヌーラの総司令官を初めとする、捕虜としたテヌーラ軍の将兵たちも、ボーボルム城に連行する。
テヌーラ軍の一般の将兵は逃げるに任せた。大半が航行だけが可能で、戦闘不可能な半壊状態だからだ。
「あれ?ヴェルフさんの船は何処に行ったの?オッドルーンさんは?」
レナがカイに疑問を呈する。
「彼奴はまだ暴れ足りないらしい。三艘の水弾が打てる中型船と共に、バリス軍の横腹を撃つ」
つまりヴェルフの特殊大型船のみ、西へと航行して、バリス軍に騎兵突撃の敢行をして、ヌヴェル将軍の艦隊を助けるのだ。
「其れって、シュシンも向かってるのか。好いなあ、彼奴だけ」
シュキンがカイと共に負傷兵を助けに行く事に、少し不満を述べた。
「戦場では、仲間を一人でも多く助けるのも重要な任務だぞ。大勢が決まったら、敵兵も助けるんだ。まあ、こっちは捕虜として、其の後の講和で有利な条件を導く為だがな」
6
ヌヴェル将軍の西面部隊も無傷では無く、大型船十五艘と中型船五艘は、各所に噴煙を上げ、乗員の死傷者は夥しくは無いが、連続した水弾を用意し、撃つ乗員が不足しだしてきた。
其処でカイ率いる南面部隊の一部が、負傷兵を収容しに現れ、また小型船の乗員で、水弾を扱った兵士たちを移乗させた。
騎兵突撃の船首が、この様に味方の移動の支援にも使えるのは、カイとしても自身では思わなかった用途だった。
そして、南面部隊の中型船十艘程が、ヌヴェル将軍の部隊を護る様に前面、つまり一番の西側に位置する。これ等の船団は殆ど損傷していない。
この時、バリス軍の単縦陣は五順目に入っていて、最初の船が五回目の砲を撃とうと準備するも、機能出来るのは二門だけで、新たに出現したホスワード軍の水弾を一方的に受けるだけだった。
単縦陣の最も後方の、二十艘目の位置に五度目の攻撃を行ったバリス軍の船が位置した時、ヴェルフの特殊大型船は其れに狙いを付けた。
ヴェルフの船の位置は、バリスの単縦陣の南に十丈(百メートル)程離れていた。
三艘の中型船にヴェルフは最後尾に位置した船に水弾を浴びせる事を指示する。
最後尾に帰陣したこの船は、またも水弾を喰らい、何事かと飛んできた方向を見る。
すると、至近に尖った鉄製の幅広の船首が向かって来るのを確認した。
「敵船の甲板上は水浸しだ!皆の者、移動には注意をするのだ!」
騎乗のオッドルーンが部下に声を掛け、バリス軍の船に船首が突き刺さった事を確認すると、旗下の五十騎を突撃させた。
船体防衛兵のシュシンは敵船に高所から弓矢を持つ兵が居ない事を確認すると、ヴェルフから声を掛けられた。
「シュシン、お前も一緒に突撃だ。これを使え」
シュシンはヴェルフの腰間の長剣を渡された。ヴェルフの主武器は長大な槍である。
二尺を越える鉄製の長槍だが、先端部分は突起が幾つも付いた鎚に為っている。そして重量は八斤を越える物だ。
「濡れた船上は問題無いな。何度か経験してるからな」
ヴェルフの注意にシュシンは頷く。先年、トラムで漁船だが、雨中での整備の経験も有るし、南方使節時には、あまり無かったが時折航海中に降雨に見舞われた。
敵船に移乗したシュシンは、即座に同じく抜刀したバリス兵が自身を標的とするのを確認する。
振られた剣を、瞬時に避けたが、シュシンの体制は崩れない。だが、振り下ろしたバリス兵は足元の水に掬われ、覚束無い格好と為る。
シュシンは十分に狙いをつけて、このバリス兵の鎧の隙間の胴に一撃を見舞い、其の兵は致命傷を負って倒れ込む。
シュシンは周囲を見回す。打ち込まれたのが水弾とあって、死者は元より、負傷者も殆どいない。
然し、オッドルーン率いる騎兵隊に次々にバリス兵は、追い回され、落下し、水面に落ちていく。
次の相手は、足元を気にしてか、振りかぶらず、突きを放ってきた。
シュシンは長剣で突きを弾き、其の動きのまま流れる様に動き、またも相手の隙間に一撃を見舞った。
夥しい出血と共に、其の兵も倒れ込む。
常に周囲に気を配っていたシュシンだが、背後の下側から気配を察する。
其の直後に途轍もない打撃音と絶叫が、其の気配を察した箇所から確認された。
最初にシュシンが倒した兵が、最期の力を振り絞り、剣を拾い半身を起こし、シュシンの背後を襲おうとしたのだが、近くで其れを察したヴェルフが、槍の一撃をこの兵の背に見舞ったのだ。
このバリス兵は絶叫直後に即死している。背骨を完全に砕かれ、背と口から大量の血が噴き出て倒れている。
「致命傷を負って、意識が有るのなら、逃げるべきだが、この様に勇敢にも最後まで立ち向かう者がいる。勇敢で賞賛に値すべき敵兵を確実に殺すのが戦場なんだ」
「…今の言葉、肝に銘じて於きます。ヘルキオス指揮官」
船上で敵兵を制圧したヴェルフの部隊は、自船へと撤収し、次のバリスの軍船に狙いを付ける。
カイの特殊大型船は、ヌヴェル将軍の旗艦の船尾に船首を架け、カイとレナとレムンがヌヴェル将軍の元に駆け付け、将軍の安否確認と自分たちがこれから行う、救助活動と船員の補充の報告に向かった。
ヌヴェル将軍は全身煤に塗れている。見た限りだが、特に大きな怪我はしていない様だ。
「そうか、テヌーラは退けたか。あの中型船の援護で一息が付けるよ。救護と補充の件は、卿に一任する」
三人は右手を左胸に当てる敬礼をすると、即座に負傷者をカイの船に移乗させ、補充兵を乗り込ませる。
また、カイは数艘の小型船に命じ、ボーボルム城付近で展開している数艘の輸送船が来る様にも手配をしている。
当然、この輸送船には医師たちが乗りこみ、救命道具が多く用意されている。
シュキンは軽傷者の移乗を任された。要するに意識は有るが、歩行が困難な兵で、シュキンはそう云った兵を肩で担ぎ、カイの特殊大型船に移乗させる。
頭部から出血している者、全身が煤塗れの者、そうした味方を何度も運んだシュキンは、先程の戦闘時には遠方の弓兵だったので、殆ど軍装が汚れなかったが、この作業で、味方の血と煤で軍装がみるみる汚れていく。
半刻としない内にシュキンはまるで、戦場の最前線に居る様な姿と為っていった。
「大丈夫です。この戦は勝ちます。輸送船から医師が来るので、安静にして下さい」
シュキンは負傷者を特殊大型船内で寝かせ、数に限りはあるが、毛布を掛ける。
重傷者は二本の棒に間に厚手の布を張った担架で運ぶ。カイはこの担架の移送を、彼程では無いにしろ、大柄な兵を見つけて、其の者と前後で運び、更に輸送船団が近辺に到着するのを確認し、負傷者の収容を終えると、この輸送船に向かい、またも船首を架け、重傷者から、輸送船へと運んで行った。
シュキンは激励を飛ばしながら、軽傷者をまたも肩で担ぎ、輸送船へ移乗させる。
こうして二艘の特殊大型船は、西面部隊の負傷者たちを輸送船団に運び、船団の一部はボーボルム城に帰投して、城の医療棟に重傷者を運んで行った。
戦いは収束に向かって行く。
バリス軍は度重なる水弾で疲弊し、更に同盟軍のテヌーラ軍が攻囲に失敗し、撤退して行き、止めとして騎兵突撃を受けていた。
其れでも尚、単縦陣の砲撃を続けていたが、五艘目であるバリス側の司令官船が制圧されると、戦意を無くし、船首を西に向け去って行く。
完全に西の遥かにバリスの船団が見えなく為ると、ヴェルフの船は水上に浮かぶバリス将兵の救出作業に入った。
ホスワード帝国歴百五十八年二月十七日の午後の五の刻過ぎ、既に八割がたは夕闇に染まり始め、各船は松明を灯す。
大陸大戦の緒戦、ホスワード水軍とバリス・テヌーラ連合水軍との戦いは、こうしてホスワード側の勝利に終わった。
このホスワードの勝報は、参戦各国の首脳部に当日から、次の日の早朝までに即座に伝わった。
カイたちがボーボルム城に帰投したのは、午後の八の刻近くである。
カイたちも最後はテヌーラの将兵の救出作業に当たっていたからだ。
ボーボルム城は十分な捕虜の収容施設が在り、バリス兵もテヌーラ兵も纏めて其処に収容された。
手当てが必要な者は、医療棟に運んでいる。
湯あみをして、清潔な軍用の勤務服に着替えたカイは、同じく湯あみを終え一般兵の作業服に着替えた弟たちが、共に食堂で何も語らず、ひたすら食べているのを見つけた。
カイは一緒に食べようと思ったが、この時、数年前の事が思い出される。
初めての戦である、あのエルキトとの戦いの後に帰陣した時だ。
本陣での祝勝後、自分は今見ている弟たちの様に、ひたすら飲み食いに集中していた。
あの日、自身も周りからは、この様に見られていたのかな、と思い、少し離れた場所で、彼は食事を取る事にした。
妻のレナと参軍のレムンがこの食堂に現れた。
レナはヌヴェル将軍以下、ボーボルム城の幹部の安否の報告をする。
「将軍はかなり無理を為さっていたみたい。意識は有るけど、医師からは三週間は安静にしないといけないそうよ」
ヌヴェル将軍の全身は、細かい木片等で傷ついていたが、数カ所が深々と突き刺さっていた。
レムンは被害状況を述べる。
「大型船十五艘は、全て戦闘に堪え得る状態ではありません。完全な復旧には半年以上は掛かるそうです」
「テヌーラには、まだ数十艘の船団が在るな。彼らが恐れを為して、首都の防備にこれらを張り付ける事を期待するしかないな…」
勝利とは云え、かなりボーボルム城は危機的な状況に陥った。
特殊大型船の三艘は無事なので、「大海の騎兵隊」はテヌーラが如何出るか、暫しこの地に留まり状況を見る事に為ろう。
だが、戦いはホスワードの西部地域全般に渡って行われている。
少しでも危機的な戦線が在れば、其方に赴かなければ為らない。
大陸大戦は未だ始まったばかり。ボーボルム城に勝利の気分は無く、今現在も小型船が数十艘が松明を掲げ、哨戒に出ている。
第二十八章 大陸大戦 其之壱 大海の騎兵隊、再び 了
次回のタイトルでは何とアルファベットを使う予定です。
何でアルファベットかというと、サブタイトルってルビが振れないからです。
何か、レイアウト的にどんどんおかしなことしている気がします…。
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