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第二十七章 大戦前夜

 ようやく、物語は佳境を迎えます。

 ですが、例によって、マイペースな更新なので、

 まだまだ終わりまでは長そうです。

第二十七章 大戦前夜



 ホスワード帝国には、公式な名称ではないが、「大海の騎兵隊」と呼ばれる、一大隊を擁している。

 規模は千二百名程で、軽騎兵で構成されているが、独特な特色を持っている部隊だ。

 先ず、内二百名程が女性が所属し、更に水上任務もこなすので、操船が巧みな者が多く所属している。

 主帥である下級大隊指揮官カイ・ウブチュブクは二十五歳の若さで、別帥で女子部隊の指揮官をしている、中級中隊指揮官のマグタレーナ・ウブチュブクも二十四歳の若さだ。

 ホスワード帝国歴百五十七年の初めに、この二人は結婚したのだが、当然ホスワード軍内での初の夫婦である。

 其の夫婦が帝都ウェザールの付近に現れたのは、同年の七月三十日で、両者は共に愛馬を曳き、馬には多くの荷物が載せられている。

「申し訳ありません。こんなに長時間歩かせてしまって、帰りは軍用の馬車と輸送船でトラムに戻れる様に、手配を致しますので」

 そう言ったのは、カイ・ウブチュブクで、若夫婦の後ろには、手ぶらではあるが、老夫婦が歩いていた。

 「大海の騎兵隊」の副帥、下級大隊指揮官ヴェルフ・ヘルキオスの大叔父夫婦だ。

「いや、構いませんよ。一刻(一時間)位歩く事なんて、私も妻も好く有りますよ」

 大叔父が答える。この付近まである水路まで、船で辿り着いたが、其処からは帝都へ向かう馬車はほぼ埋まっていた為、荷物をカイとレナことマグタレーナの馬に乗せ、徒歩にてウェザールを目指している。

 彼らの目的地は、ウェザール内のヴェルフ・ヘルキオス邸だ。


 カイとレナは軍装姿で、腰に剣を佩き、馬の鞍の弓袋には弓矢を納めている。

 カイの軍装は上下が濃い緑色で、ボタンを初め各処の装飾は薄い灰色だ。左胸には黄金の三本足の鷹が刺繍されている。頭の縁無し帽子も濃い緑で、此れも黄金で装飾され、大きな鷹の羽が一本刺さっている。(ベルト)と手袋と長靴(ブーツ)は褐色で、上半身には後ろに黄金の三本足の鷹が刺繍された濃い緑色の肩掛け(ケープ)を羽織っている。

 身の丈が二尺(二メートル)を優に超え、肩幅広く、胸板が厚く、腰回りは引き締まり、手足は長く太い。髪は短く刈った黒褐色で、其の顔立ちは戦場では精悍さ、日常では優しさを見せる整った顔付きで、大きな目の瞳は、澄み切った空に輝く太陽を思わせる明るい茶色だ。

 そして、海水浴を楽しんでいた為か、日に焼けて、精悍さがより増している。


 レナの軍装は上下が白を基調として、ボタンを初め各処の装飾は緑だ。薄緑の胴着(ベスト)の左胸には黄金の三本足の鷹が刺繍されている。頭の縁無し帽子も薄緑で、銀で装飾され、やや小ぶりな鷹の羽が二本刺さっている。(ベルト)と手袋と長靴(ブーツ)は褐色で、上半身には銀で縁取りされた緑の三本足の鷹が刺繍された白の肩掛けを羽織っている。

 身の丈が百と七十寸(百七十センチメートル)を少し超え、手足の長いすらりとした、しなやかさと躍動感が溢れる体格で、短くした金褐色の髪と、青灰色の瞳した其の透き通った白磁の美貌は、明るさと気さくさに満ちているが、子細に観察すると、何処か上流階級の気品を感じる。

 両者が腰に佩いた剣だが、カイのは彼の体に合った長大な両刃剣、レナのは剣は刃の部分がやや反り上がった片刃剣(サーベル)である。


 帝都ウェザールの南の正門近くまで到達すると、初見の人物は先ず驚く、遠く北の果てに長大な塔が幾つも聳え建っているからだ。

 最も北の奥が皇宮で、高い塔群は曾てウェザールがプラーキーナ朝で軍事要塞だった影響である。

 ウェザールは東西に四里(四キロメートル)、南北に五里にわたる石造りの城壁に囲まれていて、其の城壁の高さは十五尺(十五メートル)を超え、厚さは四尺を超えている。城壁上は約一尺の深さが在り、兵士が通れる様に為っている。城門は東と西と南に三つずつ在り、南の中央の門が正門だ。

 また各城門の上部には櫓が、そして城壁の四隅には十尺程の塔が建っている。

 更に、城壁の周囲は水堀と為っており、南の中央の門以外の八つの門は跳ね橋で、規定時刻以外は閉じられている。

 水は帝都の北を流れるボーンゼン河から引いている。


 頑強な石造りの橋を渡ると、正門は城壁から五尺程のやはり頑強な石造りの空洞(トンネル)が飛び出し、其の先端には両開きの門が開いている。門の高さは四尺(四メートル)、片方の門の幅は三尺あり、門の厚みは二十五寸(二十五センチメートル)はある。

 そして約十尺程を潜ると帝都内だ。内側にも門が在り、同じ様な高さと幅と厚みの門である。

 有事の際にはこの両門を当然閉じる。

 入って直ぐの所に馬を何百匹と預ける事が出来る厩舎が在り、カイとレナは此処に馬を預け、自分たちとヴェルフの大叔父夫婦の荷物を馬から下す。

 広い道が真っ直ぐに北へ伸びている。皇宮まで続く一本道で、この道の幅は二十尺は在る。そして両側は様々な市場で賑わっていた。

 ウェザールの人口は二十万。其れだけでなく、旅商人や旅人や使いの者も多いので、北へと伸びる広い道も、等間隔である其の道からの横への小道も人だらけだ。

「もう暫く歩く事に為りますが、如何します?少し休憩しましょうか?」


 カイが言うと、老夫婦は「大丈夫」、と言った。旅の疲れよりも、帝都ウェザールの規模に圧倒されている。

 この大叔父がしばしば訪れるレラーン州の副都で、港湾都市のオースナンでも、人口が七万程で、往来する商人や使いの者が其の一割程、合わせて居る位だ。

 カイが自身と夫の荷物を、レナが自身と妻の荷物を持ち、四人はヘルキオス邸を目指した。

 帝都は南から北へ行くにつれ、其の印象が変わる。先ずは賑やかな商店街や飲食街や歓楽街、そして様々な工房や市民の住宅街、大小様々な公園や舞台や劇場、そして大きな図書館、この付近にも飲食店は在るが、静かで落ち着いた感じだ。

 そして、富裕な市民の邸宅や、貴族の邸宅、官公庁と続き、最も奥の北の城壁の六十丈(六百メートル)から、帝都内部へほぼ半円状に囲われた箇所が皇宮と為っている。

 ヘルキオス邸は富裕な市民の邸宅街に在るが、位置としては其の南の方で、比較的歓楽街に近い。


「おい、何でじいさんとばあさんを連れて来たんだ」

 其れが邸宅の主人ヴェルフの出迎えの言葉だった。時刻は午後の三の刻(午後三時)を過ぎている。

 風は柔らかで、大気は澄んで乾いているが、雲一つ無い炎天下だったので、四人は一頻り汗をかいている。

「この邸宅はお前が主人だろう。俺の家族は此処に泊まった事が有るのに、お前の身内が泊まった事が無いのは不自然だと思って、お連れしたのだ」

 現在、「大海の騎兵隊」の全部隊員は休暇中で、休暇の最終日は来月の第二週の半ばである。

 ほんの数日だが、ヴェルフが大叔父夫婦と共に過ごして欲しい、と思うカイの配慮だった。

 呆れたヴェルフは、住み込みの初老の男に風呂の用意をする様に言った。

 其の妻である初老の女性には、人数分の夕食の用意を頼む。

「大したもんだな。まるで貴族様みたいじゃないか、ヴェルフよ」

「尚武の国、ホスワードでは、平民出身でも高級士官とも為れば、半ばそんな待遇を受けるんだよ」

 ヴェルフの大叔父は感心して、彼の妻、彼自身、レナ、カイと順次風呂場で汗を流し終えた頃には、一階の食堂の卓には、多くの食事と酒が並んでいた。


「ほぅ、こんな所でも海の物が喰えるのか」

「其の代わり、恐ろしく高いぞ。値段を聞いたら、吃驚(びっくり)するぞ」

 内地であるウェザールは、海の物は専用の氷を満たした馬車や船で運搬されるので、其の輸送費から、値段が高い。

 漁村の村トラムで生まれ育った、ヴェルフ・ヘルキオスはこの年で二十八歳に為る。カイよりやや背が低いだけの二尺程の筋骨逞しい大男だ。やや縮れた黒髪は短く刈っている。そして浅黒く日に焼けている為、其の顔付きや体付きは、より一層精悍さに溢れている。黒褐色の双眸は鋭いが、基本的に彼は表情も性格も陽気の一語に尽きるので、ウェザールの歓楽街を中心とする市井の住民たちの人気者である。


「今日と明日は、旅の疲れを癒すのに使い、明後日は私がおじ様とおば様を、ウェザールの案内に連れて行きましょう。移動は主に馬車を使うので、ご安心下さい」

 レナがそう提案すると、カイは「其れは素晴らしい。レナ頼む」、と応じる。ヴェルフの大叔父夫婦は了承したが、考えてみれば、自国の皇帝の義妹が帝都の案内をしてくれるとは、随分と畏れ多い事だな、と思った。

「明後日が今日の様な天候だと好いですね」

 カイは葡萄酒(ワイン)を飲みながら、満面の笑顔で老夫婦に言った。

 翌日は小雨が降ったり止んだりの、雲の多い天気だったが、翌々日は天候に恵まれた。前日の降雨の影響で空気が瑞々しい。

 レナは老夫婦を連れ、帝都の案内へ、カイは兵部省(国防省)に赴き、老夫婦の安全な帰郷の為に、軍用の馬車と、軍船の用意をする。途上の宿泊は軍施設だ。馬車も船も二人と荷物だけなので、最も小型ので充分だ。

 全て私用で使うので、カイは自らの給金から、使用料や人件費等を引き落とす手続きもしている。

 老夫婦の帰郷日は、カイたち「大海の騎兵隊」の休暇の最終日である。



 八月の第二週に入って数日。この日は「大海の騎兵隊」の集結日であった。

 集結場所は練兵場の造兵廠の付近である。時刻は未だ昼前だ。

 前日にヴェルフの大叔父夫婦は帰郷している。レナは二人を帝都の案内をした後、実家のブローメルト邸に戻り、前日の見送りに数日振りに夫のカイと顔を合わせた。

 ヴェルフが思っていた様に、如何やらこの夫婦は帝都に居る時は、其々の家にて住む様だ。

 其れを特に疑問にも思っていない二人に、ヴェルフは改めて呆れる。

 其の新婚夫婦は、造兵廠付近で部隊が揃うまで話し込んでいる。内容は愛の語らいでも無ければ、任務に関してでも無く、ツアラについてであった。

 ブローメルト家ではこの年に十三歳に為る、ウェザール州の北のエルマント州出身のツアラを、数年前に引き取り養女としている。彼女は一月から学院通いをしている。

 其の学院は同年のオリュン大公も通っている。但し、オリュンは二年間のみ通い、其の後は軍人貴族の子弟が多く通う、軍専用の学院に転院予定だ。

 これは現皇帝のアムリート・ホスワードと同じ経歴と為る。


「大公殿下は、皆の人気者であられるのか。其れは好かった」

「オリュン様は二年で卒院予定なので、皆が選択する基本的な学科を学ばれているみたい」

 元々、宮殿内で学問は専任の講師から、そして彼が大好きだった従兄の故ユミシス大公から学び、武芸は近衛隊の指導を受けていた。

 特にここ近年は、文武共にカイの弟である、宮殿住まいのハイケから学んでいたので、学識や運動は同世代では飛び抜けた存在であろう。

 また、叔父のアムリートに似て、身の丈が百と七十五寸(百七十五センチメートル)近くの貴公子然とした風貌にも関わらず、誰にでも気さくで明るいので、学院一の人気者だ、とレナはツアラから聞いていた。

「造兵廠付近を集合場所としたのは、ハイケに会えるかな、と思って決めたのだが、彼奴(あいつ)は七月半ばから八月末まで休暇中か。まぁ、彼奴にはゆっくり休んで欲しいな」

 ハイケ・ウブチュブクは長兄のカイより三つ下の弟で、彼の現在の身分は皇帝副官なのだが、宰相府で各省庁の選抜された者たちに因る、通称「国制改革局」でも働いている。

 「国制改革局」とは、要するに役人を初め、広く政治の場に女性にも門戸を広げる為に設置された部局で、最高責任者として、皇妃のカーテリーナが就いている。

 更には、ハイケは自身の案である、対火砲の突撃車両の進捗具合も確認する為、造兵廠にもしばしば赴いていたので、カイを初め皆は彼の健康を気にしていた。休暇で帰郷しているのは安心したが、擦れ違いに為ってしまったのは、やや寂しい思いも有る。


 カイは折角、造兵廠に付近に居るのなら、件の突撃車両の見学をする事にした。

 工部省と兵部省の技術者たちが何百人と作業をする場で、当然、一棟が大きく、其れが十棟は在る。

 カイが兵部省の技術責任者から案内されたのは、既に出来上がった突撃車両だ。

 レナも共について来ている。ヴェルフは部隊点呼の為に集合場所に残っている。

 この突撃車両は、城塞を壊す衝車を元に造られている。中に六列五人が、掴み棒を押し引きして、前進後進するのは同じだが、全体が護謨で覆われている。

 枠組み(シャシ)は木で造られ、前輪を動かす方向変換機(ステアリング)が供えられた専用の操縦席が上部に在り、厚い木材で全体が構成されていて、先端は三角錐だ。

 そして、其の外部と内部を鉄板で覆い、鉄具の破損を防ぐ為に、更に外部と内部が護謨で覆われている。

 四輪の車輪にも厚い護謨の輪が装着され、重量の割には滑らかに動ける。

 目を見張るのは、其の車輪が外に剥き出しで設置されず、車体内に沿って収まっている事である。

 この全体的な枠組みと構造は、ハイケが図案として、素描して、技術者たちと協議を重ねて造り上げた物だ。


「操縦席は半身を出すので、操縦者が一番の危険が有るな」

「鉄兜を初め、操縦者は重武装をします。其れでも危険ですが、専用の操縦者を募り、操作を覚えて貰わねば為りません。既に五十名程が操縦者としての訓練を受けています」

「中の運搬役も専任の者達が行うのか?」

「左様です。操縦席に前進用、後進用、停止用と、計三つの車体内に鳴る音色の異なる鐘の装置が、備え付けられています。操縦者と掴み手、計三十一名が組と為って、訓練をしなければ為りません」

「成程…、急遽の人員がこの車両の対応するのは難しい、と云う事か」

 カイは責任者から説明され、考え込んだ。彼は曾て元と為ったこの衝車を運搬した経験を持っている。

 あのエルキト藩王国との戦いでの最終局面の時だ。

 だが、この突撃車両は専任の兵が任務に就くので、未訓練者であるカイは操縦者も掴み手も出来ない。

 敵陣に先頭を切って突撃するので、其の役目を果たせないカイは、少し残念に思った。

「専用の事は専用の人に。何でも()んでも自身で遣ろうとしないの」

 レナが夫の心中を察して、言葉を放った。カイは「確かに其の通りだ」、と頷く。

 五十名が操縦者として訓練を受けているのだから、既に五十輌は完成している事に為る。

 練兵場の一角で、合計千五百五十名が訓練中だ。


 カイとレナが造兵廠の見学を終える頃には、ほぼ全将兵が揃っていた。

 カイは女子部隊のシェラルブクの女性たちの何人かを確認して言った。

「故国に残された貴女方の子供たちに何か有れば、即座に部隊を離脱して、帰郷する事を認める。任地がラテノグ州だから、当地に着いたらシェラルブクの地と定期的な連絡が出来る様に整備しよう」

 若いシェラルブクの母親たちがカイに礼を言う中、カイは女子部隊副指揮官のオッドルーン・ヘレナトに向き直った。オッドルーンは女子部隊の最年長で、この年に三十歳に為る。

「副指揮官の息子は大丈夫なのか?」

「もう、今年で十歳ですよ。息子は将来ホスワード軍の正規兵に為りたいそうです」

「そうか。其れは頼もしいな。俺の一番下の弟が今年で十一歳だから、共に軍に入りそうだな」

「弟と云えば、カイ。シュキンとシュシンの様子は見ないのか?」

 ヴェルフが現在、この練兵場で調練を受けている、カイの双子の弟たちについて尋ねた。

 カイが集合場所を造兵廠付近にしたのは、もう一つ理由が有り、其れは志願兵の調練場から最も離れているからだ。

 練兵場は帝都の直ぐ西に位置しているが、其の規模は帝都を一回り大きくした程なので、この造兵廠辺りからは、志願兵の様子は直接確認出来ない。


 シュキンとシュシンは、この年に十九歳で、七月の初日から志願兵の調練を受けている。

 カイが確認したのは募集人数だけで、この年は男性が二百五十名程、女性が二十名程だ。

 なので、五名を女子部隊から志願兵の指導員に回している。彼女たちだけは事前に休暇を前倒しして、七月の初日に指導員の任務に就く様に調整済みだ。

「彼奴らは、もう立派な戦士で、大人だ。俺が保護者面をして見学なんてしたら、彼奴らが嫌がるだろう」

 そうカイは言って、部隊が全員揃ったのを確認したので、出発の合図を行い、「大海の騎兵隊」は全員騎乗で、ホスワード帝国で最も北西のラテノグ州へ出発した。

 幾人かは馬上で、ホスワードの緑地に中央に三本足の鷹が配された旗を掲げている。

 白を基調とした軍装の女子部隊も大いに目立つ。

 だが、一番に目立つのは、騎乗姿でも好く分かる先頭を闊歩する二人の指揮官である大男たちだ。

 カイとヴェルフは濃い緑の肩掛け(ケープ)が靡かせ、背に斜めに納めた長大な鉄製の槍の騎乗姿である。最早、其れだけで圧倒される。

 両者の槍は共に長さは二尺を超え、重さは八斤(八キログラム)を超える。

 カイの槍の先端には斧が付いていて、ヴェルフの槍の先端には幾つもの突起物が付いた鎚と為っている。



 現在建設中であるラテノグ州の城塞は、ラテノグ州の北西に位置し、二里(二キロメートル)程西へ進むと、ボーンゼン河が流れている。

 このボーンゼン河の西の対岸がバリス領だが、二年前の戦いで奪われた地だ。

 凡そ、ラテノグ州の七分の一程、場所としては最も北西部を奪われている。

 バリス側もこのボーンゼン河の流れに沿って、城塞を築き、常時七千程の兵が詰めている。

 ラテノグ州のホスワードの城塞は七割がた完成、と云った処で、本年度中の完成を目指している。

 詰めている兵は、ファイヘル・ホーゲルヴァイデ中級大隊指揮官旗下の重騎兵二千と、北方のオグローツ城から着任した五千程の軽騎兵だ。

 建設中と云う事もあり、基本的に将兵たちは部材搬送の仕事をしているが、冬季は厳寒なこの地はボーンゼン河を初め河川の大半が凍りつく為、見張りや防備が主体と為る。


 一方、北方のオグローツ城の駐在部隊は一万に減ったが、これはシェラルブク族を初めとするホスワード側のエルキト諸部族が、完全にホスワード帝国に忠義を誓い、彼らだけで即座に五万の兵を揃える事が出来る様に為ったからだ。

 北方で有事の際は、オグローツ城の司令官であるマグヌス・バールキスカン将軍が、旗下一万とこの五万のエルキト兵を総司令官として率いる事が、条約として交わされている。

 エルキト側の代表者はシェラルブク族の族長デギリ・シェラルブクで、彼が数年前に部族をホスワード帝国に帰属する事を決めたのだが、これを契機に多くの諸部族がホスワード側に帰属している。


 其れに対峙するのは、更に北に位置するエルキト藩王国で、総帥は可寒(カカン)クルト・ミクルシュクだ。彼は遥か南のテヌーラ帝国の出身で、元々エルキト帝国内のテヌーラ通使館の長だったが、自ら衆望を失った当時のエルキト可寒を弑して、文字通り身一つで国を興した。

 流石に初期は祖国のテヌーラ帝国の援助が無ければ、難しかっただろうが、戦場では自ら陣頭に立ち勇を振るい、内政を安定させると、此方のエルキトの諸部族もテヌーラ人のクルトに完全忠誠を誓っている。

 ホスワードの情報将校たちの見立てでは、エルキト藩王国が最大で動かせる兵は八万程だが、西に在る大国キフヤーク可寒国にある程度の備えをしなければ為らないので、対ホスワードとエルキト諸部族へ侵攻出来得る兵力は、最大でも六万と見積もっていた。


 ホスワード帝国歴百五十七年八月十一日、カイ・ウブチュブク率いる「大海の騎兵隊」は、建設中のラテノグ州の城塞付近まで到着した。

 建設中と云う事もあり、まだ正式名称が決まっておらず、付近で一番の大きな市である「プリゼーン市」から名前を拝借して、「プリゼーン城」と呼ばれている。

 城塞の周りには(ゲル)営舎(バラック)が幾つか点在していて、如何やらカイたちの居住場所はこれ等の様だ。

 ホスワードで一番の北西のこの地は、日中こそ太陽に輝き暖かいが、日が沈むと、炉が必要、とまではいかなくとも、隙間風が入らない部屋で、暖かい(ベッド)で眠りたい。そんな気候である。

 当然、冬の訪れが国内で一番に早いのは、謂うまでも無い。

 「大海の騎兵隊」はこの年の十二月まで、この「プリゼーン城」に駐屯する。


 プリゼーン城は、かなりの広大な城塞である。其れは駐屯するのが全軍騎兵隊で、内部の半分以上を厩舎が占めるからだ。

 最大で収容出来る馬は一万頭程だが、其のままファイヘルの重騎兵二千と、オグローツ城から遣って来た五千の軽騎兵が駐屯する予定である。

 つまり、「大海の騎兵隊」は来年から、また別の任地に赴く事が確定している。

 来年から、現在ラテノグ州の南のメノスター州に在るバルカーン城の司令官をしている、ラース・ブローメルトが参軍や副官等の側近と共に、この城の専任司令官と為る予定だ。

 其れまでは、司令官代理として、ファイヘル・ホーゲルヴァイデが任に付いている為、カイを初め「大海の騎兵隊」の幹部たちは、ファイヘルに着任の挨拶へと向かった。城塞内の司令官室は、ほぼ完成している。

 誰とは云わないが、あまり好い顔をしていない者もいる。


 ホーゲルヴァイデ家はホスワードで屈指の軍人貴族の家系で、其の爵位は伯爵である。

 ファイヘルはまだ其の当主では無いが、カイと同年で、この年で二十五歳と為る。

 彼は百と八十五寸(百八十五センチメートル)を越える、堂々たる体格の所有者で、黒褐色の髪は短くし、蒼みがかった薄い茶色の瞳を持っている。其の見た目は典型的なホスワードの名門軍人貴族だ。

 また、彼の母親は大将軍エドガイス・ワロンの姉なので、ホスワード軍に於ける最大級の貴種であろう。

 ラースがプリゼーン城司令官と為った暁には、上級大隊指揮官に昇進して、ラースの主席幕僚と為る事が既に決定されている。

 ホーゲルヴァイデ家の現当主であるファイヘルの父親は、兵部省で兵部次官の席に在り、現在の兵部尚書ヨギフ・ガルガミシュの有力な後継者と見做されている。


「遠路、ご苦労である。卿らに遣って貰う事は、主に城塞の建設の手伝いだが、厩舎の作業と資材の運搬を主に任せる予定だ。また、バルカーン城のブローメルト将軍との定期的な連絡に関しては、ブローメルト指揮官に任せたい…。いや、ちょっと待て、貴女の事は何と呼べば好いのだ?ウブチュブク夫人、で好いのか?」

「ブローメルトで構いません。ファイヘル卿。周囲からは『レナ』と呼ばれているので、其れでも結構です」

 貴人に対する呼称は、ホスワード軍中ではややこしい。通常、ファイヘルの様に貴族だが、未だ将で無い者は、名に「卿」を付けて呼ばれる。但し、レナの父親のティル・ブローメルトの様に将で無くても、家の当主である者は、「ブローメルト子爵」か、役職で「ブローメルト武衛長」と呼ばれる。後は単に「閣下」だ。

 処が、ヨギフ・ガルガミシュの様に家の当主で、地位が上の者は「ティル卿」と呼ぶ事が通例だ。

 何れにしても、互いの親しさや、身分等でも変わるので、ファイヘルが困惑したのは当然だった。

 三週間に一度だが、レナを含めて、女子部隊から十名がバルカーン城への定期連絡役が決まった。

 実妹が赴くのだから、入城に関して煩雑な手続きは恐らく無いであろう。


 城塞内部は厩舎を優先して造られているので、カイたちは自分たちの馬は城塞内に納め、自身たちが生活の場とするのは、何十棟と在る営舎と為る。

 全将兵の七割がたが、この様に郊外で寝泊まりしているのだから、文句は言えない。

 当のファイヘルも司令官室に大規模な工事が行われる際は、包で寝泊まりしている。

 資材の運搬だが、直にプリゼーン城に持って来られる事は無く、近辺のプリゼーン市に運ばれている。

 加工された石材に木材、其れに生活用の家具を初め、大小様々な部材が、プリゼーン市へ帝国全土から送られている。

「卿は厩舎の管理技術師の資格を持っているのか。故に以前、叔父は卿をイオカステ州の馬牧場に長年送ろうとしたのだな。卿の部下で同種の資格を持っている者は、どれ程居る?」

 ファイヘルがカイに関する書類を見て尋ねた。

「正確な人数は分かりませんが、五十名は居ると思われます」

「では、明日より、早速任務をこなして貰う為、本日はもう休んで構わぬ。ウブチュブク指揮官は明日の朝九の刻(午前九時)に、同種の資格を持つ部下と共に城塞内の厩舎に集合する事。他の者については別の士官が来て、遣って貰う事を説明するので、同時刻に城塞外に集合する事。以上だ、何か質問は有るか?」


 カイはこの時、女子部隊のシェラルブクの幾人かは、故郷に幼子を残しているので、何か有った場合は即座の帰郷と、此方も定期的な連絡網を作る事を懇請した。

 ファイヘルは其れを聞き、やや苦い顔をしたが、半分呆れ顔、半分苛立ちの顔で、「分かった。其れは卿らだけで準備し、行え」、としか言わなかった。取り敢えず、要望は認められた様だ。

「ファイヘル様直々に、扱き使われる事は無さそうだな。まぁ、別に単純な力仕事なら、俺は何でも構わんがね」

 退出しながらヴェルフが言った。カイは早速オッドルーンと参軍のレムン・ディリブラントに数人を選抜させて、シェラルブクの地へ赴く様に命じた。其の際レムンには、最も短距離で赴ける公路(ルート)を作る様にも命じる。

 レムン・ディリブラントは、この種の諜報や地理に関する情報を集めるのを得意としている。


 翌日、カイは五十名を超える部下達と、城塞内の厩舎の付近に集まった。

 工部省に所属する専門の技術者が、厩舎の建設補助を頼んだ。

 但し、ほぼ九割がた出来上がっているので、不備が無いかの点検や、建設中に出た不要な木材等の処理が主であり、あまり難しい事や重労働でも無かった。

 とは云っても、一万を超える馬を収容する施設である。其の点検は一日やそこらで終わる任務では無い。

 八月中には完成するので、九月以降はカイたちは別の任務が与えられるだろう。


 ヴェルフたちの任務も簡単な物だった。先ず女性たちは皆、プリゼーン城に収容されている各馬に乗り、定期的な運動をさせる事、男性たちはプリゼーン市へ行き、部材をプリゼーン城へ運ぶ作業である。

 城塞に着任予定の将兵たちは、皆何かしらの建設の手伝いをしているので、彼らの愛馬の運動は必須である。

 また、プリゼーン市に集められた各種部材は、やはり着任予定の百名程の兵が、事前に市に赴いて、適切に仕分けをしているので、ヴェルフたちは只、其れら仕分けられた部材をプリゼーン城へ持って行けば好い。

 プリゼーン市は、此処より約七十丈(七百メートル)程、南東に離れた所に在り、ヴェルフを先頭に一団は徒歩にて、市へと出発をした。

 そして、オッドルーンとレムンの合計十騎が、この日にシェラルブク族の地へと出発している。

 最短で赴ける公路(ルート)を探る様に行くので、往復に一週間程使う予定だ。


 ファイヘルの主な仕事は、この届けられた部材の伝表管理だ。

 要するに部材の中には、其れなりの高価な物や貴重品も有るので、帝国各地から発送した物が、プリゼーン城に搬入された際、正しく部材と其の数が合っているか、つまり中途で何処の誰かが持ち逃げや、搬送忘れをしていないか、の確認だ。

 ファイヘルはこれを城に居る、数名の兵部省の役人の補助を受けて行っている。

 ヴェルフも高級士官に為ってから、其の種の書類業務の重要性を知っているので、城への部材の搬入時には、きちんと伝票に彼自らの署名欄に記入して、担当の職人の責任者に渡している。

 細かい部材は、手で持ち、大きな部材は四輪の大型の車両に納められて、其れを数人が手押しにて曳いて行く。

 一日に何往復とするので、単純ではあるが、結構な重労働だ。


 九月に入り、カイたちもこのヴェルフの運搬業務に入った事。後は単純に、大きな資材の運搬が少なく為って行ったので、九月も半ばを過ぎると、左程重労働では無く為って行った。

 カイは会議室用の机や椅子を運搬していた時、これ等が造られた場所がムヒル州のハムチュース村だと知って、内心笑みが零れる。

 ハムチュース村はカイが十八歳近くまで、通っていた学院が在る村で、この様に木材を使った製品を主産業とした村である。

 発送地はムヒル市で、よもやこの様な形で故郷の物に触れるとは思わなかった。

 偶然にもこの頃、帝都に帰還したハイケから、手紙が来て、彼の姉、つまりカイの直ぐ下の妹のメイユが二人目の子を身籠った事を連絡して来た。

 メイユはハムチュース村の学院で、夫と共に教師をしている。

 カイは任務中は真剣な顔だったが、休憩時には穏やかな笑顔で過ごしていた。



 十月に入ると、高級士官と参軍による定期的な会合が中心と為った。城に関しては職人のみの総仕上げの段階に入り、将兵たちの大半は其の手伝いから解放されている。

 主な会議集合者は、司令官代理の中級大隊指揮官のファイヘルと彼の参軍。オグローツ城から来た五人の下級大隊指揮官と其の参軍たち。そしてカイとヴェルフとレムンだが、バルカーン城から帰還直後のレナも参加する事が多い。後は議事録の作成役である兵部省の役人だ。

 そして、この会議室の机や椅子や書類棚は、ハムチュース村で造られた物である。

 また、既に炉が必要な気候と為って来ている。

 この日は、バリスとブホータに関して話し合われた。

 ファイヘルは昨年のブホータ王国の使節団で、使節団長のラースの主席随員を務めていた。

 ブホータ王国に関しては、彼は詳細な情報を持っている。

「新興国であるブホータは、足並みを揃えた意思決定が難しい様だ」

 そう苦々しくファイヘルは吐き捨てる様に言った。

 王族である中核部族は、長らくバリスから「テヌーラを侵犯する様に」、と言われ、テヌーラから「バリスを侵犯する様に」、と言われ、報償だけはしっかりと貰い、どちらにも形程度の軍事行動しか起こさず、自部族の増強に努め、統一を達成した。

 其の様な経緯から、王族に対する反発を持つ部族も多いらしく、また実際にバリスとの激しい戦闘で疲弊した中で、この中核部族に吸収された部族も有る。


 ブホータ内では、対バリス強硬派と穏健派に分かれ、当然、王族は穏健派に入る。

 だが、強硬派を蔑にすると、内乱の危険性が有るので、王族としてはある程度、強硬派の意見を汲み取らねば為らない。

 また、この年の初めに両国は武力衝突を起こした。小競り合い程度だが、バリス側の完勝に終わっている。

 王族の中にも、強硬派に多少は便宜を図るべき、とする勢力と、バリスには徹底して逆らわない、とする勢力に分かれているらしい。

「ディリブラント。ブホータに関しての卿の意見を聞きたいのだが」

 カイが部下のレムン・ディリブラントに発言を求めた。彼はバリスの内情に詳しく、当然其の西方のブホータにも数回だが、滞在経験を持っている。


「もう十年近くも前ですが、小官がブホータ滞在中、バリスの諜報員と思わしき者共を見ました。彼らは各部族内で争わせたり、ある部族と同盟して、他の部族を挟撃したり、とバリスは大規模な大軍こそ送りませんでしたが、かなりの金銭をばら撒き、軍事介入し、彼らの相互争いを増長させていました」

「今の王族は割とバリス側の立ち位置だったのか?」

「左様です。彼らの中には高原統一がバリスの援助のお陰だ、と感謝している者も居るかと」

 レムンとカイの遣り取りを聞きながら、ヴェルフが地図を見ながら意見を述べた。

「数年前のバリスとテヌーラの戦いの戦後処理で、ブホータは東側の国境はバリスとしか接していないな。北は左程軍事力の無い緑地都市(オアシス)国家群、南のガピーラとも、西のファルートとも峻険な山脈で隔てられているので、相互の軍事行動は難しいだろう。つまりブホータはバリスに対して、全力で当たれる立場ではないか」

「全軍がバリスに当たれるのに、其れを躊躇うのは、『お前たちには利は無いぞ。只ホスワードに操られているだけだ』、と現在バリスの諜報員は、ブホータの各部族に吹き込んでいるからだ」

 ファイヘルのこの情報は、バルカーン城のラース・ブローメルトからの物だ。

 ラースがバルカーン城に臨時司令官として就任して行った事は、バリスに対する諜報員の一新と、彼らによる情報収集である。

 勿論、この機密情報はラースの実妹のレナが定期的な連絡役として、プリゼーン城にもたらしている。

「ヘスディーテか…。何やらあの男は其れだけでは無い、様々な謀略を講じてそうだな」

 カイが言うと、一同は黙ってしまった。あの墨絵の皇太子が、危険極まる策謀家である事は承知しているが、一体何を企図しているのか、其の全貌を推測するのは、彼らには全く及ば無い事である。


 会議室に数人の将兵で無い、職人風の人物たちが入って来た。

 各人の机の前に(マース)と呼ばれる、陶器の杯が彼らに因って置かれる。これは十合(一リットル)は入る杯だ。

 其処に、食事を担当するこの常駐の職人たちが、持って来た樽から、上面発酵(エール)白麦酒(ヴァイスビア)を溢れんばかりに注ぐ。

 宴会では無く、飲食物の地下貯蔵庫を造ったのだが、この注いだ麦酒の樽は何カ月も前から貯蔵した物だ。

 最も北西の地故、地下深く掘り進めば、大抵の飲食物は氷を必要とせず、保存出来る。

 ファイヘルが音頭を取って、麦酒が気の抜けた物に為っていないかの確認の試飲が始まった。

 レナとレムンは五合(半リットル)の(グラス)を頼んで、呑んでいる。

 ホスワードでは様々な酒類が生産されているが、プリゼーン城では酒はこの白麦酒と赤葡萄酒(ワイン)を貯蔵している。

「この任務だけは、今後とも小官にお命じ下さい。ファイヘル卿」

「卿に任せたら、数週間で貯蔵庫の酒が空に為る」

 ヴェルフがファイヘルに調子の好い事を言うので、隣に座し、空にした升を置いたカイは笑ってしまった。

 こうして城の貯蔵庫の完成の確認も取れた。


 この頃より、カイたちを含めプリゼーン城の将兵は、模擬戦闘を初めとする、騎兵の調練が日々の中心と為った。

 但し、全軍挙げての調練は、離れているとは云え、ボーンゼン河の西岸のバリス兵を刺激するので、カイの部隊は主にオグローツ城から遣って来た、同規模の軽騎兵と模擬戦闘を行っている。

 規模としては合計二千騎を超えるので、其れでもやはり離れた所から見れば、壮観だ。

 北方に長らく駐在していた騎兵部隊が相手だが、改めて自部隊が軽騎兵として、機動力、騎射力等が低いのをカイは感じ取ったので、徹底して自部隊の軽騎兵、つまり弓騎兵としての練度を高める事を重視した調練を行った。無論、其れは女子部隊を除いた話である。

 水上任務や陸戦や騎乗の接近戦など、様々な事がこなせる部隊だが、基本的にカイの部隊は弓騎兵に分類される。

 「大海の騎兵隊」はこうして、騎馬戦術の調練に改めて精を出す事に為った。


 十一月に入った。北方の地の故、日が昇るのが遅く、沈むのが早い。そして其の短い日が出ている間、太陽は厚い灰色の雲にほぼ遮られ、微かにしか存在が感じ取れない。

 ちょうど一年前は、南方使節で、此れでもかと云う程、太陽を浴びた。

 だが今は、冷たい雨や、霙や、時には降雪に見舞われ、月の半ばを過ぎると降るのはほぼ降雪だ。

 北風が吹き荒れると、寒さが堪える。

 霧が発生する事しばしばで、只でさえ、視界が悪いのに、自身の吐く息で更に視界が悪くなる。

 流石に年が明け、三月も終わりに近づくと、この様な状況は緩和されるが、日の出ている時間が長いのに、場合に因っては五月の初め頃まで、この天候がしばしば発生する。

 この地で「冬」を完全に感じ無く為るのは、五月の半ばを過ぎてからだ。


 部隊を二つに分けて、矢の先端を布で何重と巻いた物を、馬上から相手へ射る。

 当たれば十分に痛いし、最悪、平衡(バランス)を崩して落馬や、当たった箇所に因っては重傷と為る場合も有る。

 だが、其れでもカイは自部隊に敢えて、この危険な騎射の合戦の調練を実施した。

 何より、視界が悪い。其の為、数十騎には松明を持つ役をさせている。週に一回だが、夜半でも調練を行うので、其の際は、半数が松明を持つ役と為る。

 勿論、十分に安全と将兵の疲労度と勘案して、適宜に休憩日を設け、重体と為る者を出さない様にカイを初め、幹部たちは留意する。

 視界が悪くても、一糸乱れぬ騎馬の連動と騎射。大地はぬかるみ、或いは凍結し、通常の騎馬でも困難だが、「大海の騎兵隊」は、恐らく結成されて一番の過酷な調練をこなしていた。

 当然、城内には医療棟も在り、専任の医療従事者も常駐して居る。

 重傷者こそ出さなかったが、カイの部隊の多くは一日から数日、この医療棟のお世話に為る者が続出した。



 十一月もは半ばを過ぎる頃、プリゼーン城内の将兵たちは、様々な憶測で騒然となり始めた。

 既に城はほぼ完成し、名称は結局、其のまま「プリゼーン城」に決定した。

 将兵たちの憶測とは、バリス帝国との不戦条約の履行延長の話し合いが、バリス側から正式に一時的に止める、と通達が出されたからだ。

「奴らは戦をまた起こそうとしているのか?」

「バリス軍単独か、エルキト藩王軍とテヌーラ軍との三カ国との戦いに為るのか?」

「其の場合に備え、其々の国の国境を接している国に使節団を送ってある。彼らが必ずや、三カ国を扼してくれるだろう」

「一番の大軍を擁して来るであろうバリスに対して、扼してくれるブホータが一番心許無いのが気掛かりだな」


 履行延長の話し合いと、条約の締結は、ラスペチア王国のホスワードとバリスの通使館の間で行われるが、事前の話し合いとして、双方の使節が十一月の半ばに両国の首都に赴く形を取っている。

 バリス側はラスペチアの通使館を通して、使節をウェザールへ入朝させない旨の連絡をして来たのだ。

 最終的な話し合いの場を設けるか如何かは、十二月の半ばまでに通達をする、との事だ。

 程無くして、帝都近郊の造兵廠から、プリゼーン城に投石機が二十機、大量の水弾の元と為る人頭大の薄い護謨の袋が、大量に送られてきた。

 既に投石機は三十機有り、城の建設で余った石材から人頭大の石弾も二百程造ってある。

 水に関しては、この地を選んだのは地下水があるからだ。

 更には、降雨や降雪が多い、この地では大量の水を溜め込む事も可能だ。

 北のボーンゼン河から水を引かないのは、敵軍の水路破壊の対策もあるが、単純に冬季時に河川が凍結するからだ。

 生活用水だけで無く、水弾を何千と造れる十分な水の確保は出来ている。


 十一月の終わりに、カイたちの部隊は、予定通りにプリゼーン城を十二月半ばに離れ、一旦帝都ウェザールに戻る事が命として来た。

 基本的に中央軍の扱いなので、今後は中央に居る将の元で、一部隊と為るか、或いは国境の四つの城塞に増援部隊として、配属かは、年が明けてから正式に決まるらしい。

「若し、年が明けてプリゼーン城駐在に決まったら、全くの無駄だぞ。来年から此処はブローメルト将軍が司令官と為るが、ブローメルト将軍に連絡した方が好いじゃないか?」

 ヴェルフが首を傾げたが、カイも内心同様だ。この城にずっと居れば、ラースから色々とバリスやブホータの情報も聞けるし、何よりレナが兄の傍に居られる。

 尤も、この地に着いてから、レナは三週間に一度だが、ラースが司令官として居る、バルカーン城への使いをしているので、定期的にブローメルトの兄妹は会っているが。

 なので、カイは最終日に為るバルカーン城のブローメルト将軍に対しての連絡役のレナに、自部隊の処遇について、確認する様に頼んだ。つまり、此のままプリゼーン城に居た方が好いのでは、と云う事をだ。


 十二月の初めにバルカーン城から戻った、レナは兄のラースから、「未だ確実性の無い情報だが」、との注釈で次の様な事を連絡された。

 如何やらバリス側は停戦条約の破棄に向かっているらしく、更にテヌーラと共同で、年明けに対ホスワードの侵攻を企図しているらしい。

 特にメルティアナ城より、以南の地はテヌーラが領する事で、歩調を揃え、共同戦線に出る可能性が有るので、カイの「大海の騎兵隊」は、南部の支援部隊として赴く可能性が高い、との事だった。

「テヌーラと共同で、南部の侵攻か…」

 カイが口に出して呟いたのは、其れだけだが、懸念点がもう一つ頭を擡げて来た。

 テヌーラ帝国との共同戦線なら、当然テヌーラの衛星国のエルキト藩王国が動くだろう。

 北方はマグヌス・バールキスカン将軍に因り、六万の兵が即座に対応出来る様に為っている。

 だが、カイはエルキト藩王国の総帥である、可寒(カカン)クルト・ミクルシュクの事が思い浮かんだ。


 大陸で一番の要注意人物は、バリスの皇太子ヘスディーテ・バリスだが、殊に戦場に限っては、クルト・ミクルシュクが一番の危険人物である。

 対応するバールキスカン将軍は指揮官としても偉大だし、百戦錬磨の戦士だ。だが、あのクルト・ミクルシュクは、そう云った次元を超える能力を持っている。

 これは、カイが実際に彼と対峙し、更に一騎打ちした経験からだ。

 バリス・テヌーラの共同軍も要注意だが、やはりカイは北方に居て、あのクルトと決着をつけたい思いを持った。

 然し、これを自身が強固に主張すれば、バールキスカン将軍を蔑にする発言、とも取られるだろう。

 カイは、ラースとバールキスカン将軍に、クルトが野戦司令官として、且つ戦士としての驍勇さを注意する様に、としか言えない立場にもどかしさを感じた。

 成程、将ならば、上奏すれば、この様な自身の意見は通り易い。だが、一部隊の指揮官である自分は其処までの権限は無い。

 父ガリンが、この様にある種の制約下で活動をしていたのか、と改めて思うカイであった。


 ガリン・ウブチュブクは十七歳で見習い兵として、軍に其の身を投じてから、十五年程で今のカイと同じ下級大隊指揮官に為っている。

 其の後の昇進は遅く、三十八歳で中級大隊指揮官、四十四歳で上級大隊指揮官。そして、五十の歳まで重傷を負い、軍籍を退くまで、其のままだった。

 但し、大半の軍人貴族も将に為るのは三十代後半から四十代半ばに掛けてである。

 ガリンの副帥を長く務めていた、現ボーボルム城司令官のアレン・ヌヴェルも四十代半ばで将に為っている。

 カイと同年のファイヘル・ホーゲルヴァイデは、来年に上級大隊指揮官に為る事が内定しているが、更に其の後数年で将と為るであろう。


 バリス帝国の首都ヒトリールの皇宮の一区画は、皇太子専用の執務室と為っている。

 約二十名程の専任の高級役人が、此処で働いているが、ヘスディーテは国内の視察を精力的に行うので、皇太子宛ての書類に目を通す者として、ヘスディーテは特別に専任の長に其の権限を与えていた。

 十二月の初日にテヌーラ帝国の首都オデュオスから、バリスの通使館を通して、皇帝アヴァーナから親書が届いた。

 この時、ヘスディーテは地方視察で不在で、確認は其の長が取り、急いで皇太子の帝都帰還の早馬を出した。

 翌日、ヘスディーテはヒトリールに帰還して、彼の執務室で、アヴァーナの親書を改めた。

 これは彼がこの年の七月にアヴァーナ宛てに届けた親書の返信である。

「ふむ。我らに付き、ホスワードとの対戦を選んだか」

 無感情にヘスディーテは言い放った。長であり、謂わば主席秘書官とも云うべき側近が、疑問を呈する。

「ですが殿下。ホスワードを討つ大義名分は如何致しましょう。彼らがブホータに我らを討つ様に(けしか)けている、と云うのは、やや弱い気がしますが」

「其の件なら、既に考えてある。後はホスワードに対する停戦破棄の通達の時期(タイミング)と、テヌーラとの詳細な共同の軍事戦線の構築だな」

 ヘスディーテは「其の前に父帝の許諾を貰ってくる」、と言って、執務室を出て、皇宮内の父親であるランティスの執務室へと向かった。


 十二月の半ば。「大海の騎兵隊」は一旦帝都ウェザールに帰還する事に為った。

 女子部隊のシェラルブクの女性たちは、オッドルーン・ヘレナトに率いられ、此方も一旦故地に帰る。

「ファイヘル卿。差し出がましい事を言うが、この地では対バリスだけでは無く、北方のバールキスカン将軍の支援も必要でしょう。ブローメルト将軍がこの地に来年より就きますが、改めてあのエルキト藩王には気を付けます様」

「卿に言われずとも分かっている。あの男が戦場で一番に危険なのはな」

 ファイヘルも其の身でクルトの剛勇さを体験している。プリゼーン城は西方のバリス軍に対峙しながら、場合に因っては北方を支援しなければ為らない。

 マグヌス・バールキスカン将軍は旗下のホスワード兵と、同盟下のエルキト諸部族の兵、合わせて六万を指揮出来る権限を持っているが、これはホスワード側が予想している、エルキト藩王軍が対ホスワードに動員出来る兵数と同じだ。

 予想であって、これより多い可能性も有る。勿論、この予想は最大に見積もった物なので、恐らく下回るかもしれないが、其の様な希望的観測を、政略や戦略の柱とする者は、ホスワード軍の中枢には居ない。


「そんなにこの地が心配なのなら、例の曲芸で以て、早々にバリス・テヌーラの連合水軍を撃滅し、昇進でもして、改めて此処へ来るが好い。特に期待せずに待っているぞ、カイ・ウブチュブク」

 曲芸とは、敵船への騎兵突撃の事を言っている。其の発言を聞いて、傍に居たヴェルフは不機嫌な顔をしたが、カイは右手を差し出し、「承知致した。何時か共に将として、お互いに轡を並べる日が来ると好いですな」、と言った。

 今度はファイヘルが不機嫌な顔に為って、差し出されたカイの手に対して、彼も右手を出した。お互いに堅い握手を交わす。

 こうしてカイの部隊は、帝都ウェザールへ、シェラルブクの女性たちは故地へと帰還して行った。

 カイの不安は、やはりあのクルト・ミクルシュクである。

 あの男なら、全軍を先ずキフヤーク可寒国にぶつけ、彼らを完膚なきまでに叩きのめし、即座に反転してホスワードの影響圏内のエルキト諸部族に侵攻するだろう。

 先の予想だと、エルキト藩王国が動員出来る全軍は、最大で見積もっても十万には届かず、八万を超える位だ。

 だが、全軍騎兵なので、機動力を生かして、軍を分けずに、時間差で二正面作戦をしてくる可能性が高い。

 カイはオグローツ城のバールキスカン将軍や、プリゼーン城のラースやファイヘルを心配したのは、この点だ。


 テヌーラ帝国の首都オデュオスに、バリス帝国皇太子のヘスディーテから、再度の機密文章が届いたのは、十二月の半ばを過ぎた頃だった。

 其の内容は具体的なホスワードの侵攻作戦に関して、説明がされていて、来年の二月の末までにバリス軍がメルティアナ州のスーア市に進駐するので、其の進駐を大戦開始日とする、との事だった。

 テヌーラに対する共同戦線は、ボーボルム城のホスワード水軍と、メルティアナ城に関してだ。

 前者は、テヌーラやホスワードで云う中型船よりやや大きい軍船を、二十艘差し向ける、と有った。

 このバリスの軍船は、船頭に火砲が搭載され、一列の単縦陣を形成し、先頭の船が敵船に砲を撃ち尽くしたら、回頭して、最後尾に回り、次船が砲を撃つ、と云う戦術を取るので、テヌーラ側は砲の被害に遭わない様に、南から東へ向けて半包囲する陣形を取る事を進めていた。

 当然バリスの軍船は、ドンロ大河を西から来る。 

 後者は、やはり火砲を大量に持った二万の兵が、城壁の破壊を中心に行うので、テヌーラ軍は破壊箇所からのメルティアナ城内の占拠を任せる、と有った。

 この共同戦線はメルティアナ城より以南の地を、テヌーラが領する事が決まっているので、当然、占領部隊の為、大軍を用意する様に、とも有った。


「何とも細かいな。ヘスディーテの小僧は、相当前からこの案を企図していたと見える」

 アヴァーナが半ば呆れ、半ば感心する。

 また、エルキト藩王国がホスワードの北方を扼する事に関しては、宗主国であるテヌーラ側の指示でお願いする、と有った。

 アヴァーナは定期的なエルキト藩王国との外洋の連絡船を使って、藩王クルト・ミクルシュクへ、このバリスのスーア市進駐を、大戦の狼煙とする連絡を伝えた。

 こうして、ホスワード帝国歴百五十七年十二月末。ホスワードを囲む三カ国は、着々と対ホスワードの侵攻の準備を始めた。


第二十七章 大戦前夜 了

 次回から、章ごとに同じ題名で、「その1」、「その2」という具合で話を進めていきます。

 要するに、最終決戦ですね。

 「前編」、「中編」、「後編」、とできないので、こうします。

 何とも言えませんが、「その10」までいくか、いかないか、あるいは超えるか、といった感じです。



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